Cecred123 真善美と神聖数理学

1千々松 健 :2015/09/12(土) 16:04:04

ラファエロが描いた「アテナイの学堂」の中央に立つプラトンは、右手の人差し指を天に向けて一本立てています。

彼が追求した真善美の一体化イデア論がイメージされ、万物は聖なる1から出来ていると云っているようにも見えます。

また、ミトラをカタカムナの思念(言霊)で解釈すると「三つが統合された場」と理解され、まさに真善美の三位一体となります。

ミトラはミロクに通じ弥勒と369がイメージされて行くでしょう。

『真はまこと、善は行為、美はその結果』と高橋信次は言い残していますが、

この新しい「神聖数理学」を既に言い当てていたのかもしれません。

『真はロゴス(論理)、善はレゲイン(論理の動詞形)としての行為、美はその結果の現象である陰陽太極図』

そして、数理では『黄金比、フィボナッチ数列、トーラス』、幾何では『▲■●』です。

更には、宗教と哲学と数学と科学とがすべて繋がる世界が見えてくるような予感もするのです。

2015.9.12

2千々松 健 :2015/09/21(月) 23:59:02

「神聖数理学」をこの秋に登場させると7月にある人に約束して以来2ヶ月が経ってしまいましたが、どうやらコスモスの花が咲くころに間に合いました。

タイトルには真善美を付加して「真善美と神聖数理学」にしました。文系と理系の融合の中に価値を見つけて行きたいとの願いが籠められています。

「思考道」というサイトにて色々と公開して来ましたので、恒例により今回も「真善美と神聖数理学」PDF19枚として発表いたします。

http://8w1hflkm.jp/sinsei1231.pdf

またこの機会に、改めて感謝すべき人々を出会いの時系列でご紹介させていただきます。(敬称略)

・越村信三郎:行列数学と会計システム

・大島正光 :健康科学と謎の領域

・佐藤敏夫 :神の数学とひふみ算

・藤原 肇 :宇宙巡礼とメタサイエンス

・松本英樹 :ピラミッド研究と黄金比

・吉野信子 :カタカムナの思念

・出口 光 :四魂の窓、志教育

その他、多くの方々にヒントを頂戴して参りましたこと、誠に有難うございます。

2015.9.21 敬老の日に

3千々松 健 :2015/09/26(土) 12:15:42

「科学に必要な想像力」について、朝永振一郎と一緒にノーベル物理学賞に輝いたファインマンが言い残しています。

『今まで証明されたコトと全く矛盾しないで、今まで考えられたコトと全く異なって、今まで見たこともないモノ・コトを想像する力こそが必要です。』(意訳)

また、誰が述べたかは定かではないのですが『未知のものを既知のもので説明するのみではなく、既知のものを未知のもので説明するのが科学である。』

兎にも角にも、我々が目指すものは、宇宙や生命系を記述するコンピュータ的なモデルです。それは方程式というよりは「アルゴリズム」と呼ぶべきものかも知れませんが、

そこは学際的な研究が必要とされる分野で、想像力や直観が要求されるでしょう。そして一見、変わったアイデアに対しても寛容であるべきです。

2015.9.26

1 :千々松 健 :2015/10/10(土) 21:39:42

今年のノーベル物理学賞に決まった梶田隆章さんは、スーパーカミオカンデの観測でニュートリノ振動の証拠をとらえて素粒子ニュートリノに質量があることを証明された。

電子型e、ミュー型μ、タウ型τの三つのタイプが場合により相互に変身するということは興味深く、またその事実は「真善美の神聖数理学」と矛盾しません。

元々ニュートリノのトリは三つを意味しているし「●▲■の三段階論」はトリニティ(三つ組みの一体)なので両者は相似象です。

今回、私が「真善美と神聖数理学」を公表するに当たり、良いタイミングであったと思います。早速それを反映したものをPDF22枚に作成しましたので、ご覧ください。

http://8w1hflkm.jp/Sacred.M.S.pdf

2015.10.10

2千々松 健 :2015/10/17(土) 23:35:52

ある重要な周波数が宇宙の基本数理すなわち「神聖数理学」を理解するのに寄与します。

それが A=432Hz です。

その数値だけに注目してみます。

432=24×2×9

4+3+2=9

432=0(mod 9)

「21世紀マンダラモデル」と「未来を変える方程式」FMn≡FLKMchain(mod 9)からすれば

それは、充分理解されるものです。

なぜなら「ラセンモデル」で示したとおり、24で循環する数値たちは、その反対の向きに並んだ数値と磁石のように合体して24+24=48で一組を構成しています。

それを9倍した数値が432であるからです。

「法を9とするモジュラー算術」即ち(mod 9)が【システム・オブ・ナイン】と呼ぶに相応しい宇宙原理すなわち「神の数学」なのではないでしょうか?

http://8w1hflkm.jp/21st_Century_%20Mandala.pdf

2015.10.17

3千々松 健 :2015/10/19(月) 23:01:24

「万物理論」を書いたジョン・バロウにように、科学とは「短縮された表現形式をもつアルゴリズムの圧縮」であり、「宇宙という全世界がアルゴリズム的に圧縮可能だ」と考えるならば、

その答えの一つが【FMn≡FLKMchain(mod 9)】*という「万物創生のアルゴリズム」に違いないのです。

*【神聖比例(黄金比Φ)を生じるフトマニ(二つを足して次の間に置く)数列群FMn(フィボナッチ数列はその中の特例)は、法を9とするモジュラー算術(mod 9)で数理処理すると、全てが24項で循環する4つの数の流れ(FLKM系列)のいずれかと合同になる。】

2015.10.19

4千々松 健 :2015/10/19(月) 23:02:45

【A=432Hz】音楽関係ではAをこの周波数にして調律すると人間に優しく響く音楽になると云います。

神智学のルドルフ・シュタイナーや電気学の二コラ・テスラもそれには関心があったようです。

私は、フィボナッチ数列の律動すなわち神聖比例に興味を持つことから始まり、九九算といろは48文字、ひふみ算やカバラ算とモジュラー算術の関係に興味を持った結果として、

2008年に「21世紀マンダラモデル」を考案し、2015年には「真善美と神聖数理学」を創出することが出来ました。

金剛界マンダラは3×3の9マスから出来ていますし、胎蔵界マンダラからは中心の核から円を描いて広がるイメージから産まれたラセンモデルのワンセットは24×2=48の数となります。

そこで、改めて432Hzを観ると、432=24×2×9が読み取れるのです。まさに両界曼荼羅によってMandala即ち「世界の本質を有するもの」の意味が明かされていたのです。

弥勒<ミロク<369の世界がそこに在ると言っても過言ではないでしょう。

そして【FMn≡FLKMchain(mod 9)】が「未来を変える方程式」ないしは「万物創生のアルゴリズム」と成る事でしょう。

2015.10.18

6千々松 健 :2015/10/26(月) 23:36:34

10月31日の藤原肇博士の誕生日とハロウィンに乾杯!

今年の私からのプレゼントは「真善美と神聖数理学」のPDF23枚です。

「生命智」=万物創生のアルゴリズムとは畢竟「神聖比例ふとまにアルゴリズム」ではないでしょうか?

そして、プラトンにあやかり、真▲・善■・美●といたしました。

http://8w1hflkm.jp/fai.SMS.pdf

7千々松 健 :2015/10/28(水) 22:47:40

皆さんは「百合の花」を観察されたことがありますか?

先ず、花弁は6弁ありますが、内側3弁と外側3弁の合計6弁です。雌しべは1本でその先端は3つに割れています。その周りに雄しべが6本あります。ユリは3とその倍数が好きなようです。

さて、ミトラとミロクの話に移ります。

ミトラは「三つが統合された場」ですから、百合の花であれば中心の雌しべに当たります。

ミロクは3・6・9の数の並びですが、ふとまにアルゴリズムの一部と見れば、3,3,6,9,15,24,39,63,102で、これはフィボナッチ数列を3倍した数列のK数列に他なりません。

ミトラがミロク(弥勒)に繋がっていると云われて来ましたが、その背景はよく理解できませんでした。

そこで、新説を展開します。

ミトラ(三つが統合された場)とロゴス(三つの数の比)は相似象です。

三つの数の比は「φ:1:Φ」という黄金比(神聖比例)を意味しています。

このことが理解できない場合は、一歩譲って「3:6:9」のミロクも比でもよいのです。それをレゲイン(ロゴスの動詞形即ちフトマニ化)すれば上記の3F数列=K数列となるからです。

このような洞察を経ることによって、初めてミトラとミロクが数理学的に繋がることになるでしょう。

2015.10.28

8千々松 健 :2015/10/30(金) 22:20:22

2008年に「宇宙巡礼」で出会った「神の数学」守護者こと佐藤敏夫氏のサイトに書かれていた内容を昨日知り、ヒントを得ましたので早速に持論を述べたいと思います。

聖徳太子の時代に書かれたとされる『先代旧事本紀』の中に収録されている「神文傳(かみふみのこととぎ)」には不可思議な数に関する記述があるそうです。

そして『太占(フトマニ))、太祝詞(フトノリト)、太御宝(フトミタカラ)』の言葉が残されているが、江戸時代の研究で不可解なりとされて、偽書にされてしまった代物だそうです。

しかし今、「カタカムナの思念」が吉野信子さんにより解明され、小生が「真善美と神聖数理学」をシェアした時点では、これらの記述の真意を説明するコトが可能です。

先ずは結論から!

・フトノリトは天地のロゴスを意味し、神聖比例(φ:1:Φ)リは剣で黄金分割するイメージです。

・フトマニは「二つを足して次の間に置く」というフィボナッチ数列で、ロゴスの動詞形のレゲインです。

・フトミタカラは神聖比例の本質(論理)とフトマニ数列の実体(原因)から生じる現象(結果)としての宝物です。

更に、具象化して、三種の神器に関係付けることもできましょう。(断面で考えます)

【フトノリト=▲=草薙の剣、フトマニ=■=八咫鏡、フトタカラ=●=勾玉】

トーラスの太極図は太がありますが、太は天地を意味していたわけですね。

勿論、カタカムナではカタ●、カム■、ナ▲になりますから、●=T=タ=トーラス=タイチ、■=M=マ=ミラー=マトリックス、▲=N=ナ=ノと繋がります。

http://8w1hflkm.jp/katakamuna3.html

2015.10.30

180藤原肇 :2015/10/31(土) 09:49:16

ジュリアス・シーザーの『ガリア戦記』を読むと、ケルト族の生態にまつわることが沢山出てくるし、あれだけの名将の彼が悪戦苦戦した模様が、克明に記録されていて実に楽しい。

また、ケルト族に関しては鶴岡真弓さんの『黄金の生命』が素晴らしい内容を持つので、それに触れたいが自分で密かに楽しむのがこの本の真骨頂だから、ヨーロッパ文化の基盤はケルトにあることを指摘するだけで、読後感に関しては差し控えることにしたい。

そして、今日はハロウィーンの日であり、これはケルトの収穫祭の風習の名残で、クリスマスと同じでそれをキリスト教が簒奪して、諸聖人の日(All Hallows eve)が訛ったというが、北欧人の新年の前夜の大晦日でもある。

この大晦日は子供たちが大好きであり、Jack-0-Lanternに蝋燭をともして祝うが、海外生活を半世紀も体験した私にとっては、毎年のように私の誕生日を子供たちが可愛い声を張り上げて祝ってくれたので,嬉しい思い出が山のようにある。

しかも、大晦日から新年への境界線の意味論は、ツアラストラの巻物を読むまでもなく、善悪、白黒,陰陽、日月、正負、明暗などの特異点であり、これはトーラスで言えば空の中心でもある。

そして、私のホロコスミックス理論で空の英訳を若気の至りでというか、出来合いの言葉を使いEmptinessと書いてしまったが、本当はKuunessという言葉を使いたかったと告白したい。

だが、Kuunessなどと書くと空の説明が必要になるので、解説が大嫌いな私にとっては面倒なことになるので、お粗末だし嫌悪している直訳英語を使ってしまったのである。

それでも、私の『般若心経』の理解では色は人間の世界であり、あの盤石と信じられて来た数学の世界でさえ、公理と公準に従って天下不動と信じられてきたのに、非ユークリッド幾何学の登場で数学的な不確実性が支配し始めた。

