あさこじ

 IchibunHouon

一文芳恩-44「若さとは」

「若さ」はそれ自体が最も美しい

たとえ  お金がなくとも  何もなくとも

若さがあれば

最高無常の財産を持っていいるのと同じである

青春は無限の創造力に満ちている


一文芳恩-43「ナラティブ」

「ストーリー」は物語の筋書きを意味する。筋書きだから、当然、語り手が誰であれ、物語は変わらない。

 対して、「ナラティブ」は、語り手自身が、一つ一つの経験をどう感じ、どう意味づけていったのかという物語で。ゆえに、経験それ自体は同じだったとしても、語り手の数だけ物語がある。

一文芳恩-44「ムージルの指摘」

「尊敬」と「敬遠」は紙一重。師と仰ぐ存在に敬意を抱くあまり、肉薄しようとするより、自分は到底及ばないと、敬して遠ざけてしまう。そうした“神格化”が、思想精神の形骸化を招いた歴史は多い。インド仏教もそうであった。米国のモアハウス大学・キング国際チャペルのカーター所長は、ガンジーとM・L・キングの非暴力の闘争を継ぐことを、わが使命とした。二人が少しずつ神格化され、人々が“自分には非暴力は関係ない”と思うことに懸念を抱いた。

一文芳恩-45「リフレーミング」

絵本『ひっくりカエル!』は、言葉の意味をポジティブに変換させるカエルの話。ページをめくると、「泣き虫」は「心が優しい」に、「おとなしい」は「話をじっくり聞ける」に、「飽きっぽい」は「頭の切り替えが早い」に変化する。捉え方の枠組み(フレーム)を変えることを心理学で「リフレーミング」という。その本質は、単に「プラス思考」を目指すものではない。ある臨床心理士は、“それまでの枠組みでは見過ごされていたものを発見すること”だという。地上からは高く見上げる壁も、空から見れば地面と大差ない。それぞれの地域で抱える課題も、見方によっては前進の制約要因にも、突破口にもなる。未来を開く根幹は、必ず壁を乗り越えるとの一念である。

一文芳恩-42「ぷらす 一(いち)」

「リスキリング」(学び直し)という言葉が最近、定着してきた。これまで社会で頑張ってきた人が、これからも価値を生み続けるために、時代の変化に対応しながら、自身のスキルを更新することが求められている。だが、今までのキャリアが無駄になるわけではない。新たな力を身に付けることで、それまでの経験の価値がかけ算のように増す。そんな現象が、仕事にも人生にも起こりうる。「象徴的にいえば、『辛』という字も、『一』を加えれば『幸』に変わる」と。「一」を加えるのは自分自身。歩んできた道を信じつつ、新たな挑戦を恐れない。その不断の一念が「辛」を「幸」へと転じていく。

一文芳恩-41未(み)と味(み)

未来の「未」、味覚の「味」は共に「み」と読む。古くは、「未は味なり」とも言われた。どちらの言葉にも、“はっきり見えない”という意味がある。さらに「未」は、事態の出現がまだはっきりしていないことを指す。「味」は、はっきり見えないものを見ようとすることにも通じるという。




一文芳恩-40「父の日」

「懸命に生き、働いているその真摯な姿勢は、つくろわずして、家族に対する豊かな精神的栄養になる」

一文芳恩-39育児は育自

「育児は育自」とよく耳にする。ある臨床心理士は“育自”の部分に同音の当て字で「育血」(家族を育てる)、「育時」(時代を育てる)などを挙げて、こう論じた。「その根本は『育耳』(聞く耳を育てる)である」と。




一文芳恩-38「家庭」

家族が仲良く、家庭が安心の場であれば、人はどんな困難にも負けることはない。誰よりも身近で、自分の味方になってくれる存在。時には、窮屈に感じることや意見がぶつかることもあるかもしれない。だが、互いの幸せを祈っていけば、家族の絆を強める好機に変わる。

