234 名前:千々松 健 投稿日: 2012/08/27(月) 21:17:40
<真夏の夜の夢 その8 ●▲■の三拍子でワルツは踊ろう!>
野依良治氏が「科学技術イノベーション」の必要性について新聞に書いていた。
科学よりも技術によるイノベーション(新しい価値の創出)に重点が置かれていた。
気になった点が一つ、ゲーテの言葉としての引用箇所「知るだけでは不十分、知の活用が必要である。意志だけでは不十分、実行が必要である」は如何なものか? この場合は単に「有言実行」を言えば済むでしょう。
また「知るだけでは不十分である。活用しなければならない。意思だけでは不十分である。実行しなければならない。」というレオナルド・ダ・ヴィンチの名言の方がルーツのはずです。
ところでゲーテと言えば、宮本武蔵と関連付けて三つの輪で「大事=to do)を考えたコトが思い出されます。そして、「知情意」「ロゴス・パトス・エトス」「智仁勇」や「want,plan,action」などがイメージされて、【●▲■の三拍子でワルツは踊ろう!】の新しいフレームワークを使って人間活動を可視化して把握するコトの重要性がなぜか浮かび上がって来ました。
http://8w1hflkm.jp/ring.pylamid.pdf
235 名前:千々松 健 投稿日: 2012/08/30(木) 21:06:41
<真夏の夜の夢 その9 (mod 9)>
1,2,3,4,5,6,7,8,9,10,11,12,13,14,15,16,17,18,19,20、、、
この数列を9で割った余りに置き換える{(mod 9)で処理する}と
1,2,3,4,5,6,7,8,0,1,2,3,4,5,6,7,8,0,1,2、、、になります。
全ての数を0から8までの9つの数字で現わせて便利です。
これは2進法では0と1の2つの数字で現わせるのと同じ原理ですので9進法と言っても良いでしょうし、12時間ではなく9時間で1周する時計算とも言えます。
数論の【9を法とするモジュラー演算=mod 9】に該当します。
これと同じ演算形式が古神道のひふみ算や古代ユダヤの演算で使用されていたコトは良く知られています。
この(mod 9)の世界では9の倍数は全てが「0」に置き換わるので消えて仕舞います。
もしも、宇宙生命体(宇宙人?)が数学を使用しているとすれば、彼らはこの(mod 9)を良く理解して、多岐にわたり活用しているに違いありません。
これが本年の真夏の夜の夢の最終章である第9章に相応しい夢になりましょう。
第1集 モノとコトあるいはカタチとコトバ 【1~248】
1 名前:千々松 健 投稿日: 2010/08/02(月) 23:36:52
今やマーケティングの世界だけではなく、素粒子の世界においても「モノからコトへ」と視点が変わって来ています。振動の仕方しだいで、さまざまな粒子になるというのが「超弦理論」とすれば、その振動の仕方こそが「数の流れ」であり、「コト」であり「コトバ」であるのです。その仕組みにより粒子といわれるモノあるいはカタチが生まれるという訳です。
数年前、偶然にもこの宇宙巡礼の掲示板に導かれ、藤原肇博士に出会い、また多くの智慧に触れることが出来ましたことを感謝いたします。その間、
1)順序+逆序=秩序というパターンでもって、カオスはシステムとなっているコト。
2)黄金比を産むフィボナッチ数列がミクロにもマクロにも関係しているコト。
3)秘数である9が数論のモジュラー算術で大活躍しているコト。
そして具体的には「FLKM系列」と呼んでいる数の流れが「振動の仕方」の基になっているコトをみて来たのです。
南方熊楠がメモとして残したモノとコトに関する所謂「南方マンダラ」のイメージを直観するのは難しいのですが、「21世紀マンダラ」の方は易しいのではないかと思います。メタサイエンスの新たな展開と見解を得るために、「モノとコトあるいはカタチとコトバ」の新しいレスを作りましたので、よろしくお願いします。茂木健一郎さん曰く『偶有性の海の飛び込め!』今年の真夏の暑さには参ります。本当の海に飛び込みたいところですね。
2 名前:千々松 健 投稿日: 2010/08/03(火) 22:11:04
野球賭博事件の為に、大相撲名古屋場所で優勝した横綱の白鵬は天皇杯を貰えなかったが、天皇からお言葉を頂いて、大変うれしく光栄ですと述べたというニュースが入った。これはまさにカタチあるモノではなく、コトバというコトが重要な意味を持つという例になると思う。モノを与えるのではなくコトバを与えるコトの重要性が判るというものだ。
3 名前:千々松 健 投稿日: 2010/08/04(水) 21:30:20
日本の長寿社会を疑わせるコトが起こっていた。30数年前に死亡していたはずの111歳の最高齢者の男性の例に続いて、年金が支払われている113歳の女性の生死が未確認であるコトなどが発覚しているという。年金問題であり、医療介護に関する行政の問題であり、個人情報の問題にもなりうるが、近所付き合いや親族内の付き合いにも何かの問題を提起していると思われる。
そもそも年金とは、お金(モノ)と人の死(コト)を関連付けた制度であるから、死ぬまでは年金をもらえるが、死んでからはもう貰えずに、残された者が遺族年金として別途に貰うという考え方であろう。
「コトをないがしろにしてまで、モノを大切にする」という悲劇を図らずも見てしまった気がする。コトがここに至っては、まさにコトバを失う。
4 名前:千々松 健 投稿日: 2010/08/05(木) 11:29:15
物理学者の竹内薫がコトとモノの区分を説明しているので引用させてもらいます。
『モノ:意味のネットワークの一つの「交叉点」(=ノード)だけに注目したときに見える世界』
『コト:意味のネットワークの全体的な「つながり」こそが本質であることに気づいたときに見える世界』
そして、彼は『モノは固定的で狭い思考法であり、コトは流動的で広い思考法』として、『世界の本質がコト的であることを現代物理学から説明できる』と述べている。
これは大いに賛成できると私は思う。物理はモノの理(コトワリ)であるから、コト的な探求が為されなくてはならない。コトとは時間を含む何らかの行為であるとすれば、「数の流れ(例えばFLKM系列)」から説明できるに違いないと考えています。
5 名前:藤原肇 投稿日: 2010/08/05(木) 11:56:45
流石に窮理学をやった竹内さんの理性と感性は素晴らしく、コトとモノについての説明は天地創造以前を彷彿とさせます。
私は今カンボジアでメコン川の畔に立ち、言葉にならないことについてコトホグことを楽しみ、コトホグが漢字で寿ぐと書くと知りました。
貴重な教えをどうも有難うございます。
6 名前:千々松 健 投稿日: 2010/08/05(木) 16:30:07
5>真夏のメコン川の河畔にて寛がれる賢人の姿をイメージしつつ、
長寿、寿命、喜寿などに使われる「寿」の訓読みが「寿ぐ=言祝ぐ=ことほぐ」というのは知りませんでした。
寿き(ことぶき、ことほぐ)と、寛ぎ(くつろぎ、くつろぐ)を比較すると、「ことほぐ」は元の「ことぶく」が訛ったものでしょうね。「声を出してお祝いする」「言葉で祝福する」が「ことぶく、ことほぐ」であれば、今回の天皇から白鵬への異例の言葉掛けはまさに「寿ぐ」であったのです。
さて、8月6日から9日にかけて恒例のぼんぼり祭りが鎌倉八幡宮で開催されます。「夏の間の無事に感謝し、秋の稔りを寿ぐ祭典=立秋祭」がメインのようです。
7 名前:千々松 健 投稿日: 2010/08/06(金) 22:02:21
気になったのでWEBにて調べると、上代には「ことほき、ことほく」であり、ことほき>ことほぎ>ことぶきと変化したようです。
ホクホク顔やフクブクしいに関連しそうです。ホクは祝の意味で、フクは福の意味ですから、寿や寿ぐは「祝福(する)」の意味です。
長崎の浦上天主堂の被爆したマリヤ像をヴァチカンの大祭司に見せに行った際に『祝福された』というコメントが今日のNHKの原爆記念日特集番組で流されていました。短絡的に聞くと、鎮魂の意味に祝福とは相応しいのかどうか疑問がもたれるのですが、深く考えれば、世界平和を祈って、核廃絶を訴えて世界行脚をする日本の一神父の行為に対して祝福していると受け取るべきです。
それと同様に、四半世紀にわたり広島・長崎の原爆の詩をたゆまず朗読して来た女優の吉永小百合に「祝福」!
8 名前:千々松 健 投稿日: 2010/08/07(土) 15:27:35
「この武見天皇と言われた人が、診察料を払って診てもらう医者は、銀座の藤井先生だけだと噂されたほど」(p6)の藤井尚治氏と藤原肇博士との対話が例の「間脳幻想」になっていたわけですね。その「藤井先生を保存する会」というのも、その毒をもって毒を制するほどの「毒舌」を守ろうという事だったのでしょう。
言の葉は理(コトワリ)としてのロゴスであり、聖書の中の「始めにコトバあり、コトバは神と共にあり、コトバは神なりき」のコトバの真意がイメージされます。
9 名前:通りすがり 投稿日: 2010/08/08(日) 08:33:59
藤井さんの銀座内科を継いだ方がおられるのですね。ネットにありました。朝日新聞で記者をやってから医大に入られたそうで、記者時代に藤井さんと交流があったとか。追悼文というか、藤井さんの最期、病院での一齣を綴った文章が読めます。
10 名前:千々松 健 投稿日: 2010/08/08(日) 13:13:34
9>ご紹介いただいた銀座内科を引き継いでおられる九鬼伸夫医師のサイトからの引用です。
藤井先生曰く「医師は、検事的立場をとりがちである。客観性偏重、証拠主義で、患者の心身の悪いところを探し出し、検査で証拠だて、断罪しようとする。これに対して、ストレス理論にたつ医師は、いわばハイゼンベルグの不確定性原理の応用者たらんとする。つまり、客体としての患者ではなく、クライアント(依頼者)と共にたつ「医界の弁護士」たらんとするのだ」
ここにハイゼンベルグが登場するのは、やはり藤井先生は理研の出の方ですね。
そのハイゼンベルグは「この世にある全てのものは、まるで縦糸と横糸を綺麗に編んだ生地のようである」と書き残しています。その全てのものを生み出している「コト」は何かが問題とされなくてはならないというのが、このレスを立ち上げた理由でもあります。
11 名前:通りすがり 投稿日: 2010/08/08(日) 14:28:27
ハイゼンベルクのその言葉は古代的でいいですね。お手数ですが出典をお知らせ下さいませんか。若いときに「部分と全体」とかは買って一読したはずですが、手元にはもうないものですから。よろしくお願い致します。
12 名前:千々松 健 投稿日: 2010/08/09(月) 16:29:22
11>これは良く引用される「部分と全体」からではないようです。また、少なくともゲーテに関する「科学-技術の未来」にも出ていませんでした。
私も20年以上も前の記憶ですので、出典個所が不確かで済みません。もしかすると、行列数学を簿記会計に応用された越村信三郎先生の著作からの孫引きであったかも知れません。その頃は「宇宙に在るすべてのものは、まるで、タテ糸とヨコ糸で綺麗に編んだ生地のようである。」量子力学の父 W.ハイゼンベルク としていました。もしも、電子書籍になっていれば、このような検索も簡単に行えるのでしょうが残念ですね。
13 名前:千々松 健 投稿日: 2010/08/10(火) 11:26:33
「系列を順序づける内的関係は、その系列のある項を他の項から作り出す操作に等しい」ウィトゲンシュタインの「論理哲学論考」にある記述を7月に見つけて嬉しくなりました。
先ず、数列ではなく系列(チェーン)に注目すべきです。フィボナッチ数列やリュカ数列ではなく、24項で循環する「フィボナッチ系列」や「リュカ系列」のことになると考えると良いでしょう。
フィボナッチ数列をmod9で一桁化し、多次元展開して出現する「FLKM系列」(実は千々松が勝手に命名しています)は、良く観察するとウィトゲンシュタインの内的関係を持ち、自己組織化に役立つコトになるのです。
ある一部分を知るコトにより全体が見渡せるというコトは、ハイゼンベルクの「部分と全体」のテーマでもあったはずです。
14 名前:千々松 健 投稿日: 2010/08/10(火) 22:47:57
「間脳幻想」の脳と地球のアナロジーでは脳波と地震波とが対比されていてユニークです。
「デジタル的なリセプタ―である左脳は、パルスを疎密波として受けとめ、アナログ的な感受性の強い右脳は、情報パルスを横波の形で捉える面において、より特徴的なものを持ち合わせているのかもしれない」P140(藤原)
「左脳は大変強い時間感覚を持っているが、右脳はそれに対してより空間的なものを認識する・・・というのは面白い仮説です」P141(藤井)
ところで、横波は時間を縦波は空間を表わしているとすれば、左脳は横波を右脳は縦波を受容していると考える訳ですから「右脳は情報パルスを横波の形で捉える」は明らかにミスプリであり、それは「縦波」の方が正しいことになります。左脳はコトバを、右脳はカタチを主に情報処理していると考えると、コトバは時間に関係して、カタチは空間に関係してきます。時間と空間で時空すなわち宇宙を意味することになります。また、モノとコトとの例で思考すれば、モノはカタチ/空間でコトはコトバ/時間と繋がります。
15 名前:千々松 健 投稿日: 2010/08/11(水) 13:27:35
下記のものは20年ほど前に描いたものですが、ご参考までに。
http://8w1hflkm.jp/mmdl/8.4uchyu.htm
脳梁が左脳と右脳をバランスさせながら統合処理しているという仮説でした。
この時は 粒:空間:右脳と波:時間:左脳に別けて、波も横波を中心に考えていました。これに縦波を加味すれば、より次元が高まるように思います。
16 名前:千々松 健 投稿日: 2010/08/13(金) 11:48:27
松岡正剛氏が言っている「カタルトシメス」の出所はどうもウィトゲンシュタインの「語りと示す」にあったようです。「語る」は言語を使用して物語るのであり、「示す」はイメージを絵図等で表示することです。
要するに、語るは「時間」の要素が入り、示すは「空間」の要素が入っていることになります。従って、語るは「コト」的であり、示すは「モノ」的であり、このモノとコトが一体となって「物事」は理解されるのです。
17 名前:千々松 健 投稿日: 2010/08/13(金) 11:52:31
「カタルトシメス」は松岡正剛氏の編集工学のエッセンスの一つに違いありません。
「語ると示す」で「物語る」には対話が大切です。また質問と回答も重要です。特にオープンクエスチョンのWHAT文では8W1Hのオールキャスト体制が有ると無いとでは人間の知識欲に雲泥の差を生じてしまうようです。
「示す」には映像ばかりではなく図や数式も重要です。フラクタルやCGグラフィックスでも欠かせない存在が数になります。その中でも黄金分割を産むフィボナッチ数列と五芒星は重要になりましょう。
18 名前:藤原肇 投稿日: 2010/08/15(日) 09:57:20
松岡正剛さんが強調し誇りに思っている編集工学は、構造主義に基づく意味論においては、textの編集にまつわる知的な挑戦であり、その語幹であるtextという言葉に注目することが決め手です。
textという言葉から派生したtextileは、織物として縦糸と横糸から構成されていて、まさに語りと示すことから成り立っています。その点でロラン・バルトの言説の通りです。
このtextから派生した別の言葉にtextureがあり、これも縦糸と横糸が織りなす小さな現象を指し、地質学の世界では組成とか組織という訳語を使い、ここにも糸編の文字が使われていて、織られて出来上がっていると分かります。
そして、textの中には幾つものecritureが含まれ、ecritureに関して書いた記事としては、http://fujiwaraha01.web.fc2.com/fujiwara/article/semantics2007.htm の一読を勧めます。
だから、構造主義の泰斗のジャック・ラカンは作品の傑作として、ecritという論文集を書いたのであり、私は悪戦苦闘しても読破出来なかったのに、藤井先生は読んでいたと『間脳幻想』に書いたと記憶します。
19 名前:千々松 健 投稿日: 2010/08/15(日) 23:17:34
医者は検事役としてではなく弁護人として、患者のそばに立つ必要があるというコトは、小説「悼む人」で、主人公の記者が遺族に質問していた内容のコト、すなわち「亡くなった方が、だれを愛していたのか? だれに愛されていたのか? どんなことをして人に感謝されていたのか?」を聞くコトによって初めて本当に悼むことが出来たという経験が思い出されます。
これはWhom、Whose、Whichの質問に他ならないのです。5W1Hでは無味乾燥な記事に終わってしまいがちなのに対して、Which、Whose、Whom(客体と称しているもの)をハッキリと主体的に認識してこそ、悼むコトも、患者を診る(看る)コトも可能になるのでしょう。8W1Hのオールキャスト体制の重要性が理解されるはずです。本日、8月15日に戦没者を追悼するにあたっても同様であると思います。
20 名前:T.N. 投稿日: 2010/08/17(火) 01:25:40
>18 構造主義については、ネットで検索してみた程度の知識しかないのですが、自分なりに次のように考えています。子供向けの知能テストに、立方体の積木を垂直に積んだ山を一面から見せ、全部で幾つあるか答えさせるものがあります。だから見えないからといって、存在が推定できないわけではない(むしろ無いとおかしい)。
さて、こうした人間の感覚を逆手に取り、積木を接着剤でくっつけ、中を空洞にしてあれば、実際の数は変わってくる。タネがあることを承知させた上で人を楽しませればマジシャンですが、人を騙すのなら詐欺師となる。記事に取り上げられている当時の首相に対する世界の評価は、残念ながら後者でした。
現首相について、私はトリックスターという言葉が最もしっくりくるかと考えていたのですが、これには詐欺師という意味もありますね。
21 名前:千々松 健 投稿日: 2010/08/17(火) 16:06:49
「世界をその根底において統べるものは何か?」ゲーテがファウストで求めた事柄および、「宇宙に在るすべてのものは、まるで、タテ糸とヨコ糸で綺麗に編んだ生地のようである」というハイゼンベルクの言葉に共通するものは、糸偏でした。「統べる」・「織物」、そもそも言葉はコトノハであり、紡がれるものであり、編集されるべき事柄であったのでした。
語り得るものは言葉にして「語り」、語り得ぬものは「示す」しかないのです。示すとは広義に考えると行動で示すコトも含まれるのです。その点にて、同じくゲーテがファウストの中で言葉が先か、行為が先かという問題を提起していますが(聖書の翻訳について)両方が一緒になっているのが一番なのでしょう。
四字熟語に「言行一致」という言葉があり「不言実行」と言うのも有りますが、共に行為が大切ということなのでしょう。
しかし、例えば建築という行為を通じてカタチが生れるのですが、四角にするか丸くするのかという始めのコト(理念)が無いと旨く行かないわけです。今の時点で考えるとコトはフィボナッチ数列と黄金比になり、カタチは二重螺旋構造になるのではないかと夢想しています。
22 名前:千々松 健 投稿日: 2010/08/18(水) 12:57:21
タテとヨコについて改めて考えますと、「まるで縦糸と横糸で綺麗に編んだ生地」のように例の「神聖方陣」も出来ていたことが思い出されます。縦糸も横糸もフィボナッチ数列で綺麗に編むとは、この場合は掛け合わせることを意味していた訳です。以下に「21世紀マンダラ」(神聖方陣とラセンモデル)を再リンクさせていただきます。
http://8w1hflkm.jp/21st.Century.MandalaJ.pdf
23 名前:千々松 健 投稿日: 2010/08/18(水) 13:13:16
「法を9とするモジュラー算術」によりフィボナッチ数列の循環性を数年間にわたり考えて来たのですが、本当のところ、何故9でなければならないのかという疑問を常に持ちながら居りました。「9は秘数だから、9にすれば桁数を気にしないで計算できるから、、、」そこで、今回は9以外の数値が法に来る場合を色々と展開してみました。
Fn (mod m)で mを一般数にして検証するところから始めて、Ln (mod m)や Kn(mod m)、Mn (mod m)でも検証すると、どうも4つに共通する安定的な周期は24項毎であるようです。この「24周期」はmod9でも確認しているのですが改めて認識させられました。また、ケン系列(0,3,3,6,0,6,6,3)は8項目で特に短いのですが、そのケン数列(0,3,3,6,9,15,24,39,,,)は要するにフィボナッチ数列の3倍数です。ちなみにF数列の6倍数もmod9ではケン系列に回帰して8周期となります。FLKM系列の中でもK系列は特異な存在のようですね。
http://8w1hflkm.jp/Fn.modm.pdf
24 名前:千々松 健 投稿日: 2010/08/21(土) 20:12:14
本日、益川敏英さんの講演会をKEKの小林ホールで聴く機会がありました。その中でシュレディンガーがクリック(DNAの二重螺旋構造でノーベル賞を貰ったワトソンの相棒)に宛てた手紙のコトが話題になった。
シュレディンガー波動方程式の物理学者は、生命科学に興味が移り、その要点は、生命は立体的な不安定なものではなく、平面的な確固とした結晶のようなもので考えるべきだと言うことでした。
そこで、私なりにピンときました。生命の多様性の前に立つ時、その多様性に幻惑されることなく、シンプルで平面的で、より一次元的情報で究明することが肝要であると言いたかったのではないかと。そして、その「一次元的情報」とは我田引水なのですが「フィボナッチ数列とFLKM系列」にあると直観しました。(DNA構造に黄金比がみられることは周知のことですが)また、シュレディンガーはハイゼンベルクと違って、インド哲学にも造詣が深かったようですので、少しトレースが必要と思われます。
25 名前:千々松 健 投稿日: 2010/08/23(月) 22:45:02
モノとコトについて、思いも寄らぬ展開となりました。それは「カタカムナ」ウタヒのカタとカムナの意味に通じるということです。
そもそもカタとは形のあるもの(目に見えるもの=形=型)即ちモノ(物)であり、カムナとはカタがむなしい(空しい、虚しい)という意味で形のないもの(=カムナ)即ちコト(事)であったのです。この世に生じる物事(ものごと)はそのモノとコトの二面構造になっていることを意味していた訳です。
従って、「カタカムナ」は物事の本質を述べていたのです。カタとカムナでもって世界を観るというのは、まさしく、粒と波の二面構造で見る量子力学の視点と相似象であるということになりましょう。
26 名前:千々松 健 投稿日: 2010/08/24(火) 17:19:44
シュレディンガーがクリックに出した手紙と並んで、次のエピソードを思い出しました。
「ぼくとガモフと遺伝子情報」の中で、二重螺旋構造で有名になったJ.D.ワトソンは、ガモフから手紙を貰っていて、その中でDNAがAGCTの4つの塩基を持っていることと遺伝子の働きにまつわる謎を解くのに数理論的アプローチが役立つ可能性をガモフから示唆されていたことを明らかにしていた。
また、他の個所ではタンパク質は全て3Nアミノ酸(9,9,21,30,39,126、及びタバコモザイクウィルスの場合は135)の数から構成されているという個所にも出会いました。構成数は3の倍数であり、mod9では3又は0になることになります。(最近読んで印象的だった本 96>2010.1.18の再掲示)
すなわち、3・6・9(ミロク)には「何かある」ことをその時代の賢者から示唆されていたのです。それに気付くかどうかは科学者本人の自由となりますね。
27 名前:千々松 健 投稿日: 2010/08/26(木) 11:42:08
「天の山の 長移ろゐが 天地の砂 九星の胞衣の 宗ぞ編みける」フトマニの歌の第一首目は天地創造の歌です。平仮名読み「あのやまの ながうつろゐが あわのすな こほしのゑなの むねぞあみける」
私的訳「宇宙は 長い間虚ろであったが、ア(陽・天)とワ(陰・地)の絡み合いで物質が生れた。それは宇宙のエナ(マトリックス・子宮)から生れ、九星の法則で編みあげらたものである」
さて、この九星の法則とは何でしょう!
九曜紋をイメージされるでしょうか? 原子核を中心にして8個の電子が取り巻いている元素がイメージされるでしょうか? はたまたmod9のひふみ算がイメージされるでしょうか?
28 名前:千々松 健 投稿日: 2010/08/28(土) 12:11:45
今春オープンした三菱1号館美術館にて国宝の「曜変天目」茶碗を見学しました。三菱財閥の威力も垣間見ることが出来ました。
さて、TV大河ドラマ「竜馬伝」の語り役である岩崎弥太郎が海援隊解散の後に作った九十九商会はその後、三川商会へ、更に三菱商会に改称されて行き、やがて三菱グループに発展して行くわけですが、その九十九(ツクモ)とは土佐湾の別名であるそうです。(もしかしたら土佐湾では針が9本付いているリンボウガイが沢山採れた事から九十九の名称が生じていたのかもしれません)
また三川商会の由来は川田・石川・中川の三人の経営幹部の名前に共通する字からの名称であるという。面白いことに、弥太郎の弟の弥之助らが開拓した小岩井農場の名称の由来は事業に関わった小野・岩崎・井上の頭文字から採られていたということです。
岩手出身の宮沢賢治も小岩井農場には関心を持っていたようです。銀河鉄道999(スリーナイン)は九十九に更に九がつくわけで、いわば3D:立体画面のイメージでしょうか。3×3=9、九十九、999 何か繋がったものがありそうに思うのです。
29 名前:千々松 健 投稿日: 2010/08/28(土) 12:14:45
ところで、岩崎家は代々、弥太郎にしても弥之助にしても「弥(や・ビ・ミ)」という字を必ず採用しているようです。弥は八であり「端から端までひとわたり」という意味から、末広がりでいよいよ、ますますという意味にもなっています。
弓偏が付いているので弓のイメージですね。超ひも理論の「弦」の姿にカサネられそうです。弥栄(イヤサカ)は八坂、八幡に通じます。坂本龍馬の「船中八策」も8箇条であるのは偶然ではないでしょう。mod9では9は0に変換されますので、1から8までが使用される数字の全てになる訳です。そして、それは五重塔の先端を飾る九個の宝輪や平将門の九曜紋にも通じるものとなると思います。
30 名前:通りすがり 投稿日: 2010/08/28(土) 14:11:23
27のフトマニの歌は楢崎解のカタカムナに出てくるものでしょうか。
この本はだいぶ前に通読しただけで記憶もおぼろで、また今手元になく確認できませんでしたのでそんな歌があったのかなと思いまして、よろしければ出典をご教示下さい。
31 名前:千々松 健 投稿日: 2010/08/28(土) 16:50:31
>30フトマニの歌は「フトマニと遊び学ぶ」というサイトを参考にしました。
従って出典は「ヲシテ文献」からです。カタカムナが古くから在るとすれば、ヲシテもよりそうであると思われます。ただし「こほしのゑなの」を「子欲し」と解釈して、子孫繁栄の方に解釈するのは、如何なものでしょう。
元素の周期表を予見していたようなフトマニ図は何かを「示し」ているように解釈したいところです。
32 名前:通りすがり 投稿日: 2010/08/29(日) 08:27:01
なるほどホツマーヲシテからでしたか。この方面の文献は私も四半世紀前に神保町古書街によく出ていたので買い求めたことがあります。私は離れてしまいましたが、私と同じようにあの頃買いあさった人たちが今ネット上で気炎を上げているのでしょう。
頭の固い文化系でなく、この方面は理工系医科系の人たちが推進したのですね。古事記に元素周期律表を見るというようなのは戦前からありました。惜しむらくは現状はまだまだ戦前レベルを越えるようになってはいないように見受けられます。漢字以前の文字体系だというので、憂国の志士系などが参入してはくるのですがずっこけてしまう分野なのです。越えるに越えられないなかなかの鬼門であるようです。
33 名前:千々松 健 投稿日: 2010/08/29(日) 16:46:35
ニューサイエンスのブームが或る時点で頓挫してしまったのは、数理的な裏付けが不十分であったことにあろうと思います。宗教と科学あるいは哲学と自然科学の境目周辺は、余程の注意が必要であるという認識は大切ですね。そして、擬似科学とかトンデモ系にならないような何らかの歯止めが必要と考えています。
34 名前:千々松 健 投稿日: 2010/08/29(日) 16:48:25
「アナログという生き方」藤井尚治著より2ヶ所引用します。
「情報とは信頼の関数なのだと思う。信頼できる人の情報はあくまでも信頼できるし、信頼できない人の情報はあくまでも信頼できない、ということ。信頼できれば口約束でもいっこうに構わないし、信頼できなければ文書による契約を交わしても安心できない。」p145
「新聞やテレビなどのマスコミは、日常的な出来事はニュースにならないとうそぶき、悲観論と楽観論を繰り返し伝えている。ひとは日常の中を生きているのであって、結局はありもしない悲観論とも楽観論とも関係のない暮らしをしている。だが、マスコミで繰り返される悲観論と楽観論によって人びとは不要な心配と期待を抱き、ストレス・レベルを高めてしまう。・・・真実はいつも中庸にある。」p151
35 名前:千々松 健 投稿日: 2010/08/29(日) 17:58:10
さて、モノとコトに戻ります。
最新の「超ひも理論」に於いては、宇宙は9次元の空間と1次元の時間で誕生し、誕生の瞬間に6つの空間の次元が折り畳まれて縮み(コンパクト化し)、残された1次元の時間と、膨張した3次元空間とで現在の宇宙が形成されていると考えられています。
その理論には偶然にも3-6-9という数が現れています。そこで最近得意技にしている「偶有性の海に飛び込め!」です。以下は偶然性が有効性(必然性)に転じる一例ではないかと思います。
ある整数を6乗した数字を9で割る時の余りについて注目すると、ある整数が3の倍数のとき、余りは0で、それ以外は全ての余りが1となるというコトに関係してくるのではないかと考えています。この点はオリジナルな発想(直観)と思いますが如何でしょうか?
