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第5集 人生における分岐点 【1~100】

【藤原肇著「生命知の殿堂」と重なる部分が多少ございます>

1藤原肇:2009/06/12(金) 15:13:56

人生行路において幾つかの重要な分岐点があり、それが人生にとっての節目を作る契機として、思いがけない飛躍や挫折を決定付けることがある。

結婚や転職がその機会になることもあるし、糖尿病で糖分の摂取を医者に禁じられたり、大手術で生活パターンが変わることもそれだったりする。

このような分岐点の一つに現在の私が遭遇し、生活のリズムに変調をきたして低迷気味なので、閉塞間の中で気力喪失に陥っている日本のように、情けない状態にこのまま沈み込まないためにも、「禍福あざなえる」人生パターンにおいて、何を+か-かに見るかについての省察を試みたい。

四半世紀住み慣れた米国の砂漠を去り、南国の蝶が舞い飛ぶ台湾に移り住み、やっと二ヶ月が過ぎ去った今という時点の段階で、二つの大きな生活上の変化に見舞われた。

最初の精神的なものは移住後一週間で現れ、第二の肉体上の変化は一ヶ月が過ぎてから、具体的な数字を伴って着実に私の身体上に定着した。

2藤原肇:2009/06/15(月) 16:46:04

まず最初の精神的なものは情報面において現れ、山奥に住みインターネットの接続が悪くて、一種の情報断絶に遭遇したフラストレーションが、私の生活のリズムを完全に狂わせたことだ。普通ならこれほど急激に体験しないので、ショックがこれほどひどく現れないだろうが、米国の砂漠と台湾の仙境の落差は白髪三千丈で、何とも形容ができないほどのものに思えた。それまで空気のように取り込めた情報が希薄になり、ある意味で酸欠に似た情断状態で体調を崩し、一種の高山病を患ったようで息苦しかった。いうならば麻薬の禁断状態に似て、情断状態は精神と共に肉体を痛打したので、頭は壊れ体がコムラ返ししそうだった。馬齢を重ねただけにショックは絶大だった。

情報革命の渦の中に巻き込まれて生き、その最先端のアメリカに住む場を維持して、ヨーロッパからの目線で世界を把握したのが、観察者として私が確保した足場だった。だから、ヨーロッパの新聞や雑誌の一流コメントは、慣れ親しんだものとして扱ったし、それに近い問題意識の保持に誇りを感じて、アメリカの言論レベルを見下す余裕もあった。それが過去20,年間の私のスタンスであり、密かに抱いていた誇りの源泉だったのに、それが一瞬のうちに崩れ去った感じだった。

3千々松 健:2009/06/18(木) 15:29:58

藤原肇博士が砂漠の地から緑地の仙境の地に無事に「軟着陸」されることを願ってから、もう3ヶ月が過ぎようとしています。

その間に博士の体内の細胞は入れ替わって、新しい水の中で徐々に生まれ変わったものと想像されます。人生における分岐点としての住環境の変化は「智情意」の三面で表れると思われますが、智に関しての「情報断絶症候群」が最初の関門になったようですね。「禍を以って福と為す」となりますように。

4千々松 健:2009/06/25(木) 19:39:23

実は、6月22日に「賢く生きる」をアマゾン経由で入手して読み始めたところです。

その矢先に次の本が出るようだという報に接しました。タイムリーな出版になるのではないかと今から期待しています。

一方、それとも関係して先生の血圧の数値が高くなっておられるのではないかと心配です。

「賢く生きる」の中から<フィボナッチ数列の第12項目に現れる144の数に因んで>

360度の円を5で割った72度の倍は144度で、144の数はフィボナッチ数列のキーナンバーになる。

ただし、シュトーレンのダイヤモンドカットに144面体カットが不成立なのは残念。

また、倉田大嗣博士の話を引用させていただきます。

「四つの基元素からすべての元素が成り立ち、原子転換によってウランまで行くわけで、変化の原動力はNSの磁性共鳴にあります。・・・そして、四つの基元素の表と裏の組み合わせによって、原子転換で146まで行くと考える」p163-164。

この146という数値は、もしかしたら144のミスプリントかも知れないと私は思いました。

それは、最近知った新型インフルエンザの種類の理論値が3^2×4^2=12^2=144になることからの連想です。

もちろん「四つの基元素」は「神聖方陣とラセンモデル」に現れる「FLKM系列」の四つ数の流れに相当すると考えてよいと思われます。

5千々松 健:2009/07/07(火) 18:39:29

量子力学の父と言われたハイゼンベルグは「部分と全体」の中で、「専門家は、その対象とする部門について非常に多くの知識を持っている人というのではなくて、その専門とする分野において、起こりうる最も重大な間違いを知っており、したがって、いかにしてこれを回避できるかを知っている人である。」と述べている。これはまさに「リスク・マネジメントと危機管理」の分野でも大切なことであると思う。

また「部分と全体」の中に面白い部分をみつけました。ミュンヘン大学の理論物理学のゾンマーフェルト教授を指して、その下でハイゼンベルグと共に学んでいたパウリが「彼は数の関係を信じている。まるでピタゴラス学派の連中の弦の振動の調和(ハーモニー)のように一種の数の神秘教の信者だ。だからわれわれは、彼の学問についてのこの側面を“原子秘教”(Atomystik)と面白がってよんでいるのだが、しかし今のところ、誰もそれ以上のものを知らないのさ。それどころか、ひょっとしたら今までの堂々とした物理学をまとった形でまだ十分よく知っていない者の方が、もっとたやすく正道をみつけ出すことができるかも知れないぜ。だから君は有利だよ。」と皮肉っている箇所です。

「Atomystik」はそこから何かが産まれ出てきそうで、語源からするMatrix(母岩・・・)と「母数」と言えないでしょうか? 秘数といえば何といっても「9」がメインですが、その9を法とするモジュラー算術の「mod9」が母なる数をして、すべてを創り出す仕組でもあるのです。仕組みは四組に言葉が重なるのは偶然とも思えません。四つの数の流れの組み合わせを現わしてもいるからです。

今宵は七夕です。良い「真夏の夜の夢」が観られることを願います。

6藤原肇:2009/07/21(火) 17:12:29

台湾の山奥に拠点を構えたことによって味わったのは、インターネットへの接続における不便さという、インフラストラクチャーにおけるハード面での欠陥だが、これは台湾だけでなく日本における共通の欠陥に基づくもので、オリジナル文明とコピー文明の差に由来するように思われた。

日本や台湾では高速光ファイバーADSLが利権化して、地域別やサービス別に私的企業の縄張りに組み込まれ、通信アンテナのネットワークとして区分されて、個々の会社との年間契約をすることになっている。

そのために人工衛星を使い空間という地球規模の技術が、地上のアンテナという細切れ技術に矮小化されて、21世紀に相応しい惑星技術に結びついていないのである。

いうならば、国境の枠を乗り越えた世界規模の地球文明の成果が、20世紀的な国民国家の枠組みに絡めとられてしまい、折角の外に広がるインターネットがノートルダムの背虫男のように、捻じ曲がって歪んだ構造になっていると感じさせられるのである。

7千々松 健:2009/07/22(水) 12:19:33

科学は主体と客体を区分することから始まると言われていますが、人文科学においても主体と客体を区分して思考することが大切と最近感じています。

人間の発するオープンクエスチョンは通常5W1Hですが、Which、Whose、Whomの三つの客体を加えて、初めてストーリーや全体像が見えてくるようです。

主体は何かといえばWhy、Who、Howの三つです。そして、Howは元来のHow many、How muchという程度だけに絞り、How toは客体の三つに移管されると考えてよいでしょう。残りのWhen、What、Whereはいつ、どこで、何をテーマにするのかという「場」です。これらの9つのWhat?疑問文を展開して、思考し、質問し合うことで、それぞれの関係性において最適な組み合わせが形成されて、物語なり、実行計画なりが構築されて行くのです。

さて、米国でのマネー資本主義の破綻は、機械論的、還元的アプローチの失敗でした。それはデカルトやニュートンの産んだ近代科学の限界を如実に知らされた思いでした。

今こそ、新たな「複雑系」を取り入れた動態平衡や生命システム論に学び、たとえ部分では正しくとも、全体としては必ずしも正しくならないような性質の問題についても、より良い最適解を探り、対処していかねばならないのです。

8藤原肇:2009/07/22(水) 14:38:42

>6のつづき

それはハードとソフトの役割における関係として、私がかつて綿々と強調してきたことである。具体的には、後進あるいは発展途上国にいけば行くほど、ホテルや建築物が近代的なものになるのに似て、ハードに属す技術移転は比較的に簡単だから、箱物としての設備や軍備などの装備に典型的に見られるとおりで、物を数や量で揃えることは至って簡単である。

