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2005 [9th] Japan Media Arts Festival Device Art Symposium "Will Techno Gadgets Become an Art?"

Presentation

by Hiroo Iwata

平成17年度(第9回)文化庁メディア芸術祭

デバイスアートシンポジウム「テクノガジェットはアートになるか?」

プレゼンテーション:岩田洋夫

2006年3月2日@東京都写真美術館

2.1■岩田洋夫:プレゼンテーション

岩田:皆さんこんにちは、岩田です。私はバーチャル・リアリティの研究をここ20年ほどやってきた工学者です。なぜ、そんな私がアートと関わりを持つようになったかの経緯を、これから紹介していきたいと思います。今日のテーマは大変ディスカッションしたかったもので、私が研究しているバーチャル・リアリティのようなインタラクティブ技術がある種のテクノガジェットだとすると、それをアート作品にしてきた今までの私の試みは何だったのか……ということについて、少し考えてみたいと思います。

2.1.1●インタラクティブテクノロジーはアートか?

インタラクティブ技術というのは、基本的には“体験してナンボ”なのですね。工学の研究成果は、論文という形で発表するのが普通ですが、インタラクティブな技術の価値は、基本的には実際にやってみないと分からない。特に私が専門としているのは、主に触覚です。人間がものに触れた感覚をどうやってバーチャルに作っていくか、そういうことを研究していると、触れた感じというのは絶対に絵にはならないわけで、人にそれを伝えるためには、実演しなければならないわけです。

例えば、ここにある『FEELEX』【図1】という装置を説明する場合も、言葉で説明するなら「ここに伸び縮みする棒があって、コンピュータで制御されていて、ここに凸凹の面ができて、触るとこれが変形して、硬い/柔らかいが分かる……」みたいに言うわけですが、たぶんそう言われてもよく分からないですよね。そのために、これを《Ars Electronica》とかに持っていって実演デモをして、「触ったらこんな感じがしますよ」「こういうふうに応答するのですよ」ということを一生懸命説明してきたわけです。

だけど、そういう実演を発表できる場というのはなかなかなくて、じゃあ、どういうところでこういう発表をしたらいいのかと、もう10年以上捜し求めてきたわけです。そのひとつの例として《SIGGRAPH》という催しがあります。映像系の人ならみなさん、知っていますよね? 94年の《SIGGRAPH》で『The Edge』という国際公募形式のデモセッションがありまして……当時は日本から出品することは非常に珍しくて、デモのセッションをするのも世界でも珍しい時に、今でいう「Emerging Technologies」を公募形式で募るイベントが始まったのです。私はそこに、こういう触覚デバイスを展示発表し、それ以後12年間連続で、触ったり、歩いたり、見たり……色々な体験をするインタラクティブ技術の発表を《SIGGRAPH》でやってきました。

インタラクティブ技術の発表形態として、アート作品というのは非常に意味があるわけです。こうしたインタラクティブ技術は、誰でも万人が体験可能なわけです。ところが論文というメディアは、学科の中でしか流通していない。専門的にはこれを「ピアー」と言うのですが、そういう専門を同じくする人の間でしか、知の流通が行なわれないという学会というものの閉鎖性があるわけですが、そういうものを打破する、非常に有用な方法ではないかと思ったわけです。

最近では、そういった点の重要性がつとに指摘されていて、文部科学省が「アウトリーチ活動をせよ」と言うわけです。早い話が「科学技術の成果を一般の人々にも分かりやすく説明しなさい」という、ある種の説明責任なのですが、それをやるためにはアート作品にして、みんなが触れられる展示スペースに出すというのが、最高のアウトリーチ活動だと言えるわけです。一般鑑賞者の評価にさらされるというのが、実は非常に重要なことで、ある意味一般鑑賞者は、専門家よりもずっと厳しい評価をするわけです。そういう意味において、アート作品というのがインタラクティブ技術を磨く場としても大変よいわけです。

そこで問題なのは、どこで、どうやって、発表をするかということです。アーティストを本職とする人なら、美術館で作品を発表する場があるでしょうが、実験室の中でこうしたインタラクティブ技術の開発をしてきた人が、突然美術館に持っていって「展示してくれ」と言っても、普通なら絶対に受け入れてもらえないわけです。そこで発表の場を探した結果、《Ars Electronica》というものを見つけたわけです。メディア系の人ならご存じだと思いますが、これは世界最大規模のメディアアートの祭典で、インタラクティブ・アート部門という専門部門を持つ唯一の芸術祭です。この「メディア芸術祭」も昔はインタラクティブ部門がありましたよね? たしか私が受賞した時も、インタラクティブ部門があったと記憶していますが、そういうインタラクティブ関係の作品に特化した部門って、世界的にもあまりないのです。私はその《Ars Electronica》に色々な作品を出して、1996年と2001年の《Ars Electronica》では「Honorary Mentions」に入賞したり、1997年と2000年には《Ars Electronica》で招待展示をやったりと、色々な活動を続けてきました。

そうこうするうちに、こういったインタラクティブ技術は、ある種、日本のお家芸になってきます。《SIGGRAPH》の「Emerging Technologies」……最近では競争が激しくて採択率も低いのですが、その採択作品の中でも日本からの作品が多数通過を続けていて、前回の《SIGGRAPH》では、ついにそれが全採択作品の過半数を超えました。どこを見ても日本人ばかり、そういう状況になっているのが最近の《SIGGRAPH》の「Emerging Technologies」です。

