【小説】ネオリベにゃんきちと九月一一日新宿原発やめようデモ! 松平耕一
○ネオリベにゃんきちについて
私はこれからネオリベにゃんきちについて語ろうと思う。私は私の手記で、現代においてなされなければならないライトテロルについて明らかにしたい。そして、ライトテロルがどのようなものなのかについて知るには、ネオリベにゃんきちに注目するのが適切なのだ。にゃんきちの日常の生態には、現代において、革命家が直面するリミットが、重層的に織り込まれていると私は考えている。
まず第一に、ネオリベにゃんきちというその生き物は、ぬいぐるみになる役割を負っていたのだということを知ってもらいたい。この世には、そこかしこにぬいぐるみがある。ぬいぐるみは愛らしいものでも愛されるものでもない。ぬいぐるみは人々を見ているものである。ぬいぐるみは資本主義に祝福されている。ぬいぐるみは動いてはいけないことになっていて、にゃんきちは息を詰めてじっとする。人々は、硬直し固まったにゃんきちの前を通り過ぎていく。にゃんきちに興味を示す人はいなかった。たまに幼子がにゃんきちのことに気づいた。三、四歳の子供は、不意ににゃんきちのことをぬいぐるみとして見出し、不思議そうにいぶかしげな目で傾注する。しかし親に手を引かれて、幼子は、にゃんきちの前を去っていく。
ぬいぐるみは、常にすでに、そこにあるだけの存在だ。この国においてぬいぐるみの数が増加したのは、いつの頃からだろうか。ぬいぐるみのことを意識的に見る人々はそれほど多くはなかった。ぬいぐるみは、ひたひたと上がってくる満ち潮のように、そこいらに出現した。ぬいぐるみは建物にあった。ぬいぐるみは公園にあった。ぬいぐるみは歩道にあった。ぬいぐるみは官公庁にあった。そしてぬいぐるみは、人々が人々でなくならないように監査していた。
にゃんきちは位の低いぬいぐるみであった。ぬいぐるみにはランクがある。ぬいぐるみのランクはたとえば、ノーマル、レア、スーパーレアに分けられる。にゃんきちはノーマルのぬいぐるみで、かつ安値の、出来の悪い代物であった。ノーマルのぬいぐるみはこの国に山ほどあったが、レアのぬいぐるみはそれほど多くはない。
あるときにゃんきちは、レアのぬいぐるみたちが大掛かりな仕事をしている場面に出くわしたことがある。その日、建物の中で複数の人間たちが暴れていた。その人間たちは、数十人で隊列をくみ、建物の中に侵入してきた。人間たちの言葉は、にゃんきちには不分明で、聞き取ることができなかった。うめき声や絶叫、悲鳴のようなものを人間たちは吹きあげていた。数十人の若い人間たちは、ぬいぐるみを右へ左へと押し分け建物の中を周回しようとした。
そんなときにはレアのぬいぐるみたちがやってきた。レアのぬいぐるみは、人間たちを殴って黙らせた。レアのぬいぐるみたちは、大勢で、人間たちを一匹ずつ取り囲み、頭を叩いて気絶させた。そうして、人間の右足をつかんだ。左足をつかんだ。両手をつかんだ。人間を宙吊りにして、建物の外に運び出して行った。
もっともそんな激しい出来事は頻繁に起こるものではない。にゃんきちのおおよその日常は、ごくゆったりとした、熱帯魚の泳ぐ水槽のごとき時の流れのなかにあった。にゃんきちは水槽の前のにゃんこのごとく、熱帯魚を見つめた。魚はおおよそ似たような行動をとった。右から黒い魚が泳いできて左へと向かって消える。左から赤い魚が泳いできて右へと消える。金色や黄色や水色の華やかな熱帯魚をにゃんきちは美味しそうだと思った。しかし、多くの魚は黒っぽい地味な色をしていた。魚たちはある枠組みのなかで相対的に複雑な色をし、ある枠組みのなかでくすんだ色をし、海中を、同じようなコースで周回した。にゃんきちは熱帯魚を飽きるまで眺めるとおうちへと帰った。
○二〇一一年九月一一日新宿原発やめようデモ!
