信州高遠町の歴史と桜1998

まちなみ発見

高遠町(長野県)

天下第一の桜と歴史を語る蔵の数々

文と写真:相羽満里子

まず初めに、歴史博物館で桜にあおう

高遠(たかとお)湖畔で一年中桜が楽しめる、それが「高遠町立歴史博物館」だ。入るとすぐ山車の展示室があり、続く「桜シアター」で、「心の賛歌、信州高遠コヒガンザクラ」のハイビジョン映像を楽しむことができる。

美しい映像は、桜を通したこの町の四季折々の美しさや、歴史の深さを私たちに訴えかける。全国の桜情報を検索できる設備もある。

もちろん、中世から現代に至る高遠の歴史・文化・人物・民族などにスポッ卜をあてた展示も行っている。

春、高遠の町は花見一色になる

伊那谷に春を告げる高遠城址のコヒガンザクラは、「天下第一の桜」として高遠の顔となっている。700年にわたる歴史を持つ高遠城は、明治初期に取り壊されたが、その跡地に高遠町小原(おばら)にあった「桜の馬場」から移植されたのが、今日の「タカトオコヒガンザクラ」である。

作家井上靖に「薄桃色のクレヨンで塗りたくられた台地」と形容されたとおり、高台にある城址は4月中旬から下旬にかけて、みごとに薄桃色一色に染まる。

それとともに高遠の町中が浮き浮きとしてくる。

1500本もの桜が、赤味の濃い、小振りの花をつけて乱舞する様は、ただ訪れる人のためいきを誘う。灯篭に写し出される夜桜の美しさは、また格別である。桜見物に訪れた人たちは、昼夜を問わず、桜の花の下で宴を繰り広げる。

町は新たな取り組みを始めた

桜の木の寿命はおよそ100年といわれている。

「桜の木の根元を踏み固められるのは、桜の木にとっては大変苛酷なことなのです。花見の後の、土の入れ替え等の手入れには大変苦労しています。町としては、この桜を守っていくことと平行して、新たに「花の丘公園」の建設を始めました。」と町役場企画の守屋和俊さん。

町は月蔵山麓に「花の丘公園」を設け、世界の桜、開花時期の異なる様々な種類の桜をはじめ、一年を通して季節の花を楽しめる公園づくりに取り組んでいる。町の人たちの手で植えられた200種におよぶ5千本の桜の木が、山の斜面で咲き始めている。桜の馬場から移された時、若木だったという今の城址の桜のように、大きく立派に育ってほしい。

温泉もホテルも「さくら」、桜は町のアイデンティティ

高遠温泉「さくらの湯」は、予想を上回る利用客で、町は嬉しい悲鳴をあげている。高遠湖畔にたたずむ「高遠さくらホテル」でも温泉を楽しむことができる。

ホテルから少し足をのばせば、勝間の里に入る。薬師堂にあるしだれ桜の古木は、見事な花を咲かせて、城址のコヒガンザクラとはまたちがう風情をかもしだす。

古き城下町は「蔵」の宝庫

「たかとほは山裾のまち古きまちゆきあふ子等のうつくしき町」(田山花袋)とうたわれた高遠は、南アルプスの山裾にひろがる歴史の町である。

人口7000余のこの町は、寺の数だけでも23寺にのぼる。石仏、寺社仏閣、庚申塚、文学碑など、高遠を語る遺産は数多い。

それらの数の多さにもまして目をみはるのは、次から次へと目にとびこんでくる「蔵」の姿である。街道ぞいに車を走らせるだけでも実に様々な蔵をみることができる。

小原の集落にある塩原さんのお宅には、古くてどっしりした蔵が2つもある。蔵の屋根は大きく張り出し、雨をよけて農作業を可能にしている。

蔵の扉は4枚あり、内側から本戸、木戸、土戸、観音開戸とよばれている。おじいちゃんが座つているこの蔵は米の貯蔵庫になっていて、年に一度目貼りをして消毒をするそうだ。

