関口:残念ながら、あと10分ちょっとになりました。まとめるのは難しいですが、そろそろまとめなければなりません。
まあ主権者教育から離れたように感じられた方もいらっしゃるかもしれませんが、私は、主権者教育は、現実をしっかり認識させ理解させることがその第一歩だと思っています。政治の仕組みを教えることは主権者教育の一部に過ぎないということを、この鼎談を通してすごく感じました。
授業と名が付くものの多くは、学習内容という「外堀」を教えて終わりになってしまう場合が多いけれど、むしろ現実社会という「本丸」を見せてから、その後で外堀に当たる「仕組み」に気付かせていくのが本来の授業なのかなと感じました。日本語もそうやって学んでいきますよね。赤ちゃんが言葉を学んでいくときに、一つ一つの単語を曖昧に覚えていきながら、何度もくりかえして、正しい発音や言葉の意味や文法を身に付けていく。もちろん、そこでは文法は何も教えてもらってなくて、後から学校で、今しゃべっている言葉はこういう文法に則っていますよって、後付けで文法とか仕組みを教わり、改めて理解していくのだと思います。
私は主権者教育も同様だと思います。自分たちの生活をどう見るか、自分たちの生きる社会をどう理解するかということと、学習とをつなげて、最終的に現実社会に落とし込んでいく。すると、憲法の何条につながっていることに気付くというように、現実の社会を正しく理解することが本来の主権者教育の姿なのだと思って、今日お二人のお話を伺って思いました。
最後に、先ほど「教育の専門家じゃない方」なんて失礼な言い方をしましたが、むしろ自由な発想で、「学校でこんな授業ができたらいいな。そうしたらもう少し政治や憲法や世の中のことに興味を持つんじゃないか」という授業のアイデアを語っていただけるとありがたいです。前もってお願いしているわけではないので、思いついたことで結構です。いかがでしょうか
南野:高校生ならできると思うのは、ディベートですね。まあ、最近のドラマにもなっていますが、例えば、「夫婦別姓」とか「同性婚」とかで、クラスの半分を賛成派と反対派に分けて、一週間ぐらいそれぞれの立場で同性婚の良いところや悪いところを探して、ディベートをする授業です。自分が本当はどう思っているかは別にして、あえて賛成・反対の議論をするという授業です。学校でそういう能力を涵養することが必要だと思うんです。テーマが「同性婚」だと身近でないかもしれない。中学生だとまだ結婚のことを考えられないかもしれませんので、例えば、ある町の電車の本数が減らされていく問題をどうすればいいか、店もないような田舎でどうやって暮らしていけばいいのか、高齢化の問題をどう解決するのかとか、身近な題材はいろいろとあると思うんですよね。それを調べて、どう解決するのかを授業で議論させるというのは、大学生になっても必要な能力を育てることになります。高校時代までにそういう能力を養っていただけていると嬉しいです。
先ほど関口さんがおっしゃったように、子供たちは正解が何かを求めがちです。例えば今、世の中にある、自分の身近にある困った問題を解消し改善しようとした時に、「どうやって変えるのかを正しく分かっていないと発言してはいけない」という雰囲気があるような気がします。そうではなくて、正解に辿りついていなくても、話し合いながら、「やっぱりこれ変えたいよね」「これおかしいよね」「これ納得いかないよね」ということをまず考えて、そのうえで、それを具体的に解決するために試行錯誤しながら、「じゃあ法律を変えなきゃいけないだろう」「条例を変えなきゃいけないだろう」、あるいは「校則を変えるだけで済むのだろう」と、その後の手段を考えていくやり方で制度を学んでいく方が、やる気が出るんじゃないかなって思いました。学習って、暗記が多いじゃないですか。主権者教育も、法律では何歳から選挙に出られますよとか、衆議院と参議院の任期の違いを覚えましょうっていう学習に、どうしてもなってしまう。そんなことはネットで調べればすぐ分かることですから、実はどうでもよいことなんです。