一文芳恩-37「幸福の追求」

どれだけ差異があったとしても、「幸福の追求」という人生の根本課題において、人間は分かり合えるし、力を出し合える。世界をより良く変えていくことができる。そう信じている。




一文芳恩-36「ライムライト」

 「君は戦おうとしない。たえず病気と死を考えている。死と同じく生も避けられない。生命だ、命だ。宇宙にある力が地球を動かし木を育てる。君の中にある力と同じだ。その力を使う勇気と意志を持つんだ」

喜劇王チャールズ・チャップリン

一文芳恩-35今さ(か)ら

孔子の「論語」によれば、40は「不惑」の年齢に当たる。40代の友人、2人は新たな道を進もうと思った際、多少の不安はあっても、決断に迷いはなかったという。「不惑=惑わず」とは、冷静に事態を見極め、信念を定めた以上は心を乱さず、最後まで行動し抜くことなのだろう。何かに挑戦を始めるのに遅すぎるということは絶対にない。思えば2人は、同じような言葉を口にしていた。「“今さら”とは思わなかった。“今から!”と腹を決めた」と。「今さら」と「今から」――1字の違いは大きい。




一文芳恩-34「心の財」

高校への進学を志す中学生の息子、学力は遠く及ばず、状況は厳しかった。だが、彼は決して諦めなかった。当時、医師として医療の最前線で奮闘する父は、自身のがんとも闘っていた。父は子に、子は父に“自分の頑張りが大きな希望を届けることになる”と確信し、苦闘を貫いた。合格の報に父子は抱き合って喜んだ。入学式に参加した父は、立派になった息子の姿に安心し、その後、霊山へ旅立った。息子は語る。「亡き父は今も胸中にいます。父から教わった『負けない人生』を一緒に歩んでいきます」。心の財は、時間や距離、時には生死さえも超える。いつまでも大切な人たちを励まし続ける。


一文芳恩-33一歩に感動が

「人生で最高の瞬間」はいつか。冒険家の三浦雄一郎氏は、それを「挑戦している時」と語る。氏は80歳で世界最高齢のエベレスト登攀を成す。89歳の現在も、病と闘いながら来季の富士山登頂を目指して挑戦を重ねている。人生はよく山登りに例えられる。新たな決意で挑む“山”は、その人にとっての“最高峰”。まだ見ぬ自分の可能性を信じ、少しずつでも理想の頂上へと歩みを進められるかどうか。険難の山道を登り切ってこそ、新しい“景色”を見ることができる。氏はこうも述べていた。「誰だって何かに挑戦できる。その一歩一歩に感動がある」。限界をつくるのも破るのも、全ては自分自身である。



一文芳恩-32「匂い」

作曲家の團伊玖磨氏は、世界各国のオペラを聴き歩く中で気付いた。劇場にはそれぞれ特有の「匂い」がある、と。香水、ぶどう酒、葉巻たばこ……。外界から身にまとってきた観客たちの匂いは“入り交じって累積し、変質して、歴史の匂いとなっている”。一人一人の“香り”が劇場の伝統の一部になっているということだろう。「その人には、その人ならではの香りがある。香水とか体臭とかではなくて、『心の香り』『生命の香り』がある」と。匂いも心も、目には見えない。だが苦難に負けない生き方は、味わい深い人生の香りとなり、友を社会を包んでいく。


一文芳恩-31「自分の舞台」

“できるかどうか”の結果は、環境や条件にもよる。だが“何があろうと最後までやり抜く”という自身の一念の強さがなければ、望む結果を引き寄せることさえできない。人生の主役は自分自身である。一度立ったら、最後まで演じ切ると腹を決めるしかない。その覚悟から舞台は動き始める。