「白い土戸に赤い線がめだちますね」というと、「今年の消毒の時におじいちゃんが赤いテープを貼つちまったもんでね、ハハハ」と、明るい笑い声がかえってきた。

工夫されて生き続ける蔵

高遠のメーンストリートにある小料理屋華留運の主人小松さんは、お店の裏手に2つある蔵のひとつの2階部分に、ガラスとベランダをとりつけ、団体用の客間として使っている。三峰川(みぶがわ)の対岸から華留運(けるん)の蔵の裏姿を眺めると、石づみと蔵の白さが、小さな城を連想させる。ベランダの手すりにひと工夫あるともっと美しくなる。その右手には、二つの蔵にひとつの屋根を載せた、珍しい双児の蔵の裏姿を眺めることもできる。

茅野にぬける途中、杖突(つえつき)街道沿い藤沢の集落に、御堂垣外(みどがいと)の本陣跡がある。

そのすぐ横に、大変美しく立派な蔵があった。脇本陣であったところか、家の玄関は馬の出入りができるようになっており、蔵の横の木戸をあけると、その昔、籠をとめおいた場所も残されている。

ゆきあふ人の優しき町

時代とともに、家は建て替っていく。蔵は屋根をふきかえたり、漆喰を塗り直したり手をくわえられ、昔のままの姿を残しているところが多い。

それぞれの蔵に、そこに住む人々の歴史があり、想いがある。そこに住む人の顔がちがうように、蔵も表情が異なる。また眺めるだけでは見えてこない生活がある。

「ゆきあふ子等のうつくしき町」高遠は、「ゆきあふ人の優しき町」である。声をかけ、話を聞いて欲しい。新しい発見がまっている。歴史のある町の良さである。

あった!あった!茅葺き屋根の家!

小原集落の先、下山田区で茅葺き屋根の家に出会った。すぐ前は舗装された車道で、ほとんどの家が蔵や塀で囲っているが、この家は道路から直接、スーッと葱畑と花との間を入って行く。昔、高遠藩は財政が厳しく、茅葺き屋根は少なく、石置き屋根の家(城址公園の近くに、東京芸術大学の初代校長を勤めた伊沢修二の生家が保存されている)が多かったそうだ。この地区は、昔から田も広く豊かな地区だったと聞いた。

道路をあるいていくと、学校帰りの子供にあった。声をかけようと思ったら、先におじぎをされてしまった。「ゆきあふ子等のうつくしき町」、というのはそういうことだったのだ。

長屋門ストリート

さらにくるま道をあるいていくと、長屋門と蔵に囲まれた通りがある。車道に面しているためか、あとからブロック塀をつけてしまった長屋門もあるが、大きくて立派な屋敷通りが残っている。

惜しいことは、ここ数年前までは、長屋門を入った本家も、大変立派な茅葺き屋根の家だったということだ。この長屋門と茅葺き屋根の家とは、想像するだけでもワクワクする。

通りを入ったところに、「初めはこっちの蔵を建て、次にむこう側を建て、そんで屋根

をつけた」そういう長屋門もある。表通りに限らず、小道に入っても楽しめる地区である。

新しくなった城下町・高遠

高遠駅でバスを降りると、明るくゆったりとした商店街が続く。できたてのほやほや、なにもかもが新しい。

町の中央を走るこの通りは、かつての城下町のなごりを残す商人町であったが、昔のままの道路は、歩道もなく、道幅一杯に車が走り、大変危険な状況であった。拡幅工事にあたって、

「単に道路を拡幅するだけでなく、『高遠の城下町にふさわしいまちなみを造りましょう』を合い言葉に、関係する5地区の代表者、議員、そして私たちとで「都市計画推進委員会」を設けて取り組みました」

