達人・黄性賢の太極拳の本当のあるべき姿とは!?
本当のリラックスによる内勁とは!? 推手とは!? その真実が今回日本で初めて紹介される!
達人・黄性賢の太極拳の本当のあるべき姿とは!?
本当のリラックスによる内勁とは!? 推手とは!? その真実が今回日本で初めて紹介される!
演武・技術協力/ ウィーキージン
インタビュー/ 太極気功養生教室 鈴木
資料提供/ ウィーキージン 太極気功養生教室
編集/ 中国武術WEB編集部
弟子を指導している黄性賢(1980年代後半)
衝撃映像!!柔らかいゆったりとした動きの中で
弟子たちをピンポンだまのように弾き飛ばすその力とは!?
黄性賢77歳の時の太極推手デモンストレーション
今回インタビューをしてくださった若き日のウィーキージン老師も
当時門下生の一人として参加しているのが見られる。
黄性賢大師(1910~1992)
最初は謝宗祥より白鶴拳を学び、その三年後、謝宗祥の弟子の陳世県に羅漢拳を学ぶ。
若い時から中国大陸で多くの武勇伝がある武術家であったが、1949年に台湾に渡り、鄭曼青から太極拳を学んだ。
その功夫は楊澄甫をすでに超えているといわれたほどである。
1955年全台湾省から大勢の達人集まった中で開催された推手大会に弟子の鄭顕気や林宜文と共に参加する。
黄は重量級で優勝を果たし、弟子の2人も中量級(鄭)と軽量級(林)とすべて優勝を果たした結果となったので、
当時の武林界に黄一門の三傑は広く知られることとなった。
後にシンガポールへ移住。1992年、故郷の福州にて永眠する。
今回インタビューをしてくださったウィーキージン(王其燃)老師
黄性賢老師の関門弟子(一番最後の弟子)であり、
黄性賢の太極拳の晩年の成果を受け継いだ人物として世界的に知られている。
ニュージーランドに在住され、イギリス、ドイツ、ハンガリー、スイスなど欧米諸国を中心に
飛び回って黄性賢から受け継いだ太極拳を忙しく普及活動をしている。
ウィーキージン老師による推手スパーリング
黄性賢の驚異的な鬆沈身・抜根勁は同系統の鄭子の太極拳家でさえトリックではないかと疑ったほどである。しかし黄性賢は実際には1955年全台湾省から大勢の達人集まった中で開催されたオープントーナメントの推手大会で優勝を果たすなど、数多くの比武(他流試合)により、その実力は「師を超えた」と評価されていたそうある。
黄性賢から本物の技術を受け継いだ数少ない人物の中の一人だと言われているウィーキージン老師の推手技術を見ていただきたい。相手を無力化して鬆沈身・抜根勁を体現しているのが分かる!
鬆沈身・抜根勁とはリラックスできて気が沈んだ状態の身体によって、相手の重心を無重力化しコントロールすること
である。太極拳やその他内家拳の中でも大変高度な技術である。
師・黄性賢に習っている時のウィーキージン老師(左 1980年代後半)
鄭子太極拳の原理から解説するウィーキージン老師(英語)
日本では健康法として知られている太極拳だが、ウィーキージン老師は太極拳の練習は理から理解し練ることからが肝心とよく言われている。
ウィーキージン老師の指導法は形だけでなく、本当に太極拳を体得したい人にはおすすめかと思われる良心的な指導法である。従って大勢の欧米諸国人たちがその門を叩いている。
「鬆身五法」の第一法を解説するウィーキージン老師
かつてこちらのWEBサイトで紹介した鄭顕気先生の「鬆身五法」と動きが異なる。
これも黄性賢が晩年にかけて改良していった成果か?