6つの空間が折り畳まれて消えるのは、3の倍数は6次元展開してmod9処理すると0となることに相似象です。かつて、藤原肇博士からはフィボナッチ数列と共に日本の縮み文化には意味があるというヒントを戴きましたことを改めて感謝しなければなりません。
36 名前:千々松 健 投稿日: 2010/09/01(水) 17:05:27
「我々にとって幸せなことに、宇宙は対称的にはできていない。少なくとも原子より小さいレベルにおいては、対称的にできていない。もし宇宙が対称的にできていたら、宇宙の創成とともに生れた物質は、物質と同時にそれと等量だけ生れた反物質と作用しあって、すべてが消失し、何も残らなかったにちがいない。・・・」(ノーベル賞委員会が発表した授賞理由の一部から)
すなわち、我々の世界はすべて、宇宙創成の瞬間たるビッグバン時に存在したほんのちょっとした対称性の破れから生れたものであるというのが現時点での物理学の到達点である。2008年度のノーベル物理学賞の南部陽一郎・小林誠・益川敏英、三氏の受賞はいわゆる「CP対称性の破れ」に関してのものであった。
それにカサネて考えた時に、シュレディンガーがインド哲学に興味を持っていたのは多分、華厳経あたりであろうと思うのです。敢えて私なりに数値的に象徴化すれば、1+8=9で、9は0で光となって消失し、同様に2+7=9、3+6=9、4+5=9に成る場合も対称性となり消失する。(FLKM系列がF+F’、L+L’、K+K’、M+M’が陰陽で重なるときは消失するとも言いかえられる)それ以外の場合(1から8まで)ならば残るというコトになるのではないでしょうか。
37 名前:千々松 健 投稿日: 2010/09/02(木) 11:50:18
最近、プラシーボ効果をねらった民間療法が医学会などから攻撃されているようであるが、人間の持つ自然治癒力を全開させるには色々な方法があることを認めた上で、自由な選択が保障されることが大切であると思う。
「医聖」阿久津淳著1995年のアンチ解説から引用させていただきます。
『「ツァラトゥストラ」の第二部は洞窟に戻って寛ぐ彼が、レム睡眠で遊んだ夢の続きで小児に会い、鏡を見せられて驚く場面で物語が始まる。丸と十字を組合せたカタカムナの寓意が、宇宙が螺旋と一体化した鏡のシンボルなら、平十字という名の猟師は小児のメタファーで、カタカムナ文字は地上に像を結んだ、トーラス体の射影図ではないだろうか。
固体、液体、気体の三相を体現するミトロカエシが、現象が秘めている潜象の表出だとすれば、楢崎皐月のイマジネーションは特筆ものだ。しかし、ツァラトゥストラが鏡の中に見たのが、小麦の名を騙った雑草の姿だったことを思えば、ことによると夢の中だったのかも知れない。それなら夢からいち早く醒めて身支度を調え、EM(有用微生物群)やオーラメーターの屋台の横を抜けて、至福の島が散在するエーゲ海に行けば、医聖ヒポクラテスの故郷のコス島があり、大理石のアスクレピオンが診断の価値を教えてくれる。』
・・・そこに「カタカムナ」が登場していたことを知る。さすがに藤原肇博士である。
38 名前:千々松 健 投稿日: 2010/09/03(金) 08:28:07
今年の夏は異常なほどの暑さが続いています。熱中症で亡くなった方も多く出ていますし、九月に入っても熱暑が去りません。「熱」にちなんで、P.アトキンスの「万物を駆動する四つの法則」という本を読む。
科学の基本でもある熱力学には以下の四つの法則があるという。
第零法則:熱は移動する(平衡則?)
第一法則:エネルギー保存則
第二法則:エントロピー増大則
第三法則:絶対零度の到達不可能
そうすると>37「個体、液体、気体の三相を体現するミトロカエシ」も熱による現象と捉えるコトができ、熱と物理の挟間に生命を考えるコトが大切になります。太古に海底火山の噴火口付近で発生したという最初の生命に遡りながら「動的平衡」を思考する必要がありそうですね。
39 名前:千々松 健 投稿日: 2010/09/05(日) 22:02:15
日本がコンピュータのネット社会に入る前に流行ったQC活動やKJ法を懐かしむ世代に属するものだが、そのKJ法を残した川喜田二郎氏は「創造と伝統」1993年の本の中で人間と創造性について次のように述べている。
「人間はもともと、自分の創造性を充足しないと、充実感が得られず、虚しくなる動物なのである。物質だけ豊かになり生活の保障だけがいかほど満たされても、生きること自体が創造的にならないと、けっして福祉は実現しないのである。」p332
すなわち、モノ(物質)ではなくコト(創造すること)が満たされないといけないのである。
40 名前:千々松 健 投稿日: 2010/09/07(火) 12:39:52
このところNHKでのプロフェッショナル仕事の流儀が一段落したのか、茂木健一郎がブログやツィッターで色々と頑張っている様子だ。坂本竜馬の船中八策に因んで、新聞八策、脱藩八策とか続けざまに提案をしている。出版社を通じた印刷本の形ではないので、比較的ストレートな直球を投げているようだ。文理両道の才能を持っている方なので、更に注目していきたい。
41 名前:千々松 健 投稿日: 2010/09/09(木) 23:46:47
9月9日は「重陽の節句」に当たる。台湾の歴では99年9月9日となり9が4つも並ぶ超めでたい日となるそうだ。九は久に通じて、永遠を誓うカップルも多いいらしい。
9、99、999、9999、、、「mod9」すなわち法を9とするモジュラー算術の世界では、これらは全て0となる。零は久遠であり、始まりも終わりもなく、有でも無でもない「空」と言えるでしょう。
そして、宇宙は無から創造されたのではなく、この意味の「空」から創造されたと言うべきです。そこでは零と9と空は繋がるコトになるのです。
42 名前:千々松 健 投稿日: 2010/09/30(木) 13:52:37
インドの仏教聖地ナーランダーに新たに大学が設置される計画があるという。インドが国をあげて「アジアの殿堂」を目指す試みであろう。そこは玄奘三蔵も5年間滞在した仏教寺院のあった土地である。今はサンスクリット語の仏典は散逸してしまい、玄奘が唐に持ち帰って漢語に翻訳した経典の方が残っている状態と聞く、更に、空海らが日本に持ち帰ったものはよくまとめられているに違いない。
有か無かの二元論に終わった小乗仏教に対して、有でもなく、無でもない空の概念を加えた大乗仏教の教えは、現代科学をリードする量子力学の概念とカサネられよう。
お釈迦様はご自分では書物を残していないという。弟子たちが聞いた話を書き残しているにすぎないのであるとすれば、その理解には一定の限界がある。ニュアンスと言うか意味論的な解釈には異論も出て来るであろう。相手により違う応えになっているとしたら余計に難しい。また、言葉では伝えられないコトも多々あったに違いない。
それらを総体的に後世に伝えるためには、観てみる曼陀羅や、動かしてみる仏具なども必要であったのだろうが、何事も真に理解して正しく伝えることは大変に難しいと言える。大乗仏教のエッセンスとも言える「般若心経」においてもそうである。
43 名前:千々松 健 投稿日: 2010/09/30(木) 13:57:14
玄奘三蔵訳の般若心経では「遠離転倒夢想」の個所にサンスクリット語の原文にはない一切を加えて「遠離一切転倒夢想」としています。そうすると、本当は空(から)の缶詰を、中味の詰まった実体のあるものと誤って理解しているようなことを夢想とすれば「転倒夢想」はひっくり返った誤った夢想、即ち、思い込みから遠くに離れること、本質的に実体のないものをあたかも実体のあるように観てしまうことの無いように注意することが大切であるとなります。このように「一切の転倒した夢想を遠離する」と読むのが普通とされてきました。
しかしここで、原文に戻り一切を外して観ると少し様子が違って来ます。「遠離夢想・転倒夢想」と並行して遠離も転倒も動詞として夢想に掛かると解釈してはどうでしょうか? すなわち「夢想を遠離せよ、夢想を転倒せよ」のようにです。前半は同じとして、後半は夢想そのものを転倒して観るようにということです。例えば、自己が他者を見るのではなく、他者が自己を見るという視点になるように、あるいは人間が神様をみるのではなく、神様が人間をみるとしたらという視点が「転倒夢想」になろうかと思うのです。
そういえば茂木健一郎氏がブログで「離」について最近書いていました。「イギリスに留学していた時、科学的思考を支える離(detachment)の精神の凄まじさを知った。ある説が誰によって提出されたか、その経緯には関係なく、あたかも自分から独立したオブジェクトのように眺める。」この態度はまさに「遠離夢想」であると思う。
また「転倒夢想」は「順序+逆序=秩序」に繋がることになるでしょう。
44 名前:千々松 健 投稿日: 2010/10/01(金) 11:40:25
「逆序」については思い出すコトがあります。
数年前にこの掲示板に辿り着いて「神の数学」守護者さんがフィボナッチ数列の1より前の数列を考えて、いわゆる「虚の数列」を見出されたことが話題になっていたことです。(回文に関してのスレッド 2006.12.3)それは「、、、1,5,6,2,8,0,1,1,2,3,5,8、、、」の0以前の数列でした。いま思えば、これが数論上のmod9を活用するヒントになりました。
そうして、フィボナッチ数列をタテとヨコに99の掛け算にして、その結果を「9を法とするモジュラー算術」で表わすと24の循環が見られることを認識して、さらに1-8,2-7,3-6,4-5の特徴を持つ4つの「FLKM系列」を確定できたのです。
この「逆序の発想」は行列数学に登場する逆行列とカサネられます。その逆行列こそ量子力学を発展させ、コンピュータの進歩にも貢献しているわけです。
「相似象」の考えの中心を「AとBの関連を探るコト」と理解するならば、色々なカタチの「変換」が得意な行列および逆行列を知る必要がありそうですね。
45 名前:千々松 健 投稿日: 2010/10/02(土) 12:58:34
小室直樹著「論理の方法」‐社会科学のためのモデル‐2003年の扉の三行にはハッとさせられた。「太初に論理ありき 論理は神なりき 論理よりすべては出でぬ」・・・天地創造のはじめにロゴスが在ったという、聖書の言葉が文語訳として掲示されていたのである。
口語訳ではパロール(言語)としての「コトバ」とされているギリシャ語のロゴスにはどうも深い意味があるということのようだ。
例の●▲■の図形をパトス・ロゴス・エトスの象徴に見立てるとすると、▲がロゴスであり、論理であり、理(コトワリ)であり、コトを割る(分析して明らかにする)の名詞形であろう。いずれにしろ、モノが先かコトが先かの答えはここではコトが先であるとされている。
「ヒフミヨイ マワリテメグル ムナヤコト アウノスベシレ カタチサキ」カタカムナのウタヒ第5首 からするとカタチすなわちモノが先のように読んでしまう恐れがある。(私自身がそうであった)しかし、アウノスベシレ即ち宇宙創造の統べ(術)を知るコトがあって初めてカタチが出現すると言っているのだから、サキは先ではなくて「咲き」の方に読むべきなので、修正が必要です。
46 名前:千々松 健 投稿日: 2010/10/03(日) 10:49:05
<●▲■のインスピレーション>
「では弟子たちよ、汝たちにいうことばはこれである―もろもろの現象は移りゆく、怠らず努力するがよい。」これがお釈迦さまの最後のことばと伝えられています。音声で言うとラストは「ワヤダムマー サンカーラー」となるようです。では、その意味するところは何でしょうか?
私は「●▲■の三拍子でワルツは踊ろう!」と推理しています。たった三つの言葉で大切なコトを伝えるのは元々無理があろう。しかし、或るカタチに託して深い意味を持たせることが出来れば、それに越したことはなく、「サンカ―ラー」は釈迦の造語であるというが、まさに三つの基本図形「○△□」を意味していると考えて良いと思う。
以前にも書いたが、菊竹清訓の建築三段階論の「か、かた、かたち」は「●▲■」とカサネられると思う。WANT,PLAN,ACTIONの一連の仕事の流れと連環して、カは本質的な欲求であり、カタは論理的体系であり、カタチはそれらを実現するパターン・設計図となろう。
47 名前:千々松 健 投稿日: 2010/10/03(日) 10:56:27
あまりにも大胆と言われそうですが、更に話を進めましょう。
1)カタカムナ図象の螺旋の中心に描かれた三図は要するに○・△・□の基本図形に置き換えて良いと思います。即ちミクマリは●に、フトマニは▲に、カタカムナは■のようにです。
2)三種の神器すなわち「勾玉・剣・鏡」も「●▲■」をイメージさせたモノです。外見ではなく、その断面図を観ると納得されよう。鏡の丸盤はどこを切っても長方形の四角形が見られるはずです。
3)三位一体の「父と子と聖霊」もその順に「●■▲」をカサネるコトが可能です。
そうすると▲は聖霊となり、ロゴスとしての論理に通じて来るから、「太初に論理あり」は「初めに聖霊あり」としても良いコトになります。従って「初めにコトバあり」も●▲■の▲として理解すれば良いのです。
元々●▲■は自然・論理・人工をイエージしているし、それは「こころ、ことば、こうい」と韻を踏んで考えても面白いのです。
・・・それにつけても、SENGAIの描いた有名な○△□の書画に「The Universe」とタイトルを付けた人は意味論の達人であるに違いないと思います。
48 名前:千々松 健 投稿日: 2010/10/05(火) 23:25:18
「3」の発想-数学教育に欠けているもの-芹沢光雄 2009年の本から引用します。
『ドミノ倒しのように、次々とつながっていく性質を理解するときの「3番目」、3すくみのように「3」が要となる世界、計算規則の理解で必要な「3」項の計算、3Kや三慧のように物事を説明する上で必要な「3つ」の立場など、それらの中には、日本人を古くから支えてきた「もう1つの選択」というべき「3という発想」に通底するものがあると私は思っている。』
私も、これには大賛成である。
更に加えて、日本古来の「フトマニ」の教えの一つを「2項を足して次の3項目に正しく置く」と理解すれば、フィボナッチ数列の考え方に通底するのです。
49 名前:千々松 健 投稿日: 2010/10/05(火) 23:28:00
本日10月5日、図書館で次のテクストを見つけたので、私は小躍りして喜びました。
老子道徳経-第77章-
『天の道はちょうど弓の弦(つる)をかけて張るようなものである。(中略)余りがあれば減らし、足りなければつぎたす。「天之道 損有余而補不足」人の道は然らず』
日本古来の「ひふみ算」の操作はまさに「天の道(自然のはこび方)」に倣っているコトが理解されます。そして、フィボナッチ数列を数論のモジュラー算術のmod9で処理した結果、出現する「FLKM系列」の4つの数の流れは「自然のはこび方」に他ならないのです。「神の数学」守護者さんが数年前に示唆された通りでした。このコトは驚きと感動ものです。そして、道徳経が全81章であるのも9×9=81で何か意味ありげですね。また、弓と弦の喩えが出されていたことにも関連して、宇宙理論の「超弦理論」にもつながる可能性も在りそうですね。
50 名前:千々松 健 投稿日: 2010/10/06(水) 14:36:08
さて、説明不足のため>49を補足します。
フィボナッチ数列「0,1,1,2,3,5,8,13,21,34,55,89,144、、」をmod9の操作で一桁化すると「0,1,1,2,3,5,8,4,3,7,1,8,0、、」(F系列の一部)となりますが、実はその中に「余りがあれば減らし、足りなければつぎたす」という天之道が隠されているのです。
左から右への「順序」で計算しますと、0+1=1,1+1=2,1+2=3,2+3=5,3+5=8,5+8=13は9でわると4余るので4となります。次は8+4=12は同様に3となり、4+3=7,3+7=10は1、7+1=8,1+8=9は0と流れて行きます。これは9で割った余りがあれば、9にするために減らす数を示しなさいという計算になります。
次に右から左への「逆序」で計算するとどうなるかを考えてみます。0-8=-8、これが1となるのは-8-(+1)=-9から1をつぎたすと考えるのです。
8-1=7は普通ですが(余りがあれば減らしに相当)、1-7=-6は同様に-6-(+3)=-9で3をつぎたすことになります。(足りなければつぎたすに相当)ここが大変重要です。負数ではなくすべて正数で表わすコトと9を0とするテクニックが凄いと思います。
そうして「順序+逆序=秩序」と述べてきたコトが、老子の「天之道」(自然のはこび方)に通底しているコトが明らかになるのです。ですから、「神の数学」守護者さんが私たちに大いなるヒントを与えて下さっていたことを再認識しなければなりません。
51名前:千々松 健 投稿日: 2010/10/07(木) 10:43:49
「天之道 損有余而補不足」の老子道徳経の教えに関し「21世紀マンダラ」と結び付けて我田引水をしたところ、昨日、ノーベル化学賞が発表されました。
リチャード・ヘック、根岸英一、鈴木章の3人に対して「有機合成におけるパラジウム触媒クロスカップリング」の業績が評価されて贈られたものです。3人の違いは第三物質に臭素、亜鉛、ホウ素をそれぞれが使ったことでした。
炭素と炭素の結合をスムーズに行えるようにし、新しい有機化合物を得られるようにする研究は、日本のお家芸と言われていた分野だそうです。医薬・農薬・液晶等に広く利用されて既に多くの実績と社会貢献がなされてきていたのでノーベル賞の受賞は遅すぎたのではないかと思われます。
さて、詳細は良く判りませんが、その反応の仕組みは「天之道 損有余而補不足」に則していると思いました。「余りがあれば減らし、足りなければつぎたす」異なる物質同士における電子間のやり取りには、そのような「自然のはこび方」が観察されるのではないかと直観するのです。特に「鈴木クロスカップリング(反応)」で専門家に知られている鈴木氏は数学や絵本が元々好きであったそうです。祝福いたします。
52 名前:千々松 健 投稿日: 2010/10/08(金) 14:29:42
本日、NHKハイビジョンで戸塚洋二さんを特集した番組の再放送を観ました。
約1年間にわたりご自身のガンの病との戦いをブログで公開されていたことも紹介されていました。
戸塚博士は1998年という20世紀末の時点で「ニュートリノに質量が在る」ことを実験的に証拠付けたのですから、21世紀は宇宙理論の大転換に入るでしょう。
そのブログの中で知り得たことで、ヒントとなるコトが在りました。
「太陽中心で作られた第一番目のニュートリノが地球に飛んでくる間に第二番目のニュートリノに変身したと考える、、、第三番目のニュートリノもある」ということです。一番目よりも次第に反応は小さくなるということですが、その減少割合は3分の2位と書いてあります。
私は直ぐに、その割合は「黄金比」φスモールファイ≒0.618に違いないと思いました。電気を持たないために全てのモノを人体も地球さえも通過してしまうニュートリノこそ、モノではなくコトを産みだす何か(振動)ではないかと考えて良いと思います。
そして、ニュートリノは逆序で人体を通過しますが、その時ギヤが噛み合う如くに、人体の方は順序で対応することによって秩序を保っている(生きている)と考えるのです。
フィボナッチ数列的イメージとしては「8,5,3,2,1,1,0(逆序):0,1,1,2,3,5,8(順序)」また黄金比的には「φスモールファイ:Φラージファイ」が鏡面対象になるようにです。(Φとφはお互いに逆数同士である)
53 名前:千々松 健 投稿日: 2010/10/09(土) 09:34:32
そういえば日本初のノーベル賞受賞者である湯川英樹の推薦者は長岡半太郎であったといいます。彼が推薦した世界の候補者は結果的に100%が受賞したそうです。もしも彼が生きていたら戸塚洋二さんをいち早く推薦していたに違いないと思います。
その大村藩出身の長岡半太郎こそは、例の理化学研究所のバックボーンの一人です。
根岸英一さんと鈴木章さんはブラウン研究室に時期はずれているが在籍していて、そのブラウン先生はその後ノーベル化学賞を受賞し、8年前には弟子の二人をノーベル賞候補者に推薦していたといいます。
根岸さんは、湘南高校>東京大学(応化)>帝人を経てUSAへ頭脳流出したわけですが、中学・高校を通じての同級生の妹さんと結婚しています。学生時代から付き合っていて、何か小説か映画にもなりそうですね。
その湘南の1学年上には石原慎太郎がいます。実は私もずっと下の方の同窓生の端くれなので今回は特に嬉しいです。受賞が決まってすぐの「若者よ海外に出でよ」のメッセージは「日本脱藩」に通じますね。
54 名前:千々松 健 投稿日: 2010/10/11(月) 13:07:44
「リベラルアーツを超えて」
リベラルアーツは専門教育の前座としての一般教養ではなく、「対人力・論理力・行動力の三つを身につける全人教育」として位置付けられるべきで、対話力、説得力、創造力といった「人間力」を引き出す教育をするコトが初等教育の時点からも必要です。
それは●▲■を仁智勇にカサネれば、将来のリーダーとなるべき新しい武士道の育成と考えても良いでしょう。そして、国際社会で生きて行くためには、タコツボ型の発想ではなく、ササラ型の発想の持てる人材の養育が肝要となりましょう。
リーダー論に関する昔話では、日本の桃太郎の話が●▲■(仁智勇)に基づいていることが理解されるはずです。イヌは仁徳、サルは智慧、キジは勇気の象徴です。
類似の設定話は中国の西遊記やインドのラーマヤナにもあるようです。従者はそれぞれに豚・猿・河童と熊・猿・鷹と地域差があるようですが、それらを統括するリーダー(人間)が、ある目的を達成する過程が物語として面白くも有り、知らず知らずに教育されて来たわけです。
55 名前:千々松 健 投稿日: 2010/10/11(月) 18:52:50
「パトス・ロゴス・エトス」の三つは「仁徳・論理・行為」にカサネられ「仁智勇」でもある。
最後のエトス(エートス)は「行為態度」・「行動様式」とマックス・ウェーバーは言ってる。行動に移す勇気ないしは直ぐに行動に移せるように予め決められたパターン・形・道(茶道や柔道など)となろう。
そして、エトスを活かすためにはパトスとロゴスが準備されねばならない。パトスは情念・情緒・感情で非合理であるし、ロゴスは論理・理屈・理性で合理と言える。非合理なコトがあってこそ、合理を求めて、最終的には行動するコトになる。
私は広い意味での行動様式を「●▲■三拍子でワルツは踊ろう!」と呼んでいる。「情緒・論理・行動」の三つのバランスと連関により、時間が経過して新たな環境に移っても、適切に対処して生命力を持続させることが大切となろう。そのことは個人でも組織でも共通するコトであると思う。
56 名前:千々松 健 投稿日: 2010/10/13(水) 16:03:36
相手に質問することによって得られる回答に基づいて行動するか、自問自答又は相手から問いかけられることによって自ら発見し、生み出された結果で行動するのか。同じように見える行動に関して、この二つには大きな違いがある。もちろん後者の方が経験上うまく行く訳ですが、それを促進するのがコーチングです。
こうした質問の中でも、オープン質問の8W1H(通常の5W1Hを拡大したWhat疑問詞構文)は大切です。ストーリー性と相互関連性を持って実行可能な計画を立てることが成功に結び付くからです。
今回のチリ鉱山落盤事故からの33人救出作戦の成功の裏にも必ず名コーチ役がいた筈です。
57 名前:千々松 健 投稿日: 2010/10/13(水) 16:20:35
>56 8W1Hの追補
もちろんWhy、Who、How、When、What、Whereの5W1Hは確かに必要ですが、十分ではないのです。Howの中身が見えてこないといけません。ここではHowは予算がどれくらい掛かるのかに留めて、どの様にするのかというHow toの部分は具体的なWhich、Whose、Whomに任せましょう。どんな手段と方法を選択して(Which)、誰を味方につけて(Whose)、誰を救出するか(Whom)という質問に集中して答えて行ければ、ピンチをチャンスに変えられるのです。
58 名前:千々松 健 投稿日: 2010/10/14(木) 13:31:03
チリ鉱山事故の「奇跡の生還」というニュースの見出しは「アポロ13号」の事故以来ではないでしょうか、それにしても数字が少し気になりました。
アポロ13号の時も13時13分に打ち上げされたとかで13という数字が取りざたされましたが、今回は「33人が69日目に救出され、その日が13日。また落盤事故の起きた8月5日の8と5を足すと13になります。」
今回の事態は映画化されるそうですが、その辺はどの様に扱われるか興味があります。
3+3=6、3×3=9、5+8=13、、、ところで、この13と言う数字はフィボナッチ数列では初めて出てくる二桁の数字ですが、それをmod9で一桁化すれば1+3=4になります。「し」は死をイメージしますから、その点でも13は嫌われるのでしょうね。
59名前:千々松 健 投稿日: 2010/10/17(日) 16:05:04
秋バラが綺麗に咲いた石岡市の茨城県フラワーパークを訪れて、そこの池の鯉たちにあるコトを教えられました。コイに餌を与えたところ、百匹近くの鯉たちが精一杯大きな口を開けて群がって来て、そのエサを取り合う姿には感動さえ覚えつつ、次の瞬間ハッとさせられました。
彼らは渦を巻くように中央に盛り上がって、最後は空中に跳ね上がってしまうのです。その威勢の良い動きの裏には螺旋運動が観察されたのです。池のあちこちから餌の気配を感じて、集まって来るのはまるで運動会の棒倒しに似ていますが、違いは螺旋形に流動するコトでした。
自然界の不思議を垣間見る思いでした。そういえば水の流れは巻いていますし、川は蛇行して流れます。ちなみに茨城県のシンボルマークは時計回りの渦巻き型です。また、レストランに大王松の松ぼっくりが飾られていたので、店の人に頼んで二ほど分けて戴きました。フィボナッチ数列が種の配列に現れているので、今日は螺旋三昧でした。
そして、帰り道に柿岡の「気象庁磁気観測所」を通ったのですが、そこは筑波山の峰々に四方八方が囲まれていて、地形的には上高地の様で、八郷(八重の地名も見られる)を通って恋瀬川が山々の水を集めて霞ヶ浦に流れ込んで行こうとする中心に位置しています。明治の時代に騒々しい東京を離れて、静かな環境のこの地を観測所に選定したという寺田寅彦を想いました。
60 名前:千々松 健 投稿日: 2010/10/17(日) 21:35:47
>59訂正
茨城県のシンボルマークはバラのつぼみがデザインされた反時計回りの渦巻き型で、三周目が右肩上がりに開いて行くイメージです。
イバラキ県の茨(いばら)はそもそもがバラなのです。
61 名前:千々松 健 投稿日: 2010/10/18(月) 12:27:02
マンデルブロー集合や「フラクタルの父」と言われて有名なブノワ・マンデルブロー氏が10月14日に85歳で死去したという。米IBMのワトソン研究所ではコンピュータを駆使して複雑系の研究を先駆的に進めていた数学者で、海岸線やシダの葉や株価グラフなどに、自己相似性を観た人である。自然の産むカタチと数学とを関連づけようとした大御所である。
改めて、Web上でマンデンブロー集合の図画を観察したところ、渦巻き型が綺麗に現れていて、一部には陰陽の太極図に該当しそうなカタチも観察されました。
複素平面とフィボナッチ数列の世界との相性は良いようです。張さんの「動態幾何学」や植物の成育に有る法則性を見ようとしたゲーテの想いがイメージされますね。
62 名前:千々松 健 投稿日: 2010/10/25(月) 22:19:10
「掩蔽(えんぺい)」という漢字を初めて知った。
掩も蔽も共に「おおう」という意味で、天文学用語では日食・月食や星同士が重なって見えなくなるコトを指すようです。手偏と俺を組み合わせているので、手で或る個所を覆うという意味が基本なのでしょう。どこかアダムとイブのイチジクの葉がイメージされますね。
63 名前:千々松 健 投稿日: 2010/10/26(火) 21:15:24
日本書紀に記された「掩八紘而為宇」は老荘思想を継ぐ「准南子」からの引用であることから考えると、次の様な比喩が浮かびます。四方八方に向かって広げた傘は、下に居る人を太陽や雨から被ってくれているが、その傘の中棒を手元で握っている行為が大切である。それは蜘蛛の巣を張り、飛ぶ虫の通り道を塞いで、その網の中心でじっと待つクモのイメージが浮かびます。さらに膨らませると、法隆寺の五重塔にそびえる法輪には、中心棒の周りに八紘が円を為し、それらが九つ重なり天に向かって伸びて行く様子が解ります。まさに「九天九野」に届くようにとの願いが籠められています。また、それを平面にマーク化すれば、きっと「九曜紋」になるのでしょう。
このように「掩八紘而為宇」を理解するならば、戦前、軍部のプロパガンダに使用された「八紘一宇」の一部流用的造語と偽解釈は全く傲慢なコトであったのです。それこそ一か八かの掛けに日本国民は付きあわされた訳けです。
易経では1と8は足して9となり9は0と為るのですから、やがて消える運命にあったのです。また「宇」は空間を意味し「宙」は時間を意味して「天地四方(六合)と古今」を「宇宙」と呼んできたのであって、宇とは家や国家レベルの話ではないのです。
64 名前:千々松 健 投稿日: 2010/10/26(火) 21:30:22
奈良遷都1300年を記念してか朗報が入った。奈良の大仏の足下に埋められていた二振りの刀が、聖武天皇の遺品の陰宝刀と陽宝刀であるコトがX線検査で明らかにされたという。光明皇太后が正倉院から「除物」し奉納したモノで、亡き夫を想い、また仏教に深く帰依していたコトが理解されます。
ところで、三種の神器をカタチで観ると勾玉は円、剣は三角、鏡は四角に為ります。(不思議と思われるのなら、一度断面図で考えてみると良いでしょう)刀(剣)は三角のイメージですので理屈を象徴していますが、陰刀と陽刀の二振りがセットとして存在するのは、陰と陽のバランスが天の論理(天之道)であるコトを示唆していて大変興味深いです。