関口:ありがとうございます。南野さん、一つ憲法に戻って質問させてください。同性婚の問題についてです。憲法の条文では、婚姻について「両性の合意のもとに」とあったと思います。その「両性」という表記自体が同性婚を否定する表現になるように思うのですが、どうですか。
南野:簡単に言うのは難しいですが、憲法24条の条文に「婚姻は両性の合意のみに基づいて」と書いてあるんです。しかし、憲法を作った当時には当然同性婚をどうしようなんて議論はありませんでしたので、日本国憲法は同性婚を想定しているとは言えません。これは松野官房長官が「現行憲法は同性婚を想定していないと考えている」とおっしゃったのですが、その通りだと思います。問題は「想定していなかった」ということが、同性婚の禁止を意味するのか、あるいは同性婚を想定していないけれども、時代と社会の推移によって、同性婚を作ってもいいと言えるのかということです。そこは憲法学においても、歴史の古い議論ではありません。まだ20年ぐらいしか議論されていませんが、今、私が知っている限りの憲法学者はほとんどが許容説に立っていて、「憲法は想定していないけれども禁止はしていない。だから、法律を作って同性婚を認めることは、今の憲法のままでできる」と言っています。
判決では札幌地方裁判所と東京地方裁判所が一昨年と昨年、立て続けに、「同性婚が現在認められていないことは、憲法に違反する」とまで言っているんです。もう一回言いますが、地方裁判所は違憲判決をちゃんと出してくれているんです。最高裁は出してくれないんですが。そういうふうに憲法や法律で同性婚が定められてないことは違憲だと考える人もいるんですが、少なくとも憲法改正しないと同性婚ができないというふうに考えている人は、法律家の中にはほとんどいないというのが現状だと思います。
関口:南野さんは先ほど、憲法は変えにくい「硬性憲法」だとおしゃいましたが、「同性婚」は柔軟に解釈してもよいのですか。憲法を柔軟に解釈すると公権力の抑止にはならないのではないですか。
南野:憲法解釈の柔軟化は、分けて考える必要があります。公権力を抑止するためには変えにくい硬性であるべきですが、国民の自由や権利を広げるためには、むしろその解釈で若干柔軟であるべきです。同性婚については、権利を増やすための解釈の柔軟化です。公権力を緩める方向での解釈の柔軟化はやってはいけないことだと思いますが、国民の権利を増やす方向での解釈の柔軟化はそこまで硬くなくてもよいと考えます。
関口:ありがとうございました。私がすごく大事だと痛感したことは、権力に対する柔軟さと権利に対する柔軟さを、きちんと分けて考えなきゃいけないということです。
今、オンラインでお聞きになっている先生方は、権力と権利を一緒に考えないで、きちんと分けて憲法解釈すると、より深い授業になっていくと思います。
中江さん、何か面白い授業のアイデアはありますか。
中江:私は読書が仕事の一つでもあるので、先ほど「図書館は民主的だ」って申し上げましたけれども、まずは「自分で一冊を選ぶ」ことから始まっていいんじゃないかなと思うんです。授業の中でそれを生かす一つは、例えばビブリオバトルがあります。自分が好きな本を5分間、皆さんにプレゼンテーションする。作品のこの部分がこんなふうによいといったことを伝え、それに対して疑問を呈してもらう。さらにそれに答えて、最終的に誰が紹介した本を一番読みたくなったのかを決める。これが結構難しくて、私自身もやったことがありますが、5分以内にしゃべるのも難しいし、どんな質問が飛んでくるかも分からないので、答えるのも難しい。聞く側も真剣に聞いてくるんですよ。自分が質問する側にも立つので、その本の世界だけにとどまらないんです。聞いている人たちはみんな、その本を読んでないことを前提で始めるので、自分がその本の一番の味方になって話さなきゃいけないわけです。結構これは刺激的で、ゲーム性もあって、読書に対する一つの積極的な姿勢にもつながるので、私は「面白いなあ」と思っているんです。
