文責:山本桜子、東野大地(『メインストリーム』編集部)
2020年2月15日
2019年8月1日から始まった「なごやトリエンナーレ」は予測不能な経緯をたどり、2020年1月7日の「名古屋地裁公演」をもって一旦終幕となった。あいちトリエンナーレとは別物であるなごやトリエンナーレは、あいちトリエンナーレほど知られておらず、既存の解説にも誤りがある。そこで、経緯をできるだけ整理して述べる。一見複雑だし、別の語られ方もできようが、読めばわかるようにすべては単純な話であるーーつまり、警察が悪い。
なごやトリエンナーレ(以下なごトリ)はあいちトリエンナーレ(以下あいトリ)、横浜ビエンナーレなどの芸術祭とはいくつかの意味で異なる。主な相違点を挙げる。
a.「芸術」ではなく「超芸術」を主張する。「超芸術」は既存の芸術全般への批判を含む造語である。意味するところは「政治」と考えられる。
なごやトリエンナーレは政治の手法で芸術に介入を試みる点、およびいわゆる「芸術無罪」の考え方を、芸術本来の力が損なわれるとして批判する点で、ファシスト党〈我々団〉およびその傘下『メインストリーム』編集部に通じる。なごトリにはアーティストは参加せず、作品の展示も少ない(註:例外的に、後述の「表現の萎縮展」では作品展示を行なった。経緯は「きつね」による別記事、および当記事より、1.5および2を参照)。
しかし「反〇〇は〇〇に規定され、主体性を欠く」という考えから、なごトリは「反芸術」は主張しない。
b.現行の政府の助成金や補助金、および民間企業の協賛を受けるつもりがない。
現行の国家を否定するので、現行の国家に資金を得るあいちトリエンナーレなど従来の芸術祭を「官製」として批判する。
ただし、のちに述べるように、現行の国家によるなごトリメンバーの逮捕と裁判に際しては、現行の国家の税金が投入された。これはなごトリの計画した事態ではなく、なごトリの主催したあるパフォーマンスに「参加」した警察と司法が制作者としての主体性を獲得して創り出した新たな「超芸術」ともいえる。なごトリはこの不測の事態に直面して、警察と司法を自らと同じく「超芸術」の主体とみなし、(頼まれてもいないのに容疑者または被告の立場から)指導や批判を斜め上から試みるアクロバティック(こじつけ)な「裁判公演」を行なった(が、警察と司法は意に介さなかった)。
当記事は、なごやトリエンナーレの「裁判公演」に至る過程を記録する。
なごやトリエンナーレは、「あいちトリエンナーレ2019」(開催期間8月1日から10月14日)をきっかけに、2019年初春に計画された。
名古屋の特殊書店ビブリオマニアが発案し、名古屋アナキズム研究会(以下名古屋アナ研)が乗り、ビブリオマニアがフェードアウトし名古屋アナ研主導の独自の活動にシフトした(別記事、および当記事より、1.5および2冒頭参照)。メンバーの逮捕と裁判は名古屋アナ研の主導下で起こったことで、ビブリオマニアは関係ない。
なお、なごトリのサイトは現在閉鎖中であり、当記事は外部サイトによる魚拓を使用した。閉鎖の理由は、サイトに広告が表示されない期間が過ぎたため、とのことである。
なごトリに関する批評では大野左紀子「「なごやトリエンナーレ」への視角」(初出:『情況』2019年秋号)がある。
ゼロ年代以降、日本各地に乱立した「アートプロジェクト」「どこそこなんとかナーレ」は批判を呼んだ。批判の根拠やスタイルは様々である。『メインストリーム』編集部の東野と山本は、助成金を注入してアートを地域おこしに用いようとする行政と、延命のために喜んで利用されるアートはそれぞれ欺瞞的であるとして、2012年頃から福岡や東京のアートプロジェクトに嫌がらせを試みた(『メインストリーム』沿革)。彼らの自己規定は独裁党であり、本来は行政を担うべき側である。そして、独裁の加害者性に対して自覚のない者が民主主義を標榜しつつ独裁めいた振る舞いをすることを批判する。
一方、民主主義の側から、藤田直哉編著『地域アート――美学/制度/日本』(堀之内出版、2016)は、行政を批判しつつも、アートシーンに改善策を提起した。また現行の議会政治家の立場から、さいたま市議会議員の吉田一郎は、具体的に助成金をカットさせることで「さいたまトリエンナーレ2019」を阻止した(さいたま市議会Youtube)。