そうなると、空は色に表しえない逆や対偶を含めた総てを意味しているので、この百年にも一兆年にも一度しかない記念すべき喜寿の日を期して、ギリシア語で何が来るかは知らないが、フランス語的に表記すればKououté になるので、そのコンピュータ言語としてKuunessという用語をお披露目したいと考えるのである。

181千々松 健 :2015/11/02(月) 22:47:08

博士の喜寿を祝うと同時に「空=Kuuness」の命名に寄せて

空=Kuuness「クウネス」をカタカムナ思念で読み解くと【引き寄せる 生まれ出る 充電される 一方向へ進む】となります。参考:吉野信子「カタカムナ 言霊の超法則」徳間書店

●を色、▲を空と考えて「色即是空」を●から逆行列的推論で▲を直観するルートとみるならば、帰納法的ルート・演繹法的ルート上には■が実体として必要で、それを「色不異空・空不異色」

と述べたのです。

そのように考えるに至った例の●▲■の超三段階論から、更に動態幾何学を駆使してイメージを働かせるならば次のようなことが見えてくるに違いありません。

0次元:先ず、創造の主すなわち御柱を真上から観ると点となるので「0次元」と呼び、空とします。 【クウネス】

1次元:次に、その御柱を真横から見て、神聖比例に分割して行きます。φ:1:Φ 【ロゴス】

2次元:次に、神聖比例そのものを数値として認識し、行と列に置き二次平面に展開させます。対角線には二乗数が観られます。【レゲイン】

3次元:次に、二次平面に展開されたものを、(mod 9)で処理して、縦横を繋げれば、循環するドーナツ状が出現する。【トーラス】

また、クウネスをカタカムナ思念の数で計算すると11+19+46+29=108の数となります。それは除夜の鐘に撞く108ですし、9×12=108でもあります。

『全ての者が0次元に引き寄せられて、神聖比例が生まれ出て、縦横に充電されて、対角線上を一方向きに進む。

しかし、決して拡散して消え去るのではなく、メビウスの輪の如く終わりも始めも無く螺旋を描いて循環し、バランスして観える』

と考察すれば、この『Kuuness』そのものが博士の考えておられる『生命智』と言えるのではないでしょうか。

2015.11.3

182藤原肇 :2015/11/03(火) 16:14:26

空(Kuu)をフランス語風の発音に改めKououと書くと、語感としては鳥のカッコウ(Coucou)に似てしまい、奇妙で落ち着きの悪い言葉になり、KとCを足して二で割り、キメラで名詞を作るとKououté という変な言葉が生まれる。カッコウ(Coucou)は英語だとKuckooでスペイン語ではCucoで、この言葉はオノマトペで郭公という鳥の鳴き声から来ている。

同時にKuckoo頭がおかしい意味する俗語だが、それ以下の卑語としては頭がくるくるパーを表し、アメリカではKuckoo’s nestは精神病院を表す。だから、アカデミー賞をとった映画のOne Flew over the Cuckoo‘s nestには、痛烈な皮肉とメタファーがこめられ、精神分裂病は今では統合失調症と変名しているが、意識と無意識が同一時空に混在する症状を指している。

これからは連想ゲームになるが,その延長上に書かれた本にKuckoo’s Eggという本もあり、これはコンピュータのセキュリティを扱い、ハッカーを追い詰めるストリーだ。それにしても、コンピュータが未だ普及していない頃だったが、ハッカー問題をだけも知らない時代に、元ハッカーの手による警世の書として出たこの本には、信じられないことが沢山書いてあった。

セキュリティの問題は暗号解読と密着していて、それは素数が重要な役割を演じるが、それに関心を持ったのはカナダ時代で、『暗号解読』という本はその後に書き直して『インテリジェンス戦争の時代』という本になっている。

「宇宙の多次元構造の図」を最初に公表したのは、1984年に出した『無謀な挑戦』であり、その時に宇宙の上に宇宙システムを置き、素粒子の下にコスミック素子を置いたことで、それがホロコスミックスという私の宇宙概念の誕生を生んだ。それまでの宇宙論は宇宙から微小な素粒子で終わっていたが、宇宙は宇宙システムのサブシステムだという理解がある。

また、この宇宙システムの導入によって、その彼方にある仏教思想の空と結びつくことが出き、それがメビウスの輪で無に繋がり,道教が好む無が特異点という宇宙観として完成し、複素数空間で構成される概念図になった。

そんな模式図を著書に書いたために、いろんな声が「藤原はKuckooだ」と言ったらしいが、私はそれをCoucoutéと聞き流して、Kououté のことを言っているのだから,暫くの間は無のEmptinessにして置こうと考えて、二十世紀はCrazyな世紀だと諦めていた。

だが、誰か若い人が二十世紀が終わるまでに、アインシュタインの相対性理論に対して、その欠陥を指摘して欲しいと待っていたが、誰もそれをしてくれなかったので仕方なく、ホロコスミックスとしてまとめて国際環境大学の紀要に寄稿したら、二十世紀の最後の年にそれが活字になった。また、台湾に招かれて行った講演の原稿が、『生命知の殿堂』の中に収録されたのだが、残念ながらその図はKuunessではなくて、昔の Emptinessのままだったので、ここに喜寿を期し改めてKuunessに直すことを記録しておくことにした。

183千々松 健 :2015/11/03(火) 22:46:51

11月3日の文化の日は、11を1+1=2と見ると、1,1,2,3となり、1,1,2,3,5,8,13,21、のフィボナッチ数列が思い浮かびます。

勿論、1月12日、11月2日、11月23日などの日の方が、そのものの並びで適当ではないかと思われるでしょう。

しかし、ひふみ算で11を1+1=2と計算するところが重要で、『二つを統合して次に置け』という大宇宙の法則であるフトマニのアルゴリズムを読み取ることに意味があるのです。

かつて『アレクサンドリア』というスペイン映画でテオン(ユークリドの原論を編纂した学者で、映画の主人公ヒュパティアの父)が、ある問題を出して『226の場合は4である』とサラット答えている場面があり、ずっと気になっていました。

それはまさに、2+2は4である。2,2,4,6,10,16、と言うフィボナッチ数列の倍数を考えなさいという意味でもあった訳です。

日本文化に相応しいということで、11月3日は「ふとまに数列の日」としたいと思います。

2015.11.3 文化の日に因んで

9千々松 健 :2015/11/03(火) 23:42:44

10次元、ないし11次元と言われる超ヒモ理論やM理論などの場合、通常の4次、5次元以上の6次元分はコンパクト化されていると表現されています。

この【6次元分のコンパクト化】に関しては、未だよく解らないのですが、もしかしたら【N^6≡1(mod 9)】 がヒントになると考えています。

Nが3の倍数でないとき、Nの6乗数はひふみ算で1になります。7乗以上はまた1乗の場合に戻り循環しています。

3-6-9以外がコンパクト化されているとなれば、3-6-9に関連するものが我々に見える世界なのかもしれませんね。

http://8w1hflkm.jp/n.6=1mod9.pdf

2015.11.3

10千々松 健 :2015/11/05(木) 23:05:19

Keshe財団がフリーエネルギー装置を実際に販売開始したといいますから、いよいよ電力エネルギーは脱石油、脱原発となる時代に突入した訳です。

その基礎にはトーラス現象を生むMagrav Technologyがあるようです。

”This is divine activity being seen on a 3rd level. ”

藤原肇博士の「ホロコスミクス論」や「Kuuness論」や「生命智」の慧智が最新技術に応用結実されたと考えてよいのではないでしょうか?

そして我田引水ですが、『21世紀マンダラモデル』『FMn≡FLKMchain(mod 9)』『●▲■超三段階論』『真善美と神聖数理学』『神聖比例ふとまにアルゴリズム』として展開して来ましたコトと矛盾するものではないコトを嬉しく思います。

「神の数学」に一番近いとされるM理論の11次元のうち6次元がコンパクト化されていて見えないとすれば、通常の3次元空間に時間を入れた4次元にもう一つ足りません。

それは、先日述べた0次元かも知れませんね。

<0次元:先ず、創造の主すなわち御柱を真上から観ると点となるので「0次元」と呼び、空とします。【クウネス】>

2015.11.6

188千々松 健 :2015/11/08(日) 22:00:46

<一部に重複するところがありますが、ご了承願います>

空=Kuunessをカタカムナ思念で読み解けば【引き寄せる 生まれ出る 充電される 一方向へ進む】となります。

『全ての物事が一度、引き寄せられて(0次元)、次に黄金分割され神聖比例が生まれ出て(1次元)、99算表の如く縦横に展開、充電されて(2次元)、マトリックスの対角線上を一方向へ突き進み増殖するが、

法を9とするモジュラー算術により、メビウスの輪の如く終わりも始めもなく、陰陽太極図のような二重螺旋を描いて循環するトーラスとなる(3次元)。』

ここまでが Kuuness「クウネス」をカタカムナを活用して拡大解釈したものです。

次元に関して言えば、これらに時間を加えて5次元世界といえます。(0次元もカウントします)

そして、コンパクト化される6次元を加えると超ひも理論やM理論で云う11次元世界に相当するでしょう。

そのコンパクト化される6次元を説明するためのヒントは『オイラーの合同式の定理』のなかに在ります。

【 n^6≡1(mod 9)】 但し nは3の倍数でないとき、nが3,6,9の場合は右辺は全て0となる。

3の倍数ではない整数の6乗数は、9を法とするモジュラー算術(9に特別の意味を持たせた、ひふみ算・カバラ算に同じ)では、全てが1となる。

このように考察を進めれば、藤原肇博士の『Kuuness』は万物理論になり、アインシュタインを凌駕して、まさに「神の数学」に出会うことになるのです。

2015.11.8

11千々松 健 :2015/11/11(水) 22:37:58

18世紀スイスの数学者レオンハルト・オイラーの残した次の3つの式は重要だと思います。

1)オイラーの多面体定理 【頂点-辺+面=2】 幾何学世界

これからトーラス体の場合は=2ではなく=0となることが証明されています。

2)オイラーの公式(等式)【e^iπ+1=0】【e^iθ=cosθ+isinθ】

「博士の愛した数式」でも有名となったものです。複素数世界

3)オイラーの定理 省略。整数論世界

合同式の世界です。

N^6≡1(mod 9) 但しNは3の倍数でない整数の場合。は既に証明されていたわけです。

特に、高校数学に新課程として3)の合同式が加えられたのは喜ばしい限りです。

いずれは「未来を変えるアルゴリズム」としての FMn≡FLKMchain(mod 9)が理解されるでしょう。

2015.11.11

12千々松 健 :2015/11/16(月) 22:37:16

「ユークリッド原論 第6巻定義3」では, 外中比の分割を次のように定義しているそうです。

「線分は相等しくない部分に分けられ、 全体が大きい部分に対するように、大きい部分が小さい部分に対するとき、外中比に分けられるという」

外中比は一般には「神聖比例」と呼ばれていたが、その比による分割を「黄金分割」と呼ぶようになった。

ピタゴラス学派が正五角形内にできる五芒星の中に神聖比例(黄金分割)を見付けていたのは凄いと思う。

正方形の折り紙から神聖比例を折り出して、四面を張り合わせて黄金比ピラミッドを制作したのは松本英樹+千々松健の松松コンビ?ですが、

黄金比をコンパスも筆記用具も使用しないで、紙を使って手先のみで折り出すことが可能だったのです。

紙の技は神の業に通じますね。初等教育にこの様な「折り紙思考」を活用すべきであると思います。

http://8w1hflkm.jp/DOP2013.1618.pdf

2015.11.16

194藤原肇 :2015/11/18(水) 13:27:57

こんな悪夢に似たことの積み重ねで、フランスで新天地を開いていた私は、1 + 1 = 2にならない例の再来として、素晴らしい体験を味わったが、それはフランスに留学して三年目の夏で、この時は覚然としたものであり、生涯を貫く貴重な経験として記憶に定着した。 そこは地中海に近い海岸アルプスであり、ニースやカンヌの北50キロほどに連なる、白い石灰岩が東西方向に延びて、南面は崖を作り北面に向け、緩やかな斜面を作る牧歌的な台地だった。