「鬆身五法」とは近年の著名太極拳家である黄性賢大師が長年の修行を経て研究し編み出した練功法です。
黄大師は最初は福建で白鶴拳という南派に属す拳法を練習していましたが、後に台湾に渡り、「五絶老人」鄭曼青から太極拳を学びました。その功夫は楊澄甫をすでに超えているといわれたほどと言われており、
その天才が長年かけて編み出したのが「鬆身五法」なのです。
従って黄性賢一門の太極拳はこれらの独自の練功法があるがゆえに黄氏太極拳といわれています。
「鬆身五法」は太極拳の練習で要求される放鬆と太極拳の身体操作の極意を集約したものですが、
動作が非常に簡単であり、誰でも練習できます。「鬆身五法」を練習することにより、
リラックス感を体得ができ、気血の循環の促進、健康の向上、ストレス解消に繋がるわけです。
またこれらの動作を無理なく回数をこなす事により、太極拳の身体操作で重要な肩や胯等の各関節がスムーズに
操作でき、太極拳の原理が理解でき学習もスムーズになり、護身としても役立つわけです。
2016年の年の瀬が迫った頃に黄性賢の関門弟子で、黄性賢の晩年の成果を受け継いだ人物として知られているウィーキージン老師が来日されました。
今回はご家族を伴ってプライベートで来日とのこと。その時に運良く貴重なインタビューをすることができました。
世界的太極拳マスターであるウィーキージン老師から直に太極拳について、日本人が太極拳を学ぶのにどの点を注意したらいいか等、貴重な意見を聞くことができました。
Q. ウィーキージン老師の出身と武術歴について簡単に聞かせてください。
ウィーキージン(以下をウ) 私は1956年にシンガポールで生まれました。1983年から太極拳を学びました。その前は子供の頃に精武会系の弾腿を習ったことがあり、成人してからはビジネスをやっていて太極拳どころか武術をやっていませんでした。
20代の初めの頃に台湾に旅行へ行った時にちょうど朝公園で太極拳の練習を見る機会があり、その時見た太極拳が鄭子太極拳だったのです。その時見た鄭子太極拳の動きに私はとても興味を惹かれたのです。その時そこの公園の指導者であった廖先生に「鄭子太極拳を習いたい」ということを言ったら、廖先生は「きみはシンガポールに住んでいるなら、鄭曼青の高弟である黄性賢という達人がシンガポールで教えているから、そこで習うべきだよ」と言われました。それが私が黄性賢老師に太極拳を学ぶことになる一番の最初のキッカケとなります。
Q. それからどうされたのしょうか?
ウ 台湾から帰国した私は早速地元シンガポールにある黄氏太極拳協会で練習しました。
Q. そこで黄性賢老師は毎回教えられていたのですね?
ウ いいえ。黄性賢老師は当時すでにマレーシアに住んでおられたので、月に何度か教えに来ていたぐらいでした。私は最初にシンガポールの道館でそこの教練について習っていたのです。
私は太極拳の練習が好きで、毎回練習が始まる前に他の人より早く来て習ったものを復習して練習をしていました。私の熱心さに感心した教練が「きみはいつもとても熱心だね。そんなに熱心なら黄性賢老師は拝師して弟子になってみてはどうか」と言ってくれて私を推薦してくれたのです。そして私がついに黄性賢老師の拝師弟子になって学ぶことになりました。
Q. 実際に黄性賢老師に習われてみていかがでしたか?
ウ 私は黄性賢老師ご自宅で住み込んでいて3年間もずっと毎日習いました。住み込んで習う以上、黄老師が食べられる料理を作ったり、家の雑用をしたり、黄老師の身の回りもお世話をしながら習いました。
練習は毎朝5時から始まりそれがずっと毎日だったので、とてもきつかったですよ。長時間も同じ姿勢で立ったままなどの練習もやりましたので、しかも姿勢で一寸の間違えも許してもらえず、最初の頃は練習が終わった後は足が震えてガクガクでトイレの便座に座るのも大変した(笑)
私が黄性賢老師から習い始める前に、黄老師からある条件を言われました。「私はきみの前では福建語(黄性賢老師は福建省の出身)しか話さない。私が喋る福建語が理解できないようでは私の太極拳は理解できない」と(笑)
それだけでなく、黄性賢老師は私に「これまで習って身に付けたものはすべて捨てなさい」と要求され、これまで黄老師の大極拳のシンガポールの教室でそこの教練から37勢大極拳の型を習っていたのに、それさえも捨てさせ最初の半年間は基本動作と37勢大極拳の型の一番最初にある攬雀尾いう動作だけで延々と繰り返しずっと練習をやらされました。
