藤井 楓さん(国際地域学部 国際地域学科 2014年卒業)

カンチャナブリー県の泰緬鉄道で

Bangkok Solar Powerの忘年会 

2014年に国際地域学部を卒業後、すぐにタイ・バンコクに移住し丸7年が経ちました。タイでの暮らしは、日本の常識通りにいかず苦労することも度々ありますが、現地で働いて自分の力で生活していることを誇りに思うと共に、日本に居続けていたら得られなかったような考え方やサバイバル力が身に付き、更に自由な生き方ができていると感じています。

 

<タイとの出会いと学生生活>

最初にタイに興味を持ったきっかけは、中学生の時にタイ人歌手がテレビに出ていたのを見てファンになったことでした。当時は、SNSも普及していなかったので現地の情報が少ない上に、タイに行くのはバックパッカーか夜遊び目当ての人が多く、「怪しい雰囲気の国」という印象でした(タイ人のみなさん、ごめんなさい)。しかし当時中学生の私は、そのタイ人歌手を通して、今まで知らなかった国の文化や言語を勉強するのがすごく楽しかったことを覚えています。

そして、もっと自分が知らない世界を見てみたいという気持ちで、東洋大学国際地域学部に入学しました。第二外国語の授業はもちろんタイ語を選択し、江藤双恵先生にタイ文字から基礎を教えて頂きました。また、在学中は英語の学習にも力を入れ、英語の特別授業(SCAT)を履修したり、子島進先生のゼミでは東日本大震災後の福島県いわき市を訪れ、被災した方々にインタビューをさせて頂き、英語で卒業論文としてまとめました。

就職活動の際は、最初は日本で働くことを考えていたものの、キャリアセンターでタイでの求人を目にして、「そうか私にはタイがあった!これだ!」と直感的にタイで働くことに決めてしまいました。東洋大学で学んだことで自分の世界を広げることができましたが、その根幹にはやはり常にタイという国の存在があったのだと思います。そして、私はなんとか親を説得し、新卒でタイで働くことにしました。

 

<卒業後のキャリア>

2014年に卒業した後は、バンコクにある医療アシスタンスサービスの日系企業に入社し、海外で病気や事故にあった日本人が現地で受診できるようにサポートをする仕事をしていました。タイ支社は30人程の社員がいましたが、そのほとんどが日本人で、業務内容も英語ができればタイ語ができなくても全く問題ないという環境でした。そこで5年弱働いた後、今後もタイで働いていくにあたって、20代のうちにもっとチャレンジして自分ができることを増やしたいという想いが芽生え、2018年末に退職をしました。

2019年は勉学の一年間と決め、平日はチュラロンコン大学でタイ語、土曜日はバンコク大学で経営学修士の勉強をしました。タイ語は、それまで仕事の合間にプライベートレッスンに行ったりして少しずつ勉強はしていたものの、ビジネスレベルまで習得するには一定期間集中して勉強する必要があると感じ、一番厳しいといわれているチュラロンコン大学のインテンシブタイコースを選びました。また、MBAについては、経営者の目線を知ることはこれから何の仕事をするにせよ役に立つだろうと思ったことと、周囲のタイ人で修士を持っている人が多かった影響で、勉強することにしました。日本では社会人になってから大学院に行く人は少ないと思いますが、私の実感では大卒のタイ人で社会人になってから修士や博士の勉強をする人は日本より多いように感じます。この1年間、タイ語とMBA両方の宿題をこなすのは本当に大変でしたが、タイの大学生活を体験できたり、自分のできる事が増える喜びもあり、人生において大変有意義な期間になったと思います。

2020年にタイ語とMBAを修了し、同年3月にタイ企業である太陽光発電事業会社に就職しました。そこで私はタイ本社と日本での事業を繋ぐコーディネーターとして働いています。100人程いる社員の内、私以外全員タイ人という環境です。最初は勝手がわからず戸惑うこともありましたが、少しずつタイ企業の風土やタイ人の働き方を理解し、適応していっています。タイ語をしっかり学んだことで、仕事以外でもタイ人と密接に関わる機会が増え、これまで住んでいながらも見えていなかったタイ人たちの生き方も見えるようになりました。多くのタイ人のなんでも楽しんでしまう精神や、自己肯定感の高さは、謙遜と遠慮の国から来た私からすると羨ましく、そうやって生きたほうが幸せだよなと思います。また、タイ人は日本人に比べて人を頼ることに抵抗がないように見えます。自分が出来ないことは遠慮なく家族や友達を頼り、自分も頼られたときは親身に助ける。お互いに頼って頼られて、それでうまくいっているようで、一人で抱えこみがちな自分としては「それでいいんだよなあ」と肩の力が抜けた発見でした。

2021年からは、以前から興味があった字幕翻訳の仕事も始めました。更に自分の武器となるタイ語を伸ばしつつ、今後も色々なことに挑戦していきたいと思っています。これまでの私の社会人人生は、タイへの直感的なときめきから始まったものですが、その直感に従ってよかったと思っています。もちろんその土地で働いて生活していくための努力は必要ですが、タイという国が好きだからこそ努力してこれたのだと思います。これから社会人になる在校生の皆さんには、ぜひ海外経験も含め色々な体験をして、色々な生き方を知ってもらい、自分のワクワクする方へ進んで行ってほしいと思います。