まだそこまでできないのであれば、こんなこともできます。実際、私がある小学校の授業でやったことです。すごく短い物語を一つ用意して、グループで話し合って、一番よいと思った一行を選んで、その理由をみんなで話し合ってくださいって伝えます。すると、みんな違うページを開いて、「ここが、こうだ」って話し合います。そのとき、一人の子がこう言ってくれたんです。「それ、いいね」と。とても説得力があったんですよね。やっぱり自分のものとして考えるわけで、この本のここが好きだとか、そこがよいということに関しては、まったく自由なんです。マニュアルも何もないのです。マニュアルや専門性などに縛られるとやっぱり自由な発想ができなくなる、というのはあると思います。
私も今日、登壇するにあたって「専門家じゃないのにいいのかな」と思ったんですけど、逆に専門家じゃないという、縛られてない立場の視点で、何かお伝えできることがあればいいかなと思って来ました。そういう意味では「本を読むことは実に自由なことなんだ」ということをお伝えできたらいいのかなと思いました。
関口:ありがとうございます。南野さんから「ディベート」、中江さんから「ビブリオバトル」のお話がありました。私からはもう一つ「新聞ビブリオ(シンブリオバトル)」の提案です。子供たちが一人一紙の新聞を手に取り、好きな記事を選んで、推しの記事に対する意見交流をすることが大事だと思います。社会についての思いや気付きを、日常的な話し合いを通して伝え合いながら、主権者意識を育てていくことがとても大切だと思います。
そろそろ時間ですが、私からもう一言、言わせてください。先ほど、教科書に書いてあることを学習の外堀のように言いましたけど、それと世の中の出来事をつなげていきながら授業をすることがとても大事だと思います。新しい授業をどうしたらよいのかを難しく考えないで、教科書に書いてあることと世の中のことを、先生が上手につなげていく。また、子どもにつなげさせていく、気付かせていくということが、主権者教育の授業を楽しく、意味のあることにする一つの方法だと思っています。
さらにもう一つ、私は、日常的に本や新聞を読む生活を作ってあげることが大事だと思っています。物事を考えるためには、背景となる知識が備わってないと正しく考えることはできません。ネットでは偏った情報や誤った情報なども入ってくる場合が多いので、日常生活の中で信頼性のある新聞などの情報を、常にシャワーを浴びるようにしているだけで、その情報が正しいか、あやしいか、間違っているかを判断できるフィルターが備わっていくと思っています。ですから、学校の授業を充実した面白い授業にするということと並行して、子どもの日常生活の中に新聞や本を毎日読むという習慣をつけていくことが、主権者教育はもちろん、教育にとっても、今とても大事なことだと思います。
時間になりましたので、これで終わりにさせていただきます。授業について、具体的な方法を聞きたいという先生方もいらっしゃいましたが、皆さんには日常の授業から教科書を上手に使いながら、新聞で世の中とつなげることから始めていただくと、スパイスの効いた授業になってくると思います。先生方も今、新聞を読まなくなっているような現実がありますので、子供たちはもちろんですが、先生方は率先して、できれば複数の新聞を読んでいただきたい。そのことで、世の中のいろんなことが深く理解できますし、よりよい指導もできるようになると思います。
司会が私なので、視聴者の皆さんのご期待通りに、主権者教育について適切にまとめられたかは疑問ですが、登壇者のお二人からは普段お聞きできないような貴重なお話を伺うことができ、多くを学ぶことができました。私は勝手に満足しております。視聴者の皆さん、もしよろしければご感想などをお寄せいただければありがたく思います。
今日は、あっという間の90分でした。南野さん、中江さん、ありがとうございました。これで終了とさせていただきます。
中江:ありがとうございました。
南野:ありがとうございました。
NIE教育フォーラム(再録)
※記事中の情報は全てフォーラム当時のものです。