65 名前:千々松 健 投稿日: 2010/10/27(水) 17:34:13
「うまく踊れれば、それだけで良い。人生に必要なものは、それ以外に何もない。」と茂木健一郎さんは最近のツィッターで書いているが、なかなか言い得ていると思った。それは「●▲■三拍子でワルツは踊ろう!」とカサネて考えると面白い。
日々変わる新しい環境の中で何をWantして大切なことを選択するのか(●段階)、そのコトを実現するために論理的にPlanして具体的な目標を決め(▲段階)、実行可能なAction計画に沿って行動する(■段階)。そして、その結果を評価・反省して、また次のレベルの●▲■に進む、、、いまさら他人に言われなくとも、知らず知らずにそのようなことは行ってきている訳ですが、実際はうまく踊るのは大変難しいのです。それは個人でも組織でも。
66 名前:千々松 健 投稿日: 2010/10/27(水) 17:37:34
ある活動が広まる姿は次の4段階であると言われている。
1)一人のリーダーが出てくる
2)最初に味方となる人が加わる
3)味方になる人々が小集団を形成する
4)様子を見て最後に大勢の人が着いてくる。
これはある一匹の変わった猿が芋を洗って食べることをして、それが群れに広がる現象に似ていると思う。同じ動物として、1)2)3)4)のどの段階を選択するかは自由である。ただし1)のリスクは高く4)のリスクは低いので、ハイリスク・ハイリターンを狙うか、ローリスク・ローリターンを狙うのかは各自の戦略に任せられる。
67 名前:千々松 健 投稿日: 2010/11/02(火) 11:35:29
「オイラーの合同式の定理」より
『 m>1なる整数で (a,m)=1のとき
a^φ(m)≡1(mod m)
ここでaは自然数 φ(m)はmより小さい自然数の中で、mと互いに素なものの個数とする』
注:(a,m)=1のときとはaとmの最大公約数が1、即ち互いに素であるときの意味。
:φ(m)はオイラー関数と呼ばれている。
そこで、m=9の場合は1,2,3,4,5,6,7,8のうち3と6は9との関係上3で割れてしまうので互いに素ではないので外されて、結果は1,2,4,5,7,8の6個となり「φ(9)=6」となる。
また、(a,9)=1を満たすaは1,2,4,5,7,8、10,11,13,14,16等で3の倍数以外となる。
従って、1^6≡1(mod 9)、2^6≡1(mod 9)、4^6≡1(mod 9)、5^6≡1(mod 9)、7^6≡1(mod 9)、8^6≡1(mod 9)、10^6≡1(mod 9)、11^6≡1(mod 9) 以下省略
これは「3の倍数以外の整数の6乗は9で割ると1余る。また、3の倍数のとき、2乗以上は全て9で割り切れるので、余りは0となる。」を意味していますが、これは2009年12月に「素数も非素数もmod9の世界では何と美しい」で提示したモノに一致するコトを確認できました。と言うよりも、私が気がつかなっただけでして、「オイラーの合同式の定理」において既に一般解が出されていたのです。
それにつけてもモジュラー算術の計算方法が展開される「数論」が今後重要になって来る筈ですから、数理の専門家の皆さんが「mod9の世界」についてもっと興味を示してほしいと思います。
「素数も非素数もmod9の世界では何と美しい」を改訂しましたのでご覧ください。
http://8w1hflkm.jp/n.6=1mod9.pdf
68名前:千々松 健 投稿日: 2010/11/04(木) 23:17:10
2009年12月の「フィボナッチ数列の殿堂」への夢 レスにて、「45度の転がり問題」すなわち、三角錐の水(H2O)の模型を坂にて転がすと45度の角度で回転しながら流れ落ちるという実験について、圭水さんから頂いたヒントを元に、同じレス144にて、その45度の意味について触れておきながら、1年近くなってしまったのですが、改めて多少違った角度から?「45度の転がり問題」を見てみたいと思います。
これは松本英樹さんの「直角三角形の転がし問題」と共通するテーマになるかも知れませんね。
69 名前:千々松 健 投稿日: 2010/11/04(木) 23:28:36
「45度の転がり問題」と複素数平面
「虚数=i」を含めて表現できるガウス平面(複素数平面)において、(1+i )^n を考えます。
nについて1から8まで展開すると、45度の角度で転がりながら逆時計回りに回転しつつ拡大し、360度で実軸上に16という自然数が現われます。
(1+i)^1=1+i (1+i)^2=2i (1+i)^3=-2+2i (1+i)^4=-4 (1+i)^5=-4-4i (1+i)^6=-8i
(1+i)^7=8-8i (1+i)^8=16 そして、(1+i)^9=16(1+i) (1+i)^10=16(2i) 以下省略
すなわち、横軸に実軸を縦軸に虚軸をとったガウス平面上で観察すると、(1+i)^nは、45度の角度で中心座標からの距離が√2ずつ増加して螺旋運動をして拡散していくコトになります(正方形の一辺を1とすれば対角線は√2)。8乗数が16として現れますが、これを普通には実在する数字として認識していることになるのでしょう。
更に注目すべきは9乗すると元の(1+i)の16倍になり、実軸からの角度は45度で重なります。虚軸のプラス方向を北方向とすれば1乗の(1+i)も9乗の16(1+i)も北東の方角(鬼門)になります。逆時計まわりの鉢巻はまさに8巻きに通じ、八角、八幡、八坂、八輪にも通じることになるのでしょう。そして、9は極まって0となり、次のレベルの回転へと移行するのです。
そこで、モジュラー算術のmod9が重要性を帯びてくるコトも理解されるのです。・・・以上が複素数平面で動態幾何学を思考した一例です。
70 名前:千々松 健 投稿日: 2010/11/06(土) 11:34:13
直角三角形の45度の転がり運動をガウス平面に描きましたので、下記をご覧ください。
(1+i )^n
「ガウス平面で(1+i)のn乗は45度回転しながら√2ずつ拡大してラセン形を描く」
71 名前:千々松 健 投稿日: 2010/11/06(土) 18:42:36
ガウス平面で考えると思いもよらないカタチが出来ます。
X^8=1 の根は正八角形の頂点になるし、同様にX^3=1は正三角形、X^4=1は正四角形、X^5=1は正五角形が描かれるコトになります。要するに「X^n=1」はガウス平面で正n角形の頂点を根として持つというわけです。
すると、X^n=1 のnを無限大にすれば半径が1の円になるという理屈ですね。普段はあまり使用しない虚数が数学を美しくするというコトの一例でしょうか。
72 名前:千々松 健 投稿日: 2010/11/07(日) 10:12:22
「円錐:球:円柱=1:2:3」この比率から、円錐+球=円筒(円柱)が1+2=3の関係になり、液体や粒体の量を測るのに実際的で便利です。
さらに●:▲:■の比については、この立体以外の比率にも注目しましょう。断面積の比は「π:2:4」、表面積の比は「2:Φ:3」、断面の周囲の長さの比は「π:2Φ:4」が観られます。周囲の長さの比には円周率πと黄金比Φが同時に登場するのは大変興味深いコトです。
http://8w1hflkm.jp/pythagoras/PP.html
73 名前:千々松 健 投稿日: 2010/11/07(日) 10:23:28
直径1の円、底辺1・高さ1の三角形、一辺1の正方形でできる●▲■を中心軸で回転させた球体の体積比に関しては、その昔、アルキメデスが見つけていて「円錐:球:円柱=1:2:3」と自分の墓に刻印するようにと遺言していたそうです。(「虚数の情緒」吉田武著から)
また画家のセザンヌは「自然を円筒、球体、円錐として把握する」という言葉(Traitez la nature par le cylindre, la sphere, le cone)をエミール・ベルナール宛ての書簡に書いていますが、これもアルキメデスの影響でしょうか? また仙涯(さんずいは無視のこと)が書き残した○△□の絵図が「宇宙」という意味の英語タイトルが付けられていることから「宇宙=自然」と捉えて良いとすれば、●▲■が図形(カタチ)の基本であり、自然や宇宙の基本でもあるコトが理解されるのです。
“その昔、●▲■から・・・円錐+円錐=球は1+1=2、円錐+球=円柱は1+2=3、そして、2+3=5,3+5=8,5+8=13,8+13=21,13+21=34・・・さてさてフィボナッチ数列が産まれましたとさ。”
74 名前:千々松 健 投稿日: 2010/11/07(日) 22:00:19
理論や理屈で理解したとしても、情緒や美的感覚の方がそれを拒否する場合もあるというようなコトを岡潔が述べていたと思うが、確かに数学理論上では解けたとしても、ご自身の情緒が拒否反応を示したような場合はその式の完成は諦めたといった例も多かったようです。
その「情緒」を虚数と共にタイトルに使った「虚数の情緒」を書かれた吉田武氏は大胆でした。また「オイラーの贈物」も絶版が続いていたようですが、新装版が出されて何よりです。これで中高生の理数科離れが少しでも避けられるコトを祈ります。
吉田氏の言われるように、これからは西洋式の合理主義一色の「対立と克服」ではなく、東洋式の虚数世界を含む多元的な見方の「調和と包摂」が大切になると思う。
それにしても「オイラーの公式の立体表現」は目から鱗でした。三次元空間中に一本の螺旋が浮かび上がるのですから。
*オイラーの公式:e^iθ=cosθ+i sinθ、:e^iπ=-1
*おいらの恒等式:空=有+無、(-1)+(+1)=0
75 名前:千々松 健 投稿日: 2010/11/10(水) 22:17:09
<ラージファイとスモールファイ>
1:x=(x-1):1 という比例式を解いた x^2-x-1=0 の方程式の根が黄金比である。二次方程式の根は2個存在し(√5±1)/ 2 となる。そのうち大きい方をラージファイ(Φ)、小さい方をスモールファイ(φ)と呼ぶとする。近似値はΦ≒1.618、φ≒0.618で、Φ*φ=1、Φ-φ=1、Φ=1/φ(これは逆数の関係)等の性質を持つ。
もちろん、Φ^2=Φ+1 となる。従って
Φ^3=(Φ+1)Φ=Φ^2+Φ=Φ+1+Φ=2Φ+1
Φ^4=(2Φ+1)Φ=2Φ^2+Φ=2Φ+2+Φ=3Φ+2
Φ^5=(3Φ+2)Φ=3Φ^2+2Φ=3Φ+3+2Φ=5Φ+3
Φ^6=(5Φ+3)Φ=5Φ^2+3Φ=5Φ+5+3Φ=8Φ+5
それに
Φ^0=1
Φ^1=Φ
Φ^2=Φ+1
を初めに加えて観察すると1,1,2,3,5,8・・・のフィボナッチ数列が一段ずれて並んでいるコトが解る。そして、右辺のΦを1に置き換えると実に1,1,2,3,5,8・・・そのものに為るコトも理解されよう。
76 名前:千々松 健 投稿日: 2010/11/10(水) 22:23:37
<黄金比とフィボナッチ数列>
1)ある数とその逆数の差が1となる数のうち、大きい方をラージファイ(Φ)、小さい方をスモールファイ(φ)とすれば、Φは約1.618で、φは約0.618である。ラージファイを通常は黄金比と呼んでいる。
2)二つの自然数aとbの間に、|a^2-b^2|/ab=1が成立するならば、aとbは黄金比の関係にある。ただし、黄金比は無理数なので実際は近似値となる。a>bのときΦ≒1.168、a<bのときφ≒0.168となる。
3)二つの数aとbとの間に黄金比(近似値として)が成立するなら、aとbは広義のフィボナッチ数であり、その前後に連なる数を調べて、同様なことが成立するならば、その数列は広義のフィボナッチ数列と推定できる。
4)広義のフィボナッチ数列は項目数が大きくなればなるほど、隣り合う二つの数は黄金比に近づく。一方、項目数が小さい者同士、特に逆序して初項と第二項目に遡ると思いもよらない数値になる。 例えば、144と233の場合はフィボナッチ数列の12項目目と13項目目の数であるが、初項と第二項は1と1であり、比は1/1で1となる。同様に199と322の場合は初項1、第二項3のリュカ数列となり、比は3/1=3である。また、411と665の場合は初項1、第二項4のミチコ数列となり、比は4/1=4である。黄金比の約1.618とは程遠いいものとなる。
5)初項と第二項がどんな数でも、その二つを足して次の第三項目の数にし、次の数はその第三項目とひとつ前の数を足した数にするという「フトマニ」の操作を繰り返して出来る数列は、項目数が多くなればなるほどに神聖なる比例が見られ、その比の値は約1.618に限りなく近づく。
6)初項1、第二項1の場合を狭義のフィボナッチ数列と呼んでいるが、そもそもフィボナッチ数列のルーツはインドにあり、それは初項0、第二項1の方であったに違いない。当時のイタリアでは零が認められにくかったという歴史的な背景があったと思われる。0,1,1,2,3,5,8,13,21,34,55,89,144・・・ 1/0=不能、144/89≒1.618 仏教の発生したインドにおいて数学上の零の発見がなされたコトは興味がもたれる。
77 名前:千々松 健 投稿日: 2010/11/10(水) 22:40:44
来日中のダライ・ラマと新居浜市で11月9日に対談した茂木健一郎は「場における関連性」について触発されたようで、宗教と最先端の脳科学の共通性を認識した模様です。いずれ詳細が明らかになされることを期待しましょう。
「偶有性の海に飛び込め!」を自ら実行している茂木健一郎にエールを送りたいと思う。
最近、出合った次の文章を引用します。
『西洋の一元的な見方を数直線に譬えれば、東洋のそれは「複素平面」、大小を超越した「虚数」の世界にある、と云えよう。「虚数の情緒」とは、この意味なのである。世界が西洋流の合理主義一色で染められようとしている今こそ、我々は本来持っていた多元的な見方を蘇らせ、雨の日をたのしむ術を「対立と克服」ではなく「調和と包摂」を旨とする東洋的知性の存在を知らしめねばならない。』
以上「虚数の情緒」の著者である吉田武の言葉。
78 名前:千々松 健 投稿日: 2010/11/11(木) 13:20:25
『科学はやはり不思議を殺すものではなく、不思議を生み出すものである。』寺田寅彦の名言より
科学が進歩して、ある不思議さが解明されると、それ自体は不思議ではなくなるが、さらにそこから新たな不思議が生まれてくる。そこで、科学は無限に真理へ向かって探求しつづけるコトになる。従って、科学が進歩すればするほど、奥深い不思議さが生まれてくるというわけです。
宇宙の神秘はあまりにも奥深いので、科学が進歩に進歩を重ねると、否応なしに宗教的、哲学的領域にも入り込まざるを得ません。そして、心や意識の深い領域にまで進んでいくには、新たに<量子脳>理論のようなものが必要になってくるのです。
79 名前:千々松 健 投稿日: 2010/11/14(日) 12:03:15
11月14日の朝、NHKラジオから放送されていたフォーレ作のレクイエムを聴く、何と言うグッドタイミング。
今日はノーベル平和賞広島サミットの最終日に当たり、世界へ向けてアピールが出される予定ですし、オバマ大統領が横浜APECの後、鎌倉の大仏を再訪します。日本人で唯一ノーベル平和賞受賞者である佐藤栄作も、かつて鎌倉の大仏付近に別荘を持っていましたし、ノーベル文学賞の川端康成も最期は鎌倉でした。
昨日はアウンサン・スーチー女史が自宅軟禁から解放されました。中国国内の人権問題が今後の重要課題になりそうです。
・・・不合理な死を遂げた人々の鎮護歌として、全7楽章を静かに聴き、涙ながらに平安と調和を祈りました。
80名前:千々松 健 投稿日: 2010/11/18(木) 11:36:33
小惑星イトカワから「はやぶさ」が持ち帰ったカプセルの中に微粒子1500個が見つかり、そのうち50個はアミノ酸分析が可能な大きさの粒子であるという。今後、分析が進めば生命の起源に新たな知が加えられるコトになりそうです。
一方、映画「天使と悪魔」でも登場して問題にされた「反物質」に関しても新たな実験結果が出たようです。
http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20101118-OYT1T00185.htm?from=top
宇宙の始まり、生命の始まり、その始まりと終わりの有無など好奇心は尽きませんね。また「星の王子様」の一節「大切なものは見えないのだよ」が思い出されますし、暗闇の方が大きくて、明るい部分はごく一部の現象に過ぎないというコトも思い知らされます。
81 名前:藤原肇 投稿日: 2010/11/18(木) 15:22:31
欧州合同原子核研究機関(CERN)の反物質装置を舞台にして、ヴァチカンをめぐる謀略を描いた『天使と悪魔』は、ローマを活躍の場としているので、機会があったら映画の映像で観察したいと思っています。
果たして映像になっているかは知りませんが、パンテオンの入口に角柱が聳え立っていて、次に三角形のヴォートを持つ空間を通ると、次に有名な円形のドームと空に抜けた穴があるのがパンテオンの空間です。
これは千々松さんが論じている●▲■の世界ですが、円錐:球:円柱=1:2:3の比率に関して、アルキメデスが自分の墓に刻印するようにと遺言したのと、パンテオンという言葉の持つ意味から凄いことです。
82 名前:千々松 健 投稿日: 2010/11/19(金) 13:06:55
ローマ帝国時代の建物が2000年の時を経て残っている「パンテオン」が“すべての神々”という意味を持ち、円筒形の建物(ロトンダ)であるコトを藤原肇博士のレスを切っ掛けに知り得ました。ギリシャのパルテノン神殿の柱に似た八本の円柱の上にどっしりと載せられた二等辺三角形の屋根、ドームの内側には正方形が多用されていて1:√2の比率が支配しているように感じられた一方、黄金比は直接的には表出してはいないようでした。ただし、正面の三角屋根は底辺:高さ:斜辺=4:1:√5に近いようなので、√5がある以上は、神聖なる比率を設計者は認識していたことでしょう。
パンテオンのカタチを簡単に言い表すと○△□の組み合わせと言えます。巨大な球体●を、それがすっぽり入る立方体■に収め、更に前面に三角屋根▲を取り付けた形です。ドーム内の床の直径と天頂までの高さが43.2mで同じ長さである点も、立体としての▲●■=円錐:球:円筒=1:2:3を示唆しています。
推測ですが、真北を正面とする広場方向から見て、三角屋根の頂点とドームの天窓と四角形の中央部が一直線になるラインが一本あるはずで、その延長線上に四角柱のオベリスクが置かれていると思われます。
2010年度の文化勲章を受賞した安藤忠雄氏も絶賛していますが、まさにミケランジェロが称した「天使の設計」を想わせますね。
83 名前:千々松 健 投稿日: 2010/11/19(金) 15:37:15
オベリスクとは鉱石の世界では天然水晶四角柱で、山学の世界では岩塔ですが、ここでは勿論古代エジプト由来の「方尖柱」です。それは「天に通じる光の道の象徴」と言われているようで、四角柱が上にいくほどに細く尖り、先端はピラミッドのカタチになっています。
ピラミッドといえば松本英樹さんが詳しいのですが、正方形と三角形の他に円形又は楕円形が内部に秘められているのではないかと考えるのは面白いと思います。そうするとピラミッドに於いても●▲■が完成するはずです。
84 名前:松本英樹 投稿日: 2010/11/19(金) 22:19:35
ご無沙汰しております。諸般の事情で暫くピラミッド研究から遠ざかっておりました。オベリスクといえばルクソール神殿を思い浮かびますが、カタチもさることながら、位置的意味合いも面白いですね。神殿の第一塔門や周壁の配置基準点の役割があったと推測しております。今日、現代版オベリスク、新東京タワーを平井大橋を渡るとき車窓から眺めていたのですが、現東京タワーと、もう一か所加えると螺旋形や円形の動線が出来るのにと思ってしまいました。
ちなみに皇居が加わると螺旋形の動線が出来、3点を結ぶ円の中心点は新木場の埋め立て地辺りかな(笑)
85 名前:松本英樹 投稿日: 2010/11/19(金) 23:19:56
>70
ガウス平面で√2ずつ拡大するラセン図を拝見しました。
見方を変えると√2ずつ広がる同心円にも見えますね。波紋のように。
√2の広がりといえば音階の周波数(2の12乗根)で、(261,63:370,00) =(1:√2)を連想されます。
きっと音の領域にも同心円のような図形(波紋)が描かれるのでしょうね。
86 名前:藤原肇 投稿日: 2010/11/20(土) 16:49:38
81)でピタゴラスをアルキメデスと書き違えたのは、ピタゴラス先生に何と言ってお詫びしたら良いか分かりません。
昔サントリーと一緒に石油をやった時に、共同事業の名前がイウリカ計画だったので、つい間違ってしまったようです。
また。最後の所で、凄いことですと書いているが、本当は「、テトラチュクスと結びつくので凄いことです」と書くべきでした。
それから、『生命知のパンテオン』の最後の部分は、「***生命の神々のパンテオン』で締めくくりました。
そこに至るには千々松さんの掲示板への書き込みに、大いに啓発されたので改めて感謝します。
87 名前:松本英樹 投稿日: 2010/11/23(火) 07:51:14
疑問に思ったことは黙っていられない性分と、お気楽な性格もので、一つ質問です。
81)で、アルキメデスとピタゴラスを書き間違えていない。と思いますが?
73)で、千々松さんは「虚数の情緒」吉田武著からの引用とされているので。
的外れな疑問でしたら、ご容赦のほどを。
88 名前:千々松 健 投稿日: 2010/11/23(火) 21:32:26
アルキメデスは「球と円柱について」の書物の中で「球は、それに外接する円柱の三分の二倍の体積をもち、表面積も円柱の三分の二倍である」という命題を残しています。そして、後にキケロがアルキメデスの墓を探し出し、確かにアルキメデスの希望どおり、円柱と内接する球の図が刻まれていたと伝えています。
円錐:球体:円柱=1:2:3(体積比)はアルキメデスの功績として良いものと考えてしまったのですが、藤原肇博士のレスの>86を深読みすると、もしかしたら、ピタゴラス(BC.6世紀)が同じコトを既に見つけていたのかも知れないと考えるに至りました。
89 名前:千々松 健 投稿日: 2010/11/24(水) 18:14:35
賢人のピタゴラス(学派)も有理数しか信じなかったようで、弟子が√2を無理数であると主張しても、許さなかったと言います。しかし、時代がさがり、虚数の発見と複素数の発見を経て「数の世界」は拡大されて、現代物理学の最先端にも数学が役に立つコトになるのです。
複素数平面で直行形式の(1+i) はフェーザ形式では「√2∠45度」と示せるようですから、それらをn乗すると、45度毎に√2で拡大して螺旋を描いて行く様子が観察できます。(白銀比での拡大・縮小)
更に、複素数平面で黄金比を見ると、直行形式では(1+iΦ) で表わせ、0からの距離はピタゴラスの定理と黄金比の性質から√(1^2+Φ^2)=√(1+Φ+1)=√(2+Φ)となるので、フェーザ形式では「√(2+Φ)∠約72.97度」と示せます。それらをn乗すると、黄金比を産む角度(約72.97度)毎に2+Φの平方根で螺旋を描いて拡大していく様子が観察できるのです。
いま、(1+iΦ)^n でnが時間を表わす関数と見れば、nが負数なら過去が示され(逆序)、nが正数なら未来が示され(順序)、nが0であれば「1」となり現在が示されると考えられるので、宇宙の「秩序」が成り立つと思います。
90 名前:千々松 健 投稿日: 2010/11/26(金) 10:46:53
科学雑誌のニュートン別冊「虚数がよくわかる」を読み「9」という数の持つ特別な意味が少し理解できたような気がしました。そして、それは「mod9」の持つ特徴に繋がっていくように思われます。
分数としてあらわせる数を有理数と呼ぶわけですが、その有理数を小数であらわすと、必ず「循環小数」となり、逆に循環小数は整数を整数で割った分数のカタチであらわせるという。
その時に「9」が大活躍します。
例えば、0.123123123・・・(123が繰り返す)という数を「S」とおくと
1000S=123.123123・・・=123+S
(1000-1)S=123
999S=123
S=123/999=41/333 と分数表記できる。
その他
0.11111・・・=1/9
0.010101・・・=1/99
0.369369369・・・=369/999=123/333=41/111
すなわち、10^nに1足りない数を分母に持ち、循環部分を分子にする操作を行えば、すべての有理数が表現できるというコトです。
そして、分数表記のできない数を「無理数」と呼ぶわけです。(√2、π、Φ、eなど)
91 名前:千々松 健 投稿日: 2010/11/26(金) 11:13:44
「オイラーの公式」が美しいのは、三角関数(幾何系)と指数関数(代数系)とが複素数を仲介役として結合され、ごく簡単な式で表現されるからでしょう。
「e^iθ=cosθ+isinθ」
θにπ(ラジアンとして)を代入すると
e^iπ=cosπ+isinπ=cos180°+isin180°=-1
∴e^iπ=-1
これは無限級数の和で表わされて
e^iπ=1+iπ/1!-π^2/2!-iπ^3/3!+π^4/4!+π^5/5!+・・・=-1
となる。この式の展開を複素数平面でグラフ化すると、実数1から出発して90度で回転しながら-1に近づいて行くカタチとなっている。それは直角縮小ラセン型と言ったらよいかも知れない。
先に見た(1+i)^n や(1+iΦ)^n と比較すると面白いし、複素数の点が作る図形に対して、複素数の掛け算を行うと、図形は相似を保ちながら回転・拡大(あるいは縮小)することになるのは不思議です。
92名前:千々松 健 投稿日: 2010/11/28(日) 17:37:51
黄金比はすべてを美しくするか? 然り!
以下は、「黄金比」-自然と芸術にひそむもっとも不思議な数の話-2009.11 スコット・オルセン著 創元社 あとがきに相当する「賢者の石」p50からの引用です。
「私たちは、ともに旅をしてきて、非常に価値あるもの―基本的な知識を黄金の智慧に変える賢者の石―を発見したのではないだろうか。(中略)私たちは小さな部分からなる全体でありながら、より大きな全体にとっての部分でもあるのだ。これが自然の最も大きな秘密である。黄金比は我々の存在という織物そのものに織りこまれている。そして、一なるものへの帰還の途上で次第に広がってゆく自己認識と自己展開の諸段階にうまくチューニングし、それと共鳴する方法を教えてくれるのだ。
この深い自然の暗号との結びつきを取り戻し、それと共鳴すること。律動的な形とすばらしい黄金の基準で、私たちの世界と私たちの関係を美しくしてゆくこと、これが人間の義務である。自然が軽々とやってのけているように、我々の義務はこの世界を変えることである。そして、つねにそれを目指してきたように、美しくも平和のうちに共生できる、素晴らしい状態へとこの世界を変換することなのだ。」(藤田優里子訳)
93 名前:千々松 健 投稿日: 2010/11/30(火) 10:58:19
松岡正剛正剛氏とエバレット・ブラウンが対談した「日本力」2010.1を読んだ。ブラウンはただの写真家ではなく「新しい日本のOS」を発見しつつあるように思う。
そして、いま「日本のOS」を再構築するコトが何よりも大切であると感じた。
私なりに「日本のOS」を考える時、大いなる調和としての「大和=ヤマト」をバックボーンに据えるコトが大事に想う。それを代数と幾何が統合されたカタチで表わされた一つが「ヤマト魔方陣」であるし、一方、奇しくも結果的にはフトマニと陰陽道が統合されたカタチで表わされたのが「21世紀マンダラ」であると思います。
http://8w1hflkm.jp/Yamato.mod9.pdf
http://8w1hflkm.jp/21st.Century.MandalaJ.pdf
追記:キムタクが主演する 波動砲 発射!で有名な映画「ヤマト」が明日公開されるそうです。
94 名前:千々松 健 投稿日: 2010/11/30(火) 11:14:31
四半世紀前に“コンピュータ、ソフトがなければ只の箱”と言われていたが、基本のオペレーション・システム(OS)があり、その上に各種業務をこなすソフトウエアが乗っかっているので、ベースのOSをしっかりとしないと砂上の楼閣になりかねないというものでした。
それなりの器(うつわ)というハードだけではダメであり、基本的なOSが備わっていないと物事は動かせないということの象徴でもありました。
その点に関して、10年近く前に「三つのOS」で人材教育を考えていたことがあります。
1)パトス、ロゴス、エトス=pathos,logos,ethos には皆-OSが付いている。
2)パトスは●に、ロゴスは▲に、エトスは■にカサネると、●▲■は仁智勇を示している。
3)従って、この三つのOSは「人間力」の基本である。
そして、●▲■の三拍子でワルツは踊ろう! という人間力養成プログラムを実践したのでした。
95 名前:千々松 健 投稿日: 2010/12/02(木) 17:39:04
「ノーベル賞」については、湯川英樹博士が日本人で最初に受賞して、戦後の混乱期に夢を与えてくれたので、特にインパクトが残っているようです。
今回、時間とは何かについて調べていたら、その湯川英樹の「時間と空間には、それ以上分割できない最小の領域がある」という素領域論が出て来ました。それとライプニッツの「空間と時間は絶対的ではなく、相対的であり、物事の関係性そのものである」という関係論との二つの視点が最近の宇宙理論である「時間と空間は最小単位を持ち、それらの関係性によって時空があらわされる」(ループ量子重力理論)に活かされているということを知り、時間と空間とを合わせたモノが「宇宙」とすれば、大変に興味深いコトです。
96 名前:千々松 健 投稿日: 2010/12/02(木) 17:42:55
子供遊びの「かごめかごめ」で歌う歌詞に関しては、色々な由来や解釈があるようで、その想像力には学ばなくてはならない点が多々ありそうなのですが、それに気をよくして、新たに独自の解釈を加えたいと思います。(宇宙論的な加上?)
