田中 花星さん(国際地域学部 国際地域学科 2014年卒業)

「能登ゼミ」が気づかせてくれた、本当の自分

 地域おこしや、現在で言う地方創生に関心があり入学した東洋大学でしたが、自分自身と本気で見つめあうきっかけとなったのは大学3年時に始まった「ゼミ活動」でした。私が参加したのは髙橋一男教授率いる社会学を主としたゼミでした。ゼミの活動の一環として、「能登ゼミ」というプログラム(石川県能登半島に赴き、班で各地に分かれ、現地の方々と共に生活させていただきながら地域の将来について考えていく)があり、事前の研修では「過疎化」「限界集落」「文化、産業の継承者不足」などのキーワードが山のように出てきて、正直に言うと「活気のない田舎に行って課題と向き合う」という、少し暗いイメージを持ちながら能登ゼミに参加することとなりました。しかし、そのイメージは第一日目にして払拭されました。受け入れ先のご夫妻が体験させてくれたことは畑仕事が主でしたが、全てが新鮮で、自分の暮らしている町では体験できないような貴重なものばかりでした。地域が直面している課題は様々在りましたが、それを感じさせない程に、ほぼ自給自足に近いスタイルで生活している方々は、元気と活力にあふれ魅力的に思えたのです。「過疎化の進んだ田舎」=「元気の無い高齢者が集まっている」という自分の差別的な考えが、まったくの間違いだったという事に気づかされました。そして、都市部では経験できない第一次産業に触れる事によって、「欲しいものがすぐに手に入る」という今まで当たり前だった生活についていろいろと考えるようになりました。(私は千葉県で生まれ、祖父母の家も首都圏内。能登ゼミに参加するまでは、まちづくりに関心があったものの、実際にこの目で地方の生活を見る機会もなく、机上の勉強のみで物事を考えていました。)もちろん都心での暮らしは何をするにも便利で、スピーディーです。しかし、能登での暮らしは時間がゆっくりで、人々はエネルギーに溢れ、活き活きとしていて、どこを見ても日本の原風景が残っていて。どちらの方が良いという話ではなく、自分にとって後者の暮らしの方が、水が合い心も豊かになるような気がしたのです。そして、「能登で暮らし、多くの人にこの心地よさを味わって頂けるよう働きかけたい。」そう考えるようになりました 

和倉温泉での仕事

それから私は、能登を拠点として就職活動を始めました。ゼミの教授や能登の企業を斡旋してくださる方にご協力頂き、インターンシップの受け入れをしてくださる企業を探し始めました。前述した「能登の心地よさを味わってほしい」という思いから、「サービス業」かつ「営業職」でまずインターンを受け入れている会社を当たってみたところ、「和倉温泉多田屋」という旅館で10日間ほどのインターンをさせて頂けるという事になり、わたしの「能登で働いてみる」という、自分と向き合うチャレンジが始まりました。活動内容は、旅館フロント業務や、仲居さんのサポートなどでしたが、能登に住む方たちと関わりあいながら、県外・遠方からお越しになったお客様に能登の魅力を伝えるということもできる、という、とてもやりがいのある仕事内容でした。自分のしたかったことはコレだったのだ、と確信したのです。「刺激的だった能登ゼミの体験」が「能登でインターンシップをしたい」という意思を生み、インターンシップでの活動が「能登で暮らして働きたい」という決意を固めました。そのまま採用試験を受け、卒業後の進路が和倉温泉多田屋に決まりました。

就職してからは、旅館のフロント業務をしながら、外回りをして団体客の集客をする営業活動に努めるという毎日がスタートしました。多忙を極める日々でしたが、営業活動で予約を頂いたときは勿論の事、様々なことにやりがいと喜びを感じました。休みの日は暇があれば能登半島内をひたすら車で廻り、人と出会い、観光をはじめとした色々な情報を集めました。それをお客様との雑談のネタにし、濃密な接客に尽力しました。お客様とお話をすることで雑談力の上達を肌で感じ、旅館内の仕事をすることで和のしきたりや礼儀作法などを学び日本人としての生き方を教えて頂き、本当に溌剌とした、充実した日々を送ることが出来ました。働き始めて三年目に、御縁があって富山の旅館に嫁ぐことになり、私の若女将としての人生がスタートしました。

