このサイトは「生物進化と細胞外DNA 微生物創生への挑戦」(西田洋巳著、丸善プラネット)の解説および補足のためのものです。
本書は6章から構成されています。 主題は副題にあるようにバクテリアの創生、バクテリア細胞に異種あるいは合成ゲノムを導入することにあります。 よって、遺伝情報としてのDNAおよびその発現の場としての細胞がキーワードです。
第1章
第1章(p.3~p.17)では遺伝情報の継承である遺伝について書いていますが、本章は本書全体の概要と言えます。 地球上のすべての生物が遺伝情報としてDNA(あるいはRNA)を持ち、それを継承しています。
図1-1(p.4)にはDNAの構造を記載しています。 化合物としての構造はすべてのDNAで共通ですが、ATGCの核酸塩基の並びが違っています。
すなわち、ヒトとサルでは塩基配列が違っており、その情報を祖先から受け継ぎ、子孫へ渡しているということです。
しかし、私たちは父親とも母親ともそれなりに似ていながら、同一ではありません。 これは引き継いだDNAの塩基配列がそれぞれ同一ではないことを意味しています。
私たちヒトでは、父親と母親の半々の情報を持っていることから違いが生じるわけですが、兄弟姉妹においても違っています。 減数分裂の際に父からか母からかの選択が生じるために完全に兄弟姉妹で一致することはないと説明されています。 ただし、一卵性双生児の場合には遺伝情報のセットは同じとなります。 また、人為的に遺伝情報が移植されたクローン生物においては同一の遺伝情報を持つことになります。
遺伝情報の継承のことをジェネティクスと呼んでいます。 遺伝情報が同一の一卵性双生児であってもそれぞれの生活環境などが異なると性格などに違いが生じることが示されています。 すなわち、塩基配列情報に変化がないにもかかわらず、表現型に違いが見られるような現象が生じます。 これをエピジェネティクスと呼んでいます。
さて、生物となるために必要最小限の遺伝情報をゲノム情報と呼んでいます(p.10)。 ゲノムは遺伝子を示すジーンと染色体を示すクロモソームをつなげたことばですが、減数分裂した細胞(生殖細胞)におけるDNAがゲノムということになります。
ヒトはヒトのゲノム、サルはサルのゲノムを継承しているということです。 しかし、ヒトの集団、サルの集団には多様な個体によって構成されています。 これらの個体が持っているゲノムが違っていることを意味しています。 ゲノムの継承と多様性は矛盾するように見えるかもしれませんが、それぞれの生物集団を構成しているゲノム情報の多様性の幅は異なる生物集団における交わりとはならないということです(p.6)。
どうしても遺伝の話をする際には動物や植物を題材にする傾向がありますが、本題に戻しますと、私たちはバクテリアの細胞に自在にDNAを導入してバクテリアがどのようになるかを知りたいわけですので、バクテリアについて述べます。
図1-2(p.9)には地球の生物の系統進化について示しています。 細胞生物学の教科書には最初に細胞の説明が記載されており、細胞は原核細胞と真核細胞に分けられるとあり、原核細胞は細菌(バクテリア)と古細菌(アーキア)の2つの系統に分かれるとあります。 このことはバクテリアとアーキアが近縁であり、真核細胞生物はその系統から離れているように思ってしまいます。 しかし、細胞内に核が存在しているか否かで形態的に分けられることに問題はないのですが、原核細胞のアーキアは系統進化上、バクテリアよりも真核細胞生物に近縁です。
図1-2に示した系統関係については学生のみならず多くの人たちが見過ごしていると感じています。 すべての生物の共通祖先はバクテリア様の細胞であったこと、その後、アーキアと真核細胞生物の共通祖先が生じ、その祖先においてバクテリア様細胞が細胞内共生した系統の真核細胞生物が生じました。 図1-2の生物系統を示したカール・ウーズの功績はとても大きなものです。
動物や植物の生き方とバクテリアの生き方は大きく違っています。 前述しましたように、クローン生物をつくる際には同一遺伝情報の生物が誕生します。 一般的にバクテリアの増殖はクローン生産であり、同一遺伝情報を持った生物が誕生しています。 それにもかかわらず、バクテリアにも異なる生物集団が存在しています。 例えば、大腸菌と枯草菌は違った細胞形態をしており、遺伝情報であるゲノム塩基配列も異なっています。 もし、バクテリアが同一遺伝情報のクローン生産によって増殖しているのであれば、大腸菌と枯草菌のような違いがどのように生じたのでしょうか?
