関口:南野さん、基調提言、ありがとうございました。ここから中江さんに加わっていただいての鼎談となります。中江さん、よろしくお願いします。
中江:よろしくお願いします。
関口:立憲主義、憲法について20分では語り切れなかったというお話が南野さんからありましたが、当然だと思います。南野さんが一年間かけて大学生に教えていることを20分でというのは無理な注文だったと思います。ただ、逆に短い時間だったからこそ、エッセンスが伝わったように私は感じました。
公権力を抑制し、国民の自由や権利を保障するという憲法の基本の「き」が、今の話でよく伝わりました。憲法というと、三つの柱、「基本的人権の尊重」「戦争放棄」「国民主権」を、小学校の時から教えられてきた記憶がありますが、その理念や特質については、あまり考えていませんでした。それは、もしかしたら私だけではなくて、国全体、教育全体が今までそうなってきているんじゃないかと、不安さえ覚えたぐらいです。今、学校教育で伝えるべき憲法の大切さを短い時間でお教えいただいたと実感しています。ありがとうございました。
南野さんのお話を伺って、中江さんから感想などをお聞かせいただけたらと思います。テレビではありませんので、30秒とか1分などと制限時間を設けるつもりはありません。時間のことは最後の最後で気にするようにしますので、遠慮なくお話しください。
中江:はい。まず今、関口さんがおっしゃったとおり、南野さんのお話で、20分でお話しするって、ちょっと難しいだろうと思いつつも、その短い中にエッセンスがあったと思います。むしろそこから、主権者教育の必要性を投げかけていただいたと思いました。一番印象に残ったのは、「自分と異なる意見を持つ人とも対話をする」というところです。これって年齢問わず非常に難しいと思います。今のこの世の中で、例えば、SNSが非常に発達してきて、自分と同じ意見を持つ人とつながるのは、結構簡単になってきています。例えばハッシュタグを付けるとか、検索とかすると、「あっ、同じ意見なんだ」って思うと、「繋がってるな」という心地よさがあります。「離れていても同じことを考えているんだな。同じものが好きなんだな」って思う。だけど、一方で全く異なる意見を持つ人とは、触れもしない。喧嘩するなら、まだそれはコミュニケーションともとれるかもしれませんが、論破するとか言い負かすような、違った方向から相手を攻撃して、何とか分かり合おうというところが全くない。やっぱりそういう怖さは当然あります。
自分がメディアの仕事をしていて、例えば何か自分の意見を述べた時に、「それは違う」と言う人と「同感だ」と言う人が、ほぼ等分にいると感じています。その中で意見を表明する方はごく一部です。そのごく一部の人によって、自分が否定されたような気持ちになることがあります。むしろ「同じだ」と述べるよりも、「違う」と言う時の方が、声が大きいんです。その声の大きさにメンタルを傷付けられるというか、そういう時に「自分の考えていたことが間違っていたのかな」って、不安になるわけですね。それまでいろいろ考えて話をしているんですが。
今、南野さんは「20分で話すのは大変だ」とお話になりましたけれども、私はテレビで1分とかで話さなければいけないことがあるんですね。その時間で全てを話すことは絶対できません。けれども、それを求められるので、部分的に話します。しかし、それをさらに切り取られて、どこかで語られることがあって、それが自分の思っていた方向と全く逆に行くこともあります。そういう時にとっても落ち込んでしまうこともあります。それでも発言することを否定するとなると、もう誰も何も言えなくなる。それが一番怖いなと、今、話を聞いていて思いました。
南野:そうですよね。ときどき政治問題やニュースについて、私も意見を言いますが、中江さんがおっしゃったように、おそらく賛成している人が「いいね」を押してくれる。しかし、僕の意見に賛成しない人はいます。どうしてこんな言い方するんだろうというような罵詈雑言が届いたりして、なかなか対話しづらいところはあります。そういうことでメンタルが弱ったりとか、「もの言えば唇寒し」となるので、言わないでおこうとなったりすることもあるんです。そうなると、自分のことを「良貨」というつもりはありませんが、「悪貨が良貨を駆逐する」みたいな感じで、最近の世の中を見ているとなかなか意見を言うのが恐ろしい――となっている気がしますね。
ところで、ちょっと強引かも知れませんが、日本国憲法13条の条文をよく読むと、「すべて国民は個人として尊重され」と書いてあります。「個人として」ということに、僕はこだわるべきだと思っています。小学生は、まだ子供だから保護の対象かもしれませんが、中学、高校生ぐらいになったら、一人一人が個人として尊重されるということは、ぜひ先生方に学校現場で教えていただきたいと思います。ただ、それはやはり相手も個人として尊重しなければいけないということと裏腹だと思います。多様性でいう意見の違いを受け入れ、「みんな友達だよ。みんな同じ社会で生きている人間だよ」ということが、小さいときからきちんと身に染みているといいなと思います。中江さんも発言しておられますから、相当辛かった場面もあるだろうと想像いたします。
