「根の機能デザイン」は気候変動に負けない農業生産を実現するために欠かせません。塩野研究室では、日本で初めて酸素の空間的な分布を定量的に可視化できる独自技術を開発しました。定量酸素イメージングに加えて、さまざまな酸素センサ(非接触型、局所計測型、酸素放出計測型)を扱える塩野研究室は、世界屈指の酸素定量技術を誇っています。
私たちは、この酸素定量イメージング技術と分子遺伝学的な手法を組み合わせて、植物が環境ストレス(例えば洪水や湛水)にどう適応するのか、そのメカニズムを探っています。また、水田から排出される温室効果ガス「メタン」を抑制する鍵が酸素にあることにも注目し、農業のカーボンニュートラル実現に取り組んでいます。
未来の農業を共に支える研究に挑戦しませんか?塩野研究室では、新しい発見を目指す仲間をお待ちしています!
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「湿害克服への挑戦—未来の農業を支える植物科学」
私たちの研究室は、湿害に強い植物と弱い植物を比較することで、環境適応のメカニズムを明らかにし、持続可能な農業の実現を目指しています。特に植物の根、細胞壁構造や植物ホルモンに注目し、最新のイメージング技術を駆使して、植物科学の新たな可能性を探求しています。
1. 湿害への適応能力の解明
湿害に強い植物(イネ・野生イネ・トウモロコシ野生種・ヒエ)
これらの植物は湛水した土壌環境でも成長できる優れた適応能力を持っています。この能力の鍵となる根の仕組みを詳細に解析しています。
湿害に弱い植物(オオムギ・トウモロコシ・ブラキポディウム)
湿害に弱いこれらの植物を対象に、その弱点を克服する方法を模索しています。ブラキポディウムは、湿害研究のモデル植物として重要な役割を果たしています。
2. 根の耐湿性メカニズムの研究
植物が湿害に耐える仕組みを解明するため、以下の適応応答を調節する分子メカニズムを研究しています:
Radial Oxygen Loss(ROL)バリア(酸素漏出バリアとも呼ばれます)
根が酸素を外に漏らさないバリアを形成する仕組み。
通気組織
根や茎など、植物体内にみられる酸素を運搬する細胞間隙。
地表根
地表面近くに発達する根。湛水した土壌であっても、比較的酸素濃度が高い地表面に根を伸ばすことで、湿害の回避に役立っていると考えられている。
細胞壁(スベリン、リグニン、カスパリー線)の役割
細胞壁の機能的修飾が根の保護と耐湿性にどうやって貢献するのかを解析しています。
3. 植物ホルモンと湿害応答
植物ホルモンが湿害環境での根の成長や適応応答をどのように制御するかを調べています。この知見を湿害に強い作物の育種に活用することを目指しています。
イネ・野生イネ・トウモロコシ野生種・ヒエ: 湿害に強く、湛水環境への適応能力を持つ植物。
オオムギ・トウモロコシ: 湿害に弱い畑作物であり、世界中で湿害が問題となっています。
ブラキポディウム: 湿害に弱い植物のモデル植物として、基礎研究に活用しています。
酸素イメージング(2次元酸素オプトード)
植物根の周囲(根圏)の酸素状態を時空間的に可視化し、耐湿性の仕組みをリアルタイムで評価するこのに生かします。
質量分析イメージング(植物ホルモンイメージング)
複数の植物ホルモンの分布を高解像度で可視化することで、湿害応答の調節メカニズムを解明します。
画像解析・共焦点レーザー顕微鏡
根の細胞壁構造を高精度で観察し、環境適応に関わる要素を明らかにします。
湿害とは?