一文芳恩-30「せりふ

言葉だけの「台詞」と、それにしぐさが加わった「科白」と「せりふ」には2通りあると、劇作家・別役実氏。例えば、煙草を吸う演技。「それでね(と煙草を出し)言ってやったんだよ、私は(と一本くわえ)あっちへ行けってね(と火をつける)」。すると、「台詞」は、質感のある「科白」となり、「一度身体をくぐらせてきたもののように、手触りのあるものに変質している」。行動によって、言葉は真実味を増す。「親が前向きに懸命に生きる姿を、子どもは、見ていないようで、きちんと見ているものです。百の言葉よりも、一の行動です」と。子どもは親の背中を見て育つ。だからこそ、言葉にも行動で責任を持つ生き方を貫きたい。それが、わが子を使命の道へ導く力になると確信して。


一文芳恩-29親ごころ

“わが子を立派な人材に育ててみせる”という親の心。“親孝行のできる正しい人生を歩みます!”という子の心――両者の美しい心が共鳴する中に、親子の麗しくも深遠な絆を思う。



一文芳恩-28何のため」

フランスの哲学者フレデリック・ルノワール氏が、つづっている。どんな苦境にあっても「『何のために?』という問いかけができる人は、『どういうふうに』でも生きていける」「何のため」を見いだせば、試練に立ち向かう力が湧く。自身の中の無限の可能性を開くこともできる。

一文芳恩-27何で・どうしたら

「何でできないんだろう」・「どうしたらできるんだろう」

何かが達成できない時、思わず口にする言葉。

似ていても、心の向きが全く逆になる。

前者には自分には“できない”という先入観と諦めの気持ちがにじみ、後者には“やってみせる”という自身の可能性を信じ抜く信念と執念を感じる。

失敗の原因究明は大事だが、どんな状況でも、できる方途を見いだそうとする前向きな気持ちが、より価値的な結果を生む場合がある。


一文芳恩-26「桃始笑」

春の花々が咲き始める今の時季は、七十二候の「桃始笑」(3月10~14日ごろ)。花の固いつぼみが少し開くことを「ほころぶ」という。これには、硬かった表情が和らいで笑顔になる意味も。だから「笑」を「咲く」と読ませるようだ

一文芳恩-25入学試験

試験ゆえ、合否はある。だがそれは自分という「人間」を判定されたわけではない。どんな結果でも“これには意味がある”と捉え、前進し続ければ、その後の人生の厚みが増す。人生の途上には成功もあれば、失敗もある。だが、失敗は“敗北”ではない。さまざまな経験を味わってこそ、味わい深い人生を築ける。全ての出来事を自身の成長の糧として、最後は勝って決着をつける。これが本物の勝者である。


一文芳恩-24「A面とB面」

「ものごとにはA面とB面がある。A面は何もしなくても見えるが、B面は自分から見ようとしないと見えてこない。」ーーアルピニスト野口健の父

一文芳恩-23敗者はいない

「人生のオリンピックに敗者はいない。いるとすれば、それは『挑戦しなかった』人だけである」と。人は“近道”では大きく成長できない。険難の道に挑み続ける鍛錬の中で飛躍を遂げる――今日の苦闘の一歩は勝利のゴールに続いている。



一文芳恩-22「言葉は薬」

「言葉は薬でなければならない。さまざまの心の傷手を癒すための薬に……」劇作家の寺山修司氏がつづった短文「言葉を友人に持とう」。高層ビルなどを建てる際に用いられる「免震構造」は、地震が起きた時に、一緒に揺れて衝撃を上手に逃がす仕組み。「逆境に置かれた人にも通じる話ではないでしょうか」