Q. これまで習っていたシンガポールの黄氏太極拳協会で教えられていた37勢大極拳が間違いを教えられていたということなのでしょうか?
ウ シンガポールで教えられていた教練はとても優秀でした。今では私とは黄性賢老師の同じ門下生の兄弟子にあたる人で、当時のシンガポールでの指導は彼に任されていましたからね。
ただ黄老師が言うには「これまでやってきたことを白紙にしておくような真っ白な気持ちにならないと本物芸は身に付かない」ということです。特にこれまで他の大極拳の先生に習っていた人でしたら、中にはこれまで習ったことで変な面子やプライドを持ったりする人がいますよね。そういう人たちは私の経験上からしても身には付きません。妨げになります。プライドが邪魔しますからね。そういうのを戒めるためだったのだと思われます。現に私が生徒に教える時にしても、これまで他所で大極拳を習っていた人であっても、台湾やマレーシアなどにいる私の兄弟弟子から習ってきた同門の人であっても、私は必ず基本から教えています。これらの中には黄老師から実際に習った期間が短かった人や解釈の間違いからか黄老師の教えとは違うやり方をされている同門の兄弟弟子が少なからずいますからね。
私は今ではヨーロッパをメインで教えていますが、私の生徒の中には陳式や楊式といった他所で他派のインストラクターや教練をしていた者も何人かいますが、他派の練習のやり方とは我々のやり方とは違うので、彼らにも基本から教えていました。中には不満な顔を露骨に出す者もいましたが、私たちは黄老師大極拳を練習しているので、基本から我々の正しいやり方を身に付けていかないと何年経っても何も身に付きません。それができない人には私は教えません。 基本を蔑ろにして太極拳は身に付きませんからね。それはどんな武術であっても同じはずです。黄老師の教えは正しかったと今ではハッキリ認識しています。
私が黄老師に習い始めた頃、こんなことがありました。当時私以外にもう一人私と一緒に黄老師について共に練習していた人がいました。彼は黄老師の親戚にあたる人で彼はかつて他所で他の大極拳を習っていたことがあったそうです。彼は私と2人っきりの時いつも「黄老師はこう言っているがこういうふうに動くのが正しい」と他所で習った知識をあれこれ私に言ってきて解説していました。当時若かった私はやはり黄老師の教えを背くようなことはしてはいけないと感じ「やはり黄老師のやり方が練習しないといけない」と彼に諭したりしました。
Q. そんな人が同門におられたのですか(笑)そういう人は武術を習う以前に人間性からして問題あるかと思われますが。
ウ そうですね(笑)それでも彼は過去に習ったプライドが邪魔して直そうとしませんでした。結局半年後その彼は黄老師のもとを離れてしまいました。ようするに彼は黄老師の親戚だということで黄老師の大極拳協会の副会長のポストを狙っていたということで太極拳を始めたということだったのです。そんな邪な彼の考えや驕りのある性格は黄老師は見抜いておられていたようです。放っておいたら本人から勝手に辞めていくだろうと思っておられたそうです。
Q. 先生というのは見ていないようで生徒の人間性や性格まで見ているということですよね。
ウ そうですね。太極拳はやはりいつまでも学ぼうとする心、探求し研究しようとする心が大切。邪な考えや変なプライドや驕りを持つのは戒めないといけません。でないと太極拳のリラックスした自然な動きはいつまで経っても体現することはできません。私は初心者だろうと上級者だろうと誰であっても推手の練習を一緒に行います。普通は誰でも下手な初心者とは組みたくないものですが、逆に未熟な動きをする彼らから私たちが多くのことを学ぶことだってあるのです。 実際実戦の時だって、攻撃してくる人は多くは太極拳の経験者ではないはずですからね。
黄老師だって授業では初心者や上級者と隔たりなく組んで推手練習をしていましたし、人それぞれ推手でも個性があるから実際その方が勉強になるのです。授業が終わってから、私たち高弟を集めて発勁練習や推手練習を私たちと一緒にやっていました。それは黄老師が亡くなる前までずっと続けられていました。普通先生は生徒とは隔たりの関係を持つものです。実際に私たち武術を練習する者の中にはそういう人が多いです。しかし黄老師は違っていました。私はいい先生についたと感じています。若い頃の黄老師の発勁はどちらかというと手で推すものに近かったですが、こうして不断に研究を重ねることによって、晩年の黄老師の太極拳の技術は精妙になったというわけです。
Q. 黄性賢老師の太極拳についてお聞かせください。
ウ 黄性賢老師は大極拳を練習する前に故郷の福建省で謝宗祥について鳴鶴拳を練習していました。福建省では黄老師はとても鳴鶴拳の達人として有名な武術家だったのです。日本の空手家・宮城長順は謝宗祥について鳴鶴拳を学んだことがあります。宮城長順は初期の頃の謝宗祥の鳴鶴拳を学びましたが、黄老師は晩年の謝宗祥の弟子であります。
その後1950年代に台湾に移住されてから鄭曼青について大極拳の練習を始めたのです。黄老師は鄭曼青について太極拳を習い始めた頃、師・鄭曼青から「きみは自由推手を練習する時は決して攻めるのではなく相手がどんなに攻撃してきても化勁ばかり練習しなさい」と言われたそうで、最初の3年は自由推手の練習の時はもっぱら化勁の練習ばかりしていたそうです。