バクテリアの遺伝においてゲノム情報が変化するのは、DNAの複製時に生じるエラーとその継承の場合とバクテリア細胞に異なる遺伝情報が水平伝播する場合です(p.7~p.8)。
バクテリアにおいても遺伝情報を変化させて生きてきたことを考えますと、すべての生物は遺伝情報を変化させて生きています。 生物にとって遺伝情報を多様化させることは必要なことであり、完全に正確に遺伝情報を継承しないことが重要なことであると考えられます(p.6)。 この遺伝情報を変化させて継承することが生物進化そのものであるということです。
細胞分裂の際に生じるDNA複製時のエラーは遺伝情報の水平伝播における変化に比べれば、比較的小さな変化といえます。 さらに、それが集団に固定される確率は低いと考えられます。 私はバクテリアの進化における遺伝情報の水平伝播こそが進化、多様化の原動力であると考えています。
現在のバクテリアにおける遺伝情報の水平伝播はウイルスあるいはプラスミドによって生じています。 また、水平伝播はすべてのバクテリアに生じるのではなく、限られた宿主細胞間において限られた遺伝情報が伝播しています。 これは各バクテリアのアイデンティティを維持するための機構であると考えています。
しかし、生物進化の初期においてはそれぞれの細胞のアイデンティティは明確に確立していたとは考えられません。 すなわち、様々な遺伝情報が様々な細胞間を水平伝播し、ある情報はある細胞において固定されてきたと考えられます。 バクテリアはどのように水平伝播を使って、自身のゲノム情報を確立していったのでしょうか? そのことを現バクテリアのシステムで確認することはできるでしょうか? これが本書のテーマです。
そこで最初に注目したものは細胞外に存在しているDNAです。 富山湾に漂っている細胞外DNAを調べたところ、シークエンスしたDNAの9割以上がDNAのデータベースに登録されていない未知のDNA塩基配列をもっていることがわかりました(p.11~p.12)。 この結果は、プラスミドやウイルス以外にもバクテリア細胞に入る可能性を持っている遺伝情報が存在している可能性を示していると考えました。
データベースに登録されていないDNAに刻まれた情報とは何であるか? そもそも配列の類似性に依存することなく、DNAに刻まれた情報を引き出すためにはどのような実験が必要であるか?
そこで、水平伝播における宿主特異性を取っ払った方法を確立することが重要であると考えました。 すなわち、どのようなDNAであっても細胞内に導入できる実験方法の確立を目指し、機能未知のDNAの遺伝情報を引き出せる細胞に導入する必要があると考えました(p.14~p.15)。 遺伝情報の細胞による選択制を無効にする方法は物理的に導入する方法しかないと考えました。 私たちはマイクロインジェクションという方法をつかってDNAをバクテリア細胞へ導入する方法の確立を目指しました。
もし、いかなるバクテリア細胞に対してもいかなるDNAを導入することが可能になった場合には、デザインされたゲノムDNAを導入することも可能となり、ゲノム工学において大きな貢献が期待できます。
第2章
1 遺伝情報は細胞内において時間とともに変化する
DNAから遺伝情報が発現する場合、DNAを鋳型としてRNAがつくられます(転写)。 RNAがmRNAの場合には、その塩基配列に基づいてリボソームによってタンパク質がつくられます(翻訳)。 この情報の流れをフランシス・クリックはセントラルドグマと呼びました(図2-1、p.22)。 すなわち、細胞外からDNAが細胞内に取り入れられた場合、それが発現するためには転写される必要があります。 その細胞のRNAポリメラーゼがDNAにコードされている遺伝子のプロモータ領域にリクルートされる必要があります。
DNAの塩基配列が変化するときは、複製時におけるエラーか外来DNAの挿入や組換えによる場合です。 大腸菌(ゲノムサイズ4000000塩基)における1回の分裂における1塩基置換のエラーが生じる確率が10^(-9)とすると(p.24)、すべての塩基位置においてエラーが生じない(完全にコピーされる)確率は(1-10^(-9))^4000000=0.996です。 よって、0.4%の確率で1回の分裂においてどこかに変異が生じることになります。 大腸菌が1000細胞あったとするとたった1回の分裂において4細胞に変異が生じると予測されます。 また、分裂回数が増加すると変異を持つバクテリア細胞の数は増加します。
