七天神・ご利益をめぐる(1/16) 高瀬七天神の由来
平安時代の後半、この一帯は戦場で、川には戦死した人々の遺体が流れていました。残った人々は戦死者たちの恨みを弔い、川を浄化するために川沿いに七天神を立てることにしたそうです。七天神の周辺をよく見てみると、川の跡を見つけることができます。川跡をたどり、パワースポットの七天神をお参りしながら、ご利益祈願の散策はいかがでしょうか。
位置(GPS):32.928351,130.563025
七天神・ご利益をめぐる(2/16) パワースポット・下町東(しもまちひがし)天神
日本の神様は仲良しだった?
七天神には天神と一緒に恵比寿さんも祀られています。神道は「八百万の神」と言われるように、多神教で神様どうしの争いがありません。そんな様子が垣間見えるところです。
位置(GPS):32.928166,130.562014
七天神・ご利益をめぐる(3/16) 補陀落(ふだらく)渡海(とかい)碑(ひ)
1568年、弘円上人(こうえんじょうにん)、駿河住善心、遠江道円らが、仏教の霊地として繁栄していた補陀落山(ふだらくさん)に船出する際に、西光坊が施主となり海上の安全と大願成就を祈り立てたものです。この補陀落渡海碑(ふだらくとかいひ)は阿弥陀、観音、勢至の仏像三体の線刻と刻文が彫られています。
全国でも数か所しかない貴重なものです。
位置(GPS):32.928112,130.558152
七天神・ご利益をめぐる(4/16) 繁根木(はねぎ)八幡宮
応和元年(961)に建てられ、戦の神様が奉られている神社です。これまで何度も焼失しましたが、三度目に建て直したのが加藤清正でした。現在の社殿と石垣は当時のものと言われています。細川氏も保護に努め、楼門の 「八幡宮」の扁額は、安永年間(1780年頃)、藩主・細川重賢の筆によるものです。細川家の家紋である九曜の紋が刻まれています。西南戦争では政府軍(官軍)の本陣がおかれたところとしても有名です。毎年 10月28日、29日には秋季大祭が行われています。
位置(GPS):32.927425,130.558361
※西南戦争古戦場をめぐる(4/10)
高瀬七天神・ご利益をめぐる(5/16) 繁根木(はねぎ)八幡宮(門の彫刻)
この神社は二層造りの楼門となっていて、高さ約12mの堂々たるその様は迫力があります。この門は江戸初期の様式のもので、龍や麒麟といった神聖な生き物の彫刻が施されており、地元の宮大工さんが製作したようです。繊細かつ迫力あるこの門の彫刻をしっかりとご覧ください。
位置(GPS):32.927468,130.558372
※西南戦争古戦場をめぐる(3/10)
七天神・ご利益をめぐる(6/16) 繁根木(はねぎ)八幡宮石垣に残る傷跡
今では道路の舗装などであまり高く見えませんが、石垣はもともと7m近くあったそうです。神社の表にある石垣をよく観察してください。所々、小さな穴がありませんか??この神社は西南戦争の時、官軍の本陣があったところ。高瀬地区は西南戦争では激戦区となりました。この小さな穴は西南戦争時の銃弾の跡だそうです。
位置(GPS):32.926844,130.558383
※西南戦争古戦場をめぐる(2/10)
七天神・ご利益をめぐる(7/16) 日本初の軍楽隊による演奏
繁根木(はねぎ)八幡宮では日本で最初の軍楽隊の演奏が行われました。
演奏軍楽隊は、天皇のためにしか演奏を行わないそうです。それがなぜ、この繁根木八幡宮で行われたのでしょうか?歴史のミステリアスな部分です。謎解きに挑んでみてはどうでしょうか?
位置(GPS):32.927425,130.558361
七天神・ご利益をめぐる(8/16) パワースポット・造町(つくりまち)天神
造町(つくりまち)天神は他の天神の中で、一番新しいものです。南を向いてます。ところで、高瀬七天神には南を向いているものが5つあります。これは、敵が南からやって来るという考え方からきているそうです。
位置(GPS):32.926937,130.561363
七天神・ご利益をめぐる(9/16) パワースポット・下町西(しもまちにし)天神
高瀬七天神は梅にゆかりがあるもので、どの天神にも梅の木が植えてあります。しかし、この下町西天神には梅の木はありません。なので、いたるところに梅の模様が刻まれています。見つけてみてください。
位置(GPS):32.927297,130.561609
七天神・ご利益をめぐる(10/16) パワースポット・高瀬天神
高瀬七天神は、1020年頃に藤原則隆、後の菊池一族初代となる菊池則隆が作ったとされています。高瀬天神は、高瀬七天神の真ん中に位置するために、一番最初に作られたと考えられています。敷地も七天神の中では、一番広い天神になっています。
位置(GPS):32.928817,130.562722
七天神・ご利益をめぐる(11/16) パワースポット・本町天神
高瀬七天神は、太宰府天満宮から勧請(かんじょう=分霊を他の神社に移して鎮祭すること)されたものだそうです。御神体は、菅原道真公ということで、学業祈願に御利益があるようです。
位置(GPS):32.929274,130.563589
七天神・ご利益をめぐる(12/16) パワースポット・天満町(てんままち)天神
高瀬田尻飴本舗の左にある細い道を進むと、右手に見えてきます。天満町天神までの道のりはちょっとした冒険気分を味わう事ができますよ。
位置(GPS):32.93035,130.564149
七天神・ご利益をめぐる(13/16) パワースポット・魚屋町(うおやまち)天神
魚屋町天神は、柳屋茶舗の裏手にあります。防犯のため、いつもは鍵が掛けてあり中には入れません。柳屋さんにお願いをすれば、時間が許せば開けて見せてもらえるかもしれません。
位置(GPS):32.92985,130.563954
七天神・ご利益をめぐる(14/16) 願行寺(がんぎょうじ):日本最古の木彫りの像。
本堂に木造僧形倚像や木造僧形坐像があります。木造僧形倚像は鎌倉時代の中期から後期につくられた、日本最古の木彫りの像といわれていますが、日本最古とは思えないほどきれいな状態で保たれています。きっと、この木造僧形倚像にそれだけ神様が宿っているということなのでしょう。
位置(GPS):32.930244,130.562838
七天神・ご利益をめぐる(15/16) 願行寺(がんぎょうじ):秀吉が残した陣太鼓。
天正15年、秀吉の島津氏征討の際に本陣が置かれ、その時に使われた陣太鼓がここ願行寺に現存しています。復元したものではなく本物です。
この太鼓、見覚えのある方は熊本通!
そうなんです、熊本の銘菓『誉の陣太鼓』のデザインはここからきているのです。
位置(GPS):32.930244,130.562838
七天神・ご利益をめぐる(16/16) 願行寺(がんぎょうじ):五輪の塔
龍造寺隆信の墓龍造寺隆信は、戦国時代における肥前の大名。 “五州太守”の称号を好んで用い、「肥前の熊」ともいわれました。大友氏を破り、島津氏と並ぶ勢力を築き上げ、九州三強の一人として称されていましたが、島津・有馬氏の連合軍との戦い(沖田畷(おきたなわて)の戦い)で戦死しました。その時に討取った首を持ちかえろうとした際、首が信じられないくらい重くなり運べなくなって、それでどうしようもなくなりここ願行寺に埋葬されたのだとか・・・。隆信の首に関する逸話はこの他にもいくつかあるそうです。
位置(GPS):32.930244,130.562838