また、変幻自在の気象条件に支配されて、石灰岩台地の午後の前半は快適で、軽い昼寝を存分に楽しめる高原でもある。三日に一度くらいの頻度だったが、光と影を織りなす饗宴の果てに、夕刻近くになめと夕立が襲って来た。しかも、時には激しい雷雨を伴うのに、石灰岩地帯には雨宿りする場所もなく、大きな温度差が発生している中で、激しい雨に濡れ続けなければならなくなる。

東西に40Kmで南北に20Kmの幅を持ち、その中にほぼ10位の村が散在しており、放牧と小規模の農場があるような地区が、私が地質調査を行った場所であった。村はずれの小高い場所の隅に、農民から許可を得て黄色いテントを張って、夏になるとそこに住んで昼間は調査し、夜はテントで寝る生活を私は4年ほど続けた。

何とも不思議な巡り合わせだったが、地中海に近い石灰岩台地の上で、午睡から目覚めた時に味わった体験は、宇宙観を変えるほど凄まじい衝撃を伴うものであり、それが今の私の自然観を構成した。 その時に味わった衝撃的な体験は、ある意味では他愛のないものだが、野生のラヴェンダーの香りに包まれ、午睡からの目覚めの茫洋として気分で、天空を見上げ無限に思いを馳せた。

仰向けに寝転がっていた私は、幾つかの浮雲が漂っているのを見上げて、こんな雲を林芙美子は自分の人生を託し、自伝小説に『浮雲』の題をつけたのかと思った。大空の南半分は抜けるような青空で、残りの半分の北側は入道雲が広がり、積乱雲と青空の中間部に私は位置し、漂っている浮雲を見上げていたのだ。

そんなことを思って大空を見上げ、漂い移る浮雲の下面が灰色だと感じ、それを何となく眺めているうちに、いつの間にか意識が消えていた。そして、ふと目覚めて再び空を見上げると、大きな雲が一つとその周辺に、五つほどの綿雲が漂っていたので、1足す5だから6だと数えていた。

だが、それも瞬間的な目覚めだったらしく、再び眠りの中に落ち込んでしまい、次に目覚めて空を見上げた時には、小さな綿雲は一つに固まって浮雲になり、前にあった大きな浮雲と並び、二つの浮雲が大空に漂っていた。「1+5=6」だったのに「1+1=2」になったという、そんな考えが一瞬だが頭の中を横切り、再び私は眠りの中に落ち込んだ。

次に微睡から目覚めた時の私は、目をこすって大空を見上げ、以前は離れて漂っていた二つの雲が、目の前で一つになっていたのを見て、「1 + 1 =1」だという閃きに貫かれており、これは大自然の教えだと感じた。だが、それもつかの間の出来事に過ぎず、自然には不合理があると感じたが、そのまま再び眠りに落ち込んでしまった。

暫くするとひんやりとした大粒の雨が、パラパラという感じで落ちて来て、顔で感じた冷たさで目覚めた私は、呆然と空を見上げると雲は姿を消しており、僅かな時間のうちに何万という雨粒で、全身がすっかりずぶ濡れになっていた。

これは「1 + 1 =0」どころの騒ぎではなく、ゼロになった雲から雨粒が吹き出し、何万どころか何億もの雨と霧に変化して、今度は水流になって流れ下っていた。

195千々松 健 :2015/11/18(水) 22:44:54

スイス高原のハイジの如くに、寝転んで空を眺めていた若き藤原肇博士が、浮雲の数で不思議なイメージを伝えてくださいましたコトに感謝いたします。

1+1=2からは 1,1,2,3,5,8,13,21,34はフィボナッチ数列が生まれ、mod 9で一桁化すると、1,1、8,8のぞろ目が特徴のフィボナッチ(F)系列になります。

1+5=6からは 1,5,6,11,17,28,45,73,118,191、は???数列ですが、同様に一桁化すると、1,5,6,2,8,1,0,1,1,2,3,5,8,4,3,7,1,8,0,8,8,7,6,4,(1,5,6、)24で循環するF系列になります。

従って、1+5=6と1+1=2のフトマニ数列群は【FMn≡FLKMchain(mod 9)】のなかではFchainで共通です。

1+1=1からは 『創造の主すなわち御柱を真上から観ると点となるので「0次元」と呼び、空とします』と述べたように、点の上に点を加えても一つの点に過ぎないということが判ります。

更に、1+1=0は難解でしたが【e^iπ=-1】のオイラー等式から、1+(e^iπ)=0をイメージすれば、1+1=0、1+0=1、0+1=1、1+1=2、1+2=3、2+3=5、となりやはりF系列になるのです。

神聖比例やフィボナッチ数列の大切さを教示して下さったハイジ、いやハイムに乾杯!

見上げる「そら」と空哲学の「くう」は共に「空」ですが、藤原肇博士の『Kuuness』は真に万物理論です。

2015.11.18

196藤原肇 :2015/11/19(木) 09:46:56

この水が示す不思議な層の変化は、どういう次第だか分らなかったが、多次元の階層構造として私を急襲して、脳裏を包んで広がるイメージが、不思議な世界にと私を誘導していた。それは宇宙の彼方の上位相まで登り、宇宙を宇宙システムの側から見れば、宇宙はサブシステムだという考えだった。

数刻の昼寝の後で顔にひんやりと感じて、見開いて空を見上げ直した私の目に、重なった雲の塊りの変異を見て、私は宇宙について悟ったと意識した。 暫くは断続的な降り方だったが、そのうち驟雨という印象を伴い、30秒か数分ほど雨が降り続いて、私の全身は水浸しになった。

だが、あっという間に雨脚が消え去ってしまい、再び午後の太陽が燦々と輝き、私はキツネに抓まれた感じだった。おそらく全体で20分か25分の間に、昼寝からずぶ濡れまでの出来事が、私の周辺で起きたに違いないし、奇妙な体験の刷り込みになっていた。

二つの浮雲が重なって一つになり、それが雲散霧消して雨粒化し、最初は数滴だった雨が豪雨になって、無限に近い雨粒を誕生させ、暫くすると雨は止んで晴れ上がった中で、日没前の夕日が燦然と照り輝く。これは至って見慣れた自然の営みであり、地球の大気内での水の循環が、私の周辺で起きたことに過ぎず、何の変哲もない自然現象だのに、目覚めを通じた覚醒作用と言えた。

この体験を通じて強く感じたことは、空が空虚ではなく充実であり、何でも総てが存在しているだけでなく、宇宙システムの彼方に「空」が見え、その一部として末端に自分がいるのを眺め、目から鱗が落ちた印象を伴っていた。 その時に閃いた「空」のイメージは、仏教の究極思想の「空」の実態が、それまで考えた何もないのではなく、総てが満ち満ちた状態のことであり、裏返しに似た実に奇妙な感覚だった。

それまでの「空」についての理解は、私が座禅や禅問答を通じて学び取った、本質の不在や幻影の感覚と結びつき、夢や幻に似た捉え所のないものだったが、この日の体験で総てが逆転したのである。

総てのものは実体を持たなかったし、「空」は生じも減じもしない上に、他によってのみ存在する縁起で、相依に基づく関係性である。だから、高校生の頃から形容に陶酔して、「空即是色、色即是空」を暗唱し、表現の魅力の虜になっていた感覚が、私にとっての「空」のイメージだった。 ところが、この日に見取った「空」の感じは、空っぽではなく満ち満ちており、何かが無限に詰まった実体で、予想を超えた充実感を伴い、表と裏が逆転した実に奇妙な印象を与えた。

それまで「空」は煩悩を消し去り、空白に白光が照らす悟りの境地で、それを般若と呼ぶと信じ込み、五感を超越する境地を考えていた。だが、純白ではなく満ちているのであれば、「色即是空」でなく「色即是色」であるし、「空即是空」であるのも空観だから、これがKuunessになると分った。

この不思議な違和感は衝撃的であり、「空」が幻影や虚像などではないし、何もないという「無」とも違い、「無」の対極に位置すると同時に、「無」ではないが「有」も超えて、無限の彼方に「空」が広がると思った。満ちているのになぜ「空」と呼んで、それを虚しいものと思うのは、どうしても受け入れることが困難に思え、何か対案がないかと思索して、思案の末にたどり着いたのが、生噛りではあるがギリシア哲学の世界で、ピタゴラスが秘密にした秘数の世界だった。

197千々松 健 :2015/11/20(金) 00:07:02

『良い音楽に親しむことによって、人間の魂は浄化されるが、それは音楽が均整のとれた音階に基づいており、調和と対称性が魂を安定させる』と2500年前にピタゴラスが言い残していると「間脳幻想」に藤原肇博士は書かれています。

また、F.カプラは「タオ自然学」の中で『「華厳経」の中心テーマは、すべての物質・事象の統一性と相互関係性である。この考え方は、東洋の世界観の本質そのものであるのみならず、現代物理学によって明らかにされつつある世界観の基本的諸要素の一つでもある。』と述べています。

そのカプラ自身は鈴木大拙に大きな影響を受けていたようです。何と「タオ自然学」は工作舎から出ていた本で松岡正剛が編集していました。(ここまでは、2008年に書き込みしたものを再編集したものです)

その書き込みからもう7年が経過しました。調和と対称性、華厳経や空海の重々帝網、南方熊楠の南方マンダラ、鈴木大拙が仙厓の●▲■書をThe Universeと名づけていたことなどを総合して観ると、この秋「真善美と神聖数理学」として提示した古くて新しきコトの意義が見えてくるかも知れません。

『色不異空 空不異色 色即是空 空即是色』を●▲■の超三段階論で説けば、前半は「いろとそら」で、後半は「しきとくう」と読み、前半は帰納法と、演繹法のレベルで、後半は逆行列的推論ないしは量子力学的直観レベルである。

そのレベルでは「空」は決して虚しかったり、無などとは遠く、全てを貫いて満ち満ちて存在している神聖比例という実質であるのです。そして、神聖比例が動詞化してフィボナッチ数列や、その二次元化から「神聖方陣」(フィボナッチ数列ひふみ九九算表)が実在となり、その陰陽調和と対称性から、更にはトーラスが実現するという流れなのです。

それらを全て包含したものが、藤原肇博士の『Kuuness』に相当するのではないかと考えるに至りました。

http://8w1hflkm.jp/123univers_02.jpg

2015.11.19

202千々松 健 :2015/11/23(月) 23:32:31

本日11月23日は勤労感謝の日です。元はといえば新嘗祭という五穀豊穣に感謝する日でした。

また、私的には11月3日と共にフィボナッチ数列の日または「フトマニの日」です。

それを記念して「真善美と神聖数理学」-黄金比ふとまにアルゴリズム-を24枚のpdfで公開しました。

特に23枚目は最新のものです。Φの累乗数列はリュカ(ルカ)数列に近似し、その二次平面化をmod 9処理するとやはり神聖方陣が出現し、

FLKMの四つの系列が観られます。フィボナッチ数列以外のあらゆるフトマニ数列群で二次平面が出来るということになります。

ただし、フィボナッチ数列を3倍したK系列の二次平面は全て0となります。

この0は「空」ですが、9に満ちて溢れていて、丁度余りが無いと言う意味です。藤原肇博士の『Kuuness』に相当するものかも知れません。

http://8w1hflkm.jp/1123Cosmos1.pdf

*博士の「第二 山岳誌」に割り込むカタチで済みません。

2015.11.23

218千々松 健 :2015/12/10(木) 22:15:24

西洋近代文明の導入に当たり、藤原肇博士が指摘されたことに注目したい。『西周や中江兆民を始め「明六社」の同人の手で、抽象的な概念と用語を作ったが、言葉としての単語は誕生していたとはいえ、学問としての「意味論」を見落としていた。

結果としての成果に目を奪われてしまい、技術の取り込みに熱中したので、注目や観察までは実行したが、推論の重要性を見逃したために、物や事の背後の精神を軽視した。

だから、日本人のわれわれに欠けているのが、意味論の重要性についての理解で、類似性を発見し確認することに、価値の根源があることを見落とした。』

『意味論は世の中の総てが記号であり、各人がそれを解釈して意味を作り出し、コミュニケーションの土台を構築して、正確な相互理解を生み出す営みを指す。』>216,217

