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「過去は変えられない」。一般にはそう言われます。確かに、起きた事実そのものを変えられる人はいません。
けれど、私はこう思うのです。過去は変えられる、と。
ここに、三十年前の出来事があるとします。その出来事には、物理的な事実と、私たちの感情や意味づけがあります。事実は、三十年後も変わりません。ところが、意味づけは、二十年前、十年前、そして現在とで、それぞれ違っています。人生の成熟とともに、意味づけは変わりますし、自分の手で変えることもできる。これが、「過去も変えることができる」ということの意味です。
もちろん、これは過去を美化することでも、目を背けることでもありません。
たとえば、辛かった出来事。その渦中では、ただ苦しくて、どうしようもなかったかもしれません。けれど、時が流れ、その経験から得た学びや成長に気づいたとき、過去はまったく違う顔を見せてくれます。「あの経験があったから、今の私がある」。そう思えたとき、過去は、ただの辛い記憶ではなく、今の自分を支える糧になります。
では、嫌な記憶に繰り返し悩まされるときは、どうすればよいのでしょう。
多くの人は、「どうすれば忘れられるか」と考えます。けれど、忘れようとすればするほど、記憶への注意は強まってしまいます。「シロクマのことを考えるな」と言われて、シロクマばかり浮かぶのと同じです。そもそも、記憶を脳から消すことは、基本的にはできません。
では、なぜ嫌な記憶ほど、何度もよみがえるのか。それは、人間の脳が、痛みや恐怖、恥や怒りを伴う記憶を、強く、鮮明に呼び戻すようにできているからです。危険を忘れれば命に関わります。ですから、これは弱さではなく、人類が生き延びるために備えた本能なのです。
そう分かれば、記憶がよみがえること自体は、戦うべき敵ではなく、受け入れるべき自然現象になります。怒っても、恥じても、仕方がない。ただ素直に認めるのです。
そのうえで、もう一歩。感情のままに受け取るのではなく、一歩引いて、冷静に分析してみます。自分の未熟さも、相手の未熟さも、感情を交えずに見つめる。この出来事は、今の自分の人生という物語のなかで、どんな位置にあるのか。この出来事があったからこそ、今の自分が大切にしている価値は何なのか。
分析を終え、学ぶべきことを学び終えたとき、脳には、その記憶を「未処理の警告」として持ち続ける理由がなくなります。だから記憶は、自然と手放されていくのです。
事実は変わりません。けれど、その事実が自分にとって何を意味するのかは、生きている限り、何度でも問い直すことができます。そしてその問い直しを支えているのが、人生の成熟という、静かに、しかし確実に積み重なっていく力です。
未来から俯瞰して眺めてみる
もうひとつ、おすすめの方法があります。
現在を、未来の自分の視点から眺めてみるのです。過去を振り返るのではなく、未来という仮想の地点に立って、いまの自分を見下ろしてみる。予測というより、時間軸の上での俯瞰です。現在の自分という枠から、いったん外へ出て、未来の自分の場所に立つ。すると、現在の自分だけを見つめていたときには気づけなかったものが、ふと見えてきます。そして、現在に、新しい意味が与えられるのです。
いまの悩みや苦しみも、過去と未来の視点をくぐることで、これまでとは違う場所に降り立つことができます。
過去も、未来も、現在という牢獄から抜け出すための、同じ種類の踏み台なのかもしれません。
なお、記憶があまりに強い衝撃を伴い、フラッシュバックのように、身体の反応として襲ってくる場合は、意味づけだけでは十分でないこともあります。そのときは、どうか一人で抱えず、心理士やカウンセラーなど、専門家の力を借りてください。
過去に苦しんでいる誰かにとって、この話が、ほんの少しでも支えになれば幸いです。
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