それと《Ars Electronica》でも(こちらは日本人の入賞者は全体的にはあまり多くないのですが)インタラクティブ部門に限ると、かなり多いです。この《SIGGRAPH》と《Ars Electronica》における2つの現象を見て、外国の人は「やっぱりこれは日本固有の何かの特徴が、そこにあるのではないか」というふうに思うわけです。

こうした技術と芸術の間を行き来している私の活動を総括する概念として、この「デバイスアート」というものを昨年提唱したわけです。これは先ほどの草原先生のお話の復習ですが、メカトロ技術や素材技術を駆使して、テクノロジーを見える形としてアート作品にしていくのが、この「デバイスアート」です。その特徴は大きく分けると3つあって、ひとつめは「デバイス自体がコンテンツである」。デジタル・コンテンツと言うと、従来なら映像やマンガになっちゃうわけですが、装置こそがコンテンツである、ということです。2つめが「作品がプレイフルで、商品化もできる」、そして最後に「道具への美意識といった、日本古来の文化との関連性もある」というところで、いずれも従来の西洋芸術にはなかった特徴であり、それゆえに世界的に注目されているわけです。

2.1.2●インタラクティブ技術をアートにするには

さて、ここからが本題なのですが、インタラクティブ技術をアートにするにはどうすればよいか。普通、アート作品にはメッセージがあるわけです。では、私は自分の作品、VRシステムにどういうメッセージを込めたかというと、「自己の認識」という古典的な課題です。ちょっと補足しますと、感覚と行動の新しい関係性をVR装置によって作ってあげて、それによって自己というものを再認識させようと……これが私のメッセージです。

普通、実世界では、感覚と行動は絶対にズレないのですが、VR装置を使うと、色々なズレ方を作ることができます。そのズレることによって、自分というものを再認識することが(実体験として)可能になります。例えばどんなことをやったか、具体例を挙げてみますと、これが『クロスアクティブ・システム(Cross-active System)』【図2】 という、96年の《Ars Electronica》で「Honorary Mentions」を受賞した作品なのですが……ここに体験者が二人いるわけで、こちらの人はモーションベースの上に乗っていて、HMD(ヘッドマウントディスプレイ)をつけています、こちらの人が何をやっているかというと、非常に小さな親指カメラを手に持って、それで色々なものを写すのですが、そのカメラに位置センサーが付いていて、このカメラの映像がHMDに来て、センサーのデータがモーションベースを動かすわけです。すると何が起きるかというと、こちら側の人がこっちの人の手の中で弄ばれているような、そんな感じがするのです。

面白いことに、これをやる時、中の人が2人来ると、凄まじいことが起こるわけです。こちらの人が言いなりになるわけですから、好きなようにやりまくると。こちらの人は自分の体が小さくなって、人の手の中で弄ばれているような感覚を得るわけですが、ひいては新しい人間関係というのもできてくる。そういう意味で、体験者に新しい感覚をもたらすという作品だったわけです。

もうひとつの例が『フローティング・アイ(Floating Eye)』【図3】という作品で、これは2001年の《Ars Electronica》で受賞し、「メディア芸術祭」でも同時受賞したものなのですが、これは全周ディスプレイなのです。普通、全周映像というと、プラネタリウムみたいな劇場の中でしか見られないのですけれど、これは頭に被ることができます。この中に映像が全部入っています。被った人が何を見られるのかというと、飛行船のここに全方位カメラが付いていて、そこの映像が目の前に見えるわけです。すると、自分の目だけが体を離れて空を飛びあがる……幽体離脱みたいな感覚がします。そうすると、自分という体から目だけを離すことによって、新しい再発見ができるわけで、これもやはり「自己の認識」というテーマに基づいた作品です。

ちなみにこれは予告なのですが、2006年の5月3日から7日まで(今年のゴールデンウィークの連休ですね)日本科学未来館で、『フローティング・アイ?リア・ドーム・エディション(Floating Eye - Rear Dome Edition)』という新作の展示を行なう予定です。これは私が代表者をしている「CREST」という科学技術プロジェクトがあって(実はあちら側に出席されている作家の方々も、この時に作品を出してくださるのですが)そこで新作を出します。これは何がポイントかといいますと、『フローティング・アイ』の球面ディスプレイは、色々な人から「画質が貧弱だ」って言われました。たしかに実際、そうでした。全周ディスプレイの宿命として、解像度のコントラストが低かったのですが、今回はそこを克服するため、いかにすれば高画質にできるかという限界に挑戦したのが、この作品です。ぜひ、映像体験してほしいと思います。

2.1.3●作品にメッセージがあるとは限らない

最後に問題提起なのですが、それは「必ずしも作品にメッセージがあるとは限らないのではないのか」という点です。今回の「デバイスアート展」に私が展示している『ロボットタイル』という作品は、「ロコモーション・インターフェイス(Locomotion Interface)」……つまり「歩く感覚を作る実験装置」の純粋な技術デモンストレーション、その技術的可能性を追求する装置なのですが、なぜかアート関係者には大変評判がいいという結果になりました。それと、今年の「メディア芸術祭」の大賞である『クロノス・プロジェクター(Khronos Projector)』も、実際には技術デモンストレーターなのだと、私は思います。たぶんこれは、厳密に言えばアートではないのだと思うのですが、それが大賞になった……というところも、私は非常に面白い結果ではないかと感じています。以上です。

草原:ありがとうございました。後でまた戻ってくるような問題提起が出てきた気がします。つまりそれは、我々よりもアーティストの方がものを考えていて、なにかテーマを与えるというだけではなくて、作品を観る方だって自分たちで色々と考えるのだ、ということにもなってくると思うのですが……それはまた後でお話が出てくると思います。では次にクワクボさん、お願いします。

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