それはアフリカや中東のスーク(市場)で体験できるが、コンピュータや精巧な電化製品を並べて売っていても、売っている親父は電気の知識がなくても平気だし、故障したときに修繕する能力はまったく無くて当たり前だ。だから、形の上で一見するとインフラが出来上がっているように見えても、それがスムースに機能するかどうかは別問題になる。

ハードでさえこれだけの違いがあるのだから、ソフトになると人材や歴史における蓄積の厚さが決め手になるので、実力の差は見えないソフトに関わっている。情報革命を自ら開拓して情報スーパーハイウェーを築いた米国と、そのコピーキャットとして発達したアジアなどの地域では、プロと素人の違いが歴然としているのであり、それを五年ぶりに訪れた日本と台湾で痛感したのだった。

9藤原肇:2009/07/23(木) 16:27:35

同じコンピュータやインターネットを使っているにしても、普通に使っている場合にはあまり問題にならないが、アメリカで「裏ワザ」として使い慣れていたのに、同じものが使えなくなるのは仕方が無いにしても、後進国に行って困るのはHotmail.comが先ず使えなくなることだ。

無料のサイトだから仕方が無いといえばそれまでだが、急遽アドレスを変えようとしても手遅れになることは、コスタリカに行ったときに難渋したが、それと同じようなことがアジアなどの各地で発生して、世界を旅する生活が欧米以外では困難だと実感した。

しかも、言葉はソフトにとって決め手になるものであり、14億の中国に比べて1億数千万の日本の人口では、同じような漢字体を使っても力の違いが圧倒的で、日本語の言語空間に中文の文章が津波のように押し寄せ、コンピュータはたちまちフリーズ状態に陥ってしまう。

10千々松 健:2009/07/26(日) 22:16:39

外から入る情報は、少な過ぎても、多過ぎても困りものですね。

生命科学者の中村桂子さんは「サイエンス、科学というのは、既知のことを未知の仕組みで理解することだ」という一見すると逆説的なことを述べています。科学の本質は、未知を既知で説明するのではなく、既知を未知で説明することにあるいう、なんと創造的な視点でしょう。

それはまさに「順序」ではなく「逆序」の思考法と言えます。

イリヤ・ブリゴジン博士を日本に招いて1992.9.29に開催された「生命論パラダイムの時代」のシンポジウムは、無生物と生物や、自然科学と人文・社会科学の関係について、多くのヒントを残してくれました。熱エネルギーに関する「散逸構造理論」は難しいとしても、自己組織化、複雑系、非線形、一回性をはじめ、最近では「動的平衡」のキーワードにつながっています。

11千々松 健:2009/07/26(日) 22:49:54

清水博さんは京都の東寺に伝わる両界曼荼羅を指して「二つのマンダラは表裏一体となって宇宙観を示す。それは同時にシステムとしての関係性の構造体である」と述べておられる。

「21世紀マンダラ」も同様な構造体であるが、それは空間ばかりではなく、「数の流れ」という時間の流れに関係するものを持っているので、自己組織化や自己創出により役に立つものである。

この場合の「役に立つ」とは変革して行くことのできる何か(智慧)を内蔵しているという意味です。

旧システムの崩壊(破壊)と新システムの創造が行なわれる時に必要なものは、先ずは哲学と思想であって、そのためには、このような知のパラダイム転換が重要であると思われます。

12藤原肇:2009/07/27(月) 10:07:47

マイクロソフトは米国特有の一種の詐欺商法であり、ソフトの新旧のバージョンに互換性がないだけでなく、最近では新しいソフトほど機能が劣化していて、VISTAになるとガラクタのおもちゃ同然といってよく、それを買わされた人は不便この上ない。

それはデリバティブを証券化して売るのと共通で、使う人の立場より金儲けが先に来ているのと、情報の盗聴の目的を果たす機能優先のためだ。

しかも、双方向性を求めて多層性を追求しようというのではなく、リニア的にドアーの数を数量的に増やして、捕獲量を増加させようという嫌らしい発想だから、文明の進歩の方向にはほとんど寄与しないから、智慧を内蔵していないのは明白なのである。

米国が世界に君臨して支配しているエシェロンは、英国、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドという、アングロサクソン系による情報盗聴のネットワークだが、その威力の源泉はソフト中の隠しドアーにある。

この隠しドアーをいかに巧妙にたくさん組み込むかが、マイクロソフトが君臨している秘密の鍵と言われるし、コンパクト化が進む中でドアーを構築する技術は、ウィンテルの技術覇権にとっての決め手になっているという。

13藤原肇:2009/07/27(月) 11:26:56

ロバート ベアが書いた『CIAは何をしていた?』は、中東の石油権益を舞台にした映画「シリアーナ」の原作だが、この本にコンピュータの隠しドアーについて書いてあった。しかも、隠しドアーをつける作業場の存在する場所として使われたのが、パームスプリングスに近いカバゾンのインディアン居留地だったので、コンピュータの隠しドアーについて興味を感じて調べたら、従来は隠しドアーが二個というのが知られた情報だった。

エシェロンと直結して情報を盗むために、少なすぎるので四個にしたというところまでは、ベアも本の中に書いていてあった。それが中国政府の独自のソフト開発計画の遠因だが、マイクロソフトのソフトの劣化の原因になっていて、隠しドアーの無理が関係しているという説もある。

そのせいで一般の利用者が粗悪品を売りつけられ、迷惑しているのだとしたらたまったものではないが、ウィンテルの名の通りウィンドウズとインテルに支配された状態で、外箱とキイボードを買わされている利用者としては、不都合をすべて押し付けられていることになり、それが多くのトラブルの原因を作っていることに、アメリカを離れたことで気づくことになったのは皮肉である。

14千々松 健:2009/07/27(月) 15:36:08

コンピュータの「隠しドアー」は、思わずドラえもんの秘密道具の一つである「どこでもドア」を連想してしまいました。(笑いごとではないですが)

利用者が知らないうちに情報を盗まれたり、逆にサブリミナル効果のように知らないうちに情報を流しこまれたり、ヴィールス感染したり、サーバーテロに遭う恐れもあり得るので、何とかしてリスク・マネジメントをする必要があるということですね。

さて、トヨタとホンダの違いを一言でいえば、改善(カイゼン)と創造(共創)の違いであると思う。

改善と創造の違いは、今までの常識、規範、コンセプトをいったん否定するかしないのか一点にあり、清水博氏は創造について「創造とは、自己が自己の境界を越えて新しい自己の境界を創出することである」また「創造とは、論理的な因果律にしたがって、現在から未来の方へ進んでいくことでは断じてない」と述べている。(創作的場所論からの引用)

今般のGMの崩壊と再生劇をトヨタやホンダはどのように見ているのであろうか? トップの経営戦略の違いが事業継続という課題にどのような影響を与えるのかは、ここ数年で明らかにされるのではないでしょうか。

15藤原肇:2009/07/27(月) 17:28:17

もの作りを放棄して金融ビジネスに乗り換えた米国は、GEまでがエジソン以来の伝統を放棄して、家電部門を売り払って金融会社に化け、ノンバンクとしてあぶく銭を追ってしまったが、マイクロソフトの技術力は最初からGE以下で、ソフトバンクや光通信と似た一発屋的な会社だった。

そういう意味ではITブームもバブルだったし、日本で盛り上がったネットバブルが象徴していたように、日本の携帯電話がカラバゴス化だったのに似て、日本語もカラバゴス化しつつあるように台湾で実感した。

台湾で利用するインターネットの日本語情報は、文字化けすることが多いと感じていたが、送った手紙や届く手紙にも文字化けが多い事実があるという発見。そういう目で眺めると日本語における情報の撹乱は、ヴィールスによって簡単に出来そうであり、アメリカの基準が世界のスタンダードになっては困るが、こういったことへの政治的な配慮が行われないまま、茶番劇に明け暮れている日本の現状は狂っていると言える。

それにしても、これがアジアにおける情報革命の実態の一端であるならば、情報の量や数によるインフォーメーションに埋没して、とてもインテリジェンスの水準に達し得ないという気持ちになった。

