Malacca Straitマラッカ海峡歴史的都市

Historical Cities of Strait of Malaccaマラッカ海峡の歴史的都市群

2008年、マラッカとペナンの旧市街地がユネスコの世界文化遺産に登録され、これがマレーシア最初の世界遺産となった。正式名称を「マラッカ海峡の歴史的都市:ムラカとジョージ・タウン(Melaka and George Town, Historic Cities of the Straits of Malacca)」といい、当初は同じようにマラッカ海峡に面するシンガポールとプーケットの歴史的市街地も含めることが検討された。マレーシア観光・文化省国家遺産局が全体の申請手続きの調整を行う中で、シンガポールとプーケットとでは同じ文化財的価値を共有できないとして共同申請を断念した。

●世界文化遺産の評価点 世界遺産の10の基準に照らし合わせて、基準Ⅱ(人類の長期にわたる文化交流を示すもの)、基準Ⅲ(現存するあるいは消滅してしまった伝統や文明の比類なき証拠となるもの)、基準Ⅳ(人類のある重要な時代を示す建築や景観)において高く評価された。すなわち、マラッカ海峡の港町は数百年にわたり東西交易の拠点となり、マレー、中国、インド、イスラーム、そしてヨーロッパ他からの文化が混在融合し、それらは色濃く建物や景観に現れている。世界文化遺産地区は保存対象のコア地区と、準保存のバッファー地区から構成され、後者は周囲に広がる非保存地区との景観的断絶を補うとともに、今後のコア地区への移行が期待されている。

マラッカ海峡は古くから東西交易ルートの要所であり、シュリーヴィジャヤ王国やムラカ王国の庇護の下で東西の商人たちがその港市に集まるようになった。16世紀に入り西洋諸国が商業活動に参入すると、木造建築が占める伝統的な港市の姿は一変し、彼らは海に向けて要塞を構え、また組積造で倉庫や家屋を建て、そしてアジア系住民を近傍に住まわせていった。このムラカとジョージ・タウンではこのような植民地都市の面影が構造物と生活様式に強く残されている。

●ムラカ遺産区域 ムラカのコア地区はムラカ川の両岸に跨がり、東岸は歴代の権力施設があったところで、ムラカ王国時代の王宮が博物館として復原され、また、ポルトガル支配時代のサンチャゴ砦やセント・ポール教会、そしてオランダ支配時代のスタダイス(政庁)やキリスト教会などが現存している。一方、西岸には歴史的市街地が広がり、街路に面して、住居、店舗、宿屋、作業場などの多目的に使用されるショップハウスが軒を並べ、また、街区の中ほどにはヒンドゥ寺院、モスク、道教寺院、墓廟などの宗教施設が点在する。2008年当初のコア地区面積は38.62ヘクタールであったのに対して、2011年の登録見直しでは45.3ヘクタールへと微増しただけであったが、一方、バッファー地区は134.03ヘクタールから242.8 ヘクタールへと二倍近くに増大した。これは、鄭和の来訪伝説を持つ三宝廟と華人墓地となっている広大なブキット・チナ(中国の丘)と、交易港の重要な構成要素であるムラカ河口域を付け加えたからである。

バッファー地区を含むムラカの世界文化遺産は州政府出資の世界遺産事務所が管理し、新築からから増改築までの建築確認、修理の技術指導、現状建物の監視と指導を行っている。クアラルンプール国際空港から車で2時間、シンガポールから車で3時間という位置にあるために、短期滞在観光客を相手にした開発圧力が強い。そのため、多くのショップハウスが土産物屋や骨董品屋に改装されてしまい、ムラカに根付いた多民族文化をまもり、見せるという趣旨からは外れる傾向にある。世界遺産管理ガイドラインの遵守は管理事務所の監視と指導によるのではなく、建築史研究者や保存建築家の支援を受けながら、地域住民と資本家が自らの責務とするシステム作りが必要であろう。

●ジョージ・タウン遺産地区 ジョージ・タウンはペナン島東端部の地名で、18世紀末、イギリス東インド会社の私貿易商だったフランシス・ライトがケダ王から島の租借を受け、ここに要塞と市街地を築いた。およそ世界遺産のコア区域に重なり、ムラカの同地区の約2倍にあたる109.38ヘクタールを占める。北側に要塞、広場、役所が並び、南側には商売と生活のための市街地が格子状に広がる。イギリス植民地時代、シンガポールほど開発圧力がなく、また、第二次世界大戦後、賃貸統制法によって開発が抑えられ、多民族住民の住環境がそのまま残る希有の例である。バッファー区域はコア区域を取り囲むように設定されており、150.04ヘクタールを占める。特にペナン通りが走る西側一帯が広くなっており、20世紀初頭、この通り沿いはホテル、映画館、デパートなどが建設され、商業娯楽の中心地であった。

マレー半島の華人にとってジョージ・タウンは故郷であり、1970年代からペナン・ヘリテージ・トラストが歴史文化の掘り起こしと保存運動を始めた。世界遺産申請をリードすると共に、世界遺産登録後は同管理事務所と協力しながら、維持管理のための啓蒙活動を積極的に進めている。[泉田英雄]

ムラカ歴史都市の世界遺産区域

ジョージ・タウン世界遺産区域