『基督教学研究』目次 第31号~
第三十一号 (2011年12月)
第三十二号 (2012年12月)
第三十三号 (2013年12月)片柳榮一名誉教授古希記念号
第三十四号 (2014年12月)
第三十五号 (2016年3月)
論文
古代イスラエルにおける富の問題──死海文書の知恵文書を中心に考える
勝村弘也 1
日本宣教の先駆者C・M・ウィリアムズのバックグラウンド
──十八、十九世紀の米国聖公会における神学的ダイナミズム
岩城聰 27
苦しみの叫びは何を求めているのか──神義論から宗教哲学へ
佐藤啓介 53
ティリッヒ「四一神論」の可能性──歿後五十周年に臨んで
近藤剛 79
魂を注ぎ出すこと──アウグスティヌスによる愛の聖書解釈学
須藤英幸 97
随想
良心の観点からの生死の問題
名木田薫 121
研究
ハンス=ゲオルク・ガダマーの解釈学における〈理解の歴史性〉について
──聖書解釈との関連から
岡田勇督 145
カント哲学における神学の問題と道徳神学の位置づけ 南翔一朗 159
朝鮮語における神の訳語ハナニム 金香花 175
ヴァルター・フライターク「伝道の神学」における教会論 南裕貴子 191
高橋五郎の神道理解──『神道新論』と『諸教便覧』を中心に―― 洪伊杓 207
キルケゴールにおける「詩」の問題──「可能性」との関連から―― 谷塚巌 225
彙報
第三十六号 (2017年3月)
論文
人であるかぎり人を愛する――偽クレメンス文書『講話』におけるフィランスロピア論―― 土井健司 1
西谷啓治とパウル・ティリッヒの歴史理解――「空」と「カイロス」―― 鬼頭葉子 25
研究
ガダマーとブルトマン――解釈学的構造を軸にして―― 岡田勇督 53
カントの宗教哲学における倫理的公共体と義務としての最高善の促進
――宗教哲学から社会哲学への移行とその問題―― 南翔一朗 67
前期P・ティリッヒにおける「突破」について 平出貴大 81
翻訳理論からの訳語論争考察――ナイダの動的等価理論の場 金香花 93
R・R・リューサーのフェミニスト神学におけるマリアをめぐる考察 張旋 109
彙報
第三十七号 (2018年3月)
論文
宗教改革を再考する――キリスト教人間学の視点から―― 金子晴男 1
宗教改革四〇〇周年記念再考 小柳敦史 17
宗教改革四〇〇年と内村鑑三のルター受容 岩野祐介 37
研究
アウグスティヌスにおける現世の恩恵――ローマ書七章後半の解釈をめぐって――
渡邉蘭子 67
フロレンスキイにおける神と被造物の関係性の問題―知識の観点から―
ブラジミロブ・イボウ 83
彙報
第三十八号 (2019年3月)
論文
オリゲネスにおける神的場所概念の考察―『祈祷』の議論を主軸として― 津田謙治 1
創造しない創造者―モルトマンの創造論とレヴィナスの存在論ー 濱崎雅孝 31
有賀鐵太郎没後四〇年記念シンポジウム報告
ハヤトロギアと《論理の中断》-序説ー 水垣渉 51
父、有賀鐵太郎への想い 有賀誠一 77
研究ノート
遊びと聖書解釈―ガダマーによるブルトマンへの議論をもとにして― 岡田勇督 93
前期P・ティリッヒにおける形而上学の構造―啓示の出来事とその語りー 平出貴大 107
カントの宗教哲学における神義論の問題 南翔一朗 125
ヴァルター・フライターク「伝道の神学」と伝道活動ー中国伝道を中心にー 南裕貴子 141
彙報
第三十九号 (2020年3月)
論文
前近代トルコ・キリスト教思想
ーハラホト出土シリア文字テュルク語文書を中心としてー 武藤慎一 1
文化的シオニスト、アハド・ハアムの精神的中心 堀川敏寛 41
パウロにおける信仰と倫理の関係性
ーシュヴァイツァーの生への畏敬の倫理との連関を巡ってー 岩井謙太郎 63
研究ノート
パネンベルクによるシュライアマハー批判 岡田勇督 89
矢内原忠雄の日本的基督教における「国体」論とその研究の現代的意義 山中健司 105
フロレンスキイの宗教思想における文化の歴史的類型 ブラジミロブ・イヴォ121
高野晃兆氏の逝去を悼む 水垣渉 135
彙報