小さいころに歌った覚えのある歌詞は「かーごめ かごめ 籠の中の鳥は いついつ出やる 夜明けの晩に 鶴と亀がすーべった 後ろの正面 だーれ」でしたので、一応これを基本にします。
(注)遊び方の説明:中心でかがんで目をつぶったオニ役の子の回りを、手を繋いだ子供たちが円を描きながら動き、歌が終わったところで、全員が座り込み、オニが真後ろに来た子供の名前を言い当てる遊び。言い当てられた子が次のオニになる。
・・・新解釈は次回をお楽しみに・・・
97名前:千々松 健 投稿日: 2010/12/03(金) 12:11:42
「かごめかごめ」の新解釈
「夜明けの晩に」は明と暗すなわち昼と夜の「時間概念」を言っていると読み、「鶴と亀」は北と南あるいは天と地の「空間概念」を表わしていると読みます。「すーべった」は「全てを統べる」と読みます。そして、時間と空間を全て統べるのは誰でしょうか? 後ろの正面の貴方ですよー・・・、当てられた貴方は「全てを統べる」カミとなります。しかし、次にはすぐオニにされるのです。
そこで、歌詞の最初に戻り、かごめさせられた籠の中の鳥としてのオニは一対一でカミに出会い、オニから解放される訳です。
オニとカミの対比が面白いところです。「後の正面」とは点対称がイメージされますが、神と鬼の交代と繰り返しが回転運動と共に起こるのは絶妙です。
98 名前:千々松 健 投稿日: 2010/12/03(金) 18:22:46
「後の正面だーれ」と点対称の関係
「21世紀マンダラ」のラセンモデルでは、12個の陰グループ数と、12個の陽グループ数が半円弧を描き磁石のように引きあった状態になります。また中心から点対称の位置にあるもの同士は足すと9になります。例えば正面が1ならば後の正面には8が来ます。以下同様に2-7、3-6、4-5、5-4、6-3、7-2、8-1、9-0、0-9・・・の1対1の組み合わせとなります。
もちろん一連の24個のチェーンはフィボナッチ数列をmod9で一桁化したものですから、隣り合う2個の数と一方の位置が判明すれば、他の全てが自己増殖的に決まるコトになるのです。そして、第二順目のチェーンはオニとカミが交代したように、180度ひねられています。そうすると磁石も陰と陽で上手く合体できるというわけです。
99 名前:千々松 健 投稿日: 2010/12/03(金) 21:11:03
H5N1亜型ウィルスによる強毒性の鳥インフルエンザが島根県安来市で発生し、数万匹のニワトリが「殺処分」された。近くの中海に飛来した渡り鳥から感染したらしいという。今年春に口蹄疫が宮崎県で発生し、約29万頭の牛や豚が殺処分されたことも考え合わせると、高千穂や出雲のいわゆるパワースポットの近辺で被害が発生しているのは、全くの偶然でしょうか。
折しも12月に入り、犬猫や小鳥などの動物を愛護する議員連盟ができたそうです。良く考えると牛や豚や鶏の家畜たちもウィルス感染を予防する目的で「殺処分」されてしまうのは可哀そうなことですね。
さて「籠の鳥、池の鯉」と言えば、田中角栄の錦鯉好きが思い出されますし、籠の中の鳥はカナリヤではなく小鳩でしょうか?
ところで「籠の中の鳥は 何時何時出やる」オニ役とカミ役の交代はいつになることでしょう。そして「後の正面」は一体誰になるのでしょうか?
100 名前:千々松 健 投稿日: 2010/12/03(金) 21:17:38
改めて口蹄疫ウィルスの模型を見ると、基本構造が正五角形の球体でした。
また、鳥インフルエンザのウィルスはH16個×N9個の組み合わせで144種類のカタチが理論上想定されています。2^4×3^2=144 1個のウィルスは2,3,4,5の連続した数に依拠しているようで面白いですね。
ところで、1-2-3-4の四角数(テトラクティス)や5に関する五旁星はピタゴラス学派の紋章等でした。また直角三角形の3辺の最小整数の組み合わせである3:4:5の比率がピタゴラスの定理(3^2+4^2=5^2)に発展し、正五角形からは√5が生れるから、それは黄金比(1+√5)/2に繋がり、フィボナッチ数列(0,1,1,2,3,5,8,13・・・)やリュカ数列(2,1,3,4,7,11・・・)へと進む訳です。
そして、最近のケン系列[0,3,3,6,0,6,6,3]やミチコ系列[3,1,4,5,0,5,5,1,6,7,4,2,6,8,5,4,0,4,4,8,3,2,5,7]を加えた「FLKM系列」の出現に至るのです。
101 名前:千々松 健 投稿日: 2010/12/05(日) 11:54:07
>スレ「人生における分岐点」にて、博士の「生命知の殿堂」の未公開の一部を掲載いただき感謝いたします。
<ピュタゴラスは若いころにエジプトやバビロニアを訪れて多くを学んだが、ことによるとインドにまで足を延ばして数学を始め、ヴェーダの哲理を学んだ可能性もある。>
「神秘宗教集団」としてピタゴラス学派がギリシャの植民都市であった南イタリアのクロトンにかなり長く存在していたという事実は、その後の歴史で、ゼロをはじめとしたアラビア数字(実はインド数字)が製紙技術と共に11世紀以降、イスラム世界から(シチリアを通って)イタリアへ伝搬するときの地ならしとなっていたのではないでしょうか。また、古代エジプトでは9と言う数字が特別な意味をもっていた訳ですが、それはカバラやエニアグラムの繋がりと思われます。
102 名前:千々松 健 投稿日: 2010/12/05(日) 14:01:34
昨日12月4日、松丸本舗にて、ゲーテ思想に影響を受けたルドルフ・シュタイナーの「遺された黒板絵」を偶然に手に取り。その中で最初に登場する宇宙と人間に関する絵図を見て大変驚きました。それこそ「ユーレカ!」です。
絵図は、右上から4本のラインが外側から内側へと渦を巻いて中心に向かい。その中心から反対方向の渦巻きで4本の螺線が開いて行く図が矢印付きで描かれ、その線の間にD・F・Wの文字が記入されていました。それは陰陽の太極図や、6&9の裏返しに似て、陰が宇宙からの何らかのメッセージとすれば、陽は人間の生命の証しと捉えて良い様なのです。
解説にはDは思考、Fは感情、Wは意志を意味していると書かれていて、シュタイナー人智学の基本と思われました。
私的には文字ではなく●▲■と図形で描けば世界共通となるのにと思いました。もちろん円は感情や仁愛、三角は思考や論理、四角は意志や行動の象徴と見て良いので、「仁智勇の人間力」のコトになりますし、「パトス・ロゴス・エトスの3つのOS」になるのは明らかです。
今年ある機会に「宇宙から降り注ぐニュートリノが我々の体内を通過するときに螺旋状の渦巻きが起こり、歯車の如く逆方向にエネルギーが発生し、それが生命力となるのではないか」と申しましたが、そのようなイメージの元をシュタイナーが既に黒板に描いていたコトに気付き驚いた訳です。
そして更に、なぜ4本の螺線なのかを考えざるを得ませんでした。・・・我田引水ですが、フィボナッチ数列のmod9処理と九九様の二次元化により確認された「4つの数の流れ」即ち「FLKM系列」とカサネて考えてみるのは大変面白いコトではないでしょうか。
103 名前:千々松 健 投稿日: 2010/12/07(火) 21:11:30
ピタゴラスの「テトラクティス」のルーツには、やはりカバラ秘数術の存在があるらしい。
1-2-3-4と4段に数(球)を重ねた合計10個からなる三角形(平面的ピラミッド)は神聖なる神を表わす四文字(テトラグラマトン)の「YHWH」に対応し、それぞれY=流出、YH=創造、YHW=形成、YHWH=活動の4つの世界を表わすそうです。
これをヒントにして、4つの数の流れ「FLKM系列」について考えてみたいのです。
4つの流れとは、F系列(=フィボナッチ系列はフィボナッチ数列を1倍ないし8倍したものを更にmod9で一桁化したもの)、L系列(=リュカ系列はF数列を2倍ないし7倍してmod9で一桁化したもの)、K系列(=ケン系列はF数列を3倍ないし6倍してmod9で一桁化したもの)、M系列(=ミチコ系列はF数列を4倍ないし5倍してmod9で一桁化したもの)のことです。
簡単には「1F-2F-3F-4F=FLKM系列と表わせます。同時に8F-7F-6F-5F=FLKM系列も成立するので、前者を陰系列として後者を陽系列と位置付けることも可能です。
こうして点対称となる「後ろの正面」を考慮すると八方となります。更にこれら8系列に天と地を加えると完成数=10個の要素が揃い「生命の樹」に繋がり、そのセフィロトのカタチは、1は点、2-3で直線、4-5-6で平面、7-8-9-10でテトラポッド様の立体となる4段構造になると観て良いと思います。するとやはり1-2-3-4が綺麗に並ぶことになります。
104 名前:千々松 健 投稿日: 2010/12/11(土) 23:53:14
名画「エトワール」を観るために横浜美術館のドガ展へ行く。
ドガの絵には二人ないしは集団の群像描写が多いのに対して、このパステル画では何故か一人の踊り子だけというコトにまず気付かされました。
そして、セレンディピティーでしょうか? この絵には6の数字が3つ隠されていると直観したのです。
舞台背景の下手前部の陰影とスポットライトの円形が重なり踊り子の全体に繋がっていく大きなラセン形の6が浮かびあがります。次に下手後部の仕切りから踊り子のスカート(チュチュ)に連なる中ぐらいの6が浮かび、最期の6は踊り子が高く伸ばした左手から胸元に至るラインです。この3本線が大中小の6文字様になって一つの渦となっているのです。
「666」スリー・シックスです(点対称にすると「999」スリー・ナイン)。
それは、先日知ったルドルフ・シュタイナーの宇宙と人間の関係を表わした絵と重ねられるのです。なぜなら、人間を表わす思考・感情・意志の三つが6文字様にラセン形で発生している絵であったからです。
そして、踊り子のポーズからは頭と両手と両足を頂点とする「五角形」が浮かび上がるので、レオナルド・ダ・ヴィンチの「ウィトルウィウス的人体図」の女性版と見立てたいと思いました。
105 名前:千々松 健 投稿日: 2010/12/12(日) 14:36:54
日本は今、ノーベル化学賞に湧いています。パラジウム触媒によるクロスカップリング反応は日本のお家芸であるようですが、注目のパラジウムの元素記号「Pd」は正に6&9の点対称に見えますし、一般の元素周期表では、ほぼ中央に位置している点も何か「意味」があるのかも知れません。
さて、「AとBの化学反応で新たにCが生れる」というのはイメージ的には▲ですね。
米国行き前の忙しい中を藤原肇博士にピタゴラスの続きを書き込んでいただき感謝いたします。
思考:感情:意志=D:F:W=ロゴス:パトス:エトス=知:情:意=智:仁:勇=▲:●:■、更にいえば、三種の神器、三密加持、三位一体、三権分立などなど、まさに「重々帝網」の世界が見えてくるのではないでしょうか。
106 名前:千々松 健 投稿日: 2010/12/13(月) 12:23:56
空海は「秘蔵宝鑰」にて、宇宙は秘められた智慧の宝庫であり、その宝庫の蔵を鑰(鍵)で開けることによって、人間はその智慧に出合うコトができると述べている。また、宇宙と人間の智慧とが一つの相似象であるとも考えていたようで凄いと思う。
また、ルドルフ・シュタイナーは人智学の宇宙論に関して「宇宙を認識したければ、汝自身を見るがよい。人間を認識したければ、宇宙を見るが良い。」と述べていて、黒板絵の説明では「青い渦:過去から流れてくる宇宙の働き、オレンジの渦:未来へ向かう宇宙の働き」としている。それは、4本の渦が宇宙のハードウエアとすれば、人間に備わるソフトウエアは「D:F:W」の3つであると言っているコトになる。
http://8w1hflkm.jp/column/DFW.html
そして、仙厓が書き残した○△□の絵図に「宇宙」という意味の英語タイトルを付けた博識者に倣えば、宇宙の謎を解くその鍵のカタチは●▲■と言うコトになりましょうか。
空海は『ものとことで構成された帝網の心象風景が、詩にすると数字になると伝えている。』という藤原肇博士のヒントに接して、目からうろこでした。
即ち、▲●■のカタチは(それらの回転体の体積比から)1・2・3の数字としてのコトバに置き換えられるのです。そして『0,1,1,2,3,5,8・・・』のフィボナッチ数列に代表される数列群は黄金比に限りなく近似しようとするラチオを産むので「五大にみな響きあり」と空海は直観していたわけです。
この夏から「モノとコトあるいはカタチとコトバ」のスレを開いて良かったと思いました。これからもどうぞよろしくお願いいたします。
107名前:千々松 健 投稿日: 2010/12/14(火) 22:26:47
今年は各社から電子書籍機器が出そろって“電子書籍の元年”と呼ばれているようです。しかし、単に書物の活字をデジタル文字に置き換えただけで、1頁スタイルを固持しているのは如何なものでしょうか? 書籍のスタイルに拘る限り、伝統的な書籍を上回る発展は出来ないのではないかと危惧しています。書物のようにページをめくる感覚だけを擬似再現させても、所詮はお遊びに近いのです。
もう10年以上前に「Web-E-Book=絵ブック」を考え付いたのですが、未だに活かされていないのは残念です。
http://8w1hflkm.jp/column/ebooks.htm
その中に出した電子書籍のデザインは、左右のフレームと上下のスクロールと絵と文字それに音声やバックミュージックも加えて、更に最近ではアニメーションや映像も加えられるので、まさにマルチメディアの時代の情報伝達方式となると思います。
左画面でイラストや絵や映像を示して、右画面では文字で語るのですから、松岡正剛氏の曰く「カタルトシメス」が実現しているのです。
ワン・テーマ毎に見ながら読み進むのが原則ですが、判らないキーワードはクリックしてネット検索し、また自署の他のページにリンクさせるコトも可能です。また、左画面のカタチ(絵)はそのままにして、右画面のコトバ(文字)は各言語に翻訳して利用できるメリットも有ります。これが実現されれば「8字型両脳読書法」が知らず知らずに訓練されるコトになります。このコトを為すためにメーカーは良いモノを造って欲しいと思います。
108 名前:千々松 健 投稿日: 2010/12/15(水) 21:34:12
松岡正剛氏の「カタルトシメス」の一例を、自由と国家と資本主義という副題が付いている彼の「誰も知らない世界と日本のまちがい」p87から引用します。
「(一枚の絵を見せて)この絵を見てください。これが「リヴァイアサン」にのっている口絵です。山の上に王冠をかぶった巨大な人間が描かれていますが、よく見るとその部分は小さな人間の集合でできていますよね。人間がより大きな人間を構成しています。そして一体の国家大のものになっている。ホッブスはこれが生きた国家というものだろうと考えたわけです。まさに人間集合国家です。」
しかし、残念なことに肝心の口絵はページをめくったp88にしか掲載されていないのです。説明を読みながら絵を見たいと誰もが思うのではないでしょうか?「絵ブック」を考えていた者にとっては、なおさらそう感じました。
ところで、リヴァイアサン(レヴィアタン)というのは旧約聖書に出てくる海の怪獣ですが、語源的には「渦を巻いた」「集まって群れをなすもの」という意味があるそうです。したがって新約聖書のヨハネの黙示録の第13章18節に登場する「666」という数字を刻印された獣としての人間(複数形)に相当するものがまさにホッブスのイメージするリヴァイアサン=幻獣国家なのだと考えるに至りました。6は渦を巻いていますし、666は集まって群れをなしている姿そのものですから。
109 名前:千々松 健 投稿日: 2010/12/17(金) 23:31:21
素粒子物理学の世界においても、情報こそ存在の本質という見方が強くなっているように「情報はモノよりも強し」は『コトはモノよりも強し』に置き換わるのです。
例えば、湯川秀樹が著書<創造への飛躍>の中で言う「宇宙に無数にある電子は、どれも『寸分違わずに同じ』で、あたかもタイプライターが吐きだす文字のようだ。自然界にも何かそういう一つの鋳型から打ち出すようなからくりが潜んでいると考えられるのではないか」という「鋳型論」は、要するに「カタチは何かのコトバで創造されている」とイメージしたわけです。
110 名前:千々松 健 投稿日: 2010/12/17(金) 23:36:21
セルジュ・ユタンによれば「錬金術」は大きく次の五つに区分される。
1)秘密の学理、「ヘルメス哲学」2)物質の組成に関する科学的とも呼び得る理論 3)実用的な術、その主要目的は金属変成と万能薬にある 4)神秘学 5)「アルス・マグナ」としています。
興味がもたれたのは、地・水・火・風の4大元素に加えて第5番目の元素としてエーテル(精気=quintessence)を想定していたと言う個所でした。
その「quintessence」は神髄、心髄、真髄、精髄とも訳されるように「本質を有するモノ」である点で「Mandala」に通底していることに気が付かされたのです。
正五角形に含まれる√5、それから発生する神聖比例、フィボナッチ数列とそれに秘められた循環性、即ち法を9とするモジュラー算術でフィボナッチ数列を多次元展開して得られる「FLKM系列」の4つの数の流れ、そして、神聖方陣とラセンモデルの「21世紀マンダラ」は、湯川博士の「鋳型論」の延長線上に浮かびあがってくるのです。
111 名前:千々松 健 投稿日: 2010/12/18(土) 13:23:22
ヴィトゲンシュタインのコミュニケーション行為の方法に関連して、編集工学的表現者である松岡正剛氏が造語した「カタルトシメス(語ると示す)」は“語るコトと示すモノ”が同時に起きるべきだとしているのです。また、最近のセミナーで松岡正剛氏はシュタイナーの黒板絵を絶賛し、世の中がこのシュタイナーの書いた黒板絵のようにコミュニケーションされていかなければならないと強調されたそうです。
この二つから、その真髄を汲み取れば『カタチとコトバあるいはモノとコトを同時に認識しながら「物事」は理解されるべきである』ということになろうかと思います。それは古くから「百聞は一見に如かず」と言われている通りで、見れば大体が解るモノに、簡単で適切なコメントが付けば鬼に金棒になるというわけです。そして、そのイメージが抽象的であればあるほどに想像力や創造力は増していくのです。
112 名前:ひたくれない 投稿日: 2010/12/19(日) 13:55:38
千々松さんがドガの「エトワール」を観に行って この絵の中に6の数字が3つ隠されていると直感したという記事を拝読しまして 写真で「エトワール」を見て実際に3つの6の数字を指でなぞりながら 見えないものを見るというのか または誰もが見えているのに見えないとはこのようなことを言うのかと しみじみと名画を鑑賞しました。
その後 「666」スリー・シックスと書いてあるのを見て 「あっ」と声を上げてしまいました。どこかで見たことがあったからです。そうです。藤原先生の以前のお電話番号が確か666-2666であったのです。ご著書の内容について質問した時に「覚えやすい番号ですね。」と申し上げましたが 何ともおっしゃいませんでした。
先生は日常生活やご本の中に 意味のある数字や言葉 メタファーなどをたっぷり織り込んで 楽しんでいらっしゃるようでした。説明や解説をなさることはありませんでしたので ほとんど気がつかないのですが 今回のように正にセレンディピティーで 数字の謎を発見すると感激します。ゲーム感覚で人生をエンジョイしていらっしゃるルネサンス人のセンスを垣間見た気がいたしました。
113 名前:千々松 健 投稿日: 2010/12/21(火) 13:34:30
21世紀の「宇宙巡礼」に役立つツールは(9=0)を成り立たせる数論の(mod9)です。
これは、9=1+8=0、9=2+7=0、9=3+6=0、9=4+5=0、から導かれる(-8=1)(-7=2)(-6=3)(-5=4)(-4=6)(-3=6)(-2=7)(-1=8)という変換式を用いて全ての数を正数で表わし、かつ、10=9+1は1、11=9+2は2、12=9+3は3のように、9で割った残りの数に置き換えて一桁化を図るという方法・手段です。
もしも、人類よりも先を行く宇宙人が出現したら、彼らはこの「システム オブ ナインズ」とも言える手法を自由に扱っているに違いないのです。そして、彼らは言うでしょう『君たち地球人も昔からカバラ算やヒフミ算を持っていたのではないか』と、そう指摘され我々は改めてその共通性に驚かされるというわけです。
114 :千々松 健:2010/12/23(木) 12:55:37
釈迦が亡くなる際に若い弟子たちに遺したコトバであるパーリ語の「ヴャヤ ダンマー サンカーラー」は我々には「諸行無常」として伝わっていますが、今の時点ではその漢訳は誤訳に近く、真の意味は伝わっていないのではないかと思います。
サンカ―ラーの言葉がもう一つ遺されている「アーユス サンカーラー オサトウ」と合わせて考えると、要するに『●▲■(宇宙)の順序(循環)で生命を考えるコトが大切です』と述べていたのだと思います。
サンカーラ(savkhara)の響きは、サンはsun(太陽)に通じ、カはチカラのカに通じ、ラは螺旋に通じましょう。また一方、サンは3に通じ、カは神に通じ、ハラは螺動旋転神力に通じると考えたりすると『太陽から発せられるニュートリノが螺旋を描いて体の中を通り抜けることで生気(命)が起こる』とも読めるのではないでしょうか。さらに想像を働かせると、ニュートリノの螺旋のカタチは三種類あることが予想され、点対称(反対物・反物質?)を考慮すると六個になるのかも知れませんね。
http://8w1hflkm.jp/pythagoras/P_F3.html
115 :千々松 健:2010/12/23(木) 17:14:48
「ヴァヤ ダンマー サンカーラ」を漢字で示せば「生・法・行」となります。また英語で示せば「Want・Plan・Action」ラテン語では「Pathos・Logos・Ethos」となり、シュタイナーの黒板絵では「F・D・W=感情・思考・意志」となり、それらは最終的に図形の●▲■で示すことができるのです。
116 :千々松 健:2010/12/25(土) 13:11:33
「私たちが生きるのは、実に、何かの媒体となる時にではないか。そこにあるのは無我の喜びである。自分を手放すことでしか、より大きな自分にたどり着くことはできない。」これは茂木健一郎が最近書いているフレーズです。
実はこれが「アーユ・サンカーロ・オサットー」(前述の「アーユス サンカーラー オサトウ」よりも正確にパーリ語を再現)の意味に低通します。共に「命・●▲■・放」になると考えて良いでしょう。
カタチあるモノは、パラミータ(宇宙的尺度)の数の流れに沿う(共振する)コトによって命が与えられて存在する。人体(脳)と言うハード的な器もソフトが与えられないと機能しないと言っているコトになるし、その基本ソフトこそ「三つのOS=パトス・ロゴス・エトス」で●▲■に象徴されるのではないでしょうか。
そして「パラミーターの数の流れ」とは何かを考える必要があるのです。
この宇宙巡礼、そして藤原肇博士のブッククラスターであれば、既にお気づきと思いますがヒントはフィボナッチ数列と苦&九&久&球&空&9の「ク」とnine&0に在りそうです。
117 :千々松 健:2010/12/25(土) 23:33:39
<クリスマスプレゼントに代えて>
円周を九等分した図形が基本のエニアグラムの奥義は「黄金比」にあったのではないかということを本日確認出来ましたので、皆さまへのクリスマスプレゼントに代えてご報告いたします。
実は、Alexander S. Petty という人物が2009年9月にHPで公開しているのを見つけることが出来ました。そうするとmod9と黄金比が代数的にも幾何学的にも繋がるコトになり、πとΦはとても仲良しというコトも再認識させられるのです。
118 :千々松 健:2010/12/27(月) 22:35:50
>117 今回のクリスマスプレゼントは残念ながら幻に終わりました。
多少時間をかけて正確な作図と代数計算をいたしました。
先にPettyの公開した通りエニアグラムを追試して見たところ、6.06:10.03≒1:1.655は出て来ましたが、黄金比(1.618)は計算されませんでした。1.618と1.655が近いと言えば近いのですが、当時の実用としては良いとしても、現代レベルからするとその誤差は問題となりましょう。
http://www.alexpetty.com/2009/09/21/mod9.../mod9-phi/
「エニアグラム=9つの図」は元来は「宇宙万物の本質を表す象徴」であり、その起源は古代ギリシャや古代エジプトにあると言われます。更に遡ればアフガニスタン地方に隠されていた秘伝のようです。
今回、正確な黄金比には巡り会えませんでしたが、mod9の時計算が見られたので我慢することに致します。それにしても、暮れの忙しい中をお騒がせして済みませんでした。
119 :千々松 健:2010/12/28(火) 11:16:45
ダライ・ラマ法王の問題提起である「なぜ近代生物学は競争だけを根本的な活動原理として認め、生き物の根本的な習性として攻撃性だけしか認めようとしないのでしょうか? なぜ協力を活動の原理とすることを拒み、利他主義や思いやりといった習性も生き物の発展に寄与する可能性を考えようとしないのでしょうか?」に関して、清水博氏が述べている「生きていることから、生きていくことへ」の視点は、丸山真男の『「である」ことと「する」こと』に通じます。
そして、それは「生きているというモノ的存在から、生きて行くコトへ」に言い換えられるでしょうし、更に「生物学から、生命学へ」「モノから、コトへ」「静態から、動態へ」「空間から、時間へ」などの転回が、新たな未来を切り拓くキ-ワ-ドになると思われます。
120 :千々松 健:2010/12/28(火) 22:54:58
>116「パラミーターの数の流れ」のつづき
「4つの力の統一理論」とフィボナッチ数列をmod9で一桁化し、更に二次元化することで現れる「FLKM系列」との関係について、下記のとおり予想してみました。
『F系列は「強い力」、L系列は「電磁気力」、M系列は「弱い力」そしてK系列は「重力」にカサネられる』と考えてみたのです。
宇宙誕生の最初に現れた力は1種類と考えられていますから、それは基本になるF系列に相応しく、点対称位置に当たる1-8の関係は差が7あり、一番離れているので「強い力」が必要となると考えてみました。次のL系列はF系列を2倍したもので、同様に2-7で差は5です。レプトンなどの電子に働く「電磁気力」と考えました。M系列はF系列の4倍に相当し4-5ですから差は1で一番「弱い力」と考えました。K系列は3-6で差も含めて3の倍数になりますし、他の24項目の長さに比べて8項目と短く異色のため「重力」としました。
1F-2L-3K-4Mと並べると、誕生-拡大-万有-崩壊と読みたくなりますね。
なお、例の「21世紀マンダラ」にて既に「超弦(ひも)理論で弦が4つの基本振動パターンを持つ理由になるかも知れない」と書きましたことはご承知のことと思います。
121 :千々松 健:2010/12/30(木) 20:54:48
「断捨離」提唱者のやましたひでこさんは「川にたとえれば、どこかが詰まっていて、よどんだ状態。まずはその詰まりを取り除くこと。流れが生まれれば、上流から新しいモノが流れてきます。必要なモノは、必要な時に、必要なだけ与えられる。そう考えると、未来へのいたずらな不安から解放され、モノを抱え込む必要がなくなります。」と女性の立場から家庭内のモノの整理について述べています。
川の流れに喩えているのは、とても解り易くて感心させられます。そして、私たちの頭の中の整理(生理)も、川の生理や腸の生理と同様に考えると面白いかも知れないと思わされました。
ところで「忘年会」は過去一年間のいやなコトを忘れるイベントなのでしょうが、良いコトも忘れる必要がありますね。一度の成功体験に拘るコトで溺れてしまい、それ以上のコトが出来なくなってしまうのは避けるべきです。「常に新しい水を流し続けるコト」が何よりも大切なのでしょう。
この一年間をリセットして、新しい年を迎えられますように祈ります。
122 :ぬばたま:2011/01/03(月) 00:05:18
藤原肇博士、千々松様、皆様、あけましておめでとうございます。
今年が良き年となりますよう、そのためでしたらどのような困難も受ける覚悟です。
長き夜の遠の眠りの・・・・ 夜の航海と、夜明けの歌ですね。ぬばたまの夜から、ほのぼのの明け。
原歌はホツマツタエ初章、住吉の神カナサキ尊によります。http://gejirin.com/hotuma01.html
仏説の無明を「遠の眠り」に、開悟を「目覚め」とし、祭礼では、眠りを流す、全国のねぶた祭りに伝えています。
転迷開悟の和風表現ですね。心の日の出、新春の歌にふさわしいですね。
もはや誰も神の存在を説かない時代の幕開けです。
123 :千々松 健:2011/01/03(月) 14:45:44
No.123:ひふみに因んで
ぬばたま様に誘われて、下記のような「初夢」に至りましたコト大変感謝いたします。
<アワの48声>から
『アカハナマ イキヒニミウク フヌムエケ ヘネメオコホノ
モトロソヨ ヲテレセヱツル スユンチリ シヰタラサヤワ』
「フソヨニカヨヒ ヨソヤコエ」:(24に通い、48声):<24音を往復して48声>と言う意味があるという。
音声に魂が存するとは昔の人の直観は凄いと思うし「言霊」は「数霊」に通じ「数珠」に通じると思われる。
不思議なコトに例の「ラセンモデル」をご覧いただくとよく判るのですが、12の陰と12の陽が24で一回りし、その後180回転して、次の円周に12の陰と12の陽が重なり、合計48個の数がワンセットとして磁石のように安定している様子が窺えるのです。それはまるで「電磁気力」によって原子の核と廻りの電子が引き合っている様子に相似象に見えるのです。アワの和歌は「24音を往復して48声」の往復とは中間で180度回転を意味している訳です。(母音AIUEOと子音KHNMTRSYWの組み合わせ:変形50音図)そして、それは和歌の中では「回り歌」に変身した回文になるのでした。和歌における回文も数学における回文もここに至りて、連環したと言えるのではないでしょうか。その意味では和歌における回文も大いに意味があったのだと思います。
124 :ぬばたま:2011/01/03(月) 23:00:46
アワの歌のアワは、ホツマ文字でア=天=左螺旋 ワ=地=右螺旋 によって表記されています。千々松様の解によって、ホツマ文字の螺旋の由来が初めて明らかになりました。たしかにホツマに登場する回り歌は、時空間の螺旋構造を解き明かすためにのみ、神話の中に置かれており、歌の意味などはどうでも良いのではないか、という立場もありましょう。つまり、数学上の回文の表記としてのみ、この和歌の回文が配置されていると。その根拠は結びに、
敷島の上に人生まれ、(男子は)三十一日に輝す、女は三十二、歌の数もて埴応ふ。 これ敷島は和歌の道かな。
とあり、歌の意味もさることながら歌の数にこそ意味と作用を知るべきであると説かれているからです。
125 :千々松 健:2011/01/04(火) 11:13:39
易経的には男が奇数で女が偶数ですし、陰陽で言えばに日や天は奇数とともに陽で、月や地は偶数とともに陰です。
またヒトの染色体の数で言えば、全46個のうち性染色体の1個が不活性なのが男性とのコトですから、男は45で奇数と言うのが当たっているのですね。
さて、三十一文字は奇数ですが、三十二(三十は二つに割れるとも読める)の偶数で表わす女性に対して、和歌を男性が詠って言い寄るのが「繁島の繁栄の道」即ちワカノミチになるのですね。
和歌の5-7-5-7-(5-7-)7の音のリズムは、奇数と奇数の連続で、隣同士合わせると12の偶数になります。そして最後は7の奇数で完成されています。(後世の俳句は5-7-5の三拍子です)
126 :千々松 健:2011/01/04(火) 11:16:13
