研究内容

社会で暮らす 


ヒトの条件はたった1つ、直立二足歩行をすることです。ヒトは森林で誕生しました。しかし、私たちが直立二足歩行で長距離を歩き、大きな脳をもち、道具を使うなどの様々な特徴を身につけたのは、サバンナで生活するようになってからだと考えられています。言いかえれば、サバンナの環境で生きのびるうえで、これらの特徴が有利だったということです。では、サバンナは森林とは何が違うのでしょうか。1つめは、サバンナは乾期と雨期が明瞭に分かれていて、乾期の数カ月間はまったく雨が降らないため、生きていくためには水を探すことが非常に重要になることです。2つめは、サバンナには獲物を狙っている捕食者が多数いることです。生きていくためには、対捕食者戦略を身につけることが重要になります。私の研究テーマは、初期人類に体の大きさが近いアヌビスヒヒの集団を対象に、彼らがサバンナでどのように乾期を生きのび、どのような対捕食者戦略を身につけているのかを明らかにすることです。

社会の中で暮らすと、常にジレンマを抱えることになります。ランチを決めるときに、自分は魚が食べたいけれど、他者は肉が食べたい、といったことは日常茶飯事に起きます。群れで暮らす動物たちも一緒です。例えば、乾期に見つけた水場は他の群れにとっても重要です。この水場という「資源」を独占するためには他の群れと争わなくてはなりませんが、闘争は死につながるかもしれません。平和的な解決方法を持つのはヒトだけなのでしょうか?群れ間の闘争を最低限に抑えるためにはどうすればよいのでしょう?私たちヒトの社会は、テロや資源をめぐる争いの脅威にさらされています。また、社会の中には経済的格差やリーダシップの不在といった問題も内包してします。ヒト以外の霊長類の研究は、私たちヒトを直接研究したものではありません。しかし、ヒト以外の霊長類の行動を研究することで私たちの社会が外部からの危機や危険にさらされた際のジレンマの解決や、リスクマネジメントの手がかりが得られると考えています。


群れはなぜ形成されるのか?

最近の霊長類の研究では、その社会性に注目が集まっています。霊長類には200以上の種がありますが、その社会集団の形成パターンは多様で、どのようにして社会の多様性が進化してきたかは長らく議論になってきました。近年の新しい統計的手法を利用した研究は、夜行性の単独生活から、昼行性になった際に大きな集団を作るよう進化し、その後、ペア型や単雄型の社会が派生したというモデルを提唱しています。

捕食される側の動物は生きのびるために、捕食者に対抗する戦略を進化させます。例えば、体を大きくして食われないようにしたり、牙や毒などの武器を持ったり、早く逃げることができる体をもつ、などがあります。大きな集団を作れば警戒を強化するとともに、自分が食われる確率を下げることができます。群れの外側にいる個体や、小さい集団では、より長く眼を開けていたことが明らかになりました。 

Matsumoto-Oda A, Okamoto K, Takahashi K, Ohira H. 2018. Group size effects on inter-blink interval as an indicator of antipredator vigilance in wild baboons. Scientific Reports 8, Article number: 10062 

どのように群れで暮らすのか?個体の意思決定、群れの意思決定(進行中)

移動行動(movement behaviour)は、個体が生存するうえで必要な資源をどのように見つけるかということに影響します。群れで暮らす動物は、ローカルとグローバルの側面から移動のための調整しなくてはなりません。ローカルには、どこに・いつ行くのかをメンバー間で効率よく決定することと、移動中の結束を維持することが必要です。グローバルには、どこに・いつ行くのかを決定するにあたって隣接する群れと出会ってもよいのか・避けるのかを考慮する必要があります。

バイオロギングの手法をもちいて、集団移動(collective movement)から社会での暮らしを明らかにしていきます。


共同研究プロジェクトの紹介(リンク有)

Max Planck Institute of Animal Behavior, How do troops of baboons make decisions?