16千々松 健:2009/07/28(火) 10:34:37

確かに日本の携帯電話は「ガラパゴス化」の道を歩んでいるようですね。

先日、プラズマテレビの開発をコンソーシアムの形で進めて、成功に導いた倉重氏のお話を聞きましたが、世界標準にすることの意義を知らされました。

また、今後はグローバル化の中でも日本としては「グレートチャイナ」をより意識して行かねばならないと感じています。

17藤原肇:2009/07/28(火) 16:23:28

インフォーメーションからインテリジェンスへの転換において、スムースにことが進まないことに悩まざるを得ないという事実は、米国にいたときには予想もしなかったことだ。

それは高い山に登って酸素が薄くなったことに気づき、割れるような頭痛に悩まされて酸素の価値を再評価しても、ちょっとばかり手遅れなのに似ている。

米国ではそれほど情報がふんだんに存在していて、それをインテリジェンス化するのが簡単であり、社会としてのインフラが整備できていたのだと気がついた。

だが、このインフラを作り上げたのは20世紀のアメリカ人たちであり、21世紀のアメリカは没落して破産寸前を呈して、過去の遺産にすがり付いているのが現実である。

そういった状況の中でインテリジェンス能力を低下させ、それが嫌だと嘆くのでは情けない限りだが、そろそろ年貢の納め時だと考えることによって、弱みを強みに転換できる可能性はないかと考えた。

18藤原肇:2009/07/29(水) 19:06:16

台湾の仙境に住んで情断の悲哀を嘆息した私の生活が、一週間から十日を経て二週間が過ぎた時点において、血圧を測ったら大きな変化が発生していたので、これには本当にびっくり仰天で唖然としてしまった。

というのは、それまで140/115で高血圧気味だった血圧が、一週間目に120/95になったので降下剤とアスピリンを止めたが、二週間目に何と105/80で安定していることに気づいたからだ。

まず第一に実行したのは夜の9時に寝ることで、夜明け前に目覚める生活に切り替えたことであり、第二には『賢者のネジ』に対談を収録した赤木さんの忠告に従い、頭を北にして南北の方向で寝るスタイルを実行した。

赤木説によると「君子は南面す」と「釈迦の涅槃は南北方向」であり、この秘伝の実行は不老長寿の秘訣であるだけでなく、生命の健康維持にとって最良だというのである。

ハムレットではないがここが思案のしどころであり、「インテリジェンスか」それとも「生命の健康か」の選択が、私にとって次の課題として突きつけられたのである。

19千々松 健:2009/07/30(木) 11:33:47

仙境に移られた藤原肇博士の血圧を心配していたのでしたが、稀有に終わって安心いたしました。全く正常の範囲に返ったようで何よりです。

「天丹、地丹、人丹」の三つの仙道(気功)を行うことは博士の「ウエットウェア紀(生命の歴史)」の最後に現れた人類としても、丹田を重視した大腸生命論的なクラインの壺、あるいはメビウスの輪としての人間存在に回帰することになるのではないでしょうか。

そして、それは同じくデジタル(コンピュータ的線形世界)からアナログ(生命論的非線形世界)への回帰を意味するのかもしれません。

20藤原肇:2009/07/30(木) 22:39:01

頭を北にして南北に寝る必要があることについては、七年前から珪水さんに何度も忠告されていたことだが、同時に寝室から本を完全に追放しない限りは、PCB中毒で血圧は下がらないと言われたこともあり、米国からの引越しが実現するまではベッドを動かしただけだった。

赤木さんには電磁波障害性甲状腺機能不全だから、とりあえず南北に寝ることから始めて、コンピュータの使用を少なくすることが、血圧を下げ健康管理の秘訣だと念を押された。

アメリカから台湾に移ったことで情報の場が変わり、インターネットの利用が物理的にも困難だったのと、毎日のように有機食品ばかり食べたせいで、血圧は低い状態で安定するようになった。

だが、台湾に移り住んで三ヶ月の間に東京を四回訪れ、出版のための詰めとコンピュータを使う生活で、再び血圧は上に向かってスイングし、台湾と東京の往復のたびに数値は上下に大きく振れた。

そこで分岐点の前にたって考えたことは、より若い世代の活躍を期待して第一線を退き、適塾の原点に立ち戻ってパトロン役に徹し、やり残したことに取り組むことが最善である。

また、ちょうど『さらば、暴政』を世に送ったことに合せて、さらばゾンビとの係わり合いということになったので、ひとつ江戸っ子としての意地を張ることにした。

そして、江戸っ子精神を体系付けている九鬼周造の「いきの構造」を取り出し、何十年ぶりかで再び読み直すことにしたのである。

21藤原肇:2009/07/31(金) 07:23:25

それというのは、「いきの構造」の中に書いてあった言葉として、確か『箱根の山の東には、野暮と化け物は住まない』というような文章あって、それが江戸っ子の心意気だという説明があったと記憶する。ところが、明治維新以降の東京は薩長の田舎者が支配し、江戸っ子の心意気は萎縮して姿を消してしまい、愚民政策と野暮な風潮が君臨し続けた。

そんな情けない時代精神に反発した江戸っ子として、それを受けて『情報戦争の時代』を上梓したときに、友人のマッド・アマノと出版社の協力を得て電車の中吊りを作り、一週間ほど東京周辺の電車に広告を出したが、果たして覚えている人がいるだろうか。

中吊り広告の中央に本の写真と書名を黄色のバックに黒字で大きくいれ、その隣に「藤原肇の舌鋒炸裂!」という文字と共に、『日本政府は自民党に操られて完璧なまでに私物化され、インテリジェンス能力は限りなくゼロに近い。(本文より)とある。中央左にはマッド・アマノのパロディー描写で、当時の首相の誰にでも見える人物が洋式便器に座り、『インテリジェンス戦争の時代』を読みながら、「うーん、なるほどそうか!!」と気張っている。

その隣には赤い文字で『自民党の代議士諸君は大臣から陣笠まで、この本を便所の中でこっそり読んどるよ!!』(元閣僚の談話)とあり、その隣りには太いゴシック体の文字で、「しかし、国民の皆さん!!!あなたは明るい所で堂々と御読み下さい。愚民政治を吹き飛ばす凄いエネルギーが生まれます」というメッセージが輝いていたのである。

22千々松 健:2009/07/31(金) 23:26:21

清流出版から10年前に出た「バイオメーション」を読む。

渥美和彦氏が「21世紀の方法序説」について7人の賢人と対論し、正慶孝氏が解説を加えている。特に黒川紀章氏との対論は内容が深いと思われた。黒川の「共生の思想」は彼の仏教の素養から来ていたことを知った。また「侘び寂び」の日本文化の心髄が共生の美意識にあるということも良く理解できる。

そして、本から離れるが、前回の都知事選挙に黒川氏が敢えて出馬したことの意味が今にして分かったような気がした。

p363から引用

『今の我々の社会は、カタストロフかアナストロフかの選択の分岐点である。カタ(下への)ストロフ(転換)は、「この世の終わりの日」の選択であり、アナ(上への)ストロフ(転換)は「楽園回復」の道である。言うまでもなく、我々の選択は後者でなければならない。』

31藤原肇:2010/06/28(月) 00:08:55

言論界は権力の逸脱の監視をするのが使命であり、社会の木鐸として批判精神を持ってペンを揮い、「ペンは剣より強し」を実現する責任を持つ。このモットーを校章にした福沢諭吉は慶応大学を創り、人材を育てる目的を実行していたのだが、それにあやかって対談相手の名前に福沢油吉を使ったので、それが意外な効果を生む結果と結びついたのである。

ガンらしい腫瘍があるとの診断から手術に至る期間を利用して、ロスの紀伊国屋や旭日屋書店に出向いた私は、大量のガンに関した書籍を買い込んで読み、この謎の疾患についての情報と治療法の知識を頭の中に詰め込んだ。脳腫瘍になった脳外科医の体験記の本を始めとして、新免疫療法やガンとの共生を勧める本など、毎日のようにガン関係の本を読み漁ることになった。しかも、偶然見つけて買った石井議員の遺書になった著作を発見して、「日本が自滅する日」を読むことができたのは、ガン退治に挑む直前だけにタイムリーな出来事だった。

34藤原肇:2010/06/29(火) 23:59:30

人体には健全な普通の細胞とがん化した細胞が、共生した形で存在しているのが一般的と考える私は、免疫力が低下することで均衡が破れて、その結果としてがん化が進むという理論を長らく受け入れてきた。しかも、免疫療法をポジティブな形で使うことによって、がん化の傾向を持つ細胞が萎縮や退化する時に、血を吐いて変性するのが排便に混じる出血現象であり、がん化した細胞の退行が進む度合いが強まれば、血液は粘性を強めてお血の形をとるのではないか。このように考える私の目の前でお血排出の現象が起きて、理論的には納得できる症状が現れているのに、他方では排便の困難とガス化が酷くなって不快なので、私は苦しさのあまり医者に相談することにした。