『メインストリーム』は事態の改善より事態の全滅を望むが、全滅を可能にする機動力がないことと、どう反発しても批判対象に回収されるシステム(「そういう批判もあって当然、一人一人が考え直す機会を創るのがアートです」)に悩んだ。
一方、大阪を拠点にする「トラリープロジェクト」はそれらの「地域アート」「官製アート」批判と距離を取り、グラフィティアートやDJなど、いわゆるアートシーンから離れた人々を巻き込んだり、作品をトラック内に展示し、移動ギャラリーとなす独自の活動を続けていた。トラリーメンバーの小灘は「クーデターズ」名義で、警察を呼ばれるまで路上で騒音を流し、駆けつけた警官や苦情を寄せる市民と直接対話する活動もしており、2016年からは元・観客側だった「チェキスト」と2人で同様のパフォーマンス「騒音の夕べ」(20世紀初頭の前衛パフォーマンス「未来派の夕べ」にちなむ)を開催している。騒音の夕べは、常識とされている欺瞞を突きながら逮捕されない技術を磨く実験、そしてなごトリに先がけて、交付申請書提出等の面倒な手続きをすっ飛ばして自分たちの活動に公金を投入(=警察を出動)させた例でもあった。騒音の夕べは大阪を中心に不定期で開催される(Youtube)。
あいちトリエンナーレに対するなごやトリエンナーレのスタンスは、あいトリなんてぜんぜん意識しておらずむしろ我々なごトリが元祖である、といった旨を強弁するもので、あいトリに対する抗議や批判の形をとらなかった(『情況』2019年秋号掲載の「早稲田アナキズム研究会」によるインタビュー「謎の団体を解剖する」参照)。
一方、2019年7–8月に公開されたHPやステートメント、あいトリと重なる開催期間は一目瞭然にあいトリを連想させ、そのわざとらしさが逆説的に彼らのスタンスを強調している。なごトリは、あいトリが当然目指すとなごトリが大真面目に(勝手に)推測する(フリをする)ものを、あいトリよりもラディカルに追求しようとする試みだったともいえる。
なごトリ公式サイトスクリーンショット
(http://archive.isより 2019.08.09のアーカイブ)
あいトリ公式サイトスクリーンショット
(撮影年月日2020.01.30)
あいちトリエンナーレの芸術監督・津田大介はなごやトリエンナーレの存在を知ると「いろいろ連携していきましょう!」というエールをツイッターで送った。なごやトリエンナーレはこの(おそらく)社交辞令を大真面目に受け取った(フリをした)。
津田大介のツイート
(2019年7月24日)
名古屋アナキズム研究会、トラリープロジェクトと騒音の夕べ、『メインストリーム』を繋ぐ具体的存在として、右翼・左翼・ファシズム・現代芸術を横断する思想を展開する大阪在住の思想家・千坂恭二がいる。メンバーの一人(註:前述の小灘)が右翼団体・超国家主義『民族の意志』同盟であるトラリーは大阪・千日前の拠点トラリーナンドで2014年2月から毎月、千坂恭二の思想研究会を開いている。また、メンバーの一人が『民族の意志』同盟である(註:後述の室伏。現在は除名されている)名古屋アナキズム研究会は千坂のテキストで読書会を開き、ビブリオマニアで2018年11月に千坂講演会も行なっている。『メインストリーム』もその上部団体ファシスト党〈我々団〉も千坂を参照しつつ独自に活動している。名古屋・大阪・福岡の各団体は右翼・左翼・ファシズム・現代芸術の交流を持ち、千坂がその媒介となっていた。
なごやトリエンナーレの母体である名古屋アナキズム研究会とビブリオマニアの目指すものは異なっていた。
名古屋アナ研は政治思想的な面の強い新興ラディカル団体で、千坂恭二の影響下にあって「現状の全否定、作品の否定、名古屋の砂漠化」を主張した。
一方、名古屋の文化シーンに長年携わるビブリオマニアは「名古屋は既に砂漠だ」と言い、その中で「蜃気楼を打ち立てよう」と主張し、あいトリ的なアートシーンから外れたサブカルやアンダーグラウンドの作品展示をして文化を盛り上げたいと考えた。両者の共通項と違いは別記事が詳しい。
