3. 研究概要

本研究室では、「遺伝情報=DNA塩基配列」と考え、様々なアプローチでユニークな研究を行っています。その1例を示します。

生物(生命)が地球に誕生して約40億年が経過したと考えられています。現在の生物の最小単位は細胞であり、DNAを遺伝情報として継承しています。私たちが目にしている多くの生物は多細胞生物ですが、地球にはバクテリアのような顕微鏡で観察しなければヒトは見ることができない単細胞の生物の方が多く存在しています。バクテリアやアーキアは大半を単細胞で生活し、細胞は環境に接しながら生きています。よって、環境の影響を強く受けて生きてきました。

生物の多様化(進化)の背景には、遺伝情報の多様化があります。点突然変異の多くは中立であり、それらが蓄積してきました。しかし、特定の遺伝子が点突然変異で異なる遺伝子に変化することは極めて稀です。例えば、リボソームRNA遺伝子は系統進化のマーカーとして使用されることが多いのですが、その機能は共通であり、点突然変異の蓄積によって異なる機能を獲得した(リボソームRNAではなくなった)という報告は私が知る限りにおいてありません。

単細胞で生活をしているバクテリアやアーキアにおいては、遺伝情報の水平伝播の影響は生態的、進化的に大きく影響します。現在、多くの水平伝播はプラスミドやウイルスを介して生じています。宿主細胞のクロモソームに比べ、これらの転移性遺伝因子はサイズが小さく、搭載している遺伝情報も限られています。私は現在水平伝播している遺伝情報には偏りがあり、それは40憶年の歴史によって選択されてきたと考えています。すなわち、現在の地球における水平伝播の規模は小さく、細胞や生物のアイデンティティが重視されていると言えます。

しかし、40億年前はどうだったでしょうか? おそらく、生物は極めて速い速度で多様化しており、「鳶が鷹を生む」ような状態であったと考えられます。そのような状況では、クロモソームそのものが水平伝播し、細胞分裂において完全なコピーを継承できなかったと考えられます。前述しましたように、現在では、そのようなことは生じておらず、バクテリア間でのクロモソームの水平伝播は生じていないと考えられています。

そこで、実験室においてクロモソームの水平伝播を実験するため、本研究室の1つのテーマとして、バクテリア細胞を巨大化し(下図参照)、その巨大細胞への異種クロモソームDNAの導入を行っています。細胞が遺伝情報として認識できるDNAの塩基配列の範囲を知ることが目的です。もちろん、将来的には、コンピュータでデザインしたクロモソームDNAを宿主細胞へ導入することを考えています。

これまでのバクテリア細胞の巨大化に関する研究については、「バクテリア細胞巨大化の研究記録」をご覧ください。

  • 北日本新聞 社会面 2019年5月17日 バクテリア巨大化成功 県立大西田教授ら 1000倍まで培養

  • 富山県立大学ニュースリリース 2020年6月1日 バクテリア細胞への物質導入システムを確立

  • 北日本新聞 社会・地域ニュース面 2020年6月2日 バクテリアを遺伝子操作しやすく人為的に巨大化 県立大工学部 西田教授ら確立

  • 富山県立大学ニュースリリース 2022年1月13日 巨大バクテリア細胞に異種ゲノムを導入

  • 富山新聞 北陸総合面 2022年1月14日 バクテリア巨大化 導入DNAで変化 県立大の西田研究室

もう1例示します。日本酒に含まれるDNAのシークエンス解析、いわゆる環境DNA研究に端を発したものです。

日本酒および日本酒造りの過程からのDNAに基づくバクテリアの菌叢解析は1997年に寺嵜桃香さん(当時大学院1年生)を中心として本研究室で始めました。DNAの塩基配列から、日本酒造りにおいてどのようなバクテリアが混入し、一時的に増殖したかについてはわかります。しかし、その機能を知るためには、バクテリアを分離する必要があります。バクテリアが酵母のエタノールで死滅する前に分離しなければなりません。そこで、初添えからのバクテリアの分離を行いました。