しかも、私は過去30年ほど病院を訪れたことがなかったし、42歳の厄年の時に人間ドックに入って健康診断を受け、その時に何も問題がないと言われたから、それ以来の診断と治療は歯医者と眼科医だけだった。そして、病院で検査や治療を受けることはなく、後は自分で血圧や体重を測るだけで、病気にならずに健康を維持し続けていただけでなく、孔子の「身体髪膚、これ父母に受く、あえて毀傷せざるは孝のはじめなり」という言葉を信じ、これまで身体で切ったのは髪の毛と爪だったので、手術などは他人事で自分に関係するとは考えたくなかった。若いころの刷り込みは恐ろしいものであり、高校生になって学んだ漢文の授業の時に、この「孝教」の教えが「仰げば尊し」の歌の源で、「だから、君たち身体を大切にし給え」という教師の言葉に感激したことが、外科手術への偏見を生んだのかも知れない。

http://members3.jcom.home.ne.jp/sennjinn/kou.html

身体的な病気のほとんどは、不快感や異常感と共に始まるが、過去30年間の私には苦痛を伴う症状はほとんどなく、過去一年ちかく続いた便秘症を除くなら、日本の暴政による亡国現象に由来する、精神の苦痛を除いては何もなかったといえる。そのような観察と体験のカルテとしての記録が、「平成幕末のダイアグノシス」や「日本が本当に危ない」などの著書であり、最近になって「小泉純一郎と日本の病理」や「さらば暴政」が更に加わった。「紺屋の白袴」と昔からいうように、関心事が他にあると専門領域への注意が手薄になり、「油断大敵」ということになってしまうが、まさかがんの腫瘍があるとは予想もせずに、地球の医者の私が「医者の不養生」を犯していたのである。

35千々松 健:2010/07/02(金) 21:59:51

幸運に恵まれて、梅雨の晴れ間に自宅の引越しを完了することが出来ました。

定年後の老い支度のため、東京を中心にして、江の島・鎌倉のほぼ点対象の地点に転居いたしました。そこはその昔、平将門が城を築いたと言われる場所の周辺で、東方角には鹿島神宮が位置しています。

TX(つくばエキスプレス)のおかげで、アキバや霞が関には思いのほか出やすいようです。

人生の分岐点を転地(天地・転置)というカタチで迎えることになりました。藤原肇博士のように、米国から台湾へという国際的な転地ではなく、国内約100キロの移動に過ぎませんが、庭の梅の実の熟する時期に当たり、本日収穫を済まして、梅酒、梅ジュース、梅ジャム等に変身する準備を家内としたところです。

さて、松岡正剛氏は胃がん手術を乗り越えた後、更に活躍の輪を広げている様子です。「医者の不養生」を体験された博士は、今年前半の手術を経て、益々意気盛んとなられることでしょう。

37藤原肇:2010/07/03(土) 19:08:50

話は飛んで<閑話休題>ということになるが、二週間の予定で出かけた米国への旅行が疾病で、何と三ヶ月もの長期滞在になってしまった。しかも、やっとのことで医者から飛行機に乗ることを許可されて、日本に戻ったのに今度は台湾行きの空席がなく、三週間後の七月半ばまでキャンセル待ちで、蒸し暑い梅雨の日本に滞在せざるを得なくなった。六月末から七月前半は大学の年度末で、大量の学生が移動するのと夏の旅行シーズンが重なるらしく、一ヶ月先まで飛行機は満席で空席がないという。幸運にも天然温泉を持っている知人の招きで、湯治を兼ねて野天風呂に浸かりながら体験談を整理し、「掲示板」に書き込みを始めたせいだろうが、ビジネスクラスなら座席があるとの連絡が届いた。そこで一等席とは客種が違うと納得し、台北にたどりついて北投温泉に滞在して、世界に二つしかない青礦泉の名湯を楽しんだが、それにしても、過去三ヶ月の体験は人生の分岐点の踏み越えであった。

http://fujiwaraha01.web.fc2.com/fujiwara/article/onsen.htm

ここは秋田県の玉川温泉と並ぶ世界の名湯で、この温泉の持つ治癒能力の秘密は石膏の親戚の含鉛硝酸バリウムにあり、その主成分はマグネシウムによるドロマイト化の産物だから、私はマグネシウムとは実に縁が深いと再認識した。

48千々松 健:2010/07/05(月) 21:59:45

北投石と玉川温泉の石は共通しているようですね。その薬効が期待されます。

さて、昨日の情熱大陸というTV番組に松岡正剛氏が登場していました。頬は削げていますが精悍さは変わりませんでした。例の松丸本舗の最新のテーマは「女本・男本・間本」とのこと、三拍子にしたところは面白いと思う。

番組の最後で、インタビュアーに応えて彼が話していた内容は興味深いものでした。

「未知と既知」―全体を10として既知が四割、未知の部分が六割ずーっと続く状態が好い―これぞ「知の巨人」にしての無知の知でしょうね。

以前引用して、一部が違っていたようなこともあり反省していますが、「既知のものを未知のもので説明したり、未知のものを既知のもので説明したりする方法」=逆序と順序のバランスが重要と思います。

個人的には逆序すなわち既知のものを未知のもので説明したり、見たりすることに興味が湧きます。

未だ誰もが認識していないことにチャレンジすることの楽しさは計り知れないのです。多分、知の辺境にこそ創造性が潜んでいるのですから。

49T.N.:2010/07/05(月) 23:33:01

>48 以前、サマセット・モームの言葉として、こんな話を聴いたことがあります。人類が世界や宇宙のことについて何かを知ると、それに伴い知らないことが幾つも生じる。既知のことを分子に、未知のことを分母にとると、既知が増えるよりも未知の増大の方がずっと大きいので、この値は小さくなる一方。結局、世界や宇宙のことを知れば知るほど、それに対する人類の存在は小さなものになる、というような話でした。

あと、どこの国の言葉か忘れましたが、こんな言葉も

”何が世界を動かしているかが分かった頃には、そんなことはどうでもよくなっている”

50藤原肇:2010/07/10(土) 18:18:05

油断できない条件に取り囲まれていた点を思えば、アメリカへのこのこ出かけて行ったのは軽率のきわみだし、そこで病気ということで手術をするのは、全く脇が甘いと言わざるを得ない不手際であった。しかも、胃腸科の専門医から精密検査の必要があると言われて、Colonoscopyの検査を受けた段階において、麻酔で一時間半近くも昏睡状態だったのだから、何かを施されたなら先ずこの段階が第一の関門のはずだ。私自身は地質の専門家として地球の医者であり、「間脳幻想」の体験で藤井先生から医学の手ほどきを受け、生命に関しては普通の医者よりも心得があるつもりだった。どうやらここに落とし穴があったような感じで、知っていると思うことは進歩を停止させる驕りの証拠であり、その段階で新しい驚きへの関心がなくなってしまうために、大部分の人がこの思い込みで失敗してしまう。だから、この思い込みの罠のせいで成長がストップした、何人もの人を目撃していたこともあり、「無知の知」への敬意を払い続けて来たつもりだ。だが、アメリカへの旅で緊張が緩んで油断していたと見えて、驕りの気持に支配されていたのかも知れない。

『間脳幻想』は原点に立ち戻る奥義書であり、この種の思い込みに中毒した時に読むことで、逸脱から立ち戻ることを教えていて、さすがに藤井先生は名医だったとその薫陶を有難いと思う。ヒポクラテスを読むようにとのアドバイスは、藤井先生に相手をしていただいた時であり、そのお陰で、ヒポクラテスの故郷で医学の源流であるエーゲ海のコス島を訪ねて、医神のアスクレピオスの神殿に参拝したことで、ドロマイトの持つ威力と秘密の解明を果たしていた。

http://fujiwaraha01.web.fc2.com/fujiwara/article/la93w.htm

同じドロマイトを構成するマグネシウムの威力が、カトリック世界最大の聖地としてのルルドにおいて、水による治癒力の秘密を生み出している点に関し、地球の医者としてのカルテをまとめたことは、洞察力を持つ読者には完璧に読み取れたに違いない。また、北海道の珪水さんが80回以上も読み、鹿児島の飯山一郎さんが三冊目を持ち歩くが、二冊はボロボロになるまで読んだのに較べ、私などは未だとても読み方不足というレベルであり、何度か原点に立ち戻った程度に過ぎない。

