【夏の風物詩】
「夏が来れば思い出す」と言うのは歌の文句であるが、私の場合、夏の暑さと共に嫌な思いをすることがいくつかある。そのひとつが、身体の皮膚が弱いせいかかなりの汗かきのせいか特に手足がかゆくなるのである。
その為そのかゆさに我慢が出来ずついつい指の爪でひっかくと言うことになる。あまりかきすぎるとキズになり良くないと加減はするのだが、夜寝ている間はそうはいかない。
ついにかきむしりその結果、キズが化膿するような状態がかしこに作り出される。こんなことの繰り返しが夏の期間行われるということになり、毎年この時期、私の手足は傷だらけとなって、皮膚に痣のような斑紋が広がり、人に見られるのも恥ずかしいこととあいなるのである。
【5ヶ月間】
私は夏が嫌いである。暑い夏よりは冬の寒さの方がよっぽどマシである。理由は色々あるが、第一に暑くては集中できない。絵の制作もほとんど夏にはしない。毎日、何とはなくダラダラしている。
クーラーを付ければ良いのだが、クーラーは人口の涼しさで、何となくしっくりしない。故に扇風機に頼っている。けれども日中は昼を過ぎると、アトリエ内の温度は35度を超えるのでもう万事休すである。そんな暑い夏をなんとか耐えて、制作を再開するのが9月の中旬以降となっている。
だから、6月下旬から9月中旬までの約3ヵ月間は、ほとんど制作は休止状態となる。私の場合、暑い中で我慢して制作するより、冬の寒い時にストーブにあたりながら制作する方が、気持ちが入りどれだけ良いかわからない。
しかし年があけて3月に入ると、今度は花粉症に悩まされる。ひどい時は5月ごろぐらいまで苦しい思いをしなければならない。世間では桜が咲いて花見気分で楽しい時も、私にとってはあまり楽しくもない。
こんな状態だから、絵の制作にもっとも集中できるのは10月から2月いっぱいということになる。故にこの1年の5ヶ月間が私にとって最も好ましい期間と言える。それだけに少しでも良い作品を描こうと願ってはいるのだが・・・
【個展】
今回、久しぶり(5年目)の個展を開催する。思えばこの40年余り、実に様々な展覧会に出品してきた。個展だけでも、数えたことはないがかなりの回数開催してきたはずである。それぞれの個展には思い出があり、当時の案内状を見るとその時々の意気込みが伝わってくる。
もちろんどの個展も満足のいくものではなく今から思いだすと実に恥ずかしい内容ばかりである。そんな中で一番印象に残っているのは、美大を卒業して初めて開いた個展である。とにかく、がむしゃらに描いた作品を会場の壁面に並べ始めた時、それまでの自信がこっぱみじんに吹き飛び身体が震えるような恥ずかしい気持ちになった。
こんな作品を人に見てもらうと言うこと自体が申し訳ないという想いで一杯になったが、もう後の祭りであった。この初個展では、先生方をはじめ多くの方々に大変貴重なご指摘やご意見を受けることができたが、それにも増して有意義だったことは、画廊の壁面にかけた自分の絵を6日間眺め続け、その中で自分なりに様々考えることができたことである。
そして何より良い絵、良い作品を制作する努力をしなければダメだということを改めて気が付かされたことである。これらのことは、グループ展では味わえない。個展は自分一人でするからこそ、その意味があると思う。
【夏】
9月の下旬になってようやく残暑も遠のいて来た。とに角、今年の夏は暑かった。昨年が少しだけ暑さがましだっただけに、かなり体にこたえた。京都の夏は、単に暑いだけでなく蒸し暑いのである。
京都以外の地域も、日本中似たようなものだと思うが、暑く厳しい毎日が続いた。我々の子ども時代は気温も暑くても30度ぐらいだったと思うが、今は35度が当たり前でそれを超えることも珍しくない。
外に出て歩くことはかなりの気力を要する。今や家の中ではクーラーは必需品になってしまった。こんな状況だから、お年寄りや体の具合の悪い方は、たまったものではないと思う。
地球温暖化と言われて久しいが、この夏の暑さは年々ひどくなってきているのではないかと思う。昔は暑い夏をやり過ごすために、先人から学んだ工夫があって、例えば打ち水をしたり、風鈴の音で涼を感じたり、簾を吊ったり、団扇や扇子で風を入れたり・・・と。
色々とその暑さ対策があるが、今のこの異常な暑さの状況下では飛んでしまいそうである。北極の氷がどんどん溶け出して北極グマが生活圏を追われるような地球規模の状況では、世界的な規模内容で今以上の具体的な手を打つしかないだろう。それまで我々はじっと耐えて待つしかない。来年の夏のことを考えると恐ろしくさえなる。
【集中度について】
我々画家は常に良い絵、最高の作品をめざして制作しようと日々努力を重ねているわけであるが、残念ながらすべての作者がそのような内容になるとは限らない。どんなに有名な画家も、巨匠と呼ばれる画家にも駄作と言える作品もある。ただ、凡庸な画家に較べるとその数が少ないのかもしれない。
絵を描くと言うことは、その技量はさておきそのテーマに対する感動と共に精神が最高に充実していなければならないと言える。制作は製作ではないし、作業ではない。一枚の絵に全身全霊打ち込まなければダメだし、その絵を描くまでの画家の生き方や考え方、言わば一人の人間としての在り方がすべて投影されると言っていい。
しかし、人間である以上いつも最高の状態とは限らない。体調が悪かったり、精神的に苦しかったり、他のことに気を奪われたり…といろいろと絵を描く環境も変化する。こんな中で大切なことは、いかにして集中できる良い環境を作るかということだと思う。少しでも雑事や様々な煩悩から離れ、一枚の絵に全力投球できる環境をつくることが何よりも大切なことだと思う。その結果の集中度が一枚でも駄作を少なくし、良い絵、最高の作品への糸口になるのではないかと思う。