さらに細胞内において転移する遺伝因子が存在している場合には、その因子が遺伝子内に挿入された場合、その遺伝子は機能できなくなります。
プラスミドやウイルスは異なる細胞間を移動することができます。 バクテリアなどの単細胞生物の場合には、外来遺伝因子が細胞内に入れば、細胞内のDNAとすぐに出会い、宿主クロモソームDNAに挿入される可能性があり、挿入された場合には細胞分裂後にもその配列は継承されることとなります。 しかし、ヒトのような複雑に分化した多細胞生物の場合、子孫に継承される遺伝情報は生殖細胞だけであり、それ以外の体細胞に外来遺伝因子が導入されてもそれだけであれば遺伝することはありません。
宿主細胞のDNAに外来のDNAが入り込むためには、それらの塩基配列が似ているほどその確率は上がります。 DNAが2重鎖になっており、相補的に水素結合するため、類似配列が存在していると組換えが生じる確率が上がるためです。 DNAの構造から明らかですが、ATとGCが水素結合するため、Aの数とTの数は等しく、Gの数とCの数は等しいです。 よって、DNAにおけるGCペアの数の割合をGC含量とよび、DNAの塩基配列の情報を反映した数値として使用されています。図2-2(p.28)はバクテリア、アーキア、真核細胞生物においてゲノム情報が明らかな生物のゲノムDNAにおけるGC含量の分布を示しています。
一目瞭然ですが、真核細胞生物だけが40%付近にピークを持つ正規分布に近いものとなっており、バクテリアやアーキアはいくつものピークを持ち正規分布からかけ離れた分布となっています。 もし、異種生物間においてDNAの交換が成立するためにはGC含量が近い生物種間である必要があると考えられます。 ただし、局所的に類似している塩基配列を有している生物が存在している場合にはその領域における組換えが生じる可能性は高くなると考えられます。 なお、p.29の2列目の「アデニン・シトシン」は「アデニン・チミン」の間違いです。
そこで現在のバクテリアとアーキアにおけるクロモソームとプラスミドのGC含量を比較したところ、クロモソームに比べプラスミドの方が数%低い傾向になっていました( International Journal of Evolutionary Biology 2012, 342482 DOI: 10.1155/2012/342482 )。 さらにゲノムDNAのサイズとGC含量には相関があることが発表され、サイズが長いとGC含量が高くなる傾向があります。 これらのことからバクテリアやアーキアでは宿主のクロモソームよりも若干低いGC含量のプラスミドが細胞内に安定に存在することがわかり、プラスミドの環境における移動が宿主クロモソームのGC含量による制限を受けている可能性を発表しました(Frontiers in Microbiology 3, 420 DOI: 10.3389/fmicb.2012.00420 )。
2 地球で最初に存在した細胞
前述しましたプラスミドとクロモソームのGC含量の違いが生物の40億年の歴史の上に構築された規則であるとすると、その意味を知りたいと考えました。 それを調べる方法の1つには、GC含量がクロモソームよりも高いプラスミドの細胞における安定性を調べることなどが挙げられます。
現在のすべてのバクテリアは40億年の歴史の上に存在し、生きているわけですので、先の規則に従っています。 しかし、生物が誕生した際には現在の規則は確立していませんので、そのような原始的な細胞と現在の細胞を比較することによって、規則がどのように成立したかを知ることができる可能性があります。
第1章でも述べましたが、全生物の系統進化を解明したのはカール・ウーズのリボソームRNA遺伝子を標的とした系統樹の作成です(p.36)。 この解析によって全生物の共通祖先は現在のバクテリア様の細胞であったと考えられます。 現在のバクテリアの細胞には細胞壁が存在しており、細胞の形態を維持したり、細胞内の恒常性の維持に貢献しています。
