Vol.2-1 若月央子さん 特別インタビュー
生徒編]

何事においても、“極めた人”にしか見ることのできない世界がある。日本最高峰の歌劇団でトップスターとして舞台に立ち、多くのファンを魅了した人にとって、この世界はどのように映っているのだろう。


2023年1月、清泉女学院中学高等学校の一室に、その人——若月央子さんの姿があった。生徒たちの質問に対して丁寧に語られる言葉から、プロとしての責任感、飽くなき向上心、そして何よりも自らに向き合う真摯な姿勢が感じられた。


今回は、若月央子さんへのインタビューを、教員編と生徒編に分けて紹介します。

[プロフィールは前編に掲載]

宝塚を愛してやまない生徒(インタビュアー)たち♫

  Iさん:ダンス部で舞台づくりに励む

Mさん:家族皆で星組のファン

 Nさん:雪組・宙組のファン

 Tさん:音楽部でミュージカル上演に向けて奮闘中



*写真転載禁止

生徒たち:はじめまして…!よろしくお願いいたします。(緊張)

若月さん:こんにちは。皆さんは高2と聞いています。ちょうど私の息子と同じくらいの歳ですね。宝塚の公演は観てくださっていますか?


M:来月のチケットも取っています。コロナで流れないことを祈っています。


T:実は私も来週観に行く予定です。


M:最近は、観に行きたくても全然チケットが取れなくて…。


若月さん:それは…どうもすみません(笑)。


全員:(笑)



「宝塚」の世界に身を置いて


T:さっそくですが、宝塚に入ってみてイメージと違ったことは何ですか?

若月さん:厳しいところだと覚悟はしていましたが、その厳しさの内容が違っていたところかな。入学式の夜に辞めようと思いました(笑)。また、関西の独特な雰囲気に慣れるのに時間が必要で、いつもアウェイな感じでした。


M:宝塚のことをあまり知らずに入ってしまったとお聞きしましたが、やはり宝塚の独特な世界に違和感を持つことはありましたか?

若月さん:ありました!男役と女役がどのように決められるのかも分かっていなかったくらいですから。宝塚音楽学校を受験すると決めてから舞台を観に行きましたが、舞台を観てもなかなか自分と宝塚という世界が繋がりませんでした。
入団してからも、やはり自分には向いていないのではないか、と感じることもあったし…。でも舞台での経験を重ねるうちに、その違和感こそが宝塚の魅力なのだと、受け入れられるようになりました。


T:宝塚音楽学校を受験しようと決めたとき、周囲が大学受験に向けて勉強をしている中で、周りの友達と比べたりしてしまいませんでしたか?

若月さん:当時から清泉はほとんどの生徒が大学進学を目指していたので、正直悩んだことはありました。でも、考えれば考えるほど「やりたい」という気持ちが勝ったんです。そこからは、宝塚受験に特化した練習をしなければなりませんから、迷ったり、周りと比べたりしている時間はなかったですね。


I:宝塚では、1つの曲に対してどのくらいで振り(ダンス)を習得していたのですか?

若月さん:例えば1時間で振付を教えてもらったら、その1時間だけで覚えるんです。


生徒たち:えーっ…!(騒然)


若月さん:「振りを渡されたらもうあなたのものだから、自分で習得しなさい」という感じですね。だからその日中に一生懸命復習して覚え込みます。翌日以降、そこに手直しが入っていくんです。結構過酷でしょ。


N:私は、ダンス部で何度も同じものを踊っていると飽きてきてしまったり、その曲を聴くのが段々つらくなってきたりします。そういうことはありましたか?

若月さん:それは、仕事ではないからかもしれませんね。毎日決められたことをやっていても、その日のコンディションによって変化します。また、舞台はお客様と空間を共有し、仲間と創り上げるものですから、良くも悪くも、一度も同じ仕上がりになることはありません。その違いを楽しむようにしていました。ライブの面白さはそういうところにありますよね。


M:厳しい世界に身を投じていて、つらかった時期もあったと思います。そういうときはどうされていたんですか? 


若月さん:しんどいときや、うまく役をいただけなかったときほど上を向いて、とにかく「楽しく」頑張ろうと思って乗り越えていました。


I:多くの山や谷を乗り越えてトップスターに就任したとき、どんな気持ちでしたか? 


若月さん:ここまでやってきて本当に良かったと思いましたよ。しょっちゅう辞めたいと思うような生徒でしたから。特に、一緒に頑張ってきた同期生4人で、同時期にトップになれたときは、本当に嬉しかったです。 



宝塚での忘れられないエピソード


I:舞台上で忘れられない景色ってありますか?

若月さん:忘れられないシーンはたくさんありますが、あるショーの中に「自然回帰」というダンスシーンがあってね、本番で踊っているときに、曲と身体と空間がぴたりと合って、劇場の天井が消えて青空の下、大自然の中で踊っているような感覚になった瞬間があったんです。今でも思い出すと鳥肌が立つくらい感動しました。


M:逆に、舞台上でやってしまった失敗などはありますか?