Q. つまり太極拳は化勁と攻撃が一体の拳法だから、まずは化勁から体得していくという意味でしょうか?
ウ その通りです。よく勉強されていますね。
黄性賢老師は元々は白鶴拳を練習していた人で勁力はあったのです。南派拳法の白鶴拳と内家拳の太極拳は剛と柔とて練習の仕方が違うように見えますが、黄老師の白鶴拳は柔いもので大極拳と一緒に練習できるわけです。しかし太極拳は白鶴拳と比べて円の運動が多いです。
太極拳で最初に体得していくのは化勁からです。いくら発勁ができていても化勁ができないと太極拳にはなりません。私は生徒に教える時は必ず化(化勁)から教えています。でないと力比べになってしまいますね。
黄性賢老師の鄭子太極拳の特徴は腰胯を主とした転換運動と沈勁から勁を発っする動きです。この独特の転換運動と沈勁は鄭曼青系の太極拳には見当たりません。私も何人か鄭曼青の弟子の方たちと交流をさせてもらいましたが、彼らは前後の移動の動きで発していましたね。私たちで言えば手で発する動きです。黄性賢老師も若い頃の動きは鄭曼青系の太極拳の動きそのものでした。その後黄老師は独自に工夫され、今の動きになったのです。
太極拳は沈勁から後ろ足で発しますが、白鶴拳では呑吐の動きで勁を発していきます。恐らく黄老師は太極拳に白鶴拳の呑吐の動きを採り入れたから、黄老師の太極拳は独自の転換運動と沈勁の動きになったのだと考えられます。
黄性賢老師の大極拳では、一番最初に「渾元功」から一番の基礎となし、そして基本動作「鬆身五法」を行ってから、三十七勢(短架)、長架、精簡の套路へと練習していきます。
Q. 私は以前に台湾の鄭顯気先生の系統の大極拳をやってきましたが、長架、精簡といった套路は鄭先生の所にはなかったかと思います。「渾元功」という基礎練習も練習されてなかったです。
ウ それは台湾の人たちが黄性賢老師に習った期間が短かったからだと思われます。「渾元功」は1980年代に太極拳の一番の核心部分であった要訣をまとめて編み出したものです。どんな型であっても、どんな推手練習であっても、核心の基礎である「渾元功」から成り立っています。長架は楊式大極拳の套路です。精簡という套路は黄老師が晩年に生涯かけて研究してきたものをまとめて編成されたもので、一触即発の技ばかり集めて構成されています。 従って精簡は黄老師に拝師した晩年の入室弟子の中で少人数にしか伝えなかった套路であって、黄老師が初期の時代に習っていた人たちや一般レベルの入室弟子には伝わっていません。精簡ができるできないでは推手の質が違っていきますね。しかも精簡は拝師した弟子で基本短架である鄭子太極拳三十七勢を身に付いてないと習えないものでした。精簡では三十七勢よりもっと沈勁を要求されています。一触即発の太極拳の動きだからです。芸事はなんでもそうですが、基礎がまともにできないとどんな優れた技であっても体得できませんからね。
私の場合、3年間ずっと黄老師のご自宅に住み込んで内弟子生活をし黄老師と寝食を共にしながら習ってきました。その間はずっと私は黄老師が食べる料理を毎日作ったり、家の掃除をしたり、身に周りの世話もやりましたよ。
その後も黄老師のアシスタントとしてしばらく数年間はずっと黄老師の側にいました。私はその他の黄老師の弟子の人たちより師と一緒にいる時間が長かったですし、環境的に恵まれていました。
Q. 今の日本の若い人ではなかなか耐えられない内弟子生活ですよね(笑)中国武術の世界では拝師の儀式を行うと師と弟子の関係は親子と同じぐらいになります。
ウ 父子と同じ関係になりますね。
黄老師の教え方は晩年では保守的な教え方ではなくなりましたが、伝統武術家そのものの教え方でした。
黄老師は自分の弟子と推手練習をする時に弟子が力んでいたら、「放鬆が足りない」と言われながら力んでいた弟子の手を叩いたり、敢えて強い発勁をされて力んでいた弟子を吹っ飛ばしその弟子の身体を強く壁までぶつけたりしていました。こんなことまでするのは今の時代では問題あるでしょうが、放鬆が足りない弟子に敢えて身体で痛い思いをさせることによって、やられた弟子はまたあんな痛い思いをしたくありませんから、二度と力まないように心がけようとさせたわけです。そんなことをされたら誰でもまた強く壁や地面に叩きつけられたくはないではないですか。黄老師は普通の生徒にはそこまではされませんでしたが、特に拝師弟子にはそんなことをされました。私も若い頃に何度も黄老師に強くふっ飛ばされ強く壁や地面に叩きつけられたものです(笑)
また全部の生徒に対してではありませんでしたが、私たちのような拝師弟子にはたまに用事を頼んだりして、こいつは本当の門弟なのか、上っ面だけの門弟なのか、人間性を試されることもされていました。こうすることによって、中には先生の前だけではやる人、先生がいないとやらない人と‥いった人間観察をされていました。人間性を見て芸を教えるのは伝統武術家の考えですね。ようするに先生がいないとやろうとしない生徒は大極拳の練習においても先生がいない時は練習をしないというわけです。
また、黄老師は「芸(太極拳)を身に付けたければ、日常のどんなことでも一つのことをきちんとできるようにする心がけをもってしなければいけない」とよく私に言っていました。
Q. 芸は人柄が出るといいますよね。
ウ そうですね。だから大極拳の練習は必ず正しく原理から知りどんな動きでも理に合った動きで練習できるよう心がけないといけません。私は今でも基本鬆身五法の各動作にしても、37勢の套路のすべての動きにしても正しく練習することを心がけています。原理から外れた動作は套路練習であっても、推手練習にしても、間違ったものになります。
私が練習している鄭子太極拳を練習している人だって、現にある人は套路練習が得意で推手の方は不得意であって。またある人は推手練習の方が得意で套路の方は不得意。これでは駄目です。推手は大極拳の套路の動きからできているので、套路ができて推手が得意ではないのは本来ならあり得ないことです。逆に推手ができて套路が不得意なのこともおかしなことです。こういう人たちは本当に大極拳というものを理解してないと言えるでしょう。