2021年、私たちは日本酒造りの過程から分離したバクテリアに関する論文において、kuratsuki bacteriaという表現を初めて行いました。蔵付きとは、酒蔵に(長年)住み着いていることを意味します。2021年は、私たちの蔵付きバクテリアの研究元年です。

日本酒は、酒米のデンプンを麹菌によって糖化し、その糖を酵母によってエタノールにすることによって造られます。もちろん、糖やエタノール以外の物質についても麹菌や酵母の働きによって造らています。微生物がお酒を造っていることがわかっていない古代より日本酒は造られています。よって、初期の日本酒造りでは、十分に育種されていないほぼ野生の状態の麹菌や酵母を使用していたと考えられます。

現在では、多くの酒蔵が市販されている麹菌や酵母を使用して日本酒を造っています。酵母は日本醸造協会が管理、維持している協会酵母を使用しています。日本酒の味や風味の違いに酵母が影響していることは明らかですが、これらの協会酵母の多くは、特定の酒蔵から分離されたいわゆる蔵付き酵母です。例えば、協会6号は秋田の新政酒造から分離されたものであり、通常よりも低温でも高いエタノール生産ができます。

日本酒造りにかかわる人たちは、蔵付き酵母についてよく理解されています。もちろん、酒蔵に住み着いている微生物が酵母だけであるはずはありません。その他にも様々な微生物が住み着いています。では、酵母以外にはどのような微生物がいるのでしょうか? 不思議なことに、私が知る限りにおいて、そのことは網羅的に調べられていません。よって、誰も語ることができませんし、誰に教わることもできません。私たちが乳酸菌以外のバクテリア(アクチノバクテリア)の蔵付きバクテリアを見つけるには5年程度の時間がかかりました。

日本酒造りにおけるバクテリアの多くは悪者、邪魔者扱いされてきました。その中でも研究されていたのは乳酸菌です。ヨーグルトをはじめ多くの発酵飲食品において乳酸菌は重要なバクテリアです。バクテリアの存在が明らかになる以前から人類は乳酸菌を利活用してきました。それほど地球上では一般的に存在しているバクテリアということです。

日本酒は大きなタンクにおいて造られていますが、エタノール発酵を効率的に行うために、発酵スターターとして酒母(もと)を造ります。その酒母造りにおける酵母の活性を高めるため、それ以外の雑菌を死滅、あるいは増殖抑制をしています。そこで用いられるのが乳酸です。現在では、乳酸を添加して行う速醸造りが主ですが、環境から混入する乳酸菌を利用する生もと造り(山廃はこのタイプ)がその原型といえます。

自然環境中に多く存在している乳酸菌が日本酒造りにおいても混入することは無理がありません。日本酒造りではそれを上手く利用してきたということです。生もと造りで混入する乳酸菌は自らが生産する乳酸によって死滅し、それに耐性な酵母が優先的に増殖するという仕組みです。日本酒造りにおいて混入する多くのバクテリアは酵母が生産するエタノールによって死滅します。すなわち、日本酒造りにおいても様々な微生物のサバイバルが行われているわけです。

日本酒造りでは最終的に酵母によって20%程度のエタノール濃度に達します。乳酸菌の一部はそのエタノール濃度においても増殖できるものがあり、それらが混入、増殖した場合、日本酒は腐造します。この腐造は火落ちと呼ばれ、それを引き起こす乳酸菌を火落ち菌と呼びます。通常、貯蔵前および出荷前の2回、低温殺菌を行っていますが、それを火入れと呼んでいます。

以上のように、日本酒造りにおいては、乳酸菌は善悪の双方より重要なバクテリアであり、研究の対象となってきました。その他のバクテリアについては、いわゆる雑菌として扱われ、存在していてもエタノールによってやがて死滅するものと考えられてきました。よって、研究対象にさえされてこなかったということです。

私たちは、富山の1つの酒蔵だけから検出されるバクテリアDNAがアクチノバクテリアに属するコクリアであることを明らかにしました。また、この酒蔵からのもろみ初期のサンプルから種レベルで異なるコクリアを複数株分離しました。複数の株についてはゲノム解析を行い、酵母との相互作用および日本酒造りにおけるコクリアの働きを明らかにする実験を行っています。