大岡山花見
2016

花曇りの卯月朔日、桜花を訪ねて

大岡山から目黒川へとミニ感傷旅行

伊達美徳

2016年4月1日

今日は2016年4月1日、四月馬鹿の日であるが、これから書くことは本当のこと。と、改まるほどのことではなくて、花見の話である。南関東では今がちょうど満開で、あと2,3日で散りだすだろう。

花見となれば、なんといっても大岡山の大学キャンパスであるなあ、行ってみようかな、あ、そうだ、ついでに近くだから昔仕事場を置いていた五反田の花見だな、それならついでに目黒川沿いに花見だ、と、昔の思い出花見に出かけることにした。

お花見感傷小旅行、ミニミニセンチメンタルジャーニーである。

まずは大岡山の大学へ。キャンパスに一歩踏み入れると、まさに桜の花盛りだった。本館正面広場はピンクのドームにおおわれている。

(百年記念館前に行列する新入生たち)

(ピンクドームの下の本館前広場)

(本館前広場の櫻は満開だが、どこか狂気がみえる暴れ振りは老木のボケのせいか)

その華やかな桜花のドームの下には、ちょうど今年の新入生たちがぞろぞろ居る。聞けば、入学式はまだだが、今日はその前の身体の検診だそうで、みんな来ているのだそうだ。

おお、思い出した、わたしもその検査を受けたことを。医師から、X線写真の肺に影がある、しばらく様子を見ようと言われて、大いにショックを受けたから、よく覚えている。付け焼刃受験勉強の脳はアヤシイが、その外は極めて頑強であると自負していたのに、まさかこれで落されてはたまらないと思った。

半年後の検診で、血管が写っているらしいと言われて、一件落着した。

(健康診断のために並ぶ新入生たち)

60年前のわたしである若者たちを眺めつつ、花を見上げて、さて、わたしはこの大学にどうして入ったのだっけかと思い出してみた。

まず、田舎高校で受験勉強は全くしないままに、京都の大学を受けて落ちた。受験勉強やれば大学に入れるのは当りまえ、オレはそんなことしないで入ってみせると粋がっていたのだ。結果はあえなく失敗。

わたしの人生には次の1年間だけは存在しなかったことにする決めて、生家の離れ家に籠って自主受験勉強だけをした。そして私を落とした大学なんぞ2度と受けてやらないぞ今度は東京だと、この大学に入ったのだった。実のところは、生まれ育った狭い盆地の閉塞感を、なんとしても逃れたい一心だった。

考えてみれば、建築家になりたいとは思っていたが、この大学に建築学科があるとは知っていても、その中身のことは全然知らなかったなあ。そして就職するときも、社会のことも就職先のことも、全然知らなかったなあ。

さまざまなこと思ひ出す桜かな 芭蕉 (笈の小文)

さまざまな想い降りくる花見酒 まちもり散人

で、今日の新入生たちの話に戻るが、その検診が終って広場にやってくるのを待ち構えて入部させようと、勧誘する各種部活動の学生たちも大勢いて、花の下は若者たちで大入り満員、賑やかなことよ。

そして昔と違って女性の学生たちが多いようで、中には漫画アニメの主人公みたいなコスプレ女たちもいて(クラブのひとつか)、若さでむんむんとしていた。

わたしのような部外者の花見客もいるにはいるのだが、なんとなくばらばらと座って、その喧騒と花を五分五分に眺めている有様だった。

わたしも歩き回ったり、座りこんだり、持ってきたペットボトル偽装のワインを飲んだりしつつ、通俗的な言い方だが老人は若者から生気をいただいた。

各部勧誘の列

花はよく咲き誇っているようだが、よくよく見ればその花を支える枝や幹の、あまりに無骨なことに驚くのだ。

曲がりくねり、こぶが沸き上がり、ところどころ裂け、中には支柱でようやく支えられていたり、これはまさに後期高齢者、つまりわたしの姿である。あ、いや、老いてもこれだけ華麗な花のドームを作るとは、老いて用無しになりつつあるわたしに譬えては、桜がおおいに怒るだろう。

老いた桜の木々

(もう寝かせてくれとの声が聞こえる)

この広場にある桜は、1950年に卒業生有志の寄付によるものだそうだから、いまや66年を越えるの老い木である。わたしが入学したのはその7年目で、背丈は超えていたが細い幹で、花は咲いてはいただろうがその記憶がないのは、花見をするほどではなかったということだ。

山岳部学生だったから、部員たちはこの広場に毎水土曜日の午後に集まってきて、体操をしてから一斉に中原街道に出て、丸子多摩川に向けて走り出す。多摩川橋から堤防を駆けて二子玉川橋で折り返しのマラソンから帰って来ると、石垣で岩登り訓練、スロープをでうさぎ跳びで登る(これは苦しかった)、そしてまたこの桜の木々の間で体操をするのであった。

そんなわたしたちを見守ってくれた桜の木である。

(広場にある説明パネル)

1960年本館屋上から見る本館前広場の桜の木はヒョロヒョロで数も少ない(森猛氏撮影)

(本館前広場から左に図書館、右に百年記念館)

(マサカリのような図書館自習室。図書館本体は地下にある)

(緑ヶ丘へ)

(呑川緑道)

(かつて向岳寮の跡地のいちばん奥に建つ現在の建築学課棟)

ついでに、五反田に向かい、目黒川沿いに花見をしつつ、中目黒まで歩いて今日の花見を終えたのであった。夕方の中目黒は、夜桜見物の人出で雑踏になっていた。あ、そうか、今日は金曜日だったか。

なんだかせわしくて、暇な年寄りらしくない花見だった。

でも、これをアラサン(ほぼ傘寿)の大学同期仲間に伝えると、この2,3日の花見の下見報告になるだろう。あるいは、どうしても花見に行けない仲間への代理花見報告ともなるだろう。(2016・04・01)

(五反田駅前、この茶色ビルの花に面する2階に、わたしの東京の仕事場があった)

(五反田公園の花の下は、今夜の花見宴会場所取り競争中)

(目黒川の櫻並木 元祖ラブホ目黒エンペラーが左に見える)

願はくは花の下にて春死なむ その如月の望月のころ
西行 (山家集)

桜の花の下にくれば、こうありたいと思う。如月の望月の日つまり旧暦2月15日は、今の太陽暦では今年は3月23日、ちょっと桜花には早いか。

願わくば花の下にて春死なむ 卯月朔日想い出の地に
まちもり散人 (まちもり通信)