迫 真琴さん(国際地域学部 国際地域学科 2020年卒業)

地域と移住者の関係を紡ぐ

移住コーディネーター

2020年に東洋大学を卒業しましたが、すでに4年生の時に石川県加賀市へ移住しています。大学在学中に地域おこし協力隊に着任し、石川県加賀市の移住コーディネーターとして3年間活動してきました。地域おこし協力隊を卒隊した現在は、自治体等の地域振興に係る企画・実施をメインとする(株)ぶなの森に所属しています。

現在も石川県への移住促進のため、移住コーディネーターとして現場で活動しています。数多ある地域課題の中で、とくに人に関する課題解決を図っていますが、その仕事内容は多岐にわたります。移住希望者との「移住相談」、地域案内・生活体験をする「移住体験」、仕事・住まい・コミュニティを紹介する「情報提供」を基本とし、その傍らでWEB・SNSを中心とした「情報発信」も行っています。

地域にとってのまちの人事部として、移住希望者にとっての新たな人生を伴奏するパートナーとして、それぞれが気持ちいい関係性となるようにコーディネートをすることが私の役割です。

(移住コーディネーターとして活動中)

なんとなく入学から一転、挫折感と焦燥感に包まれた1年生

今は地域づくりに携わる毎日ですが、入学当初には想像できなかった展開に私自身が驚いています。千葉県出身で高校3年生まで野球一筋だった私にとって、大学進学といわれてもピンと来ず、とりあえず実家から通える範囲内で、勉強すれば受かりそうな大学をピックアップ。強いていえば、これまでとは全く異なる分野に飛び込みたいと思い、国際系の学部があるところを受験していました。

第1志望は落ち、第2志望だった東洋大学国際地域学部国際地域学科に受かりました。こうしてとくに褒められるような理由もなく、東洋大学の門をくぐっています。

入学直後、すぐに絶望を感じたことを今でも覚えています。英語が堪能な人、留学を目指すために入学した人、課外活動に参加している人など、いわゆる「意識の高い人」がちらほらいる。それに比べて私といえば、英語はろくにできず、とくに目的意識もなくいる。無性に焦りを感じながらも、大学生活を無駄にしてはいけないという思いに駆られました。

結果的にはこのような感情を持てたことは幸運だったとは思いますが、当時はとにかく行動しなきゃ!と、自分さがしに奔走しました。おかげさまで自分の資産とも思えるような体験をいくつかすることができました。


課外活動を通して、リアリティある「地域」に触れられた

大学1年生の冬、地方のベンチャー企業でのインターンシップに参加しました。縁もゆかりもない秋田県に数か月滞在し、社長1人の人材系ベンチャー企業でカバン持ちをしていました。短い期間ですが、何十人もの社会人や地元民と交流ができたり、WEB記事での情報発信をしたりと、濃密な時間を過ごしたと思います。

何より、私の人生で初めて「地域」を意識させることができたのです。リアリティのある地域課題の深刻さと、それを解決しようとする熱量高い人の存在に圧倒されました。そして、いつか自分も地方をフィールドに活躍できる人になりたいと、漠然と思いながらも、たしかな熱を心に感じましたね。間違いない私のターニングポイントの1つとなっています。

(秋田県での活動の様子)

ゼミ活動で地域を追究 能登と壁打ちする日々 

石川県へ移住することに至ったきっかけはゼミ活動にあります。大学3年生の時に、髙橋一男教授のゼミナールに所属して地域社会学を軸とした地域づくりを学び始めました。国外ではタイを、国内では石川県の能登半島をフィールドワークに、地域単位での発展を考えるゼミ活動です。

とくに能登半島でのフィールドワークでは、たくさんの学びと苦労を経験しました。限界集落となっている山村集落に赴き、住まう人たちにヒアリングを通して、効率性に基づく経済的価値にないがしろにされてきた文化的価値・歴史的価値・自然的価値に気づきました。

その一方で、解決しがたい地域課題に対して「自分には何ができるのだろう」との問いが襲いかかりました。ゼミ活動以外の時間も、地域づくりに関する論文や著書を漁る日々を過ごしながら、少しずつ地域への理解を深めていきました。

大学4年時には、当時のわたしが地域に対してできることを実行しました。調査先の地域で交流した和太鼓団体(地域の子ども達で構成されている組太鼓)「冨木神幸太鼓 煌」を文化祭に誘致し、彼らと一緒に演奏会を実施。文化的価値がある能登の和太鼓を、都心に住む人々に見てもらえたことはもちろん、何より地域のシビック・プライドを高めることができたのではないかと自負しています。

能登半島でのフィールドワークをきっかけに、地域への理解をいっそう深めることができました。またより具体的に地域をフィールドに活動したいと思えました。


(ゼミ活動の様子)

タイが教えてくれた

社会を作る主体としての自分

国内活動に取り組む一方で、海外活動にも参加していました。大学4年生になる前に休学し、国際交流基金の文化交流プロジェクト『日本語パートナーズ』に参加しました。日本語版の外国語指導助手のような枠割として、タイの中高一貫校で日本語・日本文化を教えました。ゼミ活動でタイについて学んだことがありましたし、異文化理解に関心を持っていたからです。

(タイで日本語を教えている様子)

タイの中でもかなりの地方部であるマハーサラカーム県に派遣されたりと、つくづく地方に縁があるなと感じましたね。また大変貴重な経験ができましたし、今にもつながる学びばかりです。異文化を持つ同士での協働体験、日本・海外に共通する地方部が抱える現状を学びました。そしてなにより、タイの中高生に日本をアピールした者の責任として、日本をよりよい場所にしたいと思えたのです。自分はすでに社会を作る側の人間であるのだと、強く自覚しました。


好奇心に従った先に

やりたいことが滲み浮かぶ

大学生活で経験した3つの体験から、[地域課題の解決のためにイキイキと働く][日本社会を少しでもよくする][多様な生き方を応援する]がやりたいことだと気づきました。その3つが重なるものを職業としたいと思っていた矢先、たまたま移住コーディネーターの募集を知りました。「このチャンスを逃すまい!」と思い、髙橋一男教授に懇願して在学中の就業を応援いただけたことは、改めて有難く感じています。

いざ大学時代を振り返えってみると、とにかく好奇心の赴くままに行動していました。それはそれで間違いでなかったと思いますし、なによりも逆算して導かれる人生ではなかったことに面白さを感じています。

今年からは加賀市だけでなく、広く石川県を拠点として活動していきます。当面は移住コーディネーターという仕事を、追求していきたいと思っています。ゆくゆくは移住コーディネーターを育てたり、移住支援団体を活動しやすいプラットフォームづくりをしたり、ライフスタイルの自由が広がるような活動をしたいなと、漠然と考えています。

(地域おこし協力隊を卒隊、活動は続く)

ここまでお読みいただいた方はすでにお分かりだと思いますが、私は決して高い能力があるわけでもなく、また志が高い人間ではありませんでした。そんな私でも大学生活の活動を通して、自分なりのライフスタイルを見つけることができました。


入学当初はおそらくやりたいことがみつからない人が大半だと思いますし、それ自体は問題ではないと思います。最も大切なことは、大学生活で何を体験し、感じ、そして次の行動につなげることだと思います。私にとって東洋大学国際地域学部国際地域学科は、そのような機会を提供してくれる環境でした。