いわば細胞壁は細胞を外部環境から守る役割を担っています。 現在のバクテリア細胞間を移動できる遺伝因子はプラスミドとウイルスに限られていますが、地球における原始細胞においてはもっと多くの遺伝因子が活発に水平移動して細胞の多様性に寄与していたと考えられます。 そこで、原始細胞には細胞壁がなく、その形態は不定形であり、外部の遺伝因子が取り込まれ、また内部の遺伝因子が外部へ放出されていたという仮説が示され、それが多くの研究者によって支持されています。
バクテリアを死滅させる抗生物質の多くはバクテリアの細胞壁を標的としています。 また、細胞壁の構築には膨大なエネルギーを要しますので、マイコプラズマのような一部のバクテリアは細胞壁を失ったものがいます。 これらのバクテリアには細胞壁を標的とした抗生物質が効きません。 興味深いことには、通常細胞壁を構成しているバクテリアが細胞壁合成を放棄し、不定形の細胞になることがあります。 この状態の細胞をL型バクテリアと呼びます(p.41)。 これは形態がLになっている意味ではなく、この細胞が初めて発見された英国のリスター研究所の頭文字を示しています。
バクテリア細胞の細胞壁を取り除くことはリゾチームなどのペプチドグリカン分解酵素を使用することによって可能です。 細胞膜が破れない限り、バクテリアが死滅することはありませんので、生きた状態で実験に使用することができます。 すなわち、現在のバクテリア細胞も細胞壁は生きて行く上で必須のものではないということです。 私たちが本書の目的を達成するための細胞として、バクテリアのプロトプラストやスフェロプラストを使用するのはこのような理由があります。
3 遺伝情報は異なる細胞間を移動する
一般的に、低温環境に適応できるバクテリアは高温環境には適応できません。 異なる環境において生きるために必要な遺伝情報が違っていることを示すとともに、双方の環境に適応するための遺伝情報をどちらも持っている(あるいは制御できる)バクテリアが存在しないことを示しています。 興味深いことに、バクテリアのゲノムサイズは減少する傾向にあり、進化の過程で遺伝情報を欠落させている傾向があることが発表されました。
バクテリアは環境が変化した場合、その環境において不要になった遺伝情報を欠失させてきたことを示しています(p.44)。 しかし、さらに環境が変化したり、もとの環境に戻った際には欠失させた遺伝情報が再度必要になる場合があるかもしれません。 不要な情報を失う戦略はかなりリスクが高い生き方のように見えます。
本書において細胞外DNAにスポットライトを当てていますが、その理由は細胞外の環境に余分になったDNA(遺伝情報)をストックさせ、必要になった際にそれを取り入れれるというシステムがあるのではないかと考えたからです(p.44)。 この考えはユニークのように感じておりますが、本書はこの考えに基づいて書いています。
ここまでに何度かでてきているプラスミドとウイルスは異なる細胞間、すなわち細胞外を介して遺伝情報を水平伝播させるツールです。 プラスミドやウイルスが持っている遺伝情報が発現し、機能するためには、宿主の持っているセントラルドグマが機能するかどうかに依存します。 すなわち、細胞間を遺伝できる遺伝情報はそれらを発現できるシステムを持つ宿主細胞に遭遇する必要があるわけです。
ウイルスを生物の範疇に入れるかどうかは議論になる1つですが、ウイルスのみでは増殖することはできないことは明らかです。 ウイルスは宿主細胞に出会わない限り、化合物の複合体として存在しているだけです。 ただ、一度宿主に出会うと、宿主のセントラスドグマを利用し、急速に増殖し、周りに存在している宿主に次々と感染していきます。 よって、宿主細胞、例えばバクテリアはウイルスに対する防御機構を構築してきました。
制限酵素はバクテリアの持っているウイルス防御機構の1つです(p.46)。 特定の塩基配列(多くは回文配列)を認識してその領域で切断する活性を持っていますが、自身の配列はメチル化によって保護しています。 この制限酵素の活性は分子生物学が誕生するきっかけになったわけです。