なごトリは名古屋アナ研の主導で進み、2019年7月の時点で作品展示抜きで3つのイベントを企画していた(註:のちにビブリオマニアの主導で作品展示「表現の萎縮展」が加わった。別記事、および当記事より1.5および2を参照。また、あいトリ「表現の不自由展・その後」の再開に対して10月8日に名古屋市の河村たかし市長が行なった抗議の座り込みを、勝手になごトリのイベントとして「承認」した。当記事より2.3参照)。
a. プレイベントとして騒音の夕べをあいトリのメイン会場=愛知芸術文化センター前で行なう。
b. 千坂恭二と『メインストリーム』のトークをやはり芸文センター内で行なう。
c. 「レプティリアン排外デモ」を監督。
しかしa. の後になごトリのメンバーが逮捕されたため、先に触れたように、なごトリは不慮の事態にアクロバティックな解釈を施し、被疑者の収監される警察署と、公判の行なわれる地方裁判所をもなごトリ会場であると主張し、「警察署公演」と「裁判公演」を行なった。
以下、その経緯を述べる。「裁判公演」に当たっては章を改める。
① 騒音の夕べ
あいちトリエンナーレの開幕日2019年8月1日に合わせて、なごやトリエンナーレも開幕を宣言した。なごトリは開幕プレイベントとして開幕前日7月31日に騒音の夕べを招聘した。小灘も、なごトリに呼ばれる前からあいトリへの介入を考えていた。騒音の夕べの主宰者2名は4tトラックで大阪から来名し、愛知芸文センター前で大音量で騒音を流し、慌てた芸文センターの職員に呼ばれた警察といつものように押し問答を展開した。引き際を心得ている彼らは、大事に至らず無事撤収した。なごトリの数名はパフォーマンスには参加せず、動画撮影とビラまきをした。
この際、騒音の夕べで使用した絵具が舗道についた。彼らは絵具の汚れを落としたが、念のため後日掃除に行くことにした。
② 連携
8月2日、後述の室伏を含むなごトリの数名は「8.2『表現の不自由展』粉砕行動」と称し、津田の「連携していきましょう!」のツイートをプリントして掲げ、「連携しにきた!」と芸文センターを訪れた(ツイッター(1 / 2 / 3 / 4)参照)。
あいトリのアンチではないと言いつつ「粉砕」と称するこのなごトリの試みに関しては、どれも断片的ではあるものの上記ツイートの動画内の発言から以下の解釈が可能だ。
彼らは、「表現の不自由展・その後」を行なうあいトリが、前々日の騒音の夕べに対しては警察を呼んだ、ということに言及している。「粉砕」というのは括弧付きのレトリックであり、「粉砕」という「表現」に「表現の不自由展・その後」およびあいトリ側はどう対処するか、という踏み絵的な実験だった。なごトリは芸術表現全般を批判するため、ここでいう「表現」もまた括弧付きレトリックである。「表現の自由」を支持するあいトリも、想定外の何かが来たら排除する。あいトリの理論一貫性を信じる(なごトリはそれを信じる、または信じるフリをする)とすれば、その時その想定外の何かは「芸術表現」ではないということだ。では何になるかというと、それがなごトリのいう「超芸術」ではないだろうか。なごトリはあいトリを批判しつつ、「芸術表現」以外の基準を持つ「超芸術」の同志として褒め殺しているようにも思われる(註:「表現の不自由展・その後」とあいトリは厳密には実行委員会が異なるが、他人の催し物にケチをつける場合に他人の組織の内情を調べてからつける義務はケチをつける側になく、誰がどう対応するかはケチをつけられた側の考える問題である。現に、騒音の夕べにおいて散布された騒音に対し「やめてくれ」と言いにきた側は、騒音の夕べとなごトリの関係などを調べてから来たわけではなく、誰が責任者だろうとやめてくれさえすればよかったのである)。
① 掃除
8月7日、再び来名した小灘は、先日の騒音の夕べで舗道についた絵具の清掃をパフォーマンスとして演出し、なごトリからは室伏と若手メンバーSの2名が加わった。彼らは水を入れたバケツを持ち、舗道を雑巾掛けした。このパフォーマンスは赤瀬川原平「首都圏清掃整理促進運動」(1964)の批判的継承といえる。赤瀬川をパロディ化し、彼を想起させるパフォーマンスをすることで、彼の「芸術無罪」的な主張との違いを明らかにし、批判として機能している。
② 「水かけ逮捕」