利己的な群れ行動の検証

社会的な動物にみられる、群れ行動のメカニズムを解明することは重要な科学的課題です。群れ行動の一つに、‘利己的な群れ理論 Selfish herd  hypothesis’(Hamilton 1971)と名づけられているものがあります。これは、捕食の脅威がある場合に、個々の動物が群れの中心に向かって移動することで自分の捕食リスクを軽減しようとする行動です。

ヒツジの群れが牧羊犬に反応する様子は、利己的な群れ理論の典例だといえます。琉球大学から競争的研究資金を受け、2022年よりヒツジと牧羊犬の調査を開始しました。


耐暑行動

地球規模の気温上昇により、熱中症の報告が増加していますが、私たちだけでなく野生動物にも影響が及ぶと考えられます。恒温動物には、一定の体温を維持するための調節機構があります。赤道付近の低緯度地域では、動物は強い紫外線を避けるためにコート(体毛)を適応させました。ですが、温度が高い昼間、厚いコートは放熱を妨げてしまうため、一般に、動物は涼しい日陰で熱い時間を過ごしたり、砂・泥・水で入浴して自分自身を冷却します。

ブチハイエナ(Crocuta Crocuta)は、体重約45~70kgの中型動物で、毛はダブルコートで構成されています。入浴は、ブチハイエナでよく知られた行動です。 ハイエナの入浴は気温と関係するようです。

Matsumoto-Oda A.2021  (online). Possibility of bathing behavior as a heat resistance strategy in spotted hyenas Crocuta crocuta in Laikipia, Kenya. J. East Afr. nat. hist. 110:87-92.

創傷治癒速度

私たちを含め、すべての動物は生涯にケガをする機会があります。もしケガから素早く回復できない場合、適応度に関わる不利益を被ることになります。

野生の動物の創傷治癒速度は速いと言われますが、いったいどれぐらいの速さで治癒するのでしょうか?

Taniguchi H, Matsumoto-Oda A. 2018. Wound healing in wild male baboons: Estimating healing time from wound size. PLoS ONE 13(10):e0205017 

チンパンジーの離合集散社会とは?

チンパンジーはヒトに最も近縁な霊長類で、今から約700万年前頃に共通祖先から分かれたと考えられています。チンパンジーは高カロリーの熟した果実を好みますが、果実には季節性があり、かつ分布は偏りがちです。森林にすむチンパンジーにとって、最も厳しい環境は利用できる果実が少ない時期だといえます。

チンパンジーの群れの「離合集散」は、食物量と発情メスの数に応じていました。

Matsumoto-Oda A, et al. 1998. Factor affecting party size in chimpanzees of the Mahale Mountains. Int J Primatol 19:999-1011 

霊長類の保全と観光

他の動物同様に、野生霊長類も人間活動による生息地の破壊や捕獲が原因で、絶滅の危機にあります。動物の絶滅を防ぐには、生息地を伐採などから守ったり、密猟を防止するレンジャーを雇用したりすると同時に、地元住民が伐採や密猟をしなくても生活ができる経済的基盤を確立しなくてはなりません。そのためには莫大な資金が必要です。そこで生態系の保全と地域住民の生活の向上のための資金源として、観光産業が期待されています。 

松本晶子. 2017. 観光による自然資源への正負の影響. 観光科学 8:15-27 

ヒトはなぜ旅をするのか?

私たちの観光行動を考える場合に、「なぜヒトは旅をする動物なのか」という問題にさかのぼって考えることも必要です。人類の祖先は、今から700万年前にチンパンジーとの共通祖先から分かれた動物でした。彼らは少しずつ移動し、その生息域を広げ、150万年前にはアフリカを出て、中東やヨーロッパに向かいました。彼らは移動する動物だったのです。そして20万年前にアフリカに生まれた私たち現生人類(ホモ・サピエンス)の祖先は、その後再びアフリカを出て、これまでにないほど地球上に拡散しました。つまり、私たちの直接の祖先は、最も移動する種だったといえます。

生物の性質というのは、生まれた後の環境に影響を受けます。しかし、遺伝的に組み込まれた特徴も生物には多く残っています。私たちヒトは、1万年前に開始した定住や250年前に生じた産業革命以降の、生活形態の急速な変化によって身につけた性質をもっています。新しい性質と引きかえに、それ以前の、699万年間の狩猟採集生活の中で形成された人間性をすべて捨て去ったということはありません。つまり、長い進化の歴史の間に獲得した人間性を、私たちは今でも保持していると考えるほうが妥当だといえるでしょう。私たちの旅への欲求は、移動し続けた祖先たちから受け継いだ性質なのかもしれません。

松本晶子,小野口航,福川康之.2015. 人の移動動機の解明に向けて-島人の離島親近性と地理認知.生物科学 66:112-120