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2022年12月 創刊150周年スポーツ報知アーカイブ
報知新聞東京本社ボーイズリーグ担当
芝野栄一氏(~2022)
2022年12月 創刊150周年スポーツ報知アーカイブ
報知新聞東京本社ボーイズリーグ担当
芝野栄一氏(~2022)
創刊150周年スポーツ報知アーカイブ
「ボーイズリーグ むかし いま そしてこれから…」(1)
2022年1月12日付 「西高東低の歴史」
1970年に大阪で発足したボーイズリーグ(公益財団法人日本少年野球連盟)は、全国に小中700を超える硬式チームが所属する。その歴史を北海道、東北、関東甲信越をカバーする東日本ブロックを中心に振り返り、関係者とともに今後の課題を考える。連載第1回は「西高東低の歴史」。
2021年は東日本ブロックにとって特別な年だった。中学生の部で全国大会決勝のカードが春夏ともに東日本勢対決になったのは、リーグ52年の歴史で初めてのこと。春は県央宇都宮(栃木)が高崎中央(群馬)を下して初優勝。夏はその県央宇都宮を破って湘南(神奈川)が2度目の頂点に立った。その時、就任22年目の湘南・田代栄次監督(44)は「まさか(大阪開催の)夏の全国大会で関東のチームと決勝で戦う日がくるとは思わなかった」と話した。所属チーム数、全国大会での成績、輩出したプロ選手の人数など長く“西高東低”が続いたボーイズリーグ。そのわけはリーグの歴史にあった。
後にボーイズリーグの愛称で呼ばれる日本少年野球連盟の誕生は1970年7月13日。大阪、兵庫、愛知の小学生19、中学生9チームでのスタートだった。設立のきっかけは、当時国内唯一の少年硬式野球として東京を中心に広まっていた米国に本部を置くリトルリーグ(公益財団法人日本リトルリーグ野球協会、64年設立)の存在。「関西でも本格的に硬式を広めよう」と新聞社を通してリトルリーグの情報を集めた初代理事長・吉倉利夫氏(故人)ら17人の発起人が、大阪で賛同者を集めて日本少年野球連盟を結成した(連盟10年誌から)。
その経緯から、設立当初の試合規則はリトルリーグとほぼ同じ。すると「走者の離塁は投球がホームベースを通過してから」などソフトボールに似たルールに反対する声が続出した。そこで設立のわずか5か月後、日本の公認野球規則とほぼ同じルールに改正。このことが功を奏し、本部を置く大阪を中心にボーイズリーグは人気を集めた。設立10年目には所属チーム数が全国で小中300を超えたが、その約半数が大阪、兵庫、京都のチームだった。
関西で加盟チームが激増する一方、すでにリトルリーグが広まっていた関東以北では伸び悩んだ。初加盟は東京・荒川区で活動していた複数のリトルリーグ所属チーム。独自のルールにこだわる姿勢に不満を抱いていたところに「選手が目指す高校野球、プロ野球と同じルールでやれる硬式の団体が大阪にできた」と伝わると、「連盟結成の翌年、いち早く翼下にはせ参じた」(連盟10年誌荒川支部長の寄稿から)。
徐々に関東地方でも加盟チームは増えていったが、内部の主導権争いの末に起こった大量脱退騒動もあり再び低迷。時代が平成を迎えても関東の所属チーム数は首都圏の小中50程度にとどまり、茨城や栃木、東北にはボーイズの名で活動するチームはなかった。その頃は、東日本で硬式少年野球の代名詞といえば小学生はリトルリーグ、中学生はその関連団体のリトルシニア。しかし、1998年に初開催された大会が潮目を変えた。
◆公益財団法人日本少年野球連盟(ボーイズリーグ) 全国に小中合わせて700を超えるチームが所属し、硬式野球を通して子どもたちの健全育成に努めている。公式戦として春夏の全国大会をはじめ東日本、中日本、関西、中四国、九州各ブロックの地区大会を含めると全国で年間200以上の大会を開催。パドレス・ダルビッシュ有投手(大阪・羽曳野ボーイズOB)、楽天・田中将大投手(兵庫・宝塚ボーイズOB)ら多くのプロ選手を輩出している。
「ボーイズリーグ むかし いま そしてこれから…」(2)
