研究内容

清成研究室では・・・

人間の社会性の基盤を解明するために、社会心理学と進化心理学的なパースペクティブを用いて

実験室実験や質問紙調査を中心に研究を行っています。

また、脳神経科学や神経生理学の専門家とも共同研究を行っており、

協力行動の神経生理学的な基盤の解明にも取り組んでいます。

研究の背景

私たち人間は他人と助け合い、支え合いながら生活しています。

家族やごく親しい友達といった間柄に限らず、全くの見ず知らずの赤の他人であっても、

自分の目の前で困っている人を見かけたら、そのまま見過ごすのは難しいのではないでしょうか?

たいしてコストのかからない小さな親切、たとえば・・・

電車の中でお年寄りや小さな子供を抱える母子に席をゆずったり、

前を歩いている人がハンカチを落とせば拾って渡してあげたり、

道に迷っている人がいれば教えてあげたり、

というような、ちょっとした親切行為は、この世の中にあふれていますね。

ところが、このような見知らぬ人に対する親切行為は、実は人間特有の極めてユニークな特徴なのです。

他の動物種の一部でもみられる血縁関係(血のつながりのある家族、親族)にある相手に対する親切行為や

繰り返し付き合う相手(たとえば友人、近所の人)に対する親切行為が

どうして世の中に存在するのかについては、既に進化生物学などで理論的に説明されています。

けれども、見ず知らずの他人に対しても利他的に振る舞うのは何故か?という問題については

未だに明確な答えが得られておらず、様々な議論が様々な分野で交わされています。

もちろん、私たち人間が知らない人に対していつも親切に振る舞うわけではありませんね。

それでも、そういった行為をほとんど行わない他の動物種と比較すると、明らかに人間は利他的な動物なのです。

このように、私たち人間が見ず知らずの他人に対しても親切な行いをしてしまうことは、実はとても不思議なことなのです。

この不思議を解明するために、以下で具体的に説明する研究テーマを中心に私も研究に取り組んでいます。

また、これらの研究は、国からの研究補助金(科学研究費)によってサポートされています

このページは、一般の方になるべくわかりやすく研究内容を公開する目的で書かれています。

具体的な研究テーマ

集団間葛藤および内集団ひいきに関する研究

社会心理学では、人々は同じ集団の成員に対しては好意的に振る舞い、異なる集団の成員に対しては敵対的に振る舞う傾向があると考えられています。

確かに、世の中の紛争を目にすると、そういった傾向性が人間にあるように思う人も多いかもしれません。

けれども、人間が「無条件」に内集団成員を優遇し、外集団成員を攻撃する傾向性を持っているわけではない、と私自身は考えています。

どうしてでしょうか?

そもそもここでいう「同じ集団」とは何を意味するのでしょうか?

たとえば、日本とアメリカという2つの国を対比して考えてみてください。

私は日本人なので私にとって同じ集団の成員とは日本人になります。

それでは、集団が異なるという理由だけで私はアメリカ人に対して差別的に振る舞い、日本人に対しては好意的に振る舞うのでしょうか?

要するに、日本という集団とアメリカという集団という違いがあれば、集団間には無条件に葛藤が生じ、内集団ひいきや外集団攻撃行動が生じるのでしょうか?

