●バントゥー系諸部族の侵入(~1000年頃)
アフリカ東部一帯に,西からバントゥー系諸部族が侵入し,先住のコイ・サン系部族が追いやられる
チェワ族,ニャンジャ族が多数を占めるようになる
●マラヴィ帝国の時代(15-18C)
16世紀,アフリカ大陸の沿岸部各地に拠点を築いたポルトガル人と接触.
金,奴隷,象牙などの交易で勢力を拡大.
●ンゴニ族,ヤオ族の時代(19世紀中頃-19世紀末)
19世紀中頃,南アフリカからンゴニ族が北上し,現在のザンビア,マラウイ,タンザニアに侵入.
組織化された軍隊を持つ彼らは,先住のチェワやニャンジャなどの諸部族を支配下に置いた.
(ンゴニ族の侵入は現タンザニア南西部の諸部族を武装化させ,後の列強の侵略への抵抗運動にも影響)
ヤオ族(マラウィ湖周辺,タンザニア南部,モザンビーク北西部)も現マラウィの地域で力を持ち諸部族を支配.
彼らはインド洋沿岸部のアラブ商人に金、奴隷、象牙などを輸出し,勢力を拡大した.
スワヒリ文化圏との交流を通して,その影響により現在でもヤオ族の大半はムスリムである.
*使用した通貨はザンジバルで使用されていたものか?
19世紀末には,ンゴニ族の有力な部族長が相次ぎ亡くなった上に内戦が重なるなどして弱体化.
イギリスに抵抗しうる勢力ではなくなる.
●英保護領ニャサランドの時代(1891-1953)
スコットランド教会はリヴィングストンの残した影響力を利用し,活発な活動を展開.
イギリスは諸部族と保護条約を結び,ニャサランド保護領が成立.
同じくイギリスの植民地であった南ローデシア(現ジンバブエ)のコインが流通した
1915年,黒人解放を指導するチレンブウェが武装蜂起し白人入植者を殺害するが,鎮圧される.
後に彼の武装蜂起は最初の独立運動として評価される.
チレンブウェの肖像の入った現在のマラウィ紙幣.
●ローデシア・ニャサランド連邦の時代(1953-1964)
1953年イギリス植民地の南・北ローデシアとニャサランドの3つの領域で,連邦が形成された.
それに伴い,新しいデザインのコインが鋳造された.
●マラウィ独立後(1964-)
1964年、マラウィが独立、通貨単位は独立前のものを継承(Shilling, Florin, Penny)
デザインが変更される.肖像にはバンダ大統領のものが刻印されるようになる.
1971年、現在の通貨単位であるKwachaとTambalaを導入.
名称のみを変更し,図案は従来のものを継承したものも見られる.
2006年には進行するインフレに対応するため,さらに額面の大きなコイン,5,10Kwachaが発行された.
(写真右下, バイメタル)