東京大学大学院・新領域創成科学研究科・医薬工学デザイン分野です。松本直樹准教授と山本の二人で研究室を運営しています。新領域創成科学研究科は学融合を標榜し東京大学内のさまざまな学部から教員が参画した組織であり、先端生命科学専攻は東京大学で初めて生命科学の大学院として設置された専攻です。我々は薬学部から参画した唯一の研究室であり、兼担教員として薬学系研究科の教育にもコミットしています。大澤利昭先生、入村達郎先生の流れを汲む研究室であり、当研究分野のキーワードは「糖鎖」と「免疫」です。以下に、簡単に研究内容の紹介します。
研究の大きな枠組みは、糖鎖認識の生物学的意義について、糖鎖認識分子という視点から生命現象を読み解くことです。
(1) 糖鎖修飾はタンパク質の翻訳後修飾の中でもっとも複雑な過程であり、これらが多様な機能調節を担っています。N型糖鎖とO型糖鎖の糖鎖修飾の反応を比較すると、さまざまな点で異なっていることがわかりますが、特にN型糖鎖がなぜ複雑な14糖から成る複雑な構造をもつ前駆体からプロセシングされるのかは長年謎のままでした。小胞体内における糖鎖認識分子(レクチンと総称)の意義についてさまざまな角度から調べた結果、これらの複雑な構造をしたN型糖鎖がタンパク質の品質管理という3つの機能を担うタグとなっていることを明らかにしました。
タンパク質の品質管理の3つの役割とは、(a) ペプチド鎖を正しくフォールディングすること、(b) 正しくフォールディングされたタンパク質をゴルジ体へ輸送すると同時に選別すること、(c) フォールディングが上手くできなかったタンパク質を積極的に分解することです。これらのシグナルがそれぞれ3つの側鎖(A,B,C-arm)に割り振られており、両手で数えられるわずかな種類の細胞内レクチンによって、細胞内で合成される数千種類の糖タンパク質を効率よく品質管理していることを明らかにしてきました。
(2) レクチン様レセプターによる免疫調節機構の解明は、松本准教授のライフワークです(詳細な説明は松本先生のプリントを参照)。翻訳後修飾の一つであるリン酸化に代表されるシグナル伝達カスケード反応の過程は、ミリ秒という短い時間における細胞内という限られた局所での反応です。これに対して、糖鎖修飾はよりタイムスパンの長い細胞間の情報伝達の言語として生体内で機能しています。その代表例が、巧妙な細胞間のネットワークを構築している免疫応答の世界です。非自己を認識して免疫担当細胞を活性化するレセプターだけでなく、自己を識別して攻撃をしないようにブレーキを踏むレセプターなども多数存在しており、それらのリガンドを一つ一つ明らかにして免疫系における役割を明らかにしようと挑戦しています。
(3) 細胞内でのタンパク質品質管理に関わる糖鎖は、酵母などの単細胞生物から植物・動物に至るまで、普遍的な共通のメカニズムですが、同様に生物種を超えて普遍的な糖修飾の一つが、核内に存在するヒストンや転写因子などのN-アセチルグルコサミン(O-GlcNAc)修飾です。この修飾は、小胞体・ゴルジ体内腔で進行する糖鎖修飾とは異なり、細胞質で起こる唯一の糖修飾反応です。細胞質や核内に存在するタンパク質がSer/Thrのリン酸化によって活性が制御されることは周知の事実ですが、当初、Ser/ThrのO-GlcNAc修飾はこれらの反応と拮抗する反応と捉えられていました。しかしながら最近の研究により、ヒストンのリン酸化やメチル化などと同様に、O-GlcNAc修飾が積極的に他のタンパク質をリクルートすることを示唆する報告が相次ぎ、新たなシグナルを担う反応として注目を集めています。この修飾を同定をすることすら容易ではありませんが、O-GlcNAc修飾による細胞の分化・増殖・活性化の制御の研究が新たなテーマの一つです。
(4) 抗体を用いた質量イメージングの研究も行っています。従来の細胞や組織における分子の局在を調べる手法として、しばしば2種類の異なる蛍光物質で標識した抗体を用いて染色を行い、色を重ねて共局在を調べます。しかし、この手法では2つの分子の局在の情報しか得ることができません。質量イメージングは2次元的な分布を質量数で追跡することから、分子量毎にイメージング画像を構築することができ、多数の分子の局在の変化を同時に追跡することできます。脂質のような主要な成分のシグナルを排除し、特定の分子と相互作用するタンパク質の情報を効率よく抽出する手法の開発を行っています。
上記の基礎的な研究に加えて、応用を視野に入れた研究にも積極的に取り組んでいます。
(5) 細胞表面の糖鎖や細胞から分泌される糖タンパク質の糖鎖は、身体の変化を鋭敏に捉えさまざまな構造に変化することが知られています。単なる血中の量的な増減だけではなく、糖鎖修飾を含めた質的な変化を合わせてモニターすることにより、さまざまな疾病の診断が可能になります。改変レクチンを用いたがん糖鎖抗原を標的とする診断技術の開発では、欧米においてがんや生活習慣病の標準的な診断手法となりつつある"レクチンチップ"に改変レクチンを用いることにより、新しい診断法の確立や適用の拡大を試みています。
(6) また、インフルエンザも研究対象の1つです(国立感染研との共同研究)。インフルエンザウイルスの感染は、ウイルス粒子表面のヘマグルチニン分子(HA、糖認識分子)を介して宿主細胞表面の糖鎖に結合することが必須であり、感染の最初のステップです。ヘマグルチニンと生物種に特有な糖鎖との相互作用を詳細に明らかにし、鳥インフルエンザ、ブタインフルエンザなどの感染リスクを評価すること、また分子進化工学的な手法を用いてどのようなアミノ酸変異がトリからヒトへの感染リスクを高めるのか、さらにはヒトへの感染に寄与する部位に対するワクチンの開発などを目指しています。
(7) また、インフルエンザウイルスの高病原性を規定するNPおよびPB2タンパク質を標的として、ケミカルライブラリーから抗インフルエンザ薬を探索する研究も始めました(麻布大学獣医学部との共同研究)。ウイルス表面のHAやノイラミニダーゼ(NA)は高頻度に変異を起こすため、NAを標的とするタミフルやリレンザなどに耐性のウイルスが生ずるのではないかと懸念されています。一方、ウイルス粒子内のタンパク質は変異が起こりにくく保存されています。特に、NPやPB2というRNAポリメラーゼを構成するタンパク質では、宿主細胞由来のタンパク質との相互作用を介して高病原性を獲得するのではないかと予想されています。そこで、これらのタンパク質を標的とする抗インフルエンザ薬のシーズ探索を目指して研究を行っています。