3名は、うっかり絵具を踏んだ人が靴につけたまま中に入ったかもしれないと懸念して、あいトリ開催中の芸文センター屋内に入り、「表現の不自由展・その後」会場がある8階の床を雑巾掛けした。あいトリ内の「表現の不自由展・その後」は、昭和天皇の写真を燃やす映像や慰安婦像に似た像などの展示が波紋を呼び、多くの抗議が寄せられており、その中には7月18日に起こった京アニ放火事件を匂わせる「ガソリンを撒きに行く」などの脅迫もあった(註:犯人の1人は後日逮捕された)ため、芸文センター内の警備は強化されていた。
小灘となごトリの室伏は共に極右団体のメンバーでもあり(註:室伏は現在除名)、彼らの来訪は「表現の不自由展・その後」への右派の立場からの抗議と取られかねないが、関係なかった。また室伏はヘルメットと覆面のうえ濃紺色の「中山服(人民服)」を着用していたが、これも「表現の不自由展・その後」への抗議とは関係なかった。
何やら液体を持ってきた異様な3名は通報を受けて集まった警官多数に囲まれたが、警察対応に慣れた小灘は事を荒立てずに撤収するつもりで警官がいる中ぞうきん掛けをした。一方、警官はなごトリの若手メンバーSが運動初心者であると気付き、Sの撮影していたカメラを止めさせたうえで(註:公務中の警官に肖像権はほぼないので撮影を止める必要はない)他の2名と分断しようとした。小灘は撤収しようと警官2名とともにエレベーターに乗り、室伏も続いたが、Sは警官らに囲まれたまま残されようとしていた。警官を止めてSを乗せようとしたが聞き入れられなかった室伏は、このとき、位置的な事情からこの分断に気付かなかった小灘が室伏の持つバケツの水を、ガソリンではないか、と茶化す旨を聞いた。室伏は、咄嗟に「ガソリンだ」と言いながら床に水を撒いた。警官らのSへの注意は室伏へと逸れ、室伏は公務執行妨害で逮捕された。
③ 報道
京アニ放火事件への市民の怒りが冷めやらぬ中で、実際に撒いたのが水であったにもかかわらず、室伏の逮捕は「あいちトリエンナーレにガソリン男が侵入」「警官に液体をかける」といった扇情的な報道をされた(身分証を携行していなかったので実名に「自称」が付いて報道された)。
マスメディアの報道を正す目的で、知人によりいくつかの解説が書かれた。
a. 8月12日 外山恒一「「なごやトリエンナーレ」事件について」 トラリー・クーデターズ・騒音の夕べ・なごトリを混同したり、『メインストリーム』・トラリー・なごトリがまとめて「反芸術」グループとされているなど、不正確な点がある。
b. 8月12日 清義明「あいちトリエンナーレ「ガソリン事件」の笑うに笑えないハナシ」
c. なごトリの「8.7芸文センター清掃行動声明文」 接見などを経て室伏と連絡を取り合ったなごトリのメンバーが発表した。最も正確。
清掃行動声明文
④ 勾留
通常は48時間以内に釈放される軽微な事件だが、室伏は17日間、名古屋東警察署に勾留された。
名古屋の左派系のカフェバー「Queer+s(クイアーズ)」の店長と常連客が救援会を結成し、弁護士の手配・接見・メディア対応・警察署前での街頭演説など、救援活動を行なった(記者会見Youtube1 Youtube2)。
この勾留に際して、室伏と獄外のなごトリメンバーは、「我々はなごやトリエンナーレを警察署内で開催中である」と、能動的な設定を宣言した。これは、「革命家は獄中にあっても弾圧される側ではなく世界を弾圧する側である」という千坂の主張に基づくと思われる。室伏は最初の接見で「なごやトリエンナーレ会場へようこそ」と述べた。
逮捕・勾留を通して、なごトリの「超芸術監督」に関する設定が明言化された。なごトリのヘルメット(室伏が逮捕時に被っていた黒塗りのゲバヘル)を被った者が超芸術監督とされる。これは、誰がなごトリのリーダーか撹乱させる意図に基づく。なごトリはヘルメットの複製を呼びかけた。
室伏は連日「獄中通信」を作成した。これは作品ではなくあくまで「生産物」として発行された。
なお、逮捕や勾留の費用は税金で賄われるため、なごトリは一部、助成金によって運営されたと考えることもできる。前掲の「8.7芸文センター清掃行動声明文」には「結果として東警察署は『なごやトリエンナーレ』のメイン会場となり、図らずも我々の事業にも税金が投入されることになった」という箇所がある。