Q. 黄性賢老師一門の人たちでもそういう人がいるのですか?
ウ もちろんいます。黄性賢老師が生涯で教えた門弟は何万人もいますが、本当にものになった門弟は私が知るところではたった3人ぐらいしかいません。さっきも言いましたが、その他の多くの人は套路が好きな人は套路ばかり、推手が好きな人は推手ばかりといった具合に偏った練習をしている人たちや習った期間が短いことからか解釈を間違えて練習をしてきた人たちもいますから。もう一度言いますが、推手は套路の中の各動作から成り立っているもので、車の両輪のように密接な関係になっているのを忘れてはいけません。実際は大極拳の原理を忘れてしまい自分の解釈で練習している人が多いのが実情ですね。
Q. 大極拳の練習において気をつけるポイントはありますか?
ウ 太極拳で重要なのは鬆(リラックス)です。鬆により気が静まっていなければいけません。それはどの動作であってもそのことを要求されます。 右手で発する勁は左足から発し、左手で発する勁は右足から発します。その動作には必ず鬆沈によって下半身の動きから成り立ちます。そうすることによって、相手の重心をコントロールし無力化して抜根を行うことができます。初級者と上級者はもちろん抜根のやり方が違っており、初級者は大きな動きで正しい動作と相手の重心をいかにして虚にするかのコツを体得できるようにし、上級者になるとほとんど動かない動きで抜根をすることができます。
Q. 日本人がどうやったら太極拳を身に付けることができるのか、注意点がありましたら教えてください。
ウ 繰り返し言いますが、正しく原理を理解しながらそれに合った練習ができているかどうか。そしていつでも教えを請う謙虚な姿勢を持ち続けることが大切ですね。例えばある程度上達したら中には自分のプライドを持つようになり謙虚でなくなり、自分のやり方を勝手にやろうとする人がいます。それではその時点で成長が止まってしまいます。先生は生徒より経験が長いので、先生の言っていることを聞こうとせずに自分のやり方をしてしまう人は駄目ですね。
私の生徒で一人オランダ人がいます。彼は詠春拳のインストラクターをしていて彼には200人ほどの門下生がいます。とても優秀な人間です。
彼は私に習う前に私の中国で兄弟弟子に習っていました。私に習う前に彼の動作を見て一般でよく練習されているただ力を抜いてブラブラしてような間違った鬆身の基本動作を習ってきたのが分かったので、私は彼に「これまで習ったのを捨てる気持ちで習うなら私は教えてもいい」と言いました。過去に習ったことがあるということで彼には変なプライドを持っていてはせっかく私に習ったとしても上達はしないからです。彼は私の条件を受け入れてくれたので、私は教えるようになりました。彼以外だけでなくもちろん他に他所で太極拳を習ってきた人であっても同じで私は必ず基本から教えるようにしています。
仮にあなたが生徒だとしましょう。師が今生徒であるあなたに教えているものはこれからあなたが新たに次に習うもののステップのためのものです。今習っているものを練習して体得しなければいつまで経っても次へのステップへは進めません。そのことは理解しないといけません。
ウ 私は日本人に教えた経験がほとんどなく、すべてがそうだとは言えませんが、日本人はとても勤勉で、正確性を求めていてとても優秀な民族だと認識しています。ただ今回日本に来て感じたことは、新宿駅で電車に乗ろうとした時、新宿駅にいた人たちはいつも忙しそうで、人生をエンジョイしてない、ストレスを抱えていてリラックスできてない人が多いように感じました。いつも時間に追われているようにあんなに緊張していては太極拳の練習ではよくありません。健康目的で練習をされるなら、リラックスとリフレッシュが第一なので、ストレスを抱えながら練習するのは良くありません。太極拳は修養の拳法でもあるので、練習の時は普段抱えたストレスを一旦忘れるようにしてから練習をすることです。
日本ではマサノリ(太極気功養生教室の小林先生)が中心となって私たちのスタイルの太極拳を普及してくれるでしょう。マサノリは私について習う前に台湾で習った太極拳を練習していました。しかし台湾で習ったものが完全でないとを満足をしておらず、私について習うようになったのです。
Q. たしかに鄭顯気先生が教えられていた228公園(新公園)では、鄭先生はあれだけの実績がある人で基本をしっかりやれと門下生に仰っていたようですが、その門下生たちは最近では基本練習をおろそかにしていて、套路の動きはただ流しているだけ、競技推手のような自由推手(スパーリング形式の推手)ばかりしている傾向がありましたね。台湾のその門下生の中では套路もろくにできないのに自由推手ばかりしている人たちもいました。古い鄭先生の門下生はそれなりに基礎を固めているのでしょうけど、それ以外の人たちを見ると別のものというか、ちょっとどうかなと思わざるを得ないですね。あちらの人たちはそれぞれ自分の考えがあって、ああいうふうにやっているのでしょうけど。鄭老師はご高齢で引退されていますし、それで私も台湾の228公園には行かなくなりました。