制限酵素と同様にゲノム編集に使用されているクリスパーキャスシステムもまたバクテリアのウイルス防御機構の1つです(p.47)。 バクテリアは一度感染したウイルスの遺伝情報の一部を自身のゲノムに記録(記憶)し、その配列を持つウイルスが再び感染した際にその配列を有する領域を分解し機能しないようにするシステムです。 ゲノム編集や遺伝子操作という技術はすべてバクテリアが持っている機構を人為的に利用しているわけです。 まだまだバクテリアから学ぶべきことは多々存在していることを強く認識してほしいと思います。
4 細胞外DNAの多様性
細胞外のDNAはそれだけでは増殖も塩基配列が変化することもありません。 単に化合物として存在しているだけですが、もちろん日光などによって物理的に損傷したり、切断したりは生じます。
生物の40億年の歴史においてどれほどの数の生物が死滅したでしょうか? それらはすべて地球において生じていますので、細胞外に放出されてきたDNAの総量は想像を超えるものです。 もちろん、それらの多くは分解されて跡形もないと考えられますが、一部は長い間にわたり環境(細胞外)を漂っているものやどこかにひっそりと存在し続けているもののあると考えています(p.52)。
細胞外においてDNAは増加することも塩基配列が変化することもありませんが、その由来とは異なる生物の細胞に取り込まれることはないとは言い切れません。 むしろ、ある頻度で細胞外DNAが由来の異なる、あるいは由来と同じ生物に取り込まれると考える方が自然にように感じます。 すくなくとも単細胞生物に取り込まれる可能性は高いと考えられます。
プラスミドとその宿主細胞のクロモソームにおけるGC含量の違いについては前述しましたが、ウイルスにおいても同様の関係が示されています。 すなわち、細胞が細胞外からDNAを取り込み、それが定着するためには、クロモソームのGC含量よりも数%低いDNAでなければなりません。 その意味については謎だったわけですが、数%のGC含量に違いを指標として外来性DNAに特異的に結合するタンパク質が報告されました(p.54)。 この結合タンパク質にはDNAへの結合領域とタンパク質間での結合領域があり、真核細胞におけるヒストンのように多量化して低GC含量のDNAに結合します。 そのため、その領域からの遺伝子発現が抑制させることが示されました。 このシステムは最初サルモネラや大腸菌で報告されましたが、広い範囲のバクテリアが持つ共通のものであることがわかりました。
前述しましたように、細胞外DNAがバクテリアの遺伝情報のプールであると考えると、それらが取り込まれて細胞に定着するためにはGC含量の壁が存在しているということになります。 また、そのバクテリア自身の細胞由来であれば、GC含量は同じですので、異なる生物種でGC含量が若干低いDNAを持つ生物由来である必要があることになります。 このシステムが成立していると考えると、環境を通して半強制的に異種生物由来のDNAを取り入れることになっていると考えられます。
第3章
1 環境DNAと細胞外DNA
環境と細胞外の英語の頭文字は双方ともeですので、eDNAという表現は紛らわしいものです。 環境DNAの場合には、環境に存在している細胞の中にあるDNAも含まれますので、細胞の内外は無関係です。 しかし、細胞外DNAという場合には、細胞の外にあるDNAを指します。
2 日本酒に含まれるDNAから見えること
環境DNAの例として、日本酒に含まれるDNAの解析について示します。 日本酒造りは完全な無菌状態で行われておらず、その過程で微生物が混入しています。 しかし、清酒酵母が生産するエタノールによって最終的には増殖停止あるいは死滅します。
そこで、日本酒に含まれるDNAの塩基配列から混入したバクテリアを調べることにしました。 このような場合、新奇な遺伝子を探しているわけではありませんので、カール・ウーズが標的としたリボソームRNA遺伝子を増幅し、その領域の塩基配列を決めて、データベースの塩基配列と照合することによって、どのバクテリアが混入したかがわかります。