三実と言われる<実質・実在・実現>の意味は「●▲■の超三段階論」に通じています。

そして「真善美の神聖数理学」や「ニュートリノ&トリニティ」などは、そのような「意味論」を修練するための思考ツールとなると思っています。

http://8w1hflkm.jp/EMT123.jpg

<梶田隆章さんのノーベル物理学賞授賞に寄せて、ニュートリノ振動と意味論>

2015.12.10

230藤原肇 :2015/12/29(火) 15:14:40

2015年もいよいよ暮れて行き、秒読みの段階になって来たので、私的な話になってしまい恐縮に思うが、この欄の表題が「最近読んで印象的だった本」だから、表題に則したことを書いておきたい。大晦日までに仕上げたいと思い、ここ数日の時間の全部を振り向けたのは、二冊の本を並行して読み進め、ある意味で読書三昧をしていたのだが、やっとこの試みが完了したから、その喜びについて報告する。また、大晦日が近づいてくるにつれ、残り少なくなったページを感じて、名残惜しいような気持ちに支配され、あと何日で終わりかと思い、寂しい気分に包まれた読書は、久しぶりに味わう充実したものだった。それと言うのは、堀田善衛の『ミッシェル城館の人』第三と、モンテーニュの『エッセー』の第三巻を同時に読み、それがやっと完了したのだった。

『エッセー』の第三巻にはb)とc)の註があり、これまで何回か『エッセー』を読んだが、c)の註に注意して読んだことはなかったので、今回はそこに焦点して読むことにした。しかも、夏ごろに堀田善衛の『ラ・ロシュフーコ―侯爵伝説』を読み、これがコードブックだと気が付き、モンテーニュの暗号が解けると思った。日仏における相似象を捉えるには、『明月記』と『方丈記』を『随想録』に重ね、モンテーニュが文字にしなかったことが、何かという謎解きができるはずだと、思いついたということでもある。

その前に気になったのは、どこかに書いたのに記憶がないので、調べて見たらこの欄の172)で発見したのだが、今年の始めに私が読んだ本として、堀田善衛の『定家明月記私抄』があり、その読後感を次のように書いていた。

「・・・弁慶と牛若丸の話を始め、義経を保護した平泉の藤原氏の滅亡とか、平家と源氏の争いや壇ノ浦の合戦に関してのイメージが、平安末期から鎌倉時代について、何となく歴史の断片として頭の隅に貼り付いていた。また、西行法師、源実朝、法然、親鸞などの名前の後に、『千載集』『新古今』などの和歌の世界と共に、藤原定家や後鳥羽上皇が登場した時代の面影もある。後鳥羽が二桁の后や女官だけでなく、遊女や白拍子を相手にして、博打や猟色に明け暮れただけでなく、摂政を相手に男色にふけり、荒淫荒亡を尽くしたことは知識としては知っていた。しかも、連日のように放火や地震が起き、堀田善衛のペンに従えば、『学徒群起、僧兵狼藉、群盗横行、飢餓悪疫、地震、洪水、大風、降雹、大火』で,『天変しきりに呈すといえども、法令敢えて改めず』が続いて行く。そして、『古京はすでに荒れて、新都はいまだ成らず、ありとしある人は皆浮き雲の思いをなす』という『方丈記』の冒頭の言葉は、地震や噴火の予兆に怯える日本の現状に重なり、まさに不吉な相似象ではないかと思う。・・・」

堀田善衛の『定家明月記私抄』と『定家明月記私抄続編』を読んだ後で、更に『方丈記私記』を読んで、これらの本が同時期に書かれていて、この狂乱の時代が今と同じだと感じた。相次ぐ地震や原発の爆発が起き、小泉や安倍のような戯け男たちが、暴政の限りを尽くしているのに、庶民はその深刻さに気が付くこともなく、地獄を極楽と錯覚したままでいる。そうしたこの世の地獄が起きている時に、そうした環境から一歩離れて、日本の古典の『方丈記』や百人一首が作られた。だが、後世の人は古典を読むだけで、歴史の真の姿を見ようとせず、鏡像が狂気の古典の方を見て、その裏に潜んでいるものを忘れるは、不思議なことだと痛感したのである。

231藤原肇 :2015/12/30(水) 10:30:59

同じことが「デジャ・ビュ」感覚としてあり、モンテーニュが生きた16世紀は、ルネッサンスの光に照らされていたとはいえ、宗教戦争によるが殺戮が繰り返し、ペストが蔓延して原野に死体が晒され、人口が半減していた時代である。そんな時代にめぐり合せたとはいっても、モンテーニュは帯剣貴族として、シャルル九世やアンリ三世の宮廷に仕え、ボルドー市長として非常勤では、王室の侍従武官や騎士団に属し、後にアンリ四世になるナヴァール公には、侍従の形で関係を維持していた。過酷な宗教戦争の中で両派の間に位置し、争いの圏外にいても信頼され、自分の時間は瞑想と省察で過ごして、相対的な真理の探究を楽しんだ、モンテーニュの晩年の生き方は、私にとって手本にしたい生き方だ。私も彼のように多角的に観察し、最悪の事態があるのを想定しながらも、「メールストームの渦」に対しては、常にそれを眺め下す高みに立つようにして、渦の中には巻き込まれないように、生きて来たのが過去の旅路だったが、喜寿を迎えた記念にその足跡を、読書絡みでこの欄に書き綴った。

こうやって展望台の上から振り返って,良くここまでたどり着いたと感じ、その僥倖を得難いものだとしみじみ思うが、人生双六の上がりに至るまでに、多くの分岐点と誘惑があったのである。役人や政治家にならないで済み、詐欺商売の金儲けにも溺れずに、外国の機関の手先にもならないで、自由人として生きてこれたのは、誘惑をその都度退けて自由な道を選んだから、大渦に吸い込まれなかった。そして、今回の読書体験を通じて得た教訓は、『随想録』には一行も書いてないが、モンテーニュがバスチーユ監獄に収監され、僅かのチャンスで解放された事実で、『ミッシェル城館の人』がそれに触れていた。優れた古典として『エッセー』が読まれ、全世界で何百万人もの読者がいたのに、本を読んだだけではそれは分からない。ジグゾウパズルを組み立てることにより、宗教戦争の歴史を追及した過程で、気づいた人が何百人かいたにしても、著者が片鱗も感じさせないよう配慮し、五百年近くも隠し続けた秘密に、たどり着けたのは読者として幸運である。

しかも、堀田善衛は秘密を掘り出したし、『ミッシェル城館の人』を読んだお蔭で、私もそのお裾分けにあやかリ、発見の快感を楽しむことになった。だが、この発見の喜びに共通するのは、『百人一首の暗号』について意見を述べ、魔方陣の秘密について論じ合った、在りし日に結びつくのだし、それが懐かしく蘇ったのだった。また、日本人で『ミッシェル城館の人』を読み、そこまで感じ取った読者の数は、至って限られているに違いない。しかも、それを感じるには千年の秘密を保った、百人一首についての謎解きと共に,魔方陣の神秘への知的好奇心が、決め手になっているのだろうと思う。これが読書をする醍醐味の一つで、死ぬまで読書中毒から抜けられないが、2015年はこんな読書の連鎖反応があり、大晦日がその記念すべき瞬間として、一つの峠を越したことになった。

山路を上りながら考えた夏目漱石は、「・・・智に働けば角が立つ、情に掉させば流される、意地を通せば窮屈だ、とかくこの世は住み難い」と書いた後に、「住みにくさが高じると、安いところへ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟ったとき、詩が生れて、絵ができる」と書いたが、漱石が言う安いところの意味は、物価や家賃が安いのではなく、心が休まる安易なところを指すと思う。だから、彼は午前中に小説を書いてから、午後には漢詩や英詩を読んだというが、俳句も存分に楽しんだに違いない。

232千々松 健 :2015/12/30(水) 14:44:16

博士は喜寿に至るまで、多くの誘惑があったにもかかわらず、その都度それを退けて自由な道を選ばれ、その結果、大潮流には呑み込まれずに自由人として生きて来られた。

まさに「山岳誌」に書かれた「野ごころ」を貫かれた訳です。「心が休まる安易なところ」とは漱石の云う『即天去私』の境地と思われます。

良い年が迎えられますように。

2015.12.30

55千々松 健 :2016/01/01(金) 17:55:12

あけましておめでとうございます

本年もよろしくお願いします

初夢に<四色問題と七色問題?>

世界地図で国別が判るように色で塗り分けるには最低何色で済むでしょうか?

それが数学の四色問題ですが、答えは四色あれば塗り分けられるのです。

では、ドーナツのように穴が一つ開いたトーラスでは何色必要でしょうか?

数学的な結論は七色です。七色と言えば、光がプリズムで屈折すると虹色の七色になる現象と関係するかも知れませんね。

平面または球面の場合が四色であるというのは、未来を変える方程式のFMn≡FLKMchain(nod 9)に出てくる24で循環する四つの数の流れ=FLKM系列が四色に相当するのかもしれません。

昨年、フィボナッチ系列、ルカ系列、ケン系列、ミチコ系列の順位に、緑、赤、黄、青を想定したことがありますが、それは光の三原色と絵具の三原色を統合したものでした。

そう考えると、トーラス体に変容していくには更に橙、藍、紫の三色の応援が必要になってくるということになるようです。

2016.1.1

14千々松 健 :2016/01/02(土) 18:18:32

「●▲■超三段階論」と「真善美と神聖数理学」を通じて、改めて現象ないし結果としての三次元トーラスの数理を探る必要を感じましたところ、

黄金比折り紙ピラミッドの黄金比三角形の製図を使えば良いことに気付きました。そして一番本質的なドーナツ型として【Divine Torus=神聖比例トーラス】を考えました。

小円の半径にφ(スモールファイ)を、大円の半径にΦ(ラージファイ)を採ると、中心のホールの半径は1となり、トーラスの表面積と体積の比には2Φ=1+√5が現れます。

これにより、▲論理(本質)はφ:1:Φの三つの比、■原因(実体)はフィボナッチ数列ひふみ九九算表、●現象(結果)は神聖比例トーラスとして、全てが神聖比例で一貫する姿が観られます。

これは、まこと即ち「誠」言が成る=「はじめに言あり(中略)言により万物が成った」の聖書にも矛盾しません。

また、言=ことわり=論理=ロゴス=ギリシア語の語源から理解される「三つの数の比」を私が「φ:1:Φ」に置くことの意味がお解かりいただけるに違いありません。

http://8w1hflkm.jp/%CE%A6Torus.pdf

2016.1.1

15千々松 健 :2016/01/08(金) 22:37:04

原子番号30番の亜鉛を83番のビスマスに衝突させ、核融合反応させることで原子番号113番の新元素を合成したことに対して、その元素に対する命名権が森田浩介教授ら理化学研究所の研究チームに与えられました。

寿命は1万分の3秒でしかなく、現在までに3回観測できただけですが、日本に元素の命名権が与えられるのは初めてですし、アジアでも初となるそうですから、おめでたいことです。

さて、どのような名前が付けられるでしょうか?「ジャポニウム」「ヤマトニウム」「ミロクニウム」「カタチウム」「ワリウム」・・・

2016.1.8

16千々松 健 :2016/01/17(日) 00:08:11

【FMn≡FLKMchain(mod 9)】は【未来を変えるアルゴリズム】になれるか?