⑤ 略式裁判
この「水かけ(水撒き)逮捕事件」は公務執行妨害の罪状により刑事事件として起訴され、略式裁判を経て20万円の罰金刑の判決が下り、室伏はこれを支払った時点で釈放された。
比較的軽微で罰金刑が妥当とされる事件の場合、起訴~裁判は略式、つまり検察の起訴状に基づいて判事が判決を下す非公開のものとなる。被疑者は罪状と罰金を言い渡されるが、なぜその判決に至ったのか詳しく知ることはできない。しかし罰金を納めれば釈放されるため、多くの被疑者がこれを呑む。また、14日以内であれば正式な公開裁判を求めることができるため、一旦略式判決に従って罰金を収め、改めて提訴するケースも見られる。
①千坂恭二×『メインストリーム』対談「アート・反アート・現在・たぬき」
②その他パートナーシップ事業
例えば、クイアーズ周辺の「がかるんか分会」が主催し、なごトリのメンバーが監督を派遣した「レプティリアン征伐国民大行進」は、なごトリのパートナーシップ事業として、陰謀論と排外デモのバカバカしさを批判的にあぶり出すパロディとして企画された(と思われる)が、理解されず、ヘイトデモのカウンター側から批難された。
③「表現の萎縮展」
④「表現は不自由展・坐る」
なごトリは、一度は中止となった「表現の不自由展・その後」の再開に対し名古屋市の河村たかし市長が行なった抗議の座り込みをなごトリのイベントとして勝手に承認し、「表現は不自由展・坐る」と名称を与え、ビラを撒いた。
アート・反アート・現在・たぬき
レプティリアン征伐国民大行進
表現の萎縮展
表現は不自由展・坐る
前述のように、勾留中に室伏の受けた判決は略式裁判に基づくものだった。略式裁判では判決に至る過程や罪状の成立する根拠は被告さえ知ることができないまま、事件は一方的に処理される。室伏はこれを不服とし、正式裁判を求め、2019年11月から2020年1月にかけて3回の公開裁判が名古屋地裁で行なわれた。
なごトリは裁判を「なごやトリエンナーレ・地裁公演」として演出した。「裁判公演」というと赤瀬川原平の「千円札裁判」(1965–1967)が思い出される。しかし、赤瀬川の「芸術無罪」の論法をなごトリは批判しており、室伏は「表現だから無罪である」とは主張しない。被告側は無罪を主張するが、それは「公務執行妨害罪の略式判決に対する異議申し立て」という法廷戦略としての「無罪」であり、室伏は自分がこの件のすべてにおいて無罪であるとは言わない。判決後の記者会見で室伏は「公務執行妨害罪の判決も罰金も、下すなら下す、課すなら課すでいいが、このバカバカしい事件の経緯と罰金の根拠をしっかり示してからやれ、ということで裁判にした」「略式裁判で言い渡された公務執行妨害罪は、どこにいるのかわからない相手に向かって犯すのは不可能な罪だ(妨害を主張する警官がどこにいたのか、顔も認識していなかった)。『怪しい液体を撒いた』と言う言葉も取り払い、撒いたのは水だとはっきりさせたい」と述べる。
したがって、「裁判公演」は、「水を撒く」という、本来なら注意勧告程度が妥当な微罪に公務執行妨害罪を適用し、逮捕・勾留・起訴し、あくまでも水をガソリンであったかのようにアクロバティックな粉飾を試みる警察・検察の大げささと被害者意識を、なごトリの十八番である上から目線でアクロバティックに皮肉るものとなった。この裁判は、公務執行妨害罪が成立する根拠を問い、警察・検察が法というものに対して恣意的であることを示す機会、という位置付けが可能だ。警察・検察の恣意的な捜査や起訴は、オウム事件・袴田事件・志布志事件などで既に明らかだが、「裁判公演」はそれら大事件の小規模かつ本質的な原型をコンパクトに提示するものとなった。法の公正さを熱心に追求する良き市民といえないこともないだろう。
