関口:ありがとうございます。主権者教育というよりもむしろ教育の本質的な話になったと思います。子供たちの想像力を育てていくことが、主体的に考える主権者を育てることにもつながると実感しました。
今、二人のお話を伺って、お二人とも活字が本当に大好きなのだなと感じました。活字中毒のようなお話までありましたが、実は、PISA(2018)調査で分かったことは、日本の子供はフィクション、つまり物語や小説は世界でトップの読書時間だということでした。「活字離れ」というと本を読んでないように思われるんですけど、日本の子供については、むしろそうではなくて、多くの時間、物語や小説に親しんでいるんです。ただ、そこに課題が一つ見えてきました。それは、ノンフィクションはあまり読んでないということ。そこは大きな問題だと思うんですね。先程の冒険物語などから少しずつジャンルを広げていくのが、小学校から中学校、高校だと思うんです。ずっと物語の世界だけというのではなくて、様々なジャンルから情報を得ていくことが大事なんだと思います。
中江さんは本が大好きだということでしたけど、新聞もしっかり読んでいたというお話を伺って、やっぱりそれで広い考え方が持てるし、想像力を発揮できるんだと思いました。
そういう意味で、文学の楽しさも大切ですが、ノンフィクションの楽しさに気付かせて、新聞などの事実をしっかり読み解く楽しさや面白さ、社会を見る興味深さも、子供たちに伝えたいと願っています。
お二人は、どんなお考えで新聞を読んでいますか?
南野:今、関口さんの話を聞いて、ふと思ったんです。中学、高校になると各教科の専科の先生が教室に来て授業をなさる。小学校は基本的に担任の先生が全教科を教えてくださる。そこの違いが、もしかしたらあるのかもしれません。
中学・高校では、英語の先生は英語を、数学の先生は数学を、国語の先生は国語を教えますが、その生徒に対して教科に関連したノンフィクションの、例えば岩波新書を順番に薦めていくような指導を専門に受け持つ先生がおられないのかなって気がしたんです。僕みたいに小学校の時に良い先生に出会えて、そして、活字好きになって本を読む癖がついたとしても、それが中学、高校まで維持できるか、また維持できないとなると、ますますノンフィクションには興味が向かないような気がしますね。
主権者教育で考えると、物語から入って本を読む習慣をつけるというのは、必要条件であって、十分条件というわけではないんですよね。政治や社会など広い意味での世の中に関心を持つように、市民としての教育をしていかなきゃいけないというのが主権者教育です。そうなると、やはり物語だけでは不十分で、現実にあるハンセン病の問題がどうなっているのか。人権の問題や外国人差別、同性婚がどうなっているのか。そういう問題に関心を持ってもらうような読書体験というか、活字体験をしていかなきゃいけないというのは、非常に興味深いです。そこは、やっぱり、「新聞」が重要なのだと思います。
今、九州大学法学部の学生を教えていますが、ほとんどの学生が新聞を読んでいません。幸い福岡は、朝日と毎日、西日本新聞で、学割があるんですよ。学割のある3社は2500円です。これなら一人暮らしの学生でも取れる価格ですので、「ぜひ取りなさい」って言っています。一日1紙配達されてくるので、否が応でも読まないとたまっていくっていう圧迫感があります。私も紙の新聞を取っていますが、読まずにどんどん積んでいってしまうときがあります。そのまま古紙回収に出すのは気が引けるので、捨てる前に一応ページをめくろうかなってなるんです。そういうことが必要だと思うんです。
それから、手っ取り早いという表現は適切ではないかもしれませんが、国際面、経済面があり、文化面、社会面、政治面がある。それをもう全部まとめて、コンパクトに一日一日読めるメディアは非常に貴重なものだと思います。それが、学割で読めるのは非常にお得で、「自分への投資として買いなさい」って言っています。それでも、取る学生は多くはないです。ただ、新聞を毎日読んでいると、それこそいろんな出合いがあります。生活面などで、自分とは全然違う暮らしがあるとか。記者というのは、そういう世の中に転がっている公共性のある話題を拾い上げてきて我々に活字で届けてくれる仕事をしています。同じことを知ろうとしたら、本を何冊も読まなきゃいけないんです。お得に読めるっていうことでも新聞は非常に良いと思います。
最近ご家庭でも新聞を取ってない方が多いと思いますので、中学生ぐらいから図書室などで新聞を読むという指導も工夫してほしいです。
関口:中江さんは、新聞の読み方で、工夫されていることや心掛けていることはありますか?