奇数と偶数との区別は要するに、最初の素数である2で割り切れる数を偶数と呼び、割り切れないで1余る数を奇数と呼んでいたコトになります。
このことは「2を法とするモジュラー算術」で下記のように表現できます。
奇数≡1(mod2)
偶数≡0(mod2)
蛇足ですが(mod9)の世界は、全ての整数≡0,1,2,3,4,5,6,7,8(mod9)というように数を一桁化して有限かつコンパクトなカタチに出来るのです。従って奇数を象徴する完全、神秘、有限、秩序の意味は9という奇数に凝縮されていると言えるのではないでしょうか。
127 :千々松 健:2011/01/04(火) 12:13:33
小澤征爾さんが食道がんの手術後に松本で初指揮したチャイコフスキーをTVで聴く。
7分間の短い弦楽曲の中で凝縮されたいのちの音楽が響いた。
リハーサルの様子や演奏後のインタビューもあり、小澤さんは「音楽はいのちと関係ある」と仰っていたが、75歳を超えて更に奥深い音楽の世界が拓かれるのではないでしょうか。
国内での本格復帰は水戸から始まるというニュースです。
水戸芸術館と言えば音楽評論家の吉田秀和さんが初代館長をされた所で、その100mのシンボルタワーは正三角形のチタンパネル製の57枚の板が螺旋状に組み合わされています。
その57の数字はピアノの鍵盤から来ていると推察されます。なぜなら黒鍵5枚と白鍵7枚とで1オクターブは12音階で出来ていますから、、、するとまたピタゴラスの音階が想起されますが、アートもまた数なのですね。
128 :千々松 健:2011/01/06(木) 12:20:26
『カカンナス ハルノヒトシク メクリキテ イソノマサコハ イワトナル ヨヨノンテンノ ホツマフミカナ』
(明暗んなす 春のひとしく 巡り来て 磯の真砂は 岩となる 弥々のんてんの ホツマ文かな)
以上は引用です。
以下は小生の勝手な解釈です。
カカンナス:陰陽の如く、カタカムナの為す、カタチとコトバの為す。
ハルノヒトシク:ハラ(螺動旋転)に等しく、螺旋形を描いて。
メクリキテ:マワリテメグル、時計盤の如く時を重ねて。
イソノマサコハ イワトナル:「さざれいしの いわおとなりて こけのむすまで」の元歌と思われる。
ヨヨノンテンノ:世々天まで届き照らされる。
ホツマフミカナ:48声のカナで綴られた40首の歌。
129 :千々松 健:2011/01/10(月) 22:32:47
「ミカサフミ キツヨヂノアヤ ミカサヤニ アマノコヤネノ トクフミハ タテニヌキオル マツリゴト ヨヂヒトクサオ ヲサムナリ」
(ミカサフミ 東西四締の章 ミカサ社に アマノコヤネの 説く文は 経に緯織る 政事 四方人草を 治むなり)
ヲシテ文献の一つであるミカサフミの冒頭からの引用です。
機織りのように縦糸と横糸の締りが良くなくてはならない点は、文章にも政り事にも共通するコトのようです。
機織りの仕方において、固定された縦糸に、左右に横糸をヌキながら織り進むわけですから、タテは固定でヨコは流動すると考えて良いのです。それをヒントにすると縦波は空間(固定)やモノ的で、横波は時間(流動)やコト的になるのです。
そして「万物は数である」「万物は流転する」と洞察した古代ギリシャの哲学者の言う通り、また「全てのものは縦糸と横糸を綺麗に編んだ生地のようである」と言った量子力学の父を思い出すまでもなく「ヨヂノアヤ」を「四路の文章」と読むことにより『FLKM系列で示される四系列の数の流れ』へと繋がるのです。
文章とはコトバや数で示される意味のあるネットワークの一つですが、ひとつの単語、ひとつの数ではなく、一連のクサリ(ヒトクサ)として全体を読むコトが大切になるのですね。
130 :千々松 健:2011/01/11(火) 11:51:20
『「あらゆる時間、すべての場所」という全称記号から「今、ここ」という存在記号への命がけの跳躍こそが、私たちの存在の本質である。』
これはアハ体験で久しぶりにTVに登場した茂木健一郎の最新のブログからの引用です。
すると、過去・現在・未来の時間を通じて、あらゆる地域・国・空間を通じての「共通善」を、カミユのシーシュポスの神話の男が永遠に岩を押し上げる如くに、私たちは求めているというイメージが浮かび、部分と全体あるいは全体と部分の関係を「順序+逆序=秩序」の視点から見る必要があることを思い起こさせるのです。
また、アワのヲシテ文字のように、初めのアが左回転の渦巻で、終わりのワが右回転の渦巻きであれば、アワはネジを締めたり弛めたりする道具になりそうです。そして、天から降り注ぐ目には見えないニュートリノの渦巻がアであり、地の生命体の渦巻をワと見れば、天地=アワの関係がネジ山や歯車のように合体されている様子が想像され、それが「ヒフミヨイ マワリテメグル ムナヤコト アウノスベシレ カタチサキ」に繋がるのです。(この場合の「ウ」はアウンのンであり「ワ」でもあります)
131 :千々松 健:2011/01/11(火) 11:55:20
<11.1.11と1が5個重なった日に>
ヲシテ文字の母音を示す態図象であるウツホ、カゼ、ホノオ、ミズ、ハニの五元素は五輪塔の上から空・風・火・水・地に順序的にも対応している。地は□で、水は逆S字で、火は△で、風は帽子型で、空は○のカタチをなしている。(多少の違いは五輪塔では水が●で、風が半月形、空が宝珠形の点)
この文字がどの様に発生し、どの様に伝承されて来たのかは知る由もないが、カタチの基本の●▲■を含んでいるコトは凄いと思う。ちなみに五輪塔を平面図で観た場合の特異点の数は丸・宝珠・半月・三角・四角の順に0・1・2・3・4と並んでいるのも面白いと思う。
132 :千々松 健:2011/01/12(水) 21:56:50
「人工光合成」の大型プロジェクトがスタートするらしい。
http://www.47news.jp/CN/201101/CN2011011001000411.html
今回ノーベル化学賞を受賞した根岸英一博士が中心となり、北海道大、東工大、東大、京大等が研究開発に参加するという。
「鉄は熱いうちに打て!」です。素粒子物理の様な大規模実験装置は要らないのでスタートはしやすいと思う。この21世紀の錬金術を実現させるためには、まさに「ハイポロジクス発想」が必要になることでしょうから、山田久延彦著の「虚構と瞑想からの超発想」-ハイポロジクスの時代-東明社から
【ハイポロジストのための10ヶ条】を引用させていただきます。
1)空想であれ願望であれ、考えとして存在するものは、すべて実現可能なことである。
2)新たなものをつくり出すことは、それ自体、社会正義である。これを否定する者は、正義の名のもとに排除されなければならない。
3)単一専門領域をいくら深く掘り下げても、新しいものは生れない。広い視界が、深い理解と新しい発想には不可欠である。
4)社会の不条理な抵抗や否定にあうような発想の中から、真に価値ある発想を探し求めよ。みんなが良いということは、どうでもよいことである。
5)行きづまり状況下には、従来の論理のもっとも基礎的なところを否定せよ。修正主義は状況をさらに悪化させる。
6)発想は長い間寝かせよ。短期間で成果を得ようと思うな。本を読む前、データをとる前に思考せよ。
7)パイオニアは、その良き理解者とペアで一人前である。
8)高次元の問題を扱うときほど、人間は低次元の感情にかかずらう可能性が大きいと心得よ。
9)実力以上に自分の可能性を信じ、能力以上の問題に挑戦せよ。大風呂敷を広げよ。
10) 技術者にとって技術的主張は、個人の思想、信条であり、基本的人権と不可分のものである。誰からも拘束される必要はない。
133 :千々松 健:2011/01/12(水) 22:01:10
「身体(ミクロコスム)と宇宙(マクロコスム)」藤本憲幸&藤原肇著 1992年亜紀書房にて「Prana」というサンスクリット語に出会った。
プラナないしはプラーナと発音して、普通は「気、風、生命エネルギー」と訳されているという。これこそは「ニュートリノ」に該当すると考えられるのです。
「Pra」は最初の、前進する、主な、以前のとの意味がありからプレということばに繋がりそうです。
「Na」は動く、生きる、呼吸するの意味に敷衍していますが、元来のナはナミ(波)を表わしていたのでしょう。波には縦波と横波があり、拡散したり集中したり、息のように入ったり出たりしているイメージが浮かびます。この動く様子はまさにニュートリノのゼロ点螺動に相似象です。
ニュートリノ即ちPranaは「肇に波を創り出す大切なモノとコト」と考えれば「宇宙意識や宇宙波動」がより解り易くなると思いました。
134 :千々松 健:2011/01/13(木) 15:06:15
「ハイポロジクス発想」が昂じると世の人は「宇宙人」とか揶揄するようですが、まあそれはそれとして、理解する方はしっかりと理解されるのであって、余り気にしないコトですね。
さて「●▲■三拍子でワルツは踊ろう!」をヲシテ文献の三タイトル名にカサネて遊びます。
「フトマニ●、ミカサ▲、ホツマツタヱ■」です。その心は?
1)丸のフトマニは「二つの間の関係性」を示していて、カタチとしては黄金分割になり、コトバとしては0+0=0,a+0=a,0+a=a,a+a=b,a+b=c,b+c=d,c+d=e,,,であり、aが1の時は0,1,1,2,3,5,8,13のフィボナッチ数列を発生させて黄金比が産みだされ、自然界ではこれで螺旋が生じます。そして、mod9で処理すると24項目のフィボナッチ系列にコンパクト化され、さらにaが2,3,4の場合は同様にリュカ系列、ケン系列、ミチコ系列が生じるのです。
2)三角のミカサは「有+無=空」の弁証法を示しています。正、反と対立する二つが止揚されて合となる化学反応となります。
3)四角のホツマツタヱですが、そこで使用される文字が母音と子音をタテ・ヨコに組み合わせて音声を記号化したものであり、人工物なので四角が似合うのです。
チョットした遊びですから、文献の内容とは直接には関係ありません。
但しヲシテ文字がア行に○、ウ行に△、オ行に□のカタチを配置しているので●▲■との縁は有りそうですね。
135 :ぬばたま:2011/01/13(木) 20:26:09
千々松様 >チョットした遊びですから、文献の内容とは直接には関係ありません。
いえ、遊びではなく、ホツマ関連文献全編に本当にそう書かれています。いくらでも関係箇所を指摘できます。
例えばミカサフミの御笠は▲の笠×3ですし。
フトマニの極意が、ということはホツマ思想の真髄は黄金数であったわけですね。お見事です。長年の研究者は顔色無しですね。
これからが楽しみです。
136 :千々松 健:2011/01/14(金) 14:49:02
「ホツマで読むヤマトタケ物語」池田満著 2010年展望社は圧巻です。
オリカゾエウタの例を二首引用させていただきます。
まわり歌=回文が一部に使用されています。
即ち、はじめとおわりの5音が上から読んでも下から読んでも同じになっています。
第一首目は:
「ワカヒカル ハラミツニシキ アツタカミ モトツシマハニ オレルカヒカワ」
<ホツマツタヱの第40首目>
その本からヒントを得たのですが、5-7,5-7,7の31文字の歌をタテ一列の短冊にして、途中で一ひねりして輪を作り、初めと終わりの5文字「ワカヒカル」をカサネて貼り付けると、何と和歌のメビウスの輪になります。また、折り返しの中心は初めから16番目の「カ」になりますが、その三つ後と折り返して三つ前に当たる文字のトとアを含めた三文字「ト・カ・ア」には何かが秘められているようです。
つづく
137 :千々松 健:2011/01/14(金) 14:57:54
第二首目です。
サスラテモ ハタレモハナケ
ミツタラス カカンナスカモ
テタテツキ カレノンテンモ
アニキカス ヒツキトワレハ
アワモテラスサ
<ホツマツタヱの第8及び第12首目>
5-7,5-7,5-7,5-7,7、の55文字の歌をタテ一列の短冊にして、途中で一ひねりして輪を作り、初めと終わりの5文字「サスラテモ」をカサネて貼り付けるとメビウスの輪になります。
折り返しの中心は初めから28番目の「ツ」になります。その三つ後と折り返して三つ前に当たる文字のレとテを含めた三文字「ツ・レ・テ」には何かが秘められているようです。
このように観察すると、和歌は文字通り「輪歌」でもあるし、折り紙のようにある時は織り重ねられ、ある時はのりしろ部分で糊付けされて、まるでメビウスの輪を繰り返すように連綿と続くのです。
それは「アワの歌」が最初のアと最後のワとが左回りと右回りの渦巻で合体するようにして48文字が繋がれているのに象徴されているのかもしれませんね。そして、陰陽太極図になるのでしょうか。
138 :千々松 健:2011/01/16(日) 13:49:21
「分数多角形」で五芒星を一筆書きで描くことができるのは良く知られています。5/2角形を左回りとすると、5/3は逆の右回りの線で描かれていきます。分母の2と3は足すと分子の5になります。同様に考えて8角形星では8/3角形が左回りで、8/5角形が右回りになり3+5=8となります。それらは草木に枝葉が付いて行く場合の順序に相似しています。(ゲーテはこの葉序に興味があったようです)
改めて、モトアケの図とも呼ばれるフトマニ図(アからワまでのヤマトコトバの48文字を四周の円の中に展開した図)を観察すると、そのようなルールに沿っていることが解ります。因みに一周目は8/5角形で、二周目は8/3角形で、三周目と四周目は二ペアで8/3角形になっています。そして8文字+8文字+16文字+16文字の計48文字です。
フトマニ図は二つのト(アの左渦玉とワの右渦玉)の間の関係を正しく配置した図であると解釈できるのです。お遊びのようですが「フトマニ」をオリカゾエウタ式に逆さに読むと「ニマトフ」です。これは「二間飛ぶ」ルールのコトを述べていたとも読めますね。そもそもフトマニの序文には「モトアケ」と「モトウラ」という表現があるように、表と裏、順序と逆序、左回りと右回り等というヒントが含まれているのです。
139 :千々松 健:2011/01/16(日) 13:52:39
「日本ヲシテ研究所」のおかげで、日本書紀や古事記の原本と思われるヲシテ文献の解明が進んでいるようです。その側面支援になるのではないかと思い、ここでフトマニ(ヲシテ文献を含めて)とフィボナッチ数列と黄金比Φの関連をマトメテおきたいと思います。
先ずは、ある数列から始めます。
【0,8,8,16,24,40,64・・・】これは通常のフィボナッチ数列を8倍した数列です。
フトマニは128の歌、ミカサフミは64の歌(現存は9首)、ホツマツタヱは40首ですから、どこかで観たような数値のはずです。・・・そうです。
40は上記数列の6番目に当たり、64は7番目にあります。128は64の2倍の数です。また、5番目の24の2倍の数は48ですが、それはヤマトコトバを構成する48文字に通じます。フトマニ図の三周目と四周目を足すと32になりますが、それは上記の数列の4番目までを全て足した0+8+8+16=32に相当します。そして、フトマニの128の歌は二周目の8文字と三、四周目のグループの16を掛け合わせた三文字を冒頭に読み込んだ歌なのです。ヲシテ文献は、8×【0,1,1,2,3,5,8、、、】フィボナッチ数列のオンパレードです。
つづく
140 :千々松 健:2011/01/16(日) 21:45:23
「古事記」において初めの和歌とされる「八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣作る その八重垣を」やヤカミやヤハタノカガミでも八(ヤ)と言う数値が多数登場するように、我が国の古代では8ビットの計算が得意だったのです。それにヒフミ算(mod9)という強力な算法が加えられる訳です。実はフィボナッチ数列を8倍したものをmod9で処理すると、1倍した元と同じく「フィボナッチ系列」となるのです。
そのフィボナッチ系列と呼ぶのは【0,1,1,2,3,5,8,4,3,7,1,8;0,8,8,7,6,4,1,5,6,2,8,1】と言う数の流れです。前半の12項目と後半の12項目を合わせた24項目のチェーンになります。前半を陽として後半を陰と考えれば、陰と陽の同順項目の数を足すと9となりますが、それを9で割ると1余り0ですから0となります。無限に続くフィボナッチ数列もモジュラー算術(mod)では循環性と対称性が見られるという訳です。
141 :千々松 健:2011/01/16(日) 21:50:49
ここでは【0,8,8,16,24,40,64,104,168,272,440,712・・・】を「ヲシテ数列」と呼びたいと思います。他のフィボナッチ数列群と同じく、このヲシテ数列も12項目あたりまで来ると隣同士の比率が712/440で約1.618の黄金比(Φ)に限りなく近似していることが判ります。
実用的には40:64=5:8の比である1.6が神聖なる比例として利用されたことでしょう。そして、フトマニの数に関するヲシヱは「二つの数があればそれらを足して次に置き、その足した数とひとつ前の数を足して次に置くという繰り返しルール」であり、それは後世に言うフィボナッチ数列のルールと同一です。従って、ヲシテ数列から黄金比が生じるのは火を見るより明らかなのです。
結論:ヲシテを産んだ古代の人々は、宇宙万物が「数の流れ」であると認識していたのではないでしょうか。
142 :千々松 健:2011/01/19(水) 14:23:05
フィボナッチ数列群とは要するに「前の二つの数を加えると次の数になる」という数列を意味しています。
「フトマニ」も代数的には同じコトを意味しています。更に幾何学的にもタマネギをイメージすると判り易いのですが、真ん中の芯から外縁に広がるに従って、8,8,16,24,40,64と「前の2つの数を加えると次の数になる」ように構成されているのです。「フトマニ図」は第1周目が8分割で、第2周目は少しずれて8分割で、第3周目と4周目はセットで16分割になりますから、第3周目に見立てますと、第4周囲は24が、第5周囲は40が予想されるのです。
まるで樹の年輪が増していくような錯覚に陥りませんか? ところで、松の樹は日本全国に多く見られ、千年ミドリナリと言われています。能舞台の背景には松の大木が描かれ、お正月にはカドマツが飾られます。松はトテモオメデタイのです。そういえば子供の頃に名前を漢字で千々松と書いたら「お目出度い名前ですね」と感心された経験が何度となくありました。
143 :千々松 健:2011/01/19(水) 20:55:06
吉田秀和さんが音楽エッセー「永遠の故郷」4部作(夜、薄明、真昼、夕映)を無事に完結した。
最後はシューベルトの「菩提樹」で「生命の根に深く根ざし、死の底にまで届くような芸術作品として、唯一無二の意味をもった音楽」をすべて語り尽くしたという。97歳。まだ「レコード芸術」と「音楽展望」の連載はつづく。
ところで、戦国の武将は自らの死を目前にして歌を詠んでいる。いわゆる辞世の句である。
斎藤道三
捨ててだに この世のほかは なき物を いづくかつひの すみかなりけむ
冷泉隆豊
みよやたつ 雲も煙も なか空に さそひし風の すえも残らず
伊達正宗
曇りなき 心の月を さき立てて 浮世の闇を 照らしてぞ行く
想うに「和歌」のひびきは生と死との間に在る音楽に相当するのではないでしょうか。
そして、「生+死=空」の式や「順序+逆序=秩序」などが想起されるのです。
144 :千々松 健:2011/01/20(木) 13:03:44
このたび、7-5-7-5のリズムで24音の歌を創作しましたので、ご紹介させていただきます。
「カテカテハラカテ ハラミカテ ハナハラミカテ ホシソハカ」
<若干の説明>
カテは「神に向かって」往くコト。
ハラは「波螺」で螺旋状の波のようなカタチ。
ハラミは「波螺の内容」を示していて、例えば「前の二つの数を加えると次の数になる」という数理操作(パラメーター)のコトです。サンスクリット語のパラミーターとは同源です。
ハナは「般若」に通じて、大いなる宇宙意識レベルの智慧のコトになります。
ホシソハカは「星ぞ墓」と書きます。ヒトは死んだらお星様になると言い伝えられていたコトが思い出されますね。
つづく・・・
145 :松本英樹:2011/01/20(木) 17:36:30
千々松 健様
今年も宜しくお願いいたします。
>142「前の2つの数を加えると次の数になる」
これこそが古代世界共通の知識として伝わっていったのではないでしょうか。
Φを導く数式を不知だとしても、古代文明の共時性に成り得る「コト」ですね。
フィボナッチの概念は伝わる。核心だと思います。
146 :千々松 健:2011/01/21(金) 00:38:42
>145 こちらこそよろしくお願いいたします。
松本英樹さまの名前の中には三本の木が含まれているのですね。三木はミキと発音しましょうか。
そこで、古今伝授に言う「三木三鳥」を何の先入観もなく「ミキミトリ」と読みましょう。
すると古今伝授の謎が解けそうな気がします。
すなわち「ミキミトリ」は「幹から三つの音を採りなさい」と言うコトではないかと推論します。
その「幹=ミキ」とはモトアケの「フトマニ図」を指しているのです。そして、フトマニの128首の歌のように、48音の中から8×16=128種類の三つの音の組み合わせを取り出して、歌い出しの5音の中に含めるコトというルールではないでしょうか。フトマニ図をよく見て取り出しなさいという意味でのミトリ(見取り)でもあるのでしょう。
まさにヲシテ文献は変に漢字にしてしまうと誤訳しやすいということは、このようなコトを意味しているのでしょう。多重に読み取る柔軟性が必要ですね。それが曖昧というコトになりかねないのは注意も必要ですが、より発想が豊かになるのではないでしょうか。
147 :千々松 健:2011/01/21(金) 12:15:40
「ミキミトリ」の追加
連歌は①発句、②脇、③第三・・・挙句、の一連にて構成されています。
句数により長短はあるが、例えば百句を通じて意味を一貫させるのではなくて、連続する二句の間の付合や全体の流れの変容などを楽しむのがツヅケウタの本質でしょう。それはまるで「シリトリ」遊びの様ですね。
また、三木は三種の神器であるヤサカニノマガタマ、クサナギノケン、ヤハタノカガミを意味しているとの解釈も有ります。それをヒントにして、更に推理してみましょう。
1)三種の神器のカタチは前に述べたように●▲■に相当します。
2)ヲシテ文字の母音図象a:○、u:△、o:□のカタチは発音するときの口蓋の開き具合から考案されたと池田満氏は述べています。
この二つを関連づけると、和歌を詠む場合は「ア行、ウ行、オ行の中からそれぞれ三音を採りなさい」という意味の「ミキミトリ」になるのです。
以上の考察からすると、和歌の奥義はヤマトコトバのルーツに繋がっているコトが理解されます。
148 :千々松 健:2011/01/21(金) 22:49:15
このところの一連の書き込みに関する図表を下記に乗せましたので、ご参考までに。
http://8w1hflkm.jp/hutomani.html
149 :千々松 健:2011/01/21(金) 23:12:45
>144・・・つづき
既にお気づきのように「カテカテハラカテ ハラミカテ ハナハラミカテ ホシソハカ」の創作歌は大乗仏教のエッセンスである「般若心経」の最後の呪文(マントラ=真言)に似せています。
玄奘三蔵は『羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶』のように音感を漢字で置き換えたままにしています。
(ヤマトコトバを漢字で表現した万葉仮名と同じ操作です)この良く知られた真言に一ヶ所「ハナハラミカテ≒般若波羅蜜羯諦」を加味してミタのです。
150 :千々松 健:2011/01/21(金) 23:18:53
もしかしたら「カテカテハラカテ ハラミカテ ハナハラミカテ ホシソハカ」はヲシテの時代に既に歌として存在していて、それが日本からインドに伝わって呪文へと変容したのではないでしょうか。従って音声のみにするしかなかったのですから、その解釈やらは難しい訳です。それが回りまわって日本に里帰りして来たのではないかと超発想???してみました。まるで「猿の惑星」の映画のように・・・。
仏教は地元インドではその後に廃れてしまい、極東の日本に於いてこそ広く残っているという事実は、そのコトを証ししているのかもしれませんね。しかし、本当はどちらが先で、どちらが後だったのでしょうか? 実はグルグル回っていて共時性であったりして、本当に目が回りますよね。でもその間に意味合いが全然違ってしまうとしたら、真の情報伝達は本当に難しいものですね。
151 :千々松 健:2011/01/22(土) 22:27:38
5-7-5-7-7の和歌のリズムは、南インドのタミル語の歌集(サンガム)にも見られるという大野晋氏の研究がありました。
タミル語と日本語はaiueoを基本母音とすることや文法が似ていて、共通語は稲作に関する用語に多く見られると言います。
ところで、西洋のネズミはチーズが好きで、東洋のネズミはお米を好んで食べているようです。昔話の「ネズミの嫁入り」はインドがルーツで、海のシルクロードを通って稲作の技術と共に日本へ伝承されたものと考えられています。
余談ですが、この「ネズミの嫁入り」はストーリー性に実に富んでおり、以前よりコミュニケーション研修に活用して来ました。何しろ、WHAT疑問文の8W1Hに全て対応しているからです。
152 :千々松 健:2011/01/23(日) 12:38:00
「前の二つの数を加えて次の数にせよ」というフトマニの教えから
前の二つを8にすると、【8,8,16,24,40,64,104・・・】即ち 8×F数列が出来ます。
前の二つを16にすると【16,16,32,48,80,128,208・・・】即ち16×F数列が出来ます。
(F数列はフィボナッチ数列【1.1.2.3.5.8.13・・・】を指します)
記紀の原文であるとされる、フトマニが128首、ミカサフミが64文、ホツマツタヱが40文に見られる数値が全て上記の数列に入っているコトが解ります。フトマニは「カクミハタ」の一部であるとすれば、カクミハタの全体の構成が気になるところです。今後カクミハタフミの残りの部分の発見が期待されます。数値的な推論をすれば、それは256文が存在しそうです。256は128×2の数値であるし、16^2、2^8からも求められます。(もちろん、上記の数列に見られる、80,104,128,208であるやもしれません、、、外れた場合の責任逃れです。)
アラビア数字が実はインド数字であったように、フィボナッチ数列も実はインドに既にあったものでした。それと同じ数の哲理がいにしえのヤマトノクニにも存在していたコトを知るのは、なんと幸いなことでしょう。
153 :千々松 健:2011/01/25(火) 16:36:32
>112 ひたくれない様へ
レオナルド・ダ・ヴィンチ展を観に日比谷公園に行ってきました。最新技術で画像処理した「モナリザ」25の秘密にはあまり興味が持てませんでした。しかし、この絵に込められたレオナルドの意図を推理してみました。
背景画と重ねられた手先がヒントになります。先ず「天地人」として見ると背景の上部が天で下部が地で中央のモナリザが人となります。右上部の湖水から川が流れ出していて地に至ります。左下部から道を昇った先には天があります。右側を生とすると左側は死でしょうか。そのラインはS字型になっていて、降り昇りするのです。それは「ヤコブの螺旋階段」のイメージでしょうか。
その流れを受容するように、中央に3つの円が雪だるま様に重なる輪郭から生じるのがモナリザです。交差した左右の手先と首が円の接点となります。それぞれの円の周囲の歯車が噛み合うようにしてエネルギーが伝わっていき、生命として維持されると言いたいのでしょう。もちろん、そのエネルギーの源はS字状の左上から下に向かって降り、底辺を横切って左に抜けさらに上昇して行く一筋の「チェーン」です。そして、生と死が天に結ばれているコト、死の彼方には「光」があるコトを意味しているのです。彼が死ぬまで手元に置いていた絵であるというのにはこのような意味合いがあったのです。
前から「モナリザ」は観賞していたのですが、今回、彼の手稿にスケッチされたアイディアから造られた多くの実物模型を触ったり見たりして、特に螺旋歯車やボールベアリングに導かれて思い当たったのです。
極端とお思いでしょうが、橋や元々は有った左右の柱、椅子の格子、更には袖のヒダにも歯車の歯が思い浮かびました。そういえば胸元のレースもチェーン模様ですし、髪の毛もウェーブしていますね。
ドガの「エトワール」の絵の中に666をイメージしたノリでのココロミでした。ご笑納ください。
154 :千々松 健:2011/01/26(水) 16:32:31
実はレオナルド・ダ・ヴィンチ展を観てもう一つ印象に残ったものがありました。
それはころ軸受でボールベアリングの基礎となったと言われているものの模型です。
丸いたらい状の中に球体が3つ入っていて、その中心に真上から先の丸い円柱棒が接していて、棒が軸回転しても3つの球体がグルグル回転するだけで、下のたらいは位置を動かさないで済むというものです。球体は4つではバランスが取りにくく3つが良いとのコトです。
これは、動態幾何学の頭の体操になります。いま正4面体の頂点を中心にした四つの球体を考えて下さい。それぞれが同じ大きさで接しているとします。そのうちの1つが頂点から底辺に垂直な軸で回転するとします。他の3個の球体はどうなるでしょうか、ただし球体の中心は不動とします。
全てが接触したままでは摩擦で動きが取れないのですが、他の3個の球体が少し離れた途端にスムーズに回転しだすのです。
155 :千々松 健:2011/01/26(水) 16:35:41
昨夜のNHKBS放送でフレデリック2世が遺したイタリアのデルモンテ城が登場していました。その謎に秘められた建築物は8角形の柱を8隅に持つ正8角形の筒になっていて、2階建てで部屋は16部屋均等にあります。そして螺旋階段があります。もちろん東西南北の方位が意識されていますし、正面入り口のカタチには黄金比が観られると言います。
真上から見ると綺麗な歯車のカタチに見えるのです。・・・何かありそうな予感がします。
156 :千々松 健:2011/01/26(水) 16:43:14
「フトマニ図」の全体は円ですがよく見ると8+8+16+16のように4周の輪となっています。デルモンテ城と似て8とその2倍数に支配されています。賢い建築家がもしもこのフトマニ図を観たらどんな立体構造をイメージするでしょうか。
・・・縄文の時代のフトマニ図様が極東アジアと中央アジア・南アジアと中近東を伝わり、アラビアからシチリア経由で南イタリアにもたらされたと想像するのは楽しいコトではないでしょうか。コトバは伝わらなくともカタチは伝わるのです。考古学の面白さもそのあたりに在るのでしょう。
「魏志倭人伝」などは文字コトバだけの世界ですから、大きな誤解や聞き間違い、人間的な情報戦略に掛かる場合もある訳ですが、よく吟味されたカタチは嘘を付けないはずです。
また、フトマニ図の中心にあるヲシテ文字の「ア」は天を意味して左巻きの渦です。「ワ」は地を意味して右巻きです。これは一つの螺旋階段を天上から見たら左巻きで下がり、地上から見たら右巻きに上ると言うコトです。すなわち鏡面対象なのです。レオナルド・ダ・ヴィンチが鏡面文字で手稿したのも頷けることですね。彼の頭の中には陰陽の世界があり、常に歯車の噛み合った状態であったのでしょう。
157 :千々松 健:2011/01/27(木) 14:45:18
「宇宙から降り注ぐニュートリノが我々の体内を通過するときに螺旋状の渦巻きが起こり、歯車の如く逆方向にエネルギーが発生し、それが生命力となるのではないか」これは昨年の秋にイメージしたコトでした。
これは天なるア(左渦巻き)と地なるワ(右渦巻き)の歯車的合致に相当します。アからワへの方向に流れるニュートリノと、それを地上の我々がアンテナとして受容する場合は、その逆のワからアへの方向の歯車になっていなければならないというわけです。前者を順序とすれば、後者は逆序であり、両方が正確に行われれば秩序が形成されるのです。そして、この秩序の表出が生物であれば「イノチ」であり、無生物であれば「結晶というカタチ」に相当するのではないでしょうか。
