古くは狩猟採集の時代に始まったと考えられるおみやげであるが、社会構造の変化や移動手段、文化的価値観の変化や交流にともない、おみやげの持つ意味は時代とともに変容し多角化してきた。
日本における変遷
文献による記録が確認されるのは平安時代からであるが、縄文、弥生時代における出土品などから当時の社会構造を推察してみる。
狩猟採集の時代から、稲作の伝来によって集団規模が家族単位であったものがムラと呼ばれる数十人から数百人規模へ拡大した。
また、農耕の発達にしたがい定住化と土地の所有が始まるにつれて、地域ごとの特性と物品の交流が発生したと考えられる。
この、地域性と物品の交流が生じたことによって、本来のおみやげの定義に当てはまる事象が確立された。
すなわち、山間地で耕作をする者は海産物が手に入りにくいし、沿岸部に定住する者は山間部の産物が手に入りにくい。
地域ごとに物品の価値観の違いが生じたことで、おみやげの価値が発生したことになる。
次第に豪族などが台頭し、集権化とコミュニティの面積が広がるにつれて貢物(みつぎもの)などの物品の集約が始まる。
貢物はおみやげの定義からは外れるが、特産品などの比較掌握に大いに役立った。この権力者による特産品の把握は、次第に一般へと拡大していったと考えられる。
観光と人為的なおみやげの発生
おみやげは大別すると自然発生的な天然ものと、人為的に創出されたものに分けられる。
前者は気候や立地などに由来する一次産品または伝統的な文化に基づいた加工品で、後者は観光者に対して販売する目的で創出されたものである。
本学会では自然発生的なものを「天然みやげ」とし、観光目的で創出されたものを「観光みやげ」と定義している。
観光みやげは、社会が成熟するにしたがい、一般人にも生存目的以外の活動をする余力が生じたことから、好奇心を満たすことを目的とした移動、すなわち観光という行為が発生したことに起因する。
日本における初期の観光とは神社仏閣などへ参拝する伊勢詣で(いせもうで)や景勝地の見物である。
人の集まるところに商売ありというが、寺社が御札(おふだ)やお守りなどで布施集めをしているのを見て、参拝客の宿泊所や食事処などの実用的な商売から、記念や証拠としての観光みやげを創出し販売する輩が出現したのは当然のことといえよう。
観光みやげの成熟
日本史において最も庶民文化が発達されたとされる江戸期において、観光の発達とともに観光みやげも発達した。
交通手段が発達していなかった当時において、持ち帰ることを目的としたおみやげは小さく軽く日持ちのするものという制約があったため、御札や絵などのものに限られていた。
おみやげとしての食品は論外であったが、特産品や寺社の縁起(えんぎ)にもとづいた飲食物を提供する商売は盛んであった。これらの・・・