Post date: Oct 14, 2015 1:20:47 AM
「いのちの尊厳 人間の尊厳」
JCCS 担当司教 ラファエル 梅村昌弘
戦後70周年を迎えた今年、日本の司教団から『平和を実現する人は幸い』と題する平和メッセージが発表されました。今までにも戦後50周年にあたっては『平和の決意』が、戦後60周年には『非暴力による平和への道』が出されています。しかし、今年は戦後日本の歩んできた方向性を大きく変えることにもなりかねない安保関連法案をめぐって世論が騒然としているなかでの平和メッセージでした。日本は再び戦争への道を歩み始めてしまうのではないかという危惧を多くの人々が抱くようになりました。平和の使徒であるカトリック・スカウトの皆さんには是非つぎのことを心に留めていただきたいと希望しています。
旧約聖書の冒頭にある創世記において、人は神の姿にかたどり、神に似せて創られた存在として語られています。ですから人間の「いのち」は神からの賜物であり、尊いもの、かけがえのないものなのです。そして人は神のように人格を備えています。人はその存在の初めから「いのちの尊厳」と「人間としての尊厳」が神から与えられているということです。誰一人としてこれを傷つけることも奪い取ることもできません。平和を実現するためには、この二つの尊厳を常に大切にし、尊重しなければならないのです。
今「いのち」と表記したのは、人間は人格を備えた心を宿す存在でもあるということを表わすために敢えて平仮名書きにし「いのち」としました。単なる肉体的な、物質的な「命」だけではないのです。「心身」という言葉がありますが、まさに人間はそのような存在なのであって、たとえば教育の場にあっても子どもたちの身体的な成長ばかりでなく心を育てて行くこともそれ以上に大切に考えて行かなければなりません。
創造主である神ご自身、わたしたち一人ひとりをかけがえのない存在として認め、愛し、いつくしんでくださっています。ですから、わたしたち自身もまた互いをかけがえのない存在として認め、大切にする。これこそいちばん価値ある、すばらしい生き方だということをカトリック・スカウトは世にあって証して行かなければなりません。さらに自分のいのちは自分自身のためだけに与えられているのではありません。却って他者のいのちを生かすために、またそのために使われる時にこそ真のいのちを生きることになるのです。
そして最後に被造物である人間は自らの手で自らのいのちを奪い去ることはできないということについてもしっかりと心に留め置いていただきたいと思います。日本社会では年間三万人を超える人々が自らの命を絶っているという憂うべき事態も今なお続いています。
平和は暴力や武力によって実現するものではありません。「いのちの尊厳」「人間の尊厳」を大切にするなかで初めて実現するものなのです。