158 :千々松 健:2011/01/27(木) 14:47:57
レオナルド・ダ・ヴィンチの描きたかった「モナリザ」がどうやら三日目にして解りました。
・・・彼はモナリザで「タマシイ」を描きたかったのです。
「タマシイ」の原型はフトマニ図(モトアケ)の中央に記された文様(ヲシテ文字のアウワの図象型)がヒントになります。先ず、中心の「ウの図象型」はウツロ・虚ろ・空ろと同じくウツワ(器)を意味しています。
そして、その器の真ん中に二重の円形が描かれていますが、これが天から降ると考えられた「タマ」です。それを囲むようにしているのが、元は三角形のウの字の上部が開いてU字型の器になっている「シイ」です。
Uが母音のウであるのも不思議ですが、タマシイの元の意味はアマから降り注ぐ何か(タマ)を受信して、受容(シイ)するパラボラアンテナのシステムを指していたと考えてよさそうです。
159 :千々松 健:2011/01/27(木) 14:49:19
モナリザの絵の中の黄金分割で一番わかり易いのは、窓の下の部分の高さと両サイドに仕切るように立っている円柱の長さの比で8:13です。これは元々の絵から模写した絵が残っているのでその方がよく判りますが、その方の絵を見れば、U字型がよく見てとれ、「シイ」の器に他ならないコトが想起されるでしょう。
さて、モナリザの背景の描き方に戻ると、向かって右側は上から下への川の流れ、左側は下から上への道筋となっていて、よく知られた通り「貼り合わせ描写」になっていることからしても、アとワの循環すなわち天と地をツナグ、イノチの循環をも描ききっていたのです。中心の「タマ」こそモナリザであり、聖母であり、卑弥呼でもある訳です。
レオナルド・ダ・ヴィンチは、何処で日本古来のフトマニ図を観ていたのでしょうか? もしかすると天才なる故に、実際の目には見えないものを無意識の中で観ていたのかも知れませんね。
160 :千々松 健:2011/01/27(木) 14:51:54
邪馬台国の位置論争は未だに決着をみていないようです。
女王「卑弥呼」が桃の実を器にのせてお供えとし「鬼道」をしたというのは「タマシイ」を活性化する儀式であったと解釈すれば、昨年、奈良盆地の卑弥呼の屋敷ではないかと思われる場所で大量の桃の種が発見された事実は、畿内説の決定打になりそうですね。
161 名前:千々松 健 投稿日: 2011/01/28(金) 11:05:34
さて、モモには「毛毛」や「桃」や「百」があります。卑弥呼がモモを占いに使用していたとしたら「桃」と言う漢字は的を射ているのです。なぜならば木偏と兆の組み合わせが桃ですが、この「兆」とは中国で亀甲文字時代に「貞(き)く」即ち「神に尋ねる」という意味の図象から生れた文字と言われています。(白川静の説)
「兆候」「吉兆を占う」「兆し」と使用されますが、亀の甲羅の裏に書かれた占い文が、炎で加熱されて、再び冷えるときにできる割れ目のカタチを表わしているのが「兆」で、その裂け方によって色々と占っていた訳です。
卑弥呼が祈祷(鬼道?)に桃を使用したのもそれに関連するようです。
そういえば、桃の節句が3月3日と言うのも、孫悟空が桃源郷での不老不死のために1200×3=3600本の桃の実を食べると良いという話も面白いですね。3-6-9のミロク(弥勒)ですから。数字に関係する百がモモになっているヤマトコトバも意義がある訳ですね。それにしても桃から産まれた桃太郎のお伽噺はイメージを掻き立てますね。
さて、モトアケの中心の「ウの図象型」をよく見ると、間脳を刺激するようなカタチをしているコトに気が付かれるコトでしょう。元のウのヲシテ文字は正三角形の中心に点が打たれたものですが、それは見ると又ピラミッドがイメージされてしまいそうです。
162 名前:千々松 健 投稿日: 2011/01/28(金) 22:37:48
ヲシテ文字の母音を示す五態イメージでは「ウ」はホ(ホノオ=火=炎)を意味している三角形をしています。
池田満氏の説明では
「基本:動きそのもののイメージ。熱や光を受けて動いていること。生命の働き」
「語義:動き、変化、移動、大きいもの、果てしないもの、受ける、受けて生じる」
「自制:動いている、進行している、動き続けている」
とされています。
それからすると「ウけて、ウごきつづける」(受けて、動き続ける)の「ウ」と言うことになります。
163 名前:千々松 健 投稿日: 2011/01/28(金) 22:41:43
「ウツロヒ」の解釈は「移ろい」「虚ろい」「映ろい」「写ろい」「空ろ(うつろ)」「洞(うつろ)」「器(うつわ)」と色々とあるようですが、「何かがAからBへ転写しながら伝わり続けるさま」とのイメージでしょうか。
まるでDNAの遺伝子情報がコピーされて次の世代へと連綿と引き継がれていく様子を示唆しているようです。空虚なところへ何かが描き込まれると言うイメージでもあります。それは真っ白なキャンバスに絵を描いて何かの情報を伝えて行こうとしたダ・ヴィンチの意図でもあるのでしょう。モナリサを最高傑作とした由縁です。
それにしてもナポレオンがこの絵を浴室に飾っていたことがあるために絵の状態が損なわれてしまい。更には両側が腐食して柱部分が削り取られてしまったのは誠に残念です。現代の画像処理技術でもって、元の大きさと色彩に近い絵を是非とも再現してほしいものです。
164 名前:千々松 健 投稿日: 2011/01/29(土) 21:57:44
先日「松丸本舗」のワークショップに参加して「カオスとアクシデントを操る数学」2010年に出逢いました。「黄金比はすべてを美しくするか?」を出している早川書房の本です。図が沢山あり読みやすく、中でも第8章「折り紙下手のための折り紙」にヒントを貰いました。
それは和歌の奥義に繋がるやも知れません。
短歌は「折り数え歌」の5-7-5-7-7の31文字で作られるウタです。既に書きましたが、メビウスの輪のように和歌を一列の短冊にして、初めと終わりを「貼り付ける」というのがそれです。折しもモナリザの「貼り合わせ描写」とも重なるのではないでしょうか。ワカは「輪歌」であるし「短冊の歌」の短歌でもあるかもしれません。
先ず、肩幅に合うくらいの48㎝の長さの紙テープを用意して下さい。
端から24㎝目の中心で1回折り返して下さい。そして同じ方向に5回繰り返し折ってみて下さい。それを広げると1.5㎝幅で32列の枠ができます。
次に、両端の枠を左右の手持ち、絞るように捻じらせながら1列目と32列目を糊付けします。
すると31文字が書けて、しかも終わりがないように続くメビウス様の輪歌が誕生するのです。もしも真逆に読めるとしたら、それは回り歌(回文)と呼ばれることになります。
そして、1回目の折り返し地点に当たる16列目の文字が和歌の中央となり、キーワードになる可能性が高いのです。
まさに言葉通りの「オリカゾエウタ」の面白さが和歌の数学的な楽しみ方なのかも知れませんね。
165 名前:千々松 健 投稿日: 2011/02/04(金) 11:34:19
イタリア文化遺産委員会のビンチェッティ委員長が「モナリザ」のモデルはレオナルド・ダ・ヴィンチの弟子のサライではないかとの検証結果を公表した。目の中に極小文字で左右にLとSが書き込まれている点やサライをモデルにしたと判明している他の絵との共通点を総合した見解としている。これでは同性愛を強調しているコトになってしまう。
パリに在る絵をローマがどうにかして取り戻したい気持は分かるが、これは如何なものであろうか?
「モナリザ 25の秘密」にしても、個々の「モノ」レベル世界での議論になっているのは残念である。
モナリザが描きたかったのは単なるモノではなくコトであったはず、しかも高尚なレベルでです。
「モナリザの本質」は次の三つであると思います。
1)黄金分割の美
2)タマシイ(生と死の連環)
3)螺旋(歯車/波動)が宇宙を統べていること
歴史上偉大な人物の遺した「モノ」から現代の我々が発見すべき事柄は、まさにこのような「コト」なのです。
竹内薫氏が言うように「コトとは意味のネットワークの全体的はつながりこそが本質であることに気づいたときに見える世界」だからです。
<竹内薫はコトとモノの区分を以下のように説明しています。(再掲)>
『モノ:意味のネットワークの一つの「交叉点」(=ノード)だけに注目したときに見える世界
コト:意味のネットワークの全体的な「つながり」こそが本質であることに気づいたときに見える世界』
そして彼は『モノは固定的で狭い思考法であり、コトは流動的で広い思考法』
166 名前:千々松 健 投稿日: 2011/02/09(水) 21:35:18
「幾何学で迫る究極理論」-宇宙が秘める図像-
日経サイエンスの3月号に上記のタイトルで、A.G.Lisiの「E8理論」が紹介されています。
http://www.nikkei-science.com/page/magazine/1103/201103_050.html
サーファーでフリーの科学者であるリージのこの理論は最新の「万物理論」として注目されているようです。
トライアリティと呼ばれる対称性や相互関係のパターンを下記サイトの動画で見ることができ、6角形や12角形や30角形に変容する姿は感動的で美しいと思う。
http://en.wikipedia.org/wiki/An_Exceptionally_Simple_Theory_of_Everything
167 名前:千々松 健 投稿日: 2011/02/09(水) 22:45:10
>166
もしも、首藤尚丈氏が生きておられたら、この「E8理論」を強烈に支持されるか、反論されるか、それを補足する理論を直ぐに展開されるか、といった三つのケースがあると思います。いまではそれが叶わずに残念です。
そういえば、首藤尚丈氏は「モナリザを解く」という本を書いていたようですので、数学者のアプローチを覗いてみることにします。
168 名前:千々松 健 投稿日: 2011/02/11(金) 20:55:52
松岡正剛氏は『空海の夢』で、古代インドのヴェーダに伝わるアスラがやがて古代イランの最高神アフラとなり、後にゾロアスター教のアフラ=マツダとなり、そして大日如来になった由来を説明している。
ピタゴラスもヴェーダ思想を知っていたに違いないし、エニアグラムが見つかったアフガニスタンやパキスタン周辺には古代の智慧が未だに眠って居るのかも知れない。この地域が現在イスラム体制となっていて「パックス・アメリカーナ」が試練に立たされているのは不思議な縁かもしれない。
169 名前:千々松 健 投稿日: 2011/02/11(金) 20:59:27
ウズベキスタン共和国の大統領の表敬を受けた後に、天皇陛下は東大付属病院へ精密検査に入られ、心筋に動脈硬化が見つかり、薬剤での治療をするという。
ウズベキスタンと言えばキルギスに接したシルクロードの中心であり、東西文化交流の大動脈にある。またアフガニスタンにも国境を接している重要な地域で、唐の末期にあったタラス河畔の戦いが切っ掛けでサマルカンドに製紙工場が造られたという歴史も思い出される。
170 名前:千々松 健 投稿日: 2011/02/14(月) 21:01:54
首藤尚丈氏の「モナリザを解く」を読んで、、、その1
そこに登場する数字の基本となるものは二つの系統でした。一つは「ウィトルウィウス的人体図」の正方形の一辺の長さの144mmで、もう一つはギザの第一ピラミッドの傾斜角度51.84度の数値です。
この144と5184に共通するコトは9で割り切れることです。従って、それから派生する倍数はすべて綺麗に9で割れてしまうのです。すなわち合同式では≡0(mod 9)となるのです。例えば、1728、10368、3456、6912、432、576、1008、15552など登場する数は、カバラ算術やひふみ算のように桁に関係なく数値を足すと9か18になり、それを9で割ると余りは0になるコトが解ります。
また、144と言う数字はフィボナッチ数列の第12項目の数値であり、12^2と二乗数になるという特徴や、フィボナッチ数列ではmod9で最初にゼロとなる数値です。それに円の360度を5等分した72度の倍の数値に相当します。さらに自然界では、鳥インフルエンザがまた心配されていますが、そのウィルスの種類の理論値は2^4×3^2=144種と言われているのです。
171 名前:千々松 健 投稿日: 2011/02/14(月) 21:04:35
首藤尚丈氏の「モナリザを解く」を読んで、、、その2
クフ王のピラミッド設計者は黄金比もフィボナッチ数列も既にひそかに認識していたはずです。ナポレオンがエジプト遠征時に多数の数学者をピラミッドの謎の解明のために同行させていたというのは興味深いコトでした。そして、レオナルド・ダ・ヴィンチの「モナリザ」を寝室(浴室の説も有り)に置いていたというのも、そういった秘密を知りたい、秘密が取り敢えず判らなくても何か自分を守っていてくれそうであるというコトは認知していたのでしょう。
またダ・ヴィンチが鏡文字を好んで書いていたコトを想えば、首藤尚丈氏が鏡を絵の上に立てて解明した手法はまさに「コロンブスの卵」ですね。
172 名前:千々松 健 投稿日: 2011/02/14(月) 21:12:36
首藤尚丈氏の「モナリザを解く」を読んで、、、その3
オイラーの多面体定理:【頂点の数-辺の数+面の数=2】V-E+F=2
シュトーレンの関係式:≪V-E+F=2N ≫
N=【-13,-3,0,1,2,5,14】でNが1の時オイラーの定理となる。<首藤尚丈>
このシュトーレン数列は差に注目すると3^nが見られ、更に前後に拡大すると
N’=【-363,-120,-39,-12,-3,0,1,2,5,14,41,122,365】が得られます。
3^0を1と考えて中心にし、左右に3^nを漸次に加減していけば出来上がります。
すると1を中心にして左右を折り返して重なった数同士を足すとすべて2となります。例えば、両端同士は365-363=2です。
首藤尚丈氏は「最後の晩餐」の絵にこの数列をイメージされていたようです。0が洗礼者ヨハネ、1はイエス・キリストです。1を中心に両サイドに12人の弟子が列席していると言うわけです。列席は数列の列に通じるのですね。
この「3^n」の視点は、ダンテの神曲は3のオンパレードであるし、三位一体にも3が重要視されていて、スーフィーの踊りが3拍子であるコトに低通しているコトのように思われてなりません。
173 名前:藤原肇 投稿日: 2011/02/15(火) 16:27:59
五日前に東京に戻りましたが、血圧が日中は140代だが起床時に200になり、電磁波障害がひどいためにコンピュータはご法度で、気になりながらもご無沙汰しています。
今日の夜に羽田からバンコクへ飛ぶ前にメールと掲示板をチェックしました。以下は171)へのヒントです
チェックのためにシャンボールに行きクルーの館のダ・ヴィンチの寝室を調べたら、モナリザの絵はベッドの脇にあったと分かりましたので連絡まで。
174 名前:千々松 健 投稿日: 2011/02/15(火) 22:51:06
>173 藤原肇博士のご連絡に感謝いたします。
レオナルド・ダ・ヴィンチは晩年にはイタリアを離れ、「モナリザ」と「洗礼者聖ヨハネ」と「聖アンナと聖母子」の三つの絵を携えて、フランソワ1世の庇護のもとロワール渓谷のアンボワーズ城近くクル―の館に住んでいました。そのクル―の館内では「モナリザ」の絵はレオナルドの寝室に飾られていた居たというコトですね。
彼の死後、骨はアンボワーズ城に、その夢はやがてシャンポール城に具現化され、モナリザ他の絵はパリのフォンテーヌブロー城へと移されていました。そこで、ナポレオンが皇帝の時には寝室か執務室(小寝室)にそれを飾っていたようです。また、ナポレオンはバスタブに入るのが好きだったようですから、蒸気にさらされることもあったに違いなく、ポプラ板に描かれた絵具にとっては決して良い環境ではなかったのでしょう。
さて、折角ヒントを頂いたのでその解明をしないといけませんが、それは次回とさせていただきます。
175 名前:千々松 健 投稿日: 2011/02/16(水) 18:29:04
「シャンポール城」はレオナルド・ダ・ヴィンチの死後、彼の考えを尊重してフランソワ1世がイタリア人の建築家に造らせた記念碑的な城です。黄金比の多用、二重螺旋階段、暖炉につながり煙突を兼ねる尖塔が365本と言うのは前に確認した通りですが、今回は、拡大シュトーレン数列の最後に登場する数の365がその尖塔の数と一致するコトに気がつきました。
N’=【-363,-120,-39,-12,-3,0,1,2,5,14,41,122,365】(シュトーレン数列の拡大版)
「モナリザを解く」の補遺3にヒントがあるように、これは「最後の晩餐」のキリストと12人の弟子に該当する数列です。1年が365日であるという天文学的な意味とは別の意味がありそうです。
ギリシャのアレクサンドリア学派最後の数学・天文学者であるテオンの数列というのは、まさにこのN'数列ではないかと推理します。彼は60進法を使って平方根の近似値を計算しているので、ダ・ヴィンチが自らの葬儀に60人の貧乏人に60本の松明を持たせて参列させ、4つの教会に分けてほしいと遺言したのは【テオンの数列】を思い起こさせるようにとの示唆であったのでしょう。また独特な遠近法(パースペクティブ)が集中と拡散を示すのみではなく、プラス方向とマイナス方向に鏡面相対するというイメージを引き出すのです。そして、N’数列の左側部分のマイナス数【-363,-120,-39,-12,-3,0,】は3の倍数であり、全て≡3(mod9)になっています。3^nを巧みに使ったレオナルドは「自分の芸術を真に理解できるのは数学者だけである」という言葉を残しているそうですが。多分このコトもその一つではなかったかと理解します。
176 名前:千々松 健 投稿日: 2011/02/20(日) 12:40:38
三角法により地球と月の距離を測り、歳差現象から太陽年を365日5時間55分12秒と正確に計算した天文学者ヒッパルコスはBC150年頃アレクサンドリアに居た。
またAD365年7月21日に東地中海地方に起きた地震と津波でアレクサンドリア図書館は被害を受け、その後は人為的にも破壊されてしまうことになる。テオンはその最後の館長であった。彼はユークリッドの「原論」の編纂をしたことでも名を残している。
娘のヒュパティアは優秀な数学者・天文学者・新プラトン哲学者であったが虐殺されてしまう。3月に公開される「アレクサンドリア」というスペイン映画はその悲劇のヒパティアを描いたものなので是非観たいと思う。
ところで、今回のエジプト革命での死者数は365人と発表されているが、365日、365年、365人という365づくしは全くの偶然であろうか?
177 名前:千々松 健 投稿日: 2011/03/02(水) 21:12:04
レオナルド・ダ・ヴィンチの「洗礼者聖ヨハネ」と弟子のサライが完成させたと思われる「バッカス」を比較すると面白いコトが判明します。
首藤尚丈氏の手法を使って、両方の画のヨハネの顔の中央に鏡を置いてよく観ると、向かって左側は女性の顔で、右側は男性の顔に見えてくるのです。またバッカスの方の裸体を観察すると、男の様な女の様な区別のつかない描き方になっています。
そして「最後に晩餐」のヨハネの顔は完全に女性にしか見えないのです。これに「モナリザ」を加えると、バッカスは男女半々、洗礼者聖ヨハネは多少男性化、モナリザは多少女性化、そして最後の晩餐は女性として描かれているのです。
最後の晩餐の数列の解析でイエスが1でヨハネが0を表わしているとすれば、0はニュートラル即ち中性なのです。従って、時には男に時には女に時には中性に変容しても問題はないのですね。そういえば陰陽の基本は男女の性の区別に始まるのでしょうから。
178 名前:千々松 健 投稿日: 2011/03/03(木) 14:48:49
<ギリシャ時代の神殿にフィボナッチ数列を探る>
南イタリアのパエストゥム(Paestum)遺跡に立つネプチューン神殿(第二ヘラ神殿)をWeb上にて探りました。紀元前5世紀の中ごろに建てられ屋根は落ちてしまっていますが、よく保存されています。柱の数を確認すると正面は6本、側面は14本、内部構造は壁も数えると入り口は4本、コア部分は9本となっています。従って人が通る空間(間口)としては、それぞれ5,13,3,8の数となり、これらを並び替えると3,5,8,13となり、何とよく知られたフィボナッチ数が現れて来るのです。・・・これは一つの驚きでした。
同時代に建築されたアテネのアクロポリスの丘のパルテノン神殿とシチリアのアグリジェンドにあるコンコルディア神殿を含めて三大神殿と言うそうですが、同様に間口で比較すると前者は7:16、後者は5:12でネプチューン神殿のような5:13の数値は見当たりません。パルテノン神殿は内部構造についてもフィボナッチ数は見られませんでした。正面の黄金比ばかりが有名ですが、それは偶然としか思えなくなりました。
ネプチューン神殿こそがフィボナッチ数列と黄金比を語るに相応しい世界遺産であると思わされました。
179 名前:千々松 健 投稿日: 2011/03/07(月) 15:43:21
デルモンテ城の正面写真を見て1:Φ:Φ^2の比率が見られるといいましたが、再度復習します。
フィボナッチ数列から黄金比が発生しますが、その黄金比そのものを累乗して行くと数値的にはリュカ数列が現れます。そして内部構造式には狭義のフィボナッチ数列が見られます。それは初項が1で、第二項がΦの場合の広義のフィボナッチ数列に帰着するのです。(黄金比Φ≒1.618)
Φ^0、Φ^1、Φ^2、Φ^3、Φ^4、Φ^5、Φ^6、Φ^7、Φ^8、Φ^9 即ち
1、1.618、2.618、4.236、6.854、11.090、17.9、29、47、76
≒2,1,3,4,7,11,18,29,47,76、初期項目は不一致ですが項目を上げて行くとほぼ一致して来るのです。
また、内部構造式には
Φ^1=1
Φ^2=Φ^1+1
Φ^3=Φ^1+2
Φ^4=Φ^2+3
Φ^5=Φ^3+5
Φ^6=Φ^5+8
となり1,1,2,3,5,8,13、の狭義のフィボナッツ数列が並びます。
180 名前:千々松 健 投稿日: 2011/03/07(月) 15:51:29
広義のフィボナッチ数列を以降は「フトマニ数列群」と呼ぶことにしたいと思います。
このフトマニ数列群を(mod 9)で処理すると、全てが4つの系列に整理できます。
F系列【1,1,2,3,5,8,4,3,7,1,8,0,8,8,7,6,4,1,5,6,2,8,1,0】1,1,2,3、、
L系列【1,3,4,7,2,0,2,2,4,6,1,7,8,6,5,2,7,0,7,7,5,3,8,2】1,3,4、、
K系列【3,3,6,0,6,6,3,0】3,3,6、、
M系列【1,4,5,0,5,5,1,6,7,4,2,6,8,5,4,0,4,4,8,3,2,5,7,3】1,4,5、、
(Fはフィボナッチ、Lはリュカ、Kはケン、Mはミチコに因んだ命名です)
24項目ないし8項目のチェーンです。
終わりと初めは繋がっていますから本来は何処からスタートしても良いのです。
それぞれが「0」に依り前半と後半が別れていますが、それは陰と陽の関係に在り、重ねて足すと9となるので0になります。
日本では古くから「フトマニは大宇宙の法則であり秩序である」と言い伝えられているようです。
181 名前:千々松 健 投稿日: 2011/03/15(火) 16:06:25
寺田寅彦は「天災は忘れたころに遣って来る」という名言を残したと言われています。
「気象庁地磁気観測所」は彼が移転先に推薦した筑波の山々に囲まれた村岡に今でも在り、古い建物を使用して地味な観測が行われています。地軸が動いていると言う感覚はなかなかにしてイメージできないが、日本海溝と日本列島の位置関係からする地震と津波の天災に見舞われる運命に日本が在るコトを思い知らされたのが3月11日の東日本大震災です。
津波(TSUNAMI)が国際語になっているのは驚くに値しないが。地震多発の国で、しかも海岸線に接して原子力発電所が造られているという現実には海外の人々は驚くに違いない。福島第一原発事故には、いち早くフランスや米国が敏感な反応をしています。
それにしても「K-19」というソ連の原子力潜水艦事故を題材にした映画が思い出されます。メルトダウンを止めるための決死のリカバリー作業とハリソン・フォードが扮した艦長のリーダーシップが印象に残りました。また副官の“Don't order them captain, ask them.”というコトバが最後に艦長を回心させ、助かると言う史実に沿った米国映画でした。
3月15日現在、事態は未だ進行中ですが、放射能に因る被害が最小限に抑えられるように只々祈ります。
182 名前:千々松 健 投稿日: 2011/03/16(水) 18:20:38
>77に関連して
「KOTOBA」という季刊雑誌が集英社から出ていますが、その第3号にダライ・ラマ法王14世と茂木健一郎の対談が載りました。サブタイトルには<人間の脳と幸せを科学する>とあります。
その中で一番のヒントは、茂木:「たぶん、近代科学は、たとえば素粒子のような個々の事象レベルで研究することにこだわりすぎているのかもしれません。一方、仏教哲学においては、おそらくその逆であるように思います。つまり、私たち科学者の方法論のように、最初に個々の事象レベルについて探求し、次に相互関連性をみいだしていくのではなく、むしろ、個々の事象が相互の関連性を通じて登場してくるような見方です。」
これは、個から全体の方向を「順序」とすると、全体から個の方向を「逆序」と呼ぶことによって「順序+逆序=秩序」であるという考え方に一致します。これからの科学者は「逆序」にも注目して行かなければならないと言うコトですね。
183 名前:千々松 健 投稿日: 2011/03/16(水) 20:20:55
その「逆序」とは“バタフライ効果”の逆を考えると良いし、逆行列の考え方でもあります。それはまた、フォボナッチ数列が黄金比になるという見方(順序)ではなく、黄金比になるものは全て「フトマニ数列群」(拡大フィボナッチ数列)になるという見方です。
例えば、初項と第二項の差異という個々の事象は、実のところ相互の関連性を通じて登場するものであるのです。時間的要素を含んだ全体性の中で観察すると差異は殆んど無くなって見えるが、原初の空間的要素を含んだ個別性の中で観察すると大いなる差異が見られるというのがフィボナッチ数列の特徴だからです。
【1,1,2,3,5,8,13,21,34,55,89,144,233,377、、】377/233≒1.618≒Φ、しかし、1/1=1 という点に見られます。
そして、ここからが重要なのですが、「フトマニ数列群」は数論で言う「モジュラー算術」で観察する手法を採り入れることによって「順序+逆序=秩序」をうまく捉える事が出来るというコトです。無限を有限に閉じ込めて、更に循環性を持たせるという手品のようなコトが可能になるからです。
184 名前:千々松 健 投稿日: 2011/03/18(金) 17:32:12
建設中の東京スカイツリーが本日634mの高さに到達したという明るいニュースが入った。634とはムサシ=武蔵国に因んだ語呂合わせである。
ムサシはその昔は「関東」の代名詞であったようでホツマツタヱのホツマの意味に通じるように思われる。関東平野の中心にそびえる電波塔に相応しいかも知れない。
今回の東北関東巨大地震で先輩格の東京タワーの方は先端部分が若干曲がってしまったが、こちらは異常がなかったようでホッとした。地震・津波・原発,,,と暗い世相の中、2012年春の開業に向けて希望の明りとなってほしい。
185 名前:千々松 健 投稿日: 2011/03/22(火) 14:20:19
音楽の世界では1オクターブ(波長比が1:2)を5や7や12で、ほぼ平均して分けて音律がつくられています。
数字の5と7が含まれているのは面白いと思う、それは和歌の5-7調に通じるのかもしれない。
また、主流の西洋音楽ではバッハの平均律によって12音階が長調と短調を合わせた24調律による転調を可能にしている。そして、この12と言う数字も5+7=12です。
それは、フィボナッチ数列を拡大した「フトマニ数列群」をmod 9で処理して現れる「FLKM系列」が24項目(Kのみ8項目)であり、半分の12項目が陰で、他の半分の12項目が陽である状態と大変良く似ています。もちろん短調12調が陰の12項目で、長調12調が陽の12項目に相当すると考えてよいでしょう。
ピタゴラス音律との比較は省略するとして、音すなわち波長は「数」であり、共振するためには周波数が何処かで一致したり、近似したりするコトが大切であるし、ハーモニーとして気持ち良く感じるのは聴覚と脳に、それを受け止めるシステムが備わっているからでしょうか。それも完全なデジタル的一致ではなく、不完全なアナログ的一致で済むのが自然のありさまのようです。それは「許容範囲」があると言ったらよいのかもしれません。
「小異を捨て、大道に就く」の教えかも知れません。
186 名前:千々松 健 投稿日: 2011/03/22(火) 14:40:47
>185「小異を捨てて、大道に就く」は修正します。
先ず、大道は大同の入力ミスです。済みませんでした。
また、出典となる中国の故事では「求大同、存小異」ですから
「小異を残して、大同に就く」が正確な翻訳なのでした。
187 名前:千々松 健 投稿日: 2011/03/22(火) 23:04:12
「グリーフ(悲嘆)・ケア」の専門家である上智大グリーフケア研究所の高木慶子所長は、阪神大震災での経験を踏まえて、東日本大震災の『被災者は悲しみを一人で背負わず、周りの人たちに支えられることが重要と指摘。「つらさや不安を抱え込まず、表に出してほしい。書いたり、歌ったり、絵を描いたり、手段は何でもかまわない」と呼びかけている。』というニュースを知った。
その「絵を描いたり、書いたり」はまさに日記を書くイメージだ。自分から外に意思表現をして、それを周りの人も見ていてあげられるという「自分日記カルテ」のようなものにすれば、より良いのではないだろうか。
そうだ、ちょうど良い「鎌倉ノート」があるではないか! 絵日記を左に90度倒したようで、左ページに絵を描き、右ページに文章を書くようにデザインしたものだから、それを活用すれば良いではないか。
人の深い悲しみが癒やされる為には何が大切かを考えれば、人間が内側から生きがいを感じ、創造性を少しでも出せるコトであるし、周りの人に少しでも情報を発信するコトなのだから。誰もが小学生のころ夏休みの絵日記を書いて、先生に赤い丸を沢山もらって嬉しかったことを覚えているのではないでしょうか。
188 名前:千々松 健 投稿日: 2011/03/27(日) 22:56:13
>175 「アレクサンドリア(スペイン映画原題:AGORA)」を丸の内ピカデリーにて観ました。
シュトーレン数列はテオン数列と同じらしいので、テオンという人物について興味が湧き調べたら、古代ローマ時代のアレクサンドリア図書館の最後の館長であったこと、またその娘のヒュパティアは優秀な天文学者であり、ちょうど彼女を主人公にしたAGORAが日本で上映されるというので期待をしていた。
ヒュパティアは地球が太陽の周りをまわっているコト、円ではなく楕円を描いているらしいコトに気づいたが、その矢先に「魔女」扱いされて殺されてしまうという悲劇として描かれていた。
映画の中で2ヶ所だけ「数」について触れられていて、テオンの登場する場面で「226は14である」、3つのダイスが6・6・6と出た時に「3は出てこなかったのか」という台詞がありました。
これを、私なりに解釈すると、226は2246であり2+2+4+6=14で14のなるというのでしょう。この2,2,4,6は1,1,2,3というフィボナッチ数列の倍数に相当します。もう一つの「666」は前にも述べましたが、ヨハネ黙示録にいう人間を象徴しているのです。また「3は出てこなかったのか」というテオンの落胆とも聞こえるコトバの意味するところは何でしょうか?
