市空手道連盟のあゆみ

当連盟は、昭和36年田辺小学校体育館に、前市議会議長中川進氏のお世話により1団体で発足、同時に体協の発足に合わせ、体協所属空手道部としてスタートしました。当時、体育協会会長山村武正氏から、昭和55年に柔道・剣道・空手道の3武道による大会を1ヶ所で開催できないかと打診され、3部で打ち合わせを繰り返し、11月23日に田辺小学校体育館で、第1回田辺町民武道大会が空手道50名・柔道30名・剣道80名の参加により開催されました。

柔道は畳を運び込むのが大仕事で、参加の役員みんなで敷き詰めたことが思い出されます。

その後、同大会は昭和59年(第5回)まで、町民武道大会として開催されました。

年に一度の京田辺市空手道大会
新春恒例の鏡開き

昭和60年には綴喜郡空手道連盟が発足し、第1回綴喜郡空手道競技大会が宇治田原町民体育館で行われました。昭和63年には、2回りめの国体が京都で開催され、空手道競技は宇治田原町民体育館で行われました。

選手の受け入れも、宿泊施設がないため、それぞれ民家に3~4人ずつ民泊の受け入れを行うために、町を挙げて勉強し、町民の方々は大変な苦労をされたようです。

田辺・井手・宇治田原3町の少年少女拳士も国体デモンストレーションに参加し、その指導は当連盟の平石先生(現・京田辺市空連副会長)があたり、大成功を収めました。3町の他、八幡市も参加され、体育館いっぱいの拳士と観客の大きな拍手が今でも蘇ります。

そして京田辺が町から市となり、その間、1つ、2つと加盟団体が増え、現在では加盟団体数も8団体までになりました。

各団体の練習場所・日時・指導者等の情報はこちらにまとめておりますので、ご覧ください。

(記責:安東浩介名誉会長)