富山県の旅館に嫁いで

 富山県黒部市の旅館「たなかや」に嫁ぎ、若女将としての仕事が始まりました。生涯現役でお客様と関わっていける仕事は、接客好きの自分にとって願ったり叶ったりでした。覚えることが山のようにあり目まぐるしい毎日でしたが、前職の営業・接客のスキルが大いに活き、此処でもやりがいと喜びを感じました。しかし、自分の中で大きく変わったことがありました。それは、今まで会社の一社員だった自分が、現在は経営者側にいるということです。大切な社員を同じ方向に引っ張っていかなければいけない、自分たちが社員たちの人生を抱えているという責任と重圧がかかっているということです。

まず、会社を守っていく為には、お客様に直接サービスをしてくれている仲居さんや板前さんたちの苦労を理解することが大切だと感じました。また、従業員さんとの密なコミュニケーションの為にも、自分が若女将であると驕らずにとにかく従業員さんたちと同じ仕事をするように努めました。お掃除から、調理から、配膳、お客様へのお給仕、片付けまで、現場に出て働くようにしました。従業員さんたちを労う気持ちが無ければ、人を思う心が無ければ、お客様におもてなしは出来ないと思うからです。また、従業員満足度が低ければ、お客様への良いサービスは出来ないと思うからです。そのワークスタイルが自分の礎になり、今でも若女将としてすべきことやチャレンジしていることの合間に、手薄な現場のお手伝いをするようにしています。

また日本旅館の若女将として働く中で、新たな責任を感じました。お客様の心を癒すサービスの向上に努めること、旅館を通して地域の魅力を伝えていくことは勿論ですが、もう一つ、重大な役割があると切に思います。それは、日本文化の継承の担い手となるということです。様々な年代の客層を接客させていただき感じるのは、お若い世代とご年配で日本文化の価値観がまったく違うという事です。それは昨今のライフスタイルの変化に伴い至極当然のことですが、日本の文化への関心が薄れていってしまい、日本文化が年々衰退しているように思います。難しい話では無く、お庭や和花を見て何かを感じて頂いたり、お茶を楽しんで頂いたり、という日本人ならではのわびさびの心、生活様式というものをより根強いものにしていくために働きかけていかなければならないと感じます。旅館サービスを通じて、若い世代に日本の文化を魅力に感じて頂けるような何かを思案していき、わたしたちの文化の衰退を食い止めるよう注力して参りたいと思います。


現在の若女将としての働き方のルーツに、東洋大学での学びがあります。会社の存続以外に、自分の役割やすべきことを発見できたのも、国際地域学科で地域の将来について考えてきたからだと感じますし、旅館内で様々な部署を行き来して現場に出て働くという発想も、学生時代の現場主義が無ければ考え付かなかったことだと思います。

 大学生活で教えて頂いたこと、それは机の上の勉強だけでなくとにかく実際に現場に出て行動してみることです。自分を見つめなおしたいとき、何かに迷っている時こそ自分の足で知らない世界に飛び込んでみてください。たとえ気乗りしなかったとしても、いざ歩いてみると自分の潜在的な関心が引き出され、思いもよらない発見があったりします。そこから世界が広がり、今まで点だった発見や関心が線になり、それが自分の目指す道を作ってくれると思います。私が様々なことにチャレンジするにあたり、東洋大学の先生方には本当にお世話をしていただきました。人に頼りすぎるのはよくないですが、新しい一歩を踏み出す時はやはり不安がありますし、人の意見や助言を伺いたくなる時があります。そんな時はよく有識者であるゼミの先生に相談に乗って頂きました。自分では知り得なかった情報やアドバイスをして頂いたからこそ視野が広がり、自信をもって一歩を踏み出すことが出来たと思います。