それは1を初項にして3^nを加算して行く数列【-13,-3,0,1,2,5,14】がイメージされていたに違いないのです。それがテオン数列であるし首藤尚丈氏のシュトーレン数列であるわけです。もちろん三位一体としての3の数字でもあるのですが。
189 名前:千々松 健 投稿日: 2011/03/29(火) 13:21:06
イタリアはチェルノブイリ原発事故以降この20年間、原発なしで過ごして来ている。再開発の声も上っていたが、今回のフクシマ原発事故以降はそれも消されるであろう。イタリアは先進国で原発を放棄した国として歴史に刻まれるコトになろう。では、なぜにイタリアなのか、やはりヴァチカンの存在が大きいのであろう。そもそもが「原子力発電所」の科学技術は未成熟であったにもかかわらず、神や自然を畏れない人間の傲慢さがここまで事態を進行させてしまったと考えるからだ。
ヒロシマ・ナガサキの被爆国である日本が、今度は放射能を海と空に大量放出して、地球を汚染する加害者となる姿は何という悲劇であろう。そのような運命が定められていたのであろうかと唖然となる。
千年に一度の自然災害はある意味では諦められるが、原発の10年単位の人的災害は決してあきらめるわけにはいかない。安全対策とリスク管理と抜本的な解決策が望まれる。
190 名前:千々松 健 投稿日: 2011/03/29(火) 13:22:43
「情報の共有」が問題点となっているので、例の情報の4段階論を思いだした。
第1レベル:データそのもの
第2レベル:いわゆる情報レベル
第3レベル:ナレッジレベル
第4レベル:インテリジェンスレベル
第1レベルの段階の情報すなわちデータの伝達(共有)さえあれば、第2レベル以降はそれなりにレベルアップして行くものなのに、元のデータを故意に隠し、無かったものにしてしまうとすれば自分の首を絞めるだけである。他者の助言なり、具体的な支援を受けようにも良い策が選択できない羽目になる。
そもそもデータを取っていない。または災害のため取れない状態になってしまったとしたら、別の手段や方法を至急に取るべくリスク管理そのものが問われてしまうコトになる。
データは情報レベルになり、過去の事例や将来予測との関係等でナレッジレベルになり、さらに政治・社会・国際関係でインテリジェンスレベルに変化して行くという状況が今回の福島第一原発の事故では如実に示された。情報隠蔽は長期的に観れば「滅びへの道」の選択でしかないと思う。
191 名前:千々松 健 投稿日: 2011/03/29(火) 22:34:31
>175 の補足として
アレクサンドリア学派のテオンが考えていたであろう数列について、首藤尚丈氏のシュトーレン数列から類推してみました。N^m に関する数列でNが3の乗数に注目して、増減する数列が観察できます。そしてNを1の乗数にすれば、自然数そのものになるコトも解ります。
下記のように、オイラーの多面体定理はシュトーレンの関係式の内でNが1の場合に相当する訳ですが、多分上記の自然数の数列に相当するのでしょう。そして、1を中心にして鏡面対称の数値を足すと常に2となるのも不思議です。もしやオイラーの多面体定理の数値部分=2に関係するのかも知れません。
『 オイラーの多面体定理
【頂点の数-辺の数+面の数=2】V-E+F=2
シュトーレンの関係式
≪V-E+F=2N ≫
N=【-12,-3,0,1,2,5,14】Nが1の場合にオイラーの定理となる。<首藤尚丈>』
192 名前:千々松 健 投稿日: 2011/04/06(水) 16:41:55
:老子道徳経25章「人法地、地法天、天法道、道法自然」
「人は地に法り、地は天に法り、天は道に法り、道は自然に法る」
法る(のっとる)は規範、手本、則の意味であり、道は天地万物を造化するエネルギーで「自ずからそうなる」(自然=じねん)という生成力を備えているという意味ですから、ここに言う「道」は現代風に言えば「自己組織化能力」と言えるでしょう。
:老子道徳経42章「道生一 一生二 二生三 三生萬物。 萬物負陰而抱陽 冲氣以爲和。」
「道は一を生じ、一は二を生じ、二は三を生じ、三は万物を生ず。万物は陰を負いて陽を抱き、冲気もって和をなす。」
空すなわち0より1が生まれ、1より陽(天)と陰(地)の2つが生まれ、陰陽和合し冲気が加わって、万物(3)が生まれると解釈すれば、【0,1,1,2,3、、】のフィボナッチ数列が想起されます。また「冲(ちゅう)気」は「弁証法」がイメージされ「正・反・合」の弁証法的な調和の姿が「道」の本質にみえてきます。
そして興味深いのは「道」を空=0と考えるコトです。そして3の二乗である9の数字が0に置き換わる「mod 9すなわち9を法とするモジュラー算術」の操作こそが、自然(じねん)の循環性に通じる道なのです。この「9を法とする」の表現は「法る」に同じく法と言う字が使用されているのも何かの縁を感じます。
例の21世紀マンダラの中身である「神聖方陣」と「螺旋モデル」を思い出していただけると良いのですが、「道生一 一生二 二生三 三生萬物」は神聖方陣に通じ「萬物負陰而抱陽冲氣以爲和」は螺旋モデルに通じます。そして「和」は輪で螺旋を描いています。まさに『万物は数である』の如く、自然のルールには数字<数列<系列が隠されているのです。フィボナッチ数列群をmod 9で処理して出現する「FLKM系列」はその有力候補であると考えて良いでしょう。
193 名前:千々松 健 投稿日: 2011/04/27(水) 13:32:30
ブリューゲルの描いた「バベルの塔」をNHKTV(2003年の再放送)で先日見ました。
以前は、緩やかな螺旋を描いて左回りに天に伸びている塔のカタチばかりに気を取られていたのですが、今回は原発事故を経験したコトと重なり、これはまさにチェルノブイリ原発の石棺であり、スリーマイル島の原発であり、フクシマⅠの原発をも暗示しているのではないかと直観しました。
それは神をも畏れぬ人間の傲慢さがもたらす悲劇というテーマなのですから。
194 名前:千々松 健 投稿日: 2011/05/29(日) 12:35:16
耐震構造建築物の研究は進んでいるのに比べて、津波に強い建築物の研究はどうなっているのでしょうか?
今回の東日本大震災では1階が抜けているピロティー形式の建物に比較的被害が少なかったことは判明しているようです。これは古くからある「高床式家屋」に繋がるのでしょう。ただしこのピロティー形式は原子炉建屋等には不向きです。
例の●▲■の違いから津波に強いカタチを考えてみました。やはり富士山のようなコニーデ型の円錐が良さそうです。海底から火山が噴き出して、やがて海面上に出て、陸地となる過程をイメージしても、潮の流れ津波の影響を受けても比較的安定に形成されるカタチであるようです。そこでピラミッドと富士山をカサネて観察するのは面白いと思いました。人工物のピラミッドは黄金比になっています。富士山も最初は黄金比であったのかもしれませんが、風雪に因って形が崩れて多少平らになってしまったのではないでしょうか。
そう言えば縄文時代の竪穴式住居は雨や風雪に耐える構造であったのです。そして、円錐形が四角錐形になり寄棟式の屋根を持つ箱型になったりした訳ですが、竪穴式の屋根部分は切妻でしかもオーバートップしていて風雪を避けながら空調に良い構造になっていたようです。
いずれにしろ「津波に強いカタチは黄金比を持つ円錐形又はピラミッド形となる」のではないでしょうか。そして、何故に黄金比が出てくるのかは専門の研究者の課題になるコトでしょう。
195 名前:千々松 健 投稿日: 2011/05/30(月) 22:28:54
「ユークリッド原論」を編纂したコトでも知られるアレクサンドリア図書館長のテオンが考えていた数列と言われている3^n を内包した【 0,1,2,5,14,41,122,365 】について再考しました。
今回は(mod 9)で分析すると【0,1,2,3,5】の5種類のフィボナッチ数が現れるコトが解りました。
テオンの数列については「モナリザを解く」という首藤尚丈氏の著書で教えられました。シュトーレンで有名ですが既に故人となられてしまい残念です。天まで届け!
196 名前:千々松 健 投稿日: 2011/06/07(火) 10:45:39
●▲■のカタチを其々に縦の中心軸で回転させてできる球:円錐:円柱の体積の比は良く知られた2:1:3です。
その比率を数列化した2,1,3からは【2,1,3,4,7,11,18,,】というリュカ数列が生じます。そこで、順序を整えて▲●■の1:2:3にすると実は【0,1,1,2,3,5,8,13,,】のフィボナッチ数列が生じます。
更に【1,4,5,9,14,23,37,60,97,157,,】をミチコ数列と定義し、それをmod9で処理すると 【1,4,5,0,5,5,1,6,7,4,2,6,8,5,4,0,4,4,8,3,2,5,7,3】のM系列が生じます。また、フィボナッチ数列を3倍した【0,3,3,6,9,15,24,39,,】をケン数列と定義し、やはりmod9で処理すると【0,3,3,6,0,6,6,3】のK系列が得られます。(ここまでは「FLKM系列」のおさらいです)
ところで【地・水・火・風・空】の五輪塔を中心軸で回転させたカタチをイメージすると、下から■●▲の上に半球形と紡錘形が乗っています。半球形は球体の二分の一ですから円錐の体積の1に一致します。空に相当する紡錘形は半球形に円柱と円錐形が1:1:1の等分で合体したカタチとして見れば3になります。従って下からカウントすれば、3:2:1:1:3になります。
三重塔と五重塔の違いは、前者がフィボナッチ系列レベル、後者がリュカ系列レベル、そして九重塔以上はミチコ&ケン系列レベルと考えてみるのも面白いかも知れませんね。
197 名前:千々松 健 投稿日: 2011/06/07(火) 22:37:17
五輪塔をその投影図の「□・○・△・半円・紡錘形」のカタチから特異点を読み取ると「4・0・3・2・1」となり、0,1,2,3,4の数字が綺麗に揃うコトになる。
半円は基本形である○△□の変容で、紡錘形はそれら三つの統合であると解釈できるが、その塔の最上部にある「空(くう)」はまさに空から降ってくる雨粒の様な紡錘形をしているのは面白い。
逆に辿って行けば天に届くと考えて、お墓の卒塔婆の先端が五輪塔に刻まれているのは、きっと意味があるのだろう。
198 名前:千々松 健 投稿日: 2011/07/08(金) 23:49:01
張錦春氏の【宇宙一体化の動態幾何学】である『MACOCAM』はOを中心にした回文でした。テオンの数列中央部の【-12,-3,0,1,2,5,14】に注目して(mod 9)処理すると現れる【-3,-3,0,1,2,5,5】は1を中心にした回文にみえませんか。左右の対称の位置同士を足すと必ず2となる性質を持っていますから、それを織り込んで考えるのです。
すると【オイラーの多面体定理:頂点の数+面の数-辺の数=2】に現れる2という数に関連するのではないでしょうか。そして、多面体定理と動態幾何学は物質の構造や生命体の構造やDNAの二重らせん構造を想起させるのです。
フィボナッチ数列とテオン数列の融合の中にメタサイエンスの新たな展開が起きるかも知れません。
199 名前:千々松 健 投稿日: 2011/07/09(土) 21:36:31
<インテリジェンスの収斂と慧智を求める旅路>のレスがスタートした。
「人生旅路遠けれど」(旧制福岡高等学校寮歌)のタイトルの様にまさに人生は旅路に喩えられよう。
そして、人生の分岐点は思わぬところに発生する。病気、大震災、友の死など、どうもマイナスのイメージが付きまとうが、プラスの場合も有り得ないではないと思う。
藤原肇博士の今回の分岐点は「断捨離(ダンシャリ)」の良い機会になるやもしれません。
拡散する方向から、収斂する方向へと舵が取られれば、濃度は自然と高くなり、真に有益な情報発信のベースとなりえましょう。
今回、シンクロニティを感じていますのはレス時間のコトです。
下記の如くに、ほぼ同時刻の23時49分にアップされていますのは驚きです。
<インテリジェンス収斂と慧智を求める旅路>
1 名前:藤原肇 投稿日: 2011/07/08(金) 23:49:36
<モノとコトあるいはカタチとコトバ>
198 名前:千々松 健 投稿日: 2011/07/08(金) 23:49:01
200 名前:藤原肇 投稿日: 2011/07/09(土) 22:46:59
いやあ驚きました。
私は「インテリジェンスの修練と慧智を求める旅路」と書いたつもりで、修練という文字を漢字転換するのを忘れてシマッタと思っていたら、それを<インテリジェンスの収斂と慧智を求める旅路>と読み替えた人が登場したので、その発想のすばらしさに思わず唸りました。
なるほど<インテリジェンス収斂と慧智を求める旅路>の方が素晴らしく、それに気づかなかった自分のうかつさを思い知りました。仕方がないので古い形で行きますが、この題には二重の意味があるということで、気ままに書き込んでいくつもりです。千々松さん良いアイディアを有難う。
201 名前:千々松 健 投稿日: 2011/07/10(日) 14:46:53
博士を驚かせて済みません。
「フィボナッチ数列の隣同士の比率は黄金比に限りなく収斂する」とか「フトマニの教えにフィボナッチ数列をカサネたりしていた」ことや、モノゴトの「拡散と収斂」などを考えていたので、「しゅうれん」が「修練」に漢字変換しなかっただけです。しかし、二重の意味を含んでいて良いように思われます。
日本語の不思議さですね。修練を積んで収斂するとか、、、
「生命知の殿堂」のタイトルが活かさせるようで「いいですね!」
202 名前:千々松 健 投稿日: 2011/07/11(月) 17:16:07
「殿堂」を意味するPantheonの元はPAN(すべて)とTheon(神)の組み合わせです。神々、英雄に変容もするようですが、テオンの数列で注目すべきアレクサンドリア図書館の最後の館長でヒュパティアの父であるTheonの名も偶然同じです。【-12,-3,0,1,2,5,14】という3^Nが関係する数列が首藤尚丈氏の言う通りテオンの考えたものであれば、尚更に。
そして、レオナルド・ダ・ヴィンチが「最後の晩餐」の絵画に秘めたコトが【-363,-120,-39,-12,-3,0,1,2,5,14,41,122,365】というキリストと十二人の弟子に当てられていると観察するならば、フィボナッチ数列に加えて、もう一つの「ダヴィンチ・コード」となるに違いありません。
自身の絵は数学者にこそ観てほしいと願ったレオナルドの思いは多分そこに在ったのかも知れませんね。
203 名前:千々松 健 投稿日: 2011/07/13(水) 18:48:37
さてさて面白いコトに、レオナルド・ダ・ヴィンチの話をしていたら、彼が描いたとされる「サルバトール・ムンディ」(救世主)がアメリカで見つかり11月にはロンドンで展示されるというニュースが入った。
その油絵の写真を一見しただけで、○△□の図形が浮かび上がってくるのには驚いた。また前方後円墳のカタチが黄金分割の中に読み取れるし、右手指は広隆寺の弥勒菩薩を連想させるし、水晶玉を持つ左手は薬師如来像に重なってしまった。
もちろん衣の波形は似てしまうだろうから、東洋と西洋の融合が観られると言えば大袈裟になるかもしれないが、最近、大乗仏教にはキリスト教の影響が濃く入っていると或る人から聴いたから、そのあたりをダ・ヴィンチも認識していたのかもしれない。
204 名前:千々松 健 投稿日: 2011/07/18(月) 13:12:42
「生命知」をWeb検索したら「生命知としての場の論理」が引っかかったので、早速購入する。
「生命を捉えなおす」「生命と場所」につづく1990年代の清水博先生の代表的な三部作である。柳生新陰流に見る共創の理と副題にあるように、伝統ある剣道に「場の論理」を応用したものであるという。
読み応えがありそうです。
205 名前:千々松 健 投稿日: 2011/10/20(木) 22:19:34
子供の成長を祝う七五三から数字遊びをします。7+5は12で、1+2は3で、また12を一桁化(9で割り余りに変換)すると3になりまから、753には(mod9)が秘められていると考えるのも面白いです。
さて「アレクサンドリア」という映画の中で2ヶ所だけ「数」について触れられていたコトを以前に書きました。テオンの登場する場面で「226は14である」と、3つのサイコロが6・6・6と出た時に「3は出てこなかったのか」という台詞です。
第一の226は2246であり2+2+4+6=14で14になると解釈できます。この2,2,4,6は1,1,2,3というフィボナッチ数列を2倍にした数です。第二の「3は出てこなかったのか」というテオンの落胆とも聞こえるコトバからは1を初項にして3^nを加算しながらフトマニした数列【-12,-3,0,1,2,5,14】がイメージされていたコトが解ります。この数列は左右に広がりますが(mod9)の世界では左側は-3、右側は5に収斂されてしまいます。そんな性質を持つのがテオン数列でありシュトーレン数列であるわけです。
オイラーの多面体定理【F+V-E=2】を拡大した首藤尚丈氏の式【F+V-E=2N】において、Nはシュトーレン数列の数値を示しますが、そのNが1の時は多面体や球体になり、Nが0の時はドーナツ状のト―ラス体となっているのです。(Fは面の数、Vは頂点の数、Eは辺の数、Nはテオンの数列)
アレクサンドリア図書館で「ユークリッド原論」を編纂したテオンが、実は既に非ユークリッド幾何学を予期していたと想わされるのです。そして「クラインの壺」に空間(あえて言えばモノ)と時間(あえて言えばコト)の融合を観る時には、表裏の区別がつかない世界、初めと終わりの区別がつかない世界、あるいは色即是空、空即是色の世界観が浮かび上がってくるのです。そういえば、369は3+6=9、3×6=18・1+8=9、3^6=729・7+2+9=18・1+8=9、全てが369=ミロク=弥勒に繋がります。
206 名前:浮彫堂夏 投稿日: 2011/11/27(日) 01:41:52
確かにそのようにアナロジライズできます。
207 名前:千々松 健 投稿日: 2011/11/27(日) 23:25:35
浮彫堂夏さんのお陰で<アナロジー>を検索して見つけたのですが、湯川秀樹が創造性に関する科学の方法論の中で「同定(アイデンティフィケーション)とは、あるものが別のあるものに等しい(ないしは似ている)、という認識のことをいう」としているが、それは類推とかアナロジーと言ってもよく、異なるものの間に共通する性質を見出すという経験は新しい理論の発見に繋がると言えるでしょう。
208 名前:千々松 健 投稿日: 2011/11/27(日) 23:26:47
アナロジーとは、ギリシャ語のアナロギアanalogia(比)に由来する語で〈類推〉〈類比〉〈比論〉などと訳さ、複数の事物間に共通ないし並行する性質や関係があること、またそのような想定下に行う推論のことを指すという。またギリシャ語での本来の意味は「反ロゴス」であるらしい。反ロゴスという意味でデジタル脳(左脳)の反対のアナログ脳(右脳)に繋がり「パターン認識で類比するコト」と考えて良いと思う。そこでは論理の飛躍が当然介在することになろうし、直観力が大切になってくるでしょう。
別のレスで話題になっている「サヌキとアワ」の違いはまさに「左脳的理性と右脳的感性」にアナロジライズできそうですね。
209 名前:千々松 健 投稿日: 2011/11/27(日) 23:30:42
<アナロジーの効用>は計り知れない創造性に繋がるわけで、その比論・類比・類推の最たる事物(モノとコト)が神聖比例(黄金比)であり、フトマニ数列(フィボナッチ数列を包含する)が産むラチオであると思う。
210 名前:千々松 健 投稿日: 2011/11/28(月) 21:27:10
「日月神示(ひふみしんじ)」にはフトマニに関して次の記述が見られます。
『フトマニとは大宇宙の法則であり秩序であるぞ、神示では012345678910と示し、その裏に109876543210があるぞ、○九十の誠であるぞ、合わせて二十二、富士(普字・不二)であるぞ。神示の始めに示してあろう。二二(富士)は晴れたり日本晴れぞ。』
どうして表の【0,1,2,3,4,5,6,7,8,9,10】とその裏の【10,9,8,7,6,5,4,3,2,1,0】を合わせて二十二、富士(普字・不二)であるのかについて、私なりに解明してみました。
表と裏を順に足すと0+10=10,1+9=10,2+8=10,3+7=10,4+6=10,5+5=10,6+4=10,7+3=10.8+2=10,9+1=10.10+0=10となり、単純計算では110になります。しかし、ひふみ算(mod 9の世界)では10が1になるので、合計は11となり、結果は2と一桁化されます。もちろん110も1+1+0=2となります。以上は左から足したもので、次に右から足したものを同じように考えると、やはり2となることは明らかです。すると、順序の2と逆序の2が対になり22(フジ)という秩序になるというように理解されるのです。アが右巻き渦を描き、ワが左巻きになり、アとワが合(あわ)さった状態が大宇宙の法則であるということになるのです。
そして「にほんばれ」は「日本晴れ」であると同時に「二本張れ」に通じて、右巻きと左巻きの二本の螺旋がアワさる「ハラ(波螺)すなわち螺旋状に転回する神力」のコトになると類推されます。
参考:日月神示の冒頭には『二二八八∂十二ほん八れ◎の九二のま九十の◎のちからをあら八す四十七れる』と書かれていて「富士は晴れたり日本晴れ 神の国のまことの神の力をあらわす世となれる」と読むそうです。
211 名前:千々松 健 投稿日: 2011/11/28(月) 21:41:58
例の藤原肇博士の【20002】は、0を中央に置いて左側に0と○の繋がった無限大記号と2を示し、同じく右側にも0+○の繋がった無限大記号と2を並べた数字の回文というカタチで、「順序+逆序=秩序」のフトマニのココロを表わしていると理解しても良いのではないでしょうか。そして、生命知の基礎となるDNAの二重螺旋構造もイメージとして浮き彫りになって来るのです。
212 名前:千々松 健 投稿日: 2011/11/29(火) 23:13:44
【藤原】はフジハラに通じ、不二・富士・フジ+波螺・ハラとなり、【二二八〇】となるはずです。ところで、ラ行は舌を巻いて発音しますから、ラリルレロの字体が右回りのラリ、左回りのルレ、合体した◎のロと、いずれもラセンのカタチをしているコトが容易に理解されます。
213 名前:千々松 健 投稿日: 2011/11/29(火) 23:31:11
野田佳彦首相は同期生との繋がりを大切にして来た。それは千葉県立船橋高校の同期生である寒竹郁夫の政経倶楽部や、松下政経塾で同じく第一期生である林秀臣の政経塾の存在が物語ります。同期性・同窓性体質が濃厚であるため、松下政経塾出身者で固められた野田政権は「同じ釜の飯」グループの様相を呈している。
従って「智仁勇」の優先順位では仁>勇>智となりやすく、●▲■のカタチでは●>■>▲の順で、ギリシャ語ではパトス・エトス・ロゴスの順になる訳です。ロゴスが最後に来るのだから「ロジカルシンキング」「国際的な交渉力」や「説明能力」に不安が持たれるのは当然なコトかも知れません。
214 名前:千々松 健 投稿日: 2011/12/02(金) 21:23:48
『口と心と行と、三つ揃うたまことを命(みこと)といふ』と日月神示では語られているようです。
その口と心と行とは【ことば・こころ・こうい】であり、まさに三つのまことになる訳です。
●▲■のカタチはこころ=Want、ことば=Plan、こうい=Actionの象徴であり、合わせて命(みこと)を意味していると思われます。
従って【生命知】とは「生きていくための命(3コト)の智慧」であると理解するならば「●▲■の三拍子でワルツは踊ろう!」は元々が【生命知】そのものであったのかも知れません。
215 名前:千々松 健 投稿日: 2011/12/02(金) 21:26:02
藤原肇博士の「MTKダイアグラム」を強引にも「Want,Plan,Action」へと関連付けてみます。
人間の労働力を維持するために必要な食糧がWantで●、それを手に入れるために情報や知識を得ようとするのがPlanで▲、実際に道具や機械を使って種をまいたり収穫したりするのがActionで■と考えました。また別な表現では「ハート・ソフト・ハード」の三つのウェアと言えるかもしれません。
それにしても博士が今から40年も前にMTKダイアグラムとして、「生命知」を既に説かれていたことに頭が下がります。
http://fujiwaraha01.web.fc2.com/fujiwara/library/fig/fig03.html
216 名前:千々松 健 投稿日: 2011/12/04(日) 23:44:19
本日「バッハのマタイ受難曲」を東京文化会館にて全曲聴いて来ました。舞台の両サイドに日本語訳が逐次に電光表示される仕掛けで、ドイツ語は不勉強なので助かりました。第21曲、39曲、42曲、そして終曲の第68曲は特に心に響きました。合唱団のBassの一員は45年前にこの曲の一部を一緒に歌った仲間です。
やはり、3の数が沢山登場していました。
217 名前:千々松 健 投稿日: 2011/12/05(月) 18:44:04
バッハのマタイ受難曲の終曲は単独にも演奏されて良く知られている曲ですが、執拗低音(basso ostinato)として三拍子が在り、その上に曲が乗っているように聴こえます。
「フィボナッチ数列や律動とラチオについて」のレスは2006年1月27日にモーツアルトの生誕250年を記念して藤原肇博士がはじめられた訳ですが、私は遅れて2008年5月に縁あって書き込みをスタートしました。
その天才モーツアルトも後半には三拍子の楽曲を多く作曲しているということは良く知られています。
本日、2011年12月5日はモーツアルトの没後220年の記念日に当たります。
さて「意識系統の概念図」から顕在意識・潜在意識・超意識の三パターン即ち、意識・無意識・宇宙意識を三拍子として把握するならば、超意識(宇宙意識)のある働きが音楽となって我々には意識され、無意識のうちに心が高揚したり、癒やされたりすると考えると面白いと思います。
http://fujiwaraha01.web.fc2.com/fujiwara/library/fig/fig07.html
『一枚の概念図は一冊の本より優れていることがある』藤原肇
218 名前:千々松 健 投稿日: 2011/12/11(日) 21:56:14
ボランタリー経済に触れているイリイチの「シャドウ経済」は清水博先生の「与贈経済」の概念に近いかも知れません。
そのイリイチが『われわれは「もつこと」(having)と「すること」(doing)と「いること」(being)の関係を問いなおさなければならなくなっているのではないか』と問う時、カトリック神学に造詣の深いイリイチですから、当然のように父と子と聖霊の三位一体を思い起こさねばなりません。すると●▲■のカタチ連想では「●父・▲聖霊・■子」で「●こころ・▲ことば・■こうい」ですから、その延長線で考えてみると「beingは父●こころ・havingは聖霊▲ことば・doingは子■こうい」というコトが判ります。
従って「●▲■の三拍子でワルツは踊ろう!」をバランスよく整えるコトが肝要であり、それが【生命知】であり「生きていくための命(3コト)の智慧」であると理解されるのではないでしょうか?
