第4章
江戸市民はデリバリーした!
<練馬大根>
江戸市民はデリバリーした!
<練馬大根>
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練馬大根は現在の練馬区周辺で栽培されていた野菜であり、その起源は、5代将軍徳川綱吉の時代にさかのぼるといわれている。
あるとき綱吉が脚気にかかってしまい、陰陽師に相談した。すると陰陽師は「下練馬に御殿を建てて、そこで療養すべき」と助言した。綱吉は言われた通りに御殿を建て、そこで大根を栽培して食べると、たちまち脚気が治った。
城に帰った綱吉は村の大木金兵衛に栽培を命じ、それ以降練馬村の大根は沢庵漬として食されることが定番となったそう。
現在では生産が激減したものの、練馬区立石神井公園ふるさと文化館にて展示がおこなわれている他、区内には「練馬大根の碑」があり、練馬区の誇りとして伝えられている。
また平成元年(1989)からは、区・JA・農家が連携して後世に伝えるため、イベントでの販売や学校給食での「練馬パスタ」のメニュー化など、練馬大根をアピールしていく活動がおこなわれている。
右頁15行目~17行目に練馬大根に関する記述がある
喜田川守貞の著した、主に江戸時代の風俗に関する考証的随筆。別名『近世風俗史』とも。
約700項目にのぼる事象を地理など27項目に分類し、説明を加えたものであり、その説明は詳細で、文章で伝えづらい所には図や絵を載せて説明するなど、極めて親切。
また江戸の風俗のみならず、随所に京都・大阪の同様事項比較併記してある点も本書の特色であり、江戸時代の風俗に関しては最も重要な文献の一つである。
『守貞謾稿』該当部書き下し分
江戸市民ハ、毎冬澤庵ヲ自家ニ漬ズ。年用ヲ計テ、煉馬村ノ農人ニ托之。毎
冬、 ヲ与フ。農人、其用ヲ計テ、漬蓄ヘタルヲ、馬ヲ以テ、年中ニ出之他。是、当所ハ、
火災繁ク、又、地モ 地稀ナル故也。京坂ハ、必ラズ市民自家ニ漬ケ蓄フ。
『守貞謾稿』該当部訳文
江戸市民は、毎冬、沢庵を自分の家では漬けない。一年で使う分をもって、練馬村の農民に託す。毎
冬対価を渡す。農民は、その分を計算して、漬けて蓄えておいたものを、馬を使って年中出荷する。これは当所は、
火災が多く、また盛り上がった土地も稀であるからである。京都と大阪は必ず、市民は自分の家で漬けて蓄えておく。
(訳は課程生による)
江戸時代の人々は、様々な事物を相撲の番付に似せて格付けをおこなった。これを「見立て番付」という。
本番付は「くにくに名物つくし」というタイトルで日本全国の名物品を東西に分けて紹介しており、東方の2段目17行目に「練馬大根」、同じく4段目5行目に「小松川菜」がみえる。