湿害は、「土壌の過剰水分にもとづく土壌の酸素不足に起因して、植物が生育障害を起こす現象」のことです。日本では、排水性の悪い水田で畑作物(ダイズ、コムギ、オオムギ、トウモロコシやソバなど)が転作されるため、畑作物が湿害を受けることがよくみられます。世界では、雨の多いアジア地域だけでなく、西オーストラリアなどの乾燥した場所でも、水が停滞しやすいところで湿害が発生しています。
私たちの研究の目的
湿害に強い植物を育種することで、農業の安定化や持続可能な発展に貢献します。また、この研究を通じて環境保全やカーボンニュートラルの推進を目指しています。
湿害に挑む植物科学
気候変動による干ばつや洪水の増加が世界的な課題となる中、日本では集中豪雨や洪水のリスクが年々高まっています。このような状況下、農業分野においても深刻な影響が懸念されています。特に、日本では水田でイネ以外の作物を栽培する「転作」がが推進され、多くの畑作物(オオムギ、ダイズ、コムギなど)が排水性の悪い水田転換畑で育てられています。そのため、水田転換畑での湿害(過剰な水分による生育阻害)が深刻な問題となっています(図1参照)。
湿害は日本だけでなく、世界中の農地で発生し、食料生産の安定性を脅かしています。私たちは「畑作物を水の多い環境でも順調に育てる」ことを目指して研究を進めています。
現状の課題とアプローチ
現在、湿害に対する理解は十分とは言えず、なぜ湿害が発生するのか?耐湿性の高い植物がどのように湿害を回避するのか?その仕組みは解明されていません。この現状を打破し、畑作物の耐湿性を向上させるため、私たちは以下のアプローチを取っています。
もともとイネを栽培している水田転換畑は土壌の排水性が悪く、長雨などによって水がたまりやすい。水田転換畑で栽培されているオオムギ、コムギ、ダイズのほとんどが湿害を被り、品質低下や生産性が低下してしまう。写真は福井県内の水田転換畑で栽培されているオオムギ。苗立ちができず、土壌がむき出しになっている。1月ごろ。
イネなどの湿生植物は、酸素不足になった湛水土壌で生育を続けるため、酸素を輸送する「通気組織」だけでなく、通気組織から酸素が漏れ出ないように根をコーティングする、酸素損失を防ぎ、根の先まで十分な量の酸素を届けるのない「ROLバリア(酸素漏出バリア)」をつくることができます。
私たちの研究室では、特別な酸素電極を用いて、根からの酸素漏出量を直接測定しています。この技術を活用し、ROLバリアの形成が通気組織の発達とは異なるプロセスであることを発見しました。また、ROLバリアを構成する成分を詳しく調べたところ、リグニンではなくスベリンという物質が重要であることを明らかにしました。この研究は、ROLバリア形成に関わる遺伝子の機能解明にもつながり、特にRCN1という遺伝子がバリア構築に不可欠であることを突き止めました。さらに、植物ホルモン「アブシジン酸(ABA)」がスベリンの生成を調節し、ROLバリアの形成を制御していることを発見しました。この成果は、植物が湿地環境に適応する仕組みの解明に新たな視点を提供しています。
また、私たちは、湿地環境がどのようにしてROLバリアを誘導するのかを研究しています。例えば、長期間の湛水で土壌中の硝酸(NO₃⁻)が減少することが、ROLバリア形成の引き金となることを発見しました。この知見をもとに、環境変化を感知する仕組みや信号伝達の詳細な解明を進めています。
私たちは、根からの酸素放出量を直接定量できる特殊な円筒型酸素電極を使って、ROLバリアの誘導メカニズムを研究し、バリア形成にはスベリンという成分や、植物ホルモン「アブシジン酸(ABA)」が重要な役割を果たすことを発見しました。
さらに、湛水環境で土壌中の硝酸が減少することがROLバリア形成を促す仕組みを解明し、湿地環境への植物の適応メカニズムを明らかにしています。
最終目標は、湿地での農作物栽培を可能にすることです。オオムギなど耐湿性の低い作物にABAを与えることでROLバリア機能を付与できることを確認し、耐湿性向上の可能性を探っています。ブラキポディウムなども研究対象とし、湿地で育つ作物の開発を目指しています。
私たちの最終目標は、オオムギなどの耐湿性の低い作物が湿地でも順調に育つようにすることです。これまでの研究で、ABAを外部から与えることでオオムギにROLバリア機能を付与できることを確認しました。また、イネ科植物の新しいモデルであるブラキポディウムについても調査を行い、この植物が他の畑作物と同様に耐湿性が低く、通気組織やROLバリアを形成できないことを明らかにしました。
これらの研究成果を基盤として、湿地環境でも育つ耐湿性の高い作物を開発するため、重要な遺伝子やメカニズムの解明を続けています。最終的には、湿害に強い農作物を生み出し、農業生産性の向上に貢献することを目指しています。
イネをはじめ多くの湿地に生育する植物は、土壌中の酸素不足を補うために、茎や根に酸素を運ぶ管(通気組織)をつくります(図2)。さらに、根の基部からの酸素漏出を防ぐことで、呼吸活性の高い根端まで効率的に酸素を届けることで適応しています(図3, ROLバリア(酸素漏出バリア、Barrier to Radial Oxygen Loss)。
私たちの研究室では世界でも数カ所でしかつかえない、根からの放射的酸素放出量を直接的に定量できる酸素電極を使うことができます。この酸素電極を使って、イネのROLバリアの形成プロセスが通気組織の発達プロセスとは異なることを明らかにしました(Shiono et al., Ann. Bot. 2010)。
それから、これまではっきりとしなかったイネのROLバリアを構成する成分について分子生物学的な観点から説明することを試みました。具体的には、ROLバリアを形成している組織だけをレーザーマイクロダイセクションで集め、マイクロアレイによって網羅的に発現を解析しました。発現解析の結果、ROLバリア形成時にリグニンよりもスベリンの生合成に関わる遺伝子が数多く働くことが分かりました(Shiono et al., J. Exp. Bot., 2014)。
