コレクション展1
許山孝一 カリフォルニアの丘
開催期間:2025年6月27日(金)~9月25日(木)
★会期は終了いたしました。ありがとうございました。
★今回展示した作品の一部は、学内にある地域連携センター、図書館棟カフェにて展示しております。
★会期は終了いたしました。ありがとうございました。
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生誕125年 許山孝一
この度、福岡女子大美術館では、初のコレクション展として、激動の時代を半世紀以上アメリカで過ごし、画家、教師、デザイナーで修復専門家でもあった、許山孝一(のみやま・こういち)氏の収蔵作品を展示する回顧展を開催します。
許山氏は1900年福岡生まれ。骨董商の父について20歳で渡米、25歳でカリフォルニアの美術学校(カリフォルニア・スクール・オブ・ファインアート)の壁画科に入学しました。そこで、フレスコ画で有名なディエゴ・リベラに師事、1927年には彦山偵吉、キヨオ・ハリー・ノブユキの Sangenshoku Ga kai (三原色画会)に参加し活動を開始しました。その後、サンフランシスコの美術館からの招待出品(1931年)、カリフォルニア・アート・アソシエーション会員に推挙される(1936年)など、油彩画家として本格的に活動していました。
しかし第二次大戦の激化を受け、約12万人の日系人、日本人が敵性外国人として強制収容されます。許山氏も夫人とともに、ボストンバッグ1つでキャンプ(戦時収容所)に向かいました。コロラドのアマチキャンプでは美術教師として雇用され、1945年、東部に移住するにあたり推薦を受けています。戦後のニューヨークでは服飾のテキスタイルデザインの仕事をしながらリバーサイド美術館に出品、その後はサンフランシスコに戻り、美術品修復の店をはじめました。許山氏の技術は定評があり、フランク・ロイド・ライト財団による屏風の修復依頼の手紙が残されています。また、サンフランシスコでは1968年まで毎年個展を開催しています。
1974年以降はアメリカと日本を往来し、福岡で2度の個展開催。アメリカに帰化することはなく、1984年、福岡で病没しました。
本展では、内省的な月夜を描いた「カリフォルニアの丘」(1979)と周辺の風景画をメインとし、1940年代までの初期油彩作品、テキスタイルデザイン作品、帰国後の静物画、水彩のシリーズ「幻の実」、当時の資料など、合計およそ50点をご覧いただけます。
出帆(1932)
本学収蔵のテキスタイル作品は34点あり、うち一部を展示します。セントラルパークを描いたパターンや、植物文様など、繊細で軽やかな作品をまとめました。
無題 (1920年代?)
カリフォルニアの丘(1979)
赤い工場(1980)
7/17(木)
福岡女子大学図書館内ラーニングコモンズにおいて、国際教養学科教授によるトークイベント「許山孝一の生きたアメリカ」を実施しました。
(このイベントは終了しました)
トーク内容について、後日掲載予定です。