アーティストさかいようこさん

ロングインタビュー

福女生に伝えたい

「好きなことを続けるだけ!」

<さかいようこ先生のプロフィール>

福岡市博多区生まれ。福岡女子大学に入学後、元九州派の谷口利夫氏の下で学びながらアーティスト活動を開始する。国内外の様々な美術展で受賞経験を持ち、個展も積極的に開催している。2001年にはアートスタジオ海の中道を創設し、2012年以降親族と自身の経験から「人間と核」をテーマに作品を作り続けている。

1.さかいさんのスタイルについて

池上まず最初に、さかいさんがアーティストになったきっかけを教えてください。


さかいさん:小学生のときから絵を描くのが好きだったんですよ。みんなの自由帳に絵を描いたり、教科書の端に漫画を描いたりなんかしてね。そして大学生になって油絵に挑戦して……初めて描いた時なんかは涎(よだれ)が出るぐらい面白く感じました。

せっかく生きていくなら、なにかのエキスパートになりたいという気持ちはずっとあって、でもまさかでそれで生きて行けるとは思わないじゃないですか。学生時代は自分が何に向いているかを探すために、10ヵ所ぐらいアルバイトを経験しましたね。まぁそうやって、いろんなところで働いてみたんですけど、やっぱ自分が一番好きなことをやろうと思ったんですよ。

それからは先生のアトリエに入り浸って、昼間は先生のアシスタントのようなことをしながら、夜やっと作品作りに取り掛かる。そしてコンクールに挑戦して……みたいなことをし始めたんですね。もうアルバイトでもいいから何かしながら、ともかく絵を描いていこうと心に決めていました。

 

大河内:好きなことが職業になったんですね。

さかいようこ先生の作品を拝見したところ、具象(「砂浜」シリーズでの緻密な描写)から抽象的(モザイクを使った絵)に変わっていたことが印象的でした。画風が変化した理由を教えていただきたいです。

 

さかいさん映像っていうのが元々好きだったので写真と映像との関係みたいなのをずっと考えてですね。最初は砂浜で撮った写真を布にプリントして、それの半分を具象的な手描きにして半分映像にしました。写真をパソコンの中で自分の好きな色に変えて、そのデータを横断幕を作る会社にボンと送って何センチ×何センチに印刷してくださいって。それをキャンバスに貼って、アクリルで上から描いて、映像とどう違うのかどうなのかっていうのを考えました。それがその後アナログとデジタルっていうふうに変わって行った感じです。

でも、デジタルの部分(モザイク)を今度は手描きしてみたらというのを一流の方に言われてしまって。アナログの点々を描くのはもう慣れたんですけどデジタルのモザイクを手描きするのがすごい大変なんですよ。点々を描くより遥かに大変なんです。でもいろんな出来事とか時期が重なって、手描きで描くようになりました。


広松:そうなんですね。

全て手描きで描いてても、パッと見ると写真みたいに見えます。


さかいさんそうなんですよ。ホームページをパッと見た人はまだ読み込んでないのかなと思うんですよね。ですから実物見てもらわないとわからないことが多くて。

作品1

砂浜で撮影した写真を布にプリントし、左半分が具象的な手書き、右半分が映像(アナログ)で作成された。

広松:なるほど、確かにそうですね。次に、作品によく使われる“色”についてお伺いしたいと思います。さかいさんが好んで青色を使用するのには何か理由があるのでしょうか。


さかいさんはい。この青っていう色にはこだわりがあって、まあ海のイメージもあるんですけど、何でしょうね。この教室を始めるときに色彩心理の勉強もちょっとしたんですが、ブルーという色は内向きな色で悲しい、寂しいとかそういう意味合いがありますが色彩心理的には孤独な頑張り色なんですよね。一人で黙々と頑張る人が好む色。制服とかブルーが多いじゃないですか。子供もね一人で孤独に勉強せないかんわけですよ。私も割とパーッとした性格みたいに見えるんですけど、意外と一人で黙々と描くのが一番好きなんですよね。ブルーを使うことによって自分自身が癒されてるのかもしれないし、作品も海の色とか言って割とブルー系が売れますね。やっぱり人はブルーだと落ち着くんじゃないですか。意識してるわけじゃないですけど、他の色も使ってこのモザイクの絵を描いてみたらと言われたりしますがそれは気が向かないですね。もし他の色を使うとしたら黒(モノクロ)ですかね。


池上:青色にはそんな意味合いがあったんですね。色について改めて深く考えさせられました。

2.作品について

広松:次に、「砂浜」シリーズを始めとする、砂浜を舞台にした作品が多くあることについて質問させていただきます。

砂浜に関して描く、というのはどこからイメージを得たんでしょうか。


さかいさん今回の展覧会の御挨拶にも書かせてもらったんですけど、中学校の卒業文集に自分の存在は宇宙的な砂の一粒に過ぎないって書いてたんですよ。そのことを私はすっかり忘れてたんですが、潜在意識の中で覚えたのかもしれないです。もしも悩み事とかがあっても自分の存在は沢山ある砂粒の中の一つにすぎないんだと思えばちょっと救われるかもしれないなどと思っていたのです。