2022年1月19日付 「潮目を変えた関東ボーイズリーグ大会」
1970年、大阪で誕生したボーイズリーグ(公益財団法人日本少年野球連盟)は爆発的に広まった関西に比べ、先にリトルリーグが浸透していた関東以北では加盟チーム数が伸び悩んだ。しかし、1998年に初開催された大会が反転攻勢の起爆剤に。東日本のボーイズリーグの歴史を振り返りながら、その未来を関係者とともに考える。連載第2回は「潮目を変えた関東ボーイズリーグ大会」。
東日本のボーイズリーグで春の風物詩といえば、毎年小中200近い加盟チームが参加して行われる関東ボーイズリーグ大会。コロナ禍に見舞われた最近2年は見送られたが、開会式は1998年開催の第1回以来、メットライフドーム(埼玉・所沢市)で行われてきた。入場行進を終えた全出場チームがズラリと並んだ場内風景は圧巻。写真がリーグを紹介するパンフレットなどに使われ、イメージアップに役立てられた。
東北や信越地方のチームも出場するのに名前は“関東”ボーイズリーグ大会だ。その理由を開催に尽力した高浦健前東日本ブロック長(77)が説明した。「大会を企画していた頃は首都圏と群馬、山梨に小中合わせて50ほどしか加盟チームがなかったんです。東日本では(同じ硬式の)小学生はリトルリーグ、中学生はリトルシニアと比べて圧倒的に少なかった。そこで新年度を迎える春に毎年、関東の全加盟チームが出場する大きな大会を行い、地域やマスコミにアピールしようと考えました」。その狙いは中学生の部で的中した。
当時、中学硬式の各リーグがそれぞれ出場チームを推薦していたジャイアンツカップの出場権を懸けたこともあって大会は盛り上がり、新聞などに露出が増えてリーグの知名度が上がった。さらに2000年代に入って少子化や顧問のなり手不足などの問題から中学校の野球部が衰退。需要が高まったことで関東全域で硬式クラブチームの新設が相次ぎ、加盟申請が一気に増えた。
茨城では99年にひたちなか、栃木は00年にとちぎ21(現宇都宮中央)、東北は02年に仙台がそれぞれ初加盟。さらに各地でチームは増え続け、07年開催の第10回大会の出場チーム数は、中学生の部だけで110を超えていた。大会の成功が本部に評価され、2010年には「第40回春季全国大会」が東京を中心に首都圏で初開催。連盟設立以来、関西以外の地で全国大会が開催されたのはこれが初めてだった。
この頃から東日本勢はチーム数だけでなく“強さ”も増していた。連盟設立から09年までの40年間は、春夏合わせて79回を数える全国大会で東日本勢の優勝は小中計8度。しかし、10年以降は昨年まで春夏24回で小中計10度、優勝している。ここ数年は東日本ブロック所属チーム出身のNPBドラフト指名選手も増え、昨秋は楽天から吉野創士外野手(東京城南ボーイズ—昌平高)、ソフトバンクから風間球打投手(笛吹ボーイズ—明桜高)が1位指名を受けた。
ただ、すべてがうまくいっているわけでない。関東ボーイズリーグ大会で活性化したのは中学生の部に限られる。小学生の部は東日本ブロックに限らずここ20年、チーム数も部員も減少傾向が続いている。次回は小学生の部の現状と取り組みをレポートする。
「ボーイズリーグ むかし いま そしてこれから…」(3)
2022年1月26日付 「原点にかえる小学生の部」
本部を置く関西に比べて加盟チーム数が伸び悩んでいた東日本では、1998年に初開催された関東ボーイズリーグ大会の成功をきっかけに中学生の部でチームが増加した。一方、小学生の部は長期にわたってチーム数は横ばい、部員数は減少傾向が続いている。東日本のボーイズリーグの歴史を振り返りながら、その未来を考える。連載第3回は「原点にかえる小学生の部」。
連盟設立からの10年を振り返った記念誌がある。それによると、1970年に大阪、兵庫、愛知の小学生19、中学生9チームでスタートしたボーイズリーグは、79年初頭には北日本と沖縄を除く全国に広がり、加盟チームは小中合わせて293を数えた。そのうち半数を超える165が小学生の部だった。その79年には第10回夏季全国大会が小学生25、中学生23チームを集めて行われた。ところが昨夏の第52回大会出場チーム数は、中学生48に対して小学生16。全国の加盟チームも現在は、総数725のうち小学生の部は103と減少傾向が明らかだ。