『方程式は無限連続の数学の中で発展してきたが、これからは有限離散の数学のアルゴリズムに取って代わられるかもしれない』

と「世界を変えた17の方程式」の著作でイアン・スチュアートは最後の個所で数学の近未来を展望しています。

私たちがその意味を理解するならば、自然科学も宇宙観も大きく変化し、発展することになるはずです。

例えば、12÷9の計算において、1.33333...と小数点を含めて表現する場合が無限連続の数学で、商1余り3と整数だけで表現するのが有限離散の数学と言えます。

もちろん、これはモジュラー算術(合同式、時計算)を使えば、12≡3(mod 9)と整数のみで簡潔に表わせます。

そうすると『有限離散の数学のアルゴリズム』とは、要するに「神聖比例ふとまにアルゴリズム」の出番であり【FMn≡FLKMchain(mod 9)】*がその実体であるといえるのです。

*この式は黄金比を生じるフィボナッチ数列の一般論として位置づけられるフトマニ数列(FMn)は、9を法とするモジュラー算術で表せば、整数のみによる循環(FLKMの四系列)で表わせるという合同式です。

2016.1.16

17千々松 健 :2016/01/22(金) 23:06:24

日本では1月18日以降、それまでの暖冬から一変して寒波に見舞われています。

東京では今冬初の積雪に見舞われ、京都の金閣寺も雪景色のニュースが入っていましたし、エジプトの大ピラミッドも雪で真っ白になったようです。

68歳を迎えたこの18日は正に「ホワイト・バースディ」となりました。

そして、私の頭の中で「黄金比」と「ホワイトホール」がドッキングした日でもありました。

やがて、ホワイトホール+ブラックホール=トーラス・ユニバースの考えが固まったのでした。

それは【順序+逆序=秩序】と考えて来たことに重なります。

また、「真善美と神聖数理学」の真①黄金比・善②フイボナッチ数列ひふみ九九算表・美③トーラスの三位一体にも矛盾しません。

終わりもなく初めもないメビウスの輪と有限かつフラクタルな世界が観察されるのです。

それらが【The Universe 超三段階論】を裏付けることにもなるようです。

http://8w1hflkm.jp/123univers2.pdf

2016.1.22

18千々松 健 :2016/01/31(日) 23:28:14

量子物理学者のナッシム・ハラメインの宇宙論は注目すべきです。

アインシュタインの成しえなかった場の統一理論に向けて、先頭を走っているように思えるからです。

幾何学とフラクタルが融合し、コンピュータがそれを計算して、画像化が進み、誰の目にも判るようになることでしょう。

藤原肇博士が2000年に発表された「ホロコスミックス論」は2015年に『Kuuness』に発展していますが、

両者の理論は、いずれも【トーラス型の宇宙観】がベースになっています。

そこで、黄金比(本質)とトーラス(現象)を結びつける(実体)が何であるかが問題となります。

藤原肇博士は早くからフィボナッチ数列に実体があると説いてこられました。

しかし、フィボナッチ数列がどのようにしてトーラスを生じるのかは実のところ明らかにされていませんでした。

千々松健が2008年に「21世紀マンダラモデル」を創出して以降、少しずつ実体が明らかになってきたのです。

それが「黄金比ふとまにアルゴリズム」と呼ぶべき【FMn≡FLKMchain(mod 9)】なのです。

この超対称性の数列2次平面を上下、左右に結合すれば、連続性の保たれた3次元のトーラスが生じることが理解されるのです。

真善美を▲■●とイメージすれば、善と■が解明できた訳です。

2016.1.31

19千々松 健 :2016/03/02(水) 21:44:50

世界を一つの家となして仲良くするという意味で、戦前にスローガンとして使用されていた「八紘一宇」の

の出所は「日本書紀」にある「八紘為宇(はっこうゆ(い)う)」といいます。

これを2016年の時点の最新カタカムナ思念で読みますと、

「引き合う、集まる、転がり入る、生れ出る、湧き出る(伝わるもの)、生れ出る」

となり、トーラス(トロイド)のイメージなのです。

また、真善美の神聖数理学で解釈しますと、

【0から8までの数が書かれた4本のメビウスの輪が組み合わされて(行為)、宇宙は生まれている】

となり、恐らく空海が『重々帝網』と称していたものと重ねられるでしょう。

http://8w1hflkm.jp/pythagoras/FLKM8.html

2016.3.2

20千々松 健 :2016/03/05(土) 18:08:53

宇宙物理学者ポール・ディヴィスは回転ブラックホールに関して「質量^2と回転速度^2の比が黄金比になるとき、負から正までの特殊な熱を放つ」と言っています。

すなわち「質量^2/回転速度^2=Φ」は「質量/回転速度=√Φ」と表せます。

かつて2009年暮れに『「光は√Φ^n で表わせる」かも知れない』と私は書きましたが、

上記の「√Φ^nでnが1の場合に特殊な熱を放つ」と申せましょう。

そこで、新たなる時間と空間に関する大胆な仮説が産まれそうです。

質量を空間に回転速度を時間に置き換えて考えるのがポイントです。

『空間^2/時間^2=黄金比になる時には光を生じ、ブラックホールとホワイトホールとなる』

2016.3.5

21千々松 健 :2016/04/10(日) 21:36:29

縄文時代の言霊「カタカムナ」が21世紀の現代に甦ります。

平十字―楢崎皐月―宇野多美恵―吉野信子ラインが成就したからです。

私の数霊的「●▲■の超三段階論」とも相性がよく、カタ=現象、カム=実体、ナ=本質と重ねられることが確認できました。

更には「古事記・日本書紀」以前に書かれたと言われる「神文傳」の数学に関する記述「ふとのりと・ふとまに・ふとみたから」の意味も解りました。

http://8w1hflkm.jp/123univers2.pdf

2016.4.10

22千々松 健 :2016/04/10(日) 23:36:26

「博士の愛した数式」で有名なオイラーの等式を変容させて、黄金比を新しい角度から観察しました。

元来は二次方程式の解である正と負であるべき、1.618(Φ)、-0.618(φ)に戻り黄金比を再考するならば

複素数を含めるカタチとなり統一できるのです。したがって「黄金比ふとまにアルゴリズム」はより強化されることになります。

φe^iπ:1:Φ=0.618:1:1.618

http://8w1hflkm.jp/ei%CF%80123_01.jpg

2016.4.10

23千々松 健 :2016/04/13(水) 22:50:00

"Geometry will draw the soul toward truth and create the spirit of philosophy." < Plato >

これは「幾何学の解らない者は入るべからず」とアカデミアの入口にプラトンが掲示させた理由です。

2400年も前の話で、知を愛する人(lovers of wisdom)すなわち哲学する人々の必須要件でした。

これらを尊重しつつ、今の時点で「カタルトシメス」します。

「あなたが『●▲■の真善美と神聖数理学』を正しく理解すれば、本質(論理)を描けるし、哲学する楽しみも味わえるでしょう」<Ken>

http://8w1hflkm.jp/SinseiM.pdf

http://8w1hflkm.jp/123universJ.pdf

2016.4.13

24千々松 健 :2016/04/15(金) 23:41:58

1)「小が大であり、一つがすべてである」:華厳経はすべての物事・事象の統一性と相互関連性を「一」と「多」の一致に見ようとしている。

2)「数学とは要するに大きな数と小さな数との関係である」:プラトンは黄金比があらゆる数学的関係の中心にあり、宇宙の物理的構造の要をなすと説いている。

これらの意味を統合すれば以下のように成るのです。

3)「スモールファイφ(0.618)と1とラージファイΦ(1.618)の関係性が全ての本質である。」

そうして、φを本来の二次方程式の解としてのマイナスを付けて、同時にオイラーの等式を使用して、複素数を含めた表現にすると

『φe^iπ:1:Φ≒0.618:1:1.618 という三つの数の比が全ての本質であり宇宙の論理である』 と言えるのです。

2016.4.15

25千々松 健 :2016/04/18(月) 23:35:18

京都嵐山の法輪寺の虚空蔵菩薩は、右手に宝剣を左手に宝珠を持っています。

これから剣の▲と宝の●がイメージされるのは当然ですが、では■は何処にあるのでしょう?

それは虚空蔵菩薩の本体そのものと解され、実体を表す鏡の■となります。

すると、●▲■は虚空=宇宙を顕していて、The universe「超三段階論」に繋がるのです。

2016.4.18

26千々松 健 :2016/04/19(火) 22:46:29

20世紀を生きたロシアの哲学者ローセフは『意味は現象に先行する。このまったく素朴で正しい定立から、プラトンとヘーゲルは、意味や概念は客観的であり、客観的な世界秩序の中で理念と物という論理的に相異なる契機が分かちがたい現実的な関係を取り結んでいるという結論を導いた』と書いています。

この個所は、21世紀マンダラモデルと超三段階論を通じれば、より簡潔に理解できます。

「意味は現象に先行する」・・・現象・結果の●に先行する意味とは実体・実在の■と本質・論理の▲です。

「客観的な世界秩序」・・・数学や幾何学をイメージすれば善いのです。

「理念と物という論理的に相異なる契機が分かちがたい現実的な関係を取り結んでいる」翻訳の拙さもありますね・・・この理念は▲の論理で、その論理が実体化して■の構造(物)が産まれます。

この■は二次平面で表されていますが、その上下と左右が繋がり三次元化すると●のトーラス体が現象化して来るのです。

そして、ここからが重要なポイントです。ロゴス(論理)の動詞形がレゲインですが、そのレゲインの仕組みが「分かちがたい現実的な関係を取り結んでいる」の内容です。

西田幾多郎はその仕組みを探求したくて「善の研究」を書いた訳です。プラトンの真善美の善が■に相当するからです。

また、この■の中身こそ【 FMn≡FLKMchain(mod 9) 】なのです。

この数式の意味するところは「黄金比を生じるフィボナッチ数列に代表されるフトマニ数列群は、法を9とするモジュラー算術で処理すると、全てが24で循環する4つの数の流れ=FLKM系列のどれかに合同となる」です。

この「4つの数の流れ」が仕組み=四くみ=しくみの実体です。

更に、しくみをカタカムナ思念で読めば、(シ)現象を(ク)引き寄せる(ミ)実体と読み解けるのは驚きでした。

昨日、TVで観たので「法輪寺」を登場させましたが、法輪とは塔の最上部に在り、八本スポークの輪が九重に伸びている姿をしている構造物です。

「法を9とする」モジュラー算術を示唆していたとしたら重ねてビックリですね。

http://8w1hflkm.jp/123univers2.pdf

2016.4.19

27千々松 健 :2016/04/24(日) 23:42:59

1年前に、根本泰行さんと会い「水の第4相」について伺ったことがありました。その時のフェイスブックのコメントが思い出されたので、新たな所見を加えたいと思います。

1なるものを黄金分割して、小さな数と大きな数にして、そのφ:1:Φの三つの数を使って、時間をかけて、展開していけば多次元に対応することが可能になると考えています。

そして、無限連続数学から有限離散数学へ移行し、モジュラー算術に慣れることが、これからの科学者のとっては重要だと思っています。

2016.4.24

28千々松 健 :2016/05/01(日) 23:25:29

『歴史感覚を研ぎ澄ますだけでなく、数理発想の訓練を受けて鍛えた頭脳によって、未来と運命が決定して行くので、そうした人材の育成が決め手になります。』藤原肇博士2016年

古文書「神文傳」の「ふとみことのり・ふとまに・ふとみたから」は「ナ・カム・カタ」に相対しています。カタは現象としてのカタチ・宝で、カムは実体としてのカミ合わせのふとまに、ナは本質としてのミコトノリです。