中江:今、何が起きているのかを知る手立てとして二つあります。
一つは、地方に行った時にその地方の新聞を読みます。地方紙にはガイドブックで分からないその土地の空気みたいなものがあります。例えば行事であるとか、事件・事故のようなことも当然ありますが、そういうことをすぐ読めるのは、結構面白いですよね。私は仕事で行くことが多いですけど、その地域に行き、地元の方と話すときの一つのきっかけにもなるんです。「昨日こんなことあったそうですね」とか言うと、向こうの方もそれを知っていることに対して反応してくれます。私はそのようなコミュニケーションの一つの手段になると思うので、地方紙を読むことは重要だなと思っています。
もう一つが、自分は創作をするので、その一つのヒントとして、新聞を眺めているところがあります。さっき、物語だけじゃなくて、ノンフィクションを読むのも大事っておっしゃっていましたが、物語の向こうにはノンフィクションがあるんです。
『いのちの初夜』もそうです。ハンセン病を患った青年の物語ですけれども、これを読み解いていったときには、その当時のハンセン病患者を取り巻く社会の実情、あるいは家族たちがどういうことを考えていたのかということは、書かれてなくても調べれば分かるんです。少し調べれば、この時代にどんなふうにハンセン病患者が扱われていたか、その家族の皆さんがどうなさっていたか、あるいはそこで働く人たちがどういう人たちだったのか、そして、その患者はその後どうなったのかっていうことが分かります。
調べていくと、本って、実はその中だけで終わらなくて、その向こうに絶対に人間の世界が広がっているんですよ。物語そのものは切り取られた、絵画みたいなものです。絵画の向こうには、その現実の世界がたくさんあるので、そこに何があるかを想像する。そこで、データとしてきちんと調べていくと、裏付ける事実が必ず出てくるし、自分が創作するときもそうですけども、こんなこと現実にありえないっていうことはやっぱ書けないんですよね。それはなぜかって言えば、説得力がないからです。自分たちと全くかけはなれた、常識的に違うっていうディストピア小説だったら別のものですけれども、人間の読むものは、やっぱりつながっている。私たちの地続きの世界のことを描いているんです。そこまで想像することが、物語を読むことの一つの意義でもあると思うんです。だから、文学の研究というのは、その物語がいつどんな時代に作られたのか、どういう人が読んでいたのかということまで遡っていくわけです。そこは専門的な分野になってきますが、そうでなくても普通に読めば、そういうことに、なんとなく気付くきっかけにはなると思います。新聞を読むということは、私にとっては自分がものを書く一つのネタ探しでもあります。
おぞましい事件が起きることもありますが、じゃあその根底に何があったのか探そうとしても、それが見えないことがあるわけです。私がすごく興味引かれるのは、やはりそれが同じ人間の仕業だからだと思います。今、私たちが生きているこの世界の中で起きている事象なんだと思って、それって一体何だろうって考えることが、ある種の自分の仕事なのかもしれません。事実を知るということは、普通に興味として、生まれてくるものなんじゃないですかね。
関口:ありがとうございました。物語の向こうに現実社会があるとのお話で、私自身も物語の見方が広がったと感じました。実際に、中江さんの書かれた『万葉と沙羅』を読ませていただきましたが、今、社会の大きな問題になっているニートや引きこもり、不登校などを題材にされていますね。その子供たちが、どういう生活をして、どう思っているのか、またその原因となった、「いじめや友達とのトラブルなども、物語の中にリアルに出てきます。また、その展開の中で、様々な本が登場してきます。これを読めばいろんな本が読みたくなりますし、現実社会を違った形で教えてもくれる小説だったと思いました。ぜひ皆さんも中江さんの小説をお読みいただきたいと思います。
中江:『万葉と沙羅』は、若者向けの小説を書いてほしいというオーダーをいただいて書きました。私、高校も大学も通信制を卒業しているんです。ですから、通信制の高校とか大学の話を題材にした小説はあまりないなと思って、自分自身の経験に基づいて書きました。そうしたら、当事者の生徒さん、学生さんも読んでくださったと思うんですけど、むしろ親御さんが結構読んでくださったと言われました。親御さんが「今、自分の子供が、全日制が無理で、通信制に行かせようかどうか迷っているんですけど、どんな所か分からないので不安なんです」と言って、その時に「中江さんの『万葉と沙羅』を読んで、あ、これだったら我が子がこんなふうにがんばってくれるのかなと思いました」という言葉を聞いて、良かったなと思ったんです。通信制というのは、いじめられたり人間関係がうまくいかなかったり、あるいは集団で行動することが苦手だったりする人も多いんです。私は、仕事の関係で全日制の学校に行けなくなったので、学校に行く回数が少ない通信制を選んだのですが、そこにもちゃんと青春がありますよ、学ぶ道もちゃんとありますよということを、この物語の中で書きたかった。それをきちんと受け止めてくれたのが、実は親御さんだというのが、意外だったんですよ。
やはりフィクションの世界と現実をつなぐきっかけになった小説だったと思いますね。そこに、親御さんは、自分のお子さんの夢を少し乗せたり、可能性を見つけたりとかがあったんじゃないかな。
NIE教育フォーラム(再録)
※記事中の情報は全てフォーラム当時のものです。