■バントゥー系諸部族の侵入(~1000頃)
西方から鉄器と農耕を伴ってバントゥー系諸部族が侵入する.
先住民のコイサン系諸部族がそれに追いやられ少数派となる.
■スワヒリ都市国家群の時代(1000頃~1500頃)
タンザニアの島嶼部・沿岸部に生活するシラジと呼ばれる人々は,ペルシア(現イラン)のシーラーズから移住してきた人々の子孫だといわれる.このペルシア系の商人たちを中心とする中東系の人々は,東アフリカ沿岸一帯に都市国家を形成し,現地の文化と融合しスワヒリ文化が形成される.
後にイスラム教が広まり,アラビア文字を使用し始めた.東アフリカにおけるコインの鋳造はこの時に始まる.
キルワ(タンザニア沿岸の都市:世界遺産)の繁栄に伴い,キルワからは数多くのコインが知られる.
15世紀には明の大艦隊が東アフリカを訪れ,その際に永楽通宝を残したとされる.
■ポルトガル勢力下の時代(1500頃~1650頃)
大航海時代にインド航路が確立(バスコ・ダ・ガマ1498年),
アフリカ沿岸部各地のスワヒリ都市は,ポルトガルの船団に襲撃される(1505年ポルトガルによるキルワ略奪)
キルワやザンジバルのスワヒリ都市群は攻め滅ぼされポルトガルの支配下に入り,ポルトガルの交易拠点となる.
ポルトガルのコインがもたらされる.
■ザンジバルの時代(1650頃~1890頃)
オマーンがポルトガルの交易拠点マスカットを奪い,急速に力をつけた後,東アフリカ沿岸全域の海洋貿易を独占.
1832年,オマーンがザンジバルに遷都.
ザンジバルは国際的な交易都市として繁栄したため世界各国のコインが使用された.
特に英領インド帝国のコインが流通した.
ザンジバルで流通していたインドのコイン
上段:東インド会社1/4Anna(1835),インド帝国1/4Anna(1862)ヴィクトリア女王
下段:インド帝国1/2Anna(18xx)ヴィクトリア女王,インド帝国1Rupee(1862)ヴィクトリア女王
1881年にはスルタンのバルガシュがザンジバル独自の硬貨を発行する.
金貨2種,銀貨3種,銅貨1種
左:スルタン・バルガシュの銅貨1Paisa,右:東インド会社の銅貨(1833)
共に公正の天秤をモチーフとしている.
1890年に,ザンジバルは独立を失いイギリスの保護領となる.
■ドイツ勢力の時代(タンガニーカ地域)1885~1919
1885年カール・ペータースがドイツ東アフリカ植民地を設立.
1891年以降は帝国直轄になり提督の派遣を受けるようになる.
1905年,ルピア(Rupie)の下位通貨単位をペサ(Pesa)からヘレル(Heller)に変更.
上段:ドイツ東アフリカ会社の1ルピア銀貨と1ペサ銅貨
(このほか2ルピアン,1/2,1/4ルピア銀貨が発行された1890-1902)
中段:ドイツ領東アフリカの1,1/2,1/4ルピア銀貨(1904-14)と,5,1,1/2ヘレル青銅貨(1904-13)
下段:20ヘレル(銅貨と黄銅貨)(1916)と,5ヘレル銅ニッケル貨(1913-14)
第一次世界大戦中は金属不足に陥り,撃沈された軍艦の大砲や拾い集めた薬莢を集めてコインを鋳造したと言われる.
(上記20ヘレル,5ヘレル,15ルピアン金貨が発行された).
刻印が中央からずれていたり材質がまちまちな点が特徴.
大戦に敗北したドイツは,1919年のベルサイユ条約によりドイツ領東アフリカを失う.
大半はイギリス委任統治領となり,西部の現ルワンダ・ブルンジの領域はベルギー委任統治領となる.
■イギリス領時代(ウガンダ,ケニア,タンガニーカ,ザンジバル)1919~1961
通貨は短期間,東アフリカフローリン(Florin)となる(1920-1921).
