獅子練りの由来

現在の熊野神杜は、永観元年円融天皇の勅命により紀伊の国熊野三社を日本国中に分祠された。時の美作の国司藤原朝臣源時仲は、美作の国中に熊野三杜勧請の地をさがし河内の庄王子を神地と決め、熊野本宮一熊野権現一を王子に勧請して王子権現と称され現在の熊野神社となった。

当時、熊野信仰の山伏は獅子頭は熊野権現の宿るもの・乗り移ったものと尊び

獅子頭をかざして舞ったのが「獅子神楽」といわれ獅子練りの始まりと言い伝えられる。

以来霊験あらたかな王子権現様にはときの権力者などから獅子頭が寄進され、獅子神楽が山伏・信者・氏子と継承され、そのうち権現様をお守りする獅子神楽となり、御神幸のお供・露払いとして練り歩いたことから

「獅子練り」と言われるようになった。

熊野神社の獅子舞を、氏子の人は獅子練りという。「練る」とは、神事か祭りに風采を整えて、特別な歩き方で歩くことであるから、行道にウエイトを置いた表現であると言える。現在熊野神社の秋祭りは10月15日で、奉仕するのは東谷部落の人々である。獅子練りは、獅子が太刀のあしらいで舞う「祇園ばやし」、御幣を持った人(神)が獅子と戯れて舞う「シャギリ」、歩きながら舞う「道中ばやし」の3つがある。神輿のお出ましになる前、拝殿で「シャギリ」の舞があり、次いで境内で、それから神輿とともにお旅所を巡って中河内の八幡神社までいく。

千年の歴史の流れの中、戦禍よる中断、天災地変・時代環境の変化による中断復活を幾度か繰り返しながらも東谷の氏子の若者によって継承されて現在に至っている。

・永観元年~~983年

参考資料・真庭郡誌

・落合町史

・地元古老の言い伝えより

(柴田 汎 記)