もちろん歴史的にみると、日米間に悲惨な戦争が実際に起きていますし、現在でも貿易摩擦や防衛問題などの軋轢は多々あります。

けれども、そういった問題は単に集団が異なるという理由だけから生じている問題ではありません。

国という区分は非常に重要に聞こえるかもしれませんが、国籍や民族といった集団名の違いそのものが重要な訳ではありません。

昨日までアメリカ国籍だった人が日本国籍を取得したからという理由で、私がその日本国籍の人に対していきなり内集団ひいき的に振る舞うと考えるのはナンセンスですね。

結局、私たちが同じ「集団」として認識するのは、少なくとも「集団」内部には何らかの意味のある関わりがあることが想定できる場合、

つまり、他の内集団成員との間に「持ちつ持たれつ」といった互恵的な関係が期待できる場合ではないでしょうか。

そのように考えると、集団とは互恵性を入れる器のようなものと言い換えてもいいでしょう。

たとえば、日本全国から学生が集まる大学には「なんとか県人会」といった互助組織が存在することや、

海外で日本人コミュニティーのようなものが存在するのも、基本的には「困っている時にはお互い様」といった

集団内部の一般互恵性に対する期待があるからだと私は考えています。

ここで重要なのは、困っている人を助けた人がその人から直接同じような形で助けてもらう必要はないことです。

そもそも、他人を手助けできる人は、自分はそういった手助けを必要としていない場合の方が多いでしょう。

そこで、助けてもらった人が直接その本人にお返しをするのではなく、別の困っている人に対して

今度は自分が手助けをしてあげる状況を考えてみてください。

つまり、手助けできる人が困っている人を助ける、という連鎖が他の人へどんとん波及していく状況です。

こういった親切の連鎖は、一般互恵、あるいは一般交換と呼ばれるものです。

そして、この親切の連鎖が実際に機能する場所、あるいは、その親切を漠然と期待できる範囲というのが、

集団という区分なのです。

海外に留学すれば、周囲の人が現地の日本人を紹介してくれることはよくあります。

そして新たに知り合った日本人からまた別の日本人を紹介してもらう、という形で、

気がついたら日本人コミュニティーと親密な関係ができ、そこで色々な現地情報や日本の情報を交換したり、

帰国する人から家具などを譲ってもらったり・・・というような経験は意外と多くの渡航者が実際に経験します。

このように自然と同郷の人達が集まっていくのは、

同郷の人達の間では互恵的な関係が成立しやすいだろうという期待を私たちが抱くためであり、

全くの無関係な集団の人に対してはそういった期待は通常は抱きにくい、と考えられるからです。

もちろん、直接互恵的な関係が形成可能な相手であれば、国籍などの集団分類はもはやどうでもよくなります。

たとえば留学先の研究室で一緒に過ごす仲間はまさに直接互恵的な関係にある相手です。

国籍が異なるからといって、互いに酷いことをしたりはしません。

同じ研究室という理由で今度は互いに助け合う関係が研究室内に生まれます。

単に国籍を共有するだけの同じ日本人よりも研究室で共に過ごす外国の仲間の方があなたを助けてくれる場合、

もはや日本人だからという集団分類にこだわる理由はなくなります。

だからこそ、私たちは海外でも異国の人と友好な関係を形成できますし、日本国内でも同様です。

このように、集団という分類を手掛かりに集団内で手助けが生じることと、直接自分に親切にしてくれる人と仲良くすることとは全く別の話です。

少し極端な例を出すと、たとえば、メガネをかけている人とそれ以外の人達について考えてみるとわかりやすいでしょう。

メガネ装着集団とメガネ無し集団という2つの集団に人々を分類することは可能ですが、

この2つの集団間に何らかの差別的な振る舞いが生じたり、集団間葛藤が生じると考える人は・・・おそらくいませんよね?

時計をつけている人とつけていない人を集団として分類した場合も同様です。

このように、私たちは「集団」を単なる人々の区分可能なカテゴリーとして捉えるのではなく、

「集団」の中になんらかの互恵的な関係が成立し得ると期待するからこそ、

自分にとって意味のある「内集団」となり、その中で一般互恵的な関係が形成可能となり、それが一見すると内集団ひいきに見えるのです。

関連業績

・神信人・山岸俊男・清成透子(1996). 「双方向依存性と最小条件パラダイム」 『心理学研究』第67巻, 77-85.

・Yamagishi, T., Jin, N., & Kiyonari, T. (1999). Bounded Generalized Reciprocity: Ingroup Favoritism and Ingroup Boasting.

Advances in Group Processes, 16, 161-197.

・Yamagishi, T. & Kiyonari, T. (2000). The Group as the Container of Generalized Reciprocity.

Social Psychology Quarterly, 63, 116-132.

・清成透子(2002). 「一般交換システムに対する期待—閉ざされた互酬性の期待に関する実験研究」

『心理学研究』第73巻, 1-9.

Contemporary Psychological Research on Social Dilemmas. (Pp. 269-286). UK: Cambridge University Press.

・Yamagishi, T., Foddy, M., Makimura, Y., Matsuda, M., Kiyonari, T., & Platow, M. J. (2005).