ミコトノリは「三つの数の比の法則」=ロゴス=言=論理を示しています。「はじめに言があった」の言(ことわり)は黄金分割を示唆していたのです。

●▲■の超三段階論でいえば、▲ナ・■カム・●カタであり、▲一次元のφ:1:Φ、■二次元の黄金比ふとまにアルゴリズム、●三次元のトーラスの三位一体に為るのです。

その中でも■の究明が歴史的にも大切なことでした。結果や現象の前段階にある原因や実体を探るのが重要だからです。

FMn≡FLKMchain(mod 9)・・・この「未来を変えるアルゴリズム」を理解することが、哲学、数学、自然科学も社会科学も含めて大事です。

ピタゴラス、プラトン、レオナルド・ダ・ヴィンチ、フィボナッチ、ゲーテ、オイラー等々、先人たちの叡智を再統合する時が来たようです。それが「スフィンクスの神託」かも知れませんね。

http://8w1hflkm.jp/ei%CF%80123_01.jpg

http://8w1hflkm.jp/123univers2.pdf

2016.5.1

29千々松 健 :2016/05/03(火) 20:52:52

私は「ふとのりと」を敢えて「ふとみことのり」にしています。漢字で示せば『太祝詞』よりも『太詔』です。

ふと=太は宇宙を意味し、祝詞・詔は『はじめに言があった』の言に相似して、言葉・理・ことわり・ロゴスのことです。

ロゴスの語源は「三つの数の比の法則」を意味していて、ことわりはコト割りで黄金分割がイメージされます。

そうして「φ:1:Φ」の黄金比に関わる法則が「ふとみことのり」であり、ふとのりとよりも本質が捉えやすいと考えました。

2016.5.3

30千々松 健 :2016/05/20(金) 21:56:19

靈という漢字には口が三つあり、器という漢字には四つあります。

これと「一靈四魂」と結びつけて思考しました。

靈は肉体の出入口、心の出入口、魂の出入口の三つの口が三位一体となっている姿と知りました。

また、受信機としての人(器)の四つの口には荒魂・和魂・幸魂・奇魂の四魂が相応しいと思います。

そうすると我田引水ですが、靈は▲真(本質)・■善(実体)・●美(現象)の「超三段階論」の三位一体と相似しますし、

器は「フィボナッチ数列ひふみ99算表」で解読された24で循環する4つの数の流れ即ちFLKM系列に重ねられます。

2016.5.20

31千々松 健 :2016/05/20(金) 21:57:17

上野の国立西洋美術館が世界遺産に決まりそうというニュースを聞きました。

ル・コルビュジエの設計であるのは良く知られていますが、その設計思想の「モジュロール」にもっと注目しましょう。

「モデュロール」とは、人体の寸法と黄金比から作った建造物の基準寸法の数列です。今のところニュースでは触れられていないようです。

Modulorはフランス語のmodule(モジュール・寸法)とSection d'or(黄金分割)から作ったル・コルビュジエによる造語です。

最終的には、フィボナッチ数列を3倍ないしは6倍した数列の中から、前者からの1131を1130とし、後者からの2262を1130の倍2260としています。

前者の【3.3,6,9,15,24,39,63,102,165,267,432,699,1131、、】はKen数列と名付けているものです。

『黄金比はすべてを美しくするか?』確かにそうであると私は思います。

2016.5.20

32千々松 健 :2016/05/20(金) 21:58:36

算数で使用する「九九算表」を、法を9とするモジュラー算術で一桁化したものを、佐藤敏夫氏は「ひふみ九九算表」あるいは「宇宙次元原理表」と呼ばれています。

それは「零0」を数学的に最初に定義したインドにも古くから在り「Vedic Square」と云われています。

佐藤敏夫氏に触発されて、黄金比を生ずるフィボナッチ数列を使って似たようなものを考え付いたのが2008年の「神聖方陣」です。

その後にカタカムナ研究家の吉野信子先生が「フィボナッチ数列ひふみ九九算表」と命名され、綺麗にデザインして下さっています。

まさに言霊と数霊のコラボレーションが興っているわけです。

ここでは詳しく説明できませんが、プラトンのいう真善美の「善」を形と数で示し得ていると考えています。

2016.5.20

34千々松 健 :2016/06/10(金) 23:19:07

ノーベル物理学受賞者であるスティーブン・ワインバーグが最近書いた「科学の発見」が論争を呼んでいるという。

「科学とは、自然を学ぶ方法のことです。それには正しい方法が存在するのです。ニュートンはパラダイムを示し、科学理論とはどういうものか具体的に示しました。まさに彼が、現代科学を発見したのです。

自然の観察抜きに論理や数学だけに頼って理解しようとするのは科学ではありません。古代ギリシャのプラトンやアリストテレスといった人たちは、科学者というよりも『詩人』と呼んだほうがふさわしい」と言っています。

『詩人』というよりは『哲学者』位にしておいてほしいと思うのは私だけではないでしょう。

ただし、「Tシャツ1枚に書ききれるくらいの数の方程式で導かれる理論を目指したいと思っている」のは大賛成ですね。

6月8日には、理研が合成に成功した113番目の元素に「Nh:ニホニウム」という名前が付くというニュースも入りますた。

周期表は18進法に通じるし、ワインバーグ博士が貢献した素粒子の「標準モデル」も現在は18の素粒子が登場しているというのですから、

両者に共通するコトとして、(mod 9)が隠されている予感がいたします。

2016.6.10

35千々松 健 :2016/06/18(土) 22:59:37

【0.1.1.2.3.5.8.4.3.7.1.8.0.8.8.7.6.4.1.5.6.2.8.1】フィボナッチ系列(11-88が特徴)

【0.2.2.4.6.1.7.8.6.5.2.7.0.7.7.5.3.8.2.1.3.4.7.2】ルカ系列(22-77が特徴)

【0.3.3.6.9.6.6.3.0.3.3.6.0.6.6.3.9.3.3.6.0.6.6.3】ケン系列(33-66が特徴)

【0.4.4.8.3.2.5.7.3.1.4.5.0.5.5.1.6.7.4.2.6.8.5.4】ミチコ系列(44-55が特徴)

カバラ算とひふみ算は共に、数論で云う「法を9とするモジュラー算術」に他なりません。

黄金比を生むフィボナッチ数列を、その方式で計算するとフィボナッチ系列が出現します。

また、フィボナッチ数列を2倍、3倍、4倍した数列を、同様に処理した結果がルカ・ケン・ミチコ系列です。

5倍以上にしても、上記の様な24項で循環する4つの系列のどれかに該当してしまいます。

【 FMn≡FLKMchain(mod 9) 】

これが「未来を変える方程式」または「黄金比ふとまにアルゴリズム」とか呼んでいる式です。

2016.6.18

36千々松 健 :2016/06/30(木) 23:26:59

日本文化の神髄は『万物に命が宿り、役割がある』ということです。

量子力学的な視点からも『万物は素粒子からできていて、振動している』と認識されていますから、

自然と一体となって生きるという日本の伝統は、現代物理学の考え方に最も近いと云われています。

藤原肇博士の『生命智』『Kuuness』、千々松健の『●▲■の超三段階論』『真善美と神聖数理学』はそれらを解くヒントになるはずです。

2016.6.30

37千々松 健 :2016/07/04(月) 22:20:15

『・・・ つまり魂の段階で「イデア」を見たことがあるため、この現実界に生まれてきた後も「完全な四角形」、つまり「イデア」を想い出すことができるのです。

魂のときに、より多く「イデア」を目にしていた者、また生を受けてからも真・善・美を追求し続けた者が、より多くの「イデア」を想い出すことができる、と述べています。

最もイデアに近づいた者が、最も偉大な者である、という思想です。

目に見えるバラや猫などの生物、石や家などの物質だけでなく、正しさや美しさなどの目には見えない対象にも「イデア」はあります。』

これはプラトンのイデア論を解説した文からの引用です。

注目すべきは「完全な四角形」つまり「イデア」を想い出すこと、という箇所です。

『●▲■の超三段階論』では、■が善に該当しますから、プラトンの真善美の善は「完全な四角形」の形になります。

ところで、「完全な」という修飾語が付いているのは何故でしょうか?

陰陽が対称に二次元で咬んでいる正方形のイメージが浮かび、カタ●・カム■・ナ▲で云えばカム■に該当します。

『21世紀マンダラモデルの神聖方陣=フィボナッチ数列ひふみ九九算表』は正に『魂の段階で見たイデア』に違いないのです。

2016.7.4

38千々松 健 :2016/07/09(土) 23:44:24

ギリシャの哲学者プラトンが、今の日本で、どれだけ知れ渡っているかは定かではありませんが、

「理想国家」を目指そうとしたのは確かです。当時の民主主義の失敗を見て、哲人による政治を目指そうとしたわけで、

衆愚政治に対して聖人・賢者による政治の必要性を述べたのでした。

量子力学が、自然科学に大きく貢献したことを考慮して、社会科学や政治哲学分野においても量子力学的な発想の活用が為されるべきではないでしょうか?

その為には、少なくとも『行列数学』は高校生レベルで学ぶべきですし、加えて『合同式』や『有限離散数学』についても文系、理系共通に学ぶべきです。

「幾何学の分からない者は、この門を入るべからず」というプラトンのアカデミアを逆に真似れば、『真善美と神聖数理学を知りたいものは、この門を入れ!』としたいところですね。

2016.7.9

39千々松 健 :2016/07/13(水) 22:35:08

ギリシャの哲学者プラトンの考えを、●▲■の図形や黄金比・フィボナッチ数列・陰陽太極図などと関連付けて、数理的に解明しています。

「真善美と神聖数理学」

また、新企画やストーリーを生み出すためにはフレームワーク「8W1H」をご活用ください。

http://8w1hflkm.jp/

2016.7.13

40千々松 健 :2016/07/30(土) 16:45:13

記紀時代の「神文傳」に残された数論に関する「ふとみことのり」「ふとまに」「ふとみたから」の3つの言葉の意味と関連を解明することが出来ました。

それは「21世紀マンダラモデル」(千々松 健)と「カタカムナ思念」(吉野信子)の出会いから運命付けられていたようです。

漢字では「太詔・太占・太御宝」と書かれていますが、「太=ふと」は宇宙を意味し、この三つの言葉と関連が宇宙や生命の誕生を物語っている「万物理論」だったのです。

ミコトノリは「3+コト+則」で、三つのコトの法則と読めますが、「三つの数の比または関係」はギリシャ語のロゴスの語源で、「φ:1:Φ」即ち黄金比のコトにならざるを得ません。

フトマニは「二つを足して次の間に置く」と読めますが、これは黄金比を生じるフィボナッチ数列のアルゴリズムを指しています。フィボナッチ数列を縦横に二次元に展開して掛け合わせ、更に

合同式の概念を使用して(mod 9)で処理すると「24項で循環する4つの系列」が出現します。

フトミタカラはフトマニの循環性と対称性と連続性が3次元世界に表出された結果ですが、ミタカラ「3+多+神+螺」と読めば、螺旋構造で万物が生じている姿がイメージできるでしょう。

2016.7.30

41千々松 健 :2016/08/04(木) 22:39:50

<真夏の夜の・夢=科学=神聖数理学>

ピタゴラスは『数学的法則こそ宇宙の根本的真理』と言い、ガリレオは『宇宙は数学の言葉で書かれている』と言った。

また、現代日本の智の巨人である藤原肇は『フィボナッチ数列こそ宇宙の根本法則である』と教えている。

そして、千々松健は『黄金分割こそ論理・本質であり、フトマニ数列群が原因・実体であり、メビウスの輪とトーラスは結果・現象である』と認識し、

【FMn≡FLKMchain(mod 9)】:フィボナッチ数列に代表される黄金比を生むフトマニ数列群(FMn)は、法を9とするモジュラー算術(ひふみ算やカバラ算と同じく全ての数を一桁化できる)で処理すると、24項で循環する4つの数の流れのいずれかに合同となる。

という合同式でいわゆる万物理論にチャレンジしているのです。

http://8w1hflkm.jp/123univers2.pdf

2016.8.4

42千々松 健 :2016/08/06(土) 13:30:36

『 森羅万象を統べる創造主による宇宙の設計図を読み解き、万物理論を導き出すことができれば、宇宙における人間の立場と使命も明きらかになり、それが「人類の天命」となるに違いありません。

いずれの日にか物理学者・天文学者・数学者たちの努力により、大宇宙の統合的ルールブックが描き上げられる時が来るとしたら、それはわずか数ページに収まり、そのページには、初めも終わりもないウロボロス的なメビウスの輪と共に、非過去・非現在・非未来に関連する合同式が記されているでしょう。』

これは、2014.10.14に書き残した文章でした。あるひな型を元に私なりに肉付けしたものだったと記憶しています。

その流れが「真善美と神聖数理学」に繋がって来たのです。

科学の発展は善であるとの考えが、人類史上初めてひっくり返されたヒロシマ原爆の8月6日を迎えました。

地球上の人類や動植物も含めて、何度も破滅・消滅させることのできると言われる大量の核兵器の存在こそが問題です。

そして、改めて「人類の天命」を想うと、科学・技術よりも、循環する自然の理学こそが重要視されるべきと思われます。

http://8w1hflkm.jp/SinseiM.pdf

2016.8.6

268千々松 健 :2016/08/07(日) 10:15:04

<色褪せない思想 鈴木大拙 「一元論」表した日本的霊性>と題して安藤礼二氏が書いている。(2016.8.6 読売新聞夕刊)

『大拙は、「東方仏教」こそが、インドで生まれた多神教とヨーロッパで広まった一神教に、ひとつの総合を与えるものになると確信していた。(中略)