一文芳恩-21「若さ」

 「若さとは、『動く』ことである。

知恵を振り絞り、心を働かせ、何かを為すことだ。

どんな境遇にあっても、何とかしようという挑戦の心を忘れないことだ。

その人の生命は若い」と。

数え年では毎年正月、年齢に1歳を加える。

それでも心はますます若く、前進を期す新年を迎えたい。




一文芳恩-20笑顔

 「笑う」という言葉は、

 古くは「咲う」とも書いたという。

 笑顔は、人間が咲かせることのできる花である。

 お金があってもなくても、

 家族にも、友人にも、

 惜しみなく贈ることのできる

 幸せの花が笑顔である。

一文芳恩-19「あいさつ」

 人を傷つける心ない言葉が

 氾濫している現代だからこそ、

 思いやりのある言葉を

 かけ合うことを大切にしたい。

 その第一歩は、「あいさつ」である。

 始めは硬い表情でも、あいさつから笑顔が生まれ、

 心の通った対話が広がる。


一文芳恩-18「植えるべき時」

この時季に思い出す花がある。小学生の時、学校の花壇の土を掘り、チューリップの球根をそっと置いた。「紅葉の見頃が植え頃」という。やがて来る春の彩りを、胸に楽しく描いたものである。秋に植えて春に咲く花は、他にもアネモネやスイセンなどがある。共通するのは開花のために「寒さ」を必要とすること。冬を経なければ花を結ぶことはない。咲くべき時を迎えるために、植えるべき「時」がある。「春は花さき秋は菓なる春種子を下して秋菓を取るべし」と。米作りの場合、春に田植えをしなければ実りの秋は来ない。秋植えの花々は、春を確信して開花の準備を始めている。我らも心に新たな決意の芽を育み、新たな歴史を創めよう。


一文芳恩-17「虫が鳴く」

昆虫は最初の抒情詩人――昆虫学者・ファーブルの言葉だ。コオロギは「歌い手の第一位」とも述べている。昆虫たちの“詠唱”は、心なごむ忙中閑のひとときとなった。虫の声で思い出すことがある。ある識者が、アメリカの大学で日本文学の講義をした。そこで「虫が鳴く」を説明したが、受講した学生はなかなか理解を示さなかったという。虫の声に趣を感じる人もいれば、単なる雑音に聞こえる人もいる。“声”の感じ方は、人や文化でそれぞれだ。観世音菩薩は、悩みの声を慈愛で受け止める菩薩である。人間は喜怒哀楽のさまざまな声を発する。言葉にならない“心の声”もある。耳を傾け、時には心まで澄ませて、相手の声に応えようとする。そこに、観世音菩薩のごとき実践がある。耳にする内容が同じであったとしても、聞く人の境涯によって声の捉え方は異なってくる。だからこそ、心を磨きたい。きょうも友の幸福を祈り、声に耳を傾け、人に寄り添う励ましを。



一文芳恩-16「言葉の色」

詩人の矢崎節夫さん、言葉には色があり、人は「ことばで色をぬる絵描きさん」と。高校時代に体調を崩し、人と会うことができない時期が長く続いた友青年がいる。ある時、主治医が言った。「あなたはあえて苦しみを背負い、世の中に出てきた宝の人です。よくならないわけがありません。自分にしかできない、素晴らしい物語をつづっていってください」。この言葉が彼の心に届いた。家族や周囲の協力を得て数年前から農業の道へ。少しずつ元気を取り戻し、今年、JAの広報誌に「輝く農の人」と紹介された。「私は今、自分にしかできない『人間革命の物語』の第一歩を踏み出したように思います」。言葉の色とは、言葉を発する人の「心の色」だろう。相手を思う心が根底にあるから言葉は生きる。まさに「言と云うは心の思いを響かして声を顕すを云うなり」。同じ言葉でも、言葉を発する人の「心の色」次第で、受け止め方は全く異なってくる。自分の使うことばの色で、自分のこころと相手のこころのキャンバスに色をぬるのです」。心を磨き、すてきな色の言葉を届けたいと思う。


一文芳恩-15「自転車

「ものの始まりなんでも堺」という。鉄砲、傘、三味線、水練学校など、大阪・堺市は“日本初”のものを数多く生んだ地である。国産自転車も堺発祥とされるものの一つ。とある人物が明治期にアメリカから輸入した自転車で、時間貸しを始めたことがきっかけだ。その後、鉄砲鍛冶の技術を生かして自転車製造が本格化。“庶民の乗り物”として愛される自転車は、今も堺の地場産業である。アインシュタインは人生を自転車に例えた。「バランスを失わないために走りつづけなければならない」と。