図3-3(p.74)には仕込み水およびもろみの過程におけるバクテリア菌叢の変化を示します。図中の「中添(正しくは仲添)」「留添」の位置と菌叢変化の図は一致していませんので削除してください。 仕込み水における最も多くの塩基配列が検出されたのはPseudomomas属(オレンジ色)であり、もろみにおいて検出された灰色はSphingomonas属、緑色はRoseomonas属でした。 この結果から、日本酒造りにおけるバクテリアの混入は仕込み水由来ではなく、麹あるいは酒母の造りの過程における混入であることがわかりました。
このように環境DNAの研究では、生きている生物がその環境に存在していなくても、その環境に存在しているDNAの塩基配列からその環境に存在していた生物を知ることができます。
3 富山湾に漂う細胞外DNAの多様性
次に細胞外DNAの例として、富山湾における細胞外DNAの収集とその塩基配列の解析について示します。 細胞外DNAの収集は図3-6(p.82)に示しましたようにフィルターによって分別しました。 サンプルは海水と海泥を富山湾の異なる地点から採集しました。 孔径0.2 µmのフィルターに残ったものを細胞画分、孔径0.02 μmのフィルターに残ったものをウイルス画分、通過したものを細胞外画分としました。
これらの画分に含まれるDNAを精製し、それらの塩基配列を網羅的に調べました。 シークエンスはランダムに600塩基を決定し、それらの塩基配列をデータベースの塩基配列を照合したところ、95%以上の塩基配列がデータベースに類似配列が存在していないことがわかりました(p.88)。
データベースと照合できない場合には、その塩基配列がどのような生物由来であるか、どのような遺伝子をコードしているかなどの情報を得ることができません。 ただ、図3-7(p.84)に示しましたゲノムシグネチャを調べることによって、どのような生物群由来であるかを知ることができます。 ゲノムシグネチャとはゲノムDNAにおける数塩基配列の出現頻度のことを示しており、各生物はゲノムにおける塩基配列のパターンが違っていることを意味しています。 前述しましたGC含量はゲノムにおけるGCペアの割合ですが、ゲノムシグネチャはもっと詳細に場合分けしたことになります。
第4章
1 DNAシーケンサーの発展
1953年のDNAの二重らせん構造のNature誌での発表は分子生物学の一里塚であったことは疑いのないこです。 ただ、それ以前の研究を背景として、DNAの構造解析が行われたことは重要であり、すべての科学における成果はその背景があります(p.95~p.96)。
生物種によって大きさや形態が違っていることは自然に認識できることですが、バクテリアの細胞についても大きさと形が生物種によって違っています。 また、遺伝情報の総体であるゲノムについても大きさや遺伝子構成が生物種によって違っています。 あるサイズに落ち着くためにはどれほどの時間がかかっているのでしょうか? また、今後、ゲノムサイズやそこにコードされる遺伝子構成についてはどのように変化していくのでしょうか? DNAに書き込まれた遺伝情報を解読するためには、その塩基配列を決めることが第一歩となります。
DNAの塩基配列の決定方法は2つあります(p.99)。 サンガー法はその1つですが、いわゆるDNAシーケンサーはサンガー法を適用してつくられました。 ゲノム情報を知る目的でDNAシーケンサーの開発は急激に進み、「次世代シーケンサー」と呼ばれた大量並列型DNAシーケンサーが登場します。 現在では、さらに発展して「次々世代シーケンサー」と呼べるものが存在し、1回の解析によってテラレベルの塩基配列情報を得る時代となっています。 このようなDNAシーケンサーの発展によって、1000ドルでヒトゲノムを決めることができる時代となりました。
2 類似配列から機能を推定することの限界
分子生物学における塩基配列やアミノ酸配列のデータは国際的なデータベースにおいて収集、維持、管理され、だれでもコンピュータを通して見ることができます。 日本ではDDBJ、米国ではNCBI、欧州ではEBIが中心となり、データの交換による人類共通の共有財産としてメンテナンスされています(p.107)。