ところが、加えて室伏は「公務執行妨害はなんでもありのロクでもない法律なので、そのようなメチャクチャな法の下ではどんな判決だって法的に成立して当然だ」と述べる。つまり、「公務執行妨害罪に当たらない」「ゆえに(公妨罪においては)無罪」という室伏の主張は、前述のように法廷で求められる論法と言葉に合わせた法廷戦略であるだけでなく、「(現行の)公務執行妨害罪には根拠がない」「ゆえに自分が、またはどんな人でも(現行の)公妨罪において有罪な可能性がある」という認識を「良き市民」の論法と言葉を使って表す複雑なレトリックといえる。もしも略式裁判が諸々の曖昧さを取り払った上でなされ、「バカバカしい悪ふざけだがとにかくなんでもいいので20万払え」などと命令されたとしたら、自分は正式裁判にはせず黙って払った、と室伏は述べる。つまり、無根拠であるはずの法と国家が中途半端に根拠や合理性を常識として装うことを批判する。これは、なごトリの母体がアナキズム研究会であり、国家の無根拠性と法措定的暴力を問う団体であることに関係するだろう。なごトリの作った「裁判公演」ビラのコピー「どちらが勝っても、民主主義に未来はない。」は、このあたりを含意すると思われる。
「裁判公演」をやるということを被告は以前より決めていたが、その論旨には他に複数の案があった(例えば、罰金20万円に対して情状酌量を申し立て、19万8千円に値下げしてもらう案など)。裁判をパフォーマンス化する「裁判公演」の案は、外山恒一が過去に行なった法廷パフォーマンスを参照している(獄中手記 福岡暗黒裁判 人権派を批判する物に人権なし)。外山自身は赤瀬川を参照している。
「水かけ逮捕事件」「警察公演」に引き続き、「裁判公演」も判事や検察、さらには弁護士、傍聴人などさまざまな「参加者」の思惑によって展開が変わるある種の「参加型パフォーマンス」だったともいえる。なお、判決により裁判費用は被告の負担となったがその内訳は国選弁護人の費用であり、判事や検察の報酬や地裁の維持費・廷吏などの報酬は税金で賄われている。なごトリはまたも、助成金によって運営されたと考えることもできよう。
「裁判公演」のチラシ。検事は別の人に交代した。
以下、公判の概要を述べる(要約筆者)。
2019年11月19日13:30開廷。傍聴24名(なごトリや救援会や東京から来名した知人らの他、傍聴マニア的な人が数名)。報道陣11名ほど。廷内に手荷物を持ち込めない厳重警備で、「水かけ逮捕事件」の前に「ガソリンを撒く」とあいトリを脅迫した男性の裁判より厳重とのこと(男性の裁判も傍聴している被告と救援会の談)。
初回である第1回公判は、検察と弁護側と被告が事件概要と提出する証拠を確認し、それぞれの主張を述べる。
①被告への同定質問
起訴状にある人物とここにいる人物が同一人物であり、この起訴状に基づいてこの人物を裁いていいか判事が確認する作業。姓名・年齢・本籍・職業に関する判事の質問に対し、被告は「名乗っていない」「記憶にない」「言いたくない」と返答。判事は検察に「起訴状の人物とここにいる人物は同一か」とたずね、検察は同一であると認めた。
②検察官による控訴事実の読み上げ
8月7日、愛知芸文センターに「不審者がいる」と通報を受けた警察官アマノらが被告の知人に職務質問をしていた際、被告が「ガソリンだ」などと言いながら液体を撒き、職質を中断させた旨を述べる。
③被告による罪状認否(文末附録「罪状認否」原稿参照)
被告は傍聴席に向かって「なごやトリエンナーレ会場へお越しいただきありがとうございます」と述べたあと、起訴事実の確認を求める判事に対し、「液体ではなく単なる水」「かけたのではなく床に流した」と述べ、「警察は自分のした程度で公務を妨害されるような軟弱な組織ではないはずだ。警察に対し、超芸術的にダメ出しをする」旨を主張した。
③弁護士による確認
「被告人に同じです」と述べる。
④ 検察、弁護側双方の提出する証拠の確認
捜査段階での被告や現場の警官の供述書、事件再現時の写真、「液体」の鑑定書などが挙げられる。また、検察は「液体の撒き方と警官との距離」を証言する証人の喚問を請求した。
一回公判後の新聞記事。中日新聞
朝日新聞
第2回公判告知
2019年12月24日13:30開廷。傍聴24名、報道陣7名ほど。厳重警備は前回と同じ。
2回目の公判では、公務執行妨害の意図の有無が争点とされた。事件当時の被告の水の撒き方や、撒いた先にいた相手の属性と位置、捜査段階で述べた動機と法廷で述べる動機の違いとその理由、「ガソリンだ」と言いながら水を撒いた意図、その発言が周囲に与えた心理的影響の有無、などが問われ、現場にいた私服警官が検察側の証人として検察・弁護側双方から尋問された。また、被告も双方から尋問された。