http://8w1hflkm.jp/thinking/123.html
219 名前:千々松 健 投稿日: 2011/12/12(月) 18:06:29
科学的認識について武谷三男が述べた「現象論・実体論・本質論」(武谷三段階論)を●▲■のカタチに当てはめようと思います。何んと無謀なコトをと思われるでしょうが、先日「フィボナッチ数列や律動とラチオについて」のレスタイトルから<ステロタイプ・プロトタイプ・アーキタイプの三層>を考えた延長線で気づかされたのです。
そのパターンで考えれば易しいことで、■現象論(ステロタイプ)・▲実体論(プロトタイプ)・●本質論(アーキタイプ)となる訳でした。
220 名前:千々松 健 投稿日: 2011/12/12(月) 18:34:46
●▲■のカタチの一連の連想ゲーム?の集大成として、ここに人間活動の可視化の試みである「●▲■の三拍子でワルツは踊ろう!」の1枚の絵図を公開いたします。(英語訳は稚拙のままですが)
実際に役に立つツールとして活用されますようにと願っています。
http://8w1hflkm.jp/ring.pylamid.pdf
221 名前:千々松 健 投稿日: 2011/12/13(火) 22:13:58
「神の数学」サイトを久しぶりに訪れて教えられた。
(1)デカルト座標軸による次元
1次元…直線的開放構造体
2次元…平面的開放構造体
3次元…立体的開放構造体
(2)古神道の次元
1次元…環状の紐 (直線的環状閉鎖構造体)
2次元…筒状のもの (平面的筒状閉鎖構造体)
3次元…ド-ナツ状のもの(立体的環状閉鎖構造体)
なんと古神道の3次元の捉え方は現代数学の「ト―ラス(円環体:Torus)」をイメージしていたようです。
そして、開放構造体ではなく閉鎖構造体である特徴は、終わりなき循環性とフラクタル性を持った自然的な宇宙システムにより近いカタチなのです。
222 名前:千々松 健 投稿日: 2011/12/13(火) 22:22:04
『何を学んだか等は最早古いのであり、理解力ではなく、創造力が必要とされるのである。すなわち、これからは「何が出来るか」、「何が生み出せるのか」が求められることになるのは間違いないことである。今の日本には理解型の秀才は大勢いるようであるが、概して彼等は想像力、創造力に乏しく従って文明の発展、知の開発には余り役には立ってはいない。これはやはり社会のあり方、教育のあり方によるものであり、将来の日本にとっては大変な瑕疵となるものであろう。』
「神の数学」守護者(佐藤敏夫氏)より引用させていただきました。
223 名前:千々松 健 投稿日: 2012/06/09(土) 20:48:19
いろいろと騒がれたが、結局、光より速いニュートリノの存在は否定された。実験装置の不備でデータに誤差が生じたという実験研究グループには不名誉な結果となったようだ。
http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20120608-OYT1T00464.htm
一方、朗報も有る。南部陽一郎の「対称性の自発的な破れ」理論の問題点が解決されたという。渡辺悠樹さんらが温度や密度の条件を問わない新しい公式を見つけたという。カリフォルニア大バークレー校の大学院生の快挙に乾杯!
http://mainichi.jp/select/news/20120609k0000m040072000c.html
224 名前:千々松 健 投稿日: 2012/06/13(水) 21:49:44
<数列3問題>
1)【18,27,36,45,54,63,72,81】と並んだ数列は何でしょうか?
それは九九の掛け算になります。
2*9=18、3*9=27、4*9=36、5*9=45、6*9=54、7*9=63、8*9=72、9*9=81
中央で折り返して重なり同士を足すと18+81=99をはじめ、全てが99となります。
これらをモジュラー算術の(mod 9)で観察すると、
18≡0(mod 9)、27≡0(mod 9)、36≡0(mod 9)、45≡0(mod 9)、54≡0(mod 9)、63≡0(mod 9)、72≡0(mod 9)、81≡0(mod 9)、となり全てが0になります。99≡0(mod 9)。このような9の倍数のみで成立する数理の世界を何んと表現したら良いのでしょうか?
「The System of nines」「ALL≡0(mod 9)」「ミロクの世界」etc.が候補になるやも知れませんね。
2)【2,8,18,32,32,18,8,】と並んだ数列は何でしょうか?
最後に2が加われば、鏡面対象になる数列に見えますが、実は元素の周期律表に関係します。
原子は陽子核の回りを多層の殻で多数の電子が囲っているカタチをしていますが、その殻ごとに入れる最大の電子数の数列なのです。現在までに原子番号118番までの元素が見つかっているようですが、上記の数列は中心からK殻2、L殻8、M殻18、N殻32、O殻32、P殻18、Q殻8を持つ「ウンウンオクチウム」(暫定名称)の電子配列を意味しています。
3)【8,8,16,16】と並んだ数列は何でしょうか?
これはフトマニ図(モトアケ)に表れる48個のヲシテ文字が4つの殻に入っている文字数と言えます。
225 名前:千々松 健 投稿日: 2012/06/25(月) 18:19:34
タテ軸・ヨコ軸・奥行き軸に更に時間軸を加えた4次元空間をイメージするのには、方位を利用して見ると解り易いようです。
縦軸を南から北へ伸びるY軸、横軸を西から東へ伸びるX軸とすれば、南西から北東へ伸びるZ軸は立体の奥行きを現わし、北西から南東へ伸びる軸を4次元目の時間軸(T軸)と位置づけてみれば良いのです。
さて、フェルメールの絵画などにも特徴的に見られる如く、光は左上の方向から射しているように描かれるコトが多いので、ここでいう時間軸に一致します。すると時間軸の上を光が通るというイメージから何かが浮かんで来ます。
光の速さは1秒間に約30万キロ、1時間に10.8億キロ、1光年は約10兆キロですから、時間軸のメモリにそれらを適当にとって4次元空間を想像するコトが可能になります。
226 名前:千々松 健 投稿日: 2012/07/05(木) 10:52:29
光より速い物質は無いようですし、ヒッグス粒子の存在が実験データ的にほぼ明らかにされたという発表が7月4日になされたので、現在発見されている17個の素粒子の全てが質量を持つというコトになった。
それに質量0の光を光子として加えると18個という数になる。
3×6=18、9×2=18、2×3^2=18となるので、ここにも、369=ミロクの原理が働いているように思われる。
また、18≡0(mod 9)であるのも不思議です。
227 名前:千々松 健 投稿日: 2012/08/03(金) 23:54:12
<真夏の夜の夢 その1>
大栗博司著「重力とは何か」―アインシュタインから超弦理論へ、宇宙の謎に迫る―からの引用
p209『素粒子とはバイオリンの「弦」のようなもの!?・・・そこで超弦理論では、すべての粒子は同じ「ストリング」からできていると考えます。バイオリンの弦が、振動することでさまざまな音程や音色を奏でるのと同じように、この「弦」もその振動の仕方によって、クォークになったりニュートリノになったりする。そういう意味で、「ひも」より「弦」のほうが理論をイメージしやすいのです。』
面白いことにバイオリンの弦は普通四本ですから「循環する四つの数の流れ」に置き換えて観ると良いのではないかと思いました。さらに進んで、素粒子の「芯」であるところの「共通の基本単位」が在るとすれば、まさに「FLKM系列」か又はそれに類するものであろうと推察しました。
「ひも」でも「弦」でもなく、本質は「数の流れ」であるというのは驚きですが、「Super‐string」から「FLKM‐chain」(フィボナッチ・リュカ・ケン・ミチコ系列)へという転移が予想されます。
228 名前:千々松 健 投稿日: 2012/08/04(土) 22:15:13
<真夏の夜の夢 その2>
大栗博司著「重力とは何か」―アインシュタインから超弦理論へ、宇宙の謎に迫る―からの引用
p228~『六次元空間の計算に使える「トポロジカルな弦理論」・・・トポロジーとは、連続的に変化させれば同じ形になるものを区別せず「同じ形」として理解する幾何学のこと。たとえば取っ手のあるコーヒーカップとドーナツはどちらも「穴」が一つあるので、連続的に変化させれば同じものになります。』
超弦理論を成り立たせるには宇宙が10次元であることが必要で、通常の3次元と丸込められた6次元を足した9次元の空間に時間の1次元を加えた10次元世界となりますが、そのコンパクト化された6次元空間の計算にトポロジーの考えが役に立つそうです。
そこで私は考えたのです。トポロジー(位相幾何学)をガウスの合同式(mod)の幾何学版として把握すれば、今度は逆に合同式が6次元空間の計算に役に立つのではないかと考えたのです。
実際に(mod 9)の世界では、7乗した整数は元の1乗と同じになりますから、その6乗毎に繰り返す性質が6次元空間の計算にもきっと役に立つ予感がします。
http://8w1hflkm.jp/n.6=1mod9.pdf
229 名前:千々松 健 投稿日: 2012/08/08(水) 23:38:28
<真夏の夜の夢 その3 三巴紋とトリスケル>
今、NHKのスーパーウーマンに登場している松任谷由実が面白い。高野山の奥院やアイルランドのケルト文化を訪ねたりして、キリスト教と古代信仰や仏教との関わりを軽いタッチで探究している。
以前に、河合隼雄がケルトに興味を示していたこと知り、ケルト文化には多少の関心がありましたが、今回の番組で、ケルトの「生と死と再生」を表わす三つ葉のクローバーが「父と子と聖霊」の三位一体のキリスト教に重ねられているコトを知り、そこに新たな支配思想との柔らかな融合が示されていることが認識されました。
さて「○△□の三拍子でワルツは踊ろう!」の視点からすると、生と父は●、死と子は■、再生と聖霊は▲のイメージと成るのですが、通常の3次元の世界です。
http://8w1hflkm.jp/thinking/123.html(修正版)
http://8w1hflkm.jp/ring.pylamid.pdf
230 名前:千々松 健 投稿日: 2012/08/09(木) 23:44:23
<真夏の夜の夢 その4 神聖なる4つの数の流れ:FLKM系列>
【 n*f≡FLKM(mod 9) 】
上記の式で言い現わしたいのは、【フィボナッチ数列をn倍した数列は、それを9で割り余りの数に置き換えたならば、FLKM系列のどれかに当てはまる】というコトです。
例えば
n=1のとき F:フィボナッチ系列【0,1,1,2,3,5,8,4,3,7,1,8,0,8,8,7,6,4,1,5,6,2,8,1】
n=2のとき L:リュカ系列 【0,2,2,4,6,1,7,8,6,5,2,7,0,7,7,5,3,8,2,1,3,4,7,2】
n=3のとき K:ケン系列 【0,3,3,6,0,6,6,3】
n=4のとき M:ミチコ系列 【0,4,4,8,3,2,5,7,3,1,4,5,0,5,5,1,6,7,4,2,6,8,5,4】
系列(チェーン)は始めと終わりが繋がるように連続しているので、どの部分をとっても良いのですが、ここでは解り易く全てを0からスタートさせて並べています。
231 名前:千々松 健 投稿日: 2012/08/11(土) 22:36:11
<真夏の夜の夢 その5 FLKM系列の相互関係とK系列の特異性>
【 n*f≡FLKM(mod 9) 】
f:フィボナッチ数列 (0,1,1,2,3,5,8,13,21・・・)
1*f―>F<―8*f、
2*f―>L<―7*f、
3*f―>K<―6*f、
4*f―>M<―5*f、
これは例えばフィボナッチ数列(f)を2倍した数列と7倍した数列は、合同式(mod9)の世界では共にリュカ系列(L)になるコトを示しています。
特に3倍ないし6倍した場合に現れるK系列は特異な性質を持っています。
以下のようにケン数列自身の3倍数と6倍数が0になるコトも重要ですが、その他の倍数の時は全てがK系列になることも目が離せません。
私は「超弦理論」の9次元空間のうち、見える3次元空間がFLMの3系列に関係して、コンパクト化して見えない6次元空間がK系列に関係するのではないかと一人夢想しているところです。
日本の柔らかな頭脳を持つ数理・物理研究者たちが、この辺りを検証すれば、新たな知見を得られるに違いないと秘かに期待しているところです。
k:ケン数列 (0,3,3,6,9,15,24,39・・・)
1*k―>K<―8*k、
2*k―>K<―7*k、
3*k―>0<―6*k、
4*k―>K<―5*k、
(以下は参考までに)
l:リュカ数列 (1,3,4,7,11,18,29・・・)
1*l―>L<―8*l、
2*l―>M<―7*l、
3*l―>K<―6*l、
4*l―>F<―5*l、
m:ミチコ数列 (1,4,5,9,14,23,37,60・・・)
1*m―>M<―8*m、
2*m―>F<―7*m、
3*m―>K<―6*m、
4*m―>L<―5*m、
232 名前:千々松 健 投稿日: 2012/08/12(日) 22:09:07
<真夏の夜の夢 その6 水の三態>
水の三態は言うまでもなく個体:氷、液体:水、気体:水蒸気で、圧力と温度により三つの状態に変化するということです。我々を含めて地球上の生命はその「水」が無いと生きて行けないのです。
この夏、火星に米国の探査機が到達し、生命の証しを探しているようですが、要するに「水」の痕跡を探索している訳です。
生命の証しが無ければ、それに由来する「石油」も火星には存在しないコトになります。どうも「岩」のみの世界が火星には相応しいように思われ、太陽系の惑星に資源を求めたり、移住先の対象にしたりするのは無意味なコトのようです。
弘法大師(空海)は地質学にも詳しく、日本各地に鉱山や温泉を見つけていたようですが、火山列島の日本には鉱泉や温泉に恵まれているのだから、地の利を生かして地熱発電等にもっと力が入っても良いのではないかと思う。
原子力発電も所詮は水を熱して水蒸気を発生させてガスタービンを廻すのだから、水の三態を活用したものに過ぎない。しかし、人間の技術のコントロール下には置けないコトが3.11で実証されてしまったから、その未来は無い。
233 名前:千々松 健 投稿日: 2012/08/19(日) 12:12:16
<真夏の夜の夢 その7 暗黒エネルギー>
1)DNAの二重螺旋構造には、神聖比例と4つの塩基とその結合の仕方が内蔵されている。
2)「21世紀マンダラ」には、神聖比例と4つの数の流れと結合の仕方が内蔵されている。
これを併記して考察すると、何やら類推されて来るものがあるかもしれない。
ダヴィンチが好んだ歯車と螺旋には力(エネルギー)を伝達する機能が備わっていると観て良いと思う。
現在、数物分野をリードしている団塊ジュニア世代の小松英一郎氏(37歳)は、宇宙に存在する物質やエネルギーの割合をCMB(宇宙マイクロ波背景放射)の観察から、物質:暗黒物質:暗黒エネルギー=5%:23%:72%と計算し、さらに宇宙誕生時のエネルギーが実は一種類ではなく、複数あった可能性もあるという。
今月から彼はマックス・プランク宇宙物理学研究所(独)の所長に就任しているという。
ところで、その複数とは? 私は上記の類推からマックス4種類ではないかと考えてみるのも楽しいと思っている。「FLKM系列」がヒントになることを夢見ている訳です。
236 名前:千々松 健 投稿日: 2012/09/09(日) 12:32:08
新記事で7月10日に総括した私的三段階論について
例の「●▲■の三拍子でワルツは踊ろう!」
に則して再検討しましたところ、お陰様で下記の如くに成りました。
●:現象は陰陽の螺旋形状のト―ラス体となる
▲:実体はフトマニ数列群の神聖比例を内蔵している
■:本質は循環する四数列のFLKM系列による重々帝網である
9月9日、重陽の節句に因んで 千々松 健
237 名前:千々松 健 投稿日: 2012/09/21(金) 22:12:52
数論の世界で難問とされている「ABC予想」について、京都大学の望月新一教授がどうやら証明にこぎつけた模様で、これがOKとなれば「フェルマーの最終定理」はより簡単に証明できるコトになるし、整数論の他の難問を解くのにも役立つ新手法の開発と為ると言われています。
この分野では「谷山・志村の予想」(現在は定理となっている:すべての楕円曲線はモジュラーである)に匹敵する日本人の快挙となるコトでしょう。
http://www.nikkei.com/article/DGXNASDG1805T_Y2A910C1000000/
彼の論文発表の8月末は
奇しくも<真夏の夜の夢 最終章>の日と重なります。
『・・・もしも、宇宙生命体(宇宙人?)が数学を使用しているとすれば、彼らはこの(mod 9)を良く理解して、多岐にわたり活用しているに違いありません。』
「宇宙際幾何学者」と自らを称しておられる望月さんは、そんな宇宙人?に近い人ではないかと私は予想しています。
238 名前:千々松 健 投稿日: 2012/09/27(木) 21:27:42
【リーダーの三要素】
リーダーが持つべき人間力とは要するに「智仁勇」ではないかと思います。「智」は智慧・知識・思考・論理を、「仁」は仁義・人情・愛情・感情を、「勇」は勇気・行動・意志・徳性をそれぞれ意味しています。この智仁勇の三要素は日本固有の武士道にも見られますが、古くは中国の孔子に遡り「三宝」といわれています。
それは人間が基本的に備えるべき「三つのOS」とも言えます。コンピュータには良きOS(オペレーション・システム)が基本に必要であり、その上で各種のアプリケーション・システムが働いているということと相似象です。余談ですがギリシャ語では LOGOS:論理、PATHOS:感情、ETHOS:徳性という表現になり、全ての言葉にOSが付いています。
従って、いかなる組織の長(リーダー)も、合理に非ず、不義理で、勇気の無い、すなわち「三つのOS」を一つでも欠く場合は失格とならざるを得ないのです。また、イノベーションを起こすためには「回心・回論・回業」すなわち仁・智・勇の順番で回転させていくコトが肝要です。「●▲■の三拍子でワルツは踊ろう!」はリーダー論にも繋がっているのです。
240 名前:千々松 健 投稿日: 2012/10/03(水) 15:13:43
予言者で幾何学者のバックミンスター・フラーに因んで付けられた「C60フラーレン構造」は「バッキー・ボール」と呼ばれるサーカーボール状で、その球棒モデルは今では幼児の玩具としても売られている。その正5角形12個と正6角形20個が組み合わされた球体は美しい。
また、このバックミンスターフラーレン分子は、粒子と波動の二重性が実験的に観測された最大の分子であるというので、量子力学の上からも興味が持たれるのです。
一方、正3角形8個と正方形6個が組み合わされた球体の「ベクトル平衡体」(立方八面体)を元に変容させて、正方形4個と菱形8個の12面体を作り、更に黄金比を秘めたピラミッドの要素を内蔵させて「黄金比ベクトル平衡体」や「神聖ベクトル平衡体」を試作したのがこの春の出来事でした。そして、それらの平衡体を長軸と短軸で回転させて現れる立体の中に黄金比(ファイ・Φ・神聖比例)を見つけだそうと試みたのでした。
http://8w1hflkm.jp/divine.html
http://8w1hflkm.jp/Vector12.pdf
更に、●:現象論に属すステロタイプを陰陽の螺旋形状(ト―ラス・神聖ベクトル平衡体)として感知するならば
ピタゴラスやプラトンやレオナルド・ダ・ビンチをはじめ、バックミンスター・フラーや藤原肇博士がイメージする“究極の幾何学”に近づけるのではないかと想うのです。
241 名前:千々松 健 投稿日: 2012/11/11(日) 22:41:34
11月11日は「折り紙の日」になっているそうです。
1が4辺で正方形ができることと、この日が第一次世界大戦が終わった記念日でもあり、世界平和を祈る「折り鶴」のイメージが繋がっているようです。
数学幾何的には、1が4辺で頂点角度が直角となる正方形は特殊的で、より一般的なのは菱形の方でしょう。また、正方形の対角線の長さは1:1で等しいのですが、菱形の対角線の長さは長短あり変化に富みます。
その中でも長短の比率を神聖比例(黄金比)を元にした菱形を採用したのが「黄金比ベクトル平衡体」や「神聖ベクトル平衡体」です。これら四方八菱の十二面体はこの春に開示したものですが、従来の立方八面体(ベクトル平衡体)の十四面体と比較すると面白いと思います。
・黄金比ベクトル平衡体
http://8w1hflkm.jp/goldenvector.html
・神聖ベクトル平衡体
http://8w1hflkm.jp/divine.html
・菱形8面+正方形4面=12面体 その菱形によって変化する回転体のラティオ
http://8w1hflkm.jp/Vector12.pdf
・ピラミッド折り紙で祈る
http://8w1hflkm.jp/origami_P.html
242 名前:千々松 健 投稿日: 2013/01/14(月) 21:23:30
『フトマニ数列群』はフィボナッチ数列を拡大したものですが、隣り合わせの二つの数を足して三つ目に置き、四つ目には二つ目と三つ目を足した数を置き、次々に並べた数列を指した総称です。狭義のフィボナッチ数列は初めの項目が0で次の数が1の場合に該当します。一般的には初めと次の数は任意で良いのです。
こうした操作を繰り返して行くとき、項目数が多くなればなるほどに、隣り合わせの比率は1.6180に近づくのです。これを古くは神聖比例と呼び、近年では黄金比と呼んでいる訳です。
同様に考えて「前の3項の和」の場合(トリボナッチ数列)は1.8393へ近づきますし、「前の4項の和」の場合(テトラナッチ数列)は1.9276へ近づきます。そして10個、20個と増やしていくと解りますが、隣り合わせの比率は永遠に「2」に近づいて行きます。このような操作はエクセル表で簡単な計算式を入れるだけで試すことが出来ます。
「前の2項の和」(フィボナッチ数列=ジボナッチ数列)即ち『フトマニ数列群』は日本古来の算術上の秘術であったに違いないと解釈しています。
http://8w1hflkm.jp/Futomani.pdf
243 名前:千々松 健 投稿日: 2013/04/28(日) 22:06:02
「武家の古都・鎌倉」をキャッチフレーズにした鎌倉が世界遺産登録に成るか否かの実質的な決定は5月3日にあるらしい。
鎌倉で産まれ育ったひとりとして、カマクラの地名の由来に関して、新解釈を加えて見ました。
そのヒントは信州の「上高地」です。カミイコウチからカミコウチになった由来を知りました。“神様が憩うところ”何と素敵な命名の仕方でしょう!それを漢字にした時に「上高地」に変容したという訳です。
そこで、鎌倉をカマクラの言霊に戻って考えてみたのです。
カマクラ・・・カ・マ・ク・ラ・・・、カ=神、マ=間、関係、ク=来る、ラ=螺旋
また、秋田の冬の風物詩である「かまくら」は竈蔵(カマド)または神座(カミクラ)から由来したと言うのは定説のようです。
雪をドーム様に固めて、半円の出入り口を掘って、正面奥に神座を置くという「かまくら」の造形からは、三重の螺旋がイメージされるのです。
“天の神様が螺旋を描いて地に降りて来て、人間世界に居て下さる”そのイノチの仕組に感謝する。それが「カマクラ」の本来の意味と考えて良さそうです。そこではカマはカミでした。
そうすると、カマクラは「神様が暮らす」というのが元々の意味だったのではないでしょうか。また、カ+マクラと分けて「カの枕」と読めば、神様の枕となるので、神座(カミクラ)の意味に近くなりそうです。
「武家の古都」よりも「神様が暮らす」鎌倉の方がグローバルにアピールできるのではないでしょうか。 吉報を期待しています。
244 名前:千々松 健 投稿日: 2013/05/03(金) 22:45:22
「富士山」は世界遺産登録になるようですが、鎌倉の方は残念ながら落ちてしまいました。「武家の古都・鎌倉」というコンセプトが嫌われたとしか思えない評価のようです。日本の歴史を学んでいない世界の人々には一見して武家(サムライ)がイメージされなければだめなようですし、武士が武力さらに軍事力に繋がってしまうとすれば、嫌われる訳でしょう。同じく、奈良、京都が古都として世界遺産になっているので、鎌倉は残念でした。
さて、カマクラ(可麻久良=万葉仮名表記)は「カミマクラ」=「神枕」すなわち“神様が枕を高くして安心して暮らせるところ”という意味であると新解釈するのが意味論的かつ言霊的に最適であると私は考えています。カミイコウチが上高地になったと同じように、カミマクラが鎌倉に変容しただけの話です。
http://8w1hflkm.jp/kamakura.html
この点を世界へとアピールできなかったコト(古都)はアトノマツリでしょうね。
245 名前:千々松 健 投稿日: 2013/06/05(水) 23:20:15
1)『ニュートリノが物質を通り抜ける際、それに共振すればエネルギーが熾こされ、情報も伝わる。物質側に共振(共鳴)が発生するためには適当な構造が必要であり、その構造の特徴はフラクタルな神聖比例(黄金分割)を内蔵したカタチ(空間を持つモノ)である。また、刻まれる時間とは螺旋状の歯車の如く流れるコトバ(プログラミングされたソフトウエアの如く)すなわちコトである。』
2)『黄金比(神聖比例)を生じるフィボナッチ数列(フトマニ数列群)は、法を9とするモジュラー算術で観察すると、24項目で循環する4つの数の流れ=FLKM系列を持っている。 ∴ FMn≡FLKMchain(mod 9)』
3)『●:現象は陰陽の螺旋形状のト―ラス体となる。▲:実体はフトマニ数列群(フィボナッチ数列はその一例)の神聖比例を内蔵している。■:本質は循環する四数列のFLKM系列による重々帝網である』
以上のモノ・コトは全て創造主の神のなせる業です。
246 名前:千々松 健 投稿日: 2013/06/06(木) 13:09:03
「創造主のなせる業」はもちろんUFOやETにも関与しているはずだから、彼らもその理に叶ったモノ・コトを持っているのです。
「超弦理論」の云うところの9次元空間の内、6次元がコンパクト化されていて我々には見られない存在となっているのは、オイラーの合同式の定理からも導かれる【a^6≡1(mod 9)】に該当するのではないかと直観しています。mod 9すなわち「ナインシステム」では、整数は6乗毎に循環するのですから。
参照)mod 9の世界では素数も非素数も何と美しいことか!
http://8w1hflkm.jp/n.6=1mod9.pdf
247 名前:千々松 健 投稿日: 2013/06/09(日) 18:52:44
「三種の神器」をカタチで象徴すると、勾玉は全体から見ても切り口で見ても丸●となりますし、剣は切り口が尖がった三角▲となり、鏡は全体から見ると円ですが断面は長四角■になります。
また「三位一体」をカタチで象徴すると、父は○、聖霊は△、子は□になります。
さらに武谷三段階論をカタチで象徴すると、現象論●、実体論▲、本質論■になります。
このように図形の基本である●▲■を色々なケースでイメージ化して捉えることは発想の転換になりましょう。
そうした延長線で、円形は●時間、三角形▲はフィボナッチ数列というロジック、正方形は■空間として捉えたりするのも良いかもしれません。
http://8w1hflkm.jp/trinity.pdf
248 名前:千々松 健 投稿日: 2013/07/13(土) 22:20:38
<「宇宙の智慧なる神聖比例アルゴリズム」と「21世紀マンダラモデル」>
「モノとコトあるいはカタチとコトバ」というレスを作って三年が経ちました。
こんない長く続くとは思っていませんでしたが、このあたりで一区切りしたいと思い、以下にコメントを入れたいと思います。
当初は深く考えずに、物事、モノゴト、モノとコトと単純にしていましたが、モノとコトの順序は逆の方が良いようなので、「コトとモノあるいはコトバとカタチについて」の方を正解といたします。今更そう言われてもと思われるかもしれませんが、そこで最後の逆転ホームランとして、、、
コトバとカタチという対比は最終的には
「宇宙の智慧なる神聖比例アルゴリズム」と「21世紀マンダラモデル」に置き換わります。
「宇宙の智慧なる神聖比例アルゴリズム」即ち【 FMn≡FLKMchain(mod 9) 】がコトバに相当し、「21世紀マンダラモデル」即ち神聖方陣(金剛界曼陀羅)とラセンモデル(胎蔵界曼陀羅)がカタチに相当します。
従って、モノよりコトの重要性は、最近では物理科学や生命科学分野に於いても語られてきておりますから、カタチが造られて行く、成長(生育)して行く時のコトバにこそ注目して行く必要があるのです。有限で離散的な数学としてのコトバあるいはコトこそが【FMn≡FLKMchain(mod 9)】というアルゴリズムです。
【神聖比例(黄金比=Φ)を生じるフトマニ数列群=FMn(フィボナッチ数列はその特殊例)は、法を9とするモジュラー算術(mod 9)で観察すると、24項で循環する4つの数の流れ(FLKM系列)になる】