これまでの分子生物学の中心は大腸菌などのいわゆる遺伝学のモデル生物の遺伝情報解析が中心であったため、大腸菌と同等の遺伝情報の機能解析が行われいるバクテリアは同じモデル生物である枯草菌など極めて限られています。 もちろんモデル生物だけで全生物のゲノムに刻まれている遺伝情報の機能が解明されることはありません。
遺伝子という単位で考えてもまだまだ未知の遺伝子は存在しており、その遺伝子にコードされているRNAやタンパク質が細胞でどのような機能をしているか不明な状況です。 さらにその存在がわかっているバクテリアは種レベルにおいて全体の1%程度と考えられています(p.110)。 このような状況において、環境に存在しているDNAを網羅的にシークエンスしても塩基配列レベルでデータベースに登録されている配列と類似しているものがないことが9割以上であることは想定内ということになります。
生物学という観点から見ると、バクテリアだけに限ってもわかっていないことの方がわかっていることよりも多い状況にあると思います。 ヒトの分子生物学を中心として考える人が多い世の中になっていますが、真核細胞のミトコンドリアや葉緑体はバクテリアを起源に持つことを考えると、バクテリアを知っていないことは真核細胞を知っていないことになることを強く認識してほしいと思います。 微生物学は終わったと考える人たちは生物学を前進させることはできない人たちと考えざるを得ません。
データベースに登録されている遺伝情報の中でカール・ウーズが全生物の系統を示す際に使用したrRNA遺伝子が傑出して様々な生物種由来のものが蓄積しています。 rRNAはタンパク質合成を行うリボソームの構成要素であり、全生物が持っています。 さらにその構造は類似性や高く整列配列を得ることができ、比較できます。 さらに異なる生物間において高度に配列が保存されている領域があるため、その領域をもとにしてPCRプライマーを設計できます。 図4-1(p.105)にPCRの仕組みを示していますが、前述した日本酒の中に含まれるバクテリアの種を調べる際にもこの方法を使っています。
3 類似配列とは異なる視点を持つ
DNAシーケンサーの発展によってデータベースにおける塩基配列情報は急増しています。 しかし、その情報は大半が機能を未確認のものがです。 遺伝子アノテーションの多くは、類似配列からの機能推定の状態でそのままにされています。 そのためデータベースには推定の推定が蔓延しており、新奇な機能を持つ遺伝子の抽出が逆に困難になる場合もあります。
もちろん、類似配列さえ全く存在していない完全未知な塩基配列もあります。 そのような塩基配列にどのような遺伝情報がコードされているかをどのように調べればよいでしょうか? 大腸菌や枯草菌などでは、ポストゲノム研究として、一つ一つの遺伝子破壊株を取得し、それらの表現型を調べる方法や2つの遺伝子破壊株の網羅的な取得なども行われているようです。 これらの方法は欠失させた際の影響を見るものですが、その反対の方法として、添加した場合の影響を見る方法もあります。
遺伝情報の導入の方法は極めて限定されているのが現状です。 すなわち、ベクターとよばれるものを使用しないと効率的に遺伝情報を導入できないからです。 さらに宿主・ベクター系は無限ではなく、大腸菌や枯草菌などの宿主細胞が限られています。 このような状況で、どのような生物由来かわからない塩基配列の機能を解析することはできません。 どのような遺伝情報であってもどのような宿主であっても可能な方法はないでしょうか? そのような実験系があれば未知のDNA断片の機能解析に近づけると考えました。
第5章
1 バクテリア細胞の巨大化
遺伝情報であるDNAを導入する方法は宿主・ベクター系のような生物学的な方法だけではなく、物理的な方法があります。 細胞融合やマイクロインジェクションの方法などです。 図5-1(p.125)に示しましたように、マイクロインジェクションによってDNAを導入するためには、細胞のサイズを15 μm以上にする必要があります。 よって、バクテリア細胞にマイクロインジェクションするためには10倍以上に大きくする必要があります。
