留学体験記

ロシアへの留学について

こんにちは、石井優貴と申します。私は2012年4月に(当時の名称で)ロシア・東欧地域文化研究分科へ進学し、3年(2012年度)冬の授業を履修し終えた直後の2月から、サンクトペテルブルク大学の歴史学部へ一年間の留学をしました。

・概要、留学を決めた理由

私は東大入学当初は理系の学生だったのですが、第二外国語として選択したロシア語の学習を通じてロシア文化の魅力に惹かれ始め、それが高じてロシア東欧科へ進学することとなりました。後期教養学部で学ぶうちに大学院への進学を考えるようになり、自分の語学力や文化に関する知識の不足に不満を感じていた3年生の夏頃、先生から留学の話を持ちかけていただいてロシア行きを決断しました。

私が利用したプログラムは東大の全学交換留学で、私たちはこの制度でペテルブルクへ留学する第1期生でした。私の場合、東大の4年生に当たる1年間を丸々ロシアで過ごしたため1年留年することになりましたが、例えば3年生の夏学期終了時から1年間留学をすれば4年生の夏に日本へ帰ってくることができるので、その後に院試受験や就活をすれば、4年で卒業することも可能だと思います。半年間だけ留学するプログラムを選ぶこともできました。

・授業や大学について

2012年当時の交換留学の規定では、留学先の学部で1コマ90分の授業を週10コマまで履修できると決められていました。そのうちの4コマを留学生向けロシア語の授業に振り替えるオプションがあり、私はそちらを選択して、語学も含めて週8コマから9コマ分に相当する授業を履修していました。

歴史学部には外国人向けの履修コースは無く、私は留学期間中ずっとロシア語で行われるロシア人学生向けの授業に混ざって勉強していました(留学生向けに英語の授業が開講されている学部もあります)。初めのころは、授業を聞いていても全く理解できないという経験もしましたし、試験期間は精神的に追い詰められましたし、他にも色々と苦労はしましたが、何事も最後まで食らいついていけば何とかなるということを学んだ気はします。

もちろん、大学では他の学生と交流する機会もあり、例えば歴史学部では、学期の初めに留学生を交えた学生同士の交流会がありました。そこで知り合った学生からホームパーティに誘ってもらい、ソ連映画よろしくロシア美女が奏でるギターを伴奏に『カチューシャ』を歌ったり、ネヴァ川の美しい夜景をバックに皆でウォトカを飲んだり、なんてこともありましたね。また、ペテルブルク大学には日本語を勉強している学生が意外に沢山いるのですが、彼らは心なしか言動や趣味が日本人学生と似ており、会う機会があればすぐに仲良くなれるのではないかと思います。

・生活について

ペテルブルク市内には大学の寮がいくつかあり、私もそのうちの一つに住んでいました。留学前に、ロシアの学生寮は不便だ、不潔だなどと散々脅されていたのですが、実際に行ってみると案外綺麗です。部屋は1つの個室に2,3人が暮らす形態で、キッチンやトイレが数部屋ごとに1つあります。ルームメイト達の出身地は旧ソ連圏、中国、西ヨーロッパ、南米と様々で、生活習慣も性格も全く違う人間達が一緒に暮らすことになります。そのため、深夜の騒音やゴミの捨て忘れといった極めて下らない原因から人間関係に亀裂が入ったりもしますが、終わってみれば良い思い出です。

生活に必要なものは殆ど寮の近所で買いそろえることができ、東京での暮らしと比べてもそれほど不便には感じません。24時間営業のスーパーが徒歩圏内に二件もあったので、夜型人間にも優しいです。

・文化について

ロシアの文化に触れるためには、ペテルブルクは絶好の街です。演劇やバレエの広告が街中のいたるところに溢れかえっていて、チケットが安く且つお手軽に買えるため、興味が無い人でも「ちょっと観に行ってみようかな」という気分になると思います。音楽ホールも沢山あり、日本で実演を聴く機会はまずないような、珍しいロシア・プログラムの演奏会が頻繁に開かれています。市内のあちこちに大小様々な書店があり、目当ての本を探して店をハシゴするだけでも楽しいです。美術館や博物館の入場料が安い、あるいは学生無料なのも素敵ですね。

・留学後の感想

私自身は、もともと自分の専門分野を決めきれないまま留学した、履修していた授業が全て学部生向けのものだった、自分の力では授業を理解し課題をこなすだけで精一杯だった、などの理由から、留学を通じて専門的な知識を多く得られたわけではありません。もう少し準備をしてから留学に入るべきだったかな、と思うこともしばしばです。しかし、駒場の修士課程に進学した今になって改めて思い出されるのですが、ペテルブルクで思いがけなく学んだことや、お世話になった先生から伺った話、あるいは書店で偶然手にとって買ってみた本が、帰国後に卒論を執筆し、自分の専門分野を決めていく上で大きな役割を果たしてくれたような気がしています。(2015年4月)