と町役場建設課の山崎大行さん。

『よい』ときけば、どこまでも

各町内の代表者は、委員会での内容を各町内に持ち帰り、全員で検討をかさねる。話し合いだけでなく、評判を聞いては、資金研究班、道路拡幅研究班、町並み研究班の3つの班をつくり、あちこちへ視察に行く。20名を超す視察団が、飛行機で宮崎県日南市「飫肥(おび)」に飛んだこともある。

「遠慮していては話にならない。民家に入り込んで、資金計画を根掘り葉掘り聞いてくる。みんな必死でした」と語るのは、華留運(けるん)の小松忠彦さん。

「古い町並みの良さがなくなる」、「一体いくらお金がかかるのか」、そういった不安に加えて、すでに雁木方式で改善したところもあるから、600mに及ぶ通りの全員が『GO』サインを出すまでは、長い道のりだった。

若い経営者が町に帰って来た

事業認可が下り、町並みに関する申し合せ事項を自主的にまとめ、建替えが始まった。工事が始まってからも、その趣旨を再確認するために、設計者、施行業者との話し合いがもたれた。

残念なことに、各自が歩道部分を提供したため敷地面積が減り、やむを得ず4階建ても建っている。電線を地中化するために何度も勉強会、検討会が持たれたが、結果的にはかなわなかった。

しかし、統一感のある城下町らしい町並みができ、申し合せ事項は現在でも「城下町高遠・まちづくり協定」の中に残り、住民に引き継がれている。

若い経営者らのUターンもあり、町は活気づいてきた。まちづくりはこれからだ。

ビューム(美優夢)21まちづくり会議

この会議は町の呼び掛けで発足したが、町に対して自由に提案をしてもらうという目安箱のようなものだ。「若者会議」では、Uターン組も加え、「口も出すけど、手も出す」と、元気な若者が様々な企画に取り組んでいる。

「景観形成懇話会」では、それぞれの地区で残したい景観、手直しが必要な景観等の洗い出しに取り組んでいる。

「空き家登録制度」を活用して高遠に住む

高遠町には、「空き家登録制度」がある。現在空家となっている家を町役場に登録してもらい、借りたい人に斡旋するというものだ。町は単に仲介役で、希望者に家を見せたり、新しい情報を流したりする。家を見て気に入った人は、直接持ち主と交渉して、お互いに納得すれば賃貸が成立するシステムである。

担当である企画の久保田政志さんに、いくつかの家をみせてもらった。空家は多いが、登録されている家は少ない。住まなくなって何年かしてから、「やっぱり使いそもないで貸すか」ということで登録される。そうなると、手を入れないで使うことは難しい。この制度がもっと有効に活用できるよう考えて欲しい。

花見時、『山ノ神』にお茶を飲みに来て下さい

古い家を手に入れ、これから手直しをして住みたいという人がいる。東高遠の『山ノ神』の集落に住んでいるのは、現在3軒だけだ。そこに仲間入りしようというのだ。『山ノ神』在住の建具やの北原さん、大工の中山さんというパートナーを得て、『自分で出来ることは自分で』をモットーに、これから手直しを始める。

今年の花見の季節には、『まちなみ建築フォーラム』の読者に、この家(吉原)を休憩所として提供します。但し、駐車場はありませんので、徒歩で来て下さい。

『山ノ神』の集落には、男の隠れ家もある。都会では、元気な女はワイワイと集まるが、住んでいる地域で、男だけで何かを楽しむということは稀である。偶然この隠れ家をみつけ、ごちそうになった。決して排他的でなく、酔うほどに、高遠の自然と歴史の豊かさを語ってくれる。第2の人生に対する意気込みも大ぎい。頼もしい限りだ。

花見時ばっかじゃなく、ごゆるりと高遠に、遊びにおいでなんしょ。

(初出)

「まちなみ発見 長野県 高遠町

「天下第一の桜」と歴史を語る「蔵」の数々」

『1998年3月号 『建築・まちなみフォーラム』市ヶ谷出版社』