ウ これらの台湾でよく見られる競技系の自由推手を"闘牛"と言います(笑)これらの多くはただ押したい、引き込みたいだけで「沾黏随走」 の動きがみられません。
鄭曼青時代の推手の試合では、力みが見られたらその選手はすぐに反則を取られてしまったほど厳しかったものです。
鄭曼青が亡くなってから、試合のルールがどんどんゆるやかになり今日のようになったと聞きます。
自由推手も基本や太極拳の套路の動きや原理から成り立っているのです。また太極拳の套路の動きを理解せずに自由推手ばかりやるのは太極拳の推手ではなくなりますね。套路にある動作の内面の動きを感じ調和しながら練習を繰り返すことにより推手の変化を理解していくものです。黄性賢老師は推手の基本動作でも何十種類ありました。これらは発勁、化勁など定歩や活歩を含めたものもあります。これらの基本推手は鄭曼青から習った黄老師が晩年にかけて編成し整理して作ったものです。これらも一緒にやっていかないと、手で押すだけの推手になってしまい別のものになってしまう可能性が大です。
Q. 私は太極気功養生教室へ通っていた最初の頃やしばらくして小林先生の紹介で、台湾の228公園でも練習していましたが、鄭顕気先生の太極拳の推手は柔らかくて、点から面へという所謂太極拳の推手だという感じがしますが、ウィーキージン先生の推手は面であってもさらにネチャっと蜘蛛の巣に引っかかったような推手だと感じました。ある日急に小林先生が「せっかくウィーキージン先生から習ったかのだから今日からこちらの太極拳をやろう」と言われて、やってみたら、同じ系統でも技術がこうも違うのかと驚きました。
ウ・ それは”鬆”をさらに強調させ鬆沈(リラックスして気を沈める)まで強調したものだからです。
黄性賢老師は”鬆”を追求していった結果、技術を変えていったので、若い頃の黄老師と晩年の動きは異なっていきますね。
また台湾でなくても、マレーシアやシンガポールの同じ弟子であっても、習う弟子によって性格が違うので、正しく習ってない人だけでなく、本人の性格によって”鬆”が正しくできてない結果になっている者もいます。
私は生徒には必ず「常に心を静かにさせセンターを意識して練習をするよう」注意させています。
Q. 人それぞれなのですね。以前に私たちの教室(太極気功養生教室)の生徒さんで台湾228公園まで習いに行った人がいて、帰国したら 行く前より『鬆(リラックス)』ができなくなり、上半身ばかりの力任せみたいな動きになり硬くなってしまい、台湾に行ったのに逆におかしくなった人もいました。鄭顕気先生がお亡くなりになられて小林先生はあちらとは方向性が違うということで完全に縁を切られているので、最近はあちらはどうなのか知りませんが、あそこはよほど基本がしっかりできなくしてあんな推手をやらされるのは、却ってリラックスが体得できない硬い太極拳になる可能性がありますね。それは小林先生も同様のことを仰っていました。
ウ 台湾の彼らの事情は私にはわかりません。ただ彼ら黄性賢老師の台湾の弟子たちは黄老師が元々白鶴拳を教えていた時に習った弟子たちですから、彼らの太極拳はほとんど鄭曼青から習ったものです。従って同じ鄭子太極拳37勢であっても黄老師の動きとは異なります。
話は元に戻しますが、ああいう上半身の力で動いていて力任せに推手をしている人たちは大極拳の推手ではなく力量性運動といいます。
太極拳の推手は必ず下半身からなる動きです。
マレーシアでもシンガポールでも中にはそういう傾向がある人たちは見かけます。こういう人たちは大極拳の原理は知っていませんし、技術も低いです。太極拳は意を重視にする拳法であり、『鬆(リラックス)』から勁へ、勁から意へと進んでいかないといけません。套路の練習においても、推手の練習においても同じようにステップを踏んで進んでいきます。推手を練習をしていて、手や腕に緊張を感じたり、上半身が疲れを感じてしまうのは、手で推したり動いたりしていて、相手のパワーをうまく化かしていませんし、原理から外れているので、それは太極拳の推手のレベルには至ってないということです。
私たちは太極拳を練習している人間なので、推手練習であっても太極拳の推手をやらないといけません。また意拳のような別の拳種と同じ推手を練習していては間違えです。また推手練習の時に相手を投げようとしたり、関節技をかけたりする人たちもいますが、それは推手ではなく散打となります。推手練習と散打は分けて練習をしないといけませんし、実際私もそのように分けて教えています。