続いて、ROLバリア形成時に遺伝子発現が上昇した遺伝子の機能解析をすることにしました。先の報告で同定した遺伝子の一つ、RCN1/OsABCG5というABCトランスポーターの遺伝子の変異体である、rcn1変異体を水田で育てるとその根が異常に短くなることが分かりました。詳しく調べてみるとrcn1変異体はROLバリアの構成成分と言われているスベリンが根の外側に形成できず、根の外側のアポプラスト輸送バリアの機能が失われていることが分かりました(Shiono et al., Plant J., 2014)。
さらに、私たちは、RCN1遺伝子を含むスベリン生合成遺伝子とスベリン層の正常な構築を植物ホルモンのアブシジン酸(ABA)が正に制御することを発見しました(Shiono et al., New Phytol., 2022)。それまで、バリア形成を制御する植物ホルモンは知られておらず、この発見によりバリアの形成制御メカニズムの一端が初めて明らかになりました。
さらに上流の環境感知メカニズムを明らかにすべく、バリアを誘導する様々な環境条件を比較したところ、湛水の継続により、分子状酸素が枯渇すると優先的に微生物に使用される硝酸(NO3-)の減少がROLバリアを誘導することが明らかになりました(Shiono et al., Plant Physiol., 2024)。現在、環境変化の感知とシグナル伝達機構を明らかにすべく、研究を進めています。
私たちの最終目標は「オオムギなどの耐湿性の低い作物を水田転換畑でも順調に育つようにする」ということです。オオムギはROLバリアを形成できず、耐湿性の低い植物です。我々の研究でイネのROLバリア形成にABAが中心的な役割を果たすことが分かったので、ABAのバリア誘導性がオオムギでも発揮されるのか?検証してみることにしました。ABAを外生的に与えることでオオムギにROLバリア機能を付与できることが明らかになりました。
そこで、耐湿性の高いイネのROLバリア形成機構を理解する傍ら、畑作物の耐湿性を高めるために重要な因子、遺伝子を耐湿性の低い植物と比較することで明らかにしようと試みています。耐湿性の低い植物として材料としているのは同じイネ科で湿害が問題となっているオオムギ、加えてイネ科植物の新しいモデル植物であるブラキポディウム(Brachypodium distachyon)です。特にブラキポディウムは新しい実験材料であるために、耐湿性の評価がなされていませんでした。そこで、耐湿性の強化の研究に先駆け、私たちはブラキポディウム(Bd21)が他の畑作物同様に耐湿性が低く、通気組織やROLバリアの形成ができないということを確認しました(Shiono & Yamada, Plant Root, 2014)。これらの材料を利用して畑作物への耐湿性の付与を目指しています。
酸素は通気組織の中を濃度勾配に応じた拡散により移動する。植物種によって全く形成しないもの(Aミナトカモジグサ, Brachypodium distachyon)、土壌が過湿状態になると誘導的に形成するもの(B オオムギ, Hordium vulgare)、過湿状態にならなくても排水性の良い土壌状態で恒常的に形成するものがある(イネ, Oryza sativa)。Bars = 100 μm. (塩野, 根の研究, 2016)
過湿状態の土壌では酸素は通気組織を通じて地上部から根端まで輸送される( 黒矢印) 。酸素は拡散によって通気組織内を移動するため、根の基部において酸素は根端方向に向かうだけでなく、放射状酸素放出(radial oxygen loss, ROL として根から放出される(緑矢印)。非湿生植物は根の基部から放射状酸素放出として失われる酸素が多いために、根端まで供給できる酸素量が少なくなる(A) 。湿生植物(wetland plants)は根の基部側に放射状酸素放出を抑制するはたらきをもつ「ROL バリア(barrier to ROL) 」を形成することで根端までの酸素の長距離輸送を可能にしている(B, 赤色線) 。ROL バリアは植物の湿害抵抗性を高める3つの機能を果たすと考えられている(紫色) 。まず、根端に届けられた酸素は活性の高い細胞の呼吸に利用される(a) 。さらに,根端から酸素を放出することで還元化した土壌を酸化する。これによって、有毒物質を無毒化して根端の保護を可能にする(b) 。一方、根の基部側ではROL バリアの主要成分である疎水性の極長鎖脂肪酸であるスベリンが外皮において、酸素の流出を妨げるだけでなく、有毒物質の根への流入も防ぐと考えられている(c)。 (塩野, 根の研究, 2016)
イネは耐湿性の高い植物ですが、洪水が頻発する地域や湿地には栽培イネを凌駕するような強い耐湿性形質をもつ植物がいるかもしれません。その発想に基づいて、私たちは乾燥した場所から湿潤な場所まで広く分布するヒエ属、野生イネの耐湿性形質を評価してきました。ヒエとアマゾン川流域に自生する野生イネ(Oryza glumaepatula)の中には水が多い環境にならなくても常にROLバリアを形成できる種がいることを発見しました(Ejiri & Shiono, Front. Plant Sci., 2019; Ejiri et al. Plants 2020)。現在、Oryza glumaepatuaが持っている恒常的にROL barrierを形成する遺伝子の単離に向けて精力的に研究を進めています。
イネが栽培化で失った、スーパー耐性遺伝子が野生イネには眠っているかもしれない。(Miyashita & Shiono, unpublished)
2次元酸素オプトードは非破壊で空間的な酸素分布を定量できる新しい光技術です。2次元酸素オプトードは室内の実験室、植物工場だけでなく、野外でも原理的に利用できる技術です。私たちは、植物を対象にした2次元酸素オプトードシステムの構築に、国内で初めて成功しました(図5, Shiono et al., Front. Plant Sci. 2022)。
私たちは2次元酸素オプトードを使って、50年前に予想された子葉鞘の酸素取り込み機能(シュノーケル効果)の実証に成功しています。この技術をさらに発展させ、現在、湛水土壌における植物の適応応答の理解に挑戦しています!