その日、人間たちは新宿の街に集まっていた。太陽へと向かうミドリムシのごとく、一匹二匹と、人間たちはどこからか広場へとやってきた。その人間たちは、共通の概念を胸中に抱き、その場所へと光走しているらしかった。にゃんきちは、この日はぬいぐるみとしてではなく、にゃんこ的本性に従ってその場にいた。
人間たちは苛立っているようだった。ある人間はニコニコと笑っていたが、その笑みは、ピリピリとした緊張に裏付けられた破顔のようであった。その笑みを餌として嗅ぎつけ、あちこちから、レアのぬいぐるみたちもまた集まってきた。ある人間は広場の前で演説しようとした。人間たちはその人間を取り囲み、ぱしゃぱしゃと写メを撮った。するとレアのぬいぐるみがやってきて人間に警告をした。人間はにこやかに演説をやめた。人間たちはそこでの言論を封じられ、拡散しつつ別の場所へと移動をした。にゃんきちもまた、新宿の東南口に向かった。
甲州街道と駅の間の、山の谷あいのような小さな広場に多少の人だかりがあった。バンドが演奏をしている。広場の内側には演奏を聴く人々がいて、他方、広場の外側に止められたバンの後ろでは、レアのぬいぐるみたちが運転手を取り囲んでいた。車をそこに置くことの是非を巡り、運転手とぬいぐるみたちの間で意見の交換がなされている。バンドのための車を停めていたいという人間による主張と、車を停めていてはだめだというぬいぐるみによる禁止の旨の押し問答がしばらく続いた。にゃんきちは辺りをふらふらし、少々の時間が過ぎた。
のどかな午後の昼下がりである。一方に新宿の雑踏へと流れるバンドの歌声があり、他方にぬいぐるみと人間の睨み合いが続いていた。そのとき、にゃんきちのもとに、ぬいぐるみが人間を強制的に連れ去ったという電波が届いた。にゃんきちは、にゃんこ的本性に基づき知り合いの人間に電波を発した。そして、知り合いの人間と落ち合い連れ立って、人間が拘束されているというぬいぐるみの城ににゃんきちたちは向かった。
新宿の中央にはぬいぐるみの城がある。新宿のぬいぐるみたちの総元締めであるその城に入るのは、にゃんきちにはまるで初めてであった。場所もその日知った。城の入り口にはぬいぐるみが一体あった。ぬいぐるみは入り口を遮った。にゃんきちの知り合いの人間が、弁護士です、と言って城に入った。付き添いです、と言ってにゃんきちもぬいぐるみの脇をすりぬけた。
城の一階は吹き抜けになっていた。やや広めの空間で誰もいない。大広間に据え付けられた、中空に渡された階段を上がっていくと、昇ったところが廊下になっている。その二階の廊下を抜けて奥へと進むと、カウンターのある開けたオフィスになっていた。弁護士はつかつかとカウンターに向かい、受付の人に何かを申し出た。受付のぬいぐるみは最初「?」という顔をした。しかし、しばらく何事かの情報交換をした後、頷いて、弁護士に三階に行くよう指示をした。にゃんきちは二階の廊下のベンチで待った。
にゃんきちは自動販売機から買ってきたジュースをすすりつつ、携帯電話でSNSゲームをやっていた。GREEの『探検ドリランド』である。ジュースが空になった。ゆるやかに探検が進んだ。
しかし、ぬいぐるみが廊下を出て行き、ぬいぐるみが廊下を入ってきた。ぬいぐるみが右を見て左を見て前を見た。二つのぬいぐるみの影が向こうで立ち止まり、にゃんきちの方を指差した。ぬいぐるみたちは何事かを耳打ちし話し合っている。にゃんきちがトイレに立とうとすると、ぬいぐるみが近づいてきた。ぬいぐるみはにゃんきちに一階に降りるように言った。にゃんきちは一階に降りることにした。
にゃんきちは一階の広間に降り、そこに据えつけられていた平置きの、背のないソファーに腰をかけた。iPhoneのドリランドのページを開き、洞窟を探検する。やがて、にゃんきちの座っているソファーの近くにいくつかの影が立った。いくつかの影は、何事かについて、声を抑えてひっそりと打ち合わせをしていた。そのぬいぐるみたちは、にゃんきちに気を止めなかった。にゃんきちはiPhoneへと視線を落とし、探検を続けた。
やがて、城の入り口から足音高く新たに人間たちが入ってきた。城内に拘束された人間を心配してやってきた人間と、その人間が連れてきた弁護士であった。人間は、まずにゃんきちに声をかけ、そして、そこに立っているあいつらは、あのあいつらだよなと念を押した。にゃんきちは、スーパーレアのぬいぐるみですねと首肯した。人間がやってきて場の緊張が濃くなった。昼食のあと、眠り込みくつろぎまどろんでいたキングモンスターが、自分の鼻前に、探検にきたハンターがいることに突如として気づき、全力で背後に飛び退って、洞窟内全域に響き渡る咆哮をあげたかのようであった。人間の声を聞き、ぬいぐるみが奥の部屋から一体二体とやってきた。人間とぬいぐるみは意見交換をした。そして、弁護士を除いて、人間とにゃんきちは城の外に追い出された。
弁護士が出てこないかどうか事態の様子を見ていてくれと人間に頼まれ、にゃんきちは城の入り口の前で街路の鉄柵に腰をかけた。人間は打ち合わせをするために向こうへと離れた。そうしている間に続々と、新たなぬいぐるみが城の中から出てきた。最後には三〇体ほどのぬいぐるみが、門の前に勢ぞろいに並んだ。三〇体ほどのぬいぐるみは、肩を張り、侵入者を警戒し、まっすぐ正面に顔を向けていた。しかし、三〇体ほどのぬいぐるみは見るとはなくにゃんきちを見ていた。にゃんきちは独り座ってドリランドを探検した。
私はネオリベにゃんきちにまつわるエピソードを一つ話した。私は、現代の革命においてなされなければいけない前提となる諸条件について、この手記で明らかにしたいと思っていた。また何かの機会に、ネオリベにゃんきちにまつわるアネクドートをお話しできれば幸いである。