SoundUp
Googleが買収し世界的に利用者が広がった設計ソフトSketcuUpをベースに、音響シュミレーションによる企画設計、現場実測比較、可聴化を実現する提案。
関連先行事例:昼光・電気 照明設計統合ソフト DIALux(Free)、建築音響と電気音響を統合に相当
聴覚情景分析と建築音響 Auditory Scene Analysis and Architectural Acoustics
20世紀半ば、建築音響研究に音響心理学の知見が応用されるようになった。20世紀末になると聴覚心理、精神物理学を建築音響設計に利用する技術基盤が整った。21世紀には、聴覚情景分析(ASA)とASA計算機応用(CASA)が建築音響に寄与することを期待している。
聴覚情景分析のデモ音源: Demonstration: Bregman's Auditory Scene Analysis
万延元年の英国建築音響 The Acoustics of Public Buildings 1861
当時は音響の科学的根拠が未解明なまま、公共屋内空間の大型化が急速に進んでいました。
この本にはファラデーのクリスマス講演(ロウソクの科学)で有名な英国王立科学研究所(1799 年創立)の講堂の設計図があります。クリスタルパレス(水晶宮)や英国国会議事堂(ウェストミンスター宮殿)などのエピソードから、公共の場での音響が建築家の課題であったことが解ります。(当時の国会議事録には英国下院議会の音響の説明があります)
博覧会での大規模な演奏が衆目を集め音楽演奏の規模形態が大きく変わった様子(「音楽を展示するパリ万博1875-1900 」井上さつき 著)は、後のラジオの普及や、携帯音楽機器普及に匹敵するものかもしれません。
大衆が利用できる大型音楽ホール(Free Trade Hall, Surrey Music Hallの図面が音響的好事例としてあげられている)の出現で、英国でも音楽を聴く形態が大幅に変化したことが読み取れます。
著者は各章で木造内装の共鳴効果を積極的に評価しています。この時代に共通の認識です。
現代の劇場や教室・講堂の資料集成、教科書にある可視線に基づく床曲線は、ここでは講演者の声の通りを良くするための計画技法でisacoustic(等響曲線)として説明されています。これは造船技師John Scott Russell (ドップラー効果観測者、ソリトン波発見者、鉄道造船技師ブルネル共同者1808-1882)が1836年にIsacoustic and Iseidomal Curves(等響、等可視 曲線)として発表したものです。
サリバンが設計したシカゴのオーディトリアムビル(1889)でも採用されています。曲線発明から70年後の日本建築辞彙(ニホンケンチクジイ 中村達太郎 1906)では「音響」の項の説明は等響曲線のみです。構造や様式に比べ、音や熱の工学的根拠の受容には相当年月がかかったようです。
W. C. Sabine (1868-1919)
P. E. Sabine(?-?)
残響時間公式で一級建築士試験にも出てくるセイビンです。
インターネットのサイトで彼とその従兄弟の著作が公開されています。
精緻な図面、写真と具体的なイラストが豊富なことに驚きます。
今日の音響学的視点から再読する価値がある著作と思います。
セイビンは Wallace Clement Sabine Laboratory of Acousticsを設立し、その死後、これを従兄弟が継承、Riverbank Acoustical Laboratories (RAL)とし現在も続いています。
各種の建築雑誌に寄稿した論文をまとめたもの。
ライプチヒ・ゲヴァンハウス、旧ボストン・シンフォニー、現ボストン・シンフォニーの比較図もあり。
木と音響(194ページ)
著者は木の音響効果は、大きなホールでは限定的との分析をしている。観客や他の吸音要素が支配的影響があり、木の特性は舞台周りの共鳴効果に限定されるとの見解である。バイロイト歌劇場のピットの断面図も木造事例として紹介されている。
従来から大量の木製パネル内装の部屋が音響的に優れているという伝説が根強い。英国で最近発行された建築音響に関する著作でも音楽演奏のために木を強く推奨している。木の共鳴する性質が「音色を改善し」、「音色を明るくする」との理由である。
このような木造崇拝の起源は容易に説明できる。小さな部屋でかなりの表面が共鳴する素材(木)である場合には音色の強調があるかもしれない。大きな部屋で限定的に木の仕上げがあっても、その効果は心理的なものが強いと筆者は思っている。
舞台の床では軽量の木構造とその下の空気層がチェロやダブルベースの基本的音色を増幅するだろう。これらの楽器は床に直接、接しておりピアノの共鳴板のような効果を果たしているのだろう。
ホール/オペラハウス 木造、木製内装
コンサートホール、オペラハウスは19世紀末まで、屋根(小屋組)や床が木製であった。石造の外装ではあっても、内部は木造主体であったので、木造に対する神話、信仰が現在まで続く根拠となっている。19世紀の設計者はヴァイオリンの共鳴機構への連想で、木製の屋根裏、木製の床下空間を音を増幅する機構として理解していた。19世紀末には残響時間の研究により、石材や石膏にくらべ、木製内装は音のエネルギーを吸収し、響きを弱める事実が定量的に確認できるようになった。この時代、ホールの規模が大型化し客席の吸音が多くなり、音のエネルギーを吸収すると残響時間が不足することが理解されるようになった。