中江:でも、こういう一つの疑問や提言などについての様々な問題はどこにでもあるわけで、問題がない世界っていうのが実は無いわけです。葛藤の中で人間は生きています。例えば、先ほど、南野さんがおっしゃったように、憲法と法律の問題についても、全てにおいて分かっているかというと、分かってないし、まあ表面的なところで肯定するところもあるし、ちょっと否定的に捉える人も当然いらっしゃいます。私たちは同じ星、地球の中で生きている。より小さくて日本国、私は東京都民ですが、その中で共存しているという前提もあって、一つのルールに則らないと、やっぱり破綻する。そこはすごく大事なところだと思います。
関係ないようですけど、かつてある宇宙飛行士の方と話したときに、「宇宙飛行士として一番大事なことは何ですか?」と聞くと、「協調性です」との答えでした。どういうことかというと、例えば、スペースシャトルのような逃げ場のないところに人間が入って、しかもいろんなキャリアのある人がいるけれども、そこで意見が違うからって「外に出て行け」ってことは言えないわけです。自分も出ることはできない。じゃあどうするかという話し合いが、ちゃんとできるか。それは相手の言うことをただ聞くだけじゃなくて、協調することがすごく大事なのだと。私は彼の話を聞いて、そういう状態になったことはないけれど、実は、私たちはすごく大きな宇宙船の中で、一緒に暮らしているんだなと思ったんです。
関口:ありがとうございます。本当に協調するって大事だと思います。妥協したり泣き寝入りしたりするような形の協調ではなくて、互いに意見をぶつけ合いながら、最終的に合意形成を求めていくという協調。それが今求められているのだと思います。
先ほど南野さんのお話の中で、違憲審査について、裁判官に主権者が勇気を与えるんだという話がありましたね。非常に納得しました。国を考えた時に、何が正しいか正しくないかっていうことは、詰まるところ「勇気」なのかなと思いました。それが国民全体の政治的教養の重要性につながるのだと思います。より質の高い政治的教養によって国民一人一人が支えられていれば、国民が勇気を持てる、正しいことがはっきり言える、そういう国にすることが大事なんだと感じました。
ちょっとだけ話を戻しますね。もう私が口を挟まなくても自然にお話が進んでいくと思いますが、いくつか前提としての話をさせてください。
南野さんは『十歳から読める・分かる 一番やさしい日本国憲法』という本を書いていらっしゃいます。読んでみて、大変勉強になりました。小学校の教員を30年近くやって、社会科を中心に研究実践をして、校長もしてきました。当然、日本国憲法を何度も教えていますし、自分自身でも生活の中である程度分かっていたつもりでしたが、十歳の子供たちが理解すべきことで、自分が知らないことがあまりにも多いことに反省させられました。いっそのこと『憲法科』という教科でも作って、日本国民が一年間、この本で改めて憲法を学んでもいいんじゃないかと思ったほどです。
ただ、教え方にはポイントがあると思っています。今の社会科の政治単元はあまり面白くはありません。私の指導した授業がそうだったのかもしれませんが、社会科の授業では、「仕組み」を中心に教えて終わりということがよくあるんです。これを変えなくてはいけないと思います。
プレゼンのシートを用意したので、「主権者教育の目的」を確認させください。
「単に政治の仕組みについて必要な知識を習得させることにとどまらず、社会を生き抜く力、地域の課題解決に、社会の構成員の一人として主体的に担うことができる力を身に付けさせること」(文部科学省 平成8年6月)。政治の仕組みだけではなく、社会で生きる能力や社会を担う能力を身に付けさせるというのが、主権者教育の目的だと言われています。まさに、この後半の、どんな力をつけるかという部分が、今までの指導で抜けていたわけです。私の授業では、具体的な社会の状況と憲法を繋ぐことが出来なかったと思います。子供の生活や社会の動きと乖離した政治単元の授業をやっていたんだと反省しています。
もう一つのプレゼンシートをご覧ください。
これで視聴者の皆さんにお伝えしたいことは、今日は子供たちに主権者としての資質・能力を育むために何ができるのかとか、家庭や教育、地域で何ができるのか、特に学校教育でどんなことができるかを話し合いたいのですが、実はお二人は教育の専門家ではありません。ですから、今日の鼎談では、主権者教育の、新たな視点を憲法学者の南野さんと女優・作家である中江さんからお聞きしたいと思っています。最終的に授業にどう結びつけるかは、やはり教員だと思っています。ここでは、オンラインで視聴されている先生方に、新しい授業の方向性やアイデアの気付きを、与えていただけたらありがたいと思っています。この時間は、思いついたことを言っていただいて、先生たちに様々なアイデアをいただけたらと思います。「教科書」を一生懸命に教えようと思っている先生方が大勢いらっしゃると思うんです。そこで、お二人には別の視点からお話を伺えたら嬉しいです。
NIE教育フォーラム(再録)
※記事中の情報は全てフォーラム当時のものです。