若月さん:色々ありますね。舞台袖で寝落ちてしまったり、衣装さんが間違えて左右違う靴を履かせてくれちゃったり。あとは、主役の人に契約書を見せる演技をしたら、契約書がビリって破れたこともありました。破れた契約書って、無効になっちゃいますよね(笑)。そういう失敗をした時は、終演後、先輩の元へダッシュして「反省」です。


N:宝塚時代のリフレッシュ方法として「旅行に行く」ということがあったようですが、いつそんな時間があったのですか? 


若月さん:私が在籍中は、突然まとまった休みが取れることもありました。そういう時は翌日飛行機に飛び乗ったりしていましたね。出演作品に縁のある地を訪れることが多かったですが、沖縄でスキューバダイビングの免許も取得しました。


実はそのときも大失敗があって…。免許取得日程をタイトスケジュールで組んでいたのですが、最終日、台風が接近。通常より過酷な状況で最終課題をクリアしなければならなくなり、ボンベの乾いた酸素を吸い続けたことも重なり、声が出なくなってしまったのです。奇跡的に私の持っていたチケットの飛行機は飛んでくれたので、仕事には間に合いましたが…。翌日、「今日は喋れません」と書いてサイン会をしました(笑)。


生徒たち:(笑)


I:これまで様々な役を演じてこられた中で、一番苦労した役は何ですか?
 

若月さん:何だろうなぁ。どの役もやっぱり最初は苦労しましたね。
中でも『エリザベート』はプレッシャーがあって苦労しました。もともとウィーンで観たときに素晴らしいミュージカルだなと感じていたのですが、それを歌唱力の高い雪組が見事に初演したんです。その後、今度は私たちのいる星組で上演することになったので、やはり期待されているだけ大変でした。

しかも、私は『エリザベート』の中でフランツ(エリザベートの夫で皇帝)の役だったんです。清泉ではハイソプラノだったのに、よりによって作品の中で一番低音のパートを歌うことになるなんて!歌を一から勉強し直さなければなりませんでした。

でも、『エリザベート』や『ベルサイユのばら』のようなリバイバル作品は、前例があるので「自分だったらこう演じよう」と考えるのが楽しかったですね。一方で、前例のない作品でゼロから作り上げる作品は大変ですが、本(原作)という二次元から舞台という三次元にしていく楽しさもすごくありました。



退団後も続く仲間との絆


T:宝塚人生の中で一番の財産になったことは何ですか?

若月さん:そうですね…宝塚という唯一無二の世界でトップというポジションをいただけたことも大きな財産ですが、何より好きなことを好きなだけできた、ということです。振り返ってみると、どちらかと言えばつらいことの方が多かったように感じますが、それを乗り越えたときの喜びや達成感には代えられません。

他の世界も同じだと思いますが、宝塚も決して自分一人では作り出せないものです。自分がどれだけの多くの方々に支えられてきたか、を思うと感謝しかありません。だから、一番の財産は「人」との出会いかな。


T:宝塚を退団してからも、先輩・後輩の繋がりはあるんですか?

若月さん:ありますね。やはり同じ時代に頑張ってきた仲間どうしの絆や縁は強いです。LINEグループもいくつもあって、賑やかです(笑)。現役の人からは「いつ観に来てくれますか?」といった連絡があります。


M:稔幸さんの代表曲に「青い星の上で」がありますよね。コロナ禍のある日、YouTubeで元トップの皆さんが歌っていたのを観て、稔幸さんのときからずっと歌い継がれていることに感動しました。
ご自身の代表曲が歌い継がれていることについて、どう感じていますか?

若月さん:すごく嬉しかったです。この歌はミレニアム公演を記念して、宝塚歌劇団理事長でいらした小林公平先生が、私のために書いて下さり、作曲家の三木たかし先生のメロディーも美しく、強い思い入れがあります。


M:そのYouTube動画は、柚希礼音さん(元星組トップスター)の呼びかけがきっかけで作られたそうですね。


若月さん:そうです。嬉しさのあまり、すぐに柚希さんに連絡しました。彼女は現役の時から、この歌を大切にしてくれていたそうです。これからも皆さんに歌い継いでいってほしいです。



後輩の清泉生たちへメッセージ


将来自分はどの道を進むべきか、本当に悩みますよね。でも、色々な未来があるから悩むことができるのです。大いに悩んで、自分の心に何度も問いかけて選んで欲しいです。もし進んだ道が思い通りのものでなかったとしても、自分が選んだ道なら諦めもつくし、違うと気付いたときに方向転換すれば良いと、私は考えています。

清泉の良いところは、押しつけがないところでした。今でも校門までの坂を上ってきた瞬間、自由な世界が広がっていたなあ〜と懐かしい解放感を味わいます。この環境の素晴らしさは、卒業してから感じるものかもしれませんが…。

限られた時間の中で、やりたいことがあるのなら、迷わず今のうちにやっておく。同時に、意地でもとにかく楽しむようにマインドコントロールしてみてください。社会的に間違ったこと、例えば人を傷つけると か、そういうことでない限り、何をしても大丈夫ですから!

どんな状況に陥っても、必ず助けてくれる人がいます。自分を信じて、自分を大切に。仲間と共に清泉時間を満喫してください。


(終)