①検察側の証人への検察からの質問
証人として、被告が水を撒くところを同じエレベーター内で見ていた私服刑事サイトウが喚問された。サイトウは被告の近くにおり水がかかったが、検察はそのことには特に触れず、被告の撒いた液体が別の制服警官アマノに向けられたということを問題にする。これは、私服警官は一般人と見分けがつきにくく、公務執行妨害の意図を問いにくい、という検察側の事情による。ただしサイトウは見事な体躯で、インカムをつければ私服警官であることが瞭然だったと思われる。
検察の質問に対しサイトウは、事件当時エレベーターに小灘らと乗ったところ被告が乗り込もうとし、それを阻止しようとしたが、被告は乗ってきたのちに何かを言いながら水2.8リットルを床に流し、被告の70センチほど前にいた制服警官アマノの靴や裾にかかり、そののち被告をエレベーター外に連れ出した経緯を述べた。なお、被告が「ガソリンだ」と言ったかどうかサイトウはわからなかった。
②検察側の証人への弁護士からの質問
弁護士は被告の水の撒き方が人に向けたものではなく床に向けたものだったこと、勢いをつけていなかったことを確認した。
③検察側の証人への判事からの質問
判事は、捜査段階ではサイトウは小灘か被告のどちらかが「ガソリンだ」と言ったと供述しているが、今になって「小灘か被告のどちらかが何かを言ったが、その内容はわからない」と答えた理由を聞いた。サイトウは、被告の調書を確認して「ガソリンだ」と言ったと供述していることを知り、現場でもその言葉を聞いたように思ってしまった、という、検察側にとって若干不利な答えを返した。
④被告への弁護士からの質問
弁護士は、事件当日のパフォーマンスの発案者と現場の責任者は被告ではなく小灘だったこと、小灘が主導するパフォーマンスは逮捕者を出しておらず当日も逮捕されると被告は予想しなかったこと、など、情状酌量に関わる問題を問うた。また、エレベーターに乗ろうとした際サイトウに阻止されたと被告は認識していないこと、エレベーター内の警官の位置をはっきり認識していないこと、したがって警官に向けて水を撒く意図がなかったことを聞き出した。自分の持った水に対する小灘の「ガソリンではないか」との発言については、それは関西のコンテクストであり、「誰もがガソリンではないと知っているがこれをガソリンとして扱ってくれ」と言われたと理解したと述べ、誰もガソリンだと勘違いするとは思わなかったと述べた。また、撒くことで警官を妨害できると思ったかという問いに対しては、その時は瞬時に体が動き、そこまで考えていなかったと述べた。
④被告への検察からの質問
検察は、京アニやあいトリに脅迫があったことを知っていたか、知っていたならば液体を撒いたらどうなると思ったかと尋ねた。被告は、そこまで考えていなかったと繰り返した。考えないで体が動くのか? という質問に被告は「『異邦人』の人がそうだったように、太陽が黄色いから人を殺すという人もいる」と答え、怒った検察の「あなたはそういう人なんですか」という問いに対しては「誰でもそうではないですか」と答えた。また、捜査段階では「周りを撹乱するために撒いた」と言ったが今になって「考えていなかった」というのはおかしい、という検察の主張に対し、「撹乱の話は警察や検察へのお土産だ。太陽が黄色かったからといった話をしても、頭のいい警察や検察はわからないだろう。合理的な話をしなければいけないでしょう」と述べた。
第3回公判告知
2020年1月7日13:30開廷。傍聴23名、報道陣7名ほど。厳重警備はこれまでと同じ。
3回目の公判では、公務執行妨害罪を主張する検察とその無効を主張する弁護側双方の論拠と被告の意見が述べられた。通常は日を改めて言い渡されることの多い判決だが、その場で言い渡しとなった。
①検察の意見
被告が「ガソリンだ」と言って水を撒いたことは公務執行妨害罪にあたる。物理的に、被告とアマノの間の狭い面積に対して多い水で水浸しになりアマノ自身にもかかったので、職質を中断したことが事実だからだ。