一文芳恩-14「添え木」

吉川英治文学新人賞、山本周五郎賞など数多くの賞を受けた作家の帚木蓬生氏。福岡県でメンタルクリニックを開業する精神科医でもある。氏の診療所の看板には「心身の健康よろず相談引き受けます」とあるそうだ。そのせいか、診療の場が身の上相談になることも多い。生活のままならない状況を聞き続け、“困りましたね”と一緒に悩むことしかできない場合もある。だが、「精神医療はこれが王道ではないか」と氏は語る。人の知らない所で苦労するのは誰もがつらいが、それを知っている人がいれば、耐えることができる。患者も「あなたの苦労はこの私がちゃんと知っていますという主治医がいると、耐え続けられます」と。友の悩みを聞く際、的確な助言や答えが見つからない場合がある。すぐに解決できない問題であっても、じっくり耳を傾け、思いを知る努力を続けたい。大切なのは“あなたの奮闘を私は見ていますよ”との聞く側の姿勢であろう。「植えた木であっても、強い支柱で支えれば、大風が吹いても倒れない」と。同苦の心で寄り添い続ける“強い支え”でありたい。



一文芳恩-13「伝持の人

琉球王国の哲人指導者・蔡温は、山林政策を重視した。樹木は木材使用までに数十年から百年を要する。琉球の永き繁栄を見据え、建築や造船などの資源確保のため、森林の育成と保護を徹底して行った。森林育成の脅威となる台風から、樹木や集落を守る防風林も各地で造られた。本部町備瀬のフクギ並木もその一つ。推定樹齢300年の木もあり、約2万本が集落を風害から守ってきた。高さ15メートルになるフクギは成長が遅く、防風林として育つまで、苗木を植えた人の多くは恩恵を受けることはなかった。先人たちは未来の世代を守るとの願いを、その木に託したのである。後継の成長なくして未来はない。「伝持の人」の育成は、そのまま未来を築くことになる。コロナ禍や災害が続く今こそ、“未来の大樹”を守り育て、共に試練を乗り越える日々にしたい。



一文芳恩-12「天候不順」

天候不順は農家の悩みの種。「白桃」は開花時期の春に霜が降りたことで、花が枯死したため実がならずに収穫量が軒並み激減する。天候不順が農産物へ及ぼす最悪の状況を想定し、生育に伴う作業工程を徹底的に見直す。いわゆる危機管理である。さらに、新商品の販売や販路の工夫などを積極的に行い、利益率が上がる経営体制を確立。その結果、例年通りの収穫量を確保し、過去最高に迫る売り上げにつなげる。何事もが、自分の行動で一切が決まる。『勝利からの逆算』で、ピンチを成長のチャンスと捉え、勝利のために一つ一つ、手を打ってきたことが功を奏す。厳しい試練に見舞われるたびに「自分が成長する好機だ!」と、喜び勇んで立ち向かう。これが大事である。モモは古来、魔を寄せ付けないと信じられてきたことから「天下無敵」という花言葉を持つ


一文芳恩-11「知った声

雑踏の中にいても聞き分けられる「声」がある。それは声の主が身近な家族や親しい友人の場合が多い。耳にさまざまな音が飛び込んできても、その声に反応し、意識が向くのはなぜか。“聞き慣れた声”ということも重要な要素だろう。だがそれ以上に、声を発した人の人間性を含めた自分との関係が大きく影響しているように思う。人には忘れられない瞬間がある。自分が励まされたり、勇気づけられたりした時のことを思い出すと、心によみがえるのは、活字化された言葉ではなく、相手の“声”である。大雨による各地の被害に、アナウンサーが視聴者に呼び掛ける。「離れて住む家族などの声掛けで助かった例もあります」。報道でも「どこで災害が起きてもおかしくない。最大級の警戒を」と繰り返し訴えている。その上で、私たちの声で救い、守れる人がきっといる。「人の『生きる力』を引き出した分だけ、自分の『生きる力』も増していく。人の生命を拡大してあげた分だけ、自分の生命も拡大する。『利他』と『自利』の一致」と。自分の命と、大切な人の命を守ることは同じだ。


