反原発デモと日の丸——素人の乱VSはてなサヨク 松平耕一
常野雄次郎が松本哉に猛然と抗議する様子が感慨深かった。二〇一一年六月一一日、「素人の乱」主催の新宿反原発デモにおける出発前アピールが行われている最中、壇の下での一幕である。主催者発表二万人(東京新聞では数千人としていた)の、この日の反原発デモでの出発前アピールでは、日の丸を掲げ突如壇に登った男と、その男に抗議し詰め寄り、壇上から降ろさせた男との揉め事に注目が集まった。これらの一連のハプニングについて、詳細に語ると入り組んだ話になってくる。もしも興味があるなら、たとえば、トゥギャッター「“6.11新宿・原発やめろデモ”と“ヘイトスピーチに反対する会”の衝突」やブログ「ヘイトスピーチに反対する会」を見ればおおよその事態は把握できるだろう。松本哉の「素人の乱」主催の反原発デモにおいて、「統一戦線義勇軍」のメンバーがデモの出発前アピールに招かれていたが、「ヘイトスピーチに反対する会」のメンバーがそのことを批判し、これを取りやめさせた。さらに当日、その件に反感を抱いた「統一戦線義勇軍」寄りの若者が、日の丸を持って突如壇上に乱入し、これに対して「ヘイトスピーチに反対する会」寄りの人物たちが、抗議を行い壇から下ろさせた、といった出来事であった。
この「ヘイトスピーチに反対する会」側の人物たちのうちの一人が常野雄次郎である。常野らは、この揉め事に気づき近寄ってきた松本哉にも、なぜ日の丸を持った男が壇にあがったのか説明を求め、激しい勢いで批判を浴びせていた。私はこの一連のトラブルは、ある一つの限定された見方においては、「日の丸」反対派の「はてなサヨク」の常野雄次郎と北守(ほくしゅ)が、日の丸を遠まわしに容認した松本哉に異議申し立てをした事件であったと考える。
「はてなサヨク」は常野や北守をメンバーとする、左翼系はてなダイアラーにつけられた呼び名である。本事件では「ヘイトスピーチに反対する会」にとりわけ注目が集まったが、もともと最初に六・一一新宿反原発デモの主催者の意図をいぶかり、弾劾し始めたのは北守であった。事の発端は北守による、ツイッターでの6月9日23時の次の発言にある。「【拡散希望】左翼の友人諸君へ:植民地主義・差別・不平等の問題に他ならない原発の問題において、差別と侵略戦争を肯定する右翼の参加を拒まないならまだしも、壇上でアピールさせることは最早妥協不可能です。6.11新宿の運動に「参加しない」ことを強く呼びかけます。」
「ヘイトスピーチに反対する会」に北守は所属しているが、このツイートは、北守が個人でまず、最初に公にした意見である。「ヘイトスピーチに反対する会」の見解表明は、上記の北守の意見の後に出されたものだ。
これに対してデモ主催側である松本哉の応答は速かった。六月一一日の当デモ開始前までにはすでに次の文句を松本は自分のブログに書き込んでいる。「最初、右翼団体の重鎮の針谷さんという人にもアピールをお願いする予定だったんですが、なんだか反対意見も多く、結局なしになったとのこと!/う〜ん、残念! 自分的には右翼団体の考えはよくわかりませんが、右翼の重鎮からの反原発演説、聞いてみたかったんですけどね〜。いやー、残念残念!/ま、そういう細かいことよりも、明日は14:00から新宿中央公園にて大集会!!!!」
高円寺界隈のストリート系左翼として名高い松本と、「はてなサヨク」として知られる常野・北守(ほくしゅ)が交錯するこのアクシデントを珍しく思う。松本は九〇年代後半の法政大学における学生運動で名を挙げ、ゼロ年代を通じてリサイクルショップの経営をしつつ、独創的なデモを連発することで、現代思想界隈のメディアで大いに露出するようになった。さらに、四月一〇日の高円寺での反原発デモ、五月七日の渋谷の反原発デモで、それぞれ主催者発表で一五〇〇〇人の老若男女の一般市民を集め活況を呈した。松本の思想のスタイルはある種のソクラテス的な「無知の知」といったものだと私は認識している。教養を前提することのないシンプルなスローガンのもとに、大いに遊び騒ぎつつ人を巻き込む、行動主義的で大衆的なものである。
一方、松本より一世代下のはてなサヨクであるところの、北守と常野は、ネット活用のやり方に一つの特徴がある。彼らは広い教養のもとアカデミックで含蓄の深いエントリをブログにつづり、要所で急進的な行動をなし、その一部始終をネットにあげる。松本のごとき大衆動員性は欠くものの、読ませるテクストと見せるパフォーマンスの連携が興味深い。私見によれば、松本においては、法政大学にて、中核派との緊張関係のなかで、ある種の「無知の知」の思想と、娯楽的な大衆性が決断されていったところがある。一方、北守と常野らのはてなサヨクは、ネットの海の中での活発な議論の応酬のなかから、自然発生してきた学生運動のごとくで、その原理主義的な思考と厳格かつ潔癖な行動様式は、私には、一昔前のセクトの若者に近似的に感じられる。