大拙が「日本的霊性」としてまとめ上げた「東方仏教」は、高等中学校以来の盟友、西田幾多郎をはじめとする京都学派の哲学、独創的な「東方哲学」の一つの起源となった。』

鈴木大拙といえば、例の仙厓の●▲■の墨書に「The Universe」というタイトルが善いと、出光美術館の創設者に提案していたエピソードがある。

西田幾多郎は「善の研究」で知られているし、同じく京都学派の武谷三男は「三段階論」で科学認識の手順を提示して、湯川秀樹や朝永振一郎に影響を与えている。

我々、戦後生まれの「団塊世代」は、歌手や俳優やタレントとしては多くの人々が活躍して来たが、「末は博士か大臣か」と云われるような世界では滅多に見かけない。

京都といえば、父が京大の経済学部を卒業している位の関係しかない。

私自身は鎌倉で産まれ育ったので、幕府の鎌倉と朝廷の京都という対立や、実権の場と権威の場の関係でしか見てこなかったが、やはり京都はすごいと思う。

そんな京都に憧れながら関東に居るわけですが、哲学と数学と宗教を含めて、●▲■の図形に沿い「真善美と神聖数理学」を完成することが出来ました。

数年前に立てた「古今東西の叡智を統合して、判り易く次世代に伝承する」という「志」のひとつの成果です。一枚のシートです。

http://8w1hflkm.jp/123universJP16.jpg

2016.8.7

43千々松 健 :2016/08/08(月) 23:25:55

<フラクタル性を生じるジュリア集合やマンデルブロー集合の数式を黄金比Φで単純化する試み>

Z=Z^2+C マンデルブロー集合から

C=-1に固定して観ると

Φ=Φ^2+(-1)

Φ=Φ^2-1

f(Z)=Z^2+A ジュリア集合から

A=-1に固定して観ると

Φ=Φ^2-1 (1.618=2.618-1)

そこで、オイラーの公式

e^iπ+1=0 を活用すれば

Φ=Φ^2+e^iπ

となり、複素平面にも展開可能です。

2016.8.8

千々松 健 2016.9.5

小保方晴子さんのSTAP現象を海外の研究者が再確認しつつあるようです。

「人間の認識は現象論的段階、実体論的段階、本質論的段階の三段階を経て発展する」という武谷三段階論の意味において、

当時、STAP論文が現象論的段階のみで疑惑事件に矮小化され、最悪の結論が出されてしまったことは誠に残念でした。

科学の発展は、先ずは現象論(結果の美)から入って、実体論(原因の善)へ、更には本質論(論理の真)へと探求がなされるべきなのです。

フィボナッチ数列が宇宙の法則に関係しているとして、最近のトーラス理論の原型を西暦2000年に発表された智の巨匠:藤原肇博士に影響を受けて、

フィボナッチ数列を縦横に掛け合わせ、ヒフミ算で一桁化し、優れた対称性をもって循環する「神聖方陣」を考え出し、ある合同式に表わすことができたのでした。

そのアルゴリズムは実体論に相当しますが、誰もが確認できる数式です。また、哲学者プラトンが言っている真善美における「善」であると認識していたのが西田幾多郎です。

2016.9.5

千々松 健 2016.9.8

『学問とは、知識を得ることではなく、疑問に思ったことを自分で調べたり、確認したりしながら既存の世界観を変えるということです。』と

青山学院の福岡伸一教授は書いています。(2016.9.8 読売新聞夕刊)

彼の著書の「生物と無生物のあいだ」や「動的平衡1・2」などは、生物学と文学の両輪を備えていて、やはり、哲学のバックボーンがある京都大学に学んだからであろうと推測します。

44千々松 健 :2016/09/10(土) 15:02:37

リオ五輪の「太陽の聖火台」はアンソニー・ハウ氏のキネテイック・アートであると知りました。

風の力で螺旋を描いて、拡散・集中して見えましたが、

私には、まるでカタカムナのウタヒ5首+6首の48音に観えました。

そして、それは勿論トーラスに繋がっていくのです。

http://8w1hflkm.jp/katakamuna3.html

2016.9.9

45千々松 健 :2016/09/24(土) 22:53:04

リオ五輪の「太陽の聖火台」は動くオブジェで、トーラス即ちドーナツ様でした。

ドーナツの環軸には4本のスポークが90度毎に伸びていて、夫夫に4個の球が付き、先端には円形の扇が風を受けるようになっていました。

それが12度×30組で360度となり、少しづつ回転がずれるように仕組まれていています。

風を受けることにより、綺麗な螺旋を描いて動き出し、それらの軌跡を全体として観察すると、中心の穴がほぼゼロに近いトーラス体が浮かび上がるというわけです。

9の倍数は90度や360度に現れていますし。また、4つの違った大きさの球が使われていたことには深い意味がありそうです。

2016.9.11

46千々松 健 :2016/09/24(土) 22:53:55

FMn≡FLKMchain(mod 9) これは「未来を変アルゴリズム」と名付けていますが、

『黄金比を生むフィボナッチ数列に代表されるフトマニ数列群(FMn)は、法を9とするモジュラー算術で処理する(mod 9)と、全てが24項で循環する4つの数の流れ(FLKMchain)の何れかに合同(≡)となる』

いう意味を持ちます。偶然にもリオ五輪の聖火台オブジェの「4つの違った大きさの球」とは、このFLKM系列即ち、フィボナッチ系列、ルカ系列、ケン系列、ミチコ系列に相当すると私は観ているのです。

2016.9.12

47千々松 健 :2016/09/24(土) 22:54:43

ルカ・パチオリの「神聖比例論」の本中にダ・ヴィンチが描いた「五方十二面体」には正三角形が使用されているようです。

また「ミケランジェロの多面体」はそれを真似ていますが五方部分には球体に近くなるような二等辺三角形が使用されているようです。

それらに対して、黄金比折り紙ピラミッドで制作したのが「黄金比星冠十二面体」と命名した私の作品です。

2016.6.13

48千々松 健 :2016/09/24(土) 22:55:13

三種の神器の一つである「勾玉」は正式には「八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)」といい、大きいメノウの曲玉と普通には理解されています。

誰も実際に観た者は居ないと言いますが、箱の中は二重になっていて、上と下に4個毎の玉が入っていると推測されているようです。

そこで吉野信子先生のカタカムナ思念で私なりに解釈すると、勾玉は8個存在し、逆さまに4個毎の2層に置かれていて、陽と陰がカムような相互関係にあります。全体の数霊の合計は7ですからワに相当し、ワは輪=環=倭=和=調和=大和になります。

また、21世紀マンダラモデルの「螺旋モデル」は4つの組み合わせですが、それを2段に重ねて180度ずらせば陰陽が磁石の様に引き合い。8個が上下左右に合体して安定した玉になるのです。正にトーラスです。

2016.9.14

49千々松 健 :2016/09/24(土) 22:55:53

ニュートリノ関連で現在進行中の「T2K」実験が成功すれば、「CP対称性の破れ」が証明されるといいます。

宇宙の誕生後、物質と反物質が打ち消し合って消滅したはずなのに、この破れがあるために、一部の物質だけが残り、今の宇宙が残ったと考えることが出来るのです。

そこで、想起されるのが数年前に、吉野信子さんと松本英樹さんと千々松が思考し合った事柄です。

私の元の「神聖方陣」は9は全てを0にしていましたが、方陣の縦・横合計99に揃えるために工夫を加えた吉野さんの「フィボナッチ数列ひふみ九九算表」では、半分の0が9に戻されました。

囲碁におけるポン抜きのヒントを示された松本さんのお陰もあり、上下左右4か所が3または6の同数ならば0にし、3と6が混じる場合は9にするルール(但し、陰陽が逆の場合は0と9を反対とする)

この云わば「3・6・9ルール」こそが「CP対称性の破れ」の実体を表しているのではないかと考えています。

2016.9.18

50千々松 健 :2016/09/24(土) 22:56:17

「3・6・9の素晴らしさに気づくだけで 宇宙のしくみを知る鍵となる」とニコラ・テスラ は述べていましたが、

この『3・6・9ルール』との関連もあるかも知れませんね。

2016.9.18

51千々松 健 :2016/09/24(土) 22:57:05

【1,1,2,3,5,8,13,21,,,】

【3,3,6,9,15,24,39,63,,,】

上段はフィボナッチ数列で、下段はそれを3倍した数列です。

私は勝手にKEN数列と呼んでいます。そのKEN数列を9で割った余りに置き換え一桁化した

『3,3,6,0,6,6,3,9』をケン系列8と定義します。8項目で循環します。

またフィボナッチ数列を1倍して一桁化したものをフィボナッチ系列、

フィボナッチ数列を2倍して一桁化したものをルカ系列、

4倍して一桁化したものをミチコ系列と定義しますと、それらは24項目で循環します。

「4つの数の流れ」を総称して「FLKM系列(chain)」と定義しました。

この中のケン系列に『3・6・9ルール』が関係して来ます。

2016.9.19

52千々松 健 :2016/10/01(土) 22:28:55

私は「黄金比<フィボナッチ数列^2<トーラス」の超三段階論=真善美の神聖数理学を唱えて来ました。

未だごく少数の方にしか理解されていませんが、いずれは物理学や生命科学分野のみならず、数学や哲学や政治の分野でも多くの理解者が出現するに違いありません。

現象としての「トーラス構造」は藤原肇博士のホロコスミクス論に教えられること大でしたが、ある方(物理学者)のご意見を以下に引用させていただきます。

『トーラス構造は、M理論の次ぎにくる理論のなかで扱われる構造として注目している構造です。 簡単にしてしまうと、時間と空間のコンパクト化です。時間軸一次元と空間軸一1次元が円環している最小の構造をさします。これを組み合わせると、時空や超弦がつくられるのではないかと想っています。いってみれば世界のアトムのようなものですかね。』

*神の数学すなわち万物理論は、超ひも理論からM理論へ、そして更にその次に移って行くことでしょう。

2016.10.1

53千々松 健 :2016/10/04(火) 14:15:53

今年のノーベル生理学・医学賞にオートファジーの大隈良典博士が輝きました。

細胞内のたんぱく質が分解される過程を酵母の顕微鏡観察から解明した功績が認められました。

アミノ酸から合成されるタンパク質ですが、細胞内で不用になったたんぱく質を一旦分解してアミノ酸にし、再度有用なたんぱく質を合成するという自食作用の発見は、

細胞レベルでの合成と分解のシステムであり、それは「順序+逆序=秩序」のシステムに相似象です。

2016.10.3

270千々松 健 :2016/10/04(火) 14:18:36

ギザのピラミッドから発見されたといわれる「エメラルド・タブレット」の冒頭より引用します。

『こは偽りなき真実にして、確実にして極めて真正なり。唯一なるものの奇跡の成就にあたり、下なるものは上なるものの如く、上なるものは下なるものの如し。

万物の「一者」の考察によってあるがごとく、万物はこの「一者」より適応によりて生ぜしものなり。』

さて、21世紀の今、これをどのように読むかが問題となりましょう。以下は我田引水です。

先ずは『下なるものは上なるものの如く、上なるものは下なるものの如し』これは【黄金比ふとまにアルゴリズム】のことと解釈します。数論です!

例えば、フィボナッチ数列では項が大きくなればなるほどに、隣同士の比率は黄金比(1:1.618...)に近似します。

エクセル表で上のマスと下のマスを足して次のマスに置くと計算式を作り、以下その式を下にコピーしていけば、どんな数値を初めの上・下のマスに持ってきても、

フィボナッチ数列と同様に、黄金比を生じるので、これらを全て「フトマニ数列群」と私は呼んでいます。

次に『万物の「一者」の考察によってあるがごとく、万物はこの「一者」より適応によりて生ぜしものなり』これは【●▲■の超三段階論】のことと解釈します。哲学です!