一文芳恩-10「touch

日本語の「さわる」と「ふれる」――英語ではどちらも「touch」と訳されるが、微妙に意味が異なる。広辞苑を引くと、「さわる」には「感触を確かめる」とあり、「ふれる」には「ちょっとさわる」とある。「さわる」が一方的なのに対し、「ふれる」は気持ちや意思を確認する意味合いが含まれているととれよう。「ふれる」の方が控え目だが豊かな関わりだ。文学博士の伊藤亜紗氏は、現在のコロナ禍にあって、「さわる」を避けようとして、「ふれる」まで捨ててしまうことを危惧する。対面であれ電話であれ、人との心の触れ合いがあってこそ、日常の生活に希望や歓喜が生まれる。「信心のこころ全ければ平等大慧の智水乾く事なし」と。信あるところ智慧は無限に湧いてくる。工夫を凝らし、心と心の「触れ合い」を。



一文芳恩-9「努力の正解

「努力はウソをつく」――フィギュアスケートで冬季五輪2連覇を果たした羽生結弦選手の言葉。厳しい練習や準備を重ねても、望んだ結果を得られるとは限らない。勝負の世界に生きるトップアスリートならではの実感だろう。その言葉には続きがある。「でも、無駄にはならない。『努力の正解』を見つけることが大切」。一見、報われないと思う取り組みや失敗も、それらの経験はすべて勝利の未来へと続く布石になる、と。つまずいても立ち上がり、新たなステージへと歩みを進めていく。その挑戦の歩みの中でこそ、“なぜ”と思う出来事の「正解」も見つかる。


一文芳恩-8「笑顔

2014年7月、高校野球の石川県大会決勝戦は球史に残る逆転劇勝負は最後の最後まで分からないものである。9回表で小松大谷高は8対0と、星稜高に大差をつけていた。ところが9回裏、星稜は9点を取ってサヨナラ勝ち。2年連続17回目の甲子園出場を決めたその試合を星稜高の在校生としてスタンドで応援したという青年、彼は開口一番、「勝敗を分けたのは『笑顔』でしたね」と。「必笑」が合言葉の星稜ナインは、ピンチの場面でも笑みを絶やさなかった。それが活気を生み、チームは勢いづいていった。一方、対戦相手は大量リードにもかかわらず、追い詰められたように見えたという。表情や動作は、身体に影響を及ぼす。特に笑顔をつくると、脳は“この状況は楽しいのだ”と感じ、能力を発揮しやすくなる

一文芳恩-7「七縦七擒

三国志に「七縦七擒」という言葉がある。諸葛孔明が反乱軍と戦い、敵将の孟獲を7回捕らえるが、そのたびに釈放。ついに孟獲は釈放されても孔明のもとを去らなかった――。この故事から、相手を本当に従えるには心服させなければならないという意味に使われる。権威をもって従わせる「威服」ではなく「心服」させる。相手の心を動かしていくのは難しい。確かに至難だが、しかし心は必ず変化する。相手の心を動かすのは、こちらの大誠実であり、相手を思う真心の対話である。そして、「一人」の心を動かすことが「万人」の心を動かすことになる。御聖訓に「一は万が母」と。

一文芳恩-6才能

プロ棋士の羽生善治氏は「以前、私は、才能は一瞬のきらめきだと思っていた。しかし今は、十年とか二十年、三十年を同じ姿勢で、同じ情熱を傾けられることが才能だと思っている」と。将棋界の第一人者の言葉だけに、大きな説得力がある。「何をしてきたか」が現在の自分をつくっている。そして「何をしていくか」という今の決意が、未来の自分をつくる。自身の勝利の姿を思い描きながら、今日も挑戦の一歩を!

