図1:ゼブラフィッシュ成魚(Wikipediaより引用)、および稚魚(上:受精後1日、下:受精後2日)
赤血球の体内循環は、酸素を体中に運搬しそこで二酸化炭素を受け取って肺へと運ぶ、生命維持にとって必須の機構である。それは胚発生過程に始まり、生命活動が続く限り継続する。心臓や血管・赤血球をはじめとする種々の血液細胞など、循環に必要な個々のコンポーネントの形成についての研究は進んでいる。しかし赤血球などの血液細胞の循環が発生のどのタイミングで、どのように制御のもとで開始するかは殆ど分かっていなかった。そこで我々は、小型魚類ゼブラフィッシュを用いて、血液循環開始機構の解析を試みた。 ゼブラフィッシュは飼育が容易く、体も小さいため省スペースで維持・繁殖が可能である。何より透明な胚が体外受精で発生し、基本的な形態形成が48時間以内に終了するといったメリットから、発生学の分野において1990年代初頭から急速に普及したモデル動物である(図1)。近年では胚操作の手法も確立され、遺伝子導入や生化学的解析などで他のモデル動物と遜色なく扱える。またゼブラフィッシュ独自の利点として、特定の組織を蛍光タンパク質で標識したトランスジェニックゼブラフィッシュを用い、発生過程を生きたまま観察できるということが挙げられる。我々は、血管内皮細胞と赤血球がそれぞれ緑色・赤色蛍光蛋白質で可視化されたトランスジェニックフィッシュ(fli:GFP/gata1:RFP、図2)を用い、生きた個体の中で赤血球が循環を開始する瞬間を捉えることに挑戦した。
研究成果 ゼブラフィッシュにおいて最初の赤血球は、受精後24時間頃に体幹部の血管外造血領域で確認できる(図2および図3)。血管系の構築に伴い、赤血球は徐々に血管壁をくぐり抜けて血管内へと移動する(侵入、図4)。ここで、移動した赤血球はすぐには循環を開始せず、しばらく血管内に留め置かれる(待機状態、図4)。この際、血管形成はほぼ完了しており、心臓の拍動に伴う血漿成分の循環も観察される。その後しばらくして、留め置かれていた血球は同調的に循環を開始する(図3および動画)。電子顕微鏡観察によると、赤血球は血管内への移動後も血管内皮細胞と弱く接着しており、これが待機状態の原因だと考えた。また、循環を開始するためにはこの接着を解除する必要があり、その解除をタンパク質分解酵素(プロテアーゼ;protease)が担っているとの仮説を立てた。 その仮説を実証するために、プロテアーゼ阻害剤投与実験や遺伝子発現阻害実験を行い、膜型プロテアーゼADAM8がその接着解除を担うことを見いだした。ADAM(a disintegrin and metalloprotease)とは細胞膜上に存在するプロテアーゼで、同じく細胞膜を貫通する接着因子や膜型増殖因子などを分解する。更なる解析により、ADAM8が接着因子PSGL(P-selectin glycoprotein ligand)の分解活性をもつことが明らかになった。PSGLは血球の細胞膜上に存在し、血管内皮細胞上の受容体分子と会合する接着因子である。以上の結果より我々は、発生における血液循環の開始には、膜型プロテアーゼADAM8による接着因子の切断が重要であるとのモデルを提唱した(接着解除、図4)。
研究の意義 本研究は、脊椎動物における血液循環の開始を、生きた個体で撮影した初めての報告である。さらに、血液循環を開始するタイミングの決定に際して、心臓の拍動・血漿の流れによる受動的な要因以外に、赤血球が細胞自律的に自身の接着性を制御する能動的な機構が存在することを新たに提唱した。
医学への応用の可能性 ヒトやマウスの成体でもADAM8は種々の血液細胞や造血組織で特徴的に発現している。またADAM8によるPSGLの分解活性は、マウス相同遺伝子においても保存されていた。したがってADAM8が哺乳類においても同様の機能を保持し、血液細胞の体内循環に関わっていると考えられる。 ADAM8の発現や活性を人為的に制御することにより、血栓や血流の不全に起因する疾患(脳梗塞、心筋梗塞など)の治療薬として応用できるのではないかと期待している。
図2:血管内皮細胞と赤血球が生きたまま観察可能なゼブラフィッシュ(受精後1日)
図3:血液循環開始のライブイメージング。74minから76minの2分間で、多くの赤血球が同調的に循環を開始する(左写真)。*hpf(hours post-fertilization:受精後XX時間)
図4:血液循環開始のモデル図。赤血球が自律的に接着を解除して、循環を始めるタイミングを決定する。
発表論文
Iida A, Sakaguchi K, Sato K, Sakurai H, Nishimura D, Iwaki A, Takeuchi M, Kobayashi M, Misaki K, Yonemura S, Kawahara A and Sehara-Fujisawa A.
Metalloprotease-Dependent Onset of Blood Circulation in Zebrafish.
Current Biology (2010)
参考文献
Primitive erythroblast cell autonomously regulates the timing of blood circulation onset via a control of adherence to endothelium.
New Principles in Developmental Processes
編集: Hisato Kondo; Atsushi Kuroiwa, Springer (2014)
飯田 敦夫, 瀬原 淳子
ADAM8プロテアーゼによる血液循環開始の制御
日本臨床増刊号 冠動脈疾患(上)-診断と治療の進歩- (2011) 37-41
飯田 敦夫, 瀬原 淳子.
ADAM8による血液循環開始の制御
生化学 82 (2010) 921-930.