Comparisons of Australians and Japanese on Group-based Trust and Cooperation.

Asian Journal of Social Psychology, 8, 173-190.

・清成透子・Margaret Foddy ・山岸俊男(2007). 「直接交換と間接交換が内集団信頼行動へ及ぼす影響」 『心理学研究』第77巻, 519-5・27.

・清成透子(2009). 「集団」

(遠藤由美編 『社会心理学 いちばんはじめに読む心理学の本2:社会で生きる人のいとなみを探る』(ミネルヴァ書房)Pp. 61-79. 第4章)

協力を維持するサンクションメカニズムに関する研究

人々が協力し合う社会はとても暮らしやすい社会です。

けれども、協力しなくても利益が享受できるのであれば、個人的には協力しない方が得をします。

これは社会的ジレンマと呼ばれる状況で、環境問題など、様々な問題が該当します。

限りある資源を皆で共有しなくてはいけない昨今の電力事情もまさに社会的ジレンマ状況といえます。

現在の発電所の電力事情を考えると、節電はとても大切なことだということは既に日本中の人々は十分に理解しています。

けれども、一人一人が使う電力量自体は実際には全体の使用量からみると非常に些細な量とも言えます。

そこで「自分一人くらい冷房をきかせた部屋で快適に過ごしても、世の中にたいした影響は与えないだろう」

と考える人が出てきても、おかしくはありません。

たった一人がそう考えているうちは確かにほとんど影響しません。

けれども、世の中の多くの人がこのように自分のことしか考えない場合には、どうなるでしょうか?

真夏の最も暑い時間帯に多くの人が冷房をガンガンきかせた自分の部屋で快適に過ごすようになると・・・

すぐさま発電所の供給可能電力量をオーバーし、停電が生じるかもしれません。

最悪の場合、様々なところでライフラインが止まってしまい、社会全体が大混乱に陥る可能性すらあります。

つまり、「自分一人くらいいいだろう」と自己利益だけを考えて多くの人が行動することによって、

結果的には、本来なら皆が少しだけ我慢していれば問題無く過ごせた状態を失う羽目に陥るのです。

このように、皆が協力しあっている間は社会全体にとって望ましい状況が維持できるのに、

個々人が自分の利益だけを考えて行動することによって、結果的には誰一人として得をしない状況になってしまう、

これが社会的ジレンマと呼ばれる状況なのです。

このような社会的ジレンマ状況で人々に協力行動をとらせるためにはどうすれば良いのか、

ということが大きな問題となってきます。

1つの解決策は、罰や報酬といったサンクションという制度を導入する方法が考えられます。

つまり、自分勝手な行動をとる人を罰し、皆のために協力する人には報酬を与えることで、集団全体の協力を維持するというやり方です。

法治国家など法律によって明文化された制度から不文律なインフォーマルな制度まで様々な制度によって私たちの社会生活は維持されていると言えるでしょう。

けれども、このサンクションという制度はどのようにして維持できるのか?という新たな疑問が生まれてきます。

さらに、中央集権型の社会が成立していない状態、たとえばより小規模な社会集団において、

このサンクションという制度がどのように自生し、維持され得るのか、という疑問は理論的にはまだ解決されていません。

これまで様々な実験によって、人々はコストをかけて自発的に非協力者を罰したり、協力者に報酬を与えたりすることが明らかにされています。

けれども、社会規範を維持するための心理的なメカニズムとしてそういった行動が進化したかどうかについては、まだ議論の余地があると私は考えています。

関連業績

・Kiyonari, T. and Barclay, P. (2008).

Cooperation in social dilemmas: free-riding may be thwarted by second-order reward rather than punishment.

Journal of Personality and Social Psychology, 95, 826-842.

Journal of Economic Psychology, 30, 335-343.