1922 年にイギリスは、東アフリカに存在する3支配領域,英保護領ウガンダ,英東アフリカ植民地(ケニア),英信託統治タンガニーカに関税同盟を成立させ,ここに共通通貨の東アフリカシリング(Shilling)を導入する(鋳造は1921から).
後にイギリス保護領ザンジバルもこの共通通貨圏に加えられた.
「東アフリカ・シリング」は、現在の通貨単位「シリンギ」に継承されている.しかし,ドイツ統治下での単位も言葉の上では残っており、スワヒリ語で「お金」のことを「ペサ」「ヘラ」「エラ」などとも言う.このほかに,「フェザ」もお金を意味する表現だが,これはアラビア語の「銀」に由来する.
東アフリカ・シリング(上左:1シリング銀貨,上右:50セント銀貨,下段左から10セント、5セント、1セント銅貨)
■タンザニアの成立(タンガニーカ,ザンジバル)1961以降
1961年,タンガニーカがイギリス委任統治国からイギリス連邦内の独立国へと変わる.
ザンジバルは1963年にイギリスから独立しスルタンを君主とする王国となるが,革命が起こりスルタンは亡命する.
1964年にはタンガニーカとザンジバルが連合し,タンザニア連合共和国が成立する.
通貨体系はイギリス統治時代から変更せず,呼称のみスワヒリ語に変更され,ShillingがShilingiに,CentがSentiとなる.
1964年,コインの片面は同じデザインのまま,反対面にスワヒリ語の“SENTI KUMI”の文字が加わった.
片面のデザインは変更なし(左:独立前,右:独立後)
左:独立前は”10セント(TEN CENTS)”,右:独立後は”センティ10(SENTI KUMI)”
その後,タンザニアの野生動物を題材とするSenti硬貨が作られる.
左からSenti 50, 20, 10, 5 (ウサギ,ダチョウ,シマウマ,カジキ)
これらSentiはインフレにより使用されなくなった.
最初の独立後のShilingi 1は,独立前の1shillingと同じサイズ.ニエレレ退陣(1985)後,ムウィニ大統領の時代に小型化.
肖像も大統領交代に伴い、ニエレレ大統領からムウィニ大統領に変更される.
インフレにより現在ではこのShilingi 1(シリンギ・モジャ)も使用されなくなった.
左から,独立前の1シリング,独立後のニエレレ大統領のShilingi 1,小型化したムウィニ大統領のShilingi 1.
Shilingi 5(シリンギ・タノ)
上段左:中央銀行,上段中と右:FAO記念
下段:現行のShilingi 5(シリンギ・タノ)は上段中央のものを,デザインはそのままで小型化した.
次第に高額のコインが作られるようになった,それに伴いサイズも拡大した.
Shilingi 20(シリンギ・イシリニ),Shilingi 25(イシリニ・ナ・タノ)
上段:独立20周年記念,デザインはタンザニアの国章
中段:中央銀行25周年記念,中央銀行20周年記念コイン
下段:現行のShilingi 20
■現在流通するコイン
最少金額のShilingi 5から始まり,サイズが徐々に大きく作られている.
Shilingi 50で一旦小型になるのは,銀貨と金貨の対応関係に模したものと思われる.
上段左からShilingi 200(カルメ) ,Shilingi 100(ニエレレ), Shilingi 50(ムウィニ)
下段左からShilingi 20(ムウィニ), Shilingi 10(ニエレレ) ,Shilingi 5(ムウィニ)
進行するインフレのため,都市部ではShilingi 5~20の使用頻度は著しく低下している.
●500
2014年に新たにニッケルメッキ鋼の500シリング(Shilingi 500)硬貨が発行された。
●将来のタンザニアのコイン
タンザニアは現在、EAC(東アフリカ共同体)とSADC(南部アフリカ開発共同体)の両方に参加している.
それぞれの共同体が共通通貨の導入を目指しているためタンザニアはいずれ選択を迫られることになる.