加えて、京アニ事件や芸文センターへの脅迫があったという文脈で「ガソリンだ」と言って水を撒くのは脅威であり、アマノは当然これをガソリンだと信じた。また、被告はバケツ以外にもガソリンを隠し持っている可能性があった。
捜査段階では職質の妨害を意図した旨述べる被告は、公判段階でそれを翻す供述をしているが、独自の理屈であって信用ができない。被告は独善性を満たすためなら何も厭わず、再犯の可能性がある。罰金20万円を求刑する。
②弁護側の意見
公務執行妨害罪には当たらない。液体は水に過ぎない。このことは略式判決では曖昧にされている。また、撒き方も人に向けたものではない。更に、被告はアマノがどこにいたか位置を認識していない。よって、警官に向けたものではない。
アマノは「匂いがしないのでガソリンだと思わなかった」と供述しており、また小灘の「ガソリンではないか」という発言の調子もふざけたものだったと言っている。つまり、小灘も被告もふざけていると思うのが当然であり、周囲の誰もが水をガソリンだと信じていなかったことは捜査段階の調書でも明らかである。
どこかにガソリンを隠し持っている危険があった、という検察の主張は、警察が呼ばれた段階で被告らを職質し、身体検査が済んでいるので不自然である。ガソリンの存在を察知するならば早急に逮捕しているはずであり、現場にそのような緊張感がなかったのは検察の主張と矛盾する。また、被告に触れていないというサイトウの証言はエレベーターの大きさを考えると不自然であり、このことからサイトウの記憶は全体的にあやふやであると考えられ、証拠として機能しない。
捜査段階での職質の妨害を意図した旨述べる被告の供述は、言っても伝わらないだろうという諦めと迎合であって真実ではない。
当日の主導者は小灘であって被告ではなかった。また被告は初犯であり、誤った報道が実名でなされたことで社会的に制裁を受けている。したがって情状酌量が加味されなければならない。
③被告の意見(文末附録「最後の一言」原稿参照)
我々は自らの表現が無罪であるとは言わない。本件は、検察の下した略式令が超芸術性に欠けると判断して正式裁判にした。たまたま少量の水がかかったくらいで、公務を預かる我が国の警察が公務執行妨害を言うとは何事か。しかし、恐れ多くも天皇陛下の赤子たる警官と天皇陛下の芸文センターに水をかけたのは悪かった。よって、天皇陛下万歳を三唱する(ここで共に万歳三唱した名古屋アナ研の2名が退廷となった)。
④判決
被告を公務執行妨害罪で罰金20万円に処す。完納出来ない時は1日5000円換算で労役に当たるものとする。裁判費用は被告の負担となる。不服があれば14日以内に控訴できる。
被告の撒いた液体が単なる水であったことは認めるが、「ガソリンだ」と言って撒いたことは(サイトウは覚えていないが)アマノと被告の供述から立証されており、これはアマノへの暴行脅迫に当たり、職質を妨害したのだから公務執行妨害に当たる。
このあと、室伏は傍聴席に向かい「主演裁判官に大きな拍手を」と述べ、判事は速やかに退廷するように促した。
⑤記者会見
裁判後、救援会の主導で記者会見が開かれた。「裁判公演」と銘打ったのはどういう意図か、という質問に対し、室伏は次のように述べた(要約筆者)。裁判をしたのはあくまで表現が目的ではない。事件の起きた流れが明らかでないのは嫌だったので正式裁判にした。公演はそのおまけとして考えたことだ。「表現無罪」とは言わないし、表現活動のためにやったことではない。逮捕は予想外だったが、逮捕されたときその状況をただでは済ませないと決め、この状況を「公演」だと言い張ろうと決めた。裁判もその延長だ。警官への脅迫暴行の意図はないが、水を撒いた事実は否定しない。事件の経緯さえ明らかになれば、20万円払えと言われても異存はない。
また、最後の万歳三唱については次のように述べた(要約筆者)。この裁判には、国家への「褒め殺し」という流れがあった。その締めくくりとして「天皇陛下万歳」を言った。
なお、被告は控訴を考えておらず、罰金はすでに納付している。被告負担の裁判費用の額面は、2020年1月31日現在、まだ通達されていない。
附録:
第1回公判の室伏「罪状認否」原稿
第3回公判の室伏「最後の一言」原稿
『レビューとレポート』第9号(2020年2月)掲載