楽器の共鳴機構に関する本格的研究がなされるまでは直感的類推が設計根拠となっていた。
20世紀後半以降のホールでは防災上の制限から不燃基材に極薄の化粧板を加工した建材を用い、板振動による音の吸収を避けるよう施工する。商業施設、オフィスビルでは印刷した木目シートが多用されている。
外装は石造。石造風の舞台は実際は木製。客席床、屋根も木製である。
外装は石造。客席床、屋根は木製である。
舞台・客席床:木製。内壁:石膏・木造。天井:石膏。天井構造は鉄骨。天井裏には砂利と煉瓦が敷き詰められている。調査資料
天井裏に共鳴することを防ぐ仕様になっているが、客席床下には低周波の透過が生じる構造。
英国で発行された"Planning for Good Acoustic" 1931には同時代のGewandhaus1884-1944で床共鳴が設計に取り入れらている旨の記述があるがその根拠は明記されていない。
Manfred Schroeder(1926 - 2009)
建築音響でも著名なドイツの物理学者シュロエダーの生い立ちから永年にわたる研究史までの詳細なインタビュー記録(IEEE技術史サイト)の部分抄訳です。
同サイトにはマイクロプロセッサー Intel 4004を設計した嶋正利のインタビュー記録もあります。
マイクロ波、音響学、音声合成、音声信号圧縮、ホール音響分析、音響拡散装置まで、物理的、数学的な発想が貫いていること語っています。原文には歴史の因縁や運命の襞が描写されています。
いずれ、全文訳したいと思います。音響学史、電気音響史、技術史に興味のあるかたはご協力ください。
私は個人的に戦前戦中の部分に興味が有ります。
第一次世界大戦独空軍のパイロットを父に持つ数学好きのシュロエダー少年は、無線機を学校の会議室に仕込み、盗聴のイタズラをして、スパイ容疑を恐れる両親を驚かせた。差し迫った戦況の中、1943年16歳で、夜間防空高射砲レーダー手の任務に動員される。
空軍パイロットに志願し滑空訓練をうけるが、まもなく、ゲーリング直轄のレーダー研究特務学校に志願し電磁気学の特訓を受ける。短縮課程で大学入学資格得た後、休暇中にリューマチ熱となり入院したが、武装親衛隊の招集を予感して完治前に退院してレーダー部隊に合流した。
空軍と海軍のレーダー技術交換要員となり、海兵軍事訓練を経て、オランダのレーダー基地に派遣された。巨大なレーダーを維持管理し、ここで終戦を迎えた。終戦後もオランダ海軍に協力して、レーダー技術を指導した。
一時帰国するが国内の物資不足から、オランダでの技術協力を1947年まで継続した。帰国後、ゲッチンゲン大学に進学する。数学と物理での才能を発揮する。導波管装置でマイクロ波を研究し、修士号を得て、フルブライト奨学生として当時、最先端の米国ベル研究所の研究員となる。
ベル研究所には1952年から1987年まで在籍し1969年からはゲッチンゲン大学第三応用物理研究所の所長を兼任した。兼任中は年間5ヶ月をベル研究所で過ごした。
シュロエダーは当初、音響学に興味が無く、マイクロ波の研究を進めたが、その過程で音響学とマイクロ波が数学上同じように扱えることを思いついた。ベル研究所やゲッチンゲン大学では音波とマイクロ波を完全に同じようなものと理解していた。博士論文ではシュロエダーはマイクロ波の問題をとりあげながらもコンサートホール音響学の回答を提示することになった。この時代に、マイクロ波と音響に共通のカオス的現象に興味を持ち、ずっと後の1991年になって、フラクタルとカオスに関する著作を出版することになった。
最初はテレビ電話の開発に参加するように誘われたが、当時のシステムには期待できそうになかったので、音声合成を手がけた。最初の音声合成器は、制作者以外には意味不明の発音しかできなかった。同じ頃、ホール残響を合成する技術は実現できた。1966年にはインドからアタールが参加し、ピッチの問題をケプストラム法で解決したが、まだ合成音声は不自然であった。後にLPC(線形予測符号化)と呼ばれる合成方法が成功した。1970年代にはテキサス・インストルメンツの玩具「スピーク&スペル」で製品化された。別の導出過程から、ほとんど同じ符号化の方法を日本のNTTの板倉と斉藤が開発していた。この技術は後の携帯電話の音声符号化圧縮の基盤となった。
1965年前後には核拡散防止条約により、地下実験となった核爆発の振動と、地震をケプストラムによって判別した。1969年にはコンピューターのアートへの利用に興味を持ち、ラスベガスのコンピューター・アートの展示会で作品を発表し、一等賞を得た。音声認識はあまり研究しなかったが、アポロ宇宙船の地上火災の通話音の話者同定などに音声解析で貢献した。聴覚については、有毛細胞の数学モデルを提案した。
1963年のニューヨークのリンカーンセンターに関わったため、博士論文で扱った室内音響について再度、関わることになった。
(以降、建築音響の専門家には有名な逸話の数々、研究史が続きます。)