このバクテリア細胞の巨大化の方法については異なるサイトに経緯をまとめていますので、次のサイトを参照してください。 バクテリア細胞巨大化の研究記録 巨大バクテリア細胞への墨汁のマイクロインジェクションの瞬間
巨大化のためには細胞壁を取り除く必要があるため、プロトプラストやスフェロプラストの状態で培養することによって巨大化します(図5-2、p.126)。 すなわち、これらの細胞は分裂することができず、一つ一つの細胞が巨大化します。 私たちが目指している対象はすべてのバクテリア細胞を宿主細胞にすることですので、すべてのバクテリアを巨大化する共通の培養条件を求めました。 海洋性のバクテリアの培地として使用されているマリンブロスを使用することによって、浸透圧調整などをすることなく、バクテリア細胞を巨大化できることがわかりました(p.128)。
2 顕微鏡で巨大細胞を観察する
バクテリア細胞の巨大化はパッチクランプによって細胞膜の性状を解析するために矢部博士のグループが開発しました。 巨大化細胞は従来の細胞とは形態的に全く異なるため、当初、その細胞が大腸菌であるかどうかの証明を求められたと聞きました。 とても興味深いことには巨大細胞には内部に液胞を形成しています。 マイクロインジェクションができるサイズにバクテリア細胞を大きくした場合、内部に液胞が生じることは大腸菌以外のバクテリアでもそうでした(Scientific Reports 10, 8832 DOI: 10.1038/s41598-020-65759-7 )。
蛍光顕微鏡を使用することによって、DNAの存在位置、細胞膜のつながりなどを確認することができます(図5-4、p.136)。 さらに細胞膜が一重か二重かは電子顕微鏡を用いて知ることができます(図5-5、p.138)。
3 マイクロインジェクション可能なバクテリア細胞の創出
図5-6(p.141)に私たちが使用したマイクロインジェクション装置を示しました。 巨大化したバクテリア細胞であってもマイクロインジェクションのニードルの挿入に耐えうる細胞膜強度が必要となります。 適した細胞を構築するために検討したことが培地における金属イオン組成です(図5-7、p.142)。 蛍光タンパク質を使用してマイクロインジェクションを確認したバクテリアはグラム陰性のLelliottia amnigenaとグラム陽性のEnterococcus faecalisです(Scientific Reports 10, 8832 DOI: 10.1038/s41598-020-65759-7 )。
第6章
この章は研究展望を書いていますが、本書を書いてから達成したことをここでは示します。 まずはEnterococcus feacalisの巨大細胞に様々な異種ゲノムを導入し、その後の細胞伸張の様子を比較しました(Current Research in Microbial Sciences 3, 100104 DOI: 10.1016/j.crmicr.2022.100104 )。 コントロールとして自身のゲノムを導入したところ、細胞伸張の鈍化が見られました。 興味深いことには進化系統的に遠縁であっても同じような伸張鈍化が見られたり、系統的に近縁であっても異なるパターンが見られたりしました。
また、細胞の伸張とDNAの複製の関連についても複製阻害剤であるノボビオシンを使った実験によって調べました(Microbial Cell 7, 300-308 DOI: 10.15698/mic2020.11.735 )。 本書の内容を含め、次の総説にまとめましたので、参考にしてください。
Factors that affect the enlargement of bacterial protoplasts and spheroplasts. International Journal of Molecular Sciences 21, 7131 DOI: 10.3390/ijms21197131
Approaches for introducing large DNA molecules into bacterial cells. Journal of Applied Microbiology 134, lxad059 DOI: 10.1093/jambio/lxad059