中学生の部で増えている理由は「学校の野球部の衰退」「硬式は中学からという風潮の定着」などと言われている。しかし、チームは増えているものの、部員数はこの15年間ほぼ横ばい。硬式、軟式を問わず日本の少年野球人口は減っている。
競技への入り口ともいえる“学童”と呼ばれる小学生の軟式野球でそれを裏付けるデータがある。一般財団法人全日本野球協会の調べでは「学童野球は2007年に約30万人いた子どもが20年には約18万7000人にまで、約4割減っている」。その傾向は硬式のボーイズリーグ小学生の部でも変わらず、多くの関係者が「問題は減少数が少子化のペースを上回っていること」と指摘する。
「お金がかかる」「お茶当番など親の負担が大きい」など様々な理由が挙げられているが、東日本ブロックの飯田研二理事(66)は「一番の弊害は行き過ぎた勝利至上主義」と強調した。「競技なので勝つために練習するのは当然ですが、指導者が執着しすぎると感情的になって、うまくできない子どもを“叱る”のでなく怒ってしまう。それが最近の子を持つ親には受け入れられない荒っぽい言動につながり、少年野球の悪いイメージにつながっている」と言い切る。
遅まきながら連盟は昨年9月、将来を見据えた「未来へ活性化プロジェクト」を始動した。中心メンバーの飯田理事は「いまさらと言われそうですが、改めて子どもと親に“野球ならではの魅力”をアピールすることに力を入れたい。例えば『攻撃と守りの機会が均等であること』『体の大きさ、体形に関係なく試合出場の機会が得られる』などです」。さらに指導者には「勝利至上主義から脱却し、育成主義への方向転換を勧めます。また、見ている人の共感を呼ぶスポーツマンシップの理解、再確認もお願いしたい」とした。
連盟の動きより早く2年前、部員集めに苦しんでいた東日本のリーグ最古参・荒川ボーイズ小学部(旧荒川ジュニアシャークス)は創部50年式典で「勝つことでなく、子どもたちが野球を好きになることを目的にするチーム改革に取り組む」と育成主義への転換を宣言した。そのきっかけは、あのメジャーリーガーを育てたチームの存在だった。(報知新聞東京本社ボーイズリーグ担当・芝野栄一)
「ボーイズリーグ むかし いま そしてこれから…」(4)
2022年2月2日付 「学ぶ姿勢で促す活性化」
硬式、軟式を問わず日本の少年野球人口は、少子化を上回る減少ペースが続いている。硬式のボーイズリーグでは特に小学生の部が深刻。そこで連盟は、勝ち負けより子どもの自主性やチャレンジ精神を重視する育成主義を推奨し、活性化につなげようとしている。東日本のボーイズリーグの歴史を振り返りながら、その未来を関係者とともに考える。連載第4回は「学ぶ姿勢で促す活性化」。
1月下旬、都内のある会議室のモニターに小学生チームの指導者の顔が並んだ。昨年12月に続く2回目の「東日本ブロック小学部勉強会」がオンラインで開催された。テーマは「選手の集まるチーム運営について」。特別講師はパイレーツ・筒香嘉智外野手が中学時代に所属した堺中央(堺ビッグ)ボーイズ小・中学部代表の瀬野竜之介氏(51)。招いたのは創部53年目の東日本最古参・荒川ボーイズ小学部の若野雅史代表(57)だった。
2人の縁は2019年の夏まで遡る。長期にわたる部員減少でチーム存続の危機を感じていた若野代表は、15年に新設してから人気を集めていた堺中央ボーイズ小学部の話を聞き、練習を見学した。そこで堺中央が取り組む「子どもに伸び伸びと野球に打ち込める環境をつくり、自主性や挑戦する気持ちを育む」というドミニカ流指導法に共感して荒川にも導入。そこから交流がスタートした。