信頼関係形成と維持メカニズムに関する研究

信頼は社会の潤滑油です。

他人を一切信頼できない社会を想像してみてください。

そういった社会では、些細なことに関してもいちいち契約書を取り交わし、

相手が自分を騙したり裏切ったりしないかどうか、いつも監視していなくてはいけません。

考えるまでもなく、とても大変な社会だということがわかりますね。

私たち人間は、他者を信頼することで、社会生活をスムーズにこなしているとも言えるのです。

けれども、むやみやたらに他者を信頼すればいいという訳ではないことも、多くの人が同意するでしょう。

たとえば、信頼できない人を信頼してしまうと、騙されて酷い目に遭うかもしれません。

そこで、誰が信頼できて、誰が信頼できないかを見抜くこと、つまり、他者の信頼性を見極めることができれば、

信頼できる人との間で協力的な関係を形成し、信頼できない人とは付き合わないですむと考えることができます。

それでは、私たち人間は、他人が信頼できるかどうかを見抜くことは可能なのでしょうか?

この疑問は実際に実験で確認してみないとわかりません。

今現在、他者の信頼性判断の正確さを調べるための一連のプロジェクトを進めているところです。

関連業績

Kiyonari, T. (2010). Detecting defectors when they have incentives to manipulate their impressions.

Letters on Evolutionary Behavioral Science, 1(1), 19-22.

利他性の神経基盤の解明に関する研究

協力行動、援助行動のように、その親切行動の受け手(援助される人)は利益を受け取るのに対して、

それをする人(行為者自身)にはコストがかかる行動を、利他行動と呼びます。

人間が利他的な動物であることは上でも説明しましたが、私たち人間が利他的に振る舞う時には、どのような神経基盤が関係しているのでしょうか?

私は社会心理学者ですが、私たち人間がどういう時に利他的に振る舞うのかを理解するためには

その神経基盤を解明することもとても重要だと考えています。

私が携わっている研究プロジェクトでは、神経伝達物質であるオキシトシンをヒトに投与して社会的行動が変化するかどうかを検討したり、

社会的不安と関係しているストレスホルモンと呼ばれるコルチゾールの濃度が対人相互作用場面でどのように変化するかなどを調べる研究も進めています。

また、利他性の脳神経科学的な基盤の解明へ向けたプロジェクトにも参加しています。

これからは、1つの分野だけで人間を理解しようとするのではなく、関連領域と連携することを通して、人間を科学的に理解する時代です。

そのため、社会心理学、脳神経科学、生理神経科学、行動経済学、実験経済学、進化生物学、進化数理学など、

分野を超えた共同研究が世界中で同時多発的に進められています。

人間を理解するというテーマは、20世紀においては人文・社会科学が中心となって扱ってきました。

ところが、近年の計算機科学や脳科学などにおける測定技術の絶え間ない発展とその応用も進んだ結果、

いまや、自然科学と人文・社会科学の有機的な融合なくしては、さらなる人間理解は難しいのではないでしょうか。

・Kiyonari, T. & Yamagishi, T. (2004). Ingroup Cooperation and the Social Exchange Heuristic.

In Suleiman, R., Budescu, D. V., Fischer, I., & Messick, D. (Eds.),

・山岸俊男・清成透子(2008). 「集団内協力と集団内信頼:一般交換システムの自己維持メカニズム」

(土場学・篠木幹子編『個人と社会の相克 MINERVA社会学叢書 社会的ジレンマ・アプローチの可能性』(ミネルヴァ書房)Pp. 125-156. 第5章)

・Declerck, C. H., Kiyonari, T., & Boone, C. (2009). Why do responders reject unequal offers in the Ultimatum Game?

An experimental study on the role of perceiving interdependence.

最後に

私たち人間が幸せに暮らすことができる社会を構築するにはどうしたら良いか、ということを考える上で

人間の社会性理解、とりわけ人間の利他性を理解することは、とても重要なことだと私自身は考えています。

けれども、上記で説明したような研究内容がすぐすぐに私たちの生活の場で役立つことは多分ほとんどないでしょう。

それでは、すぐに役に立たない研究に価値はないのでしょうか?

私自身はそうは思いません。そういう意味で、昨今の科学研究全般に対する世の中の流れに、一抹の不安を少なからず感じています。

私自身は、社会性や利他性の理解に限らず、人間そのものを理解するための沢山の地道な研究の積み重ねが

いずれ、私たちの生活を豊かにすることにつながると信じて、研究に取り組んでいます。

私の行った研究のうち、日本で実施したものに関しては、そのほとんどが日本国民の税金で支えられている科学研究費により支援されています。

ここに記して感謝申し上げます。

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