一文芳恩-5環境の意味

一文芳恩5環境の意味

環境が整っているからといって、成長できるとは限らない。それを生かせるかどうかは自分次第だ。良かろうが、悪かろうが、置かれた環境の「意味」を見いだし、目の前の課題を一つ一つ乗り越えていく。その積み重ねが、やがて確かな実りをもたらす。アテネ五輪・女子マラソン金メダリストの野口みずきさんには、選手として転機になった出来事がある。実業団を退社し、4カ月もの間、無所属状態になった時のこと。受けていたサポートがなくなり、仲間と共に全てを自分たちでやるようになった。それまでは「どこか他人任せな感じで練習に取り組んでいた」という野口さん。サポートのありがたさを再認識したことで、社会人としての自覚が生まれ、結果を出そうという気持ちが強くなった。この意識の変化から“考えて走る力”が養われ、自己ベストを次々と更新。大きな飛躍につながった。“苦しい状況だからこそ見つけられる、成長への気付きがある”と。人はどんな試練も人生の財産にできる。全ては自分の心で決まる。

一文芳恩-4「松山選手」

マスターズへの初挑戦は10年前。東日本大震災が発生した直後だった。当時、松山選手は大学生。キャンパスのある仙台市が被災し、出場辞退も考えた。だが多くの励ましに背中を押され、参戦を決意。アマチュア選手として最高の成績を収め、ゴルフ人生の転機をつかんだ。帰国後の会見で松山選手は語った。「10年前、大変な時に送り出してくれたという感謝の気持ちは忘れていません」。10年の経過が早いのか遅いのかは分からないが、東北の皆さんにいい報告ができて良かったと、震災から10年1カ月の日(11日)の優勝を笑顔で振り返った。「感謝の心」は人を大きく成長させる。試練に直面した時、自らを支える力ともなる。反対に、その心を失ってしまえば、いつか行き詰まる。恩を忘れない生き方が人間を強くする。「この人生における疑う余地のないただひとつの幸福は、他人のために生きることである」とは、文豪トルストイの言葉。“誰かのため”との一念から未来は開かれる。

一文芳恩-3「俳句

俳句は「喜びの見つけ方」を教えてくれる――俳人の夏井いつきさんはこう語る。かつて、再婚した夫が肺がんと診断された。それでも夏井さんは夫の入院中に俳句を詠み続けた。「蛍草コップに飾る それが愛」――病室での情景を一句詠むごとに前向きになれた。「悩みと喜びは、表裏一体です。この真理に目覚めるところに、真の人間の強さ、人生の深さがある」と。どんな困難にも揺るがず、不屈の心で立ち向かう。そうすれば、全てを意味あるものに変えていける。


一文芳恩-2「足がはやい」

「この魚は足がはやいから」と言って、母親がいそいそと台所で調理を始めた。それを聞いた幼い娘は目を丸くしている。「そのお魚さん、足が生えてるの?」。駆けっこやマラソンを思い浮かべたのだろう。「足がはやい」という言葉には「食物の鮮度が落ちるのが早く、傷みやすい」との意味もある。「商品の売れ行きがよい状況」を表す際にも用いる。「足」を辞書で引くと、“ものごとの流れや変化”“人の行動”を表現する語句でもあるようだ。歳月は人を待たず、季節は足早に過ぎていく。仮に思うに任せぬ状況であろうと、時間を腐らせてしまってはもったいない。「わが人生は常に今日が旬」と決め、挑戦の一日を生き生きと(紙面より)

一文芳恩-1「希望

青年の夢は“五つ星”の高評価を得るホテルで働くことだった。だが病で視力の95%を失ってしまう。それでもわずかな可能性に懸けて就職に挑む。この実話は「5パーセントの奇跡」というタイトルで、4年前に映画化された。物語では、挑戦に反対する周囲の「非現実的だ。夢を見るのは諦めろ」という声に対し、青年が言い切る。「夢は絶対に諦めません」。その信念を貫いた青年は見事、採用試験を突破する。耐え難い逆境にも消えない心の灯――それが「希望」だ。(紙面より)