Scale bar = 10 mm. (Shiono et al., Front. Plant Sci. 2022)
植物ホルモンは多くの遺伝子の働きを調節する陸上植物が普遍的にもっている低分子の化学物質です。その局在や量的変化が植物のかたちづくりや植物の環境応答の制御に関わることから、これまで量と分布を同時に検出する技術が求められていました。従来から行われている免疫染色は分布はわかるものの定量性がないという問題。FRET法は生きた細胞のまま定量的に観察できるものの、顕微鏡下での観察や形質転換の必要から使用範囲が限られてしまうという制約がありました。分子のイオン化手法と質量分析装置の進歩により物質の量と局在を可視化できる質量分析イメージングが植物でも利用できるようになってきました。そこで、私たちは最新の質量分析イメージングにより、アブシジン酸(ABA)とサイトカイニン(tZ)を同じ切片から同時検出することに成功しました(図6; Shiono et al., J. Agric. Food Chem., 2017)。複数の植物ホルモンの同時イメージングはこれが世界初の報告でした。質量分析イメージング技術を駆使して、これまでに私たちは7種類の植物ホルモンとその関連物質の同時イメージングに成功しています(Shiono and Taira, J. Agric. Food Chem., 2020)。質量分析イメージングは野外で育つさまざまな植物を対象にしても植物ホルモンの分布と局在を可視化できる技術です。私たちは、この技術を応用して、植物の環境適応の研究を展開しています。
水耕栽培したイネの根端の縦断切片をつくり、切片上のアブシジン酸(ABA)とサイトカイニン(CK, trans-Zeatin)の同時検出をした。(Shiono et al., J. Agric. Food Chem., 2017)
植物ホルモンのひとつであるエチレンは通気組織(図2)の形成など、植物の湿害抵抗性に関わる応答に関わることが知られていました。湿害を被りやすいオオムギなどの畑作物は過湿ストレスを受けてからエチレンを発生させ、通気組織の形成を開始します。そのため、しばしば過湿環境への順化の遅れが致命的になります。そこで、過湿ストレスを受ける前にエチレン発生剤であるエテホンを根に処理することで、オオムギの湿害抵抗性を高められるかどうか検証しました。その結果、エテホンを処理することで根の張り方が変化し、湿害抵抗性が高まることを明らかにしました(図7; Shiono et al., Plant Prod. Sci., 2019)。
畑作物であるオオムギは根の酸化力の強化に重要なROLバリアを形成できません。オオムギにイネのROLバリア誘導の中心的役割を果たすアブシシン酸を外生的に処理すると、根にROLバリアとアポプラスト輸送バリアを誘導できることも発見しました(Shiono and Matsuura, Ann Bot, 2024)。
以上の結果は、水耕液を用いた実験室内での結果なので、土壌や圃場で実用できるのか?検証を進めています。
過湿ストレスを被る前にエテホンを処理することで、根の活性を維持して湿害による根腐れを軽減することに成功した。写真は水耕液を使った過湿ストレスを7日間行ったオオムギの根の様子。根の活性はTTC染色により可視化した。高い呼吸活性を示す部位が赤く染色されている。(Plant Prod. Sci., 2019)
・乾燥ストレス、塩ストレスへの順化に対して根のスベリンのバリアがどのように寄与するのか?
・湿生植物や水生植物がもつ湿地環境に適応する未知の戦略に関する研究