黄性賢老師は生前よく「太極拳の套路の動きを見て、推手がどのレベルがわかる」と私たちに言っておられました。太極拳の練習を本当に上のレベルまで練習されたいのでしたら、ただ身体を動かして練習するだけではただ身体を動かすだけのその程度のレベルになってしまい、太極拳の拳経・拳論に書かれてあることを理解して、その書かれてあることを一つ一つ分析しながら練習することが大事です。私が黄性賢老師のご自宅で住んで修行した時だって、私は一番最初に黄老師から太極拳の拳経・拳論に書かれてあることを全て暗記しろと要求されました。私が教えている学校では必ず太極拳の拳経・拳論に書かれてあることを理解しないとインストラクターの資格は認定しませんし、日本で教えているマサノリにも拳経・拳論に書かれてあることを全て理解しながら一つ一つ動作を分析しながら太極拳や推手練習を練習するように要求しています。それができないといつまでも形だけの太極拳のままのレベルですからね。
マサノリは真面目でとても熱心で、せっかくニュージーランドまで来ても、毎回旅行はしようとはせず、練習中心で滞在しています。マサノリは練習の時以外でも、気功みたいな瞑想をしたりして時間を過ごしています。彼は私の家に泊まっています。私たち家族も彼をナーバスにさせないように気を使っています。私はそんなマサノリに太極拳をもっと理解してもらいたいために太極拳の拳譜や資料を貸してあげて自分で勉強するように言いました。私たち華人(華僑を含む中国系の人たち)はせっかくニュージーランドまで来たのだからどこか遊びに行こうとするものです(笑)
私は子供の時はシンガポールに住んでおり、当時から日本はアジアの中で先進国であって、優れた民族だと思っていました。
今回日本で私はマサノリの生徒2人(タミヤ、シバザキ)を教えましたが、2人ともとても真面目で礼儀正しく、『鬆』がとてもできていました。それはマサノリが正しく教えているからでしょう。あなたたち日本の太極拳愛好家の多くの人たちも多くがきっと同じように真面目に太極拳を練習していると思いますが・・・。
Q. すべてがそうではありません。小林先生は武術に対してとても真摯だからです。それに今回ウィーキージン先生から教えを受けた人たちは小林先生の生徒さんたちの中で真面目に練習している門下生の人たちなのです。
日本人で中国武術や太極拳にわりと多い傾向ですが、中国武術や太極拳に来る若者はどちらかと言えば、痛い思いをしたくないが強くなりたいとか、神秘的なものに恋焦がれているとか、日本では太極拳はお年寄りが気軽にできるラジオ体操というフレーズで紹介をされてきたので、力を使わないから楽して強くなりたい、上手くなりたいとかという人がいて、小太りで運動嫌いの若者や眼鏡をかけていて運動が得意でない人たちが目立ちますね。そういう若い人たちは站椿功といった足のきつい練功をやりたがらないし、現に小林先生のご厚意で太極気功養生教室でもインストラクターのコースを受けていたある一人の男がいて、小林先生がこの練習は大切だからやれと教えてくださったのに、その人物はインストラクターのコースを受けたということで急に自分が正しいと思うようになったのか、その男は勝手に自分の解釈で、先生がやれと言って教えてもらった站椿功はやらないと決めていたそうです。彼は人間性に問題があるそうで、いずれこういう人間は小林先生から相手にされなくなるでしょう。現にそうなりました。
ウ それを慢心といいます。先生は生徒のレベルに応じて教えるものです。マサノリは忠実に生徒を教えているはずです。先生の教えを聞かない自分の解釈で練習しようとする生徒はいくら教えても無駄なので、教えなくていいです。マサノリは正しく判断したのでしょう。
----太極気功養生教室では、鄭子太極拳の究極のリラックスの奥義を体得したいということで、一般の人以外に、整体師や鍼灸師、プロダンサー、ヨガの先生、役者等といった各業界のプロの専門家のような方たちが習いに来ています。
小林先生がわりとオープンな感じであられるのをいいことに、中には急に傲慢になったり、自分が偉いと勘違いしてしまい堕ちてしまう人たちもおられるそうです。先ほど会話の中で出たインストラクターのコースを受けるようになってから慢心な考えを持つようになったT村という人物やそのT村と一緒に背信行為を重ねてきた東京の滝野川で鍼灸整体院を開業しているHという者も急に慢心が出てしまったのか、練習においても我流に走り、傲慢になり、裏で徒党を組んだりして、さらに問題を起こし品行不良ということで、小林先生から破門にされた問題児の一人です。
この者たちはせっかく小林先生の下で頑張ってきたのに、途中から急に傲慢になり、さらに破門にされたのを根に持つ後砂をかける行為をしまったHから悪い影響を受けてしまい我流に走るT村は先生の教えを聞こうとせず、パワーも急激に落ちてしまい、太極気功養生教室の後輩に当たる人ともスパーリング形式の自由推手をしてもボロ負けしたりしたと聞きます。その後このT村と問題児Hと共謀し、フラフラした主体性のない他の2人を誘い、先生の名前を無断で台湾で使ったりするようになったのです。