中学部の監督として99、2000年春の全国大会を連覇した経験もある瀬野氏は「勝つことが選手のためと思っていた時期もある」と明かした上で、「全国制覇をしたのに部員が入ってこない」と嘆く別の小学生チームの例を紹介。「選手を集めるためには勝利至上主義でなく育成に主眼を置くチーム改革が不可欠」と訴えた。さらに「監督やコーチの高圧的な姿勢など、チーム内で『これはないよな』と思うことをなくしていくべき。また、近隣の野球チームでなく、サッカークラブなど他のスポーツ教室の“企業努力”を学んだほうがいい」と瀬野氏が話すと、参加者はうなずくばかりだった。
一方、同じ育成主義でも別のやり方で多くの部員を集めているチームもある。昨夏全国大会優勝の東京世田谷ボーイズは「プロ入り」「甲子園出場」などの夢を本気で目指す親子が集まる、いわばアスリート養成クラブ。堀秀人代表(53)は「小学生のうちから体力、技術の向上はもちろん、団体スポーツで必要な“自己犠牲”まで教えます。人としても早く成長して中学、高校の指導者から認めてもらえれば、夢をかなえる一歩になる」と力説した。
強豪との対戦を求めて中部地方まで遠征することもあり、保護者に掛かる負担は少なくない。それでも堀代表は「子どものために親が自分の時間を割くことも必要だと考えている人たちが集まっています」と説明し、「選手には周りの人に感謝しながら一生懸命やることが大切で、試合に勝つことは、その結果だと教えている」と勝利至上主義とも一線を引く。
東日本ブロック小学部委員長も兼務する若野代表は「やり方はいろいろあるが、指導者が学んで進化していかないと、今までと同じで部員は減っていくだけ。それぞれのチームに早く気付いてほしい。その上で独自色を出して互いに切磋琢磨できればいい」とした。それは、今はかろうじて部員数が横ばいの中学生の部も同じだろう。(報知新聞東京本社ボーイズリーグ担当・芝野栄一)
「ボーイズリーグ むかし いま そしてこれから…」(5)
2022年2月9日付 「リーグ戦導入の意義と課題」
中学生の硬式チームは年々数こそ増えているものの、在籍選手数は10年間ほぼ横ばい。その間、中学校の軟式野球部は部員が4割以上減っている。ボーイズリーグの東日本ブロックでも「中学生の部で部員がいる今のうちに改革を」と選手ファーストの視点で今後のあり方を模索している。歴史を振り返りながら、未来を関係者とともに考える。連載第5回は「リーグ戦導入の意義と課題」。
昨年11月、試験的な大会が開催された。関東各地から中学生12チームが参加した「チャレンジリーグ2021」。初日は3チームずつ4組に分かれてのリーグ戦、2日目は勝ち上がり4チームで決勝トーナメントを行った。「この方法なら出場チームは最低2試合できるので、多くの選手が出場機会を得られる」と話すのは、リーグ戦を推奨する東日本ブロックの飯田研二理事(66)。同ブロックでは設立以来、高校野球に準じたトーナメント一辺倒の大会形式を改めようとしている。
中学生の部でリーグ戦導入を望む声は多くある。マネジャーとして25年、横浜ボーイズを支える三好征志氏(47)は「(大多数の)専用グラウンドを持たないチームは新入部員の数に波があり、選手が集まらず勝てないときは公式戦ですべて1回戦負けの年もある。トーナメントは勝たないと次がないので、部員が少なくてもスタメンは成長の早い選手中心でいつもほぼ同じ。リーグ戦なら監督の選手起用にも余裕ができ、選手一人ひとりが一試合、ワンプレーでも多く経験できる環境が整うのでは」と提言する。
連盟が改革を唱える背景には少年野球人口の減少がある。一般財団法人全日本野球協会の調べをまとめると、中学校の軟式野球部員が2011年の28万人から20年には15万8000人と4割以上減っている。その受け皿と思われていたボーイズなど中学硬式5団体所属チームの総部員数も11年から1000人減って、20年は5万1000人。子どもが野球から離れていく原因の一つとして飯田理事は「成長の個人差が大きい時期の子どもを集めてトーナメントで優勝するには、体が大きい早熟選手を優遇しなければならないが、そうでない子どもがほとんど。そういう傾向から敬遠されているのでは」と指摘した。