【初めにロゴスとしての神聖比例(黄金分割)が在り、レゲインの行為により黄金比ふとまにアルゴリズムが適応され、トーラスとしての結果が生じる】という万物理論になるでしょう。

古代から伝えられた叡智を温故知新して、最新の視点から見直すことにより、長い歴史の中で、敢えて秘められたり、曲解されたりしてきたものを、直して行くことが大切であると思う今日この頃です。

2016.10.4

271千々松 健 :2016/10/04(火) 22:03:03

『真はまこと、善は行為、美はその結果』と高橋信次は言い残しています。

それは『真はロゴス(論理)、善はレゲイン(論理の動詞形)としての行為、美はその結果の現象である陰陽太極図』に重ねられます。

そして、真善美と神聖数理学では『黄金比、フィボナッチ数列、トーラス』や『▲■●』に該当します。

■に該当する行為としての善は、現象・実体・本質、または論理・原因・結果のそれぞれの中間に位置します。

今までは、その中身がうまく把握されてこなかった訳ですが、三次元立体のトーラス構造を現象化する一歩手前の二次元平面として「フィボナッチ数列ひふみ九九算表」のお陰で、一挙に説明が可能になったのです。

2016.10.4

272千々松 健 :2016/10/07(金) 21:55:40

『一霊四魂』の一霊は「なおひ=直靈」とも言いますから、直して行く力=直観力でもあると思います。

見直すことは反省することにも繋がりますが、古代から伝えられた叡智を温故知新して、最新の視点から見直すことにより、長い歴史の中で、敢えて秘められたり、曲解されたりしてきたものを、直(一靈)して行くことが大切であると思うのです。

2016.10.5

273千々松 健 :2016/10/07(金) 21:56:28

プラトン立体で知られるプラトン自身が、正五角形から構成される「正十二面体」にこそ宇宙を探る秘密があると述べていたそうです。

彼は「五芒星」をシンボルマークにしていたピタゴラス学派を継承していますが、正五角形には当時「中外比」と呼ばれた「神聖比例」が現れている訳です。

今は1:(1+√5)/2≒1.618 を「黄金比」と呼んでいますが、1なるものが黄金分割された状態がモノゴトの初めであると認識すると全てが矛盾なく説明できます。

2016.10.6

54千々松 健 :2016/10/07(金) 22:00:52

今思えば、1970年代にブームとなった「ニューサイエンス」は西洋文明の行き詰まりから、東洋思想の中に何かを求めようとしたものでした。

しかし、インド・アフガンにも、中国・日本にも、それらは見付からずに終わり、神秘主義や瞑想から一部はオカルトに走りました。

サイエンスというからには、何か数学的な裏付けがない限りは意味を持てなかったということです。

やがて、1980年代終りごろから、今度は「メタサイエンス」を藤原肇博士が提唱されました。

それは「間脳幻想」「宇宙巡礼」「生命知の殿堂」の三部作で展開され、黄金比とフィボナッチ数列と陰陽太極図(トーラス)が登場する『ホロコスミクス論』です。

そして、2010年代からは、「21世紀マンダラモデル」「未来を変える方程式」「●▲■の超三段階論」を内容とする『真善美の神聖数理学』が誕生するのです。

2016.10.7

55千々松 健 :2016/10/09(日) 00:01:45

チャールズ・パースに倣えば「演繹・帰納・アブダクション」は●▲■を使った三項関係の記号論に帰着するのです。

●から▲への最短ラインがアブダクション(仮説形成・直観的推論)に該当します。行列演算が必須の量子力学的な発想をすれば「逆行列的推論」という表現が適当でしょう。

ちなみに、演繹は▲<■<●。帰納は●<■<▲。●現象、■実体(実在)、▲本質(論理)と定義すれば、パースの『最高度の実在は記号によってのみ到達される』8-327という意味は何かと考える時、

■という実在こそが、長い歴史の中で、人々が哲学や数学や論理学で探してきた何かであったのです。

プラトンの真善美を真▲・善■・美●と定義すれば、「善の研究」の西田幾多郎もまた、■を哲学者として研究していたわけです。

図らずも、黄金比を生むフィボナッチ数列の二次展開から為る「フィボナッチ数列ひふみ九九算表」を見い出すことになりましたが、数学的な背景をもってこの■(実在)に到達できたのです。

まさに『最高度の実在は記号によってのみ到達される』という仮説形成は正しかったのです。

2016.10.8

56千々松 健 :2016/10/09(日) 22:08:54

今年はノーベル物理学賞にも注目する必要があります。

デービット・サウレス氏、マイケル・コスタリッツ氏、ダンカン・ホールデン氏の三人が「相転移」という現象にトーポロジーの考えを導入して、原子が膜のように並んだ二次平面でも粒子の動きに規則性のあることを発見したからです。

まさに「水からの伝言」「水の第4相」にも大きく関連するようです。ミクロの世界を扱う量子力学に革命が起きたようです。整数倍や渦がキーワードのようです。

我田引水ですが、『真善美と神聖数理学』の<黄金比、フィボナッチ数列、トーラス>でいえば、トーラスはトーポロジーの考え方そのものですし、それを二次平面に戻したのがフィボナッチ数列^2から出来る「フィボナッチ数列ひふみ九九算表」=神聖方陣に該当すると考えると善いのです。

2016.10.9

57千々松 健 :2016/10/09(日) 22:11:01

『この世に存在する全てのものは、まるで縦糸と横糸で綺麗に編んだ生地の様である』と量子力学の父と言われたハイゼンベルクの言葉が思い出されます。

それは、学生時代に行列数学を使ってのマトリックス簿記会計理論を教わった越村信三郎先生との出会いに始まりました。

この縦糸と横糸の関係は、陰陽関係に繋がり、魔方陣から「神聖方陣」に結実したという訳なのです。

2016.10.9

58千々松 健 :2016/10/30(日) 23:51:48

10月31日はハロウィンで、藤原肇博士の誕生日に当たります。博士おめでとうございます。

フィボナッチ数列が宇宙の法則であるという博士の教えに従って、私なりに思考してきた8年でしたが、「21世紀マンダラモデル」と「超三段階論=真善美と神聖数理学」の2枚の図画に纏まり、<黄金比、フィボナッチ数列、トーラス>が関連付けられました。

この29日には、これまで空欄で残していた仏教における■に縁起を入れるのが善いと判り、空▲、縁起■、色●としました。

「21世紀マンダラモデル」

http://8w1hflkm.jp/21MM.pdf

「超三段階論」

http://8w1hflkm.jp/123univers.jpg

2016.10.30

59千々松 健 :2016/11/16(水) 23:16:22

二次平面である神聖方陣=フィボナッチ数列ひふみ九九算表がドーナツ状のトーラスになるということが実に分かりやすく観られるので下記サイトを参考になります。

http://style21.co.jp/hrt/hrt-graphic/ToroidalSpace.htm

そのサイトでは、展開された円環状(トーラス)空間ということですから、三次元の●が二次元の■に展開されるという方向ですから、結果●から原因■の方向です。

私はこのような幾何学的な構造の中に、上下の数列が循環して繋がっていること、かつ左右の数列も同様であるという代数が加わることで、初めて二次元から三次元方向に進める必要十分条件となると考えています。

それが、●▲■の超三段階論ないしは真善美の神聖数理学の重要ポイントになります。

http://8w1hflkm.jp/123univers.jpg

2016.11.16

60千々松 健 :2016/12/27(火) 23:09:49

藤原肇博士の宇宙論シリーズを私なりに、ごく簡単に集約しますと

その1の「間脳幻想」では、松果体の話。

その2の「宇宙巡礼」では、フィボナッチ数列の宇宙の法則。

その3の「生命知の殿堂」では、トーラス理論。

それらの底流には、「黄金比ふとまにアルゴリズム」というべき数論が存在し、

それが「神の数学」の実体を示しているのではないでしょうか。

そして2016年の締めに当たり、新たな仮説を提示したいと思います。

「第三の目ともいわれる松果体と両眼の位置関係には黄金比が成り立っている」

これぞ真の神聖幾何学です。松果体はごく小さいが松ぼっくり型をしていて、フィボナッチ数列を内蔵しているわけですから、繋がらない訳がありませんね。

2016.12.27

61千々松 健 :2016/12/31(土) 22:13:32

古代ギリシャのプラトン、オランダのスピノザ、ドイツのゲーテの志向したコトは一言でいえば「万物理論」でした。

哲学や神学や文学に携わる人々は、残念ながら数学と縁が遠いいのです。

しかし、広い宇宙の中で思考するには、幾何学や代数学の数理的理解が欠かせないのです。

かのプラトンの開いたアカデミアの門には「幾何学の判らない者は入るべからず」と書かれていたそうです。

今ではそれを「真善美と神聖数理学の判らない者は入るべからず」と言い換えたいですね。

更に、2017年にカタカムナ思念の言霊と数霊のコラボレーションが進めば「超三段階論」がより早く理解されるでしょう。

2016.12.31

59千々松 健 :2017/01/03(火) 22:40:03

明けましておめでとうございます

今年は「カタカムナと超三段階論」をテーマにして参ります。

昨年は「真善美と神聖数理学」でしたが、カタカムナをより前面に出して行きたいと思います。

松果体とフィボナッチ数列とトーラスが繋がっていること。

黄金比ふとまにアルゴリズムが生命智の実体であること。

FMn≡FLKMchain(mod 9)という合同式のこと等々。

藤原肇博士の「大スフィンクスの神託」にシンクロし、トーポロジーや有限離散数学の力を借りて究極の万物理論に挑みます。

2017.1.3

62千々松 健 :2017/02/09(木) 19:59:08

●▲■超三段階論で空<色との中間には縁起が来ると善いと追加したところ、無が善いのではないかというアドバイスをもらった。

すると有<無<空の考えが甦って来た。数学上、プラス(有)でもなく、マイナス(無)でもない存在は0しかない。

その0(零)を空と考えたことが以前にあったからです。

それに、カタカムナ思念の言霊の考えを導入して、有無空=ウムクウを解釈すれば、

ウは宇宙に見えるものとしての陽で●

ムは見えない存在としての陰で■

クウは究極の9システムを含んだ黄金比ピラミッドで▲となります。

そして、無(ム)はカタカムナのカムのムであり、フトマニのマ≒ムであり、マトリックスのMaであり、魔方陣のMaであり、マスマティクス(数学)のマであり、更にはマイナスのマに通じるでしょう。

吾々は、■に対応するMaないしはMuをずっと探求してきたともいえるのです。

それが結果として「フィボナッチ数列ひふみ九九算表」と吉野信子さんが命名して下さった私の「神聖方陣」なのでした。

2017.2.9

63千々松 健 :2017/03/05(日) 12:43:58

<藤原肇博士の著作からの引用です>

「黄金分割が最も美しい形態的な比率であるということは、古代から経験的に知られていたし、この事実を知っていた人たちはそれを秘伝にしてきた。特に、黄金分割の集大成ともいえるベンタグラムは格別であり、ピュタゴラスはこれをサルスピュタゴラと呼んで珍重しました。」『間脳幻想』

「21世紀を迎えるに当たって、情報革命が進行する中で、われわれはフィポナッチ数列に基づく、ダイナミックな生命の発展法則を、自分のものにしていく必要があります。なぜならば、フイポナッチ数列は、自然自らが繰りかえす生命実践を観察して、科学的に捉えた宇宙法則だからです。」『間脳幻想』

「サイエンスとは、[質は何か]や〔条件は何か〕を考え、その原理である[理] がレシオとして比率の関係を現し、そこに合理精神の根幹があると認識する行為です。」『経世済民の新時代』

以上は https://twitter.com/924808 に在ります。

そして博士は、全体的宇宙論としての「ホロコスミクス」の概念を完成され、最新の「トーラス理論」への橋渡しをされている訳です。

今から10年近く前に宇宙巡礼の掲示板を知り、藤原肇博士をはじめ賢者の方々から貴重なヒントや励ましを頂き、

『黄金比<フィボナッチ数列<トーラス』の超三段階論を生みだすことが出来ました。

この●▲■超三段階論がメタサイエンスとして認知されるには、まだ時間が掛かるかも知れません。

しかし、吉野信子さんのカタカムナ思念の流れとともに、加速される予感がいたします。

2017.3.5

64千々松 健 :2017/03/06(月) 22:12:26

ハイデッカーがプラトンのいうロゴスの意味を探って、Logosロゴスの動詞形であるLegeinレゲイン(取り集めて目の前に置く)や更にはレーゲン(下に=そして前に置く)を持ち出したのは凄いと思う。

そして、LogosはRatioであるというところまでは到達していたことには頭が下がる。

もう少し進めて、ギリシャ語のロゴスの語源には「三つの数の関係ないしは比」という意味があるのだから、golden ratio(黄金比)に繋がらざるを得ないことも明らかになるし、

レゲインが「二つを統合して次に置く」という「ふとまにアルゴリズム」即ちフィボナッチ数列を作る行為として、ロゴスの動詞形の意味となることも理解されるはずだったのです。

http://8w1hflkm.jp/123univers.jpg

2017.3.6