西南戦争古戦場をめぐる

西南戦争古戦場をめぐる(1/10) 繁根木(はねぎ)八幡宮(石垣)

西南戦争時に官軍の陣として使うために石垣が築かれました。その石垣には西南戦争の激しさを物語るあるものが残っています。

そのあるものとは・・・?

また官軍がここに陣を構えた理由は、ここにはある神様が奉られているからだったようです。その神様とは・・・・?

位置(GPS):32.926844,130.558383

西南戦争古戦場をめぐる(2/10) 繁根木(はねぎ)八幡宮石垣に残る傷跡

今では道路の舗装などであまり高く見えませんが、石垣はもともと7m近くあったそうです。神社の表にある石垣をよく観察してください。所々、小さな穴がありませんか?? この神社は西南戦争の時、官軍の本陣があったところ。高瀬地区は西南戦争では激戦区となりました。この小さな穴は西南戦争時の銃弾の跡だそうです。

位置(GPS):32.926844,130.558383

※七天神・ご利益をめぐる(6/16)

西南戦争古戦場をめぐる(3/10) 繁根木(はねぎ)八幡宮(門の彫刻)

この神社は二層造りの楼門となっていて、高さ約12mの堂々たるその様は迫力があります。この門は江戸初期の様式のもので、龍や麒麟といった神聖な生き物の彫刻が施されており、地元の宮大工さんが製作したようです。繊細かつ迫力あるこの門の彫刻をしっかりとご覧ください。

位置(GPS):32.927468,130.558372

※高瀬七天神・ご利益をめぐる(5/16)

西南戦争古戦場をめぐる(4/10) 繁根木(はねぎ)八幡宮

応和元年(961)に建てられ、戦の神様が奉られている神社です。これまで何度も焼失しましたが、三度目に建て直したのが加藤清正でした。現在の社殿と石垣は当時のものと言われています。細川氏も保護に努め、楼門の 「八幡宮」の扁額は、安永年間(1780年頃)、藩主・細川重賢の筆によるものです。細川家の家紋である九曜の紋が刻まれています。西南戦争では政府軍(官軍)の本陣がおかれたところとしても有名です。毎年 10月28日、29日には秋季大祭が行われています。

位置(GPS):32.927425,130.558361

※七天神・ご利益をめぐる(4/16)

西南戦争古戦場をめぐる(5/10) 西郷小兵衛(さいごうこへえ)戦死の地碑

小兵衛は西郷隆盛の末弟。西南戦争の激戦地となった高瀬において、薩軍一番大隊小隊長として出陣。明治10(1877)年2月27日に高瀬をめぐる攻防戦で陣頭指揮をとっていたところ銃弾で左胸を打ち抜かれた。永徳寺の堤防に退避、焼け残った民家橋本鶴松方の雨戸を借り受け、北岡の西郷隆盛の本営に運ぶが途中で絶命。橋本家には小兵衛の松子夫人からの礼状6通などが残されています。石碑は戦死した場所付近を示したものです。正式なお墓ではありませんのでご注意。

位置(GPS):32.924129,130.558839

※七天神・ご利益をめぐる(4/16)、高瀬裏川をめぐる(16/16)

西南戦争古戦場をめぐる(6/10) 西郷小兵衛(さいごうこへえ)

薩摩藩武士西郷家の四男として生まれる。西郷隆盛の末弟。身長が180cmほどあり、端正な顔立ちであったという。弘化4年10月11日(1847年11月18日)生れ。明治10年(1877年)2月27日没。享年31歳であった。

位置(GPS):32.923794,130.558428

西南戦争古戦場をめぐる(7/10) 高瀬船着場跡

ここは物資の流通拠点として江戸時代に繁栄した高瀬を象徴する場所です。菊池川流域から集められた年貢米はこの一帯に集積され、ここから大阪へと運ばれ、藩財政の源になっていました。高瀬船着場は藩で最大の蔵米積出し港であり、最も多い年は25万俵もの米を扱っていたそうです。現在、記念公園として整備されたこの一帯では、7~8月には海老釣りができるそうです。餌はミミズ。地元の方がよれば、簡単に釣れるということです。

位置(GPS):32.926662,130.56294

※高瀬裏川をめぐる(14/16)

西南戦争古戦場をめぐる(8/10) 秋丸眼鏡橋

この橋は市指定重要文化財。元々は裏川の上流にあったのを移設した橋です。なぜ移設したのかというと、往来が激しくなり上流にあると不便であるため現在の場所に移設しました。この橋は片側から見れば眼鏡橋、反対から見れば関がある特殊な形になってます。この橋に関があるのは、上流にある田んぼに海流が逆流するのを防ぐためです。

位置(GPS):32.926509,130.562205

※高瀬裏川をめぐる(12/16)

西南戦争古戦場をめぐる(9/10) 生まれ変わった迎賓館~肥後高瀬菖蒲庵~

ここはお酢屋さんの離れだったが、改修によって新しいコミュニティー空間として生まれ変わった。明治8(1875)年、酢の醸造を営む商家の離れとして建てられた約78平方メートル(約24坪)の木造平屋。西南戦争時には官軍総督の有栖川親王が宿泊したと伝えられる。ここは花菖蒲祭りには絶好のスポットである。花菖蒲祭りの際には是非お立ち寄りを!

位置(GPS):32.928571,130.564023

※高瀬裏川をめぐる(5/16)

西南戦争古戦場をめぐる(10/10) 官軍基地慰霊碑

西南戦争で亡くなった官軍(政府軍)の慰霊碑です。玉名市には、いくつも官軍、薩軍やその他、西南戦争で亡くなった人々の慰霊碑や墓地が多く存在します。その中でも、ここは官軍の幹部クラスも多く、全部で395名もの人が眠っている碑です。

位置(GPS):32.930588,130.562964