しかし、ボーイズリーグの公式大会はごく一部を除いてすべてトーナメント。岡陽一東日本ブロック長(60)は「リーグ戦には賛成ですが、チーム数の多い支部もあり試合数が増えて開催期間が長くなると、ほかの大会との日程調整が難しくなる」と課題の多さに悩んでいる。
一方で同ブロックの本田光昭企画運営部長(57)は「リーグ戦とトーナメントを組み合わせたチャレンジリーグを参考にして広げていきたい。昨年より大会日程を少し長くすれば、参加チームも増やせる。まずは支部を問わず賛同するチームを募り、できる範囲で進めていきたい」と前向きな姿勢を示した。歴史ある従来の大会を継続しながらリーグ戦を導入するには、柔軟な考えと各都県支部の協力が不可欠なようだ。(報知新聞東京本社ボーイズリーグ担当・芝野栄一)
「ボーイズリーグ むかし いま そしてこれから…」(6)=終わり=
2022年2月16日付 「変える勇気と意識」
1970年に大阪、兵庫、愛知の小中28チームでスタートしたボーイズリーグは半世紀にわたって発展を遂げ、今では北海道から沖縄まで小中700を超えるチームが所属。多くの甲子園球児、プロ選手を輩出してきた。それなのにこの10年間、小中とも部員の減少傾向が続き、変化を望む声も出てきている。ボーイズリーグの歴史を振り返りながら、未来を関係者とともに考える。最終回は「変える意識と勇気」。
ボーイズリーグには毎月発行される機関紙がある。今年の1月号。一面を飾った寄稿で惣田敏和会長(71)は「昨年、ボーイズリーグ出身選手は34人(NPBの)ドラフト指名を受け、侍ジャパンが金メダルを獲得した東京五輪でも活躍した」と誇示した。その一方で「(近年は)選手個々の健康と将来を考える指導が強く求められ、時代と共に変化している」として「変える意識と勇気を持とう」をスローガンに改革の必要性を訴えた。
すでに多くの連盟関係者は動き出している。群馬の中学生チーム・前橋中央ボーイズは選手の成長度に合わせて練習内容を変えるため、2009年にセカンドチーム・前橋ボーイズを設立。早熟傾向の選手が前橋、そうでない選手は前橋中央に籍を置く。統括するNPO法人・前橋中央硬式野球倶楽部の春原太一代表理事(47)は「ボーイズリーグが大会で投球数制限を導入したり、リーグ戦を検討していることは歓迎しますが、入り口に過ぎないと感じます。成長期では、同じ学年でも4月生まれと3月生まれで心身の成長に大きな差が出るのは周知のこと。今後は子どもの成長度を意識した大会形式やルール作りも必要なのではないか」と提案した。
千葉の京葉ボーイズを2019年の春夏連覇など3度の中学日本一に導いた関口勝己監督(56)は、裾野を広げようと今年1月「年代や性別を問わず『うまくやれた』という成功体験を通してスポーツの楽しさを伝えたい」と全学年の男女を対象にした小学生アスリートクラブを設立した。「遊びながら運動神経を良くする機会と場所を提供します。野球だけでなくテニス、サッカー、時にはビーチバレーをすることも考えている。そこには室内練習場やグラウンド、整形医との提携など京葉ボーイズが持つ育成環境やノウハウをつぎ込みます」と関口氏。すでに10人ほど集まり、今月から募集を本格化させているという。
読売巨人軍野球振興部長の肩書を持つ高崎中央ボーイズ・倉俣徹監督(60)は、データ管理の重要性を強調する。「成長期の子どもは身長、体重、50メートル走のタイムなど体力データと試合の成績を継続的に記録して“見える化”するとやる気を出します。ところが(中学硬式の)ボーイズやリトルシニアでも記録を残していないケースが多い。膨大で時間がかかる作業になりますが、予算を付けて人を使ってでも取り組む価値はある」と提言した。また、倉俣氏は「今後、野球がスポーツ庁などの公的機関や子どもを預ける保護者からの信頼を得続けるためには、指導者ライセンス制度が必要」とも指摘した。
大切な成長期の小中学生を預かるボーイズリーグ。予算や人的な問題などさまざまな制限があるものの、慣例にとらわれない選手ファーストの目線で「無理」でなく「どうしたらできるか」を考える“意識と勇気”が望まれているのではないだろうか。(報知新聞東京本社ボーイズリーグ担当・芝野栄一)