ルルドの聖水の秘密もドロマイト化であり、石灰岩のカルシウムが苦灰化でマグネシウムに置き換わって、有難い治療効果をもたらしたものだった。

カルシウムがマグネシウムで置き換わることで、石灰岩が苦灰岩(ドロマイト)になる絶妙なプロセスは、人間のレベルでは聖なる泉や湯治効果の高い温泉になる。マサビエルの洞窟の泉源の写真を見れば、断層面を挟んで上の白い石灰岩に対して、下の黒っぽい苦灰岩の違いが明白に分かるのに、ルルドに行く人は水ばかり観察とて岩を見忘れ、それが百年以上も続いてきたのだから情けない。

http://fujiwaraha01.web.fc2.com/fujiwara/article/lourdes.htm

また、ウォルト・デズニーはルルドを訪れて、その観光地としてのポテンシァルを捉えた点では、大したビジネス感覚を持っていたので、全世界に数多くのデズニーランドを作って遊園地化したとはいえ、病人や死人を相手にするノウハウを誇るヴァチカンには敵わなかった。

65藤原肇:2010/07/17(土) 06:52:30

人間のレベルでは治療と施薬は医学だが、地球のレベルでは鉱山と精錬の仕事になり、地球の医者として生きてきた私には、医学の問題は自然開発のバリエーションで、そんな感じで自分の病気について考えてみた。

人間を相手にする現代医学に対して、私があまり信頼を置いていない理由は、人間の体が小宇宙で大宇宙と照応しているのに、近代の医者はそれを余り考慮しておらず、人間をモノ扱いしているからである。具体的には、生き物は生命体として一体として成り立ち、病気はひとつの臓器の異常ではなくて、全体の調和が乱れていることを見ないで、器官の異常として病名をつけがちだ。

あるいは、せっかく症状や症候群が現れており、生理状態が狂っていると示すのに、症状をなくしたり痛みを沈静させて、それを治療と考えていたりするのだ。悪いところの切除や苦痛を取り除いて、原因ではなく現象を消すことだけで、問題を解決したと考えて済むのであれば、頭痛の時には頭を切り落とすべきだ。

最悪のケースは熱が出た時の処置であり、熱さましを与えて折角の警告を消すし、同じことは血圧が高くなった時には、血圧降下剤を飲んでそれを措置だとする。だが、体温が上がるのは温度を高めることで、黴菌やヴィールスの活動を抑制して、病因を軽減させ回復促進を図るのではないか。問題は高熱のために脳の機能が低下し、生命活動が阻害されないような形で、対応策を講じることではないだろうか。

現在の生理学では分かっていないが、摂氏42度の周辺に一種のシキミ値として、細胞が活動できなくなるポイントがあり、氷点や沸騰点と同じような作用をして、未知の相の転換点である可能性もある。あるいは、量や数値では現れない質の転換を促す、特異点に等しいものが存在しており、数量化し得ないので盲点になっている。いうならば、われわれは未だ知るに至らないが、現象がそこでワープする領域があり、ミステリー・ゾーンを構成しているのかも知れない。

最も気になるのは重力や引力との関係で、太陽や月の影響によって機能が変わり、季節や時刻によって分泌にリズムを持つ、セロトニンやメラトニンがあるように、薬の投薬量に変化が必要ではないか。それだのに、医者や薬剤師がそこまで考えて、処方した話しは聞いたことがない。

満月の時に子供が誕生するのであり、新月の時に死ぬことが多いのに、生命活動の始めと終わりの瞬間についてさえ、現代医学は無関心であることが、私にとっては不信のたねになっていて、病院に近づかない人生になっている。しかし、生身の体が示す便秘という症状に加えて、血便と腹部が苦しいことのために、内科医の紹介で大腸の専門医の診断を受け、やっと治療への第一歩に編み出した。

69藤原肇:2010/07/20(火) 10:43:06

日本では医師の専門化が早すぎるために、基礎的な訓練が手抜きで医者になり、国家試験は知識が中心であって、医者としての臨床実地テストがないし、成績も評価された形では公表されない。しかも、臨床医学や倫理はほとんど問われず、一度合格すれば免許は一生有効で、その後の勉強は要求されないために、医者の免状が利権化しているから、最新情報を学ぶ必要さえもないし、いざとなれば開業医になれば良く、実力は問われないで生活できる。

藤井先生が嘆息していた問題点は、現在の保険制度は点数制だから、一人の患者に一時間を掛けて診ると、一時間に二十人の患者を処理する医者に、収入で二十分の一になってしまい、良心的な治療は全く成り立たない。しかも、患者が医師を神様扱いしており、先生にお任せしますという態度で、自分の命について他力本願であるために、病気への勉強が停止してしまうのだ。

医者は総てについて万能ではないし、質問を始め意見や発言があれば、それを下に医者と患者の対話が始まって、そこから本当の診察に移るのに、そのプロセスが日本では欠けており、医者が気楽な商売になっている。それは医者が患者と対話することにより、自分の病気や治療の可能性に関し、患者の問題意識を高めるプロセスにおいて、先生としての医者が患者を甘やかし、病気について勉強するのを怠るために、患者としての訓練が不足してしまう。

対話のある診療法が成立するには、医師が個室の診察室を幾つも持ち、その部屋にいる間は患者が主人で、医者は患者を訪れる立場という、往診という原点に立ち戻る必要があって、米国ではどんな医者でもこの方式だ。だが、日本では医師が診察室の中央に腰を据え、そこに患者が訪れるのが普通で、患者は診てもらう立場に置かれてしまうし、医者は時間を支配する側にいるから、患者は数としてこなされることになり、対話の始まりにと結びつかない。

ギリシア語のクリニコンの意味は、患者の隣に座り対話することで、聴診や検診をする行為を指している。だが、現実の診断の多くが望診と問診だけで、三分診断の商売が蔓延しているから、医者が緊張を欠き商売をしてしまい、優しいがもたれ合いの関係になり、患者は自分の病気に対して無知に近い。

70藤原肇:2010/07/20(火) 11:48:44

それは医者に限らず大学でも同じで、日本の学生は予習をする習慣がなく、ただ講義に出席して聴講することが、勉教だと思い込んでいるために、先生に鋭い質問する者がほとんどいない。だが、話を聞くだけなら参加でなく、その場にいたということに過ぎず、それでは学問ではなく寄席になる。

学びの原点は質疑応答にあって、良い質問は問題の所在を理解し、議論を通じて認識が深まっていくのだが、そのためには準備が必要である。最近の日本の大学生は本を余り読まないし、教師に積極的な質問を試みずに、出席して単位を取ることだけを考えて、学問をする姿勢に欠けている。

質問をするのは答えを知るのでなく、考え方を理解するためであり、答えを知ったら考えようとしないので、答えは教えないのが良い先生だ。しかも、条件次第で答えは幾らでも変わるから、条件についての考察が大切であり、世の中には正解のない問題は多いし、答えがないのが正しい場合がある。

そして、正解がないことを確認した上で、次善の策を考えだすところに、思考する上で戦術的な出発点があり、それが正しい実行の方法になる。病気に対しても学問に対する場合でも、これが選択し学ぶことであり、戦略の中に正しい戦術を取り込む営みになるが、今の日本ではこの姿勢が崩れているために、亡国現象が蔓延しているのである。

こういうことが機能していない原因は、豊かになり過ぎて緊張感に欠け、セロトニン神経の機能が低下したためで、真剣勝負をする体制が整わずに、パニック状態になって切れてしまうか、緊張を失い弛緩することになる。

だから、大学の授業や医者の診察において、観光と同じ体験の集積になってしまい、受身で学びの場を使っていても、成果を上げる場として完結しない。成り行き任せの農耕民型でなく、獲物を捕える狩猟民型でない限り、健康を手に入れるのが難しくなるが、この体質と習慣の克服が決め手になる。

そうであれば、診察と診断が終わった段階で、医者が「何か質問は」と言った時に、すかさず質問を浴びせることで、治療への出発の始まりに転換できる。アメリカの医者の場合は診察してから、どの医者も「質問はないか」と尋ねるので、感心したしチャンスだと考えて、それから先は納得するまで議論したが、それが診断料の価値ある使い方だし、それをしないと診察効果は半減する。

71千々松 健:2010/07/20(火) 23:28:34

かつて「日本医師会のドン」と言われた武見太郎は晩年に大病して入院手術するが、病人になって初めて感じたこととして、看護師が医者より頼りになる存在であったことを打ち明けておられた。

医者は病人の検査をして、診断して、手術して、確かに病は治すかもしれないが、一人の人間としての全体を見ていられない程に忙しく、安心を与えてくれるのは看護師の方に軍牌が上がろうというもの。

今年、亡くなられた大島正光先生も、医療現場にて看護師の果たす役割を重視されていたことが思い出されるし、100歳に限りなく近い日野原先生も看護を大変重視されて実践されて来られました。

