鄒守益 すうしゅえき (1491~1562)
【鄒守益(すうしゅえき)】1491~1562、字は謙之、号は東廓、諡は文莊、江西安福の人。正徳六年会試の会元、殿試の探花。 『春秋』を家学とする(鶴成久章「明代安福の『春秋』学――挙業から見た学問的系譜――」、『福岡教育大学国語科研究論集』56、2015、参照)。
正徳十一四年(1519)四月、父賢の墓碑銘を書いてもらうために江西贛州まで王守仁に会いに行くが、その時には、格別王守仁の学問に興味があったわけではなかった。しかし、昼夜学問談義をするうちに、『大學』の「格物」と『中庸』の「愼獨」との関係をめぐる疑問が氷解し、かくて弟子の礼を執ったという。 ちなみに、鄒守益の伝記資料 (『鄒守益集』卷二十七、鄒德涵撰「文莊府君傳」、p.1362ほか)では、この時既に王守仁は彼に「致良知」の学を授けたとする。その直後、寧王宸濠が反乱を起こすと、彼はその鎮圧の指揮を執った王守仁に従い様々な建議を行ったという。嘉靖帝の即位後に朝廷に召され、上京する途上に王守仁の元を訪ねるが、彼と別れた後、寂しげに慨嘆する王守仁に対し、ある者が、「先生、何念謙之之深也。」と尋ねると、王守仁は、「曾子所謂『以能問於不能、以多問於寡、有若無、實若虛、犯而不校。』若謙之者、良近之矣。」と答えている(『傳習錄』卷下、p.117)。鄒守益が翰林院編修に起復した翌年、「大礼の議」が起こって朝廷を二分する事態となった。その際、彼が書いた上疏が嘉靖帝の怒りに触れ、南直隷廣德州に左遷された。その際に彼は、廣德州に復初書院を建立して講学活動に励み、南直隷(江蘇・安徽)一帯に陽明学を広めた(鶴成「寧国府における王龍溪の講学活動―水西の会を中心に」)。なお、廣德知州在任中の彼に対し王守仁が彼に送った書簡が五通、『王陽明全集』卷六に収録されている。鄒守益は、嘉靖六年に南京礼部郎中として南京に戻り、その後、南京国子監祭酒に陞るが、嘉靖二十年に起きた九廟の火災に際して奉った上奏が皇帝の怒りに触れ、落職して帰郷した。これ以降は、郷里安福の復古書院を拠点に講学活動に励むとともに、地域の治安や経済のために尽力した。
鄒守益の思想の特色について、黃宗羲は『明儒學案』卷十六「江右王門學案一」(p.332)で、彼の学問の特色として「敬」や「戒愼恐懼」の重視を指摘する(先生之學、得力於敬。敬也者、良知之精明而不雜以塵俗者也。吾性體行於日用倫物之中、不分動靜、不舍晝夜、無有停機。流行之合宜處謂之善、其障蔽而壅塞處謂之不善。蓋一忘戒懼則障蔽而壅塞矣、但令無往非戒懼之流行、卽是性體之流行矣。離卻戒愼恐懼、無從覓性。離卻性、亦無從覓日用倫物也。)。
また、楠本正継氏に拠れば、鄒守益は、「良知を説くに当たって、『心』より、『性』を重視して、『性』を『良知の本体』とみなし、良知現成説を排し、現成の猖狂を避けるために、周濂溪・程明道に私淑した(『宋明時代儒学思想の研究』、広池学園出版部、pp.456-60)とされる。
王守仁の「四句教」をめぐっては、王畿、錢德洪ともに、心の本体を「無善無惡」と理解していたが、鄒守益は「青原贈處」(『鄒守益集』卷三、pp.103-4)において、錢德洪の発言については、心を「至善無惡」と説いたのだという理解を示している(「鄒守益「会語」資料(青原の会)訳注――陽明門下の会語記録を読む 其の二――」、『白山中国学 』24、2018、参照)。
良知の融通無碍を徹底的に極めた王畿、あるいは未発の予養を説いて寂に陥った聶豹に比べて、彼の学風は穏当であったと言えるであろう。
黃宗羲は、「夫子之後、源遠而流分、陽明之没、不失其傳者、不得不以先生爲宗子也。」(p.332)と評している。
王畿は鄒守益が死去する前日に見舞っており、その奇縁を自ら「同心感應、若有神焉。」(『王畿集』卷十六「漫語贈韓天敍分教安西」)と述べている。王畿は彼のために「壽鄒東廓翁七袠序」(『王畿集』卷十四、p.388)、「祭鄒東廓文」(同巻十九、p.569)を撰している。
鄒守益の伝記については、張衞紅『鄒東廓年譜』(北京大学出版社、2013)に詳細にまとめられている。
著作に、『古本大學後語』一卷、『道南三書』三卷、『鄒氏學脈』三卷、『鄒文莊明道錄』四卷、『東廓鄒先生文集』十二卷等がある。
「陽明後学文献叢書」に、董平整理『鄒守益集(上・下)』(鳳凰出版社、2007)が収録されている。
また、『陽明門下 上(陽明學大系第五卷)』(明徳出版社、1973)に、吉田公平訳注「東郭鄒先生文集抄」を収める。
〔『明人傳記』741、『明史』283、『明儒學案』16〕
(鶴成久章)
①吉田公平、小路口聡、早坂俊廣、鶴成久章、伊香賀隆、播本崇史「鄒守益「会語」資料(青原の会)訳注:陽明門下の会語記録を読む(其のニ)」『白山中国学』通巻24号、2018
②吉田公平、小路口聡、早坂俊廣、鶴成久章、伊香賀隆、播本崇史「鄒守益「会語」資料(龍華會語・惜陰申約・惜陰説)訳注」:陽明門下の会語記録を読む(其の三)」『白山中国学』通巻25号、2019
③吉田公平、小路口聡、早坂俊廣、鶴成久章、伊香賀隆、播本崇史「鄒守益「会語」資料(惜陰・青原・龍華の会関連)訳注:陽明門下の会語記録を読む(其の四)」『白山中国学会』通巻26号、2020
④吉田公平、小路口聡、早坂俊廣、鶴成久章、伊香賀隆、播本崇史「鄒守益「会語」資料(復古書院関係)訳注:陽明門下の会語記録を読む(其の五)」『白山中国学』通巻26号、2020