メインストリーム創刊宣言

1974年、独裁体制下の旧ソヴィエト連邦で、志あふれる有望な芸術家たちが、野外展覧会の開催を決行した。

芸術家として、彼等は当局の「認可」を持たなかった。政情より容易に推測されるごとく、この展覧会は非公式のものであった。けれども、自由の理念に突き動かされた崇高なものであった。

この芸術の申し子たちの勇気ある試みに対し、当局は一体何をしたであろうか。

当局はそれに放水車とブルドーザーを差し向け粉砕した。

誠に悲しむべき暴挙である。

当然、何ものにも代え難き個人の価値を確信する先進的な西側諸国からは、非難の大合唱が湧き上がった。いついかなる国家が人間の尊厳、表現の自由を踏みにじることを許されているというのか。こんな行為は断じて看過されるべきではない!

お前らもそう思ってんだろ?

お前ら戦後民主主義の自由の薫陶を受け、人は生まれながらにして、かけがえのない個性という賜物を与えられ、その個性を最大限に伸ばし、ゆくゆくは存分にそれを発揮できる場が与えられていると信じている者たちよ。

みんな違ってみんないい、とかさらっと言っちゃう愚民どもよ。

お前らは思わないのか。お前のその個性には何の価値も無いのだと。個性の尊重、表現の自由という大義名分に味方されてお前が後生大事に育てているお前の肥大したその内面には、真に守られるべき何ものも、残っていないのだと。いや、初めから何も無いのだと。

お前の個性、それに一体何の価値がある。

価値無き内面を表現する自由に、一体何の魅力がある。

我々の見解はお前らとは異なる。

我々は個性の尊重の大義に甘やかされたお前らの芸術を嫌悪する。

我々は表現の自由の正義に担保されたお前らの内面を憎悪する。

我々はお前らの芸術に放水車を差し向け、ブルドーザーで踏みにじる者たちの一味である。

我々は未だ見ぬ同志に向かって呼びかける。

叫べ、破壊に次ぐ破壊の大きな仕事があるのだと。

万国のブルドーザーよ、団結せよ!

放水車も来たければ来ればよろしい。