龍馬像
龍馬像
・龍馬とは
坂本龍馬は、長州藩と薩摩藩との同盟を支援するためと、貿易を通じて経済活動を行うために、日本で最初の株式会社「亀山社中」を作りました。さらに、その2年後に龍馬は長崎から京都に向かう船で「船中八策」(せんちゅうはっさく)というこれからの日本の国家構想をまとめました。この船中八策は後の明治時代の基本方針のもとになりました。このように龍馬は日本の将来を案じていた人ですが、1867年 11月15日の京都の近江屋(おうみや)で暗殺され33年の生涯を閉じました。
龍馬の誕生日:1月3日:龍馬の出身地 高知県、高知市出身
・龍馬像とは
地元の有志たちが寄付金を集めて作ったものです。地元の有志たちのおかげで、桂浜の龍馬像は1928年5月27日に完成しました。龍馬像が作られた理由は、高知県の青年たちが龍馬の業績を世に広め、その名を後世に伝えるためでした。龍馬はあまり知られていませんでしたが、有志の行動のおかげで、高知県の人々も龍馬像を知ってもらいたいと思い、寄付募集を始め、龍馬像は作られました。
龍馬像は高知県だけにあるわけではなく、龍馬像は全国の龍馬ゆかりの地に設置されています。高知県だけで確認される龍馬像は62体です。高知駅前には、台風対策のために一時的に撤去されたものもあります。
高知県龍馬像が有名な場所
南国市、 桂浜公園