ケアすることは一人の個人を全体的に看ることになり、看護師は患者を「安全地帯」にいつも置いてくれる存在なのでしょう。

73藤原肇:2010/07/21(水) 10:14:02

医師の先祖は魔術師の仲間だったから、奇しき技の持ち主として薬師とも呼ばれ、医師はマギとして尊重されていた。天文、地文、人文の領域に精通して、大宇宙と小宇宙の照応関係が分かり、賢者として司祭や医師は尊敬され、マギはマジックと共通するだけでなく、不思議な威力を持つものとして、マグネチズムやマグネシウムとも結びついている。

キリストも実態は治療師だったことは、彼の生涯を見れば分かることだし、それを宗教として利用したのはペドロで、ヴァチカンがそれを事業として組織化した。だから、テンプル騎士団の発祥の歴史を見ても、医者や看護婦は患者に奉仕する者であって、医療の原点は慈悲心に出発があり、ホスピタルもホテルも共通の語源を持ち、公共の施設という意味がある。

また、仏陀も自らを治すために修行して、最初は荒行でノルアドレナリンの制御をしたが、限界に気づいて菩提樹の下で瞑想し、ヨガの腹式呼吸法の活用により、セロトニン神経の制御法を確立した。それが不老不死の健康法であり、南北の磁場を生かして北枕で涅槃し、マギとしてマグネットの方向に従い、マジックとしての長生法を開拓したが、弟子たちがそれを宗教の形に改変した。

このような偏見で宗教の歴史を見れば、総てが生命体の健康に関わっていて、地球上の生命現象の基本原理は、自然現象の形で読み取れるのだし、大自然は生命学のテキストに他ならず、自然が生きた聖典だと理解できる。そして、この理解に達した者が賢者と呼ばれ、その智慧の神髄が「賢者の石」であり、それは地球の生命活動として、原子転換のメカニズムに連なるし、自然学としての錬金術の体系を構成する。

地球を調べて来た私がガイアとして、調べられる立場に置かれたことで、内が外になり外が内になったから、百一連環のメビウスの輪が繋がった。

74藤原肇:2010/07/22(木) 07:07:27

私は自分がガイアになった立場で検査され、どんな結果が出るかに興味津々だったから、血液検査や腫瘍検査だけではなく、CTスキャンでの観察について関心があり、ほとんどのテストを体験してみた。CTスキャンや超音波検査は実質臓器である、肝臓、腎臓、膵臓、脾臓など詰まった臓器に、がんが移転しているかを調べる装置であり、形態的な情報による検査に使われる。

それに対して最新式のMRI(磁気共鳴映像法)を使う検査は、原子核を一定の磁場の中に置いて、特定の周波数の電磁波を与え、共鳴現象でエネルギーを放出させ、生体組織の機能や化学変化を映像化し、断層図として観察するやり方である。私の場合は腫瘍ががんらしいが、大腸だけで移転はなさそうだから、とりあえずはCTスキャンだけにして、MRI検査はこの時点で行わなかった。

それでも、医学の研究において最先端にあり、新しい分野を開拓している米国で、どんな手順で検査をしているかや、装置の利用への知的好奇心は、自分が患者だという立場を忘れさせた。

生理から病理へと変化するプロセスが、健康管理と診断の基礎である以上は、それに対応できる頭脳の存在こそ、何にも増して重要なものであり、この面で日本の現状はお粗末の極みだ。だから、政治評論家の平野貞夫さんと一緒に、「生理と病理の診断と日本の健康な国づくり」と題して、対談を発表した直後だったことが、大いに好奇心を掻き立てた原因になり、実験台に上る気持ちにしたに相違ない。

http://fujiwaraha01.web.fc2.com/fujiwara/article/zaikai100401.html

平野さんは四国の医者の息子だったので、二年ほど医者の勉強をしたのだが、政治の世界で一生を送った人だが、私の本を読んで共鳴したせいで、それがこの対談実現に結びついていた。だが、生理と病理の政治診断を試みの意味で、「さらば暴政」を書いて上梓していたのに、日本のメディアからは完全に黙殺されて、この本には書評がほとんどなかったのは、『小泉純一郎と日本の病理』の時ほど徹底していないが、言論弾圧が関与していたのである。

http://www.amazon.co.jp/dp/4860293053?tag=asyuracom-22&camp=243&creative=1615&linkCode=as1&creativeASIN=4860293053&adid=1H11R4HHWAJPHC4E58NH&

80藤原肇:2010/07/25(日) 06:18:59

手術の前日から断食と腸内洗浄があり、手術の日は朝六時に病院に行き、登録手続きと腕にタグを付けられたが、この瞬間に生年月日が登録番号化して、名前に対し生年月日がコードになる。まず、病室に入って手術衣に着換え、看護士が手術用のベッドを押して、手術室に送り込むのだが、その前に入る検査室のチェックに際して、生年月日を反射的に答えさせられ、英国鈍りの英語を喋る麻酔医を相手に、麻酔について説明と質疑応答を済ませ、最終的に手術室に入ることになった。

それにしても、病歴や家族のアレルギーの有無を始め、麻酔の危険性の確認書だけでなく、私が輸血を拒否した確認書まで、署名を繰り返しさせられたのには、毎度ながらうんざりさせられた。幾らアメリカが訴訟社会でも、医者の責任を回避する姿勢の強さには、患者としてすっきりしない気分だが、「郷に行ったら郷に従え」ということだろうか。

手術は五月七日午前九時に始まったが、点滴の中に麻酔剤が入っていたようで、五時間かかった手術は記憶になく、目が覚めた時には病室に横たわり、その間に夢を見た記憶もないし、開腹手術をしたという実感も皆無だった。だが、寝たり起きたりを繰り返した後で、全身麻酔が切れ始めたことにより、咳も出来ないほどの痛みを感じた。

そして、身体髪膚を傷つけた苦痛だけでなく、がん患者の仲間入りをしたことで、新しい人生が始まったと強く意識したが、目の前にある点滴が情けなかった。なにしろ、食料や栄養などのエネルギー源から、医薬品の総てが点滴を経由しているので、私の生命力はハードなものに依存し、自分で生きているという実感がない上に、無性に眠くて仕方がないからである。

81千々松 健:2010/07/27(火) 21:01:32

日本では2002年の法律改正により、これまでの看護婦と看護士の呼び方が「看護師」に統一されて、「白衣の天使」の女性看護婦や「精神病棟」の男性看護士のイメージが解消されてしまった。

多分、男女平等精神の集大成なのでしょうが、ビジネスマンをビジネスパーソンと呼び替えたりしたのと同様に、余り一般化してはいないようです。

USAの「緊急病棟」などのTVドラマでは、いわゆるナースマンが多数活躍していて、日本でも若手人気男優がナースマン役でドラマ化されたりしました。

今後は少しずつ男性の看護師が日本でも増えて行くのではないでしょうか。

ところで、人間工学や色彩学の観点からも、ナース服の白衣が現在では「ピンクやブルー」に殆んど変わっているようですが、特にピンク色については大島正光先生のご意見が大いに影響したと聞いています。

確かに、薄いピンクは老若男女を問わずに好まれるようですね。

82千々松 健:2010/07/30(金) 12:16:24

7月30日は露伴の命日です。「昭和22年7月30日、幸田露伴肺炎および狭心症で死亡。享年80歳」

最期は市川の「蝸牛庵」で武見太郎が看取ったという。その年の夏も大変に暑かったそうだ。

戦前から銀座教文館ビルの3階に診療所を開設して、自由診療を貫いてきた医師武見太郎の人脈の広さに今更ながら驚かされる。

83通りすがり:2010/07/30(金) 21:35:30

武見太郎は大学を出てから理研に就職するまでの8年間が空白になっているといわれている。長い浪人生活を送り、主流の路線を逸脱したはずの者がどうして覇権を握れたのか、比較していいかどうか、同じ理研出身の田中角栄の権勢の源も理研といわれているがそこいらに何があるのか無いのか興味深い。

晩年胃がんを患い亡くなったそうですが、癌研歴代の所長が一様に癌に倒れていることなどとも思い合わされます。

人の一生、生き様にはいろいろ学ぶことがあるようですね。

89藤原肇:2010/11/18(木) 14:18:07

順序がだいぶ飛ぶが、日本に戻ってからのことで、主治医を決めたことについての部分を以下に貼りつける。

***日本への帰国と新たなホームドクター

二週間の台湾滞在の後でカンボジアに行き、一か月ぶりの七月半ばに東京に戻ったら、後続の菅内閣は役人の手玉に取られ、鳩山政権の政治路線を大幅に後退させ、無能のために参議院選挙に惨敗していた。しかも、惨敗の責任を取らずに居座った菅直人の鉄面皮は、無能と無責任の点で安倍並みで、その問題は『さらば暴政』で論じたことだから、繰り返す必要もないので目を反らし、日本の政治については若い人に任せ、醜悪なものは見ないことに決めた。

