~第2章~
専用の市場も開設!?
<千住ネギ>
専用の市場も開設!?
<千住ネギ>
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現在の足立区周辺の名物としてその名が知られていた「千住ネギ」。
昭和期には「やっちゃ場」と呼ばれる専用の市場が形成されるまでに盛んに取引されていたが、実は正確な由来がわかっていない。しかし、江戸時代の地誌である『紫の一本』に記述がみられることから、この時代にはすでに「千住ねぶか」としてその名が知れていたことがうかがえる。
そもそも「千住ネギ」とは、千住で生産されたネギを指す言葉ではない。
「千住ネギ」は、関西の代表的なネギである「九条ネギ」とは異なり、白い部分を食す。
代表的な発祥地は東京都江東区砂村で、大坂城落城の際、落人が関西から持参したネギと伝えられれている。その後、様々な産地のものが千住地域にて交雑した結果、関東独特の白根の長いネギが形成された。それらが千住市場を経て東京に入ったことから、「千住ネギ」と呼ばれるようになったといわれている。
その性質として、加熱しても中身が飛び出にくいことが知られており、主に飲食店などに卸されていた。
現在では足立区が食農教育の一環として、小学生にネギ栽培を通じた教育をおこなっている。
作者・戸田茂睡の投影と目される遺佚(いいつ)と、四谷の徴官で漢詩をたしなむ陶々子(とうとうし)の2人が、意のおもむくままに江戸をめぐり歩くという趣向で、江戸の名所にまつわる記述をした地誌・随想。
茶屋に入った際に名物をごちそうされる中で、練馬大根や葛西菜(かさいな 小松菜のこと)とともに、「千住根深」という名前で千住ネギも登場している。
『紫の一本』該当部読み下し文(左ページ2行目から)
奥の中二階(ちゅうにかい)に上がりたれば、はや盃を出したり。菓子にとりては何とぞ、
まづ日の本の第一番、日本橋の一町目塩瀬が饅頭(まんぢゅう)、小饅頭(こまんぢゅう)、糀町(かうじまち)の
ふの焼きは助惣(すけそう)よりぞ始まりける。池の端(はた)のめりやす煎餅、
本所(ほんじょ)の馬場のくず煎餅、芝の陳三官(ちんさんくわん)が唐飴、飯田町壺屋
が饂飩(うどん)を出し、所の名物なりとて、駒形堂の鯉を高砂屋が味噌にて吸
物にし、その外橋場の蜆、深川の牡蠣、豊島川の白魚に、浅草海苔
の吸物あり。酒も所の名物とて隅田川を出し、永代島(えいたいじま)の三笠山、伊勢
の吉兵佐兵(きちべいさへい)が蔵の奥の本直(ほんなお)し、合はせ酒まで飲ませたり。練
馬大根、岩槻牛蒡(いわつきごぼう)、葛西菜、芝海老、千住根深(せんじゅねぶか)、取り替へ取り替へ
馳走(ちそう)する。
『紫の一本』該当部訳文
奥の中二階(ちゅうにかい)に上がると、はやくも盃が出された。菓子となれば何といっても、
まず日の本の第一番、日本橋一町目の塩瀬の饅頭(まんじゅう)、小饅頭(こまんじゅう)で、糀町(こうじまち)の
麩(ふ)の焼は助惣(すけそう)から始まったのである。池の端(はた)のめりやす煎餅、
本所の馬場の葛煎餅、芝の陳三官(ちんさんかん)の唐飴、飯田町の壺屋
のうどんを出し、土地の名物といって、駒形堂の鯉を高砂屋の味噌で汁
物にし、そのほか橋場のしじみ、深川のかき、豊島川の白魚に、浅草海苔
の吸物がある。酒も土地の名物と言って隅田川を出し、永代島(えいたいしま)の三笠山、伊勢
の吉兵佐兵(きちべいさへい)の蔵の奥の本直(ほんなお)し、割り酒まで飲ませた。練
馬大根、岩槻牛蒡(いわつきごぼう)、葛西菜、芝海老、千住ねぎなど、取っかえひっかえ
御馳走(ごちそう)する。
(訳は、『鈴木淳ほか校注・訳『近世随想集』新編日本古典文学全集82(小学館、2000年)』201、202頁より引用)