日の丸や天皇制、排外主義と植民地主義への批判を課題としてきた彼らには、大衆的なネーションの感情と結びつくことで草の根ナショナリズムへと回帰しうるかのような松本の運動は、敵方に与するものと捉えられたのだろう。松本が「統一戦線義勇軍」のメンバーの登壇を容認したことなど、一つにはリサイクルショップの経営者としての現実的で世俗的な判断があったのではないかと想像する。
一方、北守・常野の側は世俗的利害に対して超越的である。反原発デモの公的な壇上に掲げられた日の丸を引きずり落とすというのは、一昔前ではセクトの若者らに任せられる役割であったのではないかと思うが、セクトの勢いの落ちた一〇年代において、彼らは一つの「左翼のなかの左翼」として異彩を放っている。
さて、私たちは何を「弾圧」すべきであり、また、何に「弾圧」されうるのか、といったことについて考えたいというのがこの小文のテーマであったのだが、「素人の乱」と「はてなサヨク」の間で起こった衝突について考察するにあたって必要な、関連するいくつかのトピックを足早に概観しまとめに入る。
二〇一一年三月一一日に起こった東日本大震災は、現代日本史に残るであろう最悪の津波災害と、人類史における未曾有の原発事故を引き起こした。その結果として、東北地方および福島に、極度の災厄が集中して生じた。この災厄は私の言葉で言えば「現実的なもの」なのであるが、震災の結果、この「現実的なもの」は、日本の被災地域に特殊な形で可視化された。結果として、「現実的なもの」に見舞われた被災の深い地域と、被災の軽微な地域で、日本国内部での格差が深く広がった。もともと、国家の一つの役割には、強奪と再分配というものがあり、国家は国民間での不平等を解消し、格差を是正しようとする機能がある。震災後に、被災者と、被災者以外の国民との間で深くなった溝を埋めるために、現在の日本ではナショナリズムが活発化している。社会問題に関心を抱く、正義感の強い人たちの間で、国家が適切に被災地を救済するよう、政府が主導力を発揮し、その役割が強化させることが、期待されている状況でもある。
そこで、はてなサヨクが松本哉主催のデモにおいて、「日の丸」という表現を壇上から引きずり落とし、ある意味で「弾圧した」ことは、どのように評価できるのであろうか。合わせて視野に入れておきたいこととして、たとえば「日の丸・君が代訴訟」がある。石原慎太郎が都知事になって以来、都教育委員会による通達から、都立高校の教職員において、日の丸を掲げ、君が代を斉唱させる卒業式などでの習慣が徹底され、これを守らない教職員が処分されるようになった。その結果として定年後の嘱託採用を拒まれた教員たちにより、都内の各所で訴訟が始まった。そして一一年現在、高等裁判所での判決が次々と下されている。その結果、日の丸・君が代に反抗する教職員の処分は合憲であるということで決着がつきつつある。つまり、石原慎太郎および日本というステートは、日の丸・君が代に反抗する表現を「弾圧」する体制を強靭にさせることに成功している。
また、街頭表規制の問題もある。たとえば、今国賠訴訟が争われている麻生邸リアリティツアーでの二〇〇八年の逮捕事件などからも分かるように、東京都の公安条例は、戦後間もない時期から二十一世紀の一〇年代の現在に至るまでの間に、街頭での集団表現の規制を強めてきている。現行の都条例では、デモは警察による許可制であり、七二時間前までに警察に届出しなければならない。それどころか、デモ類似行為でもデモとみなされ逮捕される、悪質な取締りすら生じている。そのため、人々が思い立ったときに気軽に集団で街頭表現する自由が、制限されうる事態が生じている(広田有香「「麻生邸国賠」と街頭表現規制問題」『新文学03』)。このような警察による街頭表現の弾圧をどのように考えればいいのか。人々の表現方法は気づかれぬうちに、国家の認める、ある枠組みのなかに落とし込まれるようになってきている。教育や街頭表現の現場において、人々の表現方法を囲い込んでいく日本の法制度は、より老獪なものになってきている。
私たちは、どんな弾圧を自主的に行ないえて、どんな弾圧を主体的に遂行すべきなのか? さて、話は最初に戻るが、私は実は、街頭表現における日の丸掲揚を肯定するか否定するかというトピックは、相対的に重要だと思っているが、総体的には重要ではないと考えている。私は今、「ライトテロル党」の結党について考えている。「ライトテロル」とはネット上に現れるすべての表象のことを指す。この「ライトテロル」による、私たち自身の「ライトテロル」がなす、「表現の弾圧」を活性化させていけば、超長期的には、日の丸を肯定するか否定するかというトピックは解消されうるはずだ、というのが私の考えだ。尻切れトンボで申し訳ないが、私のライトテロル論については、また別の機会に語りたい。