アメリカを去る時に医者が助言した、手術後のチェックの必要性に応じて、検査設備を持つ病院と主治医を決め、診断と治療のバトンタッチすることが、次の手続きとして不可欠だったので、その手配をしなければならなかった。大病院は芝の済生会病院の外科だが、主治医は藤井先生の銀座内科を引き継ぎ、

銀座に診療所を持つ九鬼先生に決め、米国から持参したデータを手渡した。

インテルメッツオ(Intermezzo)-23

http://www.asahi-net.or.jp/~mh9n-kk/kisha.html

九鬼先生は変わった経歴の持ち主で、朝日新聞の記者をやっていた間に、取材で藤井先生の存在を知っただけでなく、周辺医療に関心を持って漢方を学び、

10年やった記者生活を打ち切って、富山医科薬科大学の学生になっている。そして、40を過ぎて医者としての人生を始め、成田の赤十字病院に勤務した後で、藤井先生の銀座内科を引き継ぎ、漢方と西洋医学を組み合わせて、診療所を開いている「赤ひげ」先生は、「記者のち医者ときどき患者」の著書を持つ。

人間にとって最初の出会いが勝負所で、東洋医学では四診と呼ぶ診断があり、望診を始め聞診、切診、問診などを活用して、医者が患者の病気と病状を読み取る。望診は視覚で患者の全身や部分を見て、動きを始め形態や色で診断するが、聞診は言葉や呼吸の他に排泄物で、切診は脈を始め体に触れるし、問診は文字通り質問データの活用により、情報分析で診断するやり方である。

同じことは人間の出会いでも通用し、会って最初の一分で相手を見抜き、性格を始め思想や実力を見抜くのが、眼力と胆力に属す人生の奥義である。

九鬼先生に主治医をお願いした時に、最初の診断の後で漢方薬の処方を頼み、どんな処方が現れるかと待ち構えたら、十全大補湯だったので安心して、これからの付き合いが楽しみになった。抗がん剤の話が出たら縁が切れて、免疫と生命観について相手の理解が分かり、主治医を任す気持ちにはならない。

台湾には別の親しい劉博士がいて、彼は蒋経国の主治医だった人で、霊芝研究所で霊芝培養の指導をしている。米国で研究した劉博士は漢方と共に、東洋医学の全般にも精通しており、健康の基本は食事にあると主張する。

彼がある日のこと不老長寿を論じて、その秘訣を伝授してくれたが、それは「朝日を浴びバナナを食え」で、朝日はセロトニン分泌を活性化するし、バナナはカリウムに富んでいる。だから、副交感神経の活性化で免疫を高め、平常心を養う秘訣をズバリ断言して、誰でも分かる言葉で表現したが、奥義は説明抜きで真理を突き刺すのである。

同じように「がん」は血液の汚れで、血液の浄化のために腫瘍ができて、体内における調和の乱れを直すことが、健康維持にとって第一であれば、バランスの取れた生活をすることだ。そう考えたら総ては至って簡単で、ストレスの少ない生活を実践することであり、そんな環境を求めることに意味がある。

91藤原肇:2010/12/04(土) 09:00:11

コトとモノの100回目に千々松さんがピタゴラスについて書いているので、私の「がん」体験の『生命知の殿堂』の中に書いてある、ピタゴラスについての記事を貼りつけてみます。

***ピタゴラスの宇宙観と数学の神秘

ピタゴラスの定理で知られたギリシアの哲人は、森羅万象の中に興味深い比率関係を読み取り、「モナド」としての1が総ての始まりで、それがあらゆる自然現象を生み出すと論じた。彼の個性的な数論の骨組みは、「1が始源で1から2や3が生まれる。1は点で2点は直線を構成するし、3点は面を作り4点は立体を生む」であり、彼は霊妙なテトラテュクスの理論を発展させた。

テトラテュクスは1,2,3,4,5・・という具合に、点を積み重ねてピラミッドを形成するが、そこにパスカルの三角形が出現するし、同時にフィボナッチ数列の存在が浮かび上がってくる。そのメカニズムと幾何学については、『宇宙波動と超意識』に詳しく書いておいたので、その本を参照して頂くことにする。また、自然界を支配している偉大な法則であり、宇宙における統一原理を示すフィボナッチ数列の応用例は、数学者の張錦春先生と対談した『宇宙巡礼』に、詳細な説明があるのでここでは論じない。

最も有名なピタゴラスの功績は定理だが、その他に弦の比率を使った音響理論があり、振動数の比率の関係の中に調和が成立し、それが宇宙を支配する律動原理だと主張している。「オクターブは1対2の美しい関係であり、完全5度は2対3で完全4度は3対4である。また、長3度は4対5で短3度は5対6か6対7になるし、長2度は7対8の整然とした整数比である」と論じて、音楽に見る比率関係は宇宙を体現しており、それが数学、幾何学、天文学の基盤だと喝破している。

だから、健康のために心身の乱れを治めるに、ピタゴラスは魂を鎮める音楽まで作曲しているし、「豆を食べるな」などの戒律を定めている。しかも、弟子たちに心を清めた生活を求めただけでなく、「断食は頭を良くする薬」と言って結社を作って、ストレスのない共同生活を営んでいる。

原始仏教やヒンドゥ教との関係を維持して、インドから伝わった数学をフルに活用することにより、天界の音楽を薬に使う療養成所で人材を育成し、数学者はヴェーダと共通の真理を伝えた。ピタゴラス教団とヴェーダの関係が分かれば、古代史の謎が明らかになるはずだが、生命活動が呼気と吸気に基づいているので、ヨガの影響についても解明できる。

ピタゴラスは旅の人としての人生を送り、その旅は魂の浄化のための遍歴だったし、理性の力による気高さを会得することが、真に生きることだと信じていた彼は,哲理を愛す者という意味で自らを哲学者と呼んだ。それ以前の賢者は自らを智者と呼んでいたが、彼は自らを「真理を発見しようと努める人」と定義し、智者よりも謙虚な用語の哲学の人と名乗った。

インテルメッツオ(Intermezzo)-42

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%94%E3%82%BF%E3%82%B4%E3%83%A9%E3%82%B9

ピタゴラスは著作を何も残していないし、伝記としても神秘的な内容のものが多く、エリート主義の精神的な貴族意識が反感を集め、民主派の市民の攻撃を受けて殺されたというが、死因についても謎に満ちた人物である。若いころにエジプトやバビロニアを訪れて多くを学んだが、ことによるとインドにまで足を延ばして数学を始め、ヴェーダの哲理を学んだ可能性もある。

ピタゴラスは総ての根源は数であると考えて、宇宙の音楽についての考察を展開したが、輪廻転生の考えを持っていたことから、インド哲学との結びつきを予想させるだけでなく、プラトンに大きな影響を与えた点で、哲学における彼の貢献は予想以上に大きいものがある。

92藤原肇:2010/12/09(木) 21:42:56

明日の午後の便で久し振りに米国に飛ぶ予定なので、その前にピタゴラスに関しての記事の続きを貼りつけておきます。

***ピタゴラス が遺言した墓碑銘の宇宙と空海の智慧

ソクラテスは何も著作を残しておらず、プラトンが描いた対話編に基づいて、西洋哲学の始祖はソクラテスだとされ、その思想が西洋哲学史を支配して来た。だが、同じように著作のないピタゴラスは、宇宙の大法則に精通していた点で、哲学史上ではるかに偉大だったのに、それが正当に評価されないままである。

数式以外に書いたものがないから、ものとして残った記録に基づいて、復元を試みるから間違いを犯すので、書かれていない物の背後にある、書かなかったことに注目する営みが重要であり、それを一般にインテリジェンスと呼ぶ。インテリジェンスは通俗レベルとしては、「行間を読む」営みを意味している。

だが、書いた文字が作る行は物の領域に属し、それは形のある粒子が構成していて、網の結び目(ノッド)に現れる物(色)が粒子で、産業革命から君臨した物の理学の物理学の世界が、ものを基盤にしていた歴史に対応する。それに対し、ことは関係性の全体と結びついて、ネットワークで繋がる波動の状態で、場の中を流動している生命体だし、情報革命の渦の中で主役になった、生の理学としての生理学の中心概念は、中空に命が宿る波動としての空である。