ところが、小林先生の素晴らしい点は、その時点でT村を怒るのではなく、生徒さんからも後ろ指を指される行為をしてきたHと共謀していたT村を逆にかばおうとし、心の底からこの人物が改心すると信じておられたということです。それをいいことにT村は調子に乗り、しまいにはHたちと一緒に後足で砂をかける行為をしていたのです。私だったら怒り心頭に発して、許そうとしたり、信じようとすることはできないだろうと思いますね。小林先生は練習に対しては厳しいことを言われますが、 とても謙虚なお人柄を知るだけに、こんな行動を平気でできるこれらの者たちには憤りを感じます。妬んだり、陰口を叩いたり、陰で陰謀を企てるようなことをする暇があるなら、もっと自分を磨くことではないでしょうか。こういう者たちは真剣さがなく、自分のことしか考えてないエゴの集まりで、常識がないとしか考えられません。私は小林先生の不肖な弟子ですが、氣功をやられている時の先生は、こちらが思わず震えてしまうような気迫が先生からは感じられます。小林先生は武術歴30年だそうですが、今でも中国や台湾、香港、ニュージーランドなどを廻れていて、今でも武術研究は技術の向上に努められています。
このインタビューは2016年12月末にされたものですが、結局T村という人物はHからの誘惑に負けてしまったのか、後ほどもやはり改心しようとしない不純な人間とみなされ、2017年1月末をもって小林先生から破門にされたそうです。
その後もT村はHと一緒に誘い台湾へ行ったとか噂がありますが、ああいう人間たちは同じ穴の狢だと思われるので、台湾で修行したとしても、中途半端で大成しないだろうというのが太極気功養生教室の人たちの一致した見解です。
ウ 私はいきなり最初に站椿功は教えません。ただ初心者に站椿功をやらせてしまうと、リラックスがなかなか覚えず力みを覚えてしまうからです。間違った練習は何回やっても無駄な練習となりますからね。私はある程度各生徒の『鬆』の基礎が理解してきた時点で站椿功を教えています。人によって『鬆』の理解度の早い遅いはあるから、教え方の進度は違ってきます。站椿功をすることによって、推手の練習で相手との攻撃の接手の時に対応できるからです。站椿功を練習して功を練らないと大成はしませんし、推手であっても簡単に負けてしまいます。
Q.ウィーキージン先生が教えられているヨーロッパの生徒さんは空手の師範や太極拳のインストラクター、警察官、ボディーガードといったお仕事をされている人などスキルが高い人たちばかりで、ハッキリ言って日本で健康体操だと言って太極拳をやっている人たちの層と比べると学習意欲の差がありますよ。
ウ 基本の練習は正しくやると確かに辛いこともあります。それを乗り越えてこそ大成するのです。私はどんなスキルを持っている生徒であっても、基本からしっかり教えています。それに不満がある人には私は太極拳は教えません。それは黄性賢老師からの教えでもあるからです。
基本功でも正しく練習するとかなり辛いもので、先ほど話したオランダ人の生徒は最初に私に習った頃は基本動作「鬆身五法」を練習しただけで、すぐに足がガクガクしてしまい、よく悲鳴をあげていました。彼は詠春拳を20年以上やっていて、中国や台湾で私の同門の人たちに習ったことがあるのにね(笑)正しく基本を練ってこそ功成るのです。巷でよくお年寄りが練習している太極拳は踊りであって、本来の太極拳からかけ離れています。太極拳の動作にはそれぞれ意味があり、どの動作であっても、中身(気)の動きを感じながら練習することが大事です。楽していい加減に練習していては、何年練習しても太極拳を理解できませんね。
私たちが基本動作で練習している「鬆身五法」は、1950年代に黄老師が台湾で鄭曼青について習った太極拳をシンガポールで5つの基本動作にまとめたものです。1960年シンガポールへやって来た鄭曼青は黄老師の「鬆身五法」を見て、「きみの太極拳は私のを超えている」と言ったそうです。「鬆身五法」は鄭子太極拳の重要なエッセンスが入っているのです。
いずれチャンスがありましたら、日本で黄性賢老師の太極拳を教えてみたいですね。マサノリがうまくやってくれることを信じています。今回はマサノリの生徒2人とも練習できる機会ができて、とてもハッピーでした。
今回ウィーキージン老師のご厚意により太極気功養生教室の中から2人を厳選して、特別に指導して頂きました!
基本動作から原理まで細かい部分まで解説されて手とり足とり2人を指導してくださったそうです。
世界的マスターウィーキージン先生にマンツーマン近い指導を受けられるチャンスを与えてくださった小林先生に感謝いたします。
太極気功養生教室では、黄性賢の台湾開門弟子(一番最初の弟子の意味)鄭顯気老師の公認のもと、黄性賢⇒鄭顯気の鄭子太極拳を基礎とし、世界的太極拳マスターであられるウィーキージン(王其燃)老師が技術アドバイザーになってもらい、黄性賢の晩年の成果によるカリキュラムまで誤りなく東京、茨城、広島の地で指導しています。
真の『鬆』に興味のある方はこちらのホームページをご覧になってください。