男女平等が謳われて久しい昨今、私たち女性は本当の意味で自由を生き抜いているだろうか。そもそも、「女性が自由を生き抜く」とはどういうことなのか。
2022年4月23日、清泉女学院中学高等学校に田中優子さん(法政大学前総長)が帰ってきた。後輩である高校生たちと教職員へ語る一つ一つの言葉が、不確定要素の多い未来を生きていかなければならない私たちの胸に強く響く。
今回は、田中優子さんが行われたスピーチの一部を、前編と後編に分けて紹介します。
[プロフィールは前編に掲載]
*2022年4月23日 清泉女学院講堂にて撮影 転載禁止
才能を切り開くこと
もう一つ、自由を生き抜くために不可欠なこと、それは「自分の中にある能力を開花させること」です。これに関する考えを持っていた方が、平塚らいてうです。彼女は雑誌『青鞜』の中で、「真の自由解放とは何だろう、いうまでもなく、潜める天才を、偉大なる潜在能力を十二分に発揮させることにほかならぬ。」と書いています。この雑誌が世に出た1911年、この年は女性解放運動にとって本当に輝かしい年です。それから30年以上、女性は選挙権を持てずにいるのですが、それでも自分が持つ才能を開くことが人間にとって大事なのだということを、多くの女性が初めて認識したのですね。
また、「原始、女性は実に太陽であった。」というのも平塚らいてうの有名な文です。いつの間にか女性は、他からの光で輝かされる月になってしまったと。しかし、この状況は女だから男だから、ということが問題なのではなく、人間というのは、男女に関係なく自分の能力を開発させることが重要なのだ——そのような考えから女性解放運動が始まるというのは、世界的にもとても珍しいことです。このことを皆様にもぜひ知っておいてほしいと思います。
多様性を認める社会へ
ところで、日本の女性解放運動で必ず問題になるのが「家族」と「母性」です。家族について遡ると、明治時代の1872年に壬申戸籍がつくられ、それまでの身分制度がなくなりました。そして誰でも苗字が持てるようになったとともに、一家には戸主という人が必要になりました。戸主とは、家の他のメンバーの様々な権限を握ることができる人です。いわゆる「家父長制」が敷かれて以来、女性は、結婚する前は父親に、結婚してからは夫に縛られることになってしまいました。
しかし、そもそも江戸時代は夫婦別姓だったのです。壬申戸籍の作成を定めたときもまだ別姓です。夫婦同姓は、1898年にドイツを見習って導入されました。つまり、結婚したらどちらか一方の姓を名乗るというのは、古くからの伝統ではなく近代の法律で決まったのです。
1996年には、選択的夫婦別姓の導入が提言されたのですが、未だに実現に至りません。これに関する反対意見の中には「日本の伝統に反するから」というものもあるのですが、今申し上げたように、夫婦同姓は伝統ではなく、明治時代以降に決められたことなのです。
少し話は変わりますが、以前、ニュージーランドの議会で行われたモーリス・ウィリアムソン議員の演説が話題になりました。この演説は、同性婚を認める法案を採決する際のものなのですが、少しだけ紹介します。
——明日も太陽は昇るでしょうし、あなたの10代の娘はすべてを知ったような顔で反抗してくるでしょう。明日、住宅ローンが増えることはありませんし、皮膚病になったり、湿疹ができたりもしません。布団の中からカエルが現れたりもしません。
明日も世界はいつものように回り続けます。だから、大騒ぎするのはやめましょう。この法案は関係がある人には素晴らしいものですが、関係ない人にはただ、今までどおりの人生が続くだけです。
(出典:ハフポスト日本版編集部HPより)
そして、この議会で同性婚が法律上認められました。モーリス氏いわく、「この法律ができても、誰も不幸になりません。むしろ、幸せな人が増えるだけです」と。日本では、同性婚はおろかLGBTを差別してはならない、という法律すらありません。
夫婦別姓も同性婚も、社会がより多様になっていく流れの一つです。そして、社会の多様性が豊かになっていくと、幸せな人が増えていきます。このことを、女性が率先して考えていくことが大切なのです。もちろん、女性にも色々な考え方があります。やはり男と同じように行動していかなきゃならないとか、弱い女性は許せないとか、そのように考える女性もいらっしゃるでしょう。しかし、私が皆さんに伝えたいのは、女性が持つ弱さを認めることが大事であり、男性のようになることが目的ではなくて、女性も男性もそれぞれの力を発揮し、一人の人間になることなのです。
自分の言葉を探す旅に出よう
最後に、勉強と読書は何のためにするのか、というお話です。私たちが自由を生き抜くためには、「どういう社会に生きたいか」ということを自ら考え、自ら決めることが必要です。だから、今の日本の憲法もしっかりと読みましょう。日本国憲法は、個人や人権をとても大切にしています。また、人権とは普遍的で世界的、地球的な価値であることを伝えています。一方、自民党の憲法草案には「家族」が大事であると書かれています。どちらが良いというわけではなく、ちゃんと自分の頭で見比べてほしいのです。
そのためには、勉強して自分の言葉で語れるようにならなければいけません。そして、自分の言葉は読書する中で発見していくことができます。読書とは、「私もそう考えている」「こう表現すれば皆に伝わるんだ」ということを拾っていく旅なのです。単に読み流すのではなく、言葉と出会ったら使ってみる。すると、自然と自分の言葉になっていきます。これが本当の意味での自立であり、自由を生き抜くために必要な力です。
女性は、男性のように生きることが良いのではなく、また誰かに追い付くために生きているのではありません。競争するのではなく、競争を乗り越えること。自分の中にある才能を開花させて、多様性のある社会を実現すること。自分の自由を生き抜くということは、他人が自由を生き抜く邪魔をしないことでもあり、その人が自由を生き抜けるように手助けすることでもあります。女性も男性もお互いに自由を生き抜ける、そういう社会にしていくためには——と考える機会にしていただけたら、私も大変嬉しいです。
(終)