この粒子と波動の興味深い関係は、量子力学の生みの親になったし、それを「色即是空」と「空即是色」と喝破して、僅か276文字に封じ込めたので、「般若心経」は智慧の教えになっている。大空を宇宙で中空を生命と考えて,小空をパラサイトや原子を指すと見なし、原子と宇宙の構造に相似象を認め、そこにあるフラクタル関係を繋いで、裏が表になり表が裏になるように、メビウスの輪として描いたのが、ホロコスミックスと名付けた宇宙図である。

私は幾何学が好きだから図にして、トーラスから陰陽の太極図を描き、ホロコスミックスの論文を仕上げたが、それに気付いた空海は文字の人だから、即身成仏にことよせて以下の文章を書いた。

「六大無礙(ろくだいむげ)にして、常に瑜伽なり

四種曼荼(ししゅまんだ)各々離れず

三密加持(さんみつかじ)し、速疾(そくしつ)に顕わる

重々帝網(じゅうじゅうていもう)なるをして、即身と名づく

空海が宇宙のフラクタル構造に精通し、ホロニックな関係に注目したことは、帝網という言葉の使用で明らかであり、天の網の結び目にある宝珠に、総ての光景が鏡映し合うイメージ力は凄い。しかも、物としての文字を抜けた空海は、更に言葉の響きの普遍性に言及して、「五大にみな響きあり、十界に言語を具す、六塵ことごとく文字なり、法身はこれ実相なり」と論じて、ものとことで構成された帝網の心象風景が、詩にすると数字になると伝えている。

ビタゴラスの場合は数学者らしく、宇宙は聖なる秘数で出来ていると信じ、図形に表現すると円、三角、四角になり、それを立方体の形で表した場合には、球、三角錐、円柱の形を取ると考えた。だから、自分の墓に「円錐:球:円柱=1:2:3」と刻印して、墓碑銘にしろと遺言したそうである。

「円錐:球:円柱=1:2:3」の関係は、数学的に興味深いテーマだったので、多くの数学者が頭の体操をしており、円錐足す円錐は球になる関係が、円錐足す球が円柱になる数列として、フィボナッチ数列の受胎を告知している。また、○△□の面積を比較した場合には、断面積ではπ:2:4になるし、表面積では2:Φ:3になる事実があり、フィボナッチ数列の受胎から成長が観察できる。

しかも、「宇宙巡礼」の掲示板に書き込まれた、千々松さんが展示会で発見した報告によれば、仙厓が書き残したの○△□絵図には、「宇宙」という意味の英語タイトルが付けられていて、仏教の世界とピタゴラスが結びついている。

インテルメッツオ(Intermezzo)-43

http://www.idemitsu.co.jp/museum/collection/introduction/sengai.html

江戸時代の臨済宗の僧侶だった仙厓は、自由奔放に生きた僧侶として知られ、雲水として旅をし、禅画や狂歌を残した。新任の家老が悪政を行ったことに対して、「よかろうと思う家老は悪かろう もとの家老がやはりよかろう」という狂歌を詠んだが、彼のセンスで日本の政治を観察して、狂歌を一つ作ったら傑作が生まれるだろう。

空海や仙厓の宇宙観を知ることによって、ピタゴラスの凄さを再認識するが、空海やピタゴラスが残したものに、数字が秘数の形で表れているのが、非常に興味深いことだと思わずにいられない。

93藤原肇:2011/01/30(日) 11:05:40

久しくご無沙汰したのは、電磁障害で血圧が高くなり、コンピューターの使用を避けるようにと診断されたためでした。

「『生命知』の殿堂」は半年前に草稿を完成させ、編集者の希望に従って組み換えまでして五か月が過ぎたのに、未だに出版の決断がつかない状態を前にして、日本の閉塞感に支配され退嬰的な状況に対し、ほとんど愛想を尽かしかけています。

私の本が売れそうもないというのが理由らしいですが、今の時代に多くの読者を獲得できるのは、幼稚な漫画の世界かエンターテーメントしかないのが、幼児化した日本という国の実情なのに・・・。

また、次の対談集も草稿は出来ているのに、対談は売れないので分かりやすく解説した、時代論として書き直して欲しいといって、いつもの通り断られ続けています。

総論的なものにしか関心のない私に、学者や官僚が好むような各論を仕立てろというのは、テキスト崇拝という日本の特性のせいですが、70を過ぎた人間に30代の人間と同じように、知識を主体にした解説書を求めて、智慧や閃きを感じさせるものを退ける国民性を守り続ける限り、モンテーニュの綴ったようなものは生まれません。

そんなことで、暫くは書くことを止めて古典を読み直し、メコンの流れの畔でアジアの将来に思いを馳せているうちに、血圧も正常値に向かって近づきやれやれと思い始めています。

ついでながら、数日前に出た「ニューリーダー」に古い友人で日経アメリカの社長をやった大原進さんと、「ウィキリークス事件は何を示唆するのか。――『秘匿と公開』、『知る権利と情報操作』――」と題した対談を発表しておきました。

94千々松 健:2011/01/31(月) 21:57:39

モンテーニュのエセーについて「フィボナッチ数列の殿堂への夢」レスの162,163で触れたことを一年ぶりに想起しました。

「天の配剤」を【アマノオルドナンス】とヤマト語+フランス語の造語にするのも面白いかなと思ったりしております。

チベット高原を水源にして中国雲南省の山々からインドシナ半島の国々を通り抜ける国際河川のメコンの畔にて、美空ひばりが歌う「川の流れのように」の詞の調べと共に、きっと身も心も癒やされて「アマノココロ=天心」に通じることが出来ることでしょう。

95千々松 健:2011/02/03(木) 12:27:56

古代のユダヤ暦では「日暮れ」から1日が始まっていたそうです。さてヒグレは「190」の語呂になりますので、1,2,3,4,5,6,7,8,9 9=0と考えた「ひふみ算」や「カバラ算」を考えると1の前に0(レ)が存在して、新しいモノゴトのスタートラインと考えたのでしょう。9は0に変換されて次の次元を準備する究極であるのです。9は0であり、地球が太陽の回りを1周して、次の新しい周(一年)に入る境になるのです。

さて、旧歴では本日2月3日が正月で明けた4日が立春になる訳ですが、上記から類推すると3日の日暮れはもう4日の立春にカウントされるコトになります。

3日の節分は、日没近くに僅かな明りで見える内に豆を撒いて厄介な鬼退治をしょうとするのですね。暗くなったら我々の目には鬼は見えなくなってしまうからでしょうか。そういえば、陰陽の世界でも陰が初めで陽が後に来るというコトは納得できますね。

『鬼は外、福は内』良い年に為りますように。

96千々松 健:2011/02/03(木) 22:10:35

源実朝の自撰とされる663首が掲載されている『金槐和歌集』の藤原定家所伝本から冒頭の3首を引用します。

1)正月1日よめる

「けさ見れば山もかすみて久方の天の原より春は来にけり」

2)立春の心をよめる

「九重の雲居に春ぞ立ちぬらし大内山にかすみたなびく」

3)故郷の立春

「朝霞立てるを見ればみづのえの吉野の宮に春は来にけり」

鎌倉幕府の3代将軍で、甥の公暁により暗殺されて短い生涯を閉じた天才歌人の源実朝が時空を超えて詠いかけて来ます。

97千々松 健:2011/02/12(土) 17:53:32

2月12日は冒険家の植村直己が生きていれば70歳を迎える日である。ちょうど63歳の誕生日にマッキンリーの登頂成功をしたが、その直後に消息絶ってしまっている。

その模様を現地から第一報したのがテレビ朝日のディレクターをしていた大谷映芳である。彼もヒマラヤのK2を登った山男で、今はドルボ基金を立ち上げ、NPOで活躍している。

昨年トルコ東部でアルメニアに近いアララト山を登ったようだが、ノアの方舟の木片でも見つけたいと思ったのだろうか。それにしてもアララト山が富士山にそっくりであるのには驚いた。

99村山:2011/05/11(水) 19:33:49

藤原さんが再び分岐点に立っているようです。

http://www.asyura2.com/11/senkyo112/msg/741.html

100千々松 健:2011/05/11(水) 21:50:07

「寺田寅彦は忘れた頃にやって来る」というタイトルの本を松丸本舗で買ってきたばかりです。

人生の分岐点も「天の配剤」(アマノオルドナンス?)の如くのようです。

本場フランスワインの美味しく飲めるメコンの河畔が呼んでいるような気がいたします。

それにしても、天災はある意味では諦めがつきますが、人災は何としても避けたいものです。