あと、玄界灘の砂っていうのがいろんな色の石とか貝殻とかが小さくなってて、よく見るといろんな色があるんですよ。東京あたりの湘南海岸とかの砂は黒くてなんか砂鉄みたいで、きれいじゃないですけど。この玄界灘の砂はピンクや真っ黒、茶色、白もある。まるで人種のるつぼのようだなと。それから描き始めた時思ってたのは砂って割と女性的じゃないかなと。波とか風とかで形を変えられるのは受け身な感じで攻撃的じゃないんだけどなんだかしっかり存在してる強さみたいなところに女性的なものを感じるのです。


池上:砂と女性を重ね合わせるのは考えたことがなかったです。

続いて、核について描かれた作品の意味や想いについて伺いたいと思います。

さかいさん:前にアインシュタインを描いたんですけど、今回はそれを展示させてもらいました。

原爆が開発された時、アインシュタインの許可がないと使えないという条件がありました。ドイツに対して使うのかと思って許可したら、彼は日本が好きなのに日本に落とされてしまった。だから核の平和利用というのを最初に言った人なんです。なのに原発事故っていうのはかなり想定外だったかなっていう思いでアインシュタインの大作を描きました。作品の半分をブルーのモザイクにして、アインシュタインの気持ちを表現したイメージですね。

池上:確かに、原発事故は衝撃を受けた出来事でしたね。

 

大河内:さかいさんの作品には「貝」を描いたものが多くありますが、「貝」を描く意味について教えて頂きたいです。


さかいさん:貝っていうのは放射性物質を吸い込んで、海を浄化して自分が死んでいくんです。私がそのイメージの中で生々しく描いた方が生(せい)でこっち(モザイク)が死ですかね。この青っぽい感じが放射能を吸収しに行くようなイメージです。 

 私は原発事故後の2012年に福島に行ったんですね。いわきの海岸をずっと歩いていたんです。そこに津波の跡がまだ生々しく残ってたんですけど、大きくて綺麗な貝がいっぱい打ち上げられていてびっくりしたんですよ。そこで1キロぐらい海岸線に沿って歩いて貝殻を拾いました。それから2年ぐらい貝ばっかり描いて、それでもまだ描き足りないモチーフではあるんですよね。貝にはその中身がいたわけでしょう。それで自分のおうちみたいに一生懸命殻に住んでいたのに、ブワーッと打ち上げられて放射能をあびてしまって、もうその本人はどこ行ったかわからないけど、殻だけが残ってかわいそうですよね。

 

池上:これまで福島の原発事故について言及する場面が多くありましたが、さかいさんの作品と原発事故についてどんな関係があるんでしょうか。


さかいさん:福島の原発事故は結構その後の作品作りにおいての大きな節目となった感じですね。叔父と叔母が長崎と広島で被爆して、子供心にその後の影響の話を聞いてショックだったんですが、このときには特に自分のテーマという思いがなかったんです。でも1992年に偶然夫も白血病で亡くなっていて、この病気のいやらしさのようなものが身に沁みて分かっていたんですよね。でも経験がない人は全然実感が湧かないと思いますね。私は核の問題が本当に実感としてわかるので、私がやっぱり核のテーマを扱うべきじゃないかなと思って。でも若いアーティストで核をテーマにしたいけど自分が全然そういう経験が無いからやってはいけないんじゃないかと思ってる人も多くて。そんなことないですよ、やってくださいって言うんですけど。私もアプローチの仕方にはまだ改善の余地があるんですけど、思いついたことがあったらとりあえずやってみるっていう感じですね。

大河内:女子学生が困り顔だったり、泣いたりしているのはどうしてですか?


さかいさん:この女子高校生シリーズは、うちの娘や福島で話した子たちをきっかけとして生まれました。皆さん毎日楽しいですか?楽しくても、やっぱりいろいろ不満に思ってたり不安とかも多いんじゃないかな。

私、福島に行ったときに二人組の女子高校生と話したんですよ。見た感じはもう福岡で見る子と変わらないぐらいキャピキャピしていて、普通の女子高校生なんですけど、よくよく話を聞いてみたら「友達はもうみんなよそに移住(避難)しちゃって私たちしかいないんです」って言ってて、その様子が本当に寂しそうで……。娘もね、学校でいじめられている時期があって、そのときに「自分が崩れていくような気がする」って言ってたことがあったんですよ。一見分からないけれど、やっぱり暗いものを抱えているっていう、そういう普遍的な日本の女子高校生の気持ちを描きたいと思ったんです。でも今思えば笑顔にしたほうがもっと意外性があって面白かったかも。ちょっと後悔してます笑

作品4

3.学生へのメッセージ

広松:展示会に向けて、本学学生に伝えたいことがありましたらお願いします。

さかいさん「ある親族の物語」のビデオ(18分間)を見てほしいです。

※下のボタンからビデオに飛ぶことができます

「ある親族の物語」

そしたら、私がどんな想いで作っているかっていうのはわかっていただけるので、より理解が深まるかと思います。やっぱり、被爆二世、三世の実態がなるべくたくさんの人に伝わるようにっていう気持ちがありますので。割と被爆二世、三世の問題というのはあるんですよ。

 

池上:やっぱり今も残って?

 

さかいさん:はい、水面下に日本ですごくある問題ですよね。原発事故のあった福島でも今後問題になってくると思います。

 

大河内:確か私は小学生の頃、原発事故の話をよく聞いていました。


さかいさん:そっか。小学生だったんですよね。2011年に小学一年生だった子はもう大学生になってる。でもあの映像ね、当時は大したことないと言って報道されてたんですよ。やっぱりパニックになるから。だけど大したことあったんですよ。

 

池上:最後に、キャリアを形成していく中で学生に伝えたいことをお願いします。

 

さかいさん:私が作品を作り続ける一番の目的は、若い人を元気づけることです。割と緻密な描き方をしたり、1000人ぐらいの人に写真参加をお願いしたり、大変なことをやっているんですけど、若い人がそれを見て「これはすごい」「自分も頑張ろう」とか思ってくれたら嬉しいかなって。作品を作ることってやっぱり、やるからには見る人を何らかの形で感動させないとやる意味がないんですね。そのためには自分が努力しないといけないんですけど、もしも見る人が感動してくれたら元気につながる、やる気につながると思います。そして、自分も頑張ろうと思ってくれたらすごく嬉しいし、皆さんには実際頑張ってほしいです。

 

広松:はい、私たちも頑張ります!

最後にもう一つ、女性がキャリアを形成することについてさかいさんの考えを教えてください。

 

さかいさん:私は日本の将来はいかに女の人が能力を発揮するかどうかにかかっていると思っています。だいぶ世の中は変わってきたんですが、女性が子供を産んでも仕事を辞めずにキャリア形成をしていける、そういう世の中にもっとならないといけないと本当に思ってます。これまでは普通にお勤めして結婚したらやめて、子供産んでただ主婦になって。まあ、それもいいんですけど私はなるべく自分の好きな分野で能力を伸ばしたいと思って、ひたすら頑張ってきたつもりなんですね。もうこれ以上どう頑張るっていうぐらい頑張ってきたつもりです。でも、ひたすらそう思って頑張っていれば道は必ず開けるんです、どっかで。今回もこんな大きな展覧会のお話をいただくとは全然思っていませんでした。頑張っていればいいこともあるんだなって。最初からダメだと思って諦めてると何もやって来ないんですけど、ひたすら前向きにやっていたら必ずチャンスがくるんですよ。それをパッと掴まないといけない。チャンスの神様は上から見てるんです。

あと、積極的に自分を売り込むっていうこともしないといけないですね。恥ずかしがってたり引っ込み思案はだめで、私はこういうことができますとアピールしてやらないといけないんじゃないですかね。やるからにはもう恥ずかしがらずに発表しないといけないと思います。


大河内:そこにはやはり批判の声もあるのではないでしょうか。


さかいさん:批判されたり貶されたりすることも多いです。褒められることは少ないんです、実は。その時はもう泣きたいような気持ちになるんですけど、何日かしたら元気が出てきて、またやるかみたいになるんですよね。でも、そうやってしたたかに続ける。続けることが大事です。続けていれば、経験でわかってくることがあるんです。才能なんて言われますけど意外とこうすればこうなる、ということが経験でわかることが多いんですよ。だから、続けて何かを蓄積していくことが大事だと思います。


池上:確かにそうですね。まずは続けたいことを見つけるとか。


さかいさん:そうですね、自分が何のエキスパートになるかということ。しっかり大学時代でそれを考えて見つけて…。だって今はまだまだ20歳ぐらいで、今から60年70年生きるでしょ。その間に60年間積み上げるものがあるんですよ。人間は一生勉強なんです。私もまだまだこれからと思ってます。

それから「ピンチはチャンス」。何か苦しい試練に遭遇したらそういう時に何か新しいことを始めることです。何があっても挫けずに前に進んでいってください。

 

一同:はい!今日はありがとうございました。


4.あとがき(学生委員:池上、大河内、広松より)

 今回は福岡女子大学100周年記念事業で展示会を開いてくださったさかいようこさんにインタビューをさせていただきました。インタビュー時には楽しく談笑しながらさかいさんの生い立ちや作品についてたくさん知ることができました。また、インタビューは春に行われ、この記事が完成するまでに長い時間を要しましたが、さかいさんは原稿の確認などお忙しい中お時間を当ててくださいました。この場を借りて改めてお礼申し上げます。

 さかいさんのお話を伺ってから再度作品を鑑賞すると、今まで作品を見て考えていたことが「こうだったのか」「こう見ることもできる」など新しい発見と共に大きく変わりました。また、さかいさんから貰った学生への言葉についても考えることが多く、このインタビューでは一人の学生としても多くを学ぶことができました。

 この記事を通して皆さんにもさかいようこさんの作品に関心を持っていただき、是非作品に触れていただければと思います。

(美術館委員:池上、大河内、広松)

(最終更新:2023年7月5日)


インタビューさせて

いただいた時の様子

大学で行われた展示会の様子 

<作品一覧>

今回インタビューの中で出てきた作品は、作品名と共にこちらからご覧いただけます。