6 回 研 究 発 表 会

2021年327日 @オンライン開催


発表1

「荒木経惟の「複写」について――1970年代の作品を中心に」

篠田優(写真家・明治大学理工学研究科 建築・都市学専攻総合芸術系 博士前期課程)

発表2

「クィア実践としての「家族写真」」

寺田健人(写真家・東京藝術大学美術学部先端芸術表現科 教育研究助手)

発表3

「「アノニマスな記録」としての写真――1960年代後半日本におけるテクノロジー中心主義写真概念の成立について」

久後香純(ニューヨーク州立ビンガムトン大学美術史コース博士課程/ 早稲田大学招聘研究員)



発表要旨

発表1

「荒木経惟の「複写」について――1970年代の作品を中心に」

篠田優(写真家・明治大学理工学研究科 建築・都市学専攻総合芸術系博士前期課程)

本発表は、主に1960年代後半から1970年代前半に発表された荒木経惟の写真作品を貫く特徴的な方法論である「複写」を主題として扱う。

荒木経惟は、個人としては異例ともいえる数の著作出版歴をもち、国内外で次々と展覧会が開催され続けていることを踏まえれば、極めて多作な作家といってもよいだろう。その荒木が、1964年の『カメラ芸術』12月号に発表した作品「中年女(おんな)」に付した文章において、つぎのように述べている。

中年のご婦人ほどドラマティックなものはありません。(…)おんなを表現しているのです。ぼくは、それを複写してならべるだけでいいのです。[下線:引用者]

ここで表明されている「複写」とは、その後も荒木が自らの作品を語る際に度々言及していることから、荒木の作品世界における鍵概念といっても過言ではない。

通例的な「複写」とは、美術品や書籍などを客観的に撮影する行為を指す言葉である。それではなぜ荒木は、そのような作者性の希薄な言葉を用いて、自らの作品や写真実践を言い表したのだろうか。本発表はその解明を目的とする。

作品発表の名義をそれまでの「荒木のぶよし」から「荒木経惟」へと改めた上で、荒木が旺盛な活動を開始する1970年代前半の写真状況において、堅固な作者性とは決して肯定的な意味だけを帯びるものではなかった。

グラフジャーナリズムを象徴的に牽引した『LIFE』誌が終刊を迎えた時代において厳しく問われていたのは、戦前の新興写真運動から戦後の土門拳によって唱導されたリアリズム写真を経て、同時代の報道写真家へも引き継がれていた「近代写真」を支えるイデオロギーであった。

そこでは独立した芸術としての写真を確立するために、卓抜な技能と社会への問題意識を兼ね備えた主体が要請されていた。また、そのような主体の確立は同時に、世界を静的な客体として成立せしめるものでもあった。

だが、マス・メディアを通じて大量の映像が流通する時代において、そうした確固たる主体や、主体から画然と切り離された客体としての世界という想定はもはや機能不全に陥っていたといってもよい。むしろ映像という媒体において、主体と客体は、互いに構成し合うものとしてとらえられていたのである。

そのとき、荒木や同時代の写真家及び批評家たちは写真を、芸術の閉域に囲い込むのではなく、一種のメディアとして、つまり「写真そのもの」と呼び得るような様態をとらえようとしていた。

本発表では、荒木の「複写」を、作者性を相対化させることによって「写真そのもの」を現出させる試みとして分析する。そのために遺影やブロマイドといった「キッチュ」な写真への言及や、写真の意味を宙吊りにするようなモンタージュの実験がおこなわれていた。写真雑誌への掲載作品や展覧会への出展作品を参照しながら、「近代写真」を支えるイデオロギーへの対抗言説としての「複写」を明らかにしたい。


発表2

「クィア実践としての「家族写真」」

寺田健人(写真家・東京藝術大学美術学部先端芸術表現科 教育研究助手)

19世紀前半に誕生して以来、写真は人々の思い出を記録する装置として機能してきた。特に、撮影カメラの軽量化と小型化に伴い、写真カメラは家庭に持ち込まれ、家族の日常を記録することに貢献してきた。写真がフィルムからデジタルへ主に移行した現代においても、スマートフォンやデジタルカメラがますます手軽に日常の記録を可能にしている。

こうした日常を捉える写真実践の動向に関しては、1.展示方法と2.作品を対象に先行研究が蓄積されてきた。例えば、展示方法の分析に特化したRichard Chalfenによる研究Snapshot: Versions of Life(1987)(1に該当)は、家族間の日常を撮影したスナップ写真を私的空間と公的空間で展示する際に生じた問題を明らかにした。また、ジュリア・ハーシュによる「家族写真」を分析した研究「家族写真を読み解く:内容・意味・効果」(1981)(2に該当)は、スタジオ撮影の家族写真が肖像画から引用されてきたことや、家庭内にカメラが持ち込まれた後の写真の意味を検証した。これらの研究は共通して、写真という装置がどのように家族観を表象させてきたかを読み解くうえで示唆に富むものの、現代写真史における「家族写真」の位置付けや定義については考察するには、新たな展示方法と作品に関する研究が求められる。

本発表では、「家族写真」をテーマに作品を製作している作家を中心とし、マイノリティ・ポリティクスや芸術表現に基づく写真実践を検証することで、「家族写真」がどのような意味を持つのかクィアな視点からの読み解きを試みる。1980 年代以降におけるマイノリティの作家の実践が、写真史初期から続く「家族写真」を解体し、また彼女ら/彼らは伝統的な手法である「家族写真」を逆手にとり、家族そのものの撹乱を可能にしたという仮説を検証したい。


発表3

「「アノニマスな記録」としての写真――1960年代後半日本におけるテクノロジー中心主義写真概念の成立について」

久後香純(ニューヨーク州立ビンガムトン大学美術史コース博士課程/ 早稲田大学招聘研究員)

多木浩二は『日本写真史』において、写真を個人的な表現として見るのをやめ、「膨大な写真の群」として向き合うことによって、「現象学的といってもいいほど客観的な態度で、資料自体を語らしめる」ことが可能になると宣言している。この言葉は、1968年に日本写真家協会の主催によって開催された「写真100年」展に編纂委員として携わり、実際に日本各地から集めた50万超もの写真と向き合った経験から語られた言葉であると推測できる。本発表では、多木を始め「写真100年」展の編纂委員たちが、写真は「アノニマスな記録」として存在するべきであるという言説を形成する過程を明らかにする。

日本写真家協会に所属する多くの写真家たちが、写真家の地位向上を目指そうと活動していたなかで、写真は「アノニマスな記録」として存在するべきであるという主張は、写真家の主体性を否定するラディカルな挑戦であったとして先行研究においては一定の評価がされている。その一方で、「アノニマスな記録」として理想化された写真群の一つであった「北海道写真」の研究において指摘されたのは、「アノニマスな記録」として特定の写真表現を真の「リアル」として理想化する行為は、それぞれの写真が持つ歴史性を無視する結果においちったという事実であった。

本発表では、「アノニマスな記録」という写真概念における歴史性の欠如に加え、多木ら編纂委員が写真について「現象学的といってもいいほど」の「客観性」をもったメディアであると定義したこについても、歴史的に研究されるべき一つの言説として批判的検討の対象とする。「アノニマスな記録」とは写真家の主体性を否定する言説であったことに加え、写真イメージに付随する「客観性」をカメラというテクノロジーによって保証されたものとして絶対視する言説であったことを明らかにする。この目的のもと、編纂委員たちが一方で『日本写真家協会会報』を公式の記録の場としながら、『アサヒカメラ』や『写真映像』等の非公式の場へと言論活動の場を広げることによって、「テクノロジー中心主義的美学」を形成していった過程を批判的に検討する。