【弓道を始めたきっかけ】
きっかけはとてもひょんなことでした。
高校に入学したての頃は、体育系とりわけスキー部に入ろうと考えていました。スキーは小さい頃からやっていたので。
でもある日、友達が弓道部を見学に行くというのでたまたまついて行きました。
そしたらそこで即決、弓道部に入部しました。なぜといわれればわかりません。でも惹きつける何かがあったんでしょう。
それからかれこれもう9年、早いものです。
それにこうして弓道を専門に学び研究し、人様に教えるような立場になっていようとは。
振り返ると、弓を通じて進路も決まり、筑波に来ていろんな人と出会いました。
普通ではできないような様々な経験もしました。
運というか巡り合わせというか、なんとも不思議なものです。
【弓の稽古】
日本の弓と矢を使って的に中てる、それが弓の根本です。
精神修養とかは二の次。たゆまぬ技の修練によって心境も自ずと深まります。
一にも二にも技の追求です。
具体的には、正しい狙いと角見と伸合を追求し、中貫久の体現に努めるのみです。
手の内を崩さずに、捩じって引っ張りながら、角見を最良の時機に、いかに強く速く正しい方向に持続的に働かせるかが生涯の課題です。
詰合ったらただただ弓を反時計に捩じり、発射の際にそれをさらにエィッと捩じる。
これが大切です。
【私の師】
私の師は、森先生をおいて他にはいません。
先生に弓の全てを教わりました。
弓の技術や指導論はもとより、人生にも大きな影響を与えています。
“じぃーーーービャッ”ときかすことは難しいけれど、少しでも、先生のように冴えた弓を引けるよう努力しています。
弓の師として人生の師として師事させていただいております。
【流派】
私は、森先生の下で歩射である日置當流(日置流印西派)を学んでいます。
詰合から伸合・やごろという点が非常に難しいけれど、そこに全てが凝縮されています。
“じぃーーーーエィッ”という運動局面が弓の技術の全てです。
【私にとっての弓】
弓というのは、自分をごまかすことのできないものだと思います。
たとえいろいろな理由で、虚勢を張っていても弓を引く上でその虚勢は何の意味も持ちません。
逆を返すと弓のパフォーマンスはその人の真の自信にもつながるわけです。
もちろんどのスポーツもそうだと思います。私の場合はそれがたまたま弓道だったわけです。
ある意味ではシビアですが、人間そういうものを一つは持っていた方がいいのではないか、そう思います。
シビアであるがゆえに、思うように弓が引けずやめたくなる時もありますが、そういう時にはじっと耐えて一日一本でもいいから気を引き立てて引くようにしています。
こんなことがいつもよりちょっとできたというような、ちっぽけなことがモチベーションにつながっているのかもしれません。
私から弓を取ってしまったら全てを失ってしまう、そんな気が最近します。
